ベルサイユ・イヴリーヌを走る − イル・ド・フランスを巡るサイクルツーリング

(2007/5/6)


フランス・パリ地区に引っ越してきてはや一ヶ月が経っていた。いくらドイツまで車で4,5時間とはいえドイツ滞在時に楽しんでいたライン川を巡るサイクルツーリングもこれからはそうそう出かけられるわけでもない。ここ、パリ周辺で自転車を楽しもうではないか。フランスは小旅行用自転車・ランドナー発祥の地、自転車による小さなサイクルツーリングを楽しもうではないか。

街づくりに自転車の存在をいくつかの表面的なものを除いてはこれっぽちも念頭においていないと言う点ではパリは東京と同等レベルと言ってよいだろう。それに加えてフランス人らしい自己中心的発想による自由自在・奇想天外な車の運転マナーが加わりパリの市街地での自転車走行は走行は危険かつストレスがたまるもの以外の何物でもない。自転車にとって天国ともいえたドイツから引っ越してきた身には残念のきわみでもある。だが郊外に出てしまえばそうそう自転車も酷いものでもないだろう、そう考え市内から目を外に向け幾つかのサイクリングルートを考えてみる。パリ市を中心に半径約100kmに広がる外周地区をイル・ド・フランスと呼び、森、のどかな農村、平野などの中に旧き名所・観光地などが点在している。そんなイル・ド・フランスをいくつか走ってみるのはどうだろうか、と考えてみた。まずは手始めにパリから一番近いベルサイユに行ってみよう。市街地から郊外に出るよりも逆ルートのほうが道迷いが起こりにくいのでまずは郊外まで電車で出て、自転車で戻ってくるようなコースを考えてみる。ドイツ生まれの愛車、700Cサイクリング車「Rhein(ライン)号」にとっては初の異国でのツーリングとなる。

(SNCFは2階建て電車だった。
ST-QUENTIN-EN-YVELINES駅)

パリ市の隣町のブローニュ・ビアンクール市の我が家から一番近い郊外鉄道(RER)の駅はISSY VAL DE SEINE でここまでは約10分。日曜日の今日は改札も無人で自動販売機で切符を買うが英語表示もあるもののこれがなかなか敷居が高い。目的の駅がなかなか表示されずにいらつくが何とか購入。ドイツのように自転車用の別料金は特に無いようだった。RERの改札では自転車やベビーカーなどのかさ張るものを所有した人の改札は通常は別に大きな扉の部分を通れるのだが駅員がいないため扉が開かず自転車を持ち上げて苦労して自動改札の狭いゲートを潜り抜ける。これからこの駅を日曜日に使う時は毎回こうなるのか、とやや気が重い。改札の無いドイツの駅が懐かしい。

ベルサイユ行きの電車が入線してきた。これはまさにベルサイユ宮殿に行くための電車で、車内は観光客で満員だ。ホームに止まった車内からはアコーディオンやギターの音色が聞こえてきた。観光客相手の辻芸人が車内で演奏すると言うのもフランスの電車内ではでは良く見る光景だ。自分の乗る電車はその5分後のST-QUENTIN-EN-YVELINES(サンカンタン・アン・イヴリーヌ)行きの電車でベルサイユの更に東側まで走る郊外電車だ。

ベルサイユ行きとは対照的に誰も乗っていない電車に乗り込む。電気機関車によるペンデルツークの客車列車での運用が中心だったDB(ドイツ鉄道)の郊外列車とは違いSNCF(フランス国鉄)は電車ばかりだ。ペンデルツークの持つ合理性にヨーロッパの真髄を見たように思っていた自分にはこれがやや不満ではあるが、RERのような郊外列車だからそうなのか、まだまだSNCFには乗ってみないとわからないことが多い。

これがフランスでは初めての自転車輪行、たまたま自分の乗った形式の電車には自転車指定車両がついていないようだ。が先頭車両と後端車両が自転車指定である事には変わりないだろう。乗り込むとがら空きで通路ではなく客室まで自転車を持ち込んで腰を下ろす。自転車を分解せずにそのまま持ち込めると言うことは素晴らしい。新幹線は無理にせよ日本でも週末休日に限ってはそのような事が可能になれば日本の余暇文化ももっと深いものになるのではないか、とはいつも思うことだ。車両を限定すれば出来ない話でもあるまいがきっと自転車を持ち込んだ際の駅や車両での安全性云々が取り沙汰されるのかもしれない。何事にも責任を押し付けられても言い逃れ出来るような逃げ道をあらかじめ作る事が出来ないと日本の社会では物事が回る事もない。アナウンスの類の一切ない駅、横断歩道、すべてが自分の責任に帰結するヨーロッパからみてやはり日本は異質である。

