科幻情報 Vol.32


日本SF大会報告

 今年は参加数一千人程度というわりあい小規模な大会になりました。そのせいか、あまり方々へ出歩くこともなく、ほぼディーラーズルームでおとなしく店番していたような気がします。例によっていろんな方々とお会いして、できたばかりの《資料之七》をさしあげたり、お返しに向こうのファンジンをいただいたり、せかせかしないで済みました。  会場が貸切りでなかったため、コスチュームのままうろつく人も(ほとんど)見当たらず、メインホールでのマスカレードもなかったのですが、すべての企画を終えてから全員参加の形でエンディングに入ったのは成功だったと思います。おかげで星雲賞その他の授賞式もじっくり見られたし、インディーズ映像コンテストの入賞作品や実行委員長の葬儀(?)に涙が出るほど笑うこともできました。毎号、A・C・クラークのエッセイやスペイン語圏SF、そして中国科幻小説の翻訳を掲載してくれていた東海SFの会の《Lunatic》がファンジン大賞の翻訳部門を受賞することになり、私が事務局の代理ということで初めてステージに上がり、賞状やトロフィーを受け取って挨拶してきましたが、ステージの上で挨拶の順番を待っているあいだ、不謹慎ながら、眠くて困ったものです。
 さて中国SF研究会の名で企画した《中国SFと武侠小説の部屋》の概要を報告いたします。
 最初の計画では《科幻世界》の発展のあとをたどる映像をはさみながらゲストのコメントをいただく予定でしたが、ロシアSFの大野典宏氏が遅れるという話だったので、奇談小説作家の早見裕司氏とともに、映像を見ることからスタートしました。開始時点ではわずか三、四人だった聴衆は、コメントの声が外に聞こえるにつれてぼつぼつ集まってきて、最終的には30人近い人が耳を傾けてくれました。《宇宙塵》の柴野拓美氏、ワールドコンの常連である大迫公成夫妻、エヴァ成金を自称する兜木励吾氏なども顔を見せ、中国SFに特有の現象などについてのトークを聞いて下さいました(時折ツッコミを入れて話のきっかけを作ってくれた兜木さん、どうもありがとう)。
 話の内容は、特にまとまった結論の出るような性質のものでもなく、今度の《科幻情報》や《資料之七》に書いたような中国SF史のおさらいとか、現代中国科幻小説における「科学性」の問題などを取り上げ、武侠小説と比較することによって中国の小説におけるフィクション意識の問題などを語ったものです(もしかすると、あとで飲みに出た先の話題と混同しているかも知れません)。その夜はゲストとともに栄へ出て錦三丁目の中華レストランで話の続きに興じつつ加飯酒の甕を一つ空にしました。
 翌日、今度は私がゲストとして大野氏の《非英米圏SFの部屋》に招かれ、中国SFとの出会いや情報収集の苦労などを語り、翻訳ではなく原語で読んでみたい人のために《科幻世界》のバックナンバーを配ったりしていました。
 毎年、もうをぢさんの出る幕じゃないのにとボヤきながらの大会参加。早く後継者が出てきてくれないかなあと待ち望んでます。


