信州峠を越えて - 高原と山里を結ぶサイクルツーリング 

(2011/7/18、長野県南佐久郡川上村、山梨県北杜市)


櫛形山への山行を終えた翌日、友人のSさん(7L1UGC)と信州峠へ行ってきました。山行後そのまま車でSさんのご自宅(山梨県北杜市小淵沢町)へ向かいます。今日はここで宿泊させていただくのです。Sさんは山歩きとアマチュア無線の同好会である「山と無線」の古くからの知り合いだったのですが、Sさんご自身がかつては「ニューサイクリング誌」の編集をされていたほどの自転車通であると知ったのは自分がフランスに転勤していた2007年ごろでした。車歴30年近いトーエイのランドナー、SWワタナベのスポルティフをも所有されているとのこと。日本への一時帰国を利用して早速Sさん宅へ訪問します。日本に帰任したらランドナーを作ろうと考えていた自分にとってSさん宅は実車ありパーツあり、情報あり、とまさに宝の山でした。

(鉄分が濃い人同士で走ると
同じポイントで共感する)
(Sさんの東叡(奥)。30年を経てもなお端正な650B車。
要所パーツも交換・メンテで完全復活。)
(信州峠へ向けての直線登りにとりついた。Sさんの東叡も調子は良いようだ。)

Sさんはしばらく自転車とは無縁だったようですが、セミリタイヤされ鳳凰と甲斐駒の見える八ケ岳山麓に新居を作り転居されて数年、再び自転車熱が上がってこられたようです。自分も正式に日本に帰国したこともあり、それでは、とSさん宅の地元である信州峠にでも行きましょう、と話がまとまりました。

Sさんのトーエイは数多くのパスハンティング、輪行でフレームも塗装が剥げて決して良い状態の車ではありません。ですが、Sさんとともに長年走ってきたという貫禄、一種のオーラのようなものを放っています。(当時は普通だったという)レイノルズ531のフレームはフルオーダー。そこにサンプレ・プレステージ、カンパ・レコードのハブ、マファックのセンタープル、JOSのキャリア直付けヘッドライト、など復活にあたりメンテは大変だったようですが当時ものの部品が渋く輝いています。

同伴させていただく自分は、フランス駐在時にパリの「売ります買いますサイト」でフランス人から買ったプジョーのロード。これも1985年のモデルですから車齢25年以上です。もっとも自分の所有歴は2年足らずでオーラもなく単に古いだけの車です。しかも前後ギアともレーサにあるまじきワイドレシオに変更しています。

木の香りのするSさんの新居で自家製野菜と手作り料理、そして美味しい赤ワインの夕食をご馳走になった翌朝、まずは今日の終着地点である長坂町の若神子付近に車を一台デポします。うまい具合に民営の農産物センターがありそこに空荷の車を駐車。信州峠からここまで降りてきたら自転車2台をこの車に回収しようという予定です。次に出発点の清里へ自転車2台を積んだもう一台の車で向かいます。これまたうまい具合に国道沿いの空き地に車を停められました。ゴール地点の海抜が550m。出発地点が海抜1270m。信州峠が海抜1470m。基本的には大きな登りはありません。足弱な自分には向いているコースでしょう。

走り出してすぐに右手へ国道141号線の旧道にそれます。すぐに小海線の踏切ですがこの踏切から見る小海線のレールは南から鉄道とは思えない急な斜度で登ってきています。まさに峠への登りなのでしょう。

緑あふれる旧道は車の往来もなく空気も清涼で素晴らしい。ヒグラシの合唱が緑の高原に響き渡ります。緩い登り基調の道ですが先行するSさんはフロントアウターのまま頑張られています。さすがに30年以上も前に実地走行に基づく峠越え記事を毎月ニューサイクリング誌に連載されていただけの脚です。とても長期ブランクありとは思えません。緩く下って視界が開けるとそこは「JR鉄道最高地点・標高1375m」の標柱があり、鉄道神社なる祠まであります。Sさんも私もお互いに「鉄分」が非常に濃いので、こういう鉄道名所には目がありません。しかもすぐお隣には小海線の代名詞とも言えるC56の静態保存まであります。「高原のポニー号」という愛称はやはりこの小さなテンダー車には良く似合います。「こんなのが小海線を再び走ってくれるとうれしいんだけどね」とSさん。Sさんの自宅は小海線から数十メートル離れただけの場所に立っているのです。

