印象派の街、ポントワーズへ − イル・ド・フランスを巡るサイクルツーリング (2007/8/25)


(ポントワーズの駅からは
旧い教会が迫っていた。)
(彩り鮮やかなポントワーズ) (静けさ漂う旧い街には濃密な色と香りが感じられた。)

パリ北西郊外にあるポントワーズは19世紀にセザンヌやピサロを初めとした印象派画家がその活動拠点とした事で有名な街との由。更にはポントワーズの数キロ東にはゴッホ晩年の地として知られるオーヴェル・シェル・オワーズもある。そう考えるとこの両地は世界の絵画史に名を残す地なのだろう。絵画には全く疎い自分だがそんな画家を魅了した街に行ってみるのもイル・ド・フランスを走るサイクリングのテーマとしては良いだろう、と考えた。

週の疲れか余り乗り気はしなかったのだが今日を逃すともう8月も終わってしまう、そんな焦りから疲れ気味の心と体にやや鞭打って家を出る。ポントワーズへはRERのC線が便利だ。自宅から最寄のRER-C線の駅、パリ16区のケネディ・ラジオ・フランス駅までは15分ほど。ここから2階建ての電車に愛車「Rhein」号とともに乗り込んだ。ポントワーズ乗り換えのオーヴェル・シェル・オワーズまで、1時間近い乗車だが運賃4.5ユーロとは安い。

パリ市内を抜けるとRERも地下から抜け出し地上走行となる。パリ市内の北西を走っている事になるが倉庫やビルの廃墟などが続き余り良いエリアではないのだろう。蛇行するセーヌ川とその支流を超える。更に10分も走ると周りの風景もやや田舎めいたものになってきた。溜まっていた疲労感を押しのけるかのようにやや無理して家を出てきたのだが、そのせいか電車に揺られていると少し気分が悪くなってきた。ポントワーズとオーヴェル・シェル・オワーズは直線距離では7,8Km と離れていないが、今日のサイクリングの最終到着地点は前回のイル・ド・フランスのサイクリングの終着点でもあるサンヘルマン・アン・レーであり、そこに行くには結果的にはオーヴェル・シェル・オワーズからポントワーズまでは来た方向を戻ることになる。距離にしてなにやらその7,8Kmでさえが今の体調の自分には異様に面倒くさく感じられ、結局オーヴェル・シェル・オワーズはまたの機会にしようと考えた。ゴッホの絵画のモチーフが様々なところに散りばめられているというこの街は、確かにサイクルツーリングのために”ついで”に走るのももったいなかろう。またいつか、来れるだろう。

ポントワーズの駅で乗り換えることもなくそのまま改札を出た。ここはRERの終点ではあるが小さな駅で日曜ということもあってか改札駅も無人だった。駅前広場からいきなり眼前の坂の上に大きなゴシック調の教会が現れた。その不意打ちしたかのような様はさながら唐突でもあり意表をつく風景といえた。サン・マクロー教会というらしい。立派なその教会も、体調が優れない今となってはあの急な坂を登ってまで中をじっくり見ようという気にもならなかった。ここは印象派の街ということだが、確かに古めかしい建物のある街並みはそんな感じも漂う。ただ今自分がネットを通じて見る事のできるセザンヌやピサロが描いた絵はどちらかというと田園風景ではないだろうか。であるとやはり街は余りにも21世紀の風景にすっかり変貌を遂げているのではないか、と感じたりもする。

絵画と街並みの詮索をするほどのエネルギーも無く、転進し南の今日の目的地、サンジェルマン・アン・レーを目指す。オワーズ川を鮮やかな花に彩られた橋で渡り名も無い小さな車道にハンドルを向けた。

