D-DAYビーチへのサイクリング − ノルマンディ上陸作戦ゆかりの地へ

 (2010年10月9日、フランス、バス・ノルマンディ地域圏)


ヨーロッパに住み始めてから、バストーニュ(ベルギー)やアーネム(オランダ)、レマゲン(ドイツ)など何箇所か第二次世界大戦ゆかりの戦地を訪問してきたが、ノルマンディ上陸作戦が行われた一連のビーチはまだ見たことがなかった。このD-DAYゆかりの海岸線をめぐるサイクリングが、フランスのサイクリングガイドブック(Lonely Planet Cyciling France)に紹介されていたので、それを参考に出かけてみる。

ガイドブックによると出発地点はカ-ン(Cane)の20kmほど西、バイユー(Beaux)という街との事。自宅のあるパリからは片道260kmのドライブとなった。少し寝坊してしまった土曜日の朝、ノルマンディ高速(A13)を西に向け飛ばして、バイユーに着いたのは昼の一時過ぎであった。

街の入り口の一角に立派な高級将校姿の銅像がありよく見るとアイゼンハワーとある。なるほど確かに連合軍の最高指揮官ゆかりの地なのか、と納得する。バイユーは古い街らしく、17世紀や18世紀に立てられた教会の案内板などもある。街の中心のノートルダム教会の前に車を停めて走り出した。

街のはずれにノルマンディ上陸作戦のミュージアムがあり、いきなりその庭に米軍のM4中戦車が鎮座しているではないか。ヴァリエーションが無数にあるM4中戦車だが、これは丸みを帯びた前面装甲に短砲身主砲、初期のA1型だろうか。そういえばブルゴーニュのディジョンの街角にもM4中戦車が展示されていたが、フランスにとっては祖国開放の英雄、といったところなのだろうか。その隣にはM10自走砲が置いてある。これはバストーニュでも見たことがあるので初めてではない。その更に隣には何とイギリス軍の歩兵戦車チャーチルが置いてある。これの現物を見たのは初めてであるが、M4との余りの違いに驚いてしまった。大きさも装甲も桁違いだが一方で長いキャタピラと脆弱そうなサスペンションが何処かアンバランスでもある。大量生産のための工業製品としての割り切りが感じられるM4に比べて火力は強力であろうがいかにも製造にも調整にも手間取りそうなつくりである。国が違えば設計思想も違う、という良い例であろうか。

のっけから予期せぬ戦車鑑賞で時間がたってしまった。ミュージアムそのものは出発が遅かったので観覧割愛とする。もっと早く家を出ればよかったと後悔。

まずは米軍上陸地点として有名なオマハビーチに向けて北西に進む。バイユーの街は小さく、すぐに長閑な田舎道となった。牛が放牧されているすぐ横の田舎道をゆっくりと走っていく。地図からは全くの平坦地を予想していたが、小さなクリークがいくつも流れておりそのたびに緩やかに上り下りがある。大型のトラクターが向こうからのんびりと走ってくるのを注意してパスする。このあたりはやはりノルマンディ上陸作戦ゆかりの個人ミュージアムなどもいくつかあるようで、通り沿いにも一軒そんなミュージアムがあった。走りながら一瞥すると中庭に戦車が何台も野ざらしで置かれているようでどれも錆びてひどい状況である。これは見る迄もないとパスしてそのまま走るが、居並ぶ戦車群の中に米軍のプリースト自走砲らしいシルエットがあり一瞬後悔してしまった。が、ようやく乗ってきた走りのペースを落としたくなかったのでそのまま走ってしまった。

Porte-en-Bessinの集落が前方に見えてきた。もう海岸線の村である。ただ海岸線に向けては緩い上り坂が待っていた。登りきるとゆるい下りでその先の風景は膨大な大西洋だった。やった、海に出た、と心の中で叫ぶがオマハビーチにはここから西に向けてピストンとなる。まだ先があるのでそのまま進む。道の左右にはゴルフ場がありその中を急な上り坂で進んでいく。古戦場にゴルフ場とはなんともぴんと来ない気がするが、整備されたグリーンの風景は目に心地よい。登りきると台地上で、古びた家並みが並ぶ田舎道となった。もう海岸線なのだ。風が強い。走っていると体が流されそうでもある。

