科幻情報 Vol.10


●三年ぶりの「科幻情報I」です。皆様いかがお過ごしでしょうか。
●今年も残すところあとわずかとなりました。今回最大のニュースというと、何といっても中国唯一のSF雑誌『科学文藝』雑誌社の編集スタッフを日本へ招待できたことを挙げるべきでしょう。準備段階での不手際もさることながら、肝腎のSF大会に間に合わなかったことなど、不馴れなところが多々あったにもかかわらず、団長の楊瀟女史をはじめ団員の譚楷氏、向際純氏、莫樹清女史いずれも今回の日本訪問を喜んでくださいました。
●このときの話題のあらましは『SFマガジン』の八八年一月号の「海外SF事情」に載っていますので、ここではウラ話を少し紹介いたしましょう。
●四川省成都市は完全に内陸、海ははるかに遠い。そこで拙宅滞在中は海を見に行く日を二日間予定しておきました。皆さんカメラ持参でお互いに写真の撮りっこなどしてはしゃいでいました。ただ困ったのは、女性二人が車の遠出になれていなかったため、かなり気分が悪いようだったこと。シマッタと思いましたが、田舎のこととて今時どこへ行くにも車で出掛けるほかはない。やむをえず我慢していただいたようなわけで、あれはかなり辛かったのではないかと、いまでも時々気になります。
●そのほかの乗物については、タクシーを利用するとき荷物が多かった関係で常に中型に乗らなくてはならなかったということくらいで、別にトラブルはありませんでした。新幹線の中ではお隣に乗合わせたどこかの学校の養護の先生と早速仲よくなってずっと筆談で会話に熱中していたし、悪評高いタクシーの乗車拒否にも会わず、まずまずでした。
●東京では野田昌宏氏のお世話で晴海の「夢工場」とはつい目と鼻のホテルへ入り、ここはどこへ出掛けるのにも割合便利で、とても助かりました。もちろん「夢工場」も見学させていただいたわけで、日本テレワークの方にもお世話になってしまいました。この場を借りて心から御礼申上げます。また柴野氏ご夫妻にもたいへんお世話になりました。出版関係では東京創元社・徳間書店・早川書房を回ったのですが、柴野氏が奥様を同行させてくださらなかったら徳間書店にも連絡できず、方向音痴の僕には早川書房へ到達することもできなかったと思います。本当に有難うございます。
 このほかにもエピソードはいろいろあったはずですがもはや忘却のかなた。いずれ思い出すときがあったら、ぼつぼつお話しすることにします。
●さてSF大会にギリギリで間に合った『減去十歳』は科学文藝のスタッフが大会に間に合わなかった関係上売行きがパッとせず、現在のところ百二三十といったところ。二百売れると印刷費が出るのですが、まあ同人雑誌といえばこれがむしろ普通でしょう。おひとりで何冊か購入して下さった方、カンパをお寄せ下さった方、ご協力感謝いたします。
●その他のニュースです。


出版情報

 今回は国内版です。最近出版された会員の著書(共著含む)数点を紹介することにします。

『SF三国志』石川英輔 講談社  (六二・一〇・二六)

 まずは特別会員の石川氏です。中国古典に題材をとったシリーズの第三弾。原作のシチュエーションを一つ一つ丁寧にSFに置換える手腕には、いつもながらただ感心するばかり。

『快男児 押川春浪』横田順ァ  遙津信吾  パンリサーチ(六二・一二・二一)

 筆者得意の古典SFもの。横田氏とのコンビは「SFアドベンチャー」で知られるところですが、この本もどちらがどこを執筆したのかわからないほど息の合った所を見せます。著者二人の押川春浪に対する思い入れが伝わってくる一冊。

『現代中国文学選集』別巻 近藤直子訳 徳間書店

 SFファンはとかくSF以外のいわゆる純文学を読みたがらない傾向がある、と言われます。僕もあまり人のことは言えませんが、中国の現代文学の大体の様子くらいは知らなくてはと思います。六巻全部とはいかなくても、この本がなぜ「別巻」になったかという事情はぜひ知っておきたいものです。

