横須賀での最近の出来事

96年5月29日夜の臨海公園での集会風景。


2008年頃

 空母キティホークの退役にともない、原子力空母「ジョージ・ワシントン」の母港化を日本が受け入れている。

2006年1月6日

 横須賀で米兵が刑法犯で検挙された数は、2000〜2004年で83件にのぼり、このうち6件が、殺人や強盗、放火、性的暴力といった凶悪犯であることが、日本共産党の赤嶺衆議院議員の要求で、警察庁が提出した資料から判明した。

 また、2005年の米原潜の寄港回数は17回で、前年と同じだった。7月22日には、一度に3隻もの原潜が寄港していた。7月21日寄港のメンフィスは、大西洋艦隊所属の原潜。また、原潜が入港していた日数は101日だった。

2006年1月3日午前6時半頃

 米が浜で、空母キティホークの乗組員が女性を殺害。

2005年11月

 横須賀に配備される原子力空母は、「ジョージ・ワシントン」と報じられる。

2005年10月28日

 アメリカが日本に、原子力空母の母港を打診。日本はただちに受け入れ表明。

2005年4月

 イングランド米海軍長官が、議会の承認を前提としつつ、唯一残る通常型空母のジョン・F・ケネディを、キティホークの後継艦にすることを明かにした。ケネディは、18年まで現役にとどまるために今年末に3億5千万ドルをかけて15ケ月に及ぶ大規模なオーバーホールを実施する予定だったが、イラク戦争で膨らんだ戦費などによる財政難により、06年退役の方針が出されている。米政府は、ケネディを退役させて保全し08年に現役復帰させるというが、一度退役させた空母を復帰させるには、現役のままとどめるよりも経費がかかるという。その経費負担を日本側に求める可能性もある。

2005年3月

 水道料金体系は、住宅用のほうが口径が小さいために工業用より安価となっているが、米軍基地の場合、軍用と基地内の米軍家族住宅用が一緒のメーターとなっているため、住宅用の使用量は不明で、住宅戸数は米軍の申請で決めている。横須賀市はこれまで、住宅一戸当たりの月間使用水量を45トンとして、軍用と住宅用の割合を計算していたが、このほど米軍との間で39トンにすることで合意した。住宅用が少なくなることで、料金の高い軍用の使用量が多くなり、横須賀市に支払われる水道料金は約1000万増えることになる。昨年市議会で、「年間1億増えるはず」との質問があったことに対応したもの。しかしこの財源は、日本の思いやり予算なので、米軍の懐がいたむ訳ではない。

2005年3月1日

 イージス巡洋艦「チャンセラーズビル」の乗員14人が、合成麻薬MDMAなどを使用したとして、除隊処分を受け、本国送還されたことが分かった。また同日、キティホークの乗員14人が薬物使用していたことも分かり、うち7人が合成麻薬MDMAを使用したとして、除隊や減給の処分を受けた。昨年もミサイル巡洋艦「ビンセンス」の乗員19人がMDMAなどを使用したとして、禁固や除隊の処分を受けている。

2005年2月10日

 米海軍首脳のクラーク作戦部長が上院委員会で、キティホークを08〜09年に退役させ、後継艦として原子力空母を配備するために、日本側に協力を求めていく考えを示した。

2005年2月1日

 現在、キテイホークの他には一隻しかない通常型空母ジョン・F・ケネディが、06年秋までに退役する計画が明らかになった。当初ケネディは2018年に退役する予定だったが、米国防総省は予算削減策の一環として、ケネディ退役の前倒しを計画したもの。しかしケネディの母港メイポートのあるフロリダ州選出の選出議員が地域経済への影響などを理由に反対している。

2005年1月29日

 房総沖の洋上でキティホークの艦載機が着艦に失敗して海中に転落し、甲板上の乗組員6人が重軽傷を負った。パイロット2名は緊急脱出し、けがはなかった。アレスティング・ワイヤが突然切れたのが原因で、切れたワイヤが当たるなどして負傷者が出、重傷の3人はヘリコプターで横須賀基地内の病院に搬送された。ワイヤの金属疲労を指摘する声もある。

