★よもやま話(労組機関紙「あらぐさ」より)★

*牛のおいど(2003年12月5日)

 「おいど」とは、お尻の事で、「モーの尻」から、物知りを指すらしい。何故こんな事を言われたかといえば、以下の項目を調べたからである。巷の人はこういう場合、皆同じ流行語を言って笑い転げるが、テレビを見ない筆者には、何がおかしいのか理解できないでいる。
 1)九里より甘い十三里
   江戸から十三里の川越は、甘いサツマイモの名産地だったから。
 2)金沢八景とは?
   元禄の頃、明の僧心越禅師が当地に来てその風景を激賞し、祖国のしょう湘八景になぞらえてよんだ詩     
   から出たと言われ、洲崎の晴嵐、瀬戸の秋月、小泉の夜雨、乙艫の帰帆、称名の晩鐘、平潟の落雁、野  
   島の夕照、内川の暮雪をもって金沢八景としている。  3)「踏んだり蹴ったり」は受動形で言うべきではないか?    本来は「踏んだり蹴ったりの扱いを受けた」と言ったらしい。

*ついにこの日が・・・(2002年10月23日)

 WHOは10月14日、たばこ価格を引き上げることで数百万人の命を救うことができるとして、加盟各国に対して、最低でも5%引き上げるよう呼びかけたそうだ。さらにWHOは、10%引き上げれば世界で4千万人を禁煙に導くとともに、一千万人の命が救われ、開発途上国では900万人の死を未然に防ぐことができると指摘した。
 思えば二十数年前、政府がたばこ税引き上げを決めた時、私は「もっと引き上げろ! 一箱千円くらいにすればいい」と暴言を吐いた。当然の事ながら、生意気盛りの学生活動家どもに、寄ってたかって言い負かされた。しかし今、ごく普通の人たちがたばこ税の引き上げを主張し、私のように「千円にすればいい」と、民医連新聞の投書にも載る時代となった。暴言が暴言でなくなったのである。
 千代田区では、歩きタバコ禁止の条例が制定され、罰金が課せられるようだ。罰金については、私にすら行き過ぎに感じられるが、昨日も県連に向かう途中、火のついたタバコを路上に平気で捨てる御仁を目撃した。こういう姿を見せつけられると、罰金も仕方ないか、と思えてくる。
 また先日は、京急金沢文庫駅で、灰皿の吸殻が燃え続け、猛烈に臭い煙が漂っているのに、喫煙家どもはその回りに平気で集まって、相変わらず紫煙とやらをくゆらせている。私はたまらず、猛毒の煙をかき分けて近づき、置いてあったペットボトルの水で消化した。近くに居た一人の喫煙家が、恥ずかしそうにしていたのがせめてもの救いだった。ここまで社会は進歩し、当たり前の事が通用し始めた事を強く実感した。

*連れ子の縁組み(2002年9月24日)

 パソコン通信の仲間が入籍した。ところがその直前に彼女の母親も再婚し、月に2回姓が変わったという。そこで彼女の相手が、新しい父親の連れ子だったら結婚可能か、という議論に発展した。彼女の本名と同じ漫画も、そのような設定だったらしい。
 結論は、民法でわざわざ設けられている例外規定により、婚姻可能だとの事(第734条 直系血族又は3親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。但し、養子と養方の傍系血族との間では、この限りではない。)。
 これは実は、明治期の民法の規定がそのまま残っているものだという。明治の民法では、婚姻=「妻が相手の家に入る」だった。ところがこの定義だと、いわゆる「入り婿」が存在できない。
 ではどうするかというと、婿を先に娘の両親の養子として縁組みしてしまい、そのあとで娘と結婚すれば、その時点では男は既に「娘の家」の人なので、娘はそのままその家の人となる。なので「婿養子」って言うのだそうな。
 考えてみるのに、憲法24条は、天から与えられたものではなかった。男女不平等は、男性の側にも無理を強いている。

*果糖ぶどう糖液糖(2002年8月28日)

 よく食品添加物の欄でお目にかかるが、一体何のことなのか、さっぱり分からずにいた。
 これはグルコースイソメレースという酵素を使って、工業原料であるコーンスターチ(つまりトウモロコシの粉)を異性化させ、果糖を多く含む液糖に換えたものをいう。果糖が50% 以上のものをJAS法では「果糖ぶどう糖液糖」と言う。50%以下だと「ぶどう糖果糖液糖」という表示になる。これは砂糖より甘味が少ないので、砂糖を20〜50%ブレンドすることも多いという。
 もともとはキューバ危機などの中米の政治的な事情で、砂糖価格が暴騰した事が、グルコースイソメレースの発見に繋がったという。