季刊『中国現代小説』 訳者の一人として近藤直子

 これは半ば同人雑誌のような形をとっています。ワープロを利用しての印字という点も似ています。一般の書店では入手しにくいので、予約注文したほうがよいでしょう。短編中心なので割合読みやすいものです。

その他、ファンジンなど

『ルーナティック』一二号 東海SFの会
 中国のショートショート二編と「科学文芸」の向際純氏のイラスト数葉を収録。問い合わせは林まで。


会員消息

●遅叔昌氏はかねてより腹部の異常を訴えていたが、この夏ポリープの手術をなさった由。現在は自宅療養中。
●深見弾氏はこの夏ポーランドへ行かれ、帰りにお客様を伴ってきて暫く接待されたりで、過労のせいか肝臓に異常が発見され、やはり自宅で静養中。お二人とも、どうか無理なさらないで下さい。
●念のため私自身のことも報告しますと、肝機能の異常は依然として続いてはいますが、 日常生活に差支えない程度。たまには医者に内緒でアルコールも摂取する位なのでご心配なく。

★いまこれをワープロに打込んでいるのは一二月二五日のことです。これから急いで印刷すれば、何とか年内には読んでいただけるかと思います。あわただしいことですなあ。来年度は卒業学年の担任になりそうです。果たして「科幻情報」を作る暇があるかどうか……。ともあれ今回はこの辺で。 (林 久上・記)

(このあと、PMに載せた『北京便り』の最終回を再録した後、つぎの祝辞がくる)


特別報告

 今年のSF大会に参加する予定だった「科学文藝」のスタッフは、結局間に合わなかったため、大会会場で読上げるはずのメッセージが発表の機会を失ってしまいました。いずれ大会事務局から発行されるアフターレポートにも採録されるはずですが、一足先にここへ訳載することにいたします。また、八五年五月の「銀河賞」授賞大会に際して「科学文藝」副主編の楊瀟女史が行った報告は、同誌の成立や現状、それに大会応募作品の様子などを知るのにたいそう興味深いものですので、これも掲載することにしました。拙訳ながら参考にしていただければさいわいです。

