晩秋のコンピエーニュの森からソワソンへのサイクルツーリング 

 (2009年11月11日、フランス・ピカルディ地域圏)


11月11日はここフランスでは休日である。10日前にシャンパーニュへのサイクリングにご一緒させていただいたIさんと、今度はパリの北北東80kmはコンピエーニュ(Compiegne)行きの電車に乗り込んだ。コンピエーニュから広大なコンピエーニュの森を西へ向かって抜け、エーヌ川に沿った街・ソワソン(Soissons)まで約50kmを走ろう、と言うのが本日の行程だ。

(ペダルを踏むと風景が溶け、流れる色となって自分達を包み込んだ。)

今日はそもそも第一次世界大戦の戦勝記念日で休日なのだが、その大戦でのドイツとの終戦協定がこれから行くコンピエーニュの森で行われていたと言うことと、今日の行き先がダブってしまうと言う事に気がついたのは往路の電車の中であった。コンピエーニュの森には第一次世界大戦での終戦協定で、そこでフランスがドイツに敗戦のサインをさせたという客車のレプリカが置かれている事を何処かで読んだ事がある。なんでもその客車は次の第二次世界大戦の緒戦でのフランス降伏で今度はドイツがフランスにその客車の中で休戦協定にサインさせた、というアイロニカルないきさつを経て、最終的にはドイツ敗戦が濃厚になった時点で再びその客車で敗戦のサインをさせられる事を危惧したドイツ自ら、その客車を破壊した、というなかなか面白い歴史があるという。そのため当の客車は存在せず代わりに当時の同型客車をベースとしたレプリカが置いてあるそうだが、それでも是非一度見たいと思っていた。そんな話をIさんと往路の車中で話し「立ち寄ろう」と盛り上がったところで、今日は肝心の終戦記念日で、セレモニーがあり立ち入り禁止かもしれない、という懸念を抱いたのだった。

コンピエーニュに来たのは2年前の「シャンティ・コンピエーニュのサイクリング」以来でこれで3回目だ。3年前に初めて来た時は丁度クリスマス直前で、街中にクリスマス・マルシェが出ており賑わって活気があった事を思い出す。今日は冬を感じさせる風が吹きすさびここが観光地と言うイメージはない。オワーズ川を渡って古い市庁舎、その一角にツーリスト・インフォメーションがあった。

Iさんと二人して休戦協定の客車の場所を受付の女性に尋ねるが、なかなか通じない。「客車」というフランス語の単語が分からないのだ。我々の意図が分からぬ彼女は困って森の中のサイクリングコースなどを説明してくれる始末。 が、一旦、それが「Wagon」で良いと分かると、あとは一気に話が通じた。場所は森の北端で、森の中に Clairiere de l'Armistice と名づけられた場所があるようだ。ただし、想像していたように午後にはセレモニーがあり、ワゴンは見られないだろう、との事。午前中なら大丈夫かもしれない、と聞き顔を見合わせる。「ボン・ジャーニー」と彼女に見送られてインフォメーションを出た。

N31という道に乗り西へ向かう。約8km先、とインフォメーションの女性は言っていたが、暫く走ると看板があり、枝道に入った。丁度6km程度だろうか、森の切り開きとなってくだんの広場が見えた。Clairiere de l'Armistice である。丁度何処かのサイクリングクラブのクラブランでもあるのだろうか、100人近いサイクリストがこの広場に集まっていた。年齢層の高いクラブのようで、レーサーやMTBに混じってソローニュのバックをつけたタンデムや、何とアレックス・サンジェまである。その筋の日本人マニアが見れば垂涎ものだろう。さすが、フランスだ。

クラブランの集合地を抜けて進むとくだんの休戦の地だ。切り開きの広場に記念碑が建ち、鉄道のレールがひいていある。鼓笛隊がマーチングの練習をしており演説台の準備も出来上がっている。例のワゴンを探すが見当たらない。レールの先に建物があり、その中にあるようだ。近づいていくとガードされておりそこに居た品の良い女性が「今日はセレモニーがあるので中には入れないと言う。残念だ。折角ここまで来たのに、レプリカとはいえ肝心の客車の姿が拝めないとは。なんだか、悪い日を選んでしまったよいだ。Iさんと二人して心残りながらも休戦の地を後にした。とても悔しい。今度また、来て見よう。パリからは遠くないのだから。