ベルサイユへ行く路線を右手に分けて森との境をすべる様に走る事25分でRER終点のサンカンタン・アン・イヴリーヌに到着。ここは言ってみればパリのベッドタウンのようなもので駅前には映画館併設の大きなショッピングモールもある。このモールには自宅から車に乗って買い物に来る事もあるのだがさすがに今日は日曜日とあって店も閉まり閑散としている。建物だけが空虚に見えるほどがらんとした駅前を抜けて地図をマップケースにはさむ。このまま最短道路で東北東の方向にある自宅まで戻ればせいぜい20-25Km と言ったところだろう。それでは面白くなく、一旦南に南下して南東まで回り込んでから北上して自宅に戻ろうと言う計画を立てていた。ちょうど南下したあたりは地図からは森や平野がある事が想像され走りにアクセントをつけてくれることだろう。

新興住宅のような町並みを走り抜ける。緑が多く気持ちよい。途中にガソリンスタンドがあったのでワッフルとチョコレートビスケットの行動食、それに良く冷えた炭酸水を購入。町外れに至り、うまく森へ抜ける道路を探し当てなくてはいけない。何度か止まり地図を片手に行き先を調べる。持参した地図はミシュランが発行する53,000分の1というやや不思議な縮尺の地図だが、使いやすい大きさで枝道もきちんと記されており不自由はない。自転車旅の速度にはもってこいだろう。いつしか新興住宅街をはずれ昔ながらの家並みの経つ路地に出た。白く塗られた家の壁は土塗りだろうか。その色合いは自分が今まで見慣れていた灰や黒を基調色としたドイツの重厚な建物とはまったく異質の、目下の真っ青な空の色にうまくフィットするような色合いで、気は軽いがどこか息苦しく喉の渇きを覚えるような色合いだ。スペインやイタリアの民家に近い雰囲気と言える。同じ大陸ヨーロッパとはいえやはり北部と中部ではこうも違う。抜けるような青空に低い塔が立っている。地図の示すとおり教会が出てきた。ここがVoisins-le-Bretonneuxという集落だろう。ここから真南へ道をたどれば小さな森を抜け畑の中に出るに違いない、そんな事がカラフルに色塗りされた地図から想像できるが、どうだろう。

(緑のトンネルを抜けると小さな谷、その先には緩い上りが待っていた。
あっという間に風景が流れ、しばらく自分を失った。)

時が止まったように静かな集落を抜けると期待通りに緑への入り口がぽっかりと口をあけるかのように目の前に近づいてきた。もどかしくペダルを漕ぐとすうっと引き込まれるように森の中へ分け入った。

そこからの数分間はよく自分でも覚えていないような、あっという間の出来事だった。冷やりとした空気の中を緩やかな下り坂で一気におりていく。緑が体の左右を流れるように前から後ろに飛んでは去っていく。いや緑がすっ飛んでいくのではなく自分が緑の渦の中に突き進んでいるのかもわからない。緑色の、空気だ。風を切る音とシャーというフリーホイールの回転音しか聞こえてこない。適度なカーブに身をゆだね、かと言え不慣れな自転車での高速走行に怖れを感じブレーキレバーを握った手の力を強めても、自分はなおも酔っている。

緑のトンネルを抜けると、光が溢れていた。果たしてここは何処なのか。目が光に慣れるのに時間を要した。小さな流れを横切ったがそこは緩い谷間になっており、その奥に続く丘陵地には、自分の心の波立ちなど意に介さぬように緑の奥に馬がのんびりと草を食んでいる。流れに沿った緑の谷間は道はないが深い奥行きを見せており、どこまでもその奥に向けて進んでみたいと思う自分の気持ちを制するのは容易ではなかった。・・・しばらく谷間にて休んでいたようだったが、長閑な気の遠くなりそうな風景の中を通り抜けた自動車の音でそんな無意識の所作から自分を僅かに取り戻す事が出来た。フロントバックに入れてあった冷たい水を流し込む。風と水が美味しい。これ以上の贅沢は、ないだろう。丘陵地へ続く坂道へペダルを踏み出した。林を抜けて緩く上り詰めるともう地平線がぐるりと取り囲むだけとなる。広い台地の真っ只中にぽつんと一人取り残された。ひどく心細い気分。だがはるかかなたから機械仕掛けのマッチ箱のように車が走ってくるのを見てようやく平素を取り戻したように思える。魔法にかかったような、長くて短い、短くも長い不思議なひと時が過ぎていった・・。

思い出したように背後から車が通り過ぎ、対向車がやってくる、そんな広大な平野を独り走るのも悪くない。太陽は照り付けるが湿気がないので風は心地よい。バス停の建物が目に入り、そこに自転車を止めてビスケットを口にする。音もなくロードレーサが目の前を通り過ぎていった。彼の着ていた鮮やかなジャージが目に残像を残していく。再び漕ぎ始める。時折集落を抜けるが再び平原となる。Magny-les-Hameauxの集落が近づき田舎っぽい風景に新しく開拓されたような家並みが広がった。あまりそぐわない。ここまでほぼ南西に向けて進んできたが予定通り丁度ここで進路を北北東に向ける事にする。不必要にくねり曲がった道路が地図に描かれている事からこの先にはまた谷がある事が想像できる。

