旧友と登った岩手山 

 2019年7月27日28日、岩手県滝沢市 


学生時代の友人と岩手山(2038m)に登ってきました。18歳の春、初めての独り住まいとこれから始まる大学生活に向けて不安と希望に溢れていた、そんな中、入居したアパートの隣室に同じく新入生として入ってきた男が、その友人です。4年間と言う時間は短いもので、あっという間にそれぞれの進路が決まります。自分は東京、彼は地元・宮城にUターン就職しました。お互いの結婚式に出席したり、自分が東北にバイクツーリングに行った際に再会したり、また、友人が機会があっての上京の際に会ったりとはしましたが、やはり距離の前には会う機会は減るものです。2年前に家内との八幡平旅行の帰路に仙台に立ち寄り久々に再会し、その際に彼が最近山登りを始めたと知り、それではゆっくりとした出会いも兼ねて、との岩手山山行でした。

僅かに4年間とはいえ青春の時間を共にすごした仲間とは、気兼ねなくその当時の呼び名ですぐに呼び合えますね。彼も白髪が増え、自分も腹がでて髪の毛も薄くなった。お互いの子供もすでに巣立って世の中に出た。二人とも正規従業員としての会社生活もあと数年で終わるだろう。そんな時にこうして、何か気付けばいろいろやり終えてきたね、でもまだこの先何十年もある。どう過ごそうか、などと、ゆっくり話が出来たのは嬉しいことでした。

岩手山はその東半分は綺麗な円錐形で南部富士と呼ばれます。この見事な裾の広さは30万年の時間の中での噴火活動を継続することによって、円錐状の山体を作り上げたと言います。そんな気の遠くなるような時間で出来上がった山からみれば、こんな二人の話は一体どう映ったのでしょう? 無事下山し下から見上げる岩手山の威容を前に、まだまだ自分達の可能性も時間はあるな、それを楽しく輝かしいものにするのも自分達次第だな、と感じたのでした。

* * * *

夜行バスで盛岡へ。新宿バスタは初めて使ったが大きくて八重洲口のような混雑も無く利用しやすい。4人掛シートであったが問題なく眠れる。ぐっすり眠りまだ6時前の盛岡駅に着いた。早朝とはいえ7月末。盛岡もなかなか暑い。同じくバスを降りた山姿は自分を入れて4名。内2人は夫婦連れで、八幡平は昨年登っており今日は岩手山ピストン、明日は早池峰山、と岩手にある百名山を総ざらいするとのこと。駅前の牛丼屋で朝食を取り仙台から車を運転してくる友人・K君を待つ。8時前に合流。今回のブランクは2年振りなので久々と言う気もしない。

岩手山のルートは色々ありどれも日帰りにはやや手が余るほど所要時間は長いが、最も一般的に歩かれていると言う柳沢ルートを取る。登山口の馬返しは海抜630m、岩手山山頂は2038m、標高差1400m。尤も急ぐ必要も無く、むしろ旧交を温めたい自分たちは今日は途中の八合目避難小屋(海抜1770m)で泊まる予定だ。岩手山は盛岡市方面から見る向かって右手の斜面は富士山のように優美な成層火山の態をなしているが、そこをひたすら登るルートとなる。

9:50、登り始める。始めこそ緩い傾斜だが一合目の小さな広場を過ぎてからは一気の登りとなってこれが八合目の避難小屋まで変わらずに続いた。三合目で11:30、ここで新道・旧道に分かれるが、登りやすいと言う新道を選ぶ。登り始めこそブナの林だったが、やがて林相もダケカンバに転ずる。緯度が高いだけに東北の山の標高と植生の関係はやはり関東信州などとは違っている。展望の無い中我慢の登りが続く。丁目標識があるのが励みだ。ひたすら流れる汗をぬぐって六合目の標識を見る。13:20だ。学生時代はオートバイやナンパなバンド活動にうつつを抜かしていた自分とは違い、体育会で空手をやっていたK君は、流石に足腰も強くしっかり登っていた。

13:30、森林限界も抜けてハイマツ帯となった。と同時に風が猛烈にふき、眼下にいくつもの雲が急ぎ足で東のほうに流れて行く。今日の盛岡の天気予報は実は強風予測で、決して芳しいものではなかった。道はじきに平坦となり前方に八合目の避難小屋を望んだ。安心したが、風が強く歩くのにもやや苦労するほどであった。右手に見あげる岩手山の山頂外輪山は荒涼とした砂礫の高まりで、その上をしきりに雲が流れ、その光景は昨年登った浅間山の外輪山ととても似ていた。