 祝辞
 皆さん。
 本日、私は中国『科学文芸』雑誌社を代表して、日本の第26回SF大会に心からの祝辞を述べることができますことを、たいへん喜ばしく存じます。また、中国のSF作家である鄭文光、童恩正、葉永烈、さらに中国作家協会SF分科会、そして中国四川省のSF作家を代表して、日本のSF作家・出版社・編集者の方々に対し、心からなるご挨拶と崇高なる敬意を表するものであります。
 私たちにこのような機会が与えられ、SFの創作や編集について理解し学び交流することができますのは、中国SF研究会」の林久上氏の招請と、大会名誉実行委員長でいらっしゃる柴野拓美氏のお世話によるものです。柴野拓美氏、林久上氏および「中国SF研究会」の皆様が日中の友誼を深め、両国のSF作家の友好的な交流を促進するためになさっことは、きっと中国SF発展史に残ることでしょう。この機会を借りて、そのほか大勢の日本SF界の皆様に対して感謝の意を評することをお許しください。
 さてここで日本の友人の皆様に、中国におけるSFの発展史について簡単にご紹介したいと思います。
 中国の文学史研究家の多くは、紀元前4,5百年ごろから伝えられている『熙師造人』の物語をもって、中国古代における神話が科幻小説に転化した代表的な例と見ておりますが、これは紀元四世紀ごろの作家によって整理されて本になり、今にいたるまで伝えられているものです。熙師という細工にたくみな者が、歌ったり舞ったりすることのできるロボットを周王朝の国王に献上したという物語で、今なお輝かしい幻想の光を放っています。
 中国におけるSFの創作は、たいへん早く始まっていたのですが、一千数百年にわたる発展は極めて緩慢なものでした。今世紀の始めに至って、中国の偉大な作家魯迅が翻訳したジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』が出版されて、ようやく中国近代SFの幕が掲げられたのです。しかし当時の中国は、現代科学技術を大いに発展させSFの発展をも促すための客観的条件を備えておらず、戦争と動乱の中国にあってはSF作家の数も微々たる もので、SFの発展などとうてい不可能だったのです。
 50年代に入り、中国SFはようやく本当の発展を見るようになりました。ジュール・ヴェルヌ、ウェルズ、ベリャーエフなどの作品が大量に中国語に翻訳されました。鄭文光、葉至善、王国忠、趙世洲、童恩正、遅叔昌、肖建亨など一連の作家たちが書いた作品はかなりの影響を及ぼし、広く読者に歓迎されました。50年代から60年代の始めにかけて、中国SFの発展は大いに喜ばしいものがありました。
 1966年から1976年に至るまで、中国SFはまるまる10年間停滞してしまいました。
 1976年から、中国は科学の春を迎えるようになりました。十億の人民の現代化に対する渇望と科学技術・知識の学習ブームは、中国SFの繁栄のためによい雰囲気を造成しました。
 1979年の春、『科学文芸』は創刊されました。中国で初めてSF専門の雑誌が出現したのです。これは中国SF発展史の上で、一つの重要な事件であると言えるでしょう。1979年から1986年に至るまで、『科学文芸』は二百編近くのSFを発表し、葉永烈、金涛、王暁達、魏雅華、繆士、宋宜昌など多くのSF作家をデビューさせました。
 80年代に入ると、中国最初のSF映画およびテレビドラマが作られました。
 1986年、『科学文芸』雑誌社は『知恵樹』雑誌とともに最初の中国SF銀河奨コンテストを行ない、23編のSF作品が受賞しました。日本からも林久上氏が授賞大会に参加され、中国の作家や編集者と親しく友好的な談話をかわし、受賞作品に対し真剣に論じましたが、彼の意見が『科学文芸』誌上に発表されるや中国SF界に強烈な反響を巻きおこしました。私たちもはじめて日本の友人の中国SFに対する率直な意見を聞くことができ、心から嬉しく思いました。
 さて、皆さん。
 中国SFはまだ幼年期にあります。それは世界および中国における科学技術の大いなる発展を、背景として必要としています。また、民族全体の文化・科学水準の向上を必要とし、探索と創作への意欲に富んだ作家たちのたゆまざる努力をも必要としています。あるいはこう言ってもいいでしょう、一つの国におけるSFの発展状況は、その国の科学技術が発達しているかどうかのバロメーターである、と。私たちは、中国現代化建設の進展にともなって中国SFもまた大発展を遂げるであろうと、堅く信じております。
 ここで私たちは、日本のSFが中国でも多くの読者を擁していることを、特にお話ししておきたいと存じます。小松左京、星新一、筒井康隆など、日本の著名なSF作家の名は、すでに何千何万にのぼる中国の読者の熟知するところとなっております。手塚治虫の『鉄腕アトム』は中国の子供たちにたいへん喜ばれています。私たちは、中日SFの交流にともなって、さらに多くの日本SF作家の作品が中国で紹介されるにちがいないと確信しているものです。
 SFは一種の世界共通語であり、各国人民の友好的交流を促進する言語であろうと思われます。SFはまた、青少年の創造力と想像力とを育てる学校でもあります。
 中日SF作家および編集者の交流は、中日両国人民の偉大なる友好交流の一部分です。
 私たちは中日両国人民の友誼が、変わらぬ緑をほこる松や桧のようにいつまでも続くよう願ってやみません。
 大会が成功のうちに終わるようお祈りいたします。ご静聴ありがとうございました。
中国『科学文芸』雑誌社代表団団長
楊 瀟
1987年8月7日


