素晴らしきドイツ賛歌・ライン川の白眉を行く - ライン川を巡るサイクルツーリング (リューデスハイムからコブレンツへ) 

 (2007年6月2日)


当初の目的のコブレンツ−デュッセルドルフ間のライン川を巡るツーリングはドイツ滞在中に無事に終えることができた。フランスへ転勤してからさすがにドイツは遠くなったが、家族でデュッセルドルフに行くチャンスが出来たので車にしっかり700Cサイクリング車「Rhein号」を積み込んでいく。

これまで何度かに分けて走ったコブレンツから下流に向けてのデュッセルドルフ・更にはクレフェルトまでのライン川沿いのサイクルツーリングであるが、実のところライン川観光のハイライトはコブレンツの上流、具体的にはマインツないしリューデスハイムからコブレンツの間である事は多くのライン川クルーズ船がこの区間に集中している事からも明らかであろう。リューデスハイムはぶどう畑を背に狭い路地にワインハウスやレストランが並ぶ小さなかわいらしい街で流域きっての観光地とも言える。そこから下流にコブレンツまでは川岸に点在する古城、そして名勝・ローレライの岩場などがあり、確かにライン川の白眉と言っても差し支えない。約1ヶ月半前の4月末に家族でやはりドイツに遊びに来た際にリューデスハイムに泊まり翌日観光船でのライン下りを楽しんだが、それはいかにも自転車で走れば気持ちよさそうなコースで、以来サイクルツーリングでの再訪をしたいと思っていた。今回のデュッセルドルフ行きはまさに良いタイミングといえた。

パリからデュッセルドルフまでは約500Km。フランスとベルギーのハイウェイは速度制限があるので思いのほかペースが上がらない。早朝に自宅を出てベルギーとドイツの国境を越えたのが朝9時。約4時間半かかったことになる。時間が心配なので国境を越えた街・アーヘンで家族をおろす。家内と娘達にはここからデュッセルドルフまではDB(ドイツ鉄道)にお世話になってもらおう。アーヘンHbf(中央駅)は駅前の工事も終わったようで小奇麗な広場に変わっていた。20分後にメンヒェングラッドバッハ経由ドルトムント行きのRE(中距離快速列車)がある。ラッキーだ、ケルン経由のREよりもこちらのほうが所要時間が短いのだ。これでデュッセルドルフへの到着時刻は彼らの希望通りであろう。ここで彼らと別れ再びアウトバーンに走りこむ。

工事渋滞などでここから先もスピードが上がらないが車窓のドイツの田園風景がやはり懐かしい。緩やかな起伏が続き森が大海原のごときでもある。思い出したように現れる小さな集落。教会を中心に綺麗に手入れされた家々はまるでおとぎの国だ。同じヨーロッパではあるがどことなくフランスとは風景に違いがある。そう、森の色、そして街の色・・・。明るくややもすれば埃っぽく白っぽいフランスの色合いに比べドイツの色は濃く陰影が深い。森は深く、教会の尖塔も高く家々も閉鎖的なほど重い。フランスの色合いをネガフィルムの味わいとすればかたやドイツの色合いはポジフィルム。それも露出をややアンダーにしたポジフィルム。そんな印象がある。そんなドイツのコクのある風景にはやはり自分の持つヨーロッパに対する憧れを満たしてくれるものがある。うねるように続く緑の丘陵が単純に嬉しい。ただの丘陵地が・・・。

とはいえ平地となると巨大な風力発電のプロペラも頻繁に現れる。フランスでは見ない代物だ。会社のフランス人同僚によるとフランスでは環境問題はまだ遠くの話で実際に自分の家の周りにこれが建つとなると皆嫌がるとの事。従ってノルマンディやブルターニュなどの風の強いエリア以外には殆ど皆無との由。一方ドイツではそんな事を言わせない意気込みがあらゆる場所に林立するこの風車にはあり、やはり環境への問題意識の高さも感じさせると同時に、一度やると決めたらとにかく徹底的にまい進してしまうドイツ人らしさも感じる。残念ながら風景をスポイルするもののこれも今のドイツなのだろう。

