ターボ・リアリズムって何だ?

 現在、ロシアではターボ・リアリズムという新しい形式の小説群が大きな支持を得ている。ここ数年、幻想文学関係の賞はターボ・リアリズムの作品がほぼ独占しいる。ターボ・リアリズムは、ここ数年翻訳小説におされていた幻想文学の人気を、国内小説に取り戻す原動力となった。
 ターボ・リアリズムの「ターボ」とは、自動車のエンジンに使われるターボ・チャージャーの「ターボ」である。既存の文学形式をノーマル・エンジンにたとえるとすれば、ターボ・リアリズムはその名のとおりターボ・チャージャー付きのエンジンにたとえられるというわけだ。ターボ・リアリズムとは、より未来の表現形式を模索し、より未来の内容を表現するファンタスティカ(幻想小説)なのである。表現の面でも内容の面でも、現在の文壇が持つ発展速度以上に未来へ向かって加速された「次世代のファンタスティカ」なのだ。ロシアではそういった意味で、ターボ・リアリズムを「予言のリアリズム」と定義している。未来の社会で書かれるべき小説を予測してやろうというわけだ。
 ターボ・リアリズム運動の歴史は古くない。ターボ・リアリズムが出版されるようになったのは、一九八九年から翌年にかけて出版されたノーバヤ・ファンタスティカ・シリーズからだ。そしてターボ・リアリズムという名称で呼ばれるようになったのは、一九九二年からのことだ。
 しかし、だからといってターボ・リアリズムの表現形態は一朝一夕にできあがったものではない。長い準備期間を経て世に問われたものだ。
 ソビエト時代、出版規制の中、作家達の表現は大幅に制限された。だが、逆にソビエト時代には、批評家や評論家とは無縁のまま創作活動に打ち込めるという利点もあった。したがって作家達は、ややいびつなものではあるが、小説の可能性を追求する作業に打ち込む自由を得ることができたのだ。そして、その時間はコンテンポラリーな小説を産み出すためにではなく、未来の小説を産み出すことに使われた。
 若い作家達は、自分たちが置かれた逆説的な自由の中で、出版の可能性などとは無関係に新しい表現形式を模索し続けた。若い作家達を指導する立場にあったボリス・ストルガツキーは「いいか、出版されようなどとは思うな、誰もおまえらの作品を出版などしない」とまで言い切ったという。だが、その言葉は間違っていた。ペレストロイカによって出版が可能になったのだ。先に紹介したノーバヤ・ファンタスティカ・シリーズが出版されるとターボ・リアリズムは破竹の勢いでロシア全土に広がった。
 また、ターボ・リアリズムが新しい表現形態を確立するにあたっては、ある大きな外的要因無しに今の形には成り得なかった。
 ターボ・リアリズムの作家が方法を模索している一九八〇年代初頭から中頃にかけて、ある大きな運動が全世界的規模で広まりつつあった。その運動とはSFで起こったサイバーパンク・ムーブメントである。ターボ・リアリズムの作家達はサイバーパンクの表現形式を積極的に取り入れ、消化することで自分達が必要としている表現を生み出していった。
 言うなれば、ターボ・リアリズムはサイバーパンク特有のハイテクノロジー感覚とロシア文学のキャラクター性や物語性とを融合させ、サイバーパンクのスピード感あふれる文体でつづった小説であると言える。ロシアの伝統的な小説の本質を、サイバーパンクの器に盛った幻想文学なのだ。
 サイバーパンクの金字塔とも言える「ディファレンス・エンジン」(ウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング著、角川書店刊)には、蒸気タービン・コンピューターが登場する。この機械は、サイバーパンクの特徴であるハイテク感覚の象徴のようなものだが、ターボという命名の中にはこういったサイバーパンクの感覚が込められているのかもしれない。また、ターボ・チャージャーが排気ガスによって加速を得るように、ソビエトが産んだ社会のひずみから、より進んだ表現形式が生み出されたという意味がターボという言葉に込められているのかもしれない。これらはただの推測にすぎないのだが、こういった刺激的な解釈をいろいろと許してしまうあたり、ターボ・リアリズムという名前は非常によくできている。