 『科学文芸』を振興し、科幻小説の質量を高めるため、1984年、私たちは『知恵樹』と協力して、中国科幻小説のコンテストを行うことになりました。
 経費が極度に不足している困難な状況のもとで、私たちはさらに「青城筆会」「九凜溝筆会」それに「天津筆会」を開催して、科幻小説作者の団結をはかり、作者に創作の条件を整え、彼らが力作を書くのに専念できるようにしました。
 昨年二月、私たちは発刊方針について重大な調整を行いました。
 長いあいだ、科学文芸の概念は、文学・芸術の形式をもって科学知識を普及させるものと解釈されてきました。科幻小説も科学知識を解釈し演熙するもの、ということになります。文学・芸術は手段であり形式であるにすぎない――こうした定義による“科学文芸”は明らかに、80年代中国の読者の審美的要求に答えるものではありません。もとをただせば、このような定義はソ連の科普作家イリーンが半世紀も前にまとめたものなのです。まるまる半世紀が過ぎて客観的条件は大いに変化し、今日のソ連科学文芸および科幻小説の状況も半世紀前と比べて非常に大きな変化を生じています。まさか古い規定にしがみついて冒険の一歩が踏出せないというわけでもないでしょう。楊振寧教授が指摘したように、科幻小説は決して具体的な科学知識を伝えるものではなく、科幻小説を読んだからといって科学者になれるものでもないのです。しかし科幻小説は人間の想像力を啓蒙し、更に広い思考空間を開拓することができます。実際、ジュール・ヴェルヌの作品の一部、あるいはウェルズのすべての作品は、いずれも具体的な科学知識を伝えることを目的にしてはいません。それらの作品の意義として最も重要なのは、科学的世界観を樹立し、科学的方法論をつかむことを助けるという点にあるのです。これこそ、この二人の偉大なる科幻小説作家の作品が今に至るまで広い読者層を持ち、今なお大きな魅力を失わずにいる根本的原因なのです。
 私たちは、科学文芸の新たなる概念を次のように考えています。「科学文芸とはただ科学技術それ自体を描くものではなく、さらに広く時代を表現するものでなくてはならない。社会も人生も科学技術革命の波の中で激しく変化している。科学文芸は新たに起こった文学・芸術の一ジャンルとして、重大な歴史的使命を担うものである。それは来たるべき世界、人の心を激しく揺り動かす時代を描き出し、賛美するものでなくてはならない。そのような新たな時代をはらんで全世界を席巻する科学技術革命の波を明らかに示し、科学技術革命の波を阻む封建時代の迷信など種々の古い力に対し、有力な批判となるものでなくてはならない。」
 このような新たな概念が提出されると、たちまち『光明日報』『文摘』の目立つ場所に転載されました。私たちはこの新概念にもとづいて題材の範囲を広げ、『科学文芸』の船を自然科学と社会科学という二つの大海に船出させたのです。昨年、私たちは知識分子政策および環境保護・公害防止という二系統の報告文学を載せたり、科学考察記および探検記などのノンフィクションのスペースを増加して、科学それ自体の魅力を展示するようにとの方針を推進しました。今年はまた「他山之石」という欄を設けて学者を訪問し、随筆の形式をもって国外のソフトウェア科学の発展の動向を紹介したり、民族の心理構造について探究したりしています。これらはいずれも、「科学的人生観の樹立」という大きなタイトルのもとに書かれています。昨年以来、二十数編の作品が二十いくつもの刊行物に転載されましたが、これは本誌創刊以来の記録であり、おおかたの読者の意見であると思われます。昨年以来、発行部数・内容とも大幅に伸びました。今年の発行部数はさらに三倍に増加しております。
 皆さん。『科学文芸』は満七歳になりました。やっと言葉を覚えはじめた赤ん坊も就学期を迎えるまでに成長したわけです。その間には様々な迂余曲折がありました。タゴールの言葉に「人は生れたばかりの子供であり、その力とは成長のエネルギーである」というのがあります。タゴールの言葉を借りていうならば、科学文芸の持つ力とは生れたばかりの子供が持つあのたくましい成長の力を備えているところから来ると言えるでしょう。