2005年1月12日

 昨年横須賀に寄港した原潜は12隻17回で、昨年より3回増えた。入港日数は、1時間未満が増えた佐世保やホワイトビーチに比べて長いものの、計115日間と、ピーク時(二百数十日)に比べて減っている。大西洋艦隊に所属するアレキサンドリア、オクラホマシティが寄港したことが注目されており、北極の氷の下を通ってやってきている。

2004年10月1日

 ミサイル駆逐艦カーティス・ウィルバーが、弾道ミサイル追跡・探査のため、日本海に配備された模様。艦名が明らかにされたのは3隻だが、ジョン・S・マケインは横須賀に留まっており、フィッツジェラルドは横須賀に配備されたばかりのため、残るカ号が配備されたと考えられる。在日米軍関係者は、「弾道ミサイル監視は24時間体制での活動を強いられる。複数のイージス艦がローテーションで配備されるだろう」と語っている。8月にはイージス艦カウペンスが新潟港への入港を打診していた(台風接近を理由に拒否された)。  一方、弾道ミサイルを迎撃するスタンダードミサイル・SM3を搭載したイージス艦レイク・エリーが9月から4カ月間、アジア太平洋地域で活動している。現時点でSM3を搭載したイージス艦は同艦だけで、SM3配備後初の作戦航海となる。

2004年9月30日朝

 イージス駆逐艦フィッツジェラルドが、横須賀基地に入港した。5月に退役した駆逐艦オブライエンに代わって横須賀に配備される。「カーティス・ウィルバー、ジョン・S・マケイン、フィッツジェラルドのうち一隻が、北朝鮮の弾道ミサイル発射への早期警戒のため、10月1日までに日本海に配備されるだろう」(第7艦隊グリナート司令官)といわれている。

2004年9月23日

 ファーゴ米太平洋軍司令官は、在米軍再編に関する米上院軍事委員会公聴会で、「アジア・太平洋地域に新たな空母戦闘機群を配備するよう提案している」と証言した。

2004年8月21日

 ミサイル巡洋艦レイクシャンプレーンが寄港した。これは佐世保に入港した原子力空母ジョン・C・ステニスの攻撃群を構成する艦船で、当初は静岡市清水への寄港を予定していた。ステニス攻撃群のワルシュ司令官は、今回の寄港は世界規模の演習「サマーパルス04」終了後の寄港であり、海上自衛隊との演習(19〜26日)と並行していることを明かにした。尚、横須賀配備のイージス・ミサイル巡洋艦カウペンスは、台風のために当初予定した新潟港には入港できず、急遽清水港に入港し、そのあおりでレイクシャンプレーンが横須賀に入港することになったという。

2004年7月

 日米両政府が、厚木基地の空母艦載部隊とNLPの岩国基地移転を検討していると報道された。

2004年5月6日

 駆逐艦オブライエンが、退役のためサンディエゴに向けて出港した。92年10月10日に横須賀を母港にして以来、空母キティホーク機動部隊の主力として、湾岸地域等での作戦に従事していた。オブライエンは、報復戦争開始の01年10月8日未明、洋上からのトマホークによる攻撃にいち早く参加した経歴を持つ。後継艦にはイージス駆逐艦フィッツジェラルドが予定されている。アーレーバーク級のイージス駆逐艦だが、94年以降、イージス巡洋艦に代わって製造されている。フィッツジェラルドの配備で、空母キティホーク機動部隊のイージス艦は異例の6隻となるが、日本海に弾道ミサイル防衛のためのイージス艦配備計画の一環とも見られている。

2004年3月31日

 米太平洋軍のファーゴ司令官が、下院軍事委員会の公聴会で証言し、2008年に最新鋭の原子力空母を配備する意向を強く示唆した。昨年就役した空母「ロナルド・レーガン」配備の可能性もある。

