5月の会津駒ガ岳 スキー山行 

 (2014/5/2, 3, 4 福島県南会津郡檜枝岐村)


3年前の五月連休にスキーで登った尾瀬の燧ケ岳から見た山岳展望が頭に残っていた。眼下の尾瀬沼から先、一面雪原の尾瀬ヶ原の向こうに大きいのは至仏山だ。その真っ白な大きな山肌をスキーで滑ったのはもう10年近く前の話となった。その左手遠くに目を移すと悠々と真っ白に存在感の高まり。平ケ岳の雄姿だ。そして体の向きを更に右に回すとこれも真っ白で穏やかの尾根の高まりがある。その頂上は一目では判別しがたいが尾根の最高点を中心とした存在感は見逃せない。会津駒ケ岳だった。

知らない山に登りたい。知らない尾根をスキーで歩き、滑りたい。しかし全く未知の山ではなく、一度でもその山姿を遠くから見た山であれば親しみと憧れがわく。さて2014年の五月連休、こんな純白の山に行けないだろうか?平ケ岳はスキーでアプローチするにしても遠い。尾瀬ヶ原まで下りて途中でキャンプしてのアタックとなる。一方の会津駒は標高差1200mは自分には重たいがアプローチは容易だろう。しかも山頂直下の小屋を利用すればゆっくりと楽しめそうだ。

GWの後半を利用していつものようにSさん(JI1TLL局)とともに車は東北道を目指した。今年の五月連休の山は、会津駒ケ岳だ。

5月2日
今日の行程は移動のみ。横浜をゆっくり目にでて檜枝岐村まで。東北道を那須塩原ICでおりて国道4号のショッピングセンターで行動食の買出し。塩原温泉の南側にある大沼に立ち寄る。期待していた水芭蕉の花はまだ見ることが出来なかったが、静かな山上の沼は好ましい。県境を越えて福島に入り、中山峠を越えて檜枝岐まではまだまだ遠い。17時が近くなって予約していた民宿に投宿。夕食はイワナずくし。塩焼きにから揚げ。ともに美味。そしてサンショウウオの天麩羅は初体験であった。

(無雪の登山口) (ヘリポートまではスキーを担いだ)

5月3日
朝8時半、檜枝岐のテニスコートの横、会津駒用駐車場(海抜930m)から歩き始める。無雪期は林道で海抜1100mの登山口階段まで車では入れるのだがこの時期は当然ながら林道 は除雪されておらずまじめに麓から歩くことになる。のっけからザックの両サイドにスキーをくくりつけ、プラのテレマークブーツで登り始める。今日のゴールは会津駒の小屋(海抜2050m)で檜枝岐からの標高差1100m。無雪期よりも170m標高差が余分だ。しかもしばらくはスキーブーツで、スキーを担いで。楽な行程ではない。

海抜1100mの登山口階段までは一部に雪が残っていたのみ。この階段が無雪期の登山口か。ここまでで早くも大汗をかく始末。階段を登ると本格的な登山道だ。スキーのプラブーツは決して歩きやすいものではない。テレマークブーツの場合足指の付け根で曲がるから歩行感覚は普通に近い反面、出っ歯のように飛び出たビンディング装着用の前コバが邪魔なのだ。一方山スキーのSさんのスキーブーツ(兼用靴)はどうなのだろう。山スキーブーツは前コバこそ出っ歯ではないが反面足指付け根の屈曲はないので、あれはあれで歩きづらいのだろう。いずれにせよビブラームソールになっているとはいえプラのスキー靴で雪のない道を歩くのはあまり楽しいものではない。

ぐいぐい高度を稼いでいく。雪は遠望する沢筋のみ。ザックにつけたスキーが重く、また駒の小屋は自炊小屋なので食料一式も肩に食い込む。早くも投げ出 したい気分だが、ひたすら登るのみ。5月の雪の紫外線対策に顔に塗った日焼け止めクリームが汗に流れて目にしみる。もっと後で塗ればよかった。うつむいて登るのでポタリと汗がサングランスの内側にしずくとなって落ちた。視界が滲んで歩きずらい。

