オランダ国境を目指し低地ラインを行く - ライン川を巡るサイクルツーリング (2007/8/14、15)


Dusseldorfを起点に南はRudesheimまで北はKrefeldまで自転車で走りつないだが、地図を見ているうちになんとかこのままライン川を下流へ向け自転車旅の軌跡を更に伸ばしてオランダ国境まで行けないか、という考えが浮かんだ。ライン川沿いのオランダとの国境の位置する街、EmmerichまではKrefeldから約80Km、ライン川下流の平坦地ゆえ脚に自信の無い自分ではあるが一日で走れない距離ではないだろう。

夏休み。家族でデュッセルドルフへ、そしてルクセンブルグへ遊びに行く計画を立てた。これをしっかり利用して、車に700Cサイクリング車「Rhein(ライン)号」を載せていく。パリからデュッセルドルフまでは500km。距離は長いがさほど苦にならないドライブでもある。Dusseldorf HBf(デュッセルドルフ中央駅)からまずは自分の軌跡の最北端である Krefeld Hbf (クレフェルト中央駅)まで30分ほど列車に揺られる事になる。ホームに入線してきたのは流線型デザインのディーゼルカーで、一体ディーゼルカーに乗るのは何時ぶりだろうか。えらく久しぶりであるがガラガラというアイドリング音はまさにディーゼルカーの持ち味そのもの。だが走り出すと室内は意外なほど静かで振動も皆無。子供のころ郷里の四国で散々乗ったキハ58やキハ20の比ではない。自分が乗っている車も同様、ヨーロッパではディーゼルエンジンは低公害、低燃費のエコロジーなエンジンとして定着しているが電車と比べても全く遜色の無い乗り物となっていた。

久しぶりのKrefeld中央駅。トラムの走る目抜き通りに沿って北に向けて走り出す。ドイツではポピュラーなデパートであるKaufhofがこんな街にもある。相変わらずの少し野暮ったいショウウィンドウがいかにもドイツらしくて微笑ましい。10分も走ると市街地を抜け出してしまった。今日は距離を自分にしては稼ぐ覚悟をしているので余り止まる事もなく地図を確認する以外はただただ走るように心がける。自転車の為に主要な道にはしっかり色分けされた自転車レーンが続いている。レーンは車道の端に来ることもあれば一段上がった幅広な歩道の端に来ることもある。いずれにせよ路上駐車する自動車や歩道を歩く歩行者からはしっかり占有スペースが確保されており、かつ彼らから侵犯されることもないので自転車にとってはこの上ない走行環境になっている。自分の住むパリでは、それでも最近は自転車レーンを増やしつつあるがとてもこうはいかない。歩行者や路上駐車が侵犯する事も多々あり、もちろん国民性もあろうがそもそもドイツの都市とは人口密度も違う以上同じ土俵で話す事は無理なのかもしれない。

Niederrhein(低地ライン)という地方名が示すようにライン川も下流域にあたるこのエリアまで来ると頻繁に大きく蛇行をするので真面目に川に沿って走っては走行距離が伸び一日で走る事はできない。よって目的地Emmerichへの最短に近いコースを選ぶ。必然的に幹線路に沿って走る事になり自転車旅としての面白みは半減するが、今回のルートはEmmerichそしてオランダ国境まで行く事にあり、効率的なルート選びは割り切るしかない。

(今回の旅は流線型
ディーゼルカーで。
クレフェルト中央駅)
(Rheinbergの街は小さいながらも
雰囲気の良い街だった)
(風力発電の巨大なプロペラはドイツ
にはおなじみの光景だ)
(Xantenを過ぎてライン川の土手を走る。
このあたりからペースは落ちてきた。)

Moresの街を抜ける。次の目標はRheinbergの街。手にしている地図はKompass社の発行している自転車・ハイキング地図だが縮尺5万分の1なので道の分岐などはかなり克明に記されており自転車旅には持って来いだろう。難点は50Km以上も走ろうとすると地図が一枚では収まらなくなる事だが、一方縮尺10万分の1になると地図の表現がやや曖昧になり市街地走行で気を使う事になる。自分の山歩きには5万分の1図ではなく2万5千分の1地形図が必要なように、自転車旅には10万分の1図より5万分の1ロードマップがより好ましいように思える。

