森を抜けて走った晩秋の日・Epernonへ − イル・ド・フランスを巡るツーリング (2007年11月25日)


イル・ド・フランスを巡るサイクリングをテーマとして何箇所かを走ってきたが、中心地であるパリから主に南西方向に伸びている自分の軌跡をもう少し伸ばしたら何処に行くだろうか。そう考えるとパリ南西80kmほどに位置する街、シャルトルに目が行く。シャルトルは世界遺産にも登録されている大聖堂を有する古都でウール=エ=ロワール県の県庁でもある。ウール=エ=ロワール県はもはやイル・ド・フランス地区から逸脱しているがパリ近郊であることには変わりないし、この魅力ある街を訪れるのも悪くないだろう。

(小さな水路を渡る。
川面に木々が影を
落す。)
(それは名もない小さな集落を幾つもつないで
いく道だった。いつの時代からある道なのだろう。)

現在の自転車での軌跡からシャルトルまで行くには直線距離で約50kmくらいだろうか。一回で走れない距離ではないが、効率重視で幹線道を走るだけもつまらない。又、車に自転車を積んでの周回コースとすると難しい。それを考え、シャルトル到着は次回の課題とし、まずはシャルトルの北西にあるEpernonの街まで走ることにする。

日曜日ものんびりしているとはや午後になってしまった。これからパリ16区に住む友人宅へ遊びに行くという娘を乗せてパリ市内を経由し、そのままハイウェイに乗り南西へ走る。リアシートには分解した700Cサイクリング車・Rhein号を載せてある。前後のホイールと後輪の泥除けの後半部分を取り外してある。特に後輪の泥除けは、蝶ネジで前後に分割できるように加工したおかげで分解・再組み立てが手早くなった。ただしフレームとのダボ穴の固着に関しては未だ六角レンチのスクリューで止めてあるのでここの分解・再組み立てには引き続き工具が必要でもある。次回はここをも蝶ネジに変更して、工具なして分解・再組み立てできるように改善しよう、と考える。

前回のモンフォール・ラモリへのツーリングで通ったコースのすぐ近くにあるLe Perry-en-Yvelinesの街まで走り、そこから前回のルートに出て足跡をつなぎ、そのままEpernonへ南下しようというのが今回のコースの大枠だ。大きいとはいえないLe Perry-en-Yvの街のどこがその中心部だか分からないような箇所の一角に駐車する。日曜日の田舎町はひと気もなく、電柱に着いたスピーカーから古いシャンソンが低く流れているそのさまがひどくうら寂しさを感じさせる。手早く自転車を組み立てると、さぁ出発だ。

ゆっくりと道を北上する。まずは前月のモンフォール・ラモリへのツーリングで通った道まで走るのだ。前回通った見覚えのあるラウンドアバウトに出てここで自分の軌跡がつながった事に満足する。そのまま道をモンフォール・ラモリの方向に向けて北に向かう。前回はこの道を南下したので丁度逆走することになる。

3kmも走ると地図の示すが通りに森の果てに西向かう小さな枝道を発見した。モンフォール・ラモリへの道とはここで別れ、左折して自分にとっては未知のルートになるこの枝道に入る。目指すEpernonはこのままこの小さな道を辿っていく事になる。今朝方まで降っていたのか雨に濡れしっとりした道をゆっくりと走っていく。黒く湿った路面、駆け抜ける森も暗い色調。空も雲が多く残りヨーロッパの冬が近づいてきた、と言う感じが漂う。

やや走ると小さな水路を渡る。水路の奥には森の中に湖が深い奥行きを示している。鴨の親子が水路を横切り波紋がゆったりと川面に広がっている。地図から川をせき止めた人造湖である事が分かるが、風景からはおよそ人造湖であるという足跡は全く感じない。川にせよ湖にせよ森と水面の間が分明でなく自然が色濃い。日本であればどんな地方の小さな川ですら見かける護岸工事というものをここフランスでも、そしてドイツででも見たことが無い。自分の住んでいたドイツに至っては冠たる大河・ライン川の下流地区にしてはや護岸工事はされておらず水は自然に流れるに任せるままだ。もちろん河原が桁違いに広い事も手伝っているだろうが、川と森の織り成す風景がここ平坦地においてもかように美しいとは、醜悪なセメントでガチガチに固められた川しか知らない今の日本人には想像しがたいものだ。残念ながら今の日本人にはかつて川が美しかったと言う事は過去形でしか語れない。川岸に地面が見えることをまるで恥じるかのようにコンクリートですべてを覆い固めてしまう事は寂しい話だ。税金がよほど潤沢なのだろう。