(激戦地・オマハビーチはなだらかな傾斜の
浜辺だった・・。)
(1944年当時の同じ場所
での写真が飾られていた)
(森、クリーク、そしてボカージュ。70年近くたった今、
そこは長閑なノルマンディらしい風景だった。)

古い小さな家並みの点在する道は、吹きすさぶ風のせいもあろうがなんとも寂しい風景であった。まだ夏の面影を何処かで残す日差しが照っているからそうでもないだろうが、秋から冬にかけては本当に寒々しい風景になることだろう。海の風が通り過ぎる寒村。

ゆるい上り下りが何箇所かありそれを抜けるとオマハビーチの看板が出ていた。道標に従い右に折れて海岸を目指す。

意外なことにオマハビーチは決して断崖絶壁ではなかった。ゆるやかな傾斜地が海岸に向けて続いておりそこに戦いで命を落とした米軍兵士の慰霊碑がたっていた。ドイツ軍のものだろう古びた塹壕が何箇所か残っている。ここが大激戦地だったのか。

しばらく時間をそこですごす。ここでの上陸は浅瀬にとられて戦車などの重装備が大半水没してしまったという。そんなこともあり米軍は徒手空拳に近い歩兵のみの苦しい戦いだったのだろう。一方守るドイツも目の前の何千もの敵軍を前に救いようのない気持ちだっただろう。退役軍人だろうか、ドイツの国旗を肩に縫い付けた服を着た老人が数人歩いていたのが目に焼きついてしまった。なんだか平和な時代に生まれたというありがたさを感じざるを得ない。

再び自転車にまたがり今度は東へ走る。ゴールドビーチ、ジュノービーチ、スォードビーチなどの上陸地点はこれから東にあるのだ。風は相変わらず強い。今度はまさに向かい風となってこげどもこげども進まなくなってきた。結構辛い。Porte-en-Bessinの集落まで戻るとゆるく下って再び登る。相変わらず静かで寂しい風景が続く。ジュノービーチはカナダ軍の上陸地点なのだろうか、カナダ国旗の図案が案内看板に書かれている。

Longues-sur-Merの村で再び海岸線に向けてハンドルを左手に切った。この先には古いドイツ軍の砲台が残っているのだ。1km程度進むと駐車場があり、その先に古びて半ば倒壊しかけたトーチカと巨大な大砲が残っていた。トーチカの中に散らばるゴミが妙に寂しい風景だった。

この先まだまだ海岸線ツアーは可能なのだが、遅く出発したこともありもう良い時間だろう。このあたりでバイユーへ戻ることにする。遠くに見えるバイユーの鐘楼をめざして南下する。小さなクリーク、古びた家並みが点在する。緑のボカージュ(生垣)がそれを取り囲むのはノルマンディ固有の風景との事。ボカージュを乗り越える際に戦車も歩兵も地平線の上に出てしまう、そこをドイツ軍は待ち構えて狙い撃ちしたと言う。名もないこの村も、激戦地だったのだろうか・・。今ではクリークも、ボカージュも緑豊かな豊かな自然の風景に過ぎないのだが。

こうして見回せばそれは見慣れたフランスの田舎風景なのだが、なんだか今日はいろいろなことを考えるな、そんな風に思いながらバイユーの街へ戻る。これまでヨーロッパの古戦場をいくつか見てきたが、いずれも慰霊碑しかり案内板しかり、いずれも戦勝軍・解放軍である連合軍の視点でしか物事が書かれていないように感じる。確かに国・軍部は正しくなかったにせよ一般のドイツ人も自分の国のために戦ったはずだ。これではドイツ人はいつまでたってもやりきれないだろうな、と感じてしまう。

海岸線の、風に吹かれて空虚さを感じさせる寒村は自分の脳裏に焼きついて離れなかった。

(走行距離48km)


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