サン・ジェルマン・アン・レ-へ - イル・ド・フランスを巡るサイクルツーリング 

(2007/05/18)


だらだら過ごしていたとある週末、午後から時間が空いたので例によって何処かに行こうと考える。こんな時間から行けそうな場所・・・観光ガイドブックとイル・ド・フランス(パリ市近郊)の地図を広げてみる。パリ西部にサン・ジェルマン・アン・レーという町がある。ここはどうだろう。パリ南西にある我が家からもさして遠くなさそうだ。ガイドブックによるとサンジェルマン・アン・レーは16世紀に当時の国王アンリ2世によって立てられた城があり以降ヴェルサイユへ王の宮殿が移るまで使用された、と書かれている。歴史はともかくもパリやセーヌ川を見下ろす台地の上にあり眺望が素晴らしく、また城を中心に旧い街並みが残っていると言うのも興味を惹いた。

愛車「Rhein号」とともに自宅を出て5分、セーヌ川を渡るとそこはSt.Cloudの街、橋の上から特徴的な教会の尖塔と丘陵地に並ぶ家並みを望む。これからあの丘陵地を越えて行くのだ。今日は体が疲れ気味で家を出てくるときもどちらかというと出かけなくては、という義務感が強く無理やり出てきたのだが、そんな身にはいささか辛い上り坂が待っている。ギアを最低の一枚上に落としゆっくりと登り始めた。サイクルコンピュータの速度は時速7Km、やや早歩きといった感じの速度か。山肌をトラバース気味に登っていく車道に対し左右には階段道が続く。その並びに家並みが続き奥行きの詰まった独特な風景が広がっている。坂を登り切るとSNCF(フランス国鉄)の切通しを跨いだ。わずか15分程度のアルバイトであるがすっかり展望が広がりなかなか気持ちよい。出発前に感じていたあのけだるさはすっかり消え気分が入れ替わった。酸素を含んだ血液が体中に行き渡った感じ・・・山歩きでいつも感じていた、歩き始めてしばらく経って感じるあのリフレッシュ感とまったく同じ、やはりだるくても外に出る事は大切だ。

切通しから上にまだ緩い上りが続く。ハイスクールらしい建物を通り過ぎ、バスの通る大きな道に出た。地図上に現在地を確認。ミシュランの53000分の1地図はなかなか使い勝手が良いようだ。セーヌ川はパリ市を出てからも蛇行を繰り返し、丁度ここはそんな蛇行に食い込むかのように半島のように突き出た台地になっており、今日の目的地はその半島を横断した反対側のセーヌ川沿いに位置している。まずは今現在その丘陵半島に丁度登りついたところで、これからこの上を北西に向けて半島の基部を横断する事になる。このあたり一帯は綺麗に開発された住宅地が続く。”パリ市の西部・高台の住宅地”、日本の感覚で言えば高級住宅地といったところになろうか。綺麗だが味気なくフランスらしさを感じさせない、そんな住宅地街を走り抜ける。とはいえ緩やかな下り坂、先ほどまでの登りの辛さもすっかり忘れ体に風を浴びながら走るのは気持ちが良い。

しばらく閑静な町並みを快走する。しかし傾斜をやや強くした下り坂を目前にして考える。このまま真っ直ぐ走ると早くも半島を縦断して反対側のセーヌ川に向かってまっしぐらに下りて行く事になる。いずれは下るにせよせっかく登ったのでちょっと面白くない。進路を南南西に切ろう。森へ、寄り道だ。マルメゾンの森。 ハンドルを切って”Rue Mozart"(モーツァルト通り)という名の可愛らしい細い道をゆっくりと登っていく。モーツァルトの名を冠した通りはパリの市内にもあるが一般的なのだろうか。そういえばドイツの街にも”Mozartstrasse”という通りはよく見かける。ドイツならモーツァルトはわかるがフランスにはちょっとピンと来ないなぁ、などと考えながらギアを一段落とす。