最新情報

 中国からの最新情報です。昨年の「北京国際科幻大会」でファンジンをいくつか贈られたのですが、その中の一つである《星雲》が、近く「内部刊物」ではなく正式の刊行物として承認されるということになりました。作家・編集者・翻訳者が多く執筆しているため、プロのための同人誌といった性格を帯びていて、格式からいえば日本の《宇宙塵》のような位置にあるといえるでしょう。「内部刊物」は海外へ持ち出すことができない建前でしたが、次号からはこの《科幻情報》でもある程度内容の紹介ができるようになると思われます。
 とりあえず98年度第2期号から目についた記事を2、3紹介しましょう。
 一つは久しぶりに見る鄭文光の短い論評《科幻与現実》です。鄭文光氏の病状は相変わらずなのですが、科幻界の動向を見る目はさすがと思われるものがあり、中国科幻小説が今日の繁栄を見るようになったのは喜ばしいことだが、科幻小説に似て非なるもの、およそ社会の現実を反映していない一類があると警鐘を鳴らしています。娯楽に流れ過ぎているとの批判でしょう。《科技日報》からの転載ということです。『資料之七』の後記で触れたルィバコーフ氏の言葉を、また思い出してしまいました。
 二つめは《科幻中的科学》。筆者は李逆(烱+立)。SF中の科学的誤りないし勘違いをいくつか指摘した上で、フィクションのための擬似科学がどこまで許せるかといった微妙な問題を論じており、そうそう、こういう視点が話題にならなくてはいかんのだと、うなずきながら読みました。きっと「科学」の部分に対する豊かなセンスのある人に違いありません。
 三つめは《看不(心+董)的科幻訳作》。孔斌という翻訳者のエッセイ。現在、J・ガンの《快楽製造者》という作品を翻訳中で、その作業を通じて感じたこととして、SFの翻訳について次のような問題点を指摘しています。翻訳SFの読者が増えない理由の一つに、語学ができるというだけでSFの分かっていない人間が翻訳に手を出しているという問題がある。大学の教授などがそうだ。このため、SF特有の語彙や作者による造語などが訳しきれていないので、読んでみてもチンプンカンプンというものが多い。また中国におけるSF翻訳はいまだにヴェルヌやウェルズにこだわっているが(林注:ベリャーエフやA・トルストイも加えたがよいのではないかと愚考)、海外におけるSF出版の発展ぶりからすると、もっと最新の作品を紹介してしかるべきなのに、前半で述べたような事情でよい翻訳が少ないのは困ったものである。この情報化社会において、中国科幻小説の水準を引き上げるためにも、海外作品の翻訳紹介は急務であるはずなのに……。
 矢野徹氏の《SFの翻訳》を思い出すとともに、かの地でもSF論争は活発なんだなあと、つくづく感じました。

●内山書店発行の《中国図書》によれば《科幻世界》は「全国百種重点社科期刊名単」に指定されたとのこと。もしかすると日本で定期購読できるかも知れません。予約受付の問い合わせ先を書いておきましょう。
  鞄燻R書店定期刊行物予約受付係
  TEL:03−3294−0671
  FAX:03−3294−0417
 受付開始は10月からです。内山書店発行の『定期刊行物目録』には載っていませんが、多くの問い合わせが行けば、取ってくれるかも知れません。みんなで圧力かけましょう。このほか、北京国際科幻大会の影響でしょうか、雑誌のみならず単行本の出版も(Xファイルの翻訳なども含めて)ぼつぼつ見られるようになりました。銀河賞受賞作については前号でお伝えしましたが、これもなんとかして内容を紹介したいと思っています。

●国内ニュース、会員の本です。武田雅哉『呉友如の事件帖』(作品社)。以前『点石斎画報』で注目を集めた清末のFOCUSというべきか新時代の捜神記というべきか、あの野次馬根性いっぱいの楽しい絵入りニュースです。著者もあとがきで触れているとおり、清末の人々をこれだけ表情豊かに描いたものは、ちょっと例がなさそう。語り手(?)のキャラクターおよびその仲間もなかなか愉快でした。

●同じく国内出版ですが、徳間書店の金庸武侠小説シリーズ、いよいよ佳境。『笑傲江湖』の第六巻、表紙だけでもごらん下さい。武侠小説のどこにハマったか尋ねられて、私が答えたのは、細かいリアリテイにこだわらずにどんどん話を進めてしまう豪快さだというようなことでした。奇想天外なようでいて、人間もちゃんと描かれているところがスゴいのです。日本の近・現代文学が切り捨ててきた、物語というものの本来持っている面白さが、ここには溢れんばかりになっています。かえりみればSFの道に入ったのも、そういう「面白さ」にハマったゆえだったと思うのです。最初に出た『書剣恩仇録』は日本でもよく知られている『水滸伝』の世界に近いのですが、個人的にはトンデモ度の高さで『侠客行』の方がお薦めです。長さとお値段が気にならない向きは『笑傲江湖』をぜひどうぞ。入門書『金庸の世界』と『きわめつき武侠小説指南』もよろしく。


おたよりコーナー・海外編

 しばらくお休みしていた「おたよりコーナー」です。復活できないものかという声が2、3ありましたので、復活することにしました。さしさわりのありそうなプライベートな部分はカットしていますが、このコーナーに転載されるのはイヤだという方は、おたより下さるときにその旨書き添えて下さいますよう。

