音楽の漂う風景へ −モンフォール・ラモリ、イル・ド・フランスを巡るサイクルツーリング

 (2007年9月、10月)


モンフォール・ラモリ。作曲家モーリス・ラヴェルがその晩年を過ごした事で知られるパリ西郊の小さな村だが、WEBサイトで見るその村の風景は緑にあふれ、それはあたかも色彩感ゆたかなフランス音楽がそのまま風景になったような美しい村である。場所的にもパリから遠くなく、イル・ド・フランスを巡るサイクリングのテーマにするにはいかにも相応しい場所だろうと以前から目鼻をつけていた。幸いにすでに自宅からサイクリングで走りつないでいるサンカンタン・イヴリーヌの町(子供たちの通う日本人学校の在るパリ西部・ヴェルサイユ近郊のベッドタウン)からはせいぜい20Km 程度ではないだろうか。とある土曜日に子供たちの学校で学校祭があるためサンカンタン・イヴリーヌに行くことになった。空いている時間を縫って往復できない距離ではあるまい。

モンフォール・ラモリへは久々にMTBで走ってみようと考えた。車齢15年以上のおんぼろMTBもRhein号を手に入れてからは買い物に使う程度である。太いタイヤで乗り心地も柔らかいしなかなか捨てがたいバイクでたまにはサイクリングに使ってあげたい。

車のトランクにMTBを積み込む。11時半、学校祭での見るべき出し物が済んでから車に戻り、MTBで走り始めた。空き時間は15時まで、3時間半程度。往復40km程度を行って帰ってくるには問題ないだろう。

(久々のMTB。太いタイヤのお陰
か乗り易い。爆撃機追悼碑にて)
(レトロなステンレスカーが
やってきた。中はクロスシート)

しばらくはSNCF(フランス国鉄)に沿って車道を走る。倉庫街や工業団地を行く面白みの無い道だ。新興集落には決まって円形の水道タンクの塔があり一昔前の日本の団地で見かけるものと同じ風景だ。この手の集合住宅による新しい街の風景は日本のそれに近くヨーロッパらしさを感じさせない。住んでみて感じるがパリは別として郊外の新興都市の風景は非常に無個性で魅力に乏しい。逆に森の中や広大な畑の名から思い出したように現れる名も無いような古い町はやはり歴史の重みと素朴さを感じさせる。新しい街と古くからの街とのギャップが大きいのだ。

1時間弱走ってMaurepasの街。この街の西から森があり目指すモンフォール・ラモリはその森の西奥に位置する。SNCFの駅がありそれを反対側に超えるとすぐに高速道路となる。陸橋で渡りまたまた無個性な新興住宅地を走り出す。幹線沿いにマクドナルドが建ちここがフランスであるという感は全くわかない。走り出してもう1時間以上たつが地図を見るとまだ目的地までの半分も行っていない。地図を正確に測ったわけでもなく、片道20kmというのはやや大雑把過ぎたかもしれない。ちょっと無理かな、と危惧しながらペダルを踏む。時折現れる石畳も、スリックではあるが太いタイヤのおかげで難なく走行できる。半ばガタついているこの古いGIANTのクロモリMTBはサスペンションは無いがボヨーンとした独特の乗り心地で、28Cの細めのタイヤを履いた上に同じクロモリでも硬めのフレームを持った700Cサイクリング車「Rhein号」よりも不整地での乗り心地は良い。ただし乗車姿勢のフレキシビリティは無く、案の定腰が痛くなってきた。ドロップハンドルの「Rhein号」では感じない苦痛でもある。

まだまだ全体行程の1/4、時間的にどうも途中で切り上げる必要がありそうだな、と考えながら走っていると学校に居る家内から電話が入った。ちょっとしたスケジュールの誤解があり出来るだけ早く学校に戻ってきてほしいとの由。見切りをつけるのにはちょうど良かった。ちょうど新興住宅街の走行を追えこれから麦畑と森を縫っての走行が始まる地点まで差し掛かかり、ここからが今回のツーリングの醍醐味でありそうな風景の展開が期待できるところだが、今日はいったんここで終了しよう。

大きなポプラ並木が連なる森へのプロムナードの前で方向転換。森の入り口には飛行機をかたどった石碑があり、よく見ると1944年7月26日にこの地点に墜落した連合軍爆撃機の追悼碑であった。7名のクルーの名が刻まれている。部隊名は書かれていないが石碑にかたどられた航空機は米陸軍のB-17であろう。ドイツ軍の高射砲にやられたのか戦闘機に撃墜されたか。パリ開放が同年8月25日で、わずか1ヶ月前の出来事だ。他国の兵士でも故国解放の為に働いた恩人と言うことだろう。そんな石碑にここがやはりヨーロッパであったことを改めて感じさせてくれる光景でもあった。

La Verriereの駅まで戻り日本人学校の在るサンカンタン・イヴリーヌまでSNCF(フランス国鉄)のお世話になる。やってきた車両は前面二枚窓にコルゲート板で側面補強をしたステンレス製の老朽化した電車で、学生時代に乗っていた井の頭線の3000系、はたまた東急の「湯たんぽ」5200系を思わず思い出してしまった。こんな車両にせよ自転車がそのまま持ち込めることはありがたい。

