フォンテーヌブローとバルビゾン イル・ド・フランスを巡るサイクルツーリング

(2008/9/13)


昨年家族で遊びに行ったフォンテーヌブローからバルビゾンにかけての森と街並みをサイクリングしたいと言う思いが大きかった。果てなく広がる大きな森と歴代の王が愛した宮殿のあるフォンテーヌブローの街は観光客で溢れてはいるがイル・ド・フランスの手軽な観光地としては魅力的だ。森の反対側にあるバルビゾンは本当に小さな村で、ミレーが『晩鐘』や『落穂拾い』をこの村で描かなかったとしたら、本当に何処にでもあるフランスの田舎の村でもある。ただ、森と畠の織り成すフランスの田園風景は何処も絵画の題材になるような素朴な美しさに溢れており、だからこそこの村がそんな名画の舞台となったのであろう。そんな魅力に溢れるフォンテーヌブロー・バルビゾンは、幸いな事にパリからは遠くない。思い立った週末に、行ってみよう。

自宅最寄のRER-C線の駅(Issy val de Seine)からコルベイユ・エソンヌまでは途中Juvisy駅でRER-D線への乗換えを含み約1時間で行く事ができる。愛車の700Cサイクリング車・Rhein号に跨りIssy Val de Seine駅までは、自宅から10分程度だ。RERのC線は枝分かれをするのでホームに上がり入線してくるRERの途中停車駅を行き先掲示板で確認して乗り込む。2階建てのRERの車両はドイツのSバーンやREバーンの車両の様に特に自転車を載せるスペースが設計されている車両にはなっていないが、編成の両端部であれば自転車をデポするスペースもある。走行中の揺れで転倒しないように手すりにストラップで固定して、シートに座る。

エッフェル塔やサンジェルマン・デ・プレなどのパリの中心部を抜けて地上に飛び出るともはやパリの郊外だ。これと言った特徴の無いビルと住宅の立ち並ぶ雑然とした街並みを列車は南下していく。線路脇の壁や橋の下に大きな落書きが続くのをボーっと眺める。ロンドンでも、フランクフルトでも線路脇の壁ではどこでも見かける落書きで、フランスとはいえこのあたりの雰囲気は無個性で面白みが無い。Juvisy駅でRERをC線からD線に乗り換える。駅の連絡路でパン屋が開いていたので間食用にパン・オー・ショコラを仕入れる。

D線に乗り換えて30分も乗ると目指すコルベイユ・エソンヌに到着。何故この街で下車してここからフォンテーヌブローまで走ろうと考えたのか、特段の理由はないが、強いて言えばちょうどここがパリ南部の自宅とフォンテーヌブローとのほぼ中間地点になるからだと言えるだろう。次回自宅からこの街まで走って、そのサイクリングの軌跡をつなぐのに丁度良い距離なのだ。

(とある村、流れる時の長さが明らかに
自分のそれとは違うように感じる。)

持参した地図は10万分の1なので駅前の細かい路地までは再現されておらず、はてどうして走ったものか、と一瞬迷うが、南南西の方角に走っていけばどこかでフォンテーヌブローへ行く大きな道に出るはずだ。あまり気にせずに駅前の通りを適当に走っていくと露天のマルシェが通り一杯に出ている道となった。マルシェを見て歩くのは楽しいが、スタートした時点で立ち寄ってしまうのも考え物だ。マルシェのテントを左手に見ながら通りを流す。レストランの並ぶ小さな広場がありその先には教会も見える。このあたりが街の中心部か、すぐにフォンテーヌブローへの方角を示す看板が現れ、一本道になった。

緩やかな上り坂を長く漕いでいく。坂の半ばで街外れとなる。台地を上り詰めると建物はあるが視界が広がったように感じる。地図を見るとちょうどこの東の外れにセーヌ川が流れているはずだがここからはまだ見えない。街道には郊外商店と車のディーラが点在するだけの面白みの無い風景となった。上り坂で体が温まった。羽織っていたジャケットを脱いでTシャツのみとなる。9月の中旬とはいえやはり日本とは違いもうすでに朝は気温も10度を切っているし、日が射している昼間とはいえTシャツ一枚になると空気が肌を刺すようにも感じられる。体が冷えないように再び走り出す。