コブレンツHbf(中央駅)の駅前地下駐車場に車を停めトランクをあけ自転車を組み立てる。前後のホイールをはめ、後輪の泥除けをつけてブレーキをつけるだけなのだがなかなか手間がかかる。特に泥除けは手間でもあるが、泥除けにはこれがサイクリング車としてのIDなのだ、という思いがある。日本の輪行仕様車のように分割式泥除けにするのも良いが、分解せずにそのまま鉄道に自転車を持ち込めるヨーロッパに住んでいる限りはそうそう必要もなかろう。

コブレンツ始発の、リューデスハイムにも停まるフランクフルト行きRB(普通列車)はこれまた後20分程度となかなかタイミングが良かった。片側終端式になっている長閑なホームには旧式の110系電気機関車を尻に据えた短いペンデルツークの編成が入線していた。客車も1階建てで、より出力の大きい143系電気機関車にダブルデッカー(2階建て客車)編成のRE(中距離快速列車)が疾走するラインの幹線に比べ、これはまたいかにもローカル線の列車という雰囲気に満ち溢れ嬉しくなってしまう。実際この列車の走るライン川の右岸(北東岸側)線は対面するダイヤの密なライン川左岸(南西岸側)の幹線のようにICE(新幹線)やIC(特急)、EC(国際特急)なども走る事がなく、貨物列車が中心であり客車運用は1時間に1本程度である。

(コブレンツ中央駅の端にある長閑なホームは
ローカル線風情が漂う。旧式機関車と短編成の
客車。役者は揃った。)
(ライン川右岸を快走する。心地よい風。
ドイツの香りが車内に溢れた。
ローレライにて)
(リューデスハイム駅。
質素な駅に車掌のホイ
ッスルが短く響いた。)

先頭車両が自転車指定車両。乗り込むとガラス張りの制御客車の運転台が丸見えでなかなか良い。運転計器類もコンピュータ化された最新式のものでローカル線の車両とはいえさすがに鉄道大国だ。左手にマスコン、右手にブレーキレバーと勝手に想像していたのは失礼だったようだ。自転車コンパートメントには伸縮式の自転車固定バンドまで装着されているのには恐れ入った。

がっちりした体躯の女性車掌の短いホイッスルで出発。ライン川をすぐに渡り北岸に出る。旧式機関車の割にはなかなか快走する。車窓のライン川がゆったりとしている。まるで止まっているかのような悠々さだが、その実、前衛の風景は流れ飛ぶ。教会が、家が流れていく。その奥にはブドウ畑の丘陵と森が重厚に地に根を張っている。開け放した窓から心地よい6月の川風が車内を満たす。最高だ。言う事がない。本番のサイクリングの前で、すでにDBの旅でこんなに酔っていいものか。

4月の訪問時に家族で観光船を下船したザンクトゴアルスハウゼンを過ぎる。ローレライの岩場はトンネルで抜ける。大きく蛇行するライン川に観光船の残す白い航跡が長い。

リューデスハイムに到着、PM12:50.。観光地にしては質素な駅でホームも殆どレール面と高低差がない。ブドウ畑の丘陵を目の前にした駅前広場。はやる気持ちで走り始めようとハンドルに手を掛けブレーキレバーを握るとスカスカだ。後輪ブレーキワイヤーの太鼓がどういうわけかレバーから外れているではないか。やれやれ、走り出す前でよかった。やはり組み立てた後はきちんと確認しないと大事になるな・・・。工具を取り出し後輪カンチのワイヤーを緩める。ブレーキレバーに太鼓を挟み入れるのはやや厄介だ。何とか入れてカンチのワイヤーを締める。ブレーキが甘すぎた。再び調整。そんな事をしていると横にいたバイク用皮つなぎを着た大柄の小父さんが「カプート(故障)?」と言って近づいてきた。