 中国の科幻小説は・明期にあります。幼稚な、模索の時期です。未熟であり、はっきりしたパターンを持っていません。しかし年齢が小さいだけに、絶望ということを知りません。未来世紀の審美観をもって創作することもできるし、地上で最初の三葉虫の立場から億万年以前の地球上での生活感覚を語ることもできます。つまり、科学文芸は純文学に比べてさらに大きく成長するスペースを持っているのであり、今回のコンテストからは、欝勃たる「成長のエネルギー」がはっきりと感じ取れるのです。
 ここで、今度のコンテストのことについて簡単にお話ししておきましょう。
 今度のコンテストに際し、『科学文芸』には700余編にのぼる作品の応募があり、発表された16編のうち11編が受賞することになりました。私たちが嬉しく思ったのは、受賞者のほとんどがここ数年の間に現れた新人であったということです。平均年齢はおよそ三十歳。まさに創作への情熱に満ちた年齢であり、内外の科幻小説家の技巧を広く吸収し、想像の翼を存分に広げ、清新かつユニークな、みごとな境地を創出しています。『勇士号ヲ向台風』は人類の自然災害に立向かう理想的な姿を描き、一組の若者たちの純真な愛と何者をも恐れぬ献身的精神を歌いあげています。『不要問我従ェ里来』は一組の夫婦の冒険を題材に“千篇一律は美にあらず”との命題を明らかにします。大胆かつ新奇な想像というばかりでなく、深い哲学と美学をも含むものです。『青春的ァ恋』は日常生活の中でよく出る話題――青春の追憶――を追究するもので、青春時代に返ってみた一人の女性を通じて、過去への感傷に浸っていても仕方がないと告げています。作者たちはいずれも主題を深く掘下げると同時に、作風の多様化にも意を用いているのです。『代人懐ィ的姑娘』は主要な登場人物の独白という形で物語を進めることにより、人物の気持ちをダイレクトに伝え、登場人物を身近に感じさせます。『金魔王』は伝統的な中国章回小説の手法を使っています。謎や伏線を置き、人物の輪郭を描き出し、四十年間の物語をたくみに構成しています。『蓋ゥ克敢死隊』はユーモアにみちた言葉で奇想天外な、しかし荒唐無稽ではない物語で、西洋科幻小説の手法に学んだ佳作でした。
 選評委員が一致して認めたことは、今回のコンテストではよい作品が多く見られ、ここ五年来『科学文芸』に発表された科幻小説に比べて水準が高くなっており、中国科幻小説の後継者が育ちつつあり、前途の明るいことを物語っているということでした。これはよいきざしであると言えるでしょう。
 ただ、やはり選評委員の認めたところですが、今回の投稿には飛びぬけた作品、というか、ここ数年来の全国で発表されたすぐれた小説と比べられるような佳作が見当たりませんでした。投稿作品にはいずれも三つの問題点が見られます。
 まず第一に、これは“中国科幻小説コンテスト”です。中国の作風、中国の特色こそ第一の要素であるはずなのですが、残念ながらかなりの作者が、受賞者をも含めて、まったく外国生活の経験や知識など持ちあわせていないのに、何かというと外国の風景や外国人を描写の対象としていたことです。こういうやり方は労多くして功少なしというものです。SF小説の作者といえども、やはり実生活なるものを知悉していなくてはなりません。たとえば童恩正は考古学者ですが、彼の力作『古峡迷夢』は彼の非常によく知り尽くしている古代の巴という国(訳注:架空の国名)を背景にしているからこそ、思うがままに筆が動いているのです。葉永烈は北京大学の化学科を卒業し、たくさんの科学者と接触してきました。鄭文光は長く北京天文台で研究に従事してきました。だからこそ彼等の描く科学者や宇宙飛行士はあんなにも生き生きとしているのです。これはみんな長年にわたって積み重ねられた観察の結果です。わが国のSF小説作者は、中華の大地に根を下ろし、豊富かつ多彩な現実の生活の中から養分を吸収してこそ、本当によい作品を書くことができるのです。
 第二には想像力の問題があります。やはり受賞作をも含めて、科学知識の説明に多くのスペースを割いている弊が見られます。これではSはあってもFがない。SF小説の一般の小説(純文学)と区別されるゆえんは、想像力――大胆で奇妙で美しい想像力にあります。それがSF小説の魂ともいうべきものなのです。
