ブドウの丘のサイクリング − 秋のシャンパーニュへ 

 (2009/10/31、フランス・シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏)


10月のサイクリングはIさんの発案で、シャンパーニュ地方のブドウ畑を走りませんか、との事。ブドウ畑の紅葉が楽しめそうで、興味津々のコース。もちろん、行きましょう。このコースはもともとサイクリングのガイドブック(注) に紹介されており、それによるとシャンペンのシャトーで有名な街、エペルネー(Epernay)を起点とした丘陵地のブドウ畑を行くアップダウンの多いコースで、周回50km弱とはいえ足弱な自分にはやや心配のあるコースだ。健脚なIさんのお荷物にならなければ良いが。

10月は週末に個人的な雑用が重なり、結局空いていたのは最終週の土曜日だった。Iさんがあらかじめ観光局に問い合わせたところブドウ畑の紅葉の最後あたりになんとか滑り込めそうな微妙な日程でもある。 すでに1週間前に冬時間に移行したこともありパリは朝8時といえどもまだ明るくなりきってはいない、そんな時間にIさんの車にピックアップしていただく。

(坂を登っていくと金色に輝くブドウ畑に出た。秋の匂いに、包まれた)

アルザスへ続くハイウェイA4を21番で下りあとは起伏の続く丘陵地を縫うようにして東へ進み、エペルネーのあるマルヌ川の谷筋へ走る。遠目には緩やかな起伏の地形だが、実際にアップダウンが近づくと短いながらもかなりスティープな坂が続き、傍目の広大でのんびりしたイメージとは違い、サイクリストにはやや骨のあるコースと知れる。これは、これまでサイクリングしてきたノルマンディやサントルとはちょっと違うな。今日一日、こんなところを走るのか、とやや不安が波立つ。

いくつかの丘を越え到着したエペルネーは街全体がややくすんだ感じのする色合いだ。街自体はこじんまりとしたフランスの田舎町で、こんな地味な街と豪華なシャンペンというイメージがちょっと結びつかない。シャンパーニュ地方の中心都市で世界遺産のドームで有名なランス(Reims)からはほぼ真南に25kmの場所だ。SNCF(フランス国鉄)の駅前に車を停めて、自転車を組み立てる。この街の北側に広がる丘陵地が今日のコースで、IGNの10万分の1地図を広げるとこの一帯の丘陵地を指して Montagne de Reism と総称している。ランス山地、と言ったところか。

SNCFの路線を北側に跨ぎマルヌ川を渡り目の前にゆるやかにせりあがっている丘に向かい真っ直ぐ伸びる道にゆっくりとペダルを漕ぎはじめた。しばらくは商店や車のディーラーの並ぶ味気ない道だがすぐにだだっ広い畑の中を行く道となった。ペダリングが先程よりやや重く感じられるのは上り坂なのだろうか。地形が広いのであまりそれを感じさせないが確かに地図を見るとゆるやかに登っていることが分かる。道は真北から北東に転ずるD386というルートを取る。斜度は一段と高まりこのあたりから一面にブドウ畑が広がり始めた。紅葉どころかすでに収穫の後で、寒々しい光景が期待はずれだ。

道はほぼ一直線にHautvillersという集落に向けて真っ直ぐに登っていく。広大な丘陵地へのとっかかりだ。スキーのジャンプ台のようにますます斜度を増していく道を前にして、フロントミドルなどとは言ってられなくなった。20m毎に描かれている地図の等高線が一気に密になっている。ダウンチューブに手を下ろしフロントギアをローに落とす。思ったほどペダルが軽くならずがっかりする。これでローローまではあと2段、ギア比は1だ。これでどこまで頑張れるか・・。乱れ始めた息に大きくため息が混じる。道は辛いもののこの村はワインシャトーが点在し、可愛らしい集落だ。小さな石造りの門の奥に中庭がありその奥に小奇麗な建物が並んでいる。ブドウを形どった看板が軒先からぶら下がった家々の壁には蔦がからまり、それが紅葉している。秋のシャンパーニュに居ると言う実感がわいてくる。

教会を回りこみ平坦な道路となり大きく息を整える。目を落とした地図上の等高線の重なり合いはまだまだ続いており、あと5本か。100mは登らなくてはならない。集落を抜け再び登り始める。「Allee du bois Dom Perignon (ドン・ペリニヨン森の通り)」とでも訳すべき小道が左手に分かれたすぐ先で、右手に展望が広がった。金色に輝く紅葉のブドウ畑が眼下にうねるように続いている。丁度見ごろの紅葉だ。汗を拭きつつもこの大きく広がる展望を前に、Iさんとともに、言葉も出ない。ブドウ畑もこのあたりの標高になるとまだ収穫前なのだろう。ブドウは収穫の際にはすべて手摘だというが、農家も人員総出でいどまないととてもこの広大な畑には対応できないだろう。収穫の風景を想像してみる。古きフランスから変わらぬ風景が、きっとそこにはあるのだろう。

再び登り始める。地図上の等高線はもう間隔が広がりまもなく丘陵の上に立つことが分かる。あと少し、うつむいて漕いで時折頭をあげる。次に頭をあげたら、頂上だろうか。登りきる。地図には海抜271mとある。登り始めのエペルネの街が標高70m程度なので、丁度200m登った事になる。自転車ヒルクライムの経験の少ない自分には、こんな登りでもたいした標高差に感じてしまう。まだまだ修行が足りないのだ。

