コンピエーニュの森へ走る - オワーズ川を巡るサイクルツーリング 

 (2008年5月11日、ピカルディ地域圏)


(池の向こうに、シャンティ城) (サンリスは古い街だ) (天を突くノートルダム)

前回のシャンティへのサイクルツーリングの翌週、興が乗り更に軌跡をその先へ延ばしたくなった。シャンティの北には第一次世界大戦、第二次世界大戦での独仏間の休戦条約締結の場で知られるコンピーニュの森がある。昨秋にコンピエーニュの森の中のシャトーホテルに仕事の研修で泊まる機会があったが、紅葉の森の中、彼方に狩猟の鉄砲の音を聞きながら夕刻を迎えたあの暮れ行く森の、深い木々のシルエットが印象に強く残っていた。あの森まで、行ってみたい。シャンティからコンピエーニュまで、この間を結ぶとせいぜい50kmか。デイ・サイクリングとしては手ごろなコースだろう。すでにイル・ド・フランス地域圏ではなくその北のピカルディ地域圏を走る事になる。

車に愛車・ライン号を載せてパリから北に向けて走る。シャルル・ド・ゴール空港を抜けてシャンティまで自宅からは1時間ちょっとだろうか。SNCF(フランス国鉄)のシャンティ駅の近くに駐車して、ゆっくりと緑豊かな林の中を東に向けて漕ぎ出す。林を抜けると視界が急に広くなり、池を前衛にしたシャンティ城の前に出た。イル・ド・フランスの一著名観光地として、ガイドブックにも顔を出すことの多い城だ。

走り始め、ということと、元来いわゆる観光スポットには余り興味がないと言うこともあり、城はパスする。フランスの街並みや風景から流れてくる空気を味わうほうが、むしろ自分には楽しい。中を見るための観光客が列をなしているその横を通り抜けてサンリス(SENLIS)へ向かう車道を目指す。場内の敷地は大柄の石を並べた道で、700x28Cのタイヤにはいささか辛い道でもある。門を抜けるとアスファルトの路面となりほっとする。

空が真っ青で、まさに5月の盛り。ヨーロッパでは感覚的には5月6月が日も長く最も暑い季節で、今日など初夏そのものといった天気だ。サングラスをかけていないと日本人の自分にさえやや厳しいと思えるほどの、容赦ない光が降り注いでくる。

ブロカント(ノミの市)をやっているのか、公園の一角が渋滞し騒がしい。がそれを抜けると緑に包まれた長閑な田舎道となった。走る車も無く、こちらも頭の中を空っぽにして無心に走るだけとなる。こういう道は走っていても楽しいものだ。

丁度10kmの走行でサンリスの街に入った。この街もイル・ド・フランスの観光スポットとして時折目にすることがある。何と言っても街の中央にそびえるノートル・ダム大聖堂が最大の見ものではあるが、それよりも石畳に狭い路地が続く古い街並みに強く惹かれる。街は古い建物の中に現代の商店が店を出しており、路肩に停まった車が如何にも現代を主張してはいるが、やはり狭い石畳とくすんだ建物がまさに中世の面影そのものであった。 走りにくい石畳に小刻みに揺れるハンドルを押さえ込みながら路地をゆっくりと走る。白くやや黄ばんだ建物に挟まれた空は全く狭いが、余りの空の青さに光が路地の中に横溢し、結果不思議な明るさが街の中に漂う。時が止まったかのような空気が、独特だ。

狭い路地の中を走ると、街の外からは見えた天を突くような巨大なノートル・ダムの尖塔が一体何処にあるのか、全く見えない。建物の角、路地の合間にわずかな遠望が得られるがまるで迷路の様でもある。観光の馬車が走る去るのを視界に捕らえてハンドルを向けると突然世界が開け目の前にノートル・ダム大聖堂が現れた。シャルトルやランスのそれとも違う、今まで見たこともないタイプの尖塔で、教会自体は12世紀の建築物という。

この重量感はなんだろう。目を転ずれば通りを往来する人、カフェでくつろぐ人たち。そう、彼らは間違えなく21世紀の現代の人たちなのだ。 ・・・・この重量感は物理的な重さと言うよりも、時間の持つ重さなのだ。そんな抽象的なものの重さは日本人にはやはり無縁なもので、慣れたつもりでも、自分はいつも圧倒されてしまうのだ。

教会脇の小道を走り旧市街を抜けてしまうと、まるで時間の歪みから急に現代に飛び出したような錯覚を覚える。緑豊かなアスファルト道に出て、さぁここからはコンピエーニュに向けて進路を北東へ向けるのだ。

