雄大だった鳥海山 山スキー 

 (2015年5月3日、秋田県由利本荘市、山形県飽海郡遊佐町)


この数年のGWは東北へ山スキー、と恒例行事となっている。なんといってもGWの山スキーを終えてからその場で早くも一年後のGWの山スキーの行き場所を決めてしまうのだから、GWはいくつあっても足りないものだ。そんな訳でSさん(JI1TLL局)との今年の山スキーはほぼ鳥海山、とは昨年から決まっていた。鳥海山はSさんにとってもっとも山スキーを楽しめたピークと言う。そのスケールの大きさは他のピークとは比較になりませんよ、とはSさんの言葉。それでは、ということで1年間楽しみにしていた山であった。また、社会人になりたての頃自分はオフロードバイクで鳥海山の林道を走りに行ったことがあるが、鳥海山山麓で雨となり、その秀麗な山姿を仰ぐ事も出来なかった、そんなことで待望のピークだった。

(傾きかけた日を浴びる鳥海山山頂。ぞの優美な頂は随分と高く、そして
遠く思える。あれに明日、登ることができるのだろうか。)

鳥海山は山形最北端、北側は秋田県に位置しており、アプローチも遠い。コストパフォーマンスから夜行バスを使って山形県新庄駅へ向かうこととした。5月1日、夜の浜松町バスターミナルでSさんと待ち合わせ。3列シートの夜行バスは流石に乗り心地も良く、心地よく眠ることができる。10年近く前に、同じく八甲田に山スキーで遠征したときは4列シートの夜行バスだったが、快適さは雲泥の差だ。

鳥海山の山スキールートは沢山あるが今回はもっともコースが短く鳥海の一等点峰・七高山に立てるルートである矢島ルートを取ることにした。北面ルートなので雪の心配もないし登山開始地点に避難小屋(祓川ヒュッテ)があるのも決め手だった。GW中は管理人が入り有料にはなるが、ここを拠点に予備を入れて2日間は鳥海山へのアプローチに時間をかけることができる日程としていた。

5月2日、早朝の新庄駅にバスは到着。駅前のレンタカーやが開くまで2時間ほど駅の待合室で時間をつぶす。部活に行くのか地元の高校生がカップ麺を食べている。予約していたレンタカーは当然ながら庄内ナンバーだった。ここから鳥海山の東麓を北上して秋田県に入り、矢島町へ出る予定だ。スキーとブーツなどの大型の荷物は今回は予め宅急便で送っておいた。宛先は矢島町の宅急便の集配所。宅急便集配所止め、とはなかなか浮かびそうで浮かばない発想だがSさんのアイデアだった。さらにこの町に全国チェーンのスーパーがあることまでもSさんはあらかじめ調査しており、ここで3日分の食料が手に入る。初日の今日は祓川ヒュッテまで車で上がるだけなので気はらくだ。スキー装備を宅急便営業所でピックアップ、食料買出し後鳥海山へ高度を上げて祓川ヒュッテへ。前方に立つ鳥海山の姿が余りに立派で、端正な姿だ。その秀逸さには思わずシャッターを押さずにはいられない。さては明日はあの山頂に立てるのだろうか・・。

祓川ヒュッテは祓川の駐車場から歩くこと3分、GW期間中で管理人さんが入っていたがその分電気が入る。素泊まり1泊1800円。またプロパン・流し・鍋釜・食器完備という、とても自炊小屋とも思えぬ装備。もちろん水道からは雪解けのふんだんな水。この小屋の2階の小さな畳部屋をあてがわれた。宿泊者も多くはないだろうからここを使い放題にしてくれと言う。向かいの部屋の窓から見る鳥海山の雄姿は見飽きることがない。ただ思ったよりも高く、遠い。本当に登れるのか?

遅くなってからじっとしていられず、Sさんと板を履いて少し雪面偵察と足慣らしを兼ねて登山ルートを上がってみる。傾きかけた陽射しを浴びた鳥海の山頂が優美に独り気高く立っていた。

* * *

5月3日、登頂の日だ。スマホで見る天気予報は快晴。雨の心配は全く無し。絶好の登山日和だ。すでに6時前から多くの山スキーヤーが蟻の行列の様に登っていく。我々もスキーにシールをつけて登り始める。壁のような斜面とゆるやかな雪原が交互に現れて確実に高度を上げていく。夏道沿いの直登ルートは多くの人が取っているルートだが、どうみても斜度がきつく、Sさんと地図を見て、等高線が疎になっている向かって左側(東側)斜面に向けてルートを取ることとした。小ぶりなカールのような斜面が出て、選考する人々はそこを辿って行くが最後の詰めがスプーンカットのように急になっている。シールでは苦労するかもしれないと、それを嫌って左手にコースを見直すとブッシュの切れ端が目に入った。そこをめざしていくと上手い具合に薄いブッシュの先には緩い雪原が広がっていた。こちらのルートが正解だろう。しばらく巻くと七つ釜避難小屋は右手先にみる。ここからも出来るだけ斜度の緩いルートを取っていく。とシュルンドが何箇所かあわられはじめた。「鳥海でシュルンドを見るのは初めてだ。今年は雪が少ないのか」とSさん。