こんな小さな無名の道が、良かった。決して目新しい風景があったわけでもなく、むしろ静寂さのみが唯一の取柄、といった風のやや古めいた建物の並ぶ狭い道でもある。ただ地形に逆らわないその道の造りは決して新しく出来たものではないのだろう。道沿いに居並ぶ家の建物が全体に白っぽくかつやや汚れてくすんだ感じがするのは、どうやらこれがフランスの色なのだろう。以前から感じているがこの乾いて褪せた感じは地中海の建物の色合いに近い。くたびれたように古めかしい教会も、昔ながらの構えの、そしてやや綻んだ大きな門戸も そよとも吹かぬ8月の空の下ただ白く鈍い光を反射させているだけだ。だが家々の庭から顔を出す緑と、生垣と窓に飾られた朱に輝く花の色がなんと濃厚な事か。それは背景となる色合いがくすんだ色合いだからゆえ、より引き立つといえる。すべてにつけ整然として風景の色合いすらも計算されたかのように乱れる事の無いドイツの街の風景に比べ、フランスのそれはどぎついほど妙に生々しくもあり肉感的にすら感じられた。

ゆっくりと、静かな通りをペダルを踏んでいく。木で出来た雨戸を開け放した家からはその中の生活の様も垣間見える。土地にしっかりと根を下ろして生活する人々と、自転車でただ走り抜けるだけの自分。交錯しあう両者には接点はないかもしれないが、それでもその土地の持つ色合いや匂いがただの通行人に過ぎない自分にも充分すぎるほどの印象を残していく。くんくんと鼻を動かし、きょろきょろと目を動かして、この未知の空気を味わいたい。

細い路地を抜けると住宅街の中を通る太い道に出た。地図が示すとおりSNCF(フランス国鉄)のガードをくぐり抜けていく。買い物帰りのおばさんを追い抜く。長いバゲットを2,3本、無造作に抱えて持ち歩くその様が如何にもフランスらしい。緑に縁取られた住宅の道から味気のない郊外の道へと続いていく。ポントワーズの駅で感じた体調の不具合さも余り苦にすることなく走っている。Conflans Ste Honorineの街へは短いが急な下り坂で下りていく。急な坂のその先には森が茂っている。下がりきる。とそこにはセーヌ川がゆったりと目の前を流れているのだった。短いながらも風景の作り出すその粋な仕掛けに、唸ってしまう。ふぅ、っと力が抜け自転車を自然に降りていた。

ゼーヌ川の色合いは、様々な濃淡のまじったどろりとした緑色と言うのが相応しい。その色は単色ではなく光の加減や周りの光景の反射などさまざまな要素がからみあうが、そう、自分が好きなライン川の持つ色合い、それは濁りを廃し深いほどの青さをたたえ、無慈悲とも思えるほどの透徹した厳しさを持った色なのだが、それとは全く趣の異なる、もっと柔らかい、より人間の体温に近い、生活の匂いすらも感じられる、そんな人間くさい濃厚な川というイメージがある。その感覚の膨らみ方が、一か零かを迫るようなライン川とは違い、川に、そして街に、無秩序ではありながらも止める事の出来ないようなニュアンスの豊かさを生んでいるのだろう。

水筒の水を少し飲んで川を上り下りする貨物船を眺める。少し汚れたフランス国旗をはためたかした小さな船でライン川を行き来する大型の多国籍の貨物船とはサイズが違うが、それでもキャビンの屋根には船長の持ち物なのか車が一台乗っかっているのはライン川の貨物船と同様だった。ぽちゃぽちゃと波打つ土手は桟橋のようになっておりそこにはバケツを傍らに小父さんが暇そうに釣竿を手にしていた。バケツの周りには釣った魚が跳ね上げたのか水がコンクリートの岸壁に黒いシミをいくつも作っていた。

(セーヌ川に出た。小さな船がゆっくりと
川を遡っていく。)
(サンジェルマンの森には
晩夏の匂いが漂っていた)
(サンジェルマン・アン・レー
の城に到着した)

ここで東西に流れるセーヌ川を南に向け横切ってサンジェルマンの森に向けて走ることになる。自転車・歩行者の専用の橋でセーヌ川を渡る。渡りきると相変わらず整備のされていない広い土手で夏草が茂る中を分けて先に進む。高架橋でハイウェイを横断すると左手前方にサンジェルマンの森を見て広い風景が広がった。 まるで北海道のようなその風景に単純に感動する。しばらく無心に漕いでいくとAcheresの街でSNCFの駅があった。日差しは強烈で左手にはサンジェルマンの濃い緑色が近づき、草いきれとともに角のとれた空気の匂いがする。もう何年か接していない、日本の夏の終わりのごろに感じる匂いと同じその香りが、妙に郷愁を感じさせた。晩夏の持つ匂いがフランスでも日本でも同じと言うのは意外だった。強い生命力を感じさせていた日差しにやや翳りが出はじめ、その分空気の透明度が増し光と風景が自由気ままに踊りだしてくるのが晩夏であり、その感覚の移ろいには去り行くものへの寂寥感もある。晩夏の匂いが寂しさの匂いとすれば、日本ほどではないにせよ季節の移ろいがあるここフランスでも同じ匂いがするのは当然なのだろう。