高速道路への分岐を分けると両面に畠の広がるのんびりとした一本道となった。思い出したように新興住宅地が現れて、そこだけ真新しい道路と、同じ規格で立てられた似たような家が連なる一角に出る。日本で言うところの建売住宅の並ぶ一角というべきか、日本も、フランスも同じようなものだ・・・。しばらく走ると県境のプレートがありセーヌ・エ・マルヌ県に入った事が分かる。いくつかの名も無い集落を通り過ぎていく。どの集落も似たような風景で、集落の中心はラウンドアバウトになっており、そこにはブラッスリー&バーの看板を掲げた簡素なレストランがあり、店主と客が暇そうに店の奥で話し込んでいるのが見える。このあたりは純粋なフランス人の顔つきをした人よりもむしろモロッコやアルジェリアなどの北アフリカ系の顔立ちの人が多い。アフリカ系黒人も多く、フランスも少なくともこうしたパリ近郊は人種のるつぼであるとも言える。もっとも東洋人はあまり多くないのだろう、通行人がじろじろと自分を見ているのが良く分かる。悪気はもちろんないのだろうが余りいい気はしない。日本に居ると決して感じることの無い、東洋人としての、日本人としてのアイデンティティをこうした機会に感じることが多い。

Boissise-le-Roiという街は街道に沿っての余り特徴の無い街だった。このような街道道よりも名も無い小さな集落を結んで走るようなか細い田舎道のほうが素朴さに溢れている事は良く分かっているので、ここから敢て地図上では単線でしか示されていないような小さな小道に入った。

畠の中の一本道から小さな集落を縫って走る、期待通りの道となった。花壇の彩の鮮やかな集落を通り過ぎる。緩やかな下り坂に目の前を流れる緑の風景と風のにおいが心地よい。小さな村を通ると通りの一本奥に教会が静かに佇んでいるのが視野を掠めた。何も語らないのに強い引力を感じてしまう、その雰囲気に思わずブレーキレバーを引かずにはいられない。教会の石壁に自転車をもたれ掛け路傍に座り込む。何の音もしない、静かな時間が経過していく。ヨーロッパのどの村でもそうなように、村のサイズにしては教会はいつも大きく存在感がある。時折通り過ぎる車の音、それが去ってしまうと静かで物音一つしない村、色鮮やかな花壇に石造りの教会。この村を支配する時間はなんだろう。一時間、一日の長さが自分の持つ長さとはとても同じとは思えない。ここで生活している人たちは何をよすがにして、何に則って生きているのだろう。憧れども自分には決して拠り所にすることの出来ない絶対的な何かがあるように思う。それは自分が東洋人だからか、あるいはせわしない現代人だからか、それは分からないのだが・・・。

突如と鳴り出したガランガランと時を告げる鐘の音に、我を取り戻した。再びサドルにまたがり、さあ行こう。

古びた小さな集落を超え麦畑の中をゆっくりと走る。こんな道をサイクリングするのは、最高だ。しばらく進むと今日は何か自転車のイベントが開かれているようで、カラフルなレーサージャージに身を包んだロードレーサとしきりにすれ違いはじめた。アルミやカーボンの洗練された無駄の無い自転車に乗る彼らもまた、自転車同様に無駄の無い体つきで坂道も苦にせず登ってくる。バックや泥除けの付いた重そうな旅行用自転車に跨った自分は彼らと違いたっぷりと中年の贅肉を蓄えてはいるが、同じ自転車を好むものとして感じるものがある。進む道は幅員3m程度の小さな道だがイベントのオフィシャルが出て車をシャットダウンしているようだ。とある集落の広場では表彰台も設けられなにやら楽しそうでもある。一般市道を閉鎖しての小さな村々を回るタイムトライアル競技のようだ。迂回路の設定、住民への配慮、メディカルの準備等、スタッフも本腰を入れて準備が必要と思うが、そんな事がこんなさもない村で行われ、皆が楽しんでいる。自転車を楽しむ文化の成熟を感じずにはいられない。

