★巨大スズキ格闘記★


あぽニャンコの巨大スズキ格闘記(1995年7月15日)

 スズキという魚は出世魚の代表で、セイゴ→フッコ→スズキと出世していきます。かなり獰猛な魚で、生きた小魚などを貪欲に食するため、ルア−の対象魚としても有名で、シ−バスの異名を頂いているほどです(リ−ガルは着かない!)。食べてもおいしい魚で、夏場のあらいの他、フランス料理にもよく使われます。私も今までに何度か挑戦し、それなりの釣果を得てきました。1992年の春には、金沢八景からの出船でエビエサで狙い、最初に47センチのフッコをゲット、その後何度も通う中で、67センチ2キロの大物を手にする事ができました。しかし、東京湾の奥深い所でとれた魚体には、独特の臭みがあり、海の綺麗な観音崎沖で釣りたいと思うようになりました。
 金沢八景にせっせと通っていた頃、走水の勝洋丸という船宿を知りました。まるで商売気のない船宿で、夜明けとともに出船し、4時間しか釣りをしません。活きエビは高価なため、普通の船宿では1尾50円ほどで買わなければならないのですが、ここの船宿はタダで使いたい放題です。船頭も一緒に釣りをするのですが、船頭の釣った魚は、くじびきで客にくれます。船宿に戻ったあとは、朝食のサ−ビスまであり、何もおみやげのない客には、前日までにとれた魚や海藻類をくれます。船頭もおかみさんも気さくな人で、私が行くと、医療関係の質問攻めにあわされます。常連客も皆親切で、色々と教えてくれるのです。正月と夏には、最近の釣果を紹介した船頭直筆のハガキが届きます。釣果の方も上々で、普通めったに釣れないマダイでも、ここでは3回に1回は手にする事ができるのです。私はここで、93年2月に2尾のスズキを釣りました。この時はルア−を使いました。ルア−というと聞こえがいいのですが、鉛の棒を磨いただけのもので、これにハリと糸をつけ、ただひっぱってくるだけなのです。おまけに極太のハリス(8号)を使っているため、かかった魚はタモを使わずに抜き上げてしまいます。この時のスズキは、1.5キロくらいのものでした。しかし、この船宿の看板は、何と言っても活きエビでの釣りです。次は何とか夏場に、エビでスズキを釣りたくなりました。
 94年初夏、やっとそのチャンスがおとずれたのですが、私にはアタリが2回あったものの、ハリにひっかける事ができず、無念の涙をのみました。この日は船頭が、3キロの大物スズキを上げていました。この魚は、私が貰えたのですが、釣人のプライドが許さないので、断ってきました。
 今年に入ると、皆さんご存じの通りに薬局の体制が厳しくなり、休みが全然とれなくなりました。くだんの船宿は、土日はほとんど一杯なので、平日にしか乗れません。しかし、夜明けが早まるとともに出船時間が早くなり、6月からは3時半出船となるため、出勤前の釣行が可能となりました。ところがスズキ釣りは、大潮まわりでしか出船しません。5〜6月には、大潮が土曜〜火曜にあたり、これまた難しくなりました。週のはじめに患者さんが集中しているため、万に一つも、遅刻は許されません。月・火・水と外来が猛烈に混むため、毎週身体の具合が悪くなって微熱を発し、とても釣りどころではありません。さらにこの間の悪天候、やっと行けそうなので電話をしても、「今年は釣れていないので」と奥さんに断られる始末(商売気のない人だ)。そんなこんなで、やっと釣行にこぎつけたのは、6月28日のことでした。念のため、事務長には遅刻の可能性がある事を伝え、奥さんには、朝食の準備を断っての釣行でした。しかしこの日は船中誰も型を見ることができず、全員がコンブをもらって帰りました。ただ、隣の漁船では、オヤジがフッコを連釣していましたし、船頭には2回アタリがあったとの事で、次回に望みをつなぎました。