野辺山駅までゆっくりと走ります。Sさんもアマチュア無線家なので430MHzハンディ機で連絡を取りあいながら走ることが出来、とても便利です。左手の八ケ岳は残念ながら山頂部が雲に隠れています。でもそのおかげで直射日光もなくこうして自転車で走る分には暑くなく快適です。野辺山駅で小休止の後駅すぐ裏の二つ山(海抜1366m)に立ち寄ります。標高差40mしかないピークですが一応山ランポイントになります。酪農農家の裏の道を進むと神社がありその裏手から藪を分けて登頂。Sさんと430MHzで交信、ポイントを稼ぎます。酪農農家に戻ると農家から出てきたのはブラジル系移民とも思える青年二人でした。農業を継ぐ若い世代が居ないのでしょう。複雑な思いがします。

現在海抜1320m。ここから海抜1470mの信州峠まで単純な標高差は150m程度ですが実はここから一旦海抜1160mあたりまで降りていく事になります。ですから正味の登りは300mでしょうか。下るのがもったいないですがそんな想いとは別に我らが愛車は重力に従い快適に降下していきます。「秩父・信州峠」の分岐看板を見て右手に折れるとここからはただ登るだけです。フロントをインナーに落として登りに取り付きます。淡々と登っていくと傾斜が緩み高原台地に飛び出ました。このあたり一帯、なかなか広い地形です。キャベツ畑の中まっすぐに進んでいきます。時折すれ違う農家の軽トラック。今度は荷台には東南アジア系の若者が乗っています。日本の農業はどこに行くのでしょうか。

(峠の切通しから少し登山道に入り
ようやく信州峠の名を見つけた)
(峠を下り黒森集落に出ると懐か
しい瑞牆山の姿が飛び込んできた)

左右に高原野菜の畑が広がり、時折トラクターと軽トラックが行きかう以外は静かな道です。道はほぼ一直線に前方の山に向かって伸びていきます。振り返ると男山から天狗山への稜線が迫力満点です。前方の横尾山から伸びて来る甲信国境尾根ですが目指す信州峠はどこでしょうか。正面の一番低い鞍部であって欲しいものです。緩い登り、Sさんと私の2台の自転車の作る静かなメカ音が高原に響きます。ふと振り返ると後ろから5,6人のロードレーサー一団が風のようにやってきます。西洋人も混ぜた混成部隊ですが一瞬にして通り過ぎていきます。鮮やかなレーサージャージの色、そして挨拶が風に流れます。この坂でこの速さ。同じ人間とは思えない脚力です。こちらも再びえいこら、とこぎ始めます。ですが彼らは豆粒のように消えてしまいました。Sさんはランドナーなのでともかくも、自分は仮にもレーサーに乗っているのですがこのていたらく。なんだが自分の脚が情けない。

斜度がますますあがり再びヒグラシの鳴き声に包まれます。空が近い。もうそろそろ峠でしょう。ヘアピンを二つこなすとそこが信州峠でした。

信州峠、名前に惹かれていました。関東地方の住人にとって信州はやはり山、新鮮な空気、水、ステレオタイプかもしれませんがそんなイメージがあります。そんな地の名を冠した峠は自分がいかにも遠くまで来た、旅をしてきた、そんなロマンティックな響きを与えてくれます。しかしそこにあったのは県境の看板のみ。あれ、信州峠、という看板はないのでしょうか。少し残念ですがとにかく峠に着いたのです。峠の広場で昼食。Sさんの奥さんに作っていただいた大きなおにぎりを二つ、ぺろりと平らげました。サイクリングにせよハイキングにせよ、お腹がきちんとすき、ご飯がとても美味しい、というのが嬉しいですね。Sさんも30年ぶりの信州峠に感慨深げです。聞けばかつて編集者であったSさん自ら実地レポした「ニューサイクリング誌」への林道峠越え連載記事は、理論ばかりではなく実際に読者にも積極的に野山を走ってもらいたい、そんな想いから発案された企画だそうです。Sさんのご自宅の書棚にはそんな「ニューサイ誌」のバックナンバーがずらり揃っていました。