イベントの周回コースから離れたのか、しばらく走ると又静かな田舎の道となった。トラクターの置かれた畠が左右に広がり肥やしの臭いが流れてくる。肥沃な土壌、農業国フランス。パリから50Kmも離れていないだろう、豊かなフランスを感じさせてくれる光景でもある。

道はやがて南下のルートをとり、最初の目的地・バルビゾンの村に入った。画家ミレーを始めとしたバルビゾン派の拠点ともなった村である。「晩鐘」のモチーフとなった場所は村の西はずれで、何処にでもあるフランスの畑の風景でもある。一方村の中心地は長さニ百メートル程度の通りで、緑豊かな中庭形式のカフェや絵のアトリエなどが独特の雰囲気を醸し出している。シーズンオフなのか観光客はまばらで前回家族でガレットを食べたクレープリーも今日は空いているようだ。前回閉鎖で見られなかったミレーのアトリエは残念なことに今回は”昼休み”で「3時まで休憩」という手書きの紙が入り口に張られてあった。全く、フランス流である・・。

アトリエが見られないのは残念だがまだ先がある。バルビゾンの村を後にしてフォンテーヌブローの森へ向かう。森は以前来た時よりもややスケールダウンしたように感じたのは取ったルートが違うからか、かたや新緑の季節、いまや葉が黄色くなりかけている季節、その差もあるのだろうか。それにせよ車もめったに通らない森の中を緩い登りや下りを交えて一直線に走るのは爽快だ。もっと長くあってほしいと思っていると思いのほかあっという間に森を通り抜けてしまった。

歴代のルイ国王やナポレオンも居住したと言うフォンテーヌブローの城(宮殿)は今日も観光客で一杯だった。同じ世界遺産とはいえ、個人的には人を見に行く感のあるヴェルサイユ宮殿より、豪華さでは一歩譲るもののゆっくりと楽しめるこちらのほうが気に入っている。自転車を置いて見学すると言うわけにも行かず今回は宮殿の前で一服するのみ。行動食のパン・オ-・ショコラを口に入れる。パリからオプションのバスツアーで来たと言う日本人の老年夫婦連れが楽しそうに写真を撮っていた。

ここからSNCF(フランス国鉄)の駅までは3,4kmだろうか。あらかじめ調べておいた目標の電車にも充分間に合うだろう。ゆっくりと駅まで走る。切符を買いホームに出る。サイクリングメ-タは走行距離55kmを示している。事前に地図を広げルートを検討した時はしばらくサイクリングをしていなかった自分にはこの程度が丁度良い距離か、と考えたが今回は随分と短い行程に感じられた。やや走り足りない気持ちがある。まだあと20kmくらいであれば問題なく走れるだろう。

轟音を上げて電気機関車が牽引する客車列車が通り過ぎていく。時速200kmは出ているだろう、とてつもない早さだ。ドイツでもそうだが1,2回のアナウンスの後いきなり列車が高速で通過してくるのがヨーロッパの駅では当たり前で、過保護な日本に慣れていると違和感が大きい。自分の身を守るのは自分でしかない、そんな当たり前とも言える事を改めて感じさせてくれる。

自分の乗る列車がやってくる。電気機関車による客車列車が入ってくるかと楽しみにしていたら入線してきたのはRERと同じ2階建ての電車による列車だった。がらがらの車内に自転車をストラップで固定してパリ・リヨン駅まではわずかに40分。走り足りないかと思っていたわりにはシートに腰掛けると思ったよりも足が張っていることに気づいた。55km、この程度が丁度いいのかもしれない。地図を広げる。いつもの事ながら地図で走ったルートを再び思い浮かべるのは楽しい事だった。

パリ東端に近いリヨン駅から正反対にある自宅まで距離約10km、喧騒の土曜の夕方のパリ市内を走りぬけ自宅に戻った。

バルビゾンの風景
「晩鐘」のモチーフは
この辺りだろうか。
バルビゾンの風景
ミレーのアトリエは今回も
見る事が出来なかった。
バルビゾンの風景
緑豊かなカフェもクレープリ
もパリとは違う雰囲気。
フォンテーヌブローの
宮殿は今日も沢山の
人だ。
パリ・リヨン駅に到着。隣には
TGVが入線していた。分解せず
に済む輪行は気楽そのもの。

全走行距離65Km
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