読図も快調で思ったとおりの方向に順調に進んでいる。もっとも散発的に現れる集落以外はほとんど一本道なので迷いようも無いのだが。気に入った風景があれば簡単に自転車を降りて写真をとるのが常の自分のサイクルツーリングであるが今回はそんな事もほとんど無い。気が焦っているから風景が頭の中に入ってこないのかもしれない。

Rheinbergの街は小さいが昔ながらの街道町という感じが色濃く残る街だった。立派な教会の前は小さいながらもマルクト広場のようになっておりオープンカフェも出ている。久しぶりに自転車を停めた。ここまで約40kmだから行程としてはまもなく半分というところだろうか。喉がからからだったが生ぬるくなっている自転車につけたボトルの水に手を出す気がしない。新聞スタンドででよく冷えた炭酸水を買う。やはりチョイスはゲロルスタイナーしかないだろう。この強烈に喉を焼く刺激がたまらなく美味い。銘柄にもよるが一般にドイツの炭酸水のガスはかなり強くこれに飲みなれていると他国の銘柄の水では到底我慢が出来ない。ゲロルスタイナーはそんなドイツの水のブランド中でも間違いなく一番美味しいだろう。このきつさと硬さ。フランスのバドワやペリエなどもドイツの水の前には気の抜けた生ぬるい炭酸でしかない。デュッセルドルフからパリに引っ越して以来我が家も不味い炭酸水に辟易しているのだが、そもそも炭酸水を飲む習慣の無い日本にいずれ帰国したら、自分達はどうなるのだろう・・・。

美味い水でリフレッシュされ、再び走り出す。ここからXantenの手前までは幹線路57号線を走ることになる。約13kmにも及ぶ長い直線道だ。これっぽちのカーブもない、定規で引いたような直線路が広大な畑の中ただひたすら北西に向け伸びていく。自転車道が確保されているので走行は快適この上ない。Weselの街への分岐を右手に分ける。広大な畑の中の一本道で風が強いのだろう、ドイツ定番の風景ともいえる風力発電機が林立している。幸いにして向かい風ではないようで余りペースを落とす事も無く走れる。走行距離50Km、右手からライン川の潟が近づいてきた。地図を見ると蛇行するライン川から発生した入り江や潟、枝流がこのあたりに無数に存在しているのがわかる。まさに低地ラインの面目躍如である。

さしもの長い直線路も終わりに近づき、ここでライン川の一片と遭遇した。Xantenの街に入ったのだ。腹が減ったので行動食のチョコレートワッフルを口にする。自転車から降りると脚が重いのに気がついた。疲れが少しずつ溜まってきたようだ。まだ残りが長くややうんざりする。道は悪くないが時折現れる信号では交差点に車も見当たらないにもかかわらずどの歩行者もきちんと信号が変わるのを待っている。ルールはルール。如何にもドイツらしい律儀さなのだ。しかしこう疲れてくると自転車のペースを乱すのが嫌で、信号なぞ一切無視するフランスの歩行者の「お行儀」が本当にありがたくも感じられてくる。ドイツとフランスはなかなか対極的で面白い。

今日のゴール、エメリッヒにはNieder Mormterにてライン川を渡りReesの街にでるのが良かろうと考える。そこでNieder Mormterに至るための最短路を探るとやや小さな集落の込み入った道を抜けていくのがよいように思えた。しかもそれはライン川に沿った道でもある。これまでただ走るだけだったので景観も少しは楽しみたい。そう思いハンドルを右に向けるととたんに道は集落の中に入り込み、これが複雑で適当に走っているうちに現在地がおぼつかなくなってきた。勘を働かせて走ると行き止まりの入り江に出てしまい目指す道はその対岸でもある。また戻る。と今度は道路工事で道がふさがった。すっかりやる気をそがれて舌打ちをする。なんだかつまらないところで散々集落の道で迷った挙句に元の道を行く事になってしまった。結局無駄に30分以上を過ごしてしまったようで腹立たしい。今日は効率的に走る事を優先と決めたのに景観も楽しもうと下心を出した結果こうなってしまった。良いペースで来たのにケチがついてしまった。再び57号線を漕ぎ始める。