(あぁ、ドイツだよなぁ!!そうなんだよ、困っているとすぐに助けが飛んでくるんだよなぁ・・・。やっぱりいいなぁ・・)

こちらがドイツ語がしゃべれないのがわかると英語に切り替えてくれる。屈むのも辛そうな彼が顔を赤くして太い指でカンチブレーキの調整を手伝ってくれるのを横目で見ながら、ドイツ人全般に共通していると思われるこの善良さは一体何処から来るのだろうか、と考えてしまう。少なくとも自分が新たに住み始めたフランスではこんな事は考えられない。渋滞の中を我れ先に隙を見ては割り込んでも先に行こうとするドライバー(結果として更なる渋滞)、人を平気で待たしておいて長々と時間を掛けるスーパーのレジ。パリと言う未曾有の大都会だからかもしれないが、道行く人は他人には無関心。その無関心さの徹底は残念ながら昨今の日本と全く変わる事がない。以前韓国へ両親と旅行した際に地下鉄内で自分の父を見て若者がすぐに席を譲ってくれ、いたく感動した事があるが、これは果たして教育のなせる業なのか。国民性はいかにして形成されていくのだろう。でもそれが親と子と言う最低限の社会ユニットで形成されるものだとすれば今日の日本の有様には自分も深く反省をしなくてはいけないのだろう。

何処から来たのか?ヤパーナか?という型どおりの質問に自分がパリから来たことを伝えると彼は大きく驚いたが、つい数ヶ月前までデュッセルドルフ在住であったこと、そして尺取虫のように自転車の足跡をライン川上流に向けて伸ばしていることを話すと興味を示してくれた。彼はこのリューデスハイムに住んでいるとの事で場所柄ここには多くのライン川を旅するサイクルツーリストが訪れるらしい。つい先日もオランダ・アムステルダムからスイスのバーゼルまでライン川を旅するオランダ人サイクリストにここで会ったと話してくれる。

「Good Luck !」という言葉に送られて走り始める。こちらも嬉しくなって「アウフ・ヴィターゼン」と返した。がしばらく走るが妙に自転車が重い。後輪のブレーキとリムが干渉しているようだ。ブレーキを再び緩めてクリアランスを調整しているとなんとなく後輪がフレームに対してややゆがんでいるのに気がついた。成る程、後輪がきちんとフレームにはまっていないのか。クイックリリースは多少車軸が曲がっていても無理やりに締め付けてフレームにフィクスしてしまうことが出来るようだ。このまま走っていたら最悪は後輪脱輪。大事になっただろう。自転車の組み付けもまともに出来ないでサイクルツーリングとは笑わせてくれる。再調整して自転車を持ち上げて何度か地面に落としてみる。特に異音はないようだ。大丈夫だろう・・・。

少しだけ街を走ってから対岸のビンゲンに渡るフェリー乗り場へ向かう。左岸のほうがサイクリング道が整備されていることは前回のライン下りでも確認済だった。運賃2ユーロは安いがこれまで何度か乗ったライン川の渡船の中では最も高い。行きかう観光船に注意しながらフェリーは対岸に渡り終える。ようやくここから本格的なサイクリングがスタートだ。もう14:00が近い。

