「独善論の歯止めとしての可能性マップ作成の進め」

発言者:当世奇妙

永禄三年(1560年)五月、駿河・遠江を本拠とする今川義元は、徳川家康の三河の部隊を含め、駿・遠・三の二万五千の兵力を動員して尾張への侵入を図った。今川軍は鷲津、丸根の砦を落として破竹の勢いで進軍していった。対する織田軍は寡兵であり軍略が定まらず暗澹たる状態であった。
 
 ここから亨保元年(1716年)徳川吉宗が第八代将軍となった年まで完全な欠史だと仮定しよう。この時間差は邪馬台国の壱与が晋に使いを送った時(266年)と倭王讃が東晋に使いを送った時(413年)との時間差に近い。
 
 歴史家は、徳川家が将軍になった経緯を色々な仮説を立てて論ずるであろう。この時点で今川家は高家として存続し、優雅(?)な生活をしているが、政治的には全く無力化している。
 歴史家が百家争鳴して論ずるなかで、最も声高に提案され、世の中に受け入れられそうな説は何であろう。それは恐らく「今川義元が天下を統一したが、嫡男の今川氏真は和歌、蹴鞠等を好んだため、色々な経緯があったが、結局は今川義元の姪を嫁にしていた家康がその後を継いだ。徳川家は将軍になった後も今川家を丁重にあつかった」ではなかろうか。

 上記の筋書きを基本としながら色々なパターンが負荷され、「私の考えこそが唯一である」、「決定版"徳川家は如何にして征夷大将軍になったか"」等と称する多くの本が世の中に出される事であろう。
 
 更には「吉宗は紀州藩主の4男と称している。紀州は徳川御三家ではあるが直系では無い。徳川家康からは余りにも離れ過ぎている。彼は本当に徳川一門かどうか怪しい。実は全く違う大名が徳川家を乗っ取ったのではないか」等と言う議論もされるかもしれない。事実、継体天皇が応神天皇5世の孫と称している事が大きな議論になっているのであるから、このような議論も大真面目にされる可能性は充分ある。

 ところで我々は事実を知っている。今川義元が織田信長に桶狭間で討たれ、更に信長が家来の明智光秀に討たれ、そして信長の草履取りであった秀吉が天下を取り、関白そして太政大臣になったと誰が予想出来るであろうか。そして太閤秀吉の死後、長く隠忍自重してきた家康が、大阪冬の陣、夏の陣を経て秀頼、淀君を自殺に追い込み、ついに元和1年(1615年)に徳川幕府を樹立した事を、前述の欠史があるならば誰が推測出来るであろうか。

 以上の物語は、権力者や王朝や支配者の変遷は予測不可能な突然の変革によって生じ、それが歴史の変革点を作る事を示している。従って歴史の政治的要素を論ずる場合には、これらの事を推定する場合にはもっともらしい可能性に固執せず、心を空にして、有り得る事象を全て考慮して検討する必要のある事を示している。

 歴史の変遷を推測する場合、権力者の変遷のような突然の変革によって生ずる政治的要素のみでは無く、経済的要素のように法則性や必然性が大きな意味を持つものもある。恐らく歴史の事象の多くはこの両面性を持つと考えられる。従って歴史の構築にあたっては起りうるあらゆる可能性を検討する必要があるように思われる。

 歴史の必然と偶然は古くから論ぜられ、なお決着していないが、過去の歴史を文学的歴史の立場に立って構築する場合でも、歴史の偶然性の側面を忘れてはならない。

2。論文作成における可能性マップの意味

 科学技術の研究では分野により研究遂行のプロセスや手法は異なるが、一般的には以下のプロセスをたどる。
1)現場の現象・事実を良く観察する。観察やデータ採取の手法そのものにオリジナリテーがあれば良いデータが入手出来、論文の質も高まる。(考古学の分野でも電磁波探査、非破壊試験、材料分析等が採用され効果をあげている)

2)現象・事実の分析を行う。ここでの手法は分野によって全く異なってくる。

私の専門の建設構造分野では色々なグラフ化や要因分析、パラメーターの組み合わせによる分析等を行う。

 文化人類学では有名な川北二郎先生のKJ方等がある。化学や材料の分野ではそれ独自の方法がある。最近では分子や原子のレベル、数量化理論等多くの手法が駆使される。
3)分析の結果に基づき仮説を立てる。私の分野では仮説よって応用数学的な関係方程式を設定する。この仮説を立てる段階で可能性マップ的発想が必要である。理論式を構築する時「エネルギー論」でいくか、「応力・歪論」でいくか、「速度・加速度」でいくか等色々検討する必要がある(ちなみに私は最近モーションエンジニアリングと称して力学系以外の要因を考慮した構造設計法を提案している)。仮説の基本構想を、先入観等で頭から決めつけて理論構築すると大きな落とし穴にはいる事がある。力学系の人は論理的な組み立てで数理物理的理論式を立てるので、自分の発想と、それによって立てた式のみが唯一の解答であると信じこみ勝ちである。基本発想が良くても、大きな要因を考慮に入れなかったり、要因間の相互作用を見逃したりして、時に大きな間違いを犯す事がある。