しかし信州峠の看板はないのでしょうか。峠の切通しは横尾山への縦走路があります。もしや、と思い少し踏み込んでみますとそこに指導標がたっており、そこには案の定「信州峠」と記載されています。さっそくSさんを呼んで自転車を担ぎ上げます。

さぁあとは車をデポした長坂町までは下るのみです。山梨県側の峠の下りはヘアピンの連続です。自分の自転車にはワインマンのサイドプルブレーキがついていますが、このブレーキ、旧いからというわけではないでしょうが制動力はいまひとつです。特にプアなリアは最新のシマノのシューに変更しましたが特に効果なくがっかりです。スピードが乗らぬよう、ゆっくりと下りるのみ。

下りきるとそこは黒森集落で、左手に瑞牆山が見事です。懐かしいあの山頂。今改めて記録を見てみると、初氷を踏みしめてあの山の山頂を踏んだのは1999年11月のことでした。10年なんてあっという間の話です。あの山行では下山して見知らぬお爺さんにヒッチハイクを頼まれ韮崎まで彼を自分の車に乗せましたが、あのお爺さんは今も元気なのだろうか、などと思います。身なりの良いお爺さんではなかったので乗せるのを散々躊躇しましたが、韮崎でくしゃくしゃの千円札を自分に握らせようとしたあのお爺さんの、その皺だらけの手に自分を恥じたものです。そんな事が不意に思い出され思わず感情が高まるのです。

黒森の集落に別れを告げゆっくりと、下り始めます。緩い坂で放っておいても先に進んでいくので快適です。前方に起伏のある谷の風景が目に飛び込んできます。山肌が左右に迫り狭い谷間にわずかな農地。カーブを回ると今度は谷は広がりぽつぽつと集落が現れます。道の傍らには石の鳥居。村の鎮守様です。この風景、なんという親しみやすさ。昨年まで毎月のように走っていたフランスの田園風景とは全く異なるものですがこのコンパクトな風景の中に山・谷・人間の生活が凝縮されており、これは箱庭的で実に素晴らしいものです。自分は農村で生活したことは一度もないにもかかわらず、このような風景に郷愁を覚えるのは日本人としてのDNAなのでしょうか。

塩川ダムを通り過ぎます。増富鉱泉からの道を合わせてなおも下っていきます。緩い下りですがブレーキパッドを握るのも余り長い時間だと辛いものです。真新しいトンネルを過ぎてなおも行くと、そろそろ根小屋の集落です。地形図にもその名を帰している「根小屋神社の大ケヤキ」を見ようと県道を離れ集落の細い道に入ります。急な登りで側溝の水音がたくましい。山間の集落はやはり水が豊富なのでしょう。狭い道路で民家の軒先から犬に吠え立てられます。根古屋神社は能楽でも出来そうな舞台を備えた立派な神社でした。

下り一方とはいえ足も疲れます。緩い登りが最後にあり少しがっかりします。これを越えると今朝車をデポした若神子の集落でした。偶然ながらSさんも私も愛車はジムニー・JB23。一見小さなこの車ですがリアシートを倒して荷室に自転車2台は余裕です。帰着点と出発点にそれぞれデポし、有効なルートプランニングに役立ってくれました。

走行距離約46km。あこがれていた信州峠も、楽なコースとはいえ越すことが出来て満足です。峠を越えて山里を走り・・、短いながら旅をしたという実感があります。Sさんにとっては本当に久々の本格的な走行となった訳ですが、無事走破して満足そうです。年季の入った東叡のランドナーもこれで本格復活でしょう。Sさん、ありがとうございました。今度は杖突峠あたりでしょうか?

(峠から谷に向かう。風景
が果てしなく展開して
いった)
(山間の集落。心和む風景を楽しみながら走った。) (根古屋神社には古刹らしい落ち着いた雰囲気が
漂っていた)
(2台のジムニーが大活躍してくれたサイクリング
であった)

(戻る) (ホーム)