一転して森の中に続く平坦でまっすぐな道になった。スーッと、音もなく森の奥へ向け吸い込まれていくように、自転車が勝手に進んでいく。ここまでの苦労がまるで嘘のようだ。紅葉した森の黄色と緑が流れるように後ろに飛んでいく。森の匂いが体に向かって飛んできて、横を流れて去っていく。風の音がふくらむような旋律で自分を包み、フリーホイールの音が通奏低音のように伴奏をつける。フィトンチッドに満ちた森の中、風景と風と匂いが作り出す立体的な空間に身をおいて、豊かな音楽に体を任せる。綾織の風景を一目ずつ味わうのか、俯瞰するのか、行動速度の差から来るその違いはあれど、山歩きのトレッカーやサイクリストしか感じえぬ特別な世界があり、今自分は、その中にいる・・。

森を抜けると視界が広がりはるかに続く右手の風景の奥の地平線が、まるで動かぬ一本の線をなしている。フロントバックの蓋に挟んだ地図に目を落す。今日のコースはまもなく先の分岐に入り南西に向けを変える事になる。D22という道を選び進行方向を変え小さな森を抜けると、間隔の広い等高線を斜めに横切るような下りが待っている。広く柔和な表情の谷へむけぐーっと下がっていくのだ。飛ぶように下っていくIさんを追って、自分も重力の求めるがままになる。道が巻き気味に平坦になると緩やかな谷の斜面にブドウ農家の集落があった。色褪せた土色の壁に赤い屋根の家。しかしくだびれた感じはなく小奇麗な集落は、いかにもシャンペンのブドウで生計を立てるシャンパーニュの農家らしい。広場にはトレッキングルートである事を示す「Route Touristique du Champagne」の看板が掲げられている。農業だけでなく観光も積極的に取り入れている。その看板に促されるように進路を再び北西に向けると短いながらも急な登りが待っていた。フロントをインナーに落すが負荷がかかっているためか上手く落ちてくれない。いらだってフロント用のフリクションのWレバーを力任せに押し込んだらチェーンが脱落してしまった。 こんな時に落ちるとがっくりと気落ちする。気にかけたIさんがわざわざ下りてきてくれた。申し訳ない。

上りきると今度は牧場が左右に広がっていた。牛が気持ちよさそうに草を食むその横を通り過ぎる。フラットな台地を2kmも走らぬうちに今度は再び谷へ向けて100m近く下っていく。今日は全く忙しい。下りきるとまた小さな集落で、ワインのシャトーと思しき看板を掲げた小さな建物を通り過ぎる。こんな谷の奥にあるシャトーにも人が訪れて、まさに知る人が知る、といった場所なのだろう。

Cucheryという村まで緩やかな谷を一気に下りていく。まさか我々の走行音に驚いたわけではないだろうが、左手の斜面から駆け下りてきた野生のヤギが5,6匹、目の前を風のように横切っていくのには驚いた。村にはバンの移動マーケットが行商に来ている。ブルゴーニュでバゲット屋の移動マーケットは見たことがあるが、今回は肉屋だった。色々な移動マーケットがあるものだ。村を抜けさらに道はマルヌ川に向かって下っていく。これまで稼いだ標高を再び出発地点のそれに戻す事になる。 左右にゆるやかに広がるブドウ畑を見ながら風を切るのは気持ちよい。下りきった場所に木造りのベンチとテーブルがある休憩所の一角があった。エペルネを起点にシャンパーニュの丘を反時計回りに一周すると言う今日の行程も、その3/4は走り終えた事になる。時刻も14:00が近いのでランチタイムとする。今回のサイクリングではコンパクトガスストーブとコッヘルを持ってきた。 フランスまで日本から持ってきていた山道具の箱の中から久々に引っ張り出してきたものだ。 今回のような秋のゆっくりとしたサイクリングでは、ちょっとした野点も悪くない。もっともカップスープの素というのが今ひとつではあるが。

あとはマルヌ川に沿ってD1という道を淡々とエペルネまで東へ向けて走るだけとなる。とはいえ道は川沿いを走るわけではなく、再びブドウ畑の丘へ寄り道し、100mほど登っていく。今日最後のアルバイトをこなすと目の下にマルヌ川の織り成す谷の風景が雄大だ。一気に駆け下りてエペルネの街までは僅かであった。

(ワインシャトーの点在する村を登っていく。) (小奇麗なブドウ農家の村を抜けて走った。) (暖かいスープでランチを) (今日走った丘を背景にエペルネへ戻った。)

* * * *

見た目には雄大な丘陵地帯も、実際に走ると谷に分け入り山裾を踏んで高度を稼ぐ、という地道な行程が待っている。今日の行程は49kmと比較的短かったがそんな丘陵地を何度かアップダウンしたややハードなものであった。とはいえ部分的にまだ紅葉の残っていたブドウ畑の中を走る事が出来、丘に登り谷へ下り、森を抜け、名も知らぬ小さな村を走り・・・シャンパーニュの秋を満喫することが出来た。

帰るついでにシャンペンで有名なモエ・エ・シャンドン社のシャトーを見学するというおまけつきの、季節を堪能したシャンパーニュのサイクルツーリングであった。企画していただいたIさん、ありがとうございました。

走行距離49km
今回の行程概念図 → 
Epernayから反時計回りに周回した。



(注: フランスのサイクリングのガイドブックは LONELY PLANET "CYCLING FRANCE" ISBN 978-1-74104-044-9 を使用。 英文ガイドブック。コース概要や標高差マップが出ており便利。Iさんから紹介していただいたもので、自分はUSAのAmazonから購入した)


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