Les Breviairesの街を抜ける。地図を見て想像していた通りの交通も少なくひなびた街道で、こんな道をゆったり走ることが実に楽しい。

地図上に書かれている集落の名前やその周りの地形などを見て一体どんな集落なのだろう、と想像しながら走るのも楽しい。道と道が交差する場所に小さな部落が出来るのは何処でも同じで、このあたりは農地が広がる事もあり古びたトラクターなどの置かれた大きな庭のある家がある。束ねた藁が無造作に置かれたその庭の横を抜けてやや走るとまた次の部落に行き当たる。土壁にやや煤けた風の古い建物が作り上げる部落のその中には教会も建っていて、ひと気も少なく晩秋らしい静けさに包まれたあたり一帯はおよそ時間の概念を超越したゆったりとした空気に包まれており、舗装さえされていなければこれが19世紀の街道です、と言われても不思議でもない。

いくつかの集落を抜けると森の中の一本道に変わり、樹林帯の中を緩く下っていくのだ。道は絶えずその表情を変えながら自分を未だ見ぬ知らぬ場所へといざなってくれる。大きな犬を連れた散歩する人を追い越して突然大きな通りと交差する。鈍い音を残して通り過ぎていった車を前に一瞬そこで我を取り戻すが、飽きる事も無く再び道は森の中へ導いてくれる。樹林越しに大きな池が右手に広がり、しきりに鳥の無く声がする。靄ともガスともつかぬ淡い空の下、早くも傾きかけた秋の陽射しが淡いガスの中を透過して幾条もの光の束となってその樹林と池に陰影をつけていく。ためしに自転車を停めて林の中に踏み込んでみると足元の枝が折れ、その音に驚いたかのように小さな空気の粒子が差し込む光の束の中をを慌てふためいて踊りだすのだ。これ以上森を驚かさないように、自分はそっと自転車に戻るしかなかった・・・・。

Epernonの街はこれも小さな、眠りから覚めていないような田舎の集落だった。教会の前の広場もひと気もなく静寂さに包まれていて、ローラーボードに興じる少年の嬌声が静かな空気の中にポツンと響く。TABACの看板を掲げた雑貨屋の店先も固く閉じられたままで、秋の夕日がそこに黒い影を落としている。時間の止まった、空虚ともいえるエアポケットの中に一人ぽつねんと置いてきぼりをくったような寂しさに包まれる。

時刻はもう16時が近い。さてこれからどうしようか。車のデポ地点のLe Perry-en-Yv集落までは幹線道をただ走るだけとなる。ざっとみて距離は20kmはあろう。一瞬ここから電車に乗りLe Perry-en-Yvまで行く事も考えたが、下車すべき駅の名前が正確にわからず、変な心配をしたくなかった。またあんな閑駅にすべての列車が停まるとも限るまい。ここまでそれなりに疲れてはいるが、戻るには走るしかない。17:00前には暗くなるので、明るいうちに距離を稼がなくては。疲れてきた今の自分に時速20km強が維持できるか・・。覚悟を決めて漕ぎ出した。

右手に深い森を見ながら走り出す。時折左手をビュンと車が追い越していく。片側一車線ではあるが道幅が広く、時速80Km は出しているであろうと思われる車に追い越されても特段の恐怖心は無い。右手の森がゆっくりと後退していく。サイクルメーターの時速は20−23km程度。大丈夫、なんとか維持できている。自分にRhein号にももっともフィットする速度帯だ。

(木々の向こうには静かな池が
広がっていた。)
(まるで時間においていかれたかの
様に空虚な街だった。晩秋の夕刻。)

「秋の日はつるべ落とし」、とは何も日本の秋に限った言葉ではないのが良く分かる。自転車を無心に漕ぐ自分の影が前方に長く伸びる。その影の長さがますます長くなっていく。ペダリングにつれて左右へ僅かに動く自分の上体を映したその影の振幅も、やや大きくなったようだ。青かった空に紅が混じりそれが紺へと素早く変色していくその様は色彩の魔術のように感じられるが、同時に心の中に焦りと寂しさを呼んでくる。明瞭だった森の輪郭がうすぼけて暮色の空気に溶け込んでくるともう完全に日が落ちるのも時間の問題だ。日が落ちる前に、森を抜けたい。追われるようにただペダルを漕ぐ。漕ぐだけだ。

