科幻情報 Vol.21


 方々から提供のあった本の紹介がたまっている。資料として貴重なものばかりであり、全部紹介したいが、時間にもスペースにも限りがある。今回はとりあえず大陸からの情報にとどめておこう。次号では香港・台湾のニュースが掲載できる見込み。


鄭文光ひさびさの作品集

《古廟奇人》鄭文光 湖北少年児童出版社 459ページ
 しばらく鳴りをひそめていた鄭文光が、ついに作品集を刊行した。内容は旧作を集めただけだが、自序は1990年10月の日付で、自らの経歴とこれからの創作活動に賭ける意欲のなみなみならぬことを示している。中国SF研究会としても彼のカムバックには大いに期待している。それにしても鄭文光のアンソロジー、日本ではまだ出せないのだろうか?「戦神的後裔」あたりはぜひ紹介したいと思いつつも、少し長いのでファンジンには荷が重い。
[収録作品]……海姑娘/古廟奇人/荒野奇珍/鯊魚偵察兵/泅渡東海/仙鶴和人/太平洋人/史前世界/海豚之神/星星営/命運夜総会/侏羅紀/地球的鏡像


劉興詩・安徽児童出版社によるアンソロジー

1.《死亡星球的復活》劉興詩主編 安徽少年児童出版社 597ページ

 安徽少年児童出版社の編集者で、去年のWSFでは柴野さんとも面識を得ているという李利から、アンソロジーを2冊送ってくれた。ここは劉興詩との縁が深く、中国国内のみならず世界のSFアンソロジーをシリーズとして出版することに意欲を燃やしている。以前本紙で、劉興詩を通じて日本のファングループとの交流を求めてきたのも、この出版社であった。ぜひ日本のファングループの代表者を招待したいという申し出だったにもかかわらず、反応は皆無に近く、わずかに門倉夫人が行ってみたいとの意志を表示されたものの、スケジュールの都合がつかず実現しなかった。近隣との国際交流の機会だというのに、まことに残念なことである。
 さて本の内容だが、劉興詩の序文によると、むかし北京の海洋出版社が定期的に出していた《科学神話》の法灯を継ごうとの決意が見られる。編集スタッフに劉興詩・李利が入っているのは当然として、《光明日報》紙の金濤、遅叔昌氏の令息である遅方、若手作家の呉岩らが名を列ね、編集顧問に台湾SFの担い手の一人である張系国と、名画「慕情」の原作者であるイギリス在住の韓素音女史を迎えている。
 最近になって中国SFを読み始めたファンのために付け加えておくと、この《科学神話》というのは中国で出版された科学幻想小説を網羅して後世のために残そうという意欲的な企画で、主な作品の全文と発表誌紙、それ以外の作品については題名と梗概とが集録されていた。ページ数も500ページに及び、ほとんどSF年鑑ともいうべき貴重な資料だったのだが、83年ごろの文芸批判に巻き込まれたため、第3号(1983年度)でストップの憂き目にあったものである。
 その《科学神話》に倣うというだけあって、こちらもほぼ同じ規模を保っており、1985年から89年までの作品を集める。中には《銀河奨》コンテストの受賞作は無論のこと、香港・台湾のものも含む意欲的な構成である。ただし《科学神話》にあった梗概の部分はなく、いずれも全文を収録する。序文では85年以降の中国SF界を概観、中国SFを研究する者にとってたいそう貴重なものである。収録作品が多いため、ここに作品リストを挙げる余裕はないので、あしからず。
 ところでこの本の装丁だが、裏表紙をかえすとタイトルや著者名が英文で綴ってあり、ちょっと見にはアメリカあたりのペーパーバック風。劉氏の序文も目次も英訳をつけてある。国際的に通用することをねらったものであろうか。

2.《失踪的航線》劉興詩

 サブタイトルに曰く、「中国科幻名家自選叢書集」。劉興詩の自選短編集で、著者みずから解説を書いている。「叢書」ということなので、続刊が予定されているらしい。全巻そろえばなかなかの壮観となろう。これも「編集者の言葉」と目次とは英訳つき。装丁もアメリカのペーパーバックを模している。巻末には作品リストもあり、貴重な資料である。


游 覧 香 港

真 由 美

1月8日:続き

 友人との待合わせのため、電車で、沙田(シャーティン)へ行く。友人たちは、途中の大圃(タイポー)に住むという。九龍地区と違い、高層のマンションが建ち並ぶ。電車から見るかぎりではとてもきれいで住みやすそうなところだ。また、沙田も住宅地の中らしく、学生の姿が多い。駅前にヤオハンと西友の2店がある。奥までは入らないが、日本でいう渋谷のような雰囲気があった。九龍地区はというと、高いビルの中にもものすごい人がうごめいている。表はそこそこきれい(イルミネーションなど)だが、ホテルからのながめは筆舌につくしがたい。
 再び旺角へ行く。シルクのパジャマを買うために中国資本のデパートに入る。ひろい店内、ところせましと商品が並んでいる。上下左右、むだなスペースがない。悪くいえばごしゃごしゃだ。
 夕食後、友人たちとともに香港島のビクトリアピークへ登る。2年前までピークトラムで働いていたという柏さん。どうしても連れていってくれるという。ホテルから、途中まで、地下鉄で行く。10時をまわってしまったため、トラムは営業時間外になってしまった。残念だ。仕方がないので、タクシーに乗り、頂上へ向かう。山頂からのながめは今のところ変わりがない。100万$といわれるこの街の灯が、消えないでほしいと願う。帰り道、バスがいたので、乗り込む。一人、3.8HK$。カーブの多い急な下り坂。ジェットコースターみたいですごく楽しむことができた。