2004年2月20日午前

 むらさめが、おおすみとともに室蘭港を出港した。

2004年2月16日午後

 海上自衛隊の護衛艦「むらさめ」が、横須賀基地を出向した。むらさめは、呉基地を出港した輸送艦「おおすみ」と合流し、室蘭に寄港する。

2004年2月11日0時55分頃

 キティホーク乗組員のフレージャー・ダスティン・マイケル容疑者(20)が、HMV渋谷店でCDを盗んだ上、店員二人を殴って逮捕された。

2003年10月7日午前11時半頃

 空母キティホークの廃油流出事故が確認された。自衛隊総幹部前で油と水を分離する装置を積んだ船を使い、船内の廃油を処理中、作業員が装置から離れた間にブレーカーが落ち、廃油が流出したという。作業員が装置から離れたのは、4日午後9時頃から5日午前7時頃まで。

2003年10月

 空母キティホーク艦載機の交替機は、E型ではなくF型が配備されそうだという。E型がパイロット1人なのに対し、F型では2人になっている。同型の2機が02年10月にカリフォルニアの沖合で墜落事故を起こしている。

2003年8月

 空母キティホークの艦載機・F−14トムキャットに代わって、F/Aー18Eスーパーホーネットを配備するという。これは米海軍が次世代の最新鋭戦闘攻撃機として開発し、昨年7月には原子力空母エイブラハム・リンカーンに配属、11月にはイラクの「飛行禁止区域」で任務にあたっている。退役を間近に控えた老朽艦に配備するのは、F−14の退役が待ったなしの状況にあるためと考えられる。新スーパーホーネットは、従来のホーネットに比べても、航空距離が40%長くなっている。

2003年7月28日

 ミサイル・フリゲート艦のゲアリーとバンデグリフトが帰港したが、在日米海軍司令部がプレスリリースで「米中東軍の一員として『イラクの自由作戦』を支援するため1月29日に出港していた」と説明したにもかかわらず、ゲアリーの艦長は帰港にあたっての記者会見で「(イラク)攻撃には参加していない」と発言。関係者は、「記者会見などで政治的発言をしないとの事前の打ち合わせがあった」と言う。キティホークの艦長が海上自衛隊の補給艦から間接的に給油を受けた事を明言し、政治問題化している。この時ゲアリーとバンデグリフトは、直接給油を受けた事も明らかになっている。

2003年6月13日

 12号バースの延伸工事について、横須賀市が着工を正式に承認した。

2003年5月10日

 原子力空母カール・ビンソンが寄港した。バースがいっぱいのため、沖泊まり。

2003年5月6日

 イラク戦争に参加していた空母キティホークと、随伴艦のミサイル巡洋艦カウペンス、ミサイル駆逐艦ジョン・S・マッケインが帰港した。キ号のパーカー艦長は記者会見で、海上自衛隊から約80万ガロンのディーゼル燃料を受け取ったと明言。またミサイルフリゲート艦バンデクリフトとゲアリーは、オマーン湾で海上自衛隊艦船から直接給油を受けたことも明らかにした。配布資料によると、キ号艦載機の出撃回数は5千回以上にのぼる。さらにキ号を含む第5空母群のモフィット司令官は、クラスター爆弾の使用と、カウペンスとジョン・S・マケインがトマホークを計70発発射したことを明かにした。

2003年3月20日

 日本時間で11時半頃開戦したが、横須賀を母港とするイージス巡洋艦カウペンスは、日本時間午前11時頃、トマホークを10発発射した。また、日本時間午後9時過ぎ、NHKのニュースの中、キティホーク甲板上からの報道は、発艦する艦載機の爆音に、たびたびかき消されていた。

2003年1月23日午前8時

 キティホークが出港した。これに先立ち、7時にミサイル巡洋艦カウペンスも出港している。

2003年1月22日朝

 キティホークが帰港した。米国防総省は、キティホークなど5隻の空母にイラク攻撃を認めることは、ほぼ間違いなく、その場合、カールビンソンが西太平洋での任務を引き受けるという。一方、「キティホークが西太平洋からいなくなれば、平壌に対して、先制攻撃否定のシグナルとなる」という専門家の分析もある。

2003年1月20日午前8時頃

 キティホークが出港した。神奈川新聞によると、(甲板などの)修理後の試験航行とみられ、数日で戻る見込みという。一方、艦載機は10日からNLPを行っており、本格的に出動するという見方が有力。毎日新聞の年末の報道によると、NLPは当初のスケジュールを1ヶ月早める事で、北朝鮮に圧力をかける行動とみられる。一方、在日米海軍当局者は、同報道を否定している。