海抜1260m付近で看板があり、ベンチのような大きな倒木がある。ここでようやく雪が登山道に出てきた。ザックを放り出し丸太の倒木に腰掛ける。大休止だ。ここから雪か。でも目の前には雪の壁が立ちはだかっている。あれをシールで登ることは出来そうにない。さてどうするか。もう少し頑張るしかない。引き続きスキーを担ぎ上げて頑張るのみ。この急斜面、軽く40度近い急傾斜でつぼ足でジクザグにいく。幸いに雪が緩んでおりプラのブーツを雪面に蹴りこんでステップを作れる。アイゼンはいらないがブーツのコバが出っ歯なのでうまくつま先に体重をかけずらい。一歩一歩進み最後はやや雪壁をトラバースすることとなった。高度感もありここはかなり緊張する。体のバランスを少しでも崩すとザックサイドのスキーに体が振られてしまう。登りきって海抜1360m付近。小広い平地に出た。ここがヘリポートだろう。

一面雪原のヘリポート、このあたりで早くも下山してくる登山者。スキーで樹林帯をスラロームしてくる。羨ましい。ヘリポートの少し先にも短いながら急斜面がありそれをたどると顕著な細い尾根にたどり着いた。この尾根をひたすら登り始めるがはやくも体に力が入らなくなってきた。宿の朝飯はしっかり食べてきたが、もうシャリバテか。ここで大休止。大福餅を胃に収めお茶をごくり。この先は斜度が一定のようなのでここでザックからスキーを下ろしシール登高に切り替えうこととする。

ブナの林の中を登り始める。さすがにスキーが背中からなくなると足は進む。シールもよく雪を噛み距離が伸び始めてきた。下山者ともここまでに多くとすれ違う。ただすれ違う彼ら、 思ったよりツボ足登山者が多く、山スキーヤは全体の1/4程度といった感じだ。途中すれ違った人と話すと昨晩の小屋の宿泊はわずかに2名とのこと、となるとこの人々は皆今朝早朝から登り始めたのか。1650m付近で尾根は広がり小広い地形となった。この当たり、昔は檜枝岐村の共同アンテナがあったとのこと。更に登ると林相はツガにかわり標高が上がってきたことを感じる。何よりも進行右手に気高く会津駒の稜線が見え始めてきた。おのずとピッチが上がるところだが、このあたりから足がつるような気がしてきた。更に進むがまたもや力が出なくなってきた。なんと燃費の悪いことだろう!ここで民宿で作ってもらったお弁当を使いこととする。大きなお握りが2個に素朴なおかず。これで力が出る。

ツガの木からダケカンバに代わり始めるともう稜線は近い。ぽんと樹林帯を抜け出してちょっとあっけに取られてしまう。広大な真っ白な無木立バーンが目の前に。そしてそれは右手にずっと続きその果てが会津駒の山頂だった。すごいスケール感だ。

先行するSさんのトレースを追ってひたすら登ると大きな雪の丘がありそれを越えると三角屋根の会津駒の小屋だった。やった、とうとう登ってきた。標高差1100m、うち400mくらいはスキーを担ぎ上げたわけで、まぁ自分としては上出来だろう。時間は14:00、疲れた。

小屋は小さく居心地が良さそうだ。自分達の予約もきちんと通っており今日は満室とのこと。まだ時間が早いので一服してから目の前の山頂アプローチに行きたい気持ちで勇み足だが、そうこうするうちに北から濃密なガスが上がってきてあっというまに会津駒の山頂を隠してしまった。確かに天気予報では今日の夕刻に気圧の谷が通過するというものだったのでその通りではある。これでは無理だね、とSさんと話し小屋でゆっくりすることにした。

天気は回復のめども無く、小さな自炊スペースは2交代制で満室。これまで知らなかったパーティと同席しての楽しい山の夕餉だ。隣のパーティは鍋。つみれと白菜のおすそ分けを頂く。スキーとツボ足の混成部隊とのこと。自分はぐいぐいアルコールが進み、良い気分。いつしか外はガスに小雨が混じり強風に小屋が揺れはじめた。

(尾根が顕著になるとブナ林となった) (ツガの林を抜け目指す会津駒に対面) (会津駒の小屋) (夕食時間、未知のパーティとの話も弾む)