1月9日

 朝方、香港名物のおかゆをたべるため少し歩く。ちょうど出勤時間に当たった。東京のとなんら変わりはないが、ゆとりが感じられる。
 午後、もう一人の友人フォンとともに、女人街へ行く。女人街は一言でかたづけるならば、すごいところ。祭の屋台を一回り大きくしたものが、通りいっぱいに広がって、ところせましと並んでいる。何が売られているか、一目ではわからない。前日柏さんにもいわれていたが、「財布には気をつけて」と、今日もフォンに言われる。治安はあまりよくないようだ。案内のフォンがいないとこわいと思う。品数は豊富で、値も安い。そのかわり保証なんかどこにもない。ブランドのコピーも尖沙咀(チムシャッツイ)よりもどうどうとしている。
 (尖沙咀……香港島と対をなす香港の中心部のもう一つの顔。ペニンシュラホテルを筆頭に数々のホテルが立ち並び、香港商業経済の中心地である。また、中心を貫くネイザンロードはきらびやかなネオンが有名だ。この通りには、夜の静けさがなく、人種のるつぼといえるだけ様々な人と行き交うことができる。「おもちゃばこをひっくりかえしたような」という形容詞は、この九龍地区を指すと思う。尖沙咀でコピー商品を売るときは日本人が多く現れるようなところで、2、3人たむろっている。日本人とみると、「ニセモノ、ニセモノ、トケイカワナイカ」と手首をたたいて寄ってくる)
 私はTシャツを買うことにした。最近はやりの英国国旗を中国の国旗に塗り替えている絵のTシャツをだ。1軒目では、1枚が15HK$。今ひとつ気にいらない。奥のほうに進み、数件めで、2枚で15HK$(約267円)という。ディスカウントを持ちかけてみるが、無理だった。しかし、4枚を買う。そのほか、亜州影帝といわれているチョウ・ユン・ファと、アラン・タムのCDを買う。同行した日本の友人は、13本で1000円のマニキュアを買っていた。バッグ、化粧品、時計(全部鳴らしているのでうるさい) 衣料、なんでもそろう。日本語、日本円ともに使うことができる。日本人の姿は見かけなかった。
 日程の合間を見て、露店で売られている雑誌を見てあるく。建物のあいだなど、露店のアクセサリー売りのような感じで雑誌を売っている。子供向けの漫画周刊、児童周刊、機動世界を買ってみる。広東語に翻訳された日本の漫画が連載されている。今、☆矢が小学生の間で人気があるそうだ。弟のお土産にプレイボーイかペントハウスでも買ってくればよかったかしら。
 男人街。3日目の夕食後、さすがに疲れたので、早く寝たかったが、同僚の香港人が乱入してきて、これから、出かけるという。あわてて身支度をととのえ、一緒に出かける。「どこへ行くのか」という問いにはっきり答えてくれない。タクシーで5分ほどのところで降りる。男人街だという。女人街と同様、道いっぱいに屋台が広がっている。男人街というだけあつて、紳士物が多い。入り口付近では、屋台食堂が軒を並べている(衛生的観点から見ると、結構怖いものがある)。奥で入ると、同じ屋台でも、少々毛色の違うのがいる。小さなテーブル一つ分のスペースしか持たない屋台である。なまのくわいを串に差しただけのもの(甘いけれども、パルプを食べているようだ)。日本のおでんみたいなもの(豚の皮・魚の団子・たこの足など、あまからく煮込んである。唐辛子が効いているので、結構おいしい。ビールが欲しくなった)。屋台のおじさんは、はさみで切りながら器用に串へ差していく。香港人になったつもりで食べた。そのうち、警察官があらわれる。ふと、今まで屋台がいたところを見ると、そこにいたはずのおじさんがいない。同行の人に尋ねると、営業許可を取っていないらだという。その後、セブンイレブンに入る。香港映画に出てくるような香港人らしい人がレジの中にいる。店内も日本のように整然としてはいない。生の生活にようやく触れることができた。
 甘味処へ入る。字を見れば、材料は理解できる。調理法も理解できるはずだ。しかし、プリンだと思って注文したものは、甘いかきたま汁の中にゆで卵が1個はいったものだった。さすがの私も食えなかった。

 帰国する日、ジュリアが空港まで見送りにきてくれた。出国審査のあと、ロビーはものすごい人の数。ごった煮。日本人100グラム。欧米人2グラム。その他少々をお好みで入れてください、てな感じ。一体ここはどこ。
 今回香港旅行で感じたことは、日本人。どこまで行っても日本人。どこにでもあらわれる。空港を出て、さぁこれが香港への第一歩だ、ってときに日本人の団体に包囲されれば、うんざり。何日か香港市内を歩いていて、なんとなく香港にとけこむことができたような気になったが、向こうにとっては区別がつくらしい。地下鉄や電車の中で、奇異なものを見ているような視線だった(そんな視線を気にせずポンポコリンを踊ってしまったのは私である)。少し寂しい。そういう私たちも、外国人旅行者にたいし、同じような視線を投げかけているのではなかろうか。
 4月25日の時点で、空港使用料100HK$が150HK$に。タバコ、電車賃がほぼ200%の値上がりだそうだ。郵便も1.5から1.8HK$になっている。これから、香港はどのように動いていくのだろうか。返還まで、あと5年。もう、秒読み体勢に入ったと言ってもおかしくはない。もうしばらく香港とつきあっていこう。

朱盈麗、馮詩雅に感謝し、終わりにします。


☆編集を済ませ、いよいよ印刷というときになってPKO法案成立のニュース。暗澹たる気分である。アジア諸国との関係について。そしてぼくらの無力について。【I】