2003年1月7日

 横須賀市が、12号バース延伸工事の受け入れを決めた。

2003年1月5日

 イージス艦「きりしま」が、インド洋の活動海域に到着し、護衛艦「ひえい」と任務を交代した。

2002年

 米原子力潜水艦の寄港は、前年比1増の16回となった。すべてロサンゼルス級攻撃型原潜。米太平洋艦隊潜水艦司令部によると、シャーロット、ラホヤ、ホノルル、ルイビルの4隻が、対テロ報復作戦(「不朽の自由」作戦)の支援をしていた。特にホノルルは、原子力空母リンカーン戦闘群に加わり、8月末に横須賀寄港後、ペルシャ湾に向かっている。98年1月から2000年5月まで、「核攻撃能力の認証」を受けていた10隻が、すべて同時期に日本に寄港しており、このうちラホヤ、ポーツマス、ホノルルの3隻は、2002年にも横須賀に寄港している。

2002年12月16日午前9時前

 イージス護衛艦「きりしま」が、インド洋へ向け出港した。ヴェルニー公園では、右翼から左翼まで多数集まって騒然とし、機動隊も出動していたとの事。  「きりしま」は、インド洋で給油支援活動を続ける護衛艦「ひえい」と任務を交代し、3〜4週間かけてインド洋の対米給油支援活動海域に到着する見込み。現場海域には、「ひえい」のほか、護衛艦「さみだれ」と補給艦「とわだ」が活動中で、さらに護衛艦「はるさめ」と補給艦「ときわ」が向かっている。

2002年12月14日

 キティホークが横須賀に帰ってきた。中東方面に向かっているという情報は一体、何だったのだろうか?

2002年12月11日

 在日米海軍司令部関係者は、空母キティホークが中東方面へ向かって航行している事を明かにした。駆逐艦オブライエンとミサイル駆逐艦カーティス・ウィルバーも随伴している。中東湾岸地域にはエイブラハム・リンカーンとジョージ・ワシントンの空母2隻が展開し、アフガニスタンでの対テロ作戦とイラク南部への空爆作戦を行っているが、これらと交代配備の名目で、コンステレーションとトルーマン両空母も同地域に向かっている。ニューヨークタイムズ8日付(インターネット版)は、「空母4(〜5)隻体制」と報道、また米民間軍事研究機関「グローバル・セキュリティ」も、状況によってはキテイホークがイラク攻撃に参加する可能性を指摘している。  在日米海軍報道部によると、キティホークは10/25に「通常の訓練」のために横須賀を出港し、11月中旬に鳥取沖で日米共同演習に参加。その後鹿児島沖へ南下して11/29に香港に寄港。12/3に出港していた。

2002年12月10日

 海上自衛隊は、イージス艦「きりしま」を、16日午前、横須賀の自衛隊基地からインド洋に向けて出港させると発表した。

2002年11月27日

 防衛施設庁は、12号バース延伸で100〜130億円を投じる考えを明らかにした。思いやり予算(施設整備)で実施され、横須賀市との「湾岸協議」を得て着工する。02年度は28億円を計上したという。

2002年11月

 横浜防衛施設局は、12号バースの汚染土壌封じ込め工事が完了したとして、バースの延伸・拡張工事の協議を横須賀市に申し入れようとしている。住宅工事区域では、「土壌汚染範囲の確定はできなかった」(横浜防衛施設局)という状態のまま、限られた汚染封じ込め工事と建設工事が平行してすすめられている。  また、延伸計画の中で、艦船からの荷物の揚げ降ろしや物資補給に使用されている2基のクレーン(固定式350トンと移動式60トン)に代え、150トンと80トンの移動式クレーン新設の計画も進められている。  今年6月に出された米海軍戦略計画指針(navy Strategic Planning Guidance)では、「CVN77は、CVN76(原子力空母ドナルド・レーガン、2003年3月に引き渡し予定)の修正複製艦で、空母キティホークと2008年に交代する予定」としている。