再び緑の中を谷に向けて走る。下り坂だ。今度こそ魔法にかからぬように慎重にブレーキをかけながらゆっくり下がりきると谷底のそこは旧い建物が並ぶ小さな部落になっており反対側の丘の上には教会が立っているのが見えた。なんと言う・・・まるで中世の絵画を見ているような、何世紀も時間が止まったかのような風景。自分にとっての山歩きが空間の世界と想像の世界を旅するものだとすれば、少なくともヨーロッパでのサイクリングは時間の世界と想像の狭間を旅するものなのかもしれない。駐車してある車など、あきらかに現代のものがあるにもかかわらず、はるか昔からそこにあるかのような、この街が15世紀や16世紀の世界だといっても信じてしまえそうな眺めが目の前にあった。

気を取り直して先へ進む。下がっただけ登る。F22-R29というギアがこういう時には頼りになる。が最後の1枚まではギアを落とさずに2,3段重くして登っていく。まだ、大丈夫だ。ライン川に沿ったサイクリングをこれまで続けてきたが、川沿いのツーリングは素晴らしいものの登り坂・下り坂がなく少しだけ間延びした感があった。今度は起伏があり辛いもののサイクリングらしい。

再びだだっ広い平野となり自動車もまれなその中をひたすら北に向けて漕いでいく。ゆっくりと遠景が近づいてくる。Toussus-le-Nobleの集落には軽飛行機の飛行場がありそこそこ発着があるようでプルプルというプロペラエンジンの音が流れてくる。やり過ごすと再び下り坂となり川の流れる谷を横断する。右手には何時出来たものか石造りの旧い橋が並行する。水道橋だろう。その橋桁と並走してBucの街へ差し掛かった。Bucは色褪せた土塗りと思しき家並みが乾いたように道に沿っている街だった。それはヨーロッパと言うよりもアフリカ北部や地中海の島の家並みを思わせるような色合いで、出発してしばらくして見た白い家並みよりも更に渇きを覚えさせる風景だった。いったいここは何処なのだろうと考えてしまう。自分の中で ヨーロッパの風景=深い緑に点在するゴシック様式の尖塔の教会・石造りの重たい家並み というステレオタイプが出来上がってしまっているのは事実で、つまりそれはドイツの風景でしかない。今自分が住んでいるのは残念ながらもはやドイツではない。色々なヨーロッパを味わうだけのことだ。

閉塞間の中にどこか重みを漂わせたBucの街を抜けると緩く登っていく。ハイウェイを潜り抜けると行く手の眼下にベルサイユの町並みが広がった。緩く下り、ベルサイユ宮殿まで走る。1年前にわざわざドイツから家族旅行で見に来たこの観光地だが、人ごみとベルトコンベアのようにただ人並みについて回る館内観光にはいささか辟易した覚えがある。はるかに楽しく満ち溢れた時間を過ごしている今の自分にはこの宮殿の観光にはもはやなんの興味も沸かなかった。

一服して宮殿の前の大きな道を東に向けて走り出す。とはいえ15-16世紀の時代に深い森であったであろうこの地にこれだけの宮殿を建てたのは驚異でもある。今走るこの道はその宮殿に至る道として栄えたものかもしれない。馬と馬車が行きかったこの道を21世紀の今自転車にまたがって旅している、そう考えるとなかなか楽しい。

ベルサイユの町の真東にはForet-de-Meudonと呼ばれる森が広がっている。まっすぐ車道で戻っても楽しくないのでおりその中に分け入ってみる。小さな池があり、レジャーシートを広げサンドイッチを食べるフランス人家族も多い。まるで日本のピクニックさながらの光景にはちょっと驚いた。ドイツ人は自分の知る限り森の中で休むにせよレジャーシートを敷くと言う発想は持ち合わせていなかったように思う。森の住人といった感のあるドイツ人に比べフランス人はもっと一般人なのかもしれない。これはなかなか面白い発見だった。

森の中の道を複雑に走り抜け反対側に抜けると、もう今日のツーリングも終わりに近いと言ってよかった。坂の中に立ち並ぶ住宅地はまるで見慣れた横浜の街並みともあまり違いがないようにも感じてしまう。セーヌ川の川岸に向けて短くも豪快な下り坂をおりる。セーヌ川を渡る橋の上からは遠くにエッフェル塔が立っているのが見えた。もう、自宅に帰ってきた。

走行距離にしては50Kmをわずかに切るものに過ぎないが今日はとても長い旅をしたように感じるのはなぜだろう。時間を感じ風景を楽しんだ、確かに自分は中世まで行ってきて、長く旅をして今の世界まで戻ってきた、そんな気分すらする。今日走った行程を改めて地図上に追ってみると、ただの平面に過ぎない一枚の紙片が複雑な重層を成して瞼の奥に広がっていくのが感じられた。素晴らしいイル・ド・フランスのデイ・サイクリングであった。

(白い家は土塗りだろうか、
喉が渇くような家並みだ。)
(BUCの街は色褪せた家並みが続いていた。
それはヨーロッパというよりは北アフリカや
地中海の島を想像させる色合いだった。)
(水道橋の下を走り抜ける)
(ベルサイユ宮殿は
自分には興味を呼ぶ
ものではなかった。)

ルート概念図へ


(戻る) (ホーム)