*空母を奇襲部隊基地に(2002年7月27日)

 米海軍は、空母などをに使う事を検討しているという。昨年10〜12月、キティホークが展開した作戦の「成功」に味をしめてのことらしい。この時アラビア海に展開するのに、肝心の艦載機をほとんど積まずに出港したので、「どういう事だろう?」と首をひねったものだった。キティホークはこの時、特殊作戦部隊をアフガンへ運ぶヘリコプターの出撃基地にされ特殊作戦部隊の海上浮遊基地た。特殊作戦部隊の海上浮遊基地には、来年退役予定のコンステレーションの使用を検討している模様。

*Rp.do(2002年7月16日)

 「Rp.do」は「前回と同じ処方」の意味であるが、「Rp.」はラテン語の「recipe」に由来し、「処方せよ」の意味で、料理の材料を記す「レシピ」と語源は同じだという。元来はRx.と書かれ、これは「Rで始まる何か」という意味の表記だったものが走り書きされるうち、「Rχ」→「Rj」→「Rρ」のように変化して、「Rp.」と書かれるに至ったものだという。
 その次の「do」は、英語のそれとは関係がない。ラテン語の「ditto」を略して語頭と語尾だけを記したもので、正しくはdo.と書き、「上に同じ」の意。「ドゥー」と読むのは間違いで、英語では「ditou」<[i]にアクセント>と発音することになっている。
 この「do.」をアメリカで[du:]と発言すれば馬鹿にされるだろうが、日本の医療現場では「ディトウ」と言ってもまず通じないだろう。

*イムジン河(2002年5月14日)

 メーデーの時にも少し話したが、先日テレビを見ていて「イムジン河」がチャートインしているのに気づき、驚いた。W杯の影響だろうか?
 この歌は60年代の、フォーク・クルセイダーズが歌ったもの。しかし北の立場で歌っているので、レコード発売も、放送も喜ばれなかった。そして2番の歌詞を、原曲とは少し変えてしまったため、著作権侵害と言われた。
 歌は、国家を分断した38度線を流れるイムジン河と、そこを自由に行き来する水鳥を見ながら、遠い南に別れて暮らす家族や恋人を歌っている。
 北朝鮮の原作者が著作権を問題にしたのは、国家分断の原因を最初に作った日本人が、それを詞に勝手に書き加えた事に腹を立てたのではないかと言われている。
 朝鮮半島に暮らす人々の事を思うと、切ない思いがこみ上げてくる。それは、沖縄の事を考えた時の、透き通った哀しみとは、また違った感傷である。

*間引き(2002年5月14日)

 中学生の時以来、園芸をやっていて一番悩むのが「間引き」である。その必要性はよく分かる。しかし何としても、自分のポリシーにそぐわない。自らが何度も「間引き」に会いそうになり、その恐怖にさらされ続け、しかも生き残った事を、潔しと思わないからだ。しかし一方で、生きる権利は無条件に保障されるべきと思う。とすれば、憎むべき相手は、私にかような思い(生き残って申し訳ない)をさせた社会にあると考える。先日、久しぶりに大学を訪れた際、薬草園の丘のふもとに、死者の学友たちが作った小さな記念碑を発見した。私より数年後輩のようである。どんな思いで死に追いやられたのであろうか? 改めて、「いい加減な仕事をしていては申し訳ない」という気分にさせられた。

*山藤(2002年5月8日)

 今年は三崎のクロダイの当たり年らしく、大型のクロダイがバカスカ釣れている。ところがこちらは、正月以降毎日持ち帰り仕事で、全然ヒマがない(;_;)
 去る4/18、やっと休みがとれたものの、強い風が残り、マダイ乗合船の乗船はあきらめ、三崎の地磯へと向かった。場所は好釣が伝えられている油壷を選んだ。一度も行った事がない事に、一抹の不安を覚えたが、「まぁどうにかなるだろう」と、下見をせずに行ってしまった。
 その結果、やはり迷子になり、1時間小網代の森をさまよった後、海水に膝まで浸かって海を渡る事にした。しかし水深は深くなる一方で、途中でついに断念した。疲れ切った私は、1時間程薮の中で仮眠をとり、潮が引くのを待った。しかしあまり潮は動かず、結局ずぶ濡れで帰るはめになった。
 それからバイクの場所までさらに1時間歩き、ヘトヘトに疲れて帰宅した。重たいコマセを持っていた左手は、いまだに肩がこって痛む。
 悲惨な思いだけが残った釣行だったが、十数年ぶりに入った小網代の森で、今を盛りと咲き競っていた山藤の美しさが、胸に滲みた。夜インターネットで調べたら、この日もマダイ乗合船は出船していて、しかも今年最高の釣果だったそうな・・・トホホ。