 第三の問題は、小説であるからにはある程度の思想的内容を持ち、読む人に何かを考えさせ、揺り動かし、楽しませ、心のどかにさせるものでなくてはなりません。それなのに多くの作品がストーリー作りに熱心なあまり、人物の描写が個性に乏しく現実感を欠き、まるで数学の記号のようになっている。SF小説も小説であるからには人間を――人間の感情と魂、性格の特徴を描かなくてはなりません。よくできたSF小説を読んだならば、ストーリーこそ作られたものであっても、どのプロットもどの人物も真実のものとして感じられるはずです。つまり、SF小説といえども人物の形象を創造するという大きく困難な任務を負っているのであり、この一点については、多くの投稿作品に、受賞作品をも含めて、欠けるところがありました。  ここ数年来、わが国の文学・芸術の創作は空前の繁栄の時期に入っています。蒋子龍のいうように、文学のほうでは“各領風騒両三年”、つまり二三年毎に一連の新人たちが現れて文壇に輝いていますが、これに比べるとSF小説のほうは、全体の歩みも遅く、新人も甚だ少ないのです。
 皆さん、科学文芸は私たちの事業であると同時に、みんなの共同事業でもあるのです。 この七年来、私たちが身にしみて感じたのは、中国科学文芸の進む道は困難な曲折に満ちた、寂しく人通りの少ない道であるということでした。それは、未来を見詰める目をそなえ、真実を求めようとする精神をそなえた、名が埋もれることを恐れない開拓者を必要とし、たえず創作の実践によって新たな道を開拓していくものだったのです。
 仲間の刊行物が廃刊、休刊、併合、転向を余儀なくさせられたとき、『科学文芸』の庭を残すというのは大変なことでした。
 はっきり申上げましょう。『科学文芸』編集員はひとりひとりがみんな、この庭を守り繁栄をもたらすために必死で働いたのです。
 エレベーターが止まり、何万冊にのぼる本を一階から一包みずつ十階まで運びあげ、全身くたくたになるほど疲れたときもありました。仲間の刊行物の編集者が取材のための休暇をとって旅行に出掛けるのを横目に見ながら、日祭日も勤務終了後の時間も返上して改稿、校正、印刷にと走りまわったときもありました。また同じ年代の詩友文友がつぎつぎに傑作をものしているのに、自分は一字も書いている暇がなかったときもありました。筆をインク瓶へと伸ばし、血のように赤いインクで作者の原稿に書き込みをするとき、私たちの頭にあったのは、ただこの神聖な事業のため、中国の科学文芸の発展のためということでした。
 ともかく、わが雑誌社の編集員はこの庭を守るため、最大限の努力をしてきたと言っていいでしょう。
 皆さん。今日この喜ぶべき時にあたって、率直なところを申し上げ、救いの手を差しのべていただきたいと思うのです。経済的基盤も弱く、題材も乏しく、原稿を確保するものままならぬ情況のもと、私たちはどうすればこのたったひとつの貴重な庭を守ることができるでしょうか?
 私たちは今度の大会が絶唱に終わらぬよう、白鳥の歌にならぬよう望みます。著名なSF作家の方々が先頭に立ってみずからの限界を越え、人々の心を震憾させる力作をもって私たちを支えて下さるようお願いしたいのです。そしてまた、新人作家の方もあれこれ心迷うことなく、いくつかのSF作品を書上げたのちも努力を続け、SFという油田を深く掘りさげていくよう望みます。そうすれば新たな作品は掘り抜き井戸のように噴出してくることでしょう。私たちはSF小説の大家が、中国のヴェルヌ、中国のアシモフが現れることを望んでいます。どうか今度の授賞大会が今までの経験を総結集したものとなり、中国科学文芸が隊伍をととのえて威容を振い、遠大な計画を進展させ、新たな道を開くための大会になりますように。
 私たちは、SF小説の興隆に続いて、科学小品・科学散文・科学探検記・考察記・科学者の伝記・科学詩などが一斉に繁栄を迎え、燦ェたる銀河のごとき壮麗な有様をなすよう願っております。
 中国作家協会、中国科学技術協会と四川省宣伝部、省科学技術協会、省作家協会も、これまで以上に『科学文芸』をよろしく。
 老作家も新人作家も、いっそう『科学文芸』を支持して下さい。
 各界の皆様もひきつづき『科学文芸』を助けて下さいますように。
 科学の繁栄と文学の創作とは、ともに文明を建設するための部分なのです。私たちは勝利するため前進しなくてはなりません。勝利するため前進しなくてはならないのです。
 最後に、皆様がたのご健康をお祈りし、大会が成功のうちに終わるよう祈念いたします。

1986.5.15