2002年11月11日

 神奈川県警薬物対策課と山手署は、キティホークの乗組員ヤコフ・ニック・バコーリン三等水兵を、麻薬取締法違反の容疑で書類送検した。9月7日にケネディ国際空港から成田空港に合成麻薬「MDMA」(通称エクスタシー)68錠を密輸した疑い。末端価格は、1錠あたり3〜5千円。8月にもキティホーク乗組員が、乾燥麻薬約1キロを密輸しようとして逮捕されている。

2002年9月3日

 米海軍第7艦隊司令部が、キティホークのトーマス・ハイル艦長を解任した。解任の理由として、第7艦隊広報部は、1)統率力に欠け、艦長としての重要な任務その他を遂行できなかった、2)乗組員の管理・統率を怠ったことをあげている。後任には、原子力空母「ニミッツ」の前副艦長、ロバート・D・バーバリー2世第7艦隊参謀が3日付で就任している。

2002年8月16日

 米原子力空母リンカーンが佐世保に入港し、随伴艦のミサイル駆逐艦フレッチャーが、横須賀に入港した。

2002年8月11日午前5時25分頃

 横須賀署は、強盗到傷の現行犯で、米海軍二等水兵(キティホークの乗組員・23歳)を逮捕した。この水兵は、横須賀市本町のレストラン経営の男性の部屋に侵入、顔面を殴るなどして、1ヶ月のけがを負わせた。

2002年7月末

 米海軍は、空母などを特殊作戦部隊の海上浮揚基地に使う事を検討しているという。昨年10〜12月、キティホークが展開した作戦の「成功」に味を占めてのことらしい。キティホークはこの時、艦載機をほとんど積まずに出港し、特殊作戦部隊をアフガンに運ぶヘリコプターの出撃基地にされた。米海軍は、来年退役予定のコンステレーションの使用を検討している模様。

2002年5月

 米国防省アジア担当国防次官補によると、日本周辺に空母を追加し、西太平洋の空母2隻に、中国の抑止目的を持たせる計画だという。

2002年3月26日

 自衛隊武山駐屯地に、県内の陸上自衛隊としては初めての武装部隊が移駐した。朝霞駐屯地から移駐してきた普通科小隊は、小銃や機関銃で武装し、普通科直接支援隊は、迫撃砲で武装しているとみられる。横須賀の海上自衛隊は、武装・実戦部隊であり、航空自衛隊は、武山駐屯地に第2高射群第2高射隊という地対空ミサイル・パトリオットの部隊を持っている。これで横須賀の陸海空すべてに、武装部隊が存在することになった。

2002年2月12日

 海上自衛隊の補給艦「ときわ」が、インド洋に向け出動した。米英軍への軍事支援活動が長期化していることに伴う交代のため。政府が11月に閣議決定した「基本計画」では、派遣期間を5月19日までとしているが、小泉首相は、期間延長を示唆している。

2002年2月3日午前3時20分頃

 東京都港区六本木の路上で、横須賀基地所属の二等兵曹が、銃刀法違反(所持)、覚せい剤取締方違反(同)などの現行犯で逮捕された。見つかった薬物は、覚せい剤・大麻・コカインで、短銃2丁はいずれもイタリア製ベレッタ。

2001年12月24日

 ミサイル・フリゲート艦ゲアリーが帰港した。

2001年12月23日

 空母キティホークが、ミサイル駆逐艦カーチス・ウィルバーとともに帰港した。10月1日に出港して以来、2ヶ月半ぶりの帰港。  県原水協など県内の平和・民主団体は、基地司令官に抗議文を手渡し、県母親連絡会は、約40人でクリスマスカードによるメッセージを米兵たちに伝えた。

2001年12月22日

 キティホーク戦闘群のスティーブ・カンクル司令官らが、時事通信などのインタビューに答え、艦載のFA18などの戦闘攻撃機15機がアフガン空爆に参加、600回を越える出撃を繰り返し、「約100発のさまざまな爆弾を目標に投下した」ことを明らかにした。横須賀を母港とする同戦闘群は、6隻が作戦に参加し、3隻がすでに帰港している。同司令官は今回の作戦で、同空母から出撃した特殊部隊にも言及し、「2ヶ月程駐留し、規模は6〜700人。陸軍だけでなく、すべての軍の兵士が入った部隊だ」と述べた。  一方、同戦闘群の駆逐艦隊を指揮する第15駆逐艦隊のダニエル・ダベンポート司令官は、巡航ミサイル攻撃について、「駆逐艦オブライエンが作戦初期の段階で攻撃した」と語った。また、同艦が民間船舶の乗船臨検などを実施したことも明かにした。