目の前の道は残念ながら平坦ではなく時に緩く上り時に緩く下る。疲れた足には登りは辛く、サイクルメーターの時速も目に見えて落ちていく。ところが下りに差し掛かると、確かに漕がなくても自転車はするすると前に滑っていくのだが、風景は本当に下り坂なのかどうなのか良く分からなくなってくる。まるで平坦地を漕がないのに進んでいくような錯覚にとらわれる。進行方向の傾斜の度合いと風景がうまくマッチしてこない。長いトンネルの中を車で走っていると自分が登っているのか下っているのかはたまた平坦なのかよくわからなくなるが、それと似た感覚に支配される。疲れのせいか。フッと頭を振って覚醒させるだけだ。

緩やかなS字状の登り道をあえいで登ると目に前には真っ直ぐな秋枯れのポプラ並木の道が続いている。ふーっと大きく息を吐き出しギヤを落す。風に乗って「パーン」という銃声が森の中から聞こえてくる。このあたり一帯はRamboilletの森で、パリ近郊の森としては野生動物の多い森として知られている。今はちょうどハンティングの季節でもあり、イノシシ狩りまっさかり。その空虚な音に心細さがますます強くなり、あぁ、こんなところで自分は一体何をしているのだろう、と愚にも付かない事を考え出す。直線距離にしてさして離れたところに居るわけでもないのに、無性に家に今すぐ帰りたいという気持ちが強い。。

緩い下り坂で風を切りながら木立を抜けると前方に町が見えてきた。やった、森を抜けた。Ramboilletの街だ。ほっと安堵して緩い下りで街の中に入る。街の中心部は小さな広場がありそこには回転木馬が置かれている。クリスマスまでの間、ここが冬の夜の遊園地になるのだろう。ここまで来るともう先はだいぶ見えたも同様だがひとつ心配事項があった。それはLe Perry-en-Yvの街まで行くのにハイウェイを通らなくてはいけないのでは、という懸念である。手持ちの10万分の1のミシュランの地図を信ずるならば、RambouilletからLe Perry-en-Yvへは距離的にかなりの迂回路となる一般路を除けば、2,3Kmしか離れていないすぐ隣町なのにそこへはハイウェイしか通っていないようだ。そのためにざっと見ても10kmはある迂回路をとるのも避けたい。ただよく分からない事にフランスの田園のハイウェイでは時折自転車が路側を走っていることを見ることがある。もしかしたらそれはハイウェイの態をなした一般道なのかも分からないが、ここの切り分けは自分には分からない。とにかく自転車も通れるかもしれない、という一縷の望みをかけて先へ進む。

果たして道は切通しの立体交差をなして明らかに高速道のインターチェンジの様相を呈してきた。しかし自転車・歩行者を禁じる標識も無く、えいままよ、と先へ進む事にする。

通り過ぎる車からは特に注意される事もない。もっともフランス、特にパリの道路ではたとえ一方通行の逆走といった明らかに違法と思える行為に対しても事故にでもならない限りは誰も文句を言わないので、今注意されないからそれが正しいか、という判断にはなるまい。「自由、平等、友愛」、我がフランス国のこの国是の最初の単語を尊重しよう、と勝手な理屈をつけながらびゅんびゅんと車が追い抜く片側二車線の道の路側帯を漕ぎ出した。「自由」とは好き勝手にやる「自由」をさしてはいないだろう、どう考えても屁理屈ではある。

正直この10分間は怖かったが誰からもクラクションを浴びる事もなかった。「友愛」の精神で許してもらえたのかもしれない。

Le Perry-en-Yvの街へ入る側道にそれて駐車した車に戻る。日射しは思ったよりも頑張ってくれ、まだ闇に包まれるにはほんの少しだけ時間があるようだった。

気が遠くなるほどゆっくりとした時間の漂う小さな里を結ぶ道を走り、夕暮れに追われながら森を抜けて帰ってきた。晩秋の森を走った距離そのものはたいしてないのに、距離以上の長さを感じたのは何故だろう。 ヨーロッパの懐の広さを感じることができた、なかなか充実した晩秋の一日だった。 

(走行距離45km)
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