梅雨空の房総、ローカル線を巡るサイクルツーリング 

 (2011年7月3日、千葉県安房郡鋸南町、鴨川市、君津市)


梅雨時のアウトドア遊びは天気任せということもありなかなか思ったとおり進まない。房総の棚田を見てローカル線で輪行しようという、友人Iさんとのサイクリング案も雨で既に何度かリスケジュールされていた。

小湊鉄道の気動車に乗りたい、という自分の希望をベースに今回のルート案を具体化していただいたIさんは自分がパリに駐在していたときに現地で知り合ったサイクリング仲間だ。彼も自分とほぼ同時期の2010年末に駐在を終えて日本に戻ってきていたのだが、こうしてお互いの帰国後もサイクリングをご一緒していただけるという関係を続けることが出来てとても嬉しい。ただ東京西南部から毎日都心まで自転車通勤され更に休日には150km超えの長距離デイライディングをされているIさんと自分には脚力や持久力で大きな差があり、毎回ながらIさんに迷惑をかけてしまうのが申し訳ない。今回の房総も低いとはいえ丘陵地が続くので、またもやペースでご迷惑をかけてしまうことだろう。

朝5時の千葉の降水確率を見て行くかどうか決めよう、ということで早起きすると20%の降水確率という予報。予定通りの決行で、8時07分横浜駅発の京浜急行特急三崎口行きの先頭車両で待ち合わす。京急の車両は両端制御車に車椅子スペースが設置されており、車椅子がいない場合はここが格好の輪行袋スペースとなる。二人して車椅子スペースを無事確保して輪行袋を設置、三浦半島を南下する。

久里浜で下車して自転車を組み立てる。自分の今回のサイクリングの相棒は自分のフランス転勤時代のお土産とも言える1985年製のプジョーのロードバイク。パリ市民の「売ります買います」掲示板に掲載されていたこの自転車、わずか100ユーロで手に入れたのだがれっきとしたフランス製で、サンプレFD直付け、リアブレーキワイヤのトップチューブ内蔵、といったマスプロ車にしては少々凝った作りをしている。もっとも状態はあまり良くなく、塗装はがれに傷も多い。入手後には我が貧脚のためにフロントチェンリングの小径化とリアボスフリーのワイド化に取り組んで結局購入金額よりもずっと多くのお金をつぎ込んでしまった。無理やりギアをワイドにしたせいか変速性能も良いとは言えず改悪の感もあるのだが、それでも入手後にはイル・ド・フランス、ノルマンディからブルゴーニュ、そしてシャンパーニュへといくつかの旅を共にしてきた自転車でもある。同行のIさんはウィーンで購入されたというリア9速の軽量なロードバイクで、ガリビエ峠を制覇されたという勲章付き自転車でもある。今回はヨーロッパからはるばる日本までやってきた2台のバイクでのツーリングである。

(東京湾フェリーにて。きちんと固定してくれる) (田の緑が鮮やかな保田川の谷を上流に向かう。)

久里浜駅からフェリー乗り場へ。フェリーは自転車を分解せずにデッキにそのまま載せることが出来てありがたい。旅客運賃700円に加え自転車が320円。金谷へのこのフェリーに乗るのはもう20年ぶりくらいだろうか。降り立った金谷の町は昔と違い海鮮レストランやコンビニなどもあり時の流れを感じさせてくれる。

海岸沿いの国道127号線を走る。鋸山の稜線が海まで来ており切り立った壁に洞門も続く。道は狭い。車に抜かれるのに恐怖感がある。交通量は思ったより多く、トラックが近づく音には体がこわばってしまう。雲がにわかに濃くなりぱらぱらと雨が落ちてきた。右手に見えていた伊予ケ岳の遠景が消えてしまった。釣具屋の軒先でしばらく待機する。潮の香りが強い。

案の定雨はすぐに弱くなる。雨上がりの道に日がサーっと差し込んできた。路面に残る水分が金色に輝くその中を、風になって走るのは心地よい。保田の駅の周りは小さな集落になっている。ここで海岸線を行く国道と別れ長狭街道に入る。東京湾の保田から太平洋の鴨川市まで、房総半島を西から東へ横断する道だ。