5月4日
満室の部屋は暖かく、昨夜は余り寝つけなかった。昨夜の雨と強風は収まったようで穏やかな朝日がガラスの二重窓にさしこんでいる。が窓自身は固く凍りついており朝の空気を部屋に入れることは出来なかった。小屋番がやってきて「登山者がスキーアイゼンのつけ方が分からないので困っている。見てやって欲しい」と隣に寝ていたパーティに声をかけている。隣で寝ていたSさんが「人のスキーアイゼンのつけ方なんてわかるのかな?」とポツリ。すぐに乞われて出て行った年配の男性が部屋に戻ってきた。「ウチでは扱っていないアイゼンだったからちょっと焦った」と言っているその顔を見てピンと来た。東京・目白のバックカントリースキー専門店・カラファテの店主である北田啓郎さんだったのだ。パーティのメンバーに小声で聞いてみると果たしてその通り。なるほど北田さんなら他人の未知のスキーアイゼンを見てもすぐに装着をアドバイス出来るだろう。しかし、写真でしか見たことのなかった北田氏、彼が著したガイドブックを読まなかったら果たして自分はここまでバックカントリースキーに惹かれテレマークスキーをやっていただろうか?彼の著書(「スキーツアーのススメ」山と渓谷社 ISBN4-635-04061-5) を読んで自分はこの世界への興味が本格化したのだった。自分にとってはこんな楽しい事を教えてくれたまさに大恩人だ。朝食の自炊場でも北田氏パーティと同席したが実に気さくなお方であった。ご遠慮されるご本人に無理やりサインを頂いてしまう。自分はなんと言うミーハーなことだろう!

今朝は昨日の気圧の谷も無事通過して素晴らしい快晴だ。ただ昨夜の荒天で雪は完全に凍っており、ツルツルカリカリの雪面に小屋の長靴で裏手のトイレに行く際に足が滑って難儀する。雪面に刺していた自分のスキー板、ツインテールなのが災ってか凍った雪面から引っ張り出すことが出来ずに小屋のスコップを借りる。

8:30、もういいだろう。少しは雪も緩んだろう。早く山頂へ行きたい。これ以上は待てない!いよいよ会津駒山頂への アプローチ開始だ。まだ雪は溶けておらず氷の上を歩く感じだ。それでもシールが雪面をしっかり捉えてくれる。直下の急斜面に移ると高度感も手伝ってやや緊張の登りだ。足元は無木立の谷が大きく広がっておりこの固いバーンで転倒すると40-50m位は流されるか。ザラメならなんともなるのだが。エッジをしっかり効かせてキックターンを慎重にする。ツガの潅木がポツポツ出てくるともう一足でそこは会津駒ガ岳山頂・2132mだった。

なんと言う山岳展望!旧知の山は何処だろう。そう、真正面に燧ケ岳が勇ましく大きい。その奥につつましいのは至仏山だ。この尾瀬の二峰ともスキーでその山頂を踏んだ、その記憶と感動は未だに心の中に新しい。右に転ずるとまだ登ったことのない平ケ岳も大きい。むさぶるように山岳展望を楽しんでから山頂の一角にツェルトを設営して50メガのヘンテナを立てる。一応50メガをやってみようと、サブザックにピコ6を収めてきたのだ。電源を入れると1エリアは茨城あたりの移動局が良く入ってくる。ただしコールしても取ってもらえない。諦めてCQを出すと、コール2、3発目で応答があった。強い。昨秋の当局の苗場山移動で呼んでいただいた新発田市の局だった。59-59に気をよくしてしばらくCQを続けるが後が続かない。やはりこのあたりからだと大票田の関東平野は遠くなる。が、1局でも出来たことに気をよくして144メガFMに転進。ハンディ機にアンテナはロッド式のRH77、こちらはちょっとしたパイルになり楽しめた。

ゆっくり小屋を出られたらしい北田さんパーティも登ってきた。少し休憩を取られた後北田さんご一行は眼下の谷へ颯爽と滑り降りていかれた。こちらはまだ無線運用中で、北田さんのテレマークターンを見ることが出来なかったが残念であった。そうこうしていると「無線ですか」と自分達と同世代の登山者が話しかけてきた。足元にはTLTを装着した山スキー。話しているうちにそのお方はなんと「山と無線メンバー」であることが発覚。JJ0RHT局だった。こんな山で、ピンポイントしてよくもアイボールが出来た、とは驚くばかり。北田さんといい、RHT局といい、なんだか今日はいろんな方と出会う。これは「山と無線」、山スキーのもたらした素晴らしい出逢いなのだろう。