ビンゲンの街を抜けサイクリング道に出ようとするが行き止まりなどにぶちあたりやや苦労する。川沿いのサイクリング道へ入り損ねたがしばらく鉄道沿いの幹線路9号線を走ることにするが、これが正解だった。線路に沿って心地よいコースだ。調子に乗れたので少しペースを上げて走り始める。出足でややつまずいたのでペースを戻そうと無心になって漕いでいるとと前方に望遠一眼レフと三脚を立てて来し方を狙っている人が視界に入った。鉄道ファンだろうか。大きな駅のコンコースには必ずあるコインで動くHoゲージ鉄道模型のレイアウトの前で、あるいは街中に何軒もある鉄道模型店で、大の大人達がたむろして少年の眼差しで無心にショーケースを眺めているのが当たり前に見られる国なのだから、鉄道写真を取るファンがいても何の不思議もない。邪魔にならないように余裕を持ってクリアする。とその一瞬にして後方から豪快な走行音が響いてきた。えっ、と思い振り返りぶったまげた。紅色とクリームに塗られた卵形の電気機関車が弾丸の様に颯爽と快走してくるではないか。後ろには同色に塗られた客車が続く。真ん中に連結されたドーム展望車に張られた”TEE”のロゴが流れ去っていく。僅か十数秒の出来事、カメラを取り出す事も出来なかった。まるでそれは疾風のように、赤とクリームの残像を残していった。コトンコトンとレールに残る音がしばらく余韻として響くのみだ・・・。

そう、それは退役して久しい旧西ドイツの誇る103系電気機関車。赤とクリームはライン川を走る由緒ある名特急・TEEラインゴルト号の塗装。そうなのだ、TEEラインゴルトなのだ。103系の牽引するひくラインゴルトは70年代のTEE(Ttrans European Express = ヨーロッパ国際列車)の花形でもあった。ラインゴルト=ラインの黄金。ワグナーの歌劇「ニーベルングの指輪」に歌われるライン川の底に眠るとされる伝説の黄金、その名を冠した特急はドイツ随一の優等列車だった。自分は鉄道少年だったころ、ライン川に沿って走る流線型のTEEの写真を図鑑で見た事があり、その風景にまだ見ぬヨーロッパを感じ、その格好よさに感じ入ったものだった。それは必ずしも103系電気機関車による編成ではなく、より前の、ディーゼルのVT601機関車による編成であったのかもしれない。がそんな数十年前の憧れの車両編成が期せずして目の前を通り過ぎた事は驚きだった。もちろん今はTEEも廃止されECになり103系も退いた。これはさしずめ記念運用であろう。日本で言えば菊の御門をつけたEF58が引っ張るお召し列車の記念運用か、はたまたFE65-500番台が20系寝台車で「あさかぜ」を記念運用するようなものである。日本と同様に、そんな鉄道文化を大切にするという事に単純に感動し、またそのためにカメラを構えて待機しているファンがいることにも、自分のバックグラウンドと同質なものを感じる。だいたいドイツ人は体はでかいくせに大の大人が鉄道に夢中になったり、なにか童心を持ち続けているところがあるようで、たまらなく微笑ましくそして嬉しくなってしまう。

(103系電気機関車牽引のTEEラインゴルト号記念運用の写真をお借
りしましたので掲載させていただきます。季節は早春の頃。冬のドイツ
に特有の霧。それをつき破るかのように疾走する姿を捕らえた素晴ら
しいショットと思います。出展元:K7様より。(撮影場所:エッセン、撮影
日2007年3月24日、撮影列車 TEE 79800列車・ケルン発ハンブルグ
行き、撮影者 K7様。) 当写真の著作権はK7様にありますので無断
転用転載の一切を固くお断りします。)
(こちらは103系の前代・VT601型
ディーゼル機関車編成によるライン
ゴルトの静態保存。TEEのロゴが
立派。自分が子供の頃図鑑で見た
TEEは多分こちらであったと思う。
ニュルンベルク、DB博物館にて
筆者撮影)

とはいえそれは一瞬の出来事で、103系のTEEラインゴルトの勇姿をカメラに収めることも出来ずにいたく落胆してしまった。が、記憶の中に残せば良いだろう。それに予定通り森の向こうの川沿いのサイクリング道を走っていたらそれすらにも出会わなかったことだろう・・。