なにやら先ほどまでの勢いがすっかりなくなってしまった。脚の疲れが思ったより強くなってきてペダルを漕ぐのがかなり苦痛になってきた。走行距離は75km程度。この程度で駄目になるとは自分も情けない。先ほどの道迷いが思いのほか心にも体にもダメージを与えているようにも思える。

Nieder Mormterの集落。ここでライン川を渡るのだがすっかり脚が疲れており目の前に見えるあの高い橋を上って川を越えるのが非常に億劫に思えた。地図によるとこの先に渡し舟が運行しているようだ。せいぜい1,2ユーロで渡れる渡し舟はライン川にはそこら中にある。それを期待して先へ進む。

渡し舟の乗り場には人影も無かった。運行している気配も皆無だった。Reesの街はすぐそこに見えていると言うのにその手前にはその幅500mはあろうかという雄大なライン川がとうとうと流れているだけであった。どっと疲れがでた。急がば回れとは、本当によく言ったものだ。最初っから橋を目指せばよかったのだ。無茶苦茶気力が萎えてしまった。無駄になった距離はせいぜい3km程度だろうがここへ来ては無限の距離に思えてきた。再びワッフルを口にしてから半ば放心状態で漕ぎ出す。

陸橋には緩く長い登り坂が待っていた。半ば朦朧としながら上りきる。川幅もひたすら長い。歩行者・自転車の交通が少ないのか橋の歩道スペースの幅はせいぜい1mだろうか。手すりの高さは1.5m程度だろうから安全なのかもしれないが自転車に乗っている身には低く思えてくる。ハンドルを誤ると、危ない・・・そんな危機感がわいてくる。水面までゆうに50,60mはあろうかという橋の下をゆっくりとコンテナ船が遡っていく。慎重に渡りきって時計を見るともう18時が近い。ここでデュッセルドルフで友人と会っている家内に電話してみる。所要はまもなく済みせいぜい後30分でホテルに戻れるという。後は自分がホテルに戻り次第家族で何処かに夕メシを食べに行く、という状態でもある。ここからエメリッヒまで残りの距離は20km程度か。かたや時速20kmの速度が維持できない今の自分から考えて、19時半にエメリッヒに着けば上出来だろう。でもそもそも今日はエメリッヒを越えてからオランダ国境まで走るつもりだったのだ。エメリッヒからオランダ国境までを往復すれば更に15km程度が加算される。・・・とんでもない話だった。

走りながら考える。20kmに加え更に15kmは無理だろう。しかもデュッセルドルフに戻る列車も減ってくる。残念だがオランダ国境は割愛せざるを得ない。また次回デュッセルドルフに来た際に走るしかない。自転車で国境を越えるというロマンに憧れていたのだが、おあずけだ・・。

エメリッヒまでの一本道もただひたすら走るだけだった。走っても走っても残りの距離が減ってこない気がする。地図の1cmが500m。もう5kmは走っただろうに。気は焦るが全く進まないように思う。

道を行き交う車に、そういえばオランダナンバーの車が増えてきたように思う。もうそろそろだろうか。やがてようやく右手に小さな駅舎が見えてきた。国境の町・エメリッヒの駅だった。19:30。走行距離は99km。デュッセルドルフに戻る列車はあと18分後、ほっと一安心だ。自販機が壊れており冷たい飲み物が飲めないのが悔しい。頑張ったよ。もういいよ。今日は。もう、オランダ国境はいいよ・・・。とにかくここまでやってこれたのだから・・・・。水筒の水をゴクゴク飲み残りを頭にかけた。