何度かブッシュの端で休憩を取りながら登っていく。長い登りで山頂がなかなか近づかない。シャリバテ・足のつりを防ぐために休憩ごとに意図して大目の水分と行動食を取る。左足ブーツ の中、ソックスのよれが足にこすれて痛くなってきた。パイル裏面の毛玉だろうか、靴を脱いで絆創膏をはる。新品の厚手ソックスだが馴らすために1回使っているのだがそれが裏目に出たか。バックカントリースキーに靴ずれ絆創膏は必需品だ。

祓川ヒュッテの小屋番が言っていたがこのところ気温がずっと高いということ。今日も例年より7度は気温が高いという話。こちらはすでに登り初めから半袖シャツ一枚だが暑くて厳しい登りだ。なによりも高い気温のせいもあり雪が緩く、トラバース気味に登って行くスキーのシールのグリップが効かない場面が何度か出てくる。時折ズズッとスキーが滑って、リカバリーには力が入る。これが結構体力消費に効いてくる。

いよいよ山頂が手に取るように見える潅木の茂みで大休止。山頂直下だが、ピークはいまだ目の上遥か。登りついたテレマーカーが、「ここからは標高差400m、まだ1時間半かかる。鳥海で一番厳しい登りだよ」と教えてくれる。確かに擂鉢のような大斜面に、多くの登山者が取り付いているが皆豆粒のようで、それも余り動きがない。遮るもののない一面の雪の大斜面、距離感がつかめない。これは辛いな。もう8割がたの体力を使ってしまった・・。

この目前の壁には舎利坂という名前がついている。舎利坂とはこのあたりでシャリばてするだからだろうか、だとすれば出来すぎの名前だが、我々はこれを避け斜度の緩い左側の斜面からのアプローチを取ることとした。メインルートではない ので登るにつれてあれほど居た登山者が一切視界から消えてしまった。トレースのない大斜面にシールでトレースを付けていく。さほど急な斜面ではないがとはいえ足が滑ったら数メートルは滑落しそうな、そんなトラバースが続く。雨のつけたものか、樋のような縦筋が幾重にも走る斜面は140cmの短いスキー板には厳しい。縦筋をご丁寧にさらうようにしてトラバースせざるを得ない。先行するSさんとの距離を縮めることができなくなってきた。十歩歩いて1分休憩。そんな感じで登っていく。

山頂は何処だろう、もう少しか、と余り期待しても裏切られたときの失望が大きいので余り考えないようにしていたが目の上に見える小さな岩場、あれは本物ではないだろうか。頑張って登りつくと雪が途切れ空が広がりった。山頂外輪山の一角だった。スキーを外し大きく息をつきます。なんとか登ること ができた。とうとう鳥海の山頂一角に立つことができた。感無量だ。出発7時10分、現在11時40分、登りに4時間半近くかかったことになる。

ハイマツの横にスキーをデポして外輪山を一等点ピーク・七高山まで数百メートル歩く。雪がなく岩稜をたどると舎利坂の上部に出た。まだま だ多くのスキーヤー・登山者がこの壁を張り付くように喘ぎながら登ってくるのが見える。シール直登はかなり困難だろうと思えるこのルートを辿らずに正解 だったと思った瞬間だった。

鳥海山の最高点は多くの人の群れる三角点峰のこの七高山ではなく、外輪山を一旦100m近く下りてから登り返す新山。これが七高山よりも7m高 く、最高峰だが、足場の悪い岩場の急坂、危なっかしいスノーブリッジをこのテレマークブーツで歩こうとも思わない。疲れている事もあったが数メートルの標高差にこだわる意味が全く沸いてこず、ここで良しという気持ちだった。

(今日は晴天の予報。勇んで出発だ) (大きな雪原をトラバースして上って行く) (小さな縦溝の斜面をシールを利かせて登る) (七高山山頂)

さてアマチュア無線運用。SさんがヤエスVX-5に釣竿の先端につけたダイアモンドのロッドアンテナRH770で145MHzFM、自分はアルインコDJ-S57に RH770を直付けした430MHzFMで開局。東北で430FMはどの程度使えるのか未知数でしたが、それでも仙台・石巻などからひっきりなしに呼ばれます。そんなパイルの中、新潟市から知人局JA0LTHがが呼んできてくれた。先々月の越後湯沢の山・東谷山でも呼んでもらったがマメにワッチしていただき感謝。続いて八甲田に山スキーに出かけているはずの知人局JO7XCRさんとも予定通り交信できた。XCR 局は北八甲田の雪が少なく南八甲田の櫛ケ峰に転進されたとのことで櫛ケ峰大斜面を「華麗なテレマークで滑り降りましたよ」と嬉しそうな交信だった。