 そんな状況の中で、7月12日の釣行も、どうするべきかずいぶん悩みました。3時半に乗るためには、2時頃起床しなければなりません。しかも毎週火曜は会議が入るため、帰りは遅くなります。睡眠時間は3時間ほどしかとれないため、寝付けなくてもハルシオンに頼るわけにいかず、いつもほとんど一睡もせずに釣行する事になります(会議の後は興奮するためか、どうしても寝付けなくなる)。それにどうせ釣れないなら...という気になり、毎度の事ながら、ほとんど義務感のみで釣行することになります。悪天候を期待しても、こんな時に限って良い天気なのです。
 7月11日火曜日、前回の失敗(興奮して寝付けなかった)を教訓にし、何があってもイライラしないように心掛けていたのですが、例によって姉とイザコザを起こし、とても冷静とは言えない精神状態で床に入りました。するとやはり、寝付く事ができません。夜を悶々と過ごすうちに、起床すべき2時15分を迎えました。
 走水の防大カッタ−手前の船宿につくと、いつもの常連が次々とやってきます。お茶を頂きながら雑談するうちに、出船の時間を迎えました。前日はタイが好釣で、2.5キロを頭に全員が型を見た中で、船頭はサメしか釣れなかったそうです。

 ここで、エビエサでのスズキの釣り方を説明しておきましょう。サオは私の場合、1.8メ−トルのキス竿を使います。ベテランの人は、手バネ竿と言って、竿に必要な長さだけの糸を結び、竿のお尻に尻手ロ−プを結んでおき、魚がかかると糸を手にとってやりとりし、魚の引きが強い時には、竿を海に放り込み、尻手ロ−プでやりとりします。私は竿で魚の引きをためるのが好きなので、リ−ルを使って糸を送り出しながら、魚とやりとりします。重りは8号と、船釣りでは一番軽い重りを使います。糸の長さは重りまで7ヒロ(12メ−トル弱)と決められており、船頭が船の速度を調整して、エサを魚のいるタナに合わせているそうです。ハリスは3メ−トルほどあり、5号のハリスを、チモトだけ2重にしてあります。ハリはスズキバリという巨大な針で、人間でも楽に釣れそうです。この針のチモトに、板おもりが少し巻き付けてあります。エサの付け方は、エビの口からハリを入れ、鼻先を引っ掛けるような形で、背中に少し針先を出します。スズキの魚信は、「コツン」と竿先にだけ響く、弱いものです。この時、竿先を送り込んで、食い込ませてやります。船頭の言い方だと、「4口ほど食わせてやれ」という事ですが、ものの本によると、5秒くらい待てと言います(私の経験では、5秒で食い込んだ事は一度もない)。すると、魚が竿先を持ち込み始めるのです。ベテランの話しでは、竿先に重みを感じたら、少し誘ってやると、魚が慌てて食い込むという事です。スズキはブラックバスと同様に、「エラ洗い」と言って、水面でエラを広げて暴れ回る習性があります。エラブタは刃物のように尖っているので、この時ハリスを切られる事が多いのです。