入った途端交通量も減り、のどかな気持ちになる。道は緩い登り基調だがしばらくはそんなことも感じさせない。左右には鮮やかな黄緑色の水田が広がる。千葉もこのあたりまでくると田園地帯だ。やはりこういう道のサイクリングは楽しい。

暦は7月に入ったばかり。梅雨明け宣言はまだ出されていないが雲の切れ間からは強烈な夏の日差しが照りつける。湿度もかなりものだ。走っているうちはそれでも走行の風で少しは良いが、一旦停車すると照り返しでじっとしているだけで汗が流れてくる。夏草茂る路肩に止めて一息入れるとスクールバスの停留場がある。このあたり人口は過疎傾向なのだろうか。ここから町村界をなす小さな峠、横根峠に向けて上りが急になってきた。フロントは既にインナーロー。リアもラスト2枚前まで落としこいでいく。

Iさんの姿が見る見る遠くになっていくがこちらも為すすべはない。とにかくひたすら漕ぐのみだ。緩く上っていき最後の数十メートルはとても急坂となったがなんとか乗り越す。頂上でIさんが待っていてくれた。あとは鴨川まで下りだろう。ほっとして緩く下っていく。全身で感じる風が心地よい。何もしなくても先に進んでいくとは重力のありがたみを感じる。が意に反して道はすぐに緩い登りに転じた。峠を越したからといってこの先に下り一辺倒が待っているわけでもなかった。ピンと来ないがフロントバッグに入れた5万分の1地形図を見てその理由がわかった。最初に越した小峠は西から伸びてきた保田川に沿っての谷を詰めてきたその最後にあったのだが、峠の先は北に向かって流れる志駒川の源流付近の谷になっていたのだ。西の谷から上ってきて小さな峠をこした我々は、丁度その谷の左岸に飛び出した事になるのだ。この先県道はまっすぐに東に進むので、結果として我々は北から南に向けて進んいる谷の源流部分を西から東へ向けて、左岸から右岸に向けてほぼ直角に横切る形なった。樋上の地形を横切る形といえばわかりやすい。上り坂に転じた理由はそれだった。

こんな些細なことはエンジンが全てを運んでくれる自動車やバイクに乗っていては感じることもない。地図を見て実際の地形と照合する楽しさ。地形を感じ、それを味わう。やられた、と舌打ちするがこれもサイクリストならではの楽しみだろう。

そんな訳で行く手にはもう一度小さな峠が待っている。緩く超えて長く伸びる下り坂を見て嬉しさがわいてくる。分水嶺を越えたわけだ。再び繰り返すが車やバイクではこんな一喜一憂は感じ得ない。サイクリストはこうして道を自分のものにしていくのだろう。

ここから先は鴨川に向けての本当の下り一辺倒になった。下り始めてすぐに右手に棚田が現れた。傾斜地に作られた段々の田んぼ。遠景に小さな山と森。今回のサイクリングの目玉の一つが房総での有名な棚田である大山千枚田を見ることだったがすでにその前哨地点で棚田を見ることが出来た。緑の稲穂が目に心地よい。

この先下りきって右側にコンビニのある交差点で「大山千枚田」と書かれた看板があった。それに従い右に方向を変える。左手前方にこんもりと高まっている低山が見えるが、大山千枚田はあの山の一角にあるのだろう。「大山千枚田」への標識はその後も里道の要所要所に置かれており、それに従いやがて小山への上り坂を踏み漕ぎ出した。せいぜい軽トラックがあがることしか考慮されていないのだろう、簡易舗装の狭い道を、ジグザグ切って登っていく。標高150m、すぐに上りついて尾根道に転じた。谷を隔てた右前方にはアンテナの立つ小山が見える。千葉県最高峰の愛宕山(408m)だろう。もっともその山頂は自衛隊レーダーサイトがあるために一般人が踏むのには敷居が高い。

(棚田が目の下に広がった) (大山千枚田は教科書に出てきそうな棚田だった)

小さな尾根を越すと眼下に棚田が広がった。大山千枚田到着。思ったよりも広く、奥行きのある谷に向けて田んぼが階段状に続いている。極めて箱庭的な美しさだが、まさに日本らしい風景だ。フランスで知り合ったIさんとはこれまで共にかの地の雄大な平原、丘陵地の、古い街並のサイクリングを満喫してきたため、この風景の違いにはお互い戸惑っているところもあるのだが、やはり心休まるものがある。

