干支(生まれ年)八尊守りご本尊様
千手観音菩薩(子歳守り本尊)
観音様の中でも、この仏様は千手千眼観音様とも言われ、文字通り千本の手を持っておられ、その一つ一つの手には眼が画かれ、そして羂索(つな)や、仏様、弓、宝剣など色々な道具を持っていらっしゃいます。だから「千眼千首千足千舌千臂観自在」とも呼びます。千手観音様は聖観音様の変化身で、一切の人々の悩みを救い、願い事hさすべて叶えてあげようと言う観音様の大悲心を具体的な形で示したのがこのお姿です。病を治し罪障を除いて寿命をながらえ、願い事はすべてかなてくださり、ことに女性がいやになった時、男子に生まれ変わらして下さるという有り難いご利益を授けていただけると言う事です。
ご真言 オンバザラタラマキリク 縁日毎月17日
虚空蔵菩薩(丑歳・寅歳/守り本尊)
虚空とは、無限に大きくそしてどんな力があるものでも打ち勝つ事が出来ないほどの無尽蔵の力を持っているということです。又「蔵」とは大宝蔵のことで、どんなものでも欲しいだけのものを与える事が出来る宝があるという意味である。このことから如来虚空の蔵はすべてのものを衆生が求めるままに、自在に与えることが出来て、特に福徳と智慧を授けて下さる、極まりない力をもっているということで「虚空蔵菩薩」と名づけられました。又この虚空蔵菩薩を念ずれば記憶力が良くなって忘れず、何でも願いが叶えられると教え示します。
ご真言 オンバザラアラタンノウオンタラクソワカ 縁日毎月13日
文殊菩薩(卯歳守り本尊)
「三人よれば文殊の智慧」といわれるように、文殊菩薩は「妙徳」「妙吉祥」「妙楽」ともいわれ、モンジュシュリーといって漢字に当てまめると、「文殊師利」「曼殊室利」で、お釈迦様の脇に侍している仏様として、白象に乗った普賢菩薩と共に、獅子の上に乗ってお釈迦様の左側に侍しています。脇侍仏というのは、仏様のお徳を象徴したもので、文殊菩薩は仏様の智慧の徳を顕わしております。この智慧は私たちがふだん使っている知識とか智恵と違い、世の中の根本を観る智慧で仏様の覚りとも言えます。災難や艱難など山坂の多い人生では
あるけれども、文殊菩薩の智慧によって歩んで行けばそれが無くなる。人間の利己的な浅はかな智恵でもって生きてゆくから、災難や不幸を作って行くのである。文殊菩薩の智恵によってゆけば災難や不幸も幸せにつながって行く、それらを乗り越えることによって、人生の誠の相がどんなものであるか覚らされ、そのお蔭で真実の事が分かる。不幸や苦しみのおかげで本当の幸せを知ると、それまでの苦の茨や枳殻(からたち)も美しい花の姿となって行くのであると教え示します。
ご真言 オンアラハシャノウ 縁日毎月25日
普賢菩薩(辰歳・巳歳/守り本尊)
お釈迦様の脇侍として右側に控えているのが普賢菩薩です。文殊菩薩は仏様の智慧を象徴しているのに対して、普賢菩薩は仏様の慈悲行を象徴しています。普賢菩薩はサマンタ・バドラという名で、それを「遍吉(へんきつ)」とか「普賢」と訳します。「遍吉(へんきつ)」とは「みんなのしあわせ」を願っている普賢菩薩の願いであり、「普賢」の”あまねくさとれるもの”といいます。「賢」とは善い行いをする普賢菩薩の慈悲の心をもととしたすべての「行」を示しております。文殊菩薩が獅子の上に乗っているのに対して、普賢菩薩は「六牙の白象」に乗っています。象は獅子と同じようにインドにおいて最も優れた動物であり、又それが持っているところの「威力」は素晴らしく、優れた大いなる力を表象しております。そしてその素晴らしい力にあふれている6っ本の牙は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧という仏教で大事にしている6つの行いを指しています。
ご真言 オンサンマヤサトバン 縁日毎月24日
勢至菩薩(午歳/守り本尊)
文殊菩薩と普賢菩薩は釈迦如来の脇侍として使える菩薩ならば、西方極楽浄土におられる阿弥陀様に仕える菩薩が観音菩薩と勢至菩薩です。勢至菩薩は「得大勢」「得大勢至」「大精進」とも言われます。その名の由来は、智慧の光明がさかんで、一切を照らし、迷いから離れさす事の力が大きいので、「大勢至」と名づけられたと言われます。勢至菩薩の智慧は人々を迷いから離れさせて救わずにはおかないという、意思力の重さがあるので「大勢至」といわれます。阿弥陀如来の慈悲と智力を象徴します。ことにこの勢至菩薩は、観音