しばらく幹線路を走り踏切を渡り川沿いに出た。ここからはゆったりとサイクリング道を行くだけだ。ややペースを上げていくとビンゲンで見かけた前後キャリアバックとパニアバックに荷物満載と言うフルツーリング仕様の2台の旅人に追いついた。自分より年配の夫婦だろう。あの荷物では行き先は当然ライン川の最下流、オランダだろう。路肩に自転車を止めベンチに座りゆっくりと過ごす彼らに心の中からエールを送り通り過ぎる。右手のラインの川幅は相変わらずゆったりとしておりまさに大河の風格を余すことなく示している。観光船に混じりオランダやフランス、そしてスイスの国境をなびかせた貨物船も頻繁に行き来する。

川岸のサイクリング道も川岸からやや離れた畑の中や森を縫ったりとなかなか変化はある。眺めの良いところで下車して写真を撮っていたら行き交ったドイツ人サイクリストがわざわざ戻ってきてニコニコしながら「写真を撮ってやる」とやってきた。「フィーレン・ダンク」と答えるが、人のよさそうな彼の笑顔を前に嬉しくて何も言うこともない。そう、ここはドイツなのだから。素晴らしい善意の国なのだから。厚意に甘えることにしよう。

走り始めてしばらく経つがなぜか余りペースが上がらない。ロスした時間を取り戻そうとギアを44-11に落とすがこんな重いギアはとても踏み続けられない。数段軽くしてフィットする。それでもじきに辛くなってきた。集落を抜けると特にそれが顕著となる。風だ。逆風が強いのだ。川下から逆風が吹いてきてモロに対向しているのだ。だから漕げども漕げどもなかなか進まない。サイクルコンピュータの示す速度は頑張っても時速18km程度。普段のペースの7割程度と言うことだ。これでは先が思いやられる。

風と言えば山の稜線で出会う風も凄い。今まで自分が遭遇した一番強かった風は南アルプスの大聖寺平で遭った風で、それは歩くことはおろか立っていることも出来ないほどで、赤石岳を越えて赤石小屋までと言う目的地への距離から前途に大きな不安を感じさせた。今遭っている風はそれには全く及ばないではあろうが、コブレンツという目的地までの距離を考えると同様な不安感を自分に与えてくれるには充分だった。

やや疲れてバッハラッハの街に到着。PM15:10だ。もう少し先、できればザンクトゴアールあたりで遅い昼食としたかったのだが、ビンゲンからいくらも走っていないこの地で一旦休憩としよう。サイクリング道を離れて街に入る。小さいがこれがなかなか趣のある街だった。石畳の道に重々しい教会が立ちその周りを木組みの家が囲んでいる。街は小さくその奥にはブドウ畑の山並みが立っている。ドイツの中世がまざまざと息づくような街には流れる時間の壁を感じさせることもない。これだけでもわざわざ500kmの道のりをフランスから走ってきた甲斐もある。レストランを2,3覗くがメニューはシュニッツェルにマッシュポテトなど、あまり食欲が進まない。ポピュラーなグラーシュズッペ(ハンガリー風ビーフシチュー)と簡単なサンドイッチ程度でいいのだが・・。結局街道沿いのImbiss(軽食屋)でアルコールフライ(ノン・アルコール)ビールとヴルスト(ソーセージ)という最も簡単なものにする。わずか3ユーロでサイクルツーリストには持って来いの手軽さだ。店のおばさんも達者に英語を使ってくれるがフランスではありえない話だ。

腹に食べ物が入るとやはり多少は疲労が回復したように思える。単純に言ってまだ全体行程の1/3ないしは1/4といったところだろうか。船着場に着いた観光船から下船した日本人観光客の一団がそのまま待機していた大型観光バスに乗り込んでいく。至れり尽くせりだ。こちらもまだまだ借金が多いので頑張ろう。