横道それたが元に戻ろう。サイクリングだ。森に戻りピエルフォン(Pierefonds)を目指す。今日の目的地ソワソンはコンピエーニュのほぼ真東だが、ピエルフォンはやや南東になる。ソワソンまでエーヌ川に沿ってほぼ直線に谷沿いの幹線路を走るのでは単調だろうと思われたため、やや南東に回りながら森や丘を抜けていこうという算段だ。

コンピエーニュの森は広大だ。一旦森の中の道に入ると視界は狭くなり方向感覚も失うような密度がある。慎重に地図を見ながらペダルをこぐ。車道から森の中に進むサイクリング道へ入り込むと見事な紅葉のトンネルとなる。今朝方の雨がまだ森の中には余韻を残していた。濡れそぼった落ち葉の絨毯にゆっくりとタイヤを進める。重く堆積した葉を踏むと水分が滲み出てグリップがわずかに滑るようだ。ゆっくりと漕ぎ出すと丸みを帯びた適度な湿度がからだを包み込む。まだ水分の粒子が大気中を遊泳しているのか、あるいは木々から発散されているのか。濡れているせいか紅葉は鮮やかさ一辺倒ではなく、色に重さが加わり、ぐっと沈み込んだ独特の渋みがあり、悪くない。

スピードをあげる。風景が流れ、森が溶け、色となって、体の左右を、抜けていく。湿った森の匂いが風に溶け、鼻腔をくすぐる。なんと言う、気分だろう。森を、感じる。ただただ、ペダルを踏むだけだった。

ようやく森を抜けると左手から舗装道路が合流した。そこを先ほどのクラブランの連中が三々五々走ってくる。その中に混じってわずかに漕ぐとIさんが前方を指差した。大きな城だ。よくある童話に出てきそうな中世の城そのものピルフォン城。門の前はレストランなどがありちょっとした観光地風情でもある。門の案内板によると14世紀に建てられたこの城は1857年にナポレオン3世の命により再建されたと言う。呆れるほど大きな城だが入り口から覗いた限りはやや荒れている感じでもある。ロワール川の古城群のようにはメジャーでないのだろうか、観光客もそれほど多くないのかもしれない。

(名も無い小さな村にも人が住み
生活がある。通り過ぎるだけの
自分とは接点がないが、何故か
後ろ髪を引かれる思いがした。)

門前のここは丁度ピエルフォンの街の中心でもある。コンピエーニュの駅からまだ20km程度しか走っていないのだが丁度良いベンチもありここで昼食とする。今日の行程は50km程度と考えられ、やや遅れ気味ではあるが、ソワソンからパリに戻る列車は16:30過ぎなので問題ないだろう。ガスストーブをセットしてコッヘルで湯を沸かす。が気温が低いからか、風が吹いているせいか一向に湯が沸かない。これまで雪のある山でも問題なく使ってきたEPIのストーブである。フランスのスポーツ店で入手したコールマンブランドのブタンカートリッジではこんなものだろうか。ようやく湧いた湯でスープを入れ、一息ついた。地図によるとここから先は台地にあがりほぼフラットな走行。そして北を流れるエーヌ川の何本もの枝流が作る小さな谷をいくつか越えて東へ向かって進んでいく事になる。どんな風景が、待っているのだろう。

カチリとクリートをペダルにはめ、ゆっくりと漕ぎ出す。D973というのが我々の進む道である。ダウンチューブに手を伸ばしギアを重くする。スルスルと加速して城が遠ざかっていく。街を抜けると高低差50、60mの緩い登り坂となった。フロントはミドルで頑張ってみる。先を行くIさんが小さくなっていく。焦らずに漕ぐしかない。上りついたそこはいきなりの広大な台地で、360度視界を妨げるものは無い。我々二人だけがポツンと大舞台の裾に突然飛び出たような感じがする。その大舞台を真っ直ぐ進むと前方になにやら立っている。近づくとそれはオワーズ県とエーヌ県を分かつ標識だった。