様と共に、阿弥陀様のおともをして、人がご臨終の時、他の二十五菩薩と共に来迎して密厳国土に連れていっ下さる仏様です。観音様と勢至菩薩との見分け方は、観音様は宝冠の所に「化仏」と言って阿弥陀仏を戴いていますが、勢至菩薩は髻(もとどり)の中に宝瓶をつけています。そして手にはまだ開華していない「未敷蓮華」を持ち、虚心合掌(両掌をいくらかふくらませた型の合掌)をしています。
ご真言 オンサンザンザンサクソワカ 縁日毎月23日
大日如来(未歳・申歳/守り本尊)
大日如来とは、宇宙の総て、人間、自然、天地総ての「本質」を仏格化した仏様です。真言宗では総ご本尊様として、この大日如来から総てのものとして現れている仏様として教え示します。釈迦如来、阿弥陀如来、観音様、お不動様などの総てこの大日如来のはたらきを顕わすためにある仏様であって、その根本は大日如来であります。総てのものの本質である大日如来そのものを、色や形で表すことはできませんが、しかし人間にとっては形や色が無くてはどうにも分からなくなってしまうので、仏様の姿で表すことになり
ました。ただ如来と言う時は、お釈迦様、阿弥陀様、お薬師様にしてもお衣を着けただけでお姿は同じです。そこで手の印相、持ち物でそれぞれの如来様を現して降ります。大日如来はその中の中心となる位にあるということを表現するために宝冠をつけ、髪は宝髪に結び、胸に瓔珞を飾り、腕輪をつけて菩薩のお姿をしております。
ご真言 オンバザラダドバン 縁日毎月8日
不動明王(酉歳/守り本尊)
お不動様と呼び親しんでいる「不動明王」は「不動金剛明王」とか「無動尊」ともいって、大日如来の命をうけて忿怒のお姿をしています。それは仏様の障害となるものを断つ使命を持ち、常に行者に仕えて仏ごころをおこさせて導こうという役目を持っています。
人々を教え導くために3つの方法が考えられた。その一つは、仏様がそのままで人々を教え導く。第2は人それぞれの環境や立場、境遇に応じて、その人に相応しい姿となってともに生活し導く。観音様や地蔵様などの菩薩さまなどです。第3は、ただ教えを説いただけではとても聞き入れようともせず、反抗する者に対して、眼をむき、歯を出して怒った姿を示して、脅しつけ、その威力でもって説き伏せる方法があります。お不動様はこの3番目の役目です。右手に剣を持ち、左手には羂索(つな)を握り、片方の目は半月に、もう一つの目はくわっと見開き、口はぎゅっと牙をむき出してくいしばり、背中には火焔を背負っているお不動様の姿は異様で恐ろしいですが、言うことを聞かないものには、力を持っています。ちょうど言うことを聞かない子どもに、父親が怖い顔をして睨み付け、叱っている姿と同じです。ただ怒るに任せて睨み付けるのでは無く「そんな馬鹿な事はするな」と、顔で怒って心で泣いているお姿です。てにしている羂索(つな)と剣は、言うことを聞かない敵を縛り上げ、時にはそのいのちをも断つ心を象徴し、それと同時に自分の欲望や迷いを断ち切り、勝手きままになりがちな己の心を縛りつける羂索(つな)と剣です。
ご真言 ノウマクサマンダバザラダンカン 縁日毎月28日
阿弥陀如来(戌歳・亥歳/守り本尊)
南無阿弥陀仏と念仏の代名詞になっている阿弥陀如来は、インドの言葉をそのまま移した物で「無量」と言う意味です。仏様の光明が無量であるのでアミダ(無量寿)と言います。仏様の智慧(光)も慈悲(寿)も限りなくそそがれているという事を顕わしているわけです。それで阿弥陀様を「無量寿如来」「不可思議光如来」「尽十方無碍光仏」ともいいます。数え切れない遠い過去に法蔵比丘と言う王位を捨てた修行者が、世の人々の苦しみを無くすために、一切の仏国土より優れた浄土を建立したいと言う願いをおこされ、自分が仏となって、人々の苦しみを救いその浄土に往生させて成仏させたいという事で、長い間徳行を積まれついに、西方10万億土の彼方に安楽世界の極楽浄土を建立しました。この極楽浄土は、黄金を初め七つの宝で作られたまばゆいばかりの宮殿や池に囲まれ、宝石で出来ている樹木が生い茂っています。池には色々な蓮の華が咲き乱れ、天の楽器が常に奏でられ、白鳥や孔雀などが舞い遊び、夜と昼に三度ずつ天の曼荼羅華の雨が降ってきます。香や華鬘、衣服、傘、楽器、装飾品、宮殿など欲しいだけ与えられ、食物は摂らなくても身も心も満足出来、そしていつも極楽に阿弥陀様がいて法を説いて折られ、そこに住んでいる者は身体の苦しみも、心の悩みも無くて、ただ安楽なものがあると言う理想郷であります。
ご真言 オンアミリタテイセイカラウン 縁日毎月15日
(一乗院本堂内に安置・参考図書/仏様の履歴書より抜粋)