このコースは当然のことながら左右にいくつもの古城が現れてくる。鼠城、猫城、などそれぞれ名もついている。が面白い事にこうして自転車で走っているとそれらのいかにも観光客に訴求するであろう古城群には何の関心も沸いてこないのだった。むしろ自分を幸せにしてくれるのは、走行中に耳を打つ風の音、むせるような風景の匂い、旧い街並みから漂う時間の重層・・・。サドルにまたがりペダルを漕ぐとたちどころに自分を包み込む「これら」が五感を刺激し意識を遠い世界に運んでくれ、そして自己の心の中への旅が始まる。誰かが仕立て、名づけたかのような観光地は意識の外遠くに無縁のものとして存在すらしえない・・・。山歩きを始めて以来観光地に一切の興味がなくなったのと、それは全く同じ現象だった。自分の中では山歩きもサイクルツーリングも同じもののようだ。

オーバーヴェーゼルを過ぎる。ここも雰囲気の良い街だ。ここまでくればローレライの岩場はもうすぐだ。ライン川が大きく西へ蛇行するその箇所に食い込むように屹立する岩場が名勝ローレライであるが、別段どうと言うこともない場所だ。ローレライの美女伝説は別としても、流れが急なのだろう、貧弱な動力の昔の船では航行に苦戦したのかもしれない。

ザンクトゴアール到着。ここもリューデスハイムに近い雰囲気の観光地だ。4月に家族で来た時はここで昼食を摂ったのだが今回は余韻に浸るまもなく走り去る。このあたりから疲れてはいるが足が何も考えずにただ動くようになってきた。もしかして感覚が飛んでしまったんだろうか。再び強い対向の風を感じるが殆ど機械のようにただ足を回すのみ。ライン川の雄大さは素晴らしいがなんだか疲れて何も感じなくなってきた。腕時計をにらむがこの調子ではコブレンツに19時までには着かないかもしれない。

(石造りの街、木組みの家、ブドウ畑。バッハラッハは中世の時間が止まったかのような街だ。(左3枚)
川の中州にプファルツ城、左の山にグーテンフェルス城(右))

淡々と進む。腿の筋肉が張ってきた。行き交う自転車は相変わらず多い。さすがにレーサーは少なく、前後左右のキャリアに荷物を満載したツアーバイクが多い。彼らの殆どが夫婦でしかも先ほどの夫婦連れ同様皆一応に年齢が高い。50歳の後半、あるいは60歳の前半だろうか。若い夫婦もいるがこちらはトレッキングバイクに屋根付キャリアを連結してそこに子供を載せて旅行しているパターンが多い。老若男女問わず彼らに共通しているのはどの顔にも苦しみがなく楽しそうな表情を浮かべてバイクに乗っているということだ。これにはただ感心するばかり。こんな素朴な「遊び」がドイツ人にとっては最も楽しい遊びで、もっとも贅沢な時間の過ごし方なのだ。自分もそんな時間の使い方が楽しく貴重なものと思えている、その事が嬉しく幸せに感じる。

ボッパルドの街までようやく着く。さすがにヘトヘトで、いくら逆風の中を走ってきたとはいえ基礎体力のなさを痛感する。アイスクリームスタンドで一本立てよう。濃厚な甘みが美味しい。あと残す行程は1/3と言ったところだろう。ライン川はこの先でほぼ180度と言う大きな蛇行を見せる。行く手にこれからいくコースが正対する。そのせいか風向きがやや変わり楽になった。滑るように頭の上のDBの路線をグレーと白の客車列車が向かってきた。SBB(スイス国鉄)のロゴが大きい。EC(ユーロシティ)だ。チューリッヒ行きだろうか。更には流線型のICEが後ろから滑らかに自分を追い越していく。動力車を編成の前後に据えたICE-1だ。白地に赤い線。そして誇り高く輝くDBのロゴマーク。車窓から乗客はこのラインの眺めを堪能していることだろう。このサイクリング道はライン川の眺めもさることながら鉄道ファンは唸る事うけあいだ。