一服してから一気に下り先ほどの長狭街道に戻る。海抜は50mで、まだ鴨川の海岸までは若干距離を残すのだが心なしか街道には潮の香りが感じられる。いかにも太平洋岸らしい明るい風景で、やはり走り出した東京湾側とは文化・生活圏が異なっている事を感じる。少し走った十字路の南側に道の駅があり、そこで昼食とする。ビールが飲めれば最高なのだが、これから先、行程も長く特に房総の山越えが待っているのでそうもいかない。ただし腹だけは滅法へっているので、二人して大盛りの定食を平らげる。ここまで気持ちよく腹が減り、ご飯が美味しいと思えるとは全く嬉しい。

この先のコースをIさんと検討する。当初の予定では麻綿原高原まで登って上総中山方面に下りて小湊鉄道の輪行で五井に出るという計画であったが、ここまで自分の亀足ペースのせいか思ったより時間もかかったため、検討しなおす。結果鴨川道路を登って峠を越えて亀山湖に下りよう、という事になった。これだと当初の計画であった小湊鉄道には乗れないが、そのかわりに上総亀山からJR久留里線に乗ることが出来る。久留里線も非電化路線で、おまけに旧国鉄塗装のキハ、それもクリームと朱色という嬉しいカラーリングで走っているという。それに乗ることが出来れば満足だ。小湊鉄道のキハはその次にしよう。キハの吐き出すぶるぶるというエンジン音、排気ガスの匂いを想像しただけで鳥肌が立ってきた。久留里線で木更津まで輪行すればあとはJRなりアクアライン高速バスで川崎方面に戻れるだろう。

県道に戻りすぐに里道に入り込む。この少し先に鴨川道路が走っており、これを登って亀山湖へ行くことになる。鴨川道路は有料道路であるが、自転車も20円で走行可能。里道を詰めていくと田園風景は更にのどかになった。やがて目の前に鴨川道路の高架道路が見えてきた。側道からスカイラインに入り込む。緩やかな上りが見渡す前方遥かに伸びていく。この先5.6kmはこの登りに耐えなくてはならない。登り始めは海抜36m、スカイラインの最高地点は海抜202m、標高差170mを頑張ることになる。

こちらは前後ともローローと行きたいところだがリアは最後の1枚を残しローから2枚目で頑張ってみる。このほうが精神的に余裕が持てるようだ。側道の幅が広いので時折車に追い越されるが恐怖感はない。が、またもやいつしかIさんが視界から消えてしまった。独りで淡々と登っていく。汗が流れる。左手方面は眼下に深い林が広がっており房総も思ったよりも山深いことがわかる。このあたりは房総半島でも一番深いエリアなのだろう。

峠の直下に広場がありそこにIさんが待っていてくれた。またしても申し訳ない。ここまでなんとか登りきることができて一安心だ。ここでコースを再検討する。このままだと下り一辺倒になり上総亀山まではそう遠くないだろう。脚にまだ余力がありそうなので、一旦この先で三石山に向かう林道を走ることにする。三石山は山頂に三石山観音寺があり、この付近一帯の初詣などでそれなりに賑わう古刹だそうだ。

すぐに鴨川道路の最高地点の峠になり、下りに転ずる。料金所があり20円を箱に投入。するすると道任せに下りていくと左手にダム湖が現れた。この先から右手に分岐する林道に乗って三石山を目指そうというもの。林道はきちんと舗装されており登りやすくほっとする。Iさんも私も、タイヤは700x23C、非舗装路は出来れば遠慮したいところだ。路面は良いが余り走られていない道なのだろう、路肩の草は伸び放題だ。緩い登りでしばらく頑張っていると雨が上からぱらついて来た。梅雨明け前なので安定しないが山頂も近いだろう、とレインウェアも着ないで頑張って登る。

急速に濡れてくる路面と、頭上の雨雲に嫌な気分だが、わずかで山頂直下の観音寺の入り口に出た。山門の前で自転車を停めて本堂まで行ってみる。なるほどこんな山の寺にしても山門、参道、本堂とも立派なものだ。本堂に着くころに雨はやみ、北方面の展望を眺めることが出来る。なかなか果てしない山並みが続き、房総も捨てたものではないと実感する