さて我々も下りましょう。下山はあっけない。駒の大斜面は雪がしっかり溶け始めており絶好のザラメバーンになっていた。この雪のお陰なのだろう、スキーの下手糞な自分でもビシバシとテレマークターンが決まる(様な気がする)。通常オフピステではワンステップかシュテムで低速のテレマークターンのきっかけを作っていたが今日のこの斜面はその必要も無い。足を切り替えてリーンすると心地よく回る。ロングターンもショートターンも、なんだか信じられないくらい上手く回る。もう夢見心地だ。

小屋まではあっけなかった。名残惜しく駒の大斜面を見る。なんと素晴らしいことだろう。この胸のすくような快感は下界でも味わうことは出来ない。小屋で小休止しているとヘリコプターの音が下から届く。小屋番夫婦が心配そうに下界を覗いている。谷筋か、どうも遭難者が出て回収中らしい。緊張する。往路をしっかり戻れば問題ないはずだ。壁斜面は2箇所あったが危ない箇所はスキーを脱げばよい。そう決めて小屋から眼下の大斜面に向けてスキーを進めた。

大斜面からツガの疎林帯へと往路を戻る。ツボ足下山者をぐんぐん追い抜く。スキーの機動力はたいしたもんだ。途中海抜1800m付近で明瞭な尾根が南へ派生する。その方向の尾根上にテントが一張り張ってありその方向が正規方向かと危うく引き込まれそうだったが、Sさんがしっかりルートを読破し正しい尾根を進む。 高度が下がると林相もブナへ変わりツリーホールが気になるところだ。落ち込まぬよう低速ターンにプルークを交えて速度を落として滑り降りる。がコントロール不足で大きな枝に激突してしまった。まずいまずい。気持ちを入れなおして明瞭に細くなった尾根の上を注意しながら滑走する。ヘリポート上の急傾斜の上に立った。少し滑り降りるとなんと雪が割れてシュルンドも出ている。ここでちょっと進退窮まる箇所が出てきた。階段下降。シュルンドを外そうとトラバースすると眼下には高度感のある谷が深い。エッジを利かせれば大丈夫だ。慌てる必要は無い、と言い聞かせながら慎重にクリア、核心部を抜けるともうヘトヘトだった。ヘリポートの雪の原でザックを放り投げて一息入れる。ヘリ ポート下の、登りで難儀した急斜面はスキーでは無理だね、とここでザックにスキーをつけての下山に転じる。この壁を下りきるともう雪がなくなった。ヘリコプターが再び飛んできて上空でホバリングをしている。このあたりで谷筋に人が落ちたのだろうか。

ふーっと、ひと息いれてあとは雪のない一般登山道をテレマークプラブーツで慎重に降りていくのみだった。

檜枝岐到着は14:15。その標高差に登れるか、と不安に感じていた会津駒も無事にスキーで登れたか、と思うと満足感が大きい。初日にお世話になった民宿に立ち寄り無事下山の一報。温泉で一風呂浴びてから渋滞の待つ東北道に戻ったる。例によって栃木IC付近から渋滞を示す掲示板に嫌気がさし、4号線バイパスに転進する。自宅到着は23:15、長い一日だった。

(雪が緩むのを待って会津駒山頂へアプローチ。
写真撮影JI1TLL氏)
(山頂からは燧ケ岳が
正面に立派だった)
(山頂にツェルトを張って
50メガのアンテナを設営)
(今回のGPSルート図。カシミール3Dの付属地図上に
GPSデータを展開したもの)


* * * *

GW時期の会津駒は前半のスキー担ぎ上げのパートが長く、はやりスキーの山として捕らえるとやや体力が必要な気がする。ただ山頂一体の無木立バーンは素晴らしいスキーを楽しめ、また途中までの尾根の滑走も楽しいものだった。今回は山もスキーも、山頂での無線も楽しめたがなによりも 山でいろいろな方に出会えたと言うのがとても印象深いもので今年の山スキーシーズンを締めくくるにふさわしい、素晴らしい山を楽しんだ2日間であった。

帰宅後ネットで調べると、この日我々の辿ったルートで2件の事故があったようで2回のヘリがそれぞれの救難作業用だったのだろう。いずれもスキーではなくツボ足登山者で、尾根の滑落らしい。幸いにどちらも怪我ですんだようだ。山スキーは改めて慎重さの求められる危険裏あわせなのだ、と認識を改めた。


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