コンピエーニュへはほぼ真っ直ぐに伸びる道をひたすら走るのみ。手にしたIGN(フランス地理院)の10万分の1図ではその距離約27km。並木道を真っ直ぐ走る。左右には広い畑が続くが、大地には緩やかな起伏があり、結果風景に奥行きがあった。道はその奥行きをまるで切り裂くかのようにまっすぐに伸びている。切り裂かれた風景の中を走っていくとその先にまた次の風景の連なりが待っている。なかなか、飽きることもない。

走行自体は単調だが、困ったことに風が出てきた。それも向かい風で足が極端に重くなってきた。ギアを落として軽くするが、楽になった、と思えるのは最初だけですぐに軽いギアでも足が辛くなってくる。脚力不足は、否めない。

緩いものの連続するアップダウンも疲労の要因だ。右手奥から、パリから伸びている高速道路A1が近づいてきた。これの下をくぐると今度はパリ北駅から北上してきたTGVの線路がやはり右手からやってくる。TGVの専用線路だけあって立派なものだ。これを跨ぐと道は一気に九十九折れでオワーズ川の流れる平地へ向け一段高度を下げる。ブレーキがロックしないようにレバーを緩急いれながら握る。緑色の風が目の前からやってきて、自分の前で左右に分かれ、飛ぶように流れ去る。気持ちが、良い。

坂を下がりきると風向きが変わったのか悩ましい向かい風も無くほっとする。小さな集落を通り抜ける。Verberieという街だ。ひと気も少なく、照りつける初夏の太陽にまるで無抵抗に佇んでいるだけの家々。随分と乾いた光景だ。静かな音もない初夏の街並みを通り過ぎて、すこし寄り道してオワーズ川にハンドルを向けた。

(何故か懐かしさの漂うオワーズ川の風景) (ジャンヌダルクがお出迎え)

オワーズ川の風景は、いつも自分には好ましいものだ。緩やかな流れで水の色は緑色だ。それを縁取る土手も自然のままで、豊かな木々が水面に覆いかかっている。日本の川も、かつてはこんな風景だったのだろうか。自分は川で遊んだ記憶や生活の中に川がからんだ事はほとんどないと思うが、それでもこの風景は自分の中の記憶の風景につながる・・・そんな懐かしさを感じさせてくれる。

如何にも古そうな、一車線しか通れない鉄橋があった。製鉄などの産業が発達したごく初期に作られたのではないか、と思える古びたデザインのレトロな橋だが、それが如何にもオワーズ川に溶け込んでいる。

川から再び街道に戻った。一直線に伸びる街道はやがて豊かな緑の中に導かれた。ここまでくればもう道は広大なコンピエーニュの森の一角に至ったといえる。すこし森の中に入ってみる。森は自分の印象に残っていた晩秋のそれとは異なり奔放に茂った緑そのものだった。森は広大でその中心部まで走ると結構な大回りになる。その端をかすめるようにコースを取って、ゆっくりと走った。

森を抜けるともうコンピエーニュの市街地は近かった。古い家並みと自然を縫うように走ってきた自分の目には集合住宅の立つコンピエーニュの郊外の住宅地は味気なく目に映る。がそれも郊外風景のみで、旧市街に入ると、石畳の重々しいものとなった。Hotel de Ville(町役場)はかなり古い建物で、この街で捕らえられたと言うジャンヌ・ダルクの銅像が向かい合うように立っている。

以前この街に来た時は、丁度この広場の前にたくさんのクリスマスマルシェが出ていた事を思い出した。初夏のような日差しの今日は、芝生のベンチに腰掛けてゆっくりする市民の姿が多い。石畳に苦労しながら走ると城壁の一角に出た。休戦協定の場に使われた鉄道車両はこのもうすこし東の森の中にあると言う。城からやや北に向かうとオワーズ川に出てコンピエーニュ駅はすぐそこだった。

コンピエーニュ駅始発のパリ行きがうまい具合に10分後にある。慌てて切符を買い求めホームの階段を自転車を肩に下りはじめたらいきなり「ギクッツ」と腰に来た。あー、やってしまった。腰痛は毎度のことなので諦めてはいるが、この痛みだと二週間は治癒にかかるな・・・。これが電車に乗る直前でよかった。慌てる余り腰を下ろさずにそのまま自転車を肩に持ち上げたからだな・・。状況を妙に冷静に分析する。夏にアルプスへの山歩きを計画しているので、それまでには直ってくれればよいのだが・・・。シャンティ駅で下車して駐車してあった車に戻る。腰痛の中自転車を分解してトランクに載せるのは一苦労だった。

腰痛と言うおまけは余分だったが、緑豊かなピカルディの川と森、そして古い街ををゆっくりと味わったデイ・サイクリングであった。

(走行距離 48km)
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