右手に折れ少し下ると地形に忠実に作られた道に出た。緩やかな下り坂を快適に下っていくとまたしても「それ」はやってきた。いつしかすっと左右から森が自分を包み込んだ。「ふわり」と何の前触れもなく。森の核心へいきなり放り込まれた。少し遅れて、森の匂いが体に伝わった。自転車の持つスピード感がまるでいたずら魔術のようにあっという間に自分の居場所を変えてしまい、いつになく緑の鮮やかさが目に慣れない。自転車の持つ世界の切り替えの速さは歩きの旅とはやはり違う。そんなトリックに毎度毎度の事ながら幸福にも「引っ掛かってしまう」・・・。

道は緩い下りから登りに転じた。森の気配を体で感じながらペダルを漕いでいくのは良い気持ちだ。時折自動車が追い越してくる以外は静かで空気も冷やりとしている。森は鮮やかな緑の天然林で、一瞬日本の里山に付き物のヒノキや杉といった不気味なほど無表情な林を思い出してしまった。嫌悪感と息苦しさしか感じさせない日本の人工林に比べ天然の自然の持つ美しさは比較のしようもない。

池を通り抜け少し登るとどうやら森を抜け出したようだ。くねくねまがった道路がこの先地図には書かれているのでつづら折れの下り坂だろう。どの道セーヌ川には一度下りる事になると考えここから下りだす。旧い建物の立つ緑豊かな下り道で、ゆっくりとしたカーブには木漏れ日が陰影を落としている。何処だろう、この風景どこかで見た事がある、そんな事を考えながら下りていく。ややあってそれが横浜は山手、根岸森林公園から根岸の駅に向けて下りていく道に雰囲気が似ている事に気づいた。そう、荒井由美が歌の中で”坂を登っていった”と言うあの山手の坂道・・。あの一帯の雰囲気が好きで結婚した頃は自分もよく家内と一緒に出かけたっけ・・・もう20年近くも前になる、そんな頃の風景が、歌とともに一瞬にして頭に浮かんだ。そう、もう20年も経つのだ・・・・。忘れていたそんな光景を前触れもなく思い出させる、自転車の旅には時間の調性を狂わす何かがあるのかもしれない。風景と時間が織物のように重なり合い、二輪に乗った自分はその合間を紡ぎ合わせていく糸のようにも思える。自転車の旅で稼ぐ距離とは一体何なのだろう・・・。ただの水平移動ではない。埃を被ってその存在すら忘れ去られていた心の引き出しが、何の前触れもなく突然開かれる・・・・。 

Bougivalの街、セーヌ川まで下りると川岸の車道はバスが走り喧騒のさなか、すっかりロマンティックなタイムトラベルは吹き飛んでしまった。往来の激しい車道走行を懸念し川岸に自転車道を探すが案の定なかった。今のところパリ近郊のセーヌ川沿いに自転車道・遊歩道の類を見た事がない。ドイツ人ならさしずめ川の土手には何をさておいてもこれらを作るだろうがフランス人は違うのか。ドイツ人の自然に対する接し方とフランス人のそれとは大きな違いがある。もっとも食べる事に対するエネルギーの注ぎ方も対極的に違っているが。こうして二ヶ国に接する事が出来てなにかと興味深い。目下のところ最初に住んだ地・ドイツに対してどうしても贔屓目になってしまうのは仕方ないかもしれない。

セーヌ川は中州が多いがこのあたりにもそれが続く。緑が豊かでそれを反映してか川の水も緑色だ。対岸の中州には横付けされた小さな船も多い。そこで生活をしているのだろう、風景の中にのどかな生活感がありそれが単なる川の眺めに濃密さを加えている。国際河川でダイナミックな生命感に溢れていたライン川に比べセーヌ川はコンパクトでよりスローに感じられる。

ポツポツ降り出した雨を気にしながら川沿いを走るといよいよ今日の目的地が近づいてきた。左手に小高い丘がありその上が目指すサン・ジェルマン・アン・レーだ。地図を見て、車の往来の激しそうな道を避けか細い裏道を伝って行こうと考える。ダウンチューブの左右へ手を伸ばし前後ともギアを落とす。右手にカチカチカチとインデックスシフトが心地よい。左手のフリクションシフトも躊躇せずに前にぐっと押し倒す。ガクンとギアが下がりペダルがいきなり空転するかのごとく軽くなった。最低ギアの一枚手前で頑張ってみよう。下り専門の一方通行の道だが歩道をゆっくり登っていく分には逆走も許されよう。