県境を越えしばらく走るとRetheuilの村へ向け心地よい下りとなった。湿った空気が体を包み込む。100m近く下っただろうか、小さな村は静かでひと気も余り無い。ここからはエーヌ川の枝流に沿った谷沿いの道をしばらく進む事になる。今進んでいるD973は2kmほど先でそのまま東に向かうD94を分け南に転進するので、我々はD94に乗らなくてはいけない。地図どおりに細い分岐が左手に現れた。D94では地図で想像していた通りの風景が待っていた。左右を緩い斜面に囲まれた谷の道である。谷といってもそれは老成したフランスの台地では日本の野山のように急なものではなく、なだらかな優しい谷である。冬枯れの丘陵地が両手に広がり、細い川の流れに沿ったゆるやかな谷。そんな谷が左右に緩くカーブを描いて前方に続いていく。カーブを曲がればこれまで見えなかった次の風景が目の前に新たに迫ってくる。それを追ってペダルを踏めばまた風景は変わり行く手に次の風景が現れる・・・。日本の谷戸地形をもっと大きく奥行きを深くしたものと言えなくも無い。奥行きがあり求心力をもつその風景に吸い寄せられるように走っていく。走る事の楽しさを体に感じる、サイクリストには夢のような道のりである。

枝流に沿って下流に向けて走ると右手から別の枝流が合流してきた。そこは名も無き小さな集落で斜面にのんびりと山羊がいる。D94はそのまま別の枝流に沿って再び上流に向かう。ペダリングはやや重くなったが自分は相変わらず地形の作り上げるマジックに魅せられたままだ。 道はやがて、まもなく尽きる谷を目の前にして右に緩やかなヘアピンカーブを作って一気に標高を稼ぎ始めた。ギアを落としゆっくりと登っていくと、やがてせりあがるかのように再び広大な台地の一角に登りついた。ここまで風景が途切れない、実に素晴らしい道であった。

上りついたそこには小さな教会が立っており、全体に白くくすんだ石造りの村があった。休日の昼下がり、ひと気もなくシーンとした農村だ。自分達の自転車のペダリングの音だけしか聞こえない。と、ある石造りの家の窓が少し空いておりそこから昼餉のスープだろうか、美味しそうな匂いが漂ってきた。自転車のスピードには、それは本当に一瞬に過ぎなかったにもかかわらず、確実に自分を捕らえてしまう。あぁ、こんな名も無き村にも人が住んでいる。二度と通ることも無いであろうこんな静寂の中にも生活がある。そう思うとひどく切なくなってしまうのは何故だろう。

再び広大の地形の中の一点となって、進んでいく。収穫を終えた畑は本当に何も無く、走れど走れど風景は変わらないように思える。それでも走ると台地の縁に来て、再び谷へ向けてのなだらかな下り坂に導かれる。坂の下には小さな教会が立っており、それを取り囲んで家々が並ぶ。デジャヴではないが、先ほど見た様な風景が眼下にあり狐に包まれたように感じられる。カン、と教会から乾いた鐘の音が聞こえ、正気に戻って下り始める。

下りきるとあとは谷沿いに下流に向けて走るだけだ。ひなびた農村風情の風景が進むにつれてだんだんと町の郊外住宅の体をなしてきて、今日の行程もほぼ終ったな、と感じる。じきにコンピエーニュからソワソンを結ぶ幹線路に出て、ソワソンの街までは残り12kmの単調な道のりであった。

* * * *

ソワソンの街はそれなりに教会もあるようだがさして大きくも無く、町外れの駅も電化されておらず駅前は寂れていた。駅前に唯一空いていたカフェは競馬の馬券売りを兼ねていて、店内のテレビは遠くリヨンで行われている競馬レースを放映している。ゴールのたびに店内にいる客から嘆息が流れる。そんな彼らに混じりコーヒーを飲み、時間が来たので駅へ向かう。

ここからさらに北東のラン(LAON)から走ってきた6両編成のディーゼルカーに乗り込んで、あとはパリ北駅まで1時間半乗るだけだ。ヨーロッパの秋は日が短い。のりこんでじきに車窓の外は暗くなる。今日の走行距離は63km。当初の予定よりも長く走ったのは思ったよりも遠回りをしたのであろうか。それでも周回コースとは違い、点から点を結ぶツーリングは楽しい。森、谷、台地・・・変化にあふれ全く飽きさせない行程。道の持つ魅力に惹かれ、走る楽しさを充分に味わえた素晴らしい一日であった。 

(コンピエーニュの森。ワゴンはあの中だ。
フランス人サイクリストが二人。一人は
なんとニッカボッカ姿で、嬉しくなった。)
(ピエルフォン城は童話の世界から
出てきたような城だった)
(登りついた大平原を暫く走るとそこは
県境だった。)
(台地から緩く谷へ降りていくと静かな村
が眼下にあった。教会の鐘が、思い出した
ようにカンと鳴った。)


走行距離63km


(戻る) (ホーム)