山頂に2時間近く長居してしまったた。もう13時半だが未だ未だ多くの登山者が眼下の舎利坂を登ってくる。我々も下山としよう。日本海から秋田方面の大展望を満喫してか ら下山の途につきます。スキーデポ地に戻りシールを剥がしワックスを塗り、カチリと3ピンテレマークビンディングを締めると後はお楽しみの大滑降のみ。13時55分、さて滑降だ。自分達の辿った西斜面は相変わらずひと気もなく、そんな大斜面をSさんと2名で独占、足元の雪面は雨樋洗濯板で決して快適ではないがれでもこんな大パノラマを滑れるとは言うこともない。ルートを外さないように意図して西面から北面を目指します。

XCR局のように「華麗に」は行かないけれど自分の足前でもテレマークターンで心地よく下がっていける、そんな格好な大斜面。滑れども滑れどもまだ 尽きぬ大雪面。それなりに山スキーもしてきたつもりだが、こんなスケール感の山スキーは初めてだった。確かにSさんの言われるとおり雄大さにおいてはこれまで自分が山スキーしてきた山とは比較にならない。なにせブッシュもなく眼下に広がるのはタダ一面の雪原。山スキーをやっていて良かった、そんな独り言が思わずもれてしまう。

先行するガイド付きパーティが違う方向に滑って行くのを見てやや首を捻るSさんと私。地形図の磁北線にコンパスをあわせると彼らの進行方向は違っていた。彼らは猿倉登山口を目指すのだろう、自分達とは方向が違うのだ。果たして無事に七つ釜の避難小屋を左手に発見、正しい方向が見えた。独立峰の鳥海山、その北面は富士山のような素直な成層ではなく思ったより複雑な地形なのでルートファインディングに気を使うところだった。ガスが出ていたらきついだろうな、と思う。GPSを使うのも手だろうが今回はGSPデバイスを持ってくるのを忘れていた。

シュルンドが相変わらず時折顔を出すので要注意だ。大きなターンでそれを避けると体を入れ替えてショートターン。リズミカルに下りるも良し、大きく斜面をさらうも良し、雪面がいとおしくなるほど、すべりは楽しい。高度が下がるにつれ雪が滑らなくなってきた。ふーっと息をいれて小休止。と祓川ヒュッテが遥か先に見えた。もう大丈夫だ。あとはゆっくりと、惜しむように滑り降りて無事 ヒュッテにもどりついた。15時20分。登り4時間半、下り1時間半。充実の山行だった。

やっぱりここは温泉でしょう、と着替えもそこそこで車で猿倉温泉・鳥海荘に向かう。lここで湯を使い、矢島町のスーパーまで下りて夕餉の買出しをする。パックおでんとレトルトご飯。酒のつまみとビールを大目に買うことを忘れない。小屋に戻り山小屋での素敵な二夜目を迎えた。隣室の男女の大パーティは9人でスキー・スノーボード混在パーティ。神奈川から来たとの由。

(七高山稜線から対面する最高峰・新山。
7mの標高差に行く気が沸かなかった)
(鳥海山の山肌をテレマークターンで
快適に滑り降りる。)
(雨の作った樋上の縦溝が滑りずらい。
ショートスキーだとなおさらだ。)
(夕刻、残照をのこす鳥海山。)

* * *

翌5月4日は予備日としていたが鳥海登頂が無事終わったので予定を観光に変更。ミズバショウを見に山麓の獅子ケ鼻湿原を一時間半ほどトレッキングした後、日本海側に抜け、象潟漁港で海鮮丼を頂く。2日間山にいる とやはり海の幸は美味。と、この食堂で昨日の隣部屋の大パーティに遭遇、挨拶をする。お互いに考えることは同じだ。雨の降り出した道を最上川に沿ってゆっくりと新庄駅にもどり、レンタカーを返して17:11発の山形新幹線で帰浜の途についた。

* * *

長く期待していた鳥海山だが、その山頂を山スキーで踏むことが出来て大満足だった。このところ例年東北の山スキー遠征に付き合っていただいているSさんにはまさに感謝あるのみだ。例年のように、帰りの新幹線では早くも来年の山スキーの話題がでる。まだまだ行っていない山、登ってみたいピークは数知れない。山スキーの楽しさもまったく衰えることがみえない。果たしてその通りいけるか、早くも一年後が楽しみになってきた。

PS よく調べぬまま、山頂のアマチュア無線運用では「秋田県由利本荘市」として運用したが、後にこれが飽海郡遊佐町であることが判明。由利本荘市ファーストです、と言っていただいた局も居り、大きく反省するとともにお詫び致します。

(祓川ヒュッテは同宿も少なく快適だった) (朝、ヒュッテ横から望む鳥海山山頂。
あそこに立ったと思うと感無量だった)
(北面・大谷地池から眺める鳥海。見飽
きることのない素晴らしいピークだ)
(象潟の港から見る鳥海山。日本海から
一気に仰ぐ2200mのピークだ)

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