パンジーの咲く花壇の脇から前方に伸びる急坂をゆっくりと登り始めた。右手の褪せた色調の土壁に緑の窓枠の古びたアパートメントがゆっくりと後退していく。目線をあげると小さな教会が坂の半ばに立っていた。ゆっくりと塔の上の十字架が近づいてくる。濃い緑の生垣から路面に落ちたバラの花びらが、曇り空の下ほの暗い坂道に華やかな明かりを灯している。教会の奥には又古びたアパートメントが重なり合って立っている。時間の扉へと続くのだろうか、奥行きを感じるこの道は。そう、ペダルを踏む疲労感で意識が混濁してきたのか、時代がかった建物の中、ゆっくりと流れる周りの風景に引き込まれたのか、再び頭の中の時間がゆっくりと失われていくのだ。この道は一体何時からあったのだろう。19世紀?いや18世紀?丘の上に城が立ったのは16世紀と言う。鎧を被った騎士が、荷馬車を引いた農夫が、あるいは辿ったのかもしれないこの小さな丘へ登る細い坂道・・・。

(出発。サンクルー
の街を見てセーヌ川
を渡った。)
(マルメゾンの森。静寂の中を
走るのは心地よかった。)
(セーヌ川には船上生活
者も多い。緑深い川に
生活感も漂う。)
(時間への扉がそこ
にあった・・。丘へ
登る小さな坂道。)
(サンジェルマン・アン・
レーの城へ到着)

台地へ登りついた。サン・ジェルマン・アン・レーの街だ。眺めの開ける場所まで走る。庭園への入り口のような門をくぐると眼下に広い眺めが得られた。セーヌ川が思ったよりも小さい。いや展望がそれ以上に大きいのか。ラ・デファンスのビル群が前方に固まっている。こうしてみるとパリから程近い場所とはいえ緑が多い。100mもない標高差だろうが久々に達成感を得て、良い気分だ。

ここから目指すサン・ジェルマン・アン・レー城まではすぐだった。16世紀の眺めはどうだったのだろう。眼下一面に深い緑が大洋の如くに広がっていたのだろう。城はなるほどクラシックな趣だが、綺麗に保存されたそこには先ほどの名もない坂道で感じたような”めまい”を感じる事はなかった。街は城を中心に発展しており、通りをはさんだ反対側にはお洒落なカフェが並び石畳のショッピング街が続いている。忙しそうに走る車とバイクがここが間違いなく21世紀のフランスである事を示していた。

見慣れた”RER”の標識をカフェの合間に発見した。この街はRER(パリ郊外高速鉄道)A線の終点でもある。予定通りここからパリまではRERで戻ろう。エスカレータを下りラ・デファンスまでの切符を買う。2ユーロで自転車も載せられるとは格安だ。入線してきた電車の自転車指定車両に乗り込む。25分足らずで新都市・ラ・デファンス。地上に出たら高層ビルの合間で一体ここは何処なのだろう、自分の進むべき方向は?と考え込んでしまった。懐からコンパスを取り出してようやく進行方向が定まる。旧い町では出番もなかったコンパスがビルの谷間で役立つとは皮肉な話だ。

セーヌ川をヌイ橋で渡ると車の喧騒は相変わらずだ。逃れるようにしてブローニュの森を抜けて自宅を目指す。ここまでわずかな経験しかないが、自転車の小旅行もなかなか楽しいものだ。なにしろ時間と距離、縦軸と横軸の中を縫うように走る事が出来るのだ。そう、目の前の風景が心の奥の風景への旅の序章となる・・。自分がこれまでのんびりと山歩きを続けてきたのも独りでの山ではいつもそれを感じる事が出来たからで、そんな旅への扉を開くことが山歩きだけではなくどうやら自転車旅行でも出来るようだった。・・そう、それはまったく嬉しい発見だった。

距離にして45Km。心への旅を今日も楽しむ事が出来た。それだけで素敵な午後だった、と言えるだろう。 

(帰宅後改めてサンジェルマン・アン・レーについて調べてみると、なんと作曲家ドビュッシーの家が今は観光局として現存しているとの事。残念ながら今回は見損なったが、またいずれは再訪してみようと思う。)

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