避難小屋到着、14:20。避難小屋とは言うが大きさといい設備と言い、これは一般の営業小屋と何ら変わらない、実に立派な小屋だった。ボランティアの管理人が居て管理料金を払う。カップ麺や軽食は売っているが缶ビールは売っていないことはあらかじめ調べていた。水場は小屋の真正面にドクドクと豊富な水がホースから出てバスタブのような大きな水槽に流れている。ホースからの水をゴクゴク飲む。冷たくて美味い水。海抜2000m近いこんな場所で、これだけの水が湧いているのが不思議でもある。バスタブの水も冷たく皆ビニール袋に石と缶ビールを入れてその中に沈めている。2人とも今日の重たいザックののかなりをしめていた缶ビールを迷うことなく袋に入れて沈めた。

小屋の中は1階は結構埋まっており、すでに酒盛りしている連中も居る。聞けばやはり今日の強風で山頂は諦めて明日狙うと言う。山頂外輪山に登る手前あたりから風が強くとても行動できなかったと言う。今朝の盛岡駅でバスを共に降りた彼らは無事登れたのだろうか?

小屋の一階に寝場所を確保してから冷やしておいた缶ビールで乾杯する。学生時代、まだビールの味も分からなかったあの頃も、彼とは部屋で良く一緒に飲んだものだった。思い出話から自分達の年齢に相応しい話題まで、話は尽きずに楽しい山の一夜となった。

登り始めはブナ林
の中を行く
ダケカンバ帯になり樹林帯を越えると
眼下に雲が忙しそうに流れていた
七合目も過ぎると急登もここまで。前方に
八合目避難小屋を見た。
右手に岩手山の山頂外輪山がぐっと高かった。 風が強くしきりに雲が流れる日だった 長く伸びた西日の先に夏雲が湧いていた

明けて7月28日、ガスに包まれた朝だ。スマホの予測は晴天で風強し。昨日よりは弱い風にはなってはくれまいか。少しガスが晴れ司会が伸び始めてきた。6:30、サブザックの軽い装備で出発する。ここから不動平の避難小屋まではほぼ平坦な草原を行く。右手に岩手山の外輪山、左手に鬼ケ城から続く岩壁と、いかにも浅間山の湯の平に近い地形だ。不動平避難小屋も立派な造りで、水さえ調達すればこちらの小屋のほうが快適だったかもしれない。ここで網張温泉からのルートをあわせると反対側に向かっていよいよ岩手山外輪山へ向かっての詰めとなった。風は思ったより強くないが高度を上げるにつれガスの中をいくようになった。砂礫の道をただ登り詰めるとボーっとした視界ではあるが外輪山の一角に立ったことが分かる。岩手山の最高峰はここからほぼ北に向かって数百メートル辿ったところだ。

視界が利かないので何処が最高峰かなかなか分からないがやがて石積みと標識のあるピークについてそこが念願の岩手山山頂2038mだった。7:20。山を始めて数年と言うK君も、これだけ標高差のある山は初めてと言う。風が強くガスの中ではあったが満足の登頂だった。K君には悪いが少しだけ待ってもらいアマチュア無線の運用をする。DJ-S57にRH770とはいつもの装備で、144メガでCQを出すと奥州市や宮城の利府町から呼ばれる。

晴れていればお鉢めぐりをしたかったのだがこの天気では下山ルートを見誤るリスクもあり、登山路の分岐を見逃さぬよう往路を慎重に戻る。分岐まで来たら一瞬ガスが晴れ、岩手山の最高地点とお鉢の中の草原が一瞬見えたが、カメラを取り出す隙も無く再びガスの中に消えてしまった。

不動平に戻る。ガスは嘘のように晴れている。良く見るとこのあたり一帯は高山植物が多い。マルバタケブキのような黄色い花や、赤紫の花はヨツバシオガマだろうか、良い季節に登ることができた。八合目避難小屋に戻り荷物を整え09:10、下山にかかる。きつかった昨日の登りだが、下りにしてもきつい。何度か大休止を入れながらも大汗をかいて馬帰しに戻ってきた。12:00だ。無事下山、とK君と握手を交わす。

K君の運転する車で盛岡市内まで戻り、スーパー銭湯に向かい汗を流す。盛岡駅で自分は新幹線で、K君は高速で仙台まで戻る。K君とゆっくり山に登り酒を飲みながら一夜を明かしいろいろな話をすることが出来た。自分にとって東北はまだまだ登りたい山が沢山ある。まだまだ彼と共に時間を過ごすことはあるだろう。何十年ものブランクを経ても今もあの頃のままだ。次にあってもなんの時間の経過を感ずる事も無く、いつものように時を過ごせるのだろう。素敵な時間を過ごさせていただき、K君には感謝の気持ちで一杯だった。また、歩きましょう。

翌朝もガスの中だった ガスの中外輪山を探るように歩き、山頂に到着 外輪山を少し戻り、山頂らしいピークを見る
不動平へ下りて行くとガスもなくなった 不動平は高山植物の咲き乱れる庭だった 下山して臨む岩手山の雄姿。しかし山頂部のみ
今朝の登頂と同じくガスの中だった

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