ホームにはこの駅が始発のおなじみの2階建てのペンデルツークのケルン行きRE(中距離快速)が入線していた。線路はこの先更に北へ、アムステルダムへと続いておりこの次の駅はオランダになるのだが、ドイツの鈍行列車がそのままオランダ乗り入れることも、またその逆もない。ICE(新幹線)やEC(ユーロシティ)のみがこの線路を走り国境を越えてオランダに走っていくだけだ。まさにドイツの端、国境の駅に居ることになる。自転車指定車両に乗り込んで腰を下ろすとほっとして動く気もわいてこなかった。

*****

帰路の車中で考えた。諦めをつけてみたもののやはりどうにも悔しい。国境まで走れなかったことがくやしくて仕方が無い。明日の予定は家族でモーゼル川上流のルクセンブルグとの国境の町・トリアーの観光があるだけだ。そう、トリアーは小さな街なので数時間でいいだろう。むしろこの残された国境までの往復あと15kmを走らないととても気がすまない。トリアーには反対方向になるが、朝、もう一度デュッセルからここまで走りに来よう。それからトリアーに行けばいいさ・・・。そう考えデュッセルドルフまで1時間15分、電車に揺られた。

翌日はのんびり朝寝坊の家族の尻を叩いてチェックアウトを急かす。昨日の内に家内には今日の行程の「許し」を得ており、車はアウトバーンを北にひたすら走る。なんと言うか、我ながら無茶苦茶な「暴君」とも思えるが、まぁ車の運転は自分がしているのだから許してもらいたい・・・。デュースブルグ、オーバーハウゼンなどのルールの主要都市を抜けてアウトバーンをノンストップで飛ばしていく。1時間以上走るがエメリッヒへはまだ着かない。昨日はほぼこの距離を自転車で走った訳で、我ながら快挙だと感心してしまう。

ようやく出たEmmerichの看板に従いアウトバーンを下りて昨日のゴール・エメリッヒ駅へ。自転車を組み立てて再び走り始める。時間が惜しくて後輪の泥除けを装着せずに組み上げる。わずか数分をせいてどうなるのだろう・・それでも焦ってしまう。家族には申し訳ないが30分、いや一時間だろうか、ここで待っていて貰うしかないだろうから・・・、本当に、申し訳ない。

(国境の駅。Emmeich) (この道の向かって右がオランダ、左が
ドイツ。国境といっても「気負い」はない。)
(国境にて。オランダ側から
からドイツ方面を眺める。)

昨日の名残か手足が痛かった。サドルに触れるお尻の骨も痛い。昨日は通らなかったエメリッヒの街を抜けて走る。マルクト広場に教会。どこにでもあるドイツの街がここにもある。街を抜けライン川の土手へ向かう。羊が放牧されている土手の道を走る。羊に混じって牛もいる。野放しに放牧されているので糞が路のそこら中に落ちており避けて走るのが困難だ。家族を待たせている手前もあり気が焦りバシバシ糞を踏んで走る。後輪から糞の跳ね上げもあるかもしれない。やはり泥除けはサイクリング車に欠かせないが、今日のところ後悔先に立たず。

しばらく走り牛の柵を抜けるとベンチがあった。小さな男の子を連れたお母さんがそこでのんびりと牛乳を飲んでいた。もしかしてもうここはオランダかな?と期待して話しかけるとまだここはドイツとの由。国境はまだか、と聞いてみる。国境まではあとわずか。でもそこには特に何も無いよ・・。

追われるように漕ぐ。さっきのお母さんの話だと国境には車道が通っていると言う。とまもなく車道が見えてきた。間違えなく、国境だろう。白地に赤の見慣れたドイツの語のライン川の遊歩道看板が、この道を境に黒字に白の看板に変わっている。書かれている地名も、ドイツ語のものではなかった。

