科幻情報 Vol.29


コクラノミコン盛況のうちに終了

 今年度日本SF大会コクラノミコンは北九州市小倉において、無事とはいわないが、盛況のうちに幕を閉じました。中国からはゲストとして、四川広播電台で番組の編集を担当している錦燕小姐が来訪。これはWSF(世界SF協会)の例会が97年、再び中国で開催されることになったので、日本からのSF関係者の参加を呼びかけるのが目的でした。
 オープニングパーティーでは特別ゲストとして挨拶。分科会では来年の計画などについて詳細に説明、『宇宙塵』の山岡謙氏も91年に四川省成都市で開催されたWSFのビデオをひっさげて登場。観光パンフレットやTシャツを持ち込んで奮闘した錦燕さんでしたが、分科会の反応には少し期待外れだった模様で、「想像していたのと少しちがった」と、遠回しな表現をしておられました。これについては、今後も地方イベントやパソコン通信を通してWSFの宣伝を続けるということで納得していただいた次第です。
 余談ながら、錦燕さんが持ち込んだSF雑誌《科幻世界》のバックナンバーは即日完売。頒価が300円と低く抑えてあったたせいもありますが、購入された方が来年の中国WSFに参加されるよう願っております。


97年WSFおよび「科幻節」の日程

 さてそのWSFの日程その他ですが、すでにかなり詳細なところまで決まっています。おおむね以下の通りですので、よろしく参加を検討していただければ幸いです。

8月20日:北京人民大会堂にてWSF例会

 ちなみに91年のときの参加は、地元中国勢の鄭文光、童恩正、葉永烈、蕭建亨らのほか、B・W・オールディス、B・ステーブルフォード、フレデリック・ポール夫妻、ジャック・ウィリアムソン、チャーリー・ブラウンほか。日本からの参加は柴野氏ご夫妻と山岡謙氏の3名でした。

8月21日:四川省成都市へ移動して、『科幻節』。

 これがいかなる行事であるかというと、要するに国内のSF大会。WSFの出席者をそのまま海外ゲストとして取り込むというプランなのです。『科幻節』の詳細についてはこのあとの記事で紹介しますので、そちらをごらん下さい。

8月22日より:大会記念のオプショナル・ツアー

 これには二つのコースが用意されています。どちらへ参加するかは自由です。

A:四川北部の秘境、九塞溝へ4泊5日

B:成都市の南100`にある楽山大仏・峨眉山へ1泊2日

費用は、Aコース600米ドル/Bコース450米ドル。
(内訳)大会参加費120ドル、北京−成都2日分の宿泊・交通費130ドル。Aコース旅費……350ドル/Bコース旅費200ドル(ともに食費・宿泊費込み)


科幻節とは……一九九六年夏・北京

中国科幻正走向輝煌−−《科幻世界》96年北京科幻節レポート
覃白(譚楷)

輝かしいスタート
 7月、北京城内の松も白楊も陽光のもとで燃えるかと思われた。
 7月13日から14日にかけて、かつて魯迅が教鞭を取っていた北京師範大学のキャンパスでは、鮮紅色の「科幻世界」の四文字が火花のようにきらめいて、休暇中の静かな構内ににわかな生気を添えていた−−百人にものぼる人々が同じ文字を印刷したTシャツを着て、意気揚々と行き来していたのである。きみはどこから、と問えば、答えはさまざま。四川、天津、北航、清華……これぞSFファンの集会だったのだ。
 空前の盛況を呈した《科幻世界》96年北京科幻節は、北京師範大学の英東楼会議場で開幕した。この日を覚えておこう−−1996年7月14日。中国SF作家とSFファンによる第1回の交歓会である。二百名近いSFファンが大会に参加してくれた。

きらめきに向かって
 科幻節の前、北京および天津から来た一部のSF作家たちが《科幻世界》のミニ・パーティーに参加してくれた。呉岩、宋宜昌、星河、韓松、韓建国、白墨、江漸離、凌晨、厳蓬、楊平、畢寧寧、李学武、羅洪斌、霍棟、管海寅、李松涛といった面々である。
 作家たちは互いに作品を見せ合い、三々五々かたまってはフリートーキングに入り、7月12日の深夜から13日の深夜まで、宿舎にはずっと灯火がきらめいていた。
 そのうち少しためらいながらも、修士の肩書きを持つ李学武(まるで男みたいな名前だ)女史が自分の新作《夢境》を提出し、「どうぞ皆さんのご意見や提案を」と言い出した。これで《夢境》の創作を皮切りに、熱心な討論会がはじまったのである。
 参加者はほぼ共通して次のような認識を示した。SF作品はやはり伝統的題材−−ロボットにエイリアンにマッドサイエンティストの三大噺から脱却して、たえず新たな道を発見し、新たな題材を発掘しなくてはならない、と。たとえば、今年発表された《決闘在網絡》および《網絡帝国》は新たな題材によって歓迎されている。これはSF作家が非常にテクノロジーの新たな動きに関心を示し、知識の累積を重視していることを示すものである。