(走行距離19km)

* * * *

2週間後の日曜日に、再び出かける。乗り心地は悪くないが僅かな時間の乗車でも腰痛を感じるMTBはやはり近場の足代わりとして活躍してもらおう。サイクリングにはやはり700C車だろう。「Rhein号」を車に積む。前輪を外すだけで後部座席に収まってくれた。

前回の爆撃機追悼碑のそばに駐車して、走り始める。麦畑に沿ってまっすぐな道だ。やがて道は緩やかに北方にカーブしていく。時折追い抜いていく車が怖いがたんたんと路側帯を走るのみだ。これがドイツだと、サイクリング用のゾーンがきちんと確保されており安心して走れるのだが、同じ事をこの国に求めても仕方が無い。たまにサイクリング用のゾーンが現れてもせいぜい5分も走れば消滅してしまう。ドイツのように何事も徹底的に継続する事はないのだ。物事に継続性が無く行き当たりばったりなのがフランスだ。それを「適当だ」ではなく「柔軟だ」と捉えることが出来るようになればフランス生活も快適なものになろう。

(Maurepasの教会の近く
から出発した)
(農地の奥に森が見える。漕いで進むための
道が目の前に伸びている。)
(名もない小さな集落、音
もない日曜日の午後。)
(モンフォール・ラモリまではこの道を真っ直ぐ
だ。Le Tremblay s Mauldre にて)

森の脇を抜けると広大な畑の中の一本道となった。しばらく走ると林が近づき、抜けると前方の風景に切込みが入り、進む道がその切り込みに向けて緩やかに下っていくのが見えた。平原と思っていたが思ったより起伏のある地形なのだ。深い姿勢でドロップハンドルを握りながらリアタイヤのブレーキングに強弱をつけて降りていく。下り坂をかっ飛ばして走るサイクリストを良く見るが、自分の自転車のクセすらつかみきれていない自分にはとてもあんな風にはできない。ヘルメットを被ってはいるが自転車用のそれはバイク用と違い軽い分だけ簡素で、いかにも頼りなく転倒の際に役立つのだろうか、とふと思ったりもする。その昔バイクで車道の浮き砂にタイヤを取られて転倒したことがあるがその際にはヘルメットの側面・こめかみのあたりに深い傷が残った。バイク用フルフェイスヘルメットだからそれで済んだが、自転車のヘルメットで同じ状況になったら一体どうなる事か、そう考えるとやはりスピードを出す事が出来なかった。

平地になると鼓動が収まり再び軽快な気分での走行だ。風景もよく目に入ってくる。浅い谷の中を走る道は左右に緑豊かな丘陵が迫る。古びた農家が点在しているその様はさながらそのままでフランス印象派絵画の世界になりそうだ。ドイツの風景のように秩序よく整理された緑や集落ではないが、その雑然さが却って生命感に溢れた印象を与えてくれる。

緩やかにカーブを描くその先に小さな教会が立っていてその前が小さなT字路になっていた。その奥行きのある風景は全く夢のようなプロムナードでもある。Le Tremblay s Mauldre の集落なのだ。交差点の右端に木組みのレストラン兼ホテルが建っている。木組みとはドイツを彷彿とさせて嬉しくなってしまう。

地図を取り出すがこのT字路を西に向かうのが目指すモンフォール・ラモリへの道だ。やや進むと村にある唯一と思われる雑貨屋が日曜日だというのに開いていた。店に入るとピンポーンと不在チャイムがなり奥から眠そうな女主人が出てきた。店内の商品構成といいややかび臭い匂いといい、全く日本の山村や農村にある”何でも売っている”農協ストアと同じノリなのがなぜか不思議であった。行動食のチョコレートと炭酸水を仕入れて先へ進む。モンフォール・ラモリを示す陶器の看板が埋め込まれた石の道標が立っている。なかなかレトロで良い感じだ。

緑に満ちた雰囲気のある緩やかな上り坂を走っていくと再び台地の上に登り出て、一面緑の広い光景が我が眼中に広がった。全く飽きる事のない素晴らしい道なのだ。

小さな峠のようなピークを超えると「Jean Monnetの家はこちら」と書かれた標識が立っている。Jean Monnetとは誰だか知らないが片道1.5kmとあるので行ってみる。森の裾を回りこむように走っていく。緑豊かな山裾に建つ家で、帰宅後調べるとJean Monnetとは 戦後フランスの復興・近代化に貢献したとの事で、EUの概念を作った人物、とある。印象派の芸術家か?などと勝手に想像していたのは恥ずかしながら間違えだった。

(ラヴェルの家の垣根の奥には豊かな
風景が広がっていた。それはラヴェルの
音楽を感じさせる森だった。)

再び戻り、少し下り幹線路を横切るとのんびりとした麦畑の中を行く道で前方で緩やかに左手にカーブしているのが見える。もう目指すモンフォール・ラモリはすぐそばのはずだ。