《星雲》の主編・姚海君氏来信  8.14付

 《星雲》の編集委員である周恩生氏のほうから貴君に関することを知らされ、資料を提供していただいたことに対し、たいそう感謝しております。これこそ私たちの友誼のしるしといえるでしょう。とりあえず《星雲》の最新号をお送りしますので、ご批評などお願いいたします(表紙には特に日本のSFアートを選びました――訳注:加藤直之氏のイラストと思われる)。
 同封しましたのは長篇SFの序文です。科学と反科学との対立を描き、文明や進歩についての真意を探求することにつとめた、ある程度の思想的内容を含んだものです。この作者――鄭軍――もやはり科幻世界雑誌社の編集者です。日本のオウム真理教に触れた部分がありますので、鄭軍氏の貴君の指正を希望しております。

周恩生氏より 9.9付

 (姚海君氏とほぼ同じあいさつに続いて)《時代之艙》の序文のことですが、鄭軍は麻原彰晃とオウム真理教という現実に起こった事件を中心に据えることによって、この長篇小説の影響力をさらに大きなものにしようと考えたようです。しかしこれは日本で政治的問題を引き起こすことにならないでしょうか。日本のような民主国家で、あれほど世間を騒がせたオウム真理教の事件を小説の中心に据えてよいものかどうか、貴君のご意見をお聞かせ願いたいと思います。
 次号の《星雲》は11月ごろ刊行される予定です。これからも貴君らの“中国SF研究会”と定期的に刊行物を通して情報交換できるよう望んでおります。


歓呼西游記宮覆滅

科幻世界編集部 譚 楷

 成都市北郊の新都県に、2千万元を費やし、30畝(1畝は 6.667アール)の土地を占めて建設された“西南第一神宮”の中の西遊記宮が、わずかな繁栄ののち、年々訪れる人も稀になって、すっかり荒れ果ててしまった。三蔵法師たち師弟の像も粉砕され、神通無辺の金箍棒もたたき折られた。記者が取り壊し現場へ行ったときには、感慨無量だったものである。
 ご存じのとおり、この2年のあいだに、成都の周囲で取り壊しに遭ったテーマパークは、このほか封神宮、水滸宮、百帝蝋像城などがある。総計一億元にものぼる人民元が灰燼に帰したのである。
 素晴らしいことではないか!
 別に人の不幸を喜んでいるわけでも、追い討ちをかけているのでもない。
 だが情報化時代と言われる今日、孫悟空はとうに神通力を失ってしまった。考えてみたまえ。祖父のまた祖父の時代、孫悟空の物語を代々語り伝えて飽きることがなかったのは、テレビも映画もなく、新聞も雑誌もない閉ざされた時代だったから、棒切れ一本でも遊ぶことができたのだ。だが今は? 日本から入ってきた聖星矢にドラゴンボール、ドラえもんが、桜並木よろしく人の目を楽しませている時代。アメリカ渡りのミッキーマウスやドナルドダック、ライオンキングは言わずもがな、世界中のSFアニメが中国映画界を絨毯爆撃にやって来る。なのに喜んで貴重な外貨をはたいているのはどういうわけなのか?
 あまり正確てはないが、わかりやすい言葉で締めくくろう。古い歴史は中国に後ろ向きの文化を醸成してきた。それが次々に敗退しつつあるのだ。西遊記宮を計画した人々の憐むべき想像力は、古い塔の上にわずかばかりの草を植えて、自画自賛していたにすぎない。空を仰げば宇宙船が飛び交い、前向きの文化が勃々として起こりつつあるというのに。
 西遊記宮の滅亡は一つの象徴、一つの標識である神宮の廃墟の上に科学技術時代の神話――科学幻想が打ち立てられる時が来たのだ。
 金を湯水のごとく費やして神殿を建てた人々は何を得たというのだろう? 何か得るところはあっただろうか? この譚楷の哄笑が理解できたなら、一つの進歩と言えるのだが。


後記
 中国から送られてきた《星雲》に触発され、いくらかヤル気になってきました。大陸における科幻小説の発展にはめざましいものがあり、この8月に行ってきた武田雅哉氏によると、書店には科幻コーナーまで設けられていたとか。昨年の北京国際科幻大会が功を奏したんでしょうか。ただ、依然として科普協会・科技協会の後押しがあるという点は、日本との大きな違いです。最後の記事は譚楷氏による《星雲》の巻頭言です。短いものなので全文訳しておきました。筆者および中国科幻小説界の誇りと、そしてちょっぴり複雑な心境が読み取れるので、要約したのではその辺がうまく伝わらないのではと思った次第。
 夏もようやく過ぎて秋風が吹きはじめました。さまざまな意味で、皆様にも収穫のあらんことを祈っております。(林久之)