2001年12月12日朝(現地時間)

 「うらが」がパキスタンのカラチ港に到着。同港で国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に物資(アフガニスタン難民へのテントや毛布など)を引き渡して任務を終え、今月中に横須賀に戻る。

2001年11月25日午前

 自衛隊の掃海母艦「うらが」が、出航した。パキスタンのカラチ港へ難民救援物資を輸送する。完全武装の護衛艦「さわぎり」が護衛していくが、「うらが」にも20ミリ機銃を搭載したという。

2001年10月22日

 核兵器全面禁止条約の交渉開始を要請する原水爆禁止日本協議会代表団8人の一人として、横須賀原水協事務局長・大須賀寛氏が、ニューヨークへと飛び立った。代表団の派遣は、原水爆禁止2001年世界大会のよびかけにこたえた「核兵器全面禁止・廃絶条約交渉のすみやかな開始を求める国際キャンペーン」の一環。

2001年10月20日未明(現地時間)

 キティホーク艦載のヘリでアフガン入りした米陸軍特殊部隊が、アフガニスタン南部のカンダハル西方のババサヒブ山に着陸し、対地攻撃機AC130などに支援され、近くのタリバンの飛行場を急襲、タリバンと数時間にわたって交戦した。

2001年10月9日

 ワシントンポストによると、16日までに米軍は第101空挺師団と第160特殊航空作戦連隊を海外に派兵。攻撃ヘリ、戦車、兵員からなるホーク作戦部隊、米陸軍ヘリの洋上基地となる空母キティホークとともに軍事作戦を行うだろうとの見解を載せている。同空母はパキスタン沖に到着し、地上攻撃部隊の洋上ステーションになったとみられる。また同紙は、ペルシャ湾岸の海兵隊水陸両用部隊2200人も、いつでも軍事ヘリに乗り、地上戦闘にかけつけられる体制ができていると伝えている。

2001年10月8日

 米英両国軍によるアフガニスタンへの第一波軍事攻撃で、横須賀を母港にし、現在、アラビア海に展開している駆逐艦オブライエンが、巡航ミサイル・トマホークを発射したことが、ワシントンなどの報道により分かった。オブライエンはイラクに対する経済制裁のため、ペルシャ湾での船舶検査を目的に、6月中旬横須賀を出港し、第5艦隊に加わっていた。

2001年10月1日

 キティホークが再び出港し、インド洋に向かった。在日米海軍司令部は、「『不朽の自由作戦』に呼応して、国から与えられた任務を支援するため出港した」と発表。通常の作戦で載せる約70機の軍用機を搭載せず、アフガニスタンに特殊部隊を潜入させるため、ヘリコプター基地として利用するという。

2001年9月30日

 キティホークが帰港した。

2001年9月28日午後6時頃

 キティホークの艦載機FA18戦闘攻撃機が、厚木基地でオーバーランした。県道からわずか20メートルで止まったという。横須賀基地の沖合には、米軍の極東軍事海上輸送軍団の給兵艦フリントが停泊、給油艦ラパハノックが出港した。

2001年9月21日午前7時すぎ

 空母キティホークが出港した。艦載機がNLPを実施している硫黄島周辺に展開、これを収容し、さらに訓練を続けた後、アラビア海に向かうとみられたが、実は修理していた飛行甲板などの試運転のためだった。海上自衛隊の護衛艦「しらね」「あまぎり」が「警戒監視」を実施する。海自艦船が訓練以外で、空母護衛を実施するのは初めて。海上保安庁は、異例の90隻もの艦船を出動させ、周辺警備にあたった。またこの日、キティホークに前後して、ミサイル駆逐艦カーティス・ウィルバー、同ジョン・S・マッケイン、駆逐艦カッシング、ミサイル・フリゲート艦ゲアリー、給油艦ラパハノックが相次いで出港した。先頭を「しらね」が受け持ち、次いでゲァリー、キティホーク、カッシング、「あまぎり」、掃海艇「のとじま」の順に縦列で東京湾を出て行った。政府は、「護衛艦が警備・警戒行動に出ていたが、たまたまそこに空母がいた」と言っている。