*じゅうぐんいあんぷ?(2002年4月24日)

 以前、「ちゃぱつ」について書いた事がありましたが、「その法則に従えば、『じゅうぐんいあんぷ』になるのでは?」というご指摘を頂きました。確かに「じょさんぷ」であり「にんさんぷ」ですよね。指摘された方によれば、従軍慰安婦があのような読み方になったのは、ある報道でそう読んでしまってからのようです。

*ちゃぱつ?(2002年4月4日)

 日本語で半濁音が現れるのは、「っ」か「ん」の次だけだそうなので、「茶髪」は本来、「ちゃはつ」と発音すべきものだそうです。それが「ちゃぱつ」と発音されているのは、「金髪」「銀髪」からの連想で、色を表す言葉の次の髪を。「ぱつ」と発音する習慣が誕生してしまったのではないかと指摘する向きがあります。どうでもいいけど、「ちゃぱつ」という言葉は、何か響きが変だぞ〜!

*マージービートに魅せられて(2002年2月20日)

 2/14の集会には感動しました。1万5千人を見渡せる会場というのは、凄いものです。全労連のO君によると、感想文の中には「うちの県にもあんな建物が欲しい」というのが多かったそうです。ハコモノ行政・ゼネコン行政を批判している勢力が、なげかわしや(-。-) かくいう私も、志位委員長の話の最中に、T婦長とともに爆睡してしまいましたが(^_^;)
 もう一つ顰蹙を買ったのは、集会を抜け出してジョン・レノン・ミュージアムに行った事です。12時に開場となり、弁当を食べ終わったのが40分でした。「10分で見てくれば、アトラクションの開始時間に間に合うな」と思い、抜け出しました。M事務長を誘おうと思ったら、11時の開場とともに、すでに見てきたとの事(-"-メ) 仕方なく一人で向かいました。会場に着くと、最初に7分間の映画があるという事で、この時点で遅刻を覚悟しました。次の上映時間を待っていると、労連の仲間がやって来ました。「オレはビートルズ世代なんだよ」と言っていましたが、展示に読みふけったのは私の方で、結局1時間見てしまいました。おかげで、ファントム墜落事故の歌を聴きそこねました。
 私がビートルズを聴いていたのは、1974〜5年の事です。すでにビートルズは解散し、ジョンは「イマジン」などで、反戦・平和活動に参加していました。ベトナム戦争終結をはさんだ時期でしたが、中学生だった私には、何も理解できませんでした。成長とともに時代を知り、ビートルズやジョンへの理解が深まりました。大英帝国の没落、アイルランドからアメリカへの移民がリバプールを経由していた事、ビートルズのメンバーもまたアイルランド人だった事、ヨーコ・オノとの出会いで愛と平和に目覚めたジョンが、ベトナム反戦運動に影響を与えた事、「イマジン」が湾岸戦争や報復戦争反対の歌として、米英で放送禁止の措置がとられた事・・・そして大好きだった「War is over」の意味・・・
 マージー川のほとりにあるリバプール。リバプール空港は「ジョン・レノン空港」と名前を変えました。私も一度、「ストロベリー・フィールズ」などを探しに、リバプールを訪れてみたくなりました。

*デーン粒子の怪(2002年2月12日)

 先日、こんな会話がありました。
O:ユベラ軟膏50gとって下さい。引き出しに1つだけ入っています。
T:おわ〜、デーンと入っていた!(50gの容器は大きいのデス)
  デーン粒子だ! えっと、デーン粒子って何だっけ?
O:聞いた事はありますけど、何だか分かりません・・・
 さぁ、それから気になって仕方がない。素粒子の一つのような気もする。巨大なサイクロトロンで猛烈に加速して、一瞬しか存在しないような、あるいは、スーパーカミオカンデでも検出できないような、宇宙からの素粒子であるとか。そのうち、いや、生物の細胞内にある顆粒の一つのような気もしてきた。daneという綴りまで頭に浮かぶのに分からない。そこでインターネットで検索したら、最初にしし座流星群、次にガンの放射線治療が出てきた。やはり素粒子かと思いきや、これらのページは、ただ単に「粒子」にヒットしただけと判明。もう一度検索しなおしたら・・・何の事はない、B型肝炎ウィルスHBVの事でした。何だかなぁ(-。-)