地図に従い小さな教会を左折した。これがサンジェルマンの森の中にまっすぐに伸びていく道だろう。住宅地を抜けSNCFの下を潜り抜けるとすぐに森の中に入った。時折車が通るだけの静かな森だ。車道ではなくこんな森の中の小道をゆっくりと走るのも悪くなさそうだ。小さな広場に出たらちょうどそこは夏の間は移動遊園地だったのだろう、トラックが何台も着て遊園地の遊具を分解しているところだった。どうりで広場のゴミはすごいが、ここフランスにもドイツ同様に結構な規模の移動遊園地が出ているとは知らなかった。

大きな道と交差するとあとは一直線で、その先に数ヶ月前に自宅から走ってきたサンジェルマン・アン・レーの城が建っているのが遠望できた。今日のサイクリングも、あそこで終点だ。あとはゆくっりとサンジェルマン・アン・レーの街からRERに乗り自宅に帰るだけとなった。

先の見えた行程を、ゆっくりとペダルを踏みながら走っていく・・。

木組み家や石造りの街、整然とした森の続くドイツの街を走っていると、その風景にも、その風にも、その匂いにも、そこにはやはり厳格なポリフォニーの音楽であるバッハ、あるいはそこに濃密なロマンの香りを加えたブラームス、あるいはポリフォニーと森の持つ原始性を備えたブルックナー・・それらの音楽がいかにもその風景に溶け込んで聞こえてくる。一方このフランスでは、むせるほど濃いこの緑と花そして白く褪せた家並みに彩られた風景からはやはり、確かに、時に濃く時に淡い色彩に溢れた、自由で甘い旋律を伴ったフォーレのようなホモフォニックな旋律が感じられるのは面白かった。重層的に揺るぎなく構築されその積み重ねが無限の小宇宙を作り上げるポリフォニーな対位法の音楽の持つ世界に惹かれてヨーロッパを意識した自分にとって、やはりその風景にも厳密さと明確さ、その中に時に漂う濃いロマンティックさを感じさせるドイツが感性にぴたりと調和する。しかし、その対極ともいえるフランスの、自由気ままな鮮やかさと起伏にとんだ旋律に彩られたフランスの街の風景は、これはこれで悪くない。それは何も印象派の街・ポントワーズを走ったから感じたのではなく、フランスに来て時が経つにつれ何となくおぼろげに気づいたのだ。初めはただドイツと比べなんと雑然としたところだろうと思っただけなのだが、時間の経過と供にようやく何となくおぼろげに気づいたのだ。

自分のテーマとしていたライン川を巡るサイクリングも、その中流のリュ−デスハイムから海の近いオランダ国境までを走りきった今となっては、これ以上のドイツでのサイクリングに対してのこだわりも目下のところは見つからない。勿論憧れの地・ドイツを走る事が出来れば身も心も楽しいが、これからはやはり自分の住んでいる国を少しでも走ってみよう・・・。フォーレを、ラヴェルを、ドビュッシーを、これからはもう少し聴いてみよう。どれも殆ど聞いた事はないし、聞かないと何も始まらないのだから。きっとそう、それは決して、悪くはないはずだ。

家を出てから昼の時間も過ぎ、水筒の水以外何も口にしていなかった。サンジェルマン・アン・レ-の街中のカフェによりペリエとクロワッサンで間食をする。ドイツに比べフランスの水は炭酸が弱くて今ひとつだがさすがにクロワッサンもバゲットもフランスは美味しい。食べることにかけては全く楽しい。いつの間にかこの地でも色々な楽しみ方を見つけかけていた自分に、こうして改めて気づくのであった。

(走行距離42km)
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