2001年9月17日

 午前、ミサイル駆逐艦カーティス・ウィルバーとミサイル巡洋艦ビンセンスが相次いで出港した。午後1時には攻撃型原潜ブレマートンが沖合に一時停泊し、2時に出港。15日に佐世保を出港していた給油艦ラパハノックが入港した。

2001年9月15日

 アメリカで起きた同時多発テロ事件に関連し、ミサイル巡洋艦カウペンスが出港した。

2001年8月28日午前

 横須賀を母港とする5隻が、4民間港にいっせいに入港した。姫路港にはミサイル巡洋艦ビンセンス、和歌山の下津港には駆逐艦クッシングとミサイル・フリゲート艦バンデグリフト、名古屋港にはミサイル・フリゲート艦ゲアリイ、清水港にはミサイル駆逐艦ジョン・S・マケインが入港した。姫路、和歌山港への初めて、名古屋港は98年の沖合停泊を除き、接岸は24年ぶり、清水港は98年以来2回目。姫路港への寄港は、神戸港に寄港する外国艦船に非核証明書の提出を義務付けた非核「神戸方式」が実施された75年以来、兵庫県内の民間港としても初の入港。99年8月に駆逐艦カッシングが初めて舞鶴港に寄港した際の抗議運動の詳細が、舞鶴東警察署から米海軍や米政府関係などに報告されていた事実が、米軍の資料で明らかになっている。こうした寄港が、新ガイドラインの具体化としての寄港である事を裏付ける資料である。

2001年6月5日

 神奈川県原水協と横須賀原水協は、米軍原子力潜水艦の横須賀寄港の際の「通告違反入港」「体験航海」問題で、在日米海軍横須賀基地司令官に抗議し、事実関係の調査・公表を求める抗議文を提出した。横須賀基地への寄港は666回を数えるが、入港後すぐ出港しその日のうちの再入港したり、いったん出ていったのに1日おいて再入港したりする異常な運航が44回もあり、「体験航海ではないか」との疑惑が持たれている。また、寄港の際の事前通告時間と大幅にかけ離れた「通告違反」(30分以内を除く)が30回と指摘している。

2001年5月

 横須賀基地の米兵夫婦が、軍事郵便を使って偽ブランド品を密輸入しようとして逮捕された。この夫婦は、基地内のPX(販売所)で購入した非課税商品を基地から外に持ち出し、都内の多くの店舗に横流しして利益をあげていたという。PXで販売する品物は、日米地位協定にもとづいて消費税や酒税など日本国内での関税が免除されている上、ドルで購入できるために基地外で販売すれば倍近くの値段で売れることになる。横須賀基地の正門では、基地に入る場合は身分証明書の提示や、必要なときには持ち物の検査まで厳しくチェックするが、基地から外へ出る場合には正門だけでなく第2ゲートまで開いて一気に外に出してしまう。覚醒剤や銃器などでも簡単に持ち出せることになる。

2001年5月30日

 神奈川県保険医協会が発表したところによると、昨年10月の調査により、横須賀基地に隣接する臨海公園で釣り上げたハゼ52匹中、13匹(25%)は体が曲がった外観異常で、レントゲン検査では、31匹(59.6%)が背骨が曲がる脊柱側湾だった。98年の調査では、ハゼ15匹に異常はなかった。同協会では、原因調査のため、基地の重金属汚染物質であるカドミウム、総水銀、鉛、PCB、ヒ素とTBTを検査した結果、ハゼの内蔵からすべてが検出された。12号バースの土壌を広く汚染しているヒ素は、肉質からも検出され、「横須賀基地が汚染源と考えられる」と指摘し、環境大臣に、基地周辺の環境調査と抜本的な対策を申し入れた。

2001年5月23日