 多くの場合、間違いは現場の現象を完全に拾っていない場合や自分の先入観に基づいてデータを採取し、大事な現象やデータを見逃す場合に起こりやすい。 
 
 特にその道の権威者は現象に対して始めから自分の結論や仮説がある場合がある。あるいは過去の学術蓄積によって直観的に答えが浮かび上がる事がある。その場合それに反する現象やデータは目に入っていても脳を素通りしてしまい、時には大きな間違いを犯す事になる。

 仮説を立てる時には全ての先入観を捨て、データの語るところを素直に受け入れなければならない。そして出来るだけ全ての可能性を一応視野に入れておく必要がある。

 実際に研究論文を外部に発表する場合は可能性マップの事は記述しない。いかにも理路整然とこの理論に至ったと言う筋書きで記述するものである。外部への発表はそれで良いが、自分の作業のプロセスでは可能性マップ的検討は是非必要である。

 可能性マップを作ってもそれで一義的に結論が出るものでは無い。一般にこれが正しいと言う証明は困難である。しかし事実によって分析すれば、これは間違いである、あるいはありえないと言う証明は可能である。従って可能性マップの

 中から、事実と突き合わせる事によって、捨て去るべき仮説を抽出する事は出来る。従ってこのプロセスを得て残されたこの可能性について自説を構築すれば良い。最後は種々の情報を下に、各自の直観で判断して、理論構築していくものである。この直観力が研究者の重要な能力である。この直観は専門家や大御所はその道では一般に鋭いものを持っているであろう。しかしえてして既存の専門知識に束縛されて発想が制限されるケースがある。大御所が時に学問の進歩を妨げる場合があるのもこのためである。事実、技術分野での大発見はその道の素人が行ったケースが多い。 

 技術論文では「この実験の範囲では」とか「我々の入手したデータの範囲では」とか極めて謙虚に結論を述べるものである。ニュートン力学でさえある範囲でのみ適用出来るものである。

 次いで以下のプロセスが続く。
4)模型実験、数値解析、コンピューターシミュレーション、物理シミュレーション等で仮説を検証する。問題があれば仮説を修正する。
5)仮説を再度現場に適用して実証する。
6)現象としては確認されていないが、理論から予測される現象を追求し、その存在を確認する事によって、自分の構築した仮説や理論の確認を行い、更なる研究の発展を行う。

 以上の一般論で示した幾つかの事は日本古代史や考古学の研究でも通じるものがあると思う。古代史の大御所の先生で落とし穴に入ってしまって、困っている先生もいるように見受けられる。

3。徳川吉宗の場合の可能性マップ
 さて今川義元から如何にして徳川吉宗に至ったかを推測する場合の可能性マップを検討してみたい。
 可能性マップは品質管理で利用される品質機能展開表のように何段にも展開される必要がある。ここでは展開表を作成せずに、事実に近づく方向の事象を文章で3段階に展開してみる事にする。
第1展開
1)今川義元は天下を取った。
2)今川義元は天下を取れなかった。
第2展開:2)を展開
2ー1)今川義元はかなり良い所まで言ったが途中で挫折した。
2ー2)今川義元は早い時期に挫折した。
第3展開:2ー2)を展開
2ー2ー1)今川義元は織田信長に負けた。
2ー2ー2)今川義元は武田信玄や上杉謙信等の他の戦国大名に負けた。
2ー2ー3)今川義元は家来にやられた。
2ー2ー4)今川義元は徳川家康にやられた。
2ー2ー5)今川義元は病気か怪我で死んだ。
2ー2ー6)今川義元は嫌になって天下を取る事を止めた。
2ー2ー7)その他
 これらの展開表上の可能性のある事象について、現在得られるデータから否定される事象を摘出するのが次の作業である。考古学的な遺跡、遺物また当時来日していた宣教師の記録等(古代史の魏志倭人伝に該当する?)からかなりの部分が削除出来るのではないかと考える。そして残った幾つかの可能性のある事象について、確からしさを追求すれば、直観が大きく外れる事は無くなるのではないかと期待される。

この論文は東アジアの古代文化を考える会の同人誌に投稿したものの一部である。