そんな鉄道風景に気を紛らわしていると何時しか再び川岸は広がり集落がポツポツと始まる。大河のまわりに陸地は収束・拡大を繰り広げる。さっきから似たような風景がずっと続いているのだ。サイクリング道がクランク状に曲がる箇所に小さな石造りの教会がひっそりと立っていた。何が自分を呼んだのか、どこか深遠さすら感じさせるその風景に思わずブレーキをかけ自転車を降りた。綺麗に手入れされている庭と生垣、その奥に続く花に飾られた墓地がいかにも村の教会と言う風情をかもし出している。すぐ右手の川岸の草むらの中には牛がのんびりと歩き草を食んでいる。その奥には深い緑のラインがとうとうと流れている。教会は必ずしも旧い造りではなかったものの、もう遥か昔から変わっていることのないであろう風景・・・。幾層にも重なった時の重みを何の気負いもなく感じさせてくれる風景・・・。疲労で頭が混濁した訳ではないがまるで自分は何時の時代を旅しているのかが定かではなくなってしまったように思える・・・。

コブレンツの街まではまだ遠かった。ガランガランという時を告げる教会の鐘の音が風に乗って流れてくる。いつしか時間は18:30を回っていた。ペダルを遅くするとヘルメットの風きり音に代わりピチャピチャと風に鳴る川面の音が耳に入ってくる。それに誘われ再び自転車を止めるとしーんとした森閑な時間が自分を包み込むだけだ。教会の鐘の音、水面、そして鳥の声。余りにも満ちた思いにもう何も言うことも出来ない。

しばらく無心で漕ぎ続けてようやくDBの鉄橋を潜り抜けコブレンツの町外れにたどり着いた。もう一頑張りで「Deutches Eck - ドイツの角」だ。ライン川とモーゼル川が分岐するその地は長い間の自分の憧れでもありこの一連のライン川に沿ったツーリングの初回ですでに訪れた地ではあるが、ここまで走らないと今日の終止符は打てない。ウィルヘルム一世の銅像前で自転車の足跡がこれでデュッセルドルフまでつながったことを喜び今回のツーリングを終える。19:20、走行距離78Km。距離の割に疲れているのはやはり終始対面した向かい風の影響もあろう。

コブレンツ中央駅前の駐車場に戻り「Rhein」号を分解しトランクルームに載せる。デュッセルドルフで遊んでいる家族に電話を掛け今からそちらに向かう旨を伝える。混沌と喧騒、無関心の街・パリに引っ越して3ヶ月、彼らも彼らで未だにドイツと言うと顔が喜色ばむのだから仕方がない。

* * * *

北上するアウトバーンはしばしライン川を離れ西岸の丘陵地の中を走る。うねるような森の絨毯に、そして一日付き合ったラインの流れに、頭の中を去来するのはシューマンの交響曲だった。豪華で甘美なその調べはラインの悠々とした流れと森の織り成すドイツの叙景詩、いや叙情詩ともいうべきだろう、交響曲3番「ライン」。くしくもデュッセルドルフで作曲されたと言うそのメロディを適当に口ずさみながら今日の風景を反芻するのは悪くない。

大河は遥かにたゆたうが如き
森は深閑として悠久をたたえ
旧き街並みには中世の時が重なる

おせっかいに近いほど善良で
こうと決めたら突貫し
素朴を贅沢とし
純真さは子供の如き

今日一日ライン川の白眉を走り、過去から今へそして明日へと脈々と流れるドイツの真髄の片鱗でも触れる事が出来たような、そんな気がして仕方がない。そう、さっきから頭の中に浮かんでは消えていく「ライン交響曲」のメロディは、まさしく自分の中では抑え切れない素晴らしき「ドイツ賛歌」そのものであった。

(ローレライでは流れが狭まる) (教会は時間のエアポケット) (川と時は悠然と流れる) (Deutches Eck - ドイツの角 に再び立った)

(終わり)


追記 : 最後に当ページのためにラインゴルト号の写真の掲載をご快諾いただいたK7様に重ねてお礼を申し上げます。

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