。ここ三石山は地形図記載ピークでもあるので、アマチュア無線の運用を試みる。あわよくば山ランポイント稼ぎという訳だ。こんなこともあろうか、と持ってきた430MHzのハンディ機でCQを出してみる。が、アンテナ(付属のホイップ)がしょぼいのかロケが悪いのか、全くの空振りだ。独りであれば呼ばれるまで粘るところだがIさんにも申し訳なく諦める。やはり高利得ホイップなり八木なり持ってこないと難しいのだろうか。再び来ることも余りなさそうなピークなだけに、交信未成立が悔やまれる。

あとは上総亀山駅まで下りるだけだ。山頂一帯は深いガスの中で路面もぬれており注意深くブレーキングしていく。ワインマンの古いサイドプル、リアは余り効かないのだ。リムが泣きレバーを握る手が痛くなるころに林道を下りきった。下界は雨雲もなく暑っ苦しい夏の湿気に包まれる。ダム湖の上の橋をいくつか渡りのんびり走って上総亀山の駅へのカーブを回っていく。と先行していたIさんが、雷に打たれたかのごとく急ブレーキをかけて停車した。コレコレと大きく指差しているその方向を見て私も思わず急停車した。

夏草絡む車止めの下から単線の錆びたレールがまっすぐに伸びているではないか!その100mくらい先には小さなホームがあり、なんとその横に気動車が停まっているではないか! 絵に描いたようなローカル線の終着駅に、お互いに鉄分の濃い二人とも、感動と興奮で風景にかじりつきだ。肝心の気動車は旧国鉄塗装のキハ35ではなく、なんだかよくわからない今風の塗装をしたキハ38でありそれが大きく感興を欠くのだがそれでもこの、鉄道模型のシーナリーのような風景には何も言うことがない。

気の遠くなるような梅雨空の田園だ。あの車両に早く乗り込みたく輪行袋に自転車を仕舞う動作もいつもより速い。Iさんが駅前の食料品店で缶ビールを買って来てくれた。ステップを踏んで乗り込んだ車内には意外なことに冷房が効いていた。ロングシートの古びた車両は2両編成だ。手すりに2個の輪行袋をストラップで固定する。もどかしく缶ビールを開けて乾杯する。定刻になり車掌がタブレットを持って乗り込んできたときには二人の興奮も極度に達した。おーっと歓声をあげ顔を見合わせる。未だに首都圏にタブレット閉塞が残っていたとは思ってもいなかった。更にガラガラとキハがアイドリングを始めるともう血圧が上がりっぱなしで危険な状態となった。勝手に盛り上がる二人を前に、シートにちょこんと座った地元のおばあさんは不思議そうでもある。キハはグォーッっという壮絶としか言いようのない加速を見せて走り出す。列車に乗ってこんなに興奮したのは何年ぶりだろうか。

途中駅で2度目の交換。窓から顔を出して反対方向を見ていると、来た来た、来ました。旧国鉄色のキハ35。もう失禁しそうだ。入線のタイフォンもたまらない。もう2本後に乗れればこのキハ35だったのか。しかし外からこうして見られただけで充分だ。

交換が終わるともうあとは抜け殻で、夢見心地で木更津の駅に着く。ここにもキハの車庫があり旧国鉄色のキハ35がもう一編成止まっていた。コンパクトデジタルカメラだが望遠で狙ってみる。ホームに居た地元の女子高生が不審者のように我々を見ているが致し方ないだろう、自覚している。満喫して、駅前に出ると丁度横浜駅行きの高速バスが発車寸前で運よく乗り込むことが出来た。

コースの変更はあったものの、フェリー旅に始まり田園の走行、棚田、峠越え、そして最後にローカル線を気動車での輪行、と今回のサイクリングは実に濃密だった。鉄っちゃん同士ゆえ大満足できるこのコース計画はお互いの嗜好を知りえたIさんの計画の妙としか言いようが無い。三石山でアマチュア無線運用が空振りだったのは個人的には残念だったが、サイクリングの中で最初からそれを期待していた自分が間違っていたというべきだろう。

次回こそ小湊鉄道にのるサイクリングをしましょう、とIさんと横浜駅で声を交わし、お互いの帰路に着いた。 (走行55km)

(三石山の山頂には立派な観音寺。) (ローカル線。終着駅) (タブレットの交換に) (やってきました国鉄色。)

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