国境だ!ついに来た。自転車で国境を越えるのは初めての経験だ。徒歩であるいは自転車で国境を越える、島国に住む日本人には縁のない事象でもある。あっけなかった。本当にあっけなかった。国境といっても、何の気負いもなかった。風景はただ途切れることなく続いているだけで、すべてが「連続して」いた。

それでも嬉しくて何度も行ったりきたりする。道にはオランダナンバーの車が行き来している。この国境に特別な感慨を持つ人も居ないのだろう。ごく当たり前の人々の生活が、ごく普通のドイツ人とオランダ人の生活が、そこにあるだけだった。記念に小さな石を一つ拾って、エメリッヒの街に戻ることにする。目の前のライン川は、一体それがドイツにあろうがオランダにあろうが何の変化もなく、ただひたすら悠然と流れているだけであった。

*****

デュッセルドルフで住んでいた我が家のすぐ裏手に流れていたライン川。悠々としその存在感の大きさたるや髄一の存在。古くからその周りに街を栄えせしめその周りに森を茂らせしめてきた、そんな大河。自分の中でライン川はドイツであり、ライン川の作る風景こそがヨーロッパである、そんな思いと憧れがつきなかった。以来ライン川に沿ってサイクリングすることをテーマとしてきた。こうして今日ここまで走ってきたオランダ国境の町エメリッヒから、南はヘッセンのリューデスハイムまで、300kmはあろうか。その区間をライン川により沿って自転車で走りきったと言う満足感が心の中に大きい。

テーマとしてまだまだライン川にこだわることは出来るだろう。ライン川はこのまま北上しオランダはロッテルダムで北海に流れ出る。正味2日もあれば走りきれる行程だろう。また南へ向けばリューデスハイムから南下し隣町のマインツでマイン川を分けマンハイムへ、そして更にはスイスはバーゼル、さらに東へスイス奥部へ。マンハイムからバーゼルの中流域は自分の住むパリからでも行動視野に入れることは出来よう。しかし、心の中で、とりあえずはライン川の旅も一旦はいいかな、という思いがわいてきた。ライン川こそ我が憧れ、ライン川こそヨーロッパであると言う、そんな気持ちにはいささかの翳りもないのだが、まだまだ他にも沢山のヨーロッパがあるのは紛れもない事実なのだから。

とりあえず拘ってきた「ライン川を巡るサイクルツーリング」シリーズも一旦ここで終了することにしよう。地元フランスを走るも良い、オランダやベルギーの旅と言うテーマもありそうだ。次の計画を練るのもそれはまた楽しいことだろう。 エメリッヒ駅に戻りここまでライン川を供に走った愛車「Rhein号」を分解、トランクに収納する。さぁ「Rhein号」で次にライン川を見ながら走るのは一体何時になる事だろうか。そんな日までには自分も「Rhein号」とともにもっと更にいろいろなところをきっと走っていることであろう。

トリアーに向けハンドルを向けアウトバーンを再び南下していく。トリアーは、コブレンツでライン川から袂を分かちルクセンブルグからフランスへ遡るライン川の支流でもあるモーゼル川、そのモーゼルの流れに栄えたドイツ最古の街と言われている。そのコブレンツも「Rhein号」とともに走っている。最初は点であった自分の足跡もいつしか短いながらも線になっている。こうして自転車旅が出来、その足跡の線が伸びていくということは、やはりとても嬉しいことだった。

さぁトリアーでは名産のモーゼルワインでも楽しもう。そしてライン川に杯をあげよう。ラインの旅を満喫したと言う満足感がよりワインの味を引き立ててくれるに違いないだろう・・・。

(終わり。走行距離 初日100km、二日目17km)

(追記: 帰宅後調べてみるとXantenは古代ローマの名残を残す古い街との事。第二次世界大戦の空襲で破壊され戦後復興された町とはいえ、そうと知らずにただ通り過ぎてしまったのは如何にももったいなかった。どうせ低地ラインには見所もあるまいと余り調べることもなく走ったのはやはり後悔。何事もやはりよく調べていくべきであろう、と反省。)


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