 これまで紹介したように、ターボ・リアリズムはすでに社会的に認知されている。ターボ・リアリズムの作家は作品をSF雑誌にではなく、「НЕВА」などの文学雑誌に発表していることからも文学として評価されていることがわかる。しかし、だからといってこれはターボ・リアリズムの作家達がSFやファンタスティカの中に分類されることを拒否しているというわけではない。ターボ・リアリズムの作品はある面で純然たる SFでありながら、同時に伝統的なロシア文学でもあるように作られているというだけのことだ。
 このようにターボ・リアリズムは幻想文学の系統の中で独自のスタンスを得るにいたっている。今や、ターボ・リアリズムはアシモフやクラークといったSF作家の後継でもなく、チェホフやドストエフスキーの後継でもなく、ホフマンやカフカ、ゴーゴリ、ブルガーコフ、マルケスといった作家の後継となった。これはターボ・リアリズムの作家も認めている。
 「群」の四号でビクトル・ペレーヴィンが紹介されいたが、彼もターボ・リアリズムの作家である。そもそもターボ・リアリズムという名称は、一九九二年の初春、サンクト・ペテルブルグで行われたインタープレスコン(ロシアで行われているSF大会。SF大会にはSF作家やファンが集まりシンポジウムやパネル・ディスカッションが行われる)においてペレーヴィンが命名したのだ。
 最後にペレーヴィンを含め、ターボ・リアリズムの代表的な作家を紹介しておく。
 ビクトル・ペレーヴィンはターボ・リアリズムの旗手として圧倒的な人気を誇っている。「民警特殊部隊<オモン・ラー>」、「虫の生活」、「プリンス・オブ・ゴスプラン」といった作品を発表し、数々の賞を受賞している。特に「民警特殊部隊<オモン・ラー>」と「プリンス・オブ・ゴスプラン」は一九九三年、幻想文学賞の中編部門と短編部門をを独占した。  アンドレイ・ストリャーロフはターボ・リアリズムの重鎮であり、スポークスマンである。アメリカの雑誌などにターボ・リアリズムの紹介を行っている。「悪霊退散」、「月の修道士」、「コリント人への手紙」、「庭と運河」、「小さな灰色のロバ」、「鼠の王」などが代表作である。ストリャーロフは作品を出すごとに何かを受賞しているようで、幻想文学関係の賞ではどこかしらに必ず名前を見かける。
 ビャチェスラフ・ルィバコーフはターボ・リアリズムの理論派として、難解ではあるが刺激的な作品を発表している。映画「死者からの手紙」の原作者として有名である。短編が主であったが、一九九三年に発表した長編「重力航行船<皇帝位継承者号>」はストレートなSFとして圧倒的な支持を得て、数々の賞に輝いた。
 アンドレイ・ラザルチュークは寡作ながらもターボ・リアリズムの急進派として人気を得ている。大河長編「夏の道標」は驚異的な売り上げを示したという。短編「リーンの神聖月」や「木乃伊」はメジャー、マイナーを問わずいくつかの賞を受賞した。
 その他に、自他ともに認めるターボ・リアリスト(本人達はファンタジストと名乗っている)として、エドゥアルド・ゲボルキャン(「ごろつきどもの時間」など)、ミハイル・ウェレル(「パリに行きたい」など)、セルゲイ・ルキヤネンコ(「四十群島の騎士」など)、ミハイル・オウスペンスキー(「鉄の馬男」など)、セルゲイ・イワノフ(「轟音の翼」など)といった作家がいるが、先の四人が人気・実力ともに特出しており、四人組と称されているようだ。
 一九九五年の夏には、その四人組のうちの二人、ストリャーロフとルィバコーフが来日し、八月二六日・二七日にわたって開催される日本SF大会で講演を行う予定である。