《科幻世界》の老編集である吉剛は、多年の経験から、投稿作品を見ているうちに発見した通弊について指摘した。「SF小説には核心がなくてはならない。すなわちSF的アイデアである。このアイデアがプロットを進めて人物の性格を発展させたり造形したりするもとになるのだ。それなのに多くの作品はSF的アイデアとして新しいものを提示せず、ただ地球上で起こりうる物語を宇宙などへ持っていっただけであり、せっかくの環境が人物の運命や性格の発展とは関係のないものになっている。こういうのは科幻背景小説とでも呼ぶべきである。」
 宋宜昌もまた、自作の第2次大戦を描いた長編『白極光下的幽霊』を書いたとき、五、六百万字もの気象関係の専門書を読んだが、これはさまざまな気象現象を正確に描く準備だったと語った。おかげで気象局につとめる人も、これを書いたのはきっと気象の専門家に違いないといったほどだという。
 このとき参加した同好の士もみな嬉しそうに語ってくれた。中国のSFはまさに最良の発展の時期を迎えている、われわれはきっと機会を惜しんでよい作品を生み出し、中国SFが栄光に向かって進むために力を尽くしたい、と。

団結あっての栄光
 科幻節の前、二十数名の天津から来たSFファンたちは、途中ときどき足を止めては、絶えず星河のポケベルに道をたずねて、ようやく北京師範大学の教育管理学院−−集合地点にたどりついたという。聞くところでは、北京のSFファンが天津を「友好訪問」したときも親切なもてなしを受けたとか。京津両地区のSFファンのこのような親密な雰囲気には本当に感動させられた。
 14日午後2時、師範大の英東楼の豪勢な会議場において、《科幻世界》が特に副主編として迎えた呉岩が、社長の楊瀟に代わって北京科幻節の開始を宣言、参会者にゲストの紹介を行った。金涛、王逢振、冷兆和、韓建青といった人々である。来賓の中には首都新聞界の人々の姿もあった。北京電視台の李戦非、《中華読書報》の王向暉、《光明日報》の祁建、《中国科協報》の張岩、《科学世界》の崔永泰、《北京広播電視報》の郁暁東らである。
 本誌《科幻世界》の副主編である譚楷が鄭文光を介助してホールに現れると、会場には嵐のような拍手が沸き起こった。この新中国のSFの開拓者は、《飛向人馬座》《神翼》によって名声を博し、1957年モスクワにおいてSF小説賞を受賞した著名な作家であるが、酷暑をものともせず、不自由な半身によるさまざまな困難をも顧みず、充実した精神力をもって若いSFファンたちの中に来てくれたのである。
 新旧のSFファンは席をともにして歓談し、記念写真を撮った。SFをめぐる話し声は尽きなかった。これを見て、著名なSF翻訳家の王逢振は感慨深げにこう言ったものだ。「アメリカでは、毎年1回1万人にものぼるSFファンの集会があり、日本でも、毎年2千人ものSFファンが参加する集会がある。わが中国でも、とうとうSFファンの集会が実現したんだ−−この日を、私は何年もの間待っていたんだよ!」

−−《科幻世界》96年9月号より

『金庸読本』そして『武侠小説』

 前回も紹介した香港の武侠小説の大家、金庸の作品全集を刊行するにあたって、版元の徳間書店から『金庸読本』という本が出た。作者へのインタビューや香港映画人の寄稿、武侠小説のみならず香港武侠片の発展史やテレビドラマと原作との相違、はては主演俳優のあれこれ、武侠小説を原作とするゲームの紹介に至るまで、その道に詳しい人々が蘊蓄を傾けて作った「同人誌」、平たく言えばヲタク本なのである。写真・イラストなども多数使用されていて、ファンにとってはまことに楽しい1冊。うちの近所の書店にあったくらいだから、全国の主な書店にもあるはず。
 同人誌といえば、これと時を同じくして、その名もズバリ『武侠小説』という本も出た。こちらはまさに同人誌なのだが、金庸全集の監修にあたる岡崎由美女史へのインタビューを編集したもので、『読本』に収録しきれなかった話題が満載されている。いかにも香港・台湾あたりの本にありそうな装丁もなかなか楽しい。聞き手は香港映画ヲタクの浦川とめ女史と、伊藤卓氏。伊藤氏はSFマガジンに『亜州電影娯楽館』を連載中。ただ、私費出版の形なので一般の書店にはない。店頭に置いてあるのは、東方書店、シネシティ、大阪チャイナセンターとか。版元に直接注文する手もある。問い合せは、
 〒210 川崎市川崎区京町2−24−6−1201 (有)賓陽舎 まで。
 SFファンから見ると「武侠小説」はジャンルがちがうためか、わりあい反応が冷たいのだが、中国SFに興味のある向きにはぜひ一読をお進めしたい。日本のSFファンにとって風太郎忍法帖やウルトラマンが必須の教養であるという程度には、常識になっているからだ。『中国SF資料之六・厄斯曼故事』の巻頭に載った姜亦辛「ウィルス」の中にも、古龍『多情剣客無情剣』の一部が引用されているので、持っている方は探してみて下さい。