左手カーブをこなすともはやそこは目的地のモンフォール・ラモリだった。集落の中まで走りこまずに左手の南方向にゆるい下り坂を降りる。教会を右上に見るあたりで地図を広げる。

目指すのラヴェルの家は何処だろう。日曜日と言う事もありひと気の少ない集落の中を走ってみる。緩やかな丘陵が背後に控えその上に教会の塔が高い。その教会へ向け石畳の坂道と古い家並みが連なっているが、角の落ちた石畳といい煤けた建物といい、音もなく静かなその気配に思わず感じ入ってしまう。中世ヨーロッパそのものがここにある・・・・時が止まったかのような村だ。

たまたま通りかかった村の人にラヴェルの家のありかを尋ねる。こちらがカタコトながらもフランス語で尋ねたのが悪かったのだろう、当然ながらフランス語で答えられて全くわからない。が、身振りからどうも教会の奥にあるようだ。礼を述べて教会へ向けて坂道を登っていくとそこには観光案内所があった。さすがにスタッフは英語をしゃべってくれホッとする。教会前の道を進み左に折れて道なり、と教わる。

左折して緩い上りを100mも進むと、目の前にラヴェルの家が建っていた。プレートが貼られてており1921年から1937年まで住んでいたとある。まさに晩年から没するまで居た事になる。家の中は記念館になっており、時間を区切って管理人が少人数を案内する仕組みになっているのは知っていたが、今回は特段中を見ようとは思っていなかった。ラヴェルの作品にもラヴェル自身にもほとんど知識は無いこともあってか、むしろ興味はラヴェルが好んだと言う村の空気や風景を味わう事にあって、個人的には音楽の漂うがごとく美しい田園の風情を体感できればそれで良かったからだった。

家の垣根の向こうに、谷を隔てて広く豊かな風景が広がっているのに目が行った。緑の斜面に広葉樹が気ままにぽつんぽつんと点在し、その背面ではやがて点在する木々が集まり森をなしている。絵に描いたような美しい風景だ。その風景をとりかこむ空気すら角がなく丸く、まるでもくもく湧き上がる雲のような立体感を感じさせる。ドイツの森や旧い町でいつも感じるように、「音楽と風景が結びつく」、そんな幸せがやはりここにも在った。ドイツの森を見れば厳格で立体感がありロマンに溢れるドイツ音楽の旋律が浮かび上がるように、奔放で色彩感豊かなラヴェルの音楽はやはりこんなに濃厚で温かみもある自然の中から生まれた旋律・響きなのだろう。

目をつぶり「古風なメヌエット」の冒頭の旋律を思い出してみる。作曲年度は違うとはいえ、そう、そこからはやはり緩い起伏の続く畑に点在する森、白い農家の建物・・・そんな今まさに自分を取り囲むばかりの田園風景が浮かんでくるのだった。音楽と風景を味わう。実際の音楽を聴くこともなく、風景の中からそれを感じ取ることができるだ・・・。ヨーロッパはやはり素晴らしい。

村の持つ雰囲気に満足して愛らしいこの集落を後にする。来た道をそのまま戻るのも面白くないので Les Mesnuls の集落を経由してそのまま南下して Les Essarts le Roi の集落を目指す。ここまで出れば後は幹線道を5km程度北東に進めば車を停めた起点の街、Maurepas に戻れるだろう。

Les Mesnuls からは緩い登りが暫く続きやや疲れた足には堪える。ギアを落して登りきると広大な森の中に続く道で相変わらず素晴らしい。「野生動物注意」の看板が立っている。時折すれ違い、また追い抜いていく車がいる以外は森閑とした森の中の道にカチャッ・カチャッというラチェット音が聞こえるだけだ。手にしたミシュランの10万分の1図にすればわずかな距離だが随分と長く感じられた6kmが過ぎて森を抜けるともう一面広大な農地が広がっているだけで、そんな風景の展開の中を走る事はなんと素晴らしいのだろう。

真っ直ぐ走り Les Essarts le Roi の集落に出て、あとは幹線路の路側帯をゆっくり走り車に戻るだけだった。

実際の音楽を耳にすることもなかったのに、自分の頭の中にはいくつもの旋律が浮かんでは消えていった。風景を見ながら音楽を感じることのできたサイクルツーリングだった。

(走行距離38km)
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* * * *

追記:このツーリングの数週間も経たないうちに、フランス国立管弦楽団の定期演奏会ででラヴェルを聴く機会があった。客演指揮者・小澤征爾による「亡き王女のためのパヴァーヌ」、それにベルリオーズの「幻想交響曲」というフランス音楽漬けのプログラム。しかしながら、当然の事だろうが、フランスのオケによるフランスの音楽は素晴らしかった。「亡き王女のためのパヴァーヌ」の冒頭のホルンからして、はっとするような柔らかさに満ちており、数週間前に訪れたばかりのモンフォール・ラモリの森の風景がゆっくりと頭の中に広がっていく。ハープの伴奏を伴って主題部が再提示される終盤では、いつの間にか身も心もパリから離れ、長閑で美しいあの村へ、あの森へと、すっかり旅している自分に気づくのであった。


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