 さて、定刻の3時半より少し遅れたところで、まだ真っ暗やみの東京湾へと、船は河岸ばらいしました。この日の最初のポイントは、第3海ほ回りです。戦争中、軍部は東京湾に3つの人工島を作り、猿島と結んで「帝都」の守りとしました(実際には、猿島の高射砲は、高高度を飛行するB29やムスタングには届かなかった。これらに届くのは、ドイツ製の88ミリ砲だけだった)。第3海ほは、観音崎のすぐ目の前にありますが、だいぶ傾いて半分水没しています。ここはクロダイの名所で、この日もたくさんの釣人がサオを出していました(たまに放尿のために、自前のサオを出している人もいます!)。船頭は、魚探と潮の流れをみながら、しばらく船を操っていましたが、「ハイ、イイヨォ〜」と大きな声で合図してくれました。私の場所は、左舷胴の間で、エサをバケツに2匹入れたのですが、まだ真っ暗なため、大きなエビが1匹混じってしまいました。こんなに大きくては、フッコクラスには敬遠されかねません。大きなエビの方が先に参ってしまうので、仕方なく私は、この巨大なエビを針に付け、海へ放り込みました。結果的にはこのことが幸運をもたらしたのだろうと思います。遠く輝く第2海ほの灯台を見ながら、のどかに波に揺られていると、睡魔が襲いかかってきます。居眠りをこいて竿を海に落としそうになりながら、私はぼんやりと時をすごしていました。と、その時です。
 「コツン」
と竿先に魚信がきました! しかしちょっと変です。別に音がするわけではないのですが、スズキのアタリは、澄んだ音がしたように、極めてさわやかな後味を残すものなのです。しかし今回のは、いわば濁った音がしたような、変な感じを残しました。私は、「あれ? カサゴか何かかな?」と思いつつ、すかさず竿を送り込みました。糸を張ったままだと、魚が異常を感じて、エサを放してしまうからです。そこからカウントを始めたものの、やはり5秒を過ぎても、何の音沙汰もありません。一応10秒までは様子を見ようと思いました。しかしやはり変化がありません。そろそろ上げてみようかと思った矢先、12秒程で竿に重みが乗りました! 私は半信半疑で船頭に教わった通り、竿をゆっくり上げてみました。突っ込みは見せないものの(過去2回はここで魚が走り出した)、重みは乗ったままなので、私は糸をまきはじめました。引きはそれ程感じないものの、柔らかいキスザオは、重量を感じて大きくしなっています。暗闇の中、私は黙ってやりとりしていました(魚の正体がわからないため)が、回りの人が気付いて騒ぎ始め、船頭がタモを持ってすっ飛んできました。その時、奴は激しい突っ込みを開始しました。しかし小型のリ−ルを使っているので、ドラグ調整が難しく、糸が出て行きません。船頭は、「おっ、この突っ込みはタイだぞ!」とうれしそうですが、竿が激しくひん曲るのを見て、「早くドラグを効かせい〜」と怒鳴りまくります。私は「ハイ」と返事をし、危機一発でドラグから糸を引きだしました。奴はその後何度も激しい突っ込みを見せ、そのたびにドラグが悲鳴をあげて、糸を送り出していきます。7ヒロの目印が現れ、最初の状態に戻ってしまいました。左舷大どもにいる常連の女性が、「いいわあ、羨ましい!」と黄色い声を出しています。こちらはそれどころではなく、魚とのやりとりに必死です。竿が柔らかいため、魚との引っ張りあいができず、魚がいつまでたっても弱りません。そのうち船頭が、「あれえ〜、随分かかるなあ。サメじゃあねえか?」と言いました。アタリはタイではなかったし、突っ込み方はスズキにしては激しすぎるし、前に1メ−トルのアカエイを釣った時にもこんなだったので、私は「サメかも知れません」と答えました。
 サメと聞くと薄情なもので、船頭を含めて、皆散ってしまいました。私は魚との激しいやりとりにうんざりし始め、早く上げてしまおうと努力しました。しかし、ただ大きいだけの相手なら、こんなに激しく突っ込むでしょうか? サメにしては、突っ込み方が鋭角すぎる気が残りました。あたりはまだ暗いため、どこまで糸を巻いたかわからず、糸が巻けなくなったので見ると、オモリが竿先まできていました。船頭がタモを持ってきたので、糸をたぐり始めると、薄明の中に、細長くて白い巨大な魚の腹が見えてきました!
「うわ〜、デカイ!」
船中に喚声が上がります。「5キロクラスだ!」と興奮している客もいます。無事タモに収まり、魚を持ち上げてみると、5キロはなさそうで、3〜4キロと見ました。それにしてもデカい! こんなに大きなスズキは見た事がありません。メジャ−を当てたら、83センチありました。
 巨大スズキの毒気にあてられて、その後誰も追釣できず、船頭が1.5キロクラスのクロダイを上げただけで時間がきました。イケスで泳ぐ巨体の前では、大物クロダイもメダカのように見えます。ベテラン連中を尻目に、自分だけいい目を見た私は、逃げるように帰ってきました。病院で秤に載せると、4.1キロありました。それにしても、魚を見せたときに皆があげる
 「うえ〜っ!!」
という声は、何度聞いても優越感に浸らせてくれます。それを言うと職員が、「オマエいやな性格している」といいますが...。

 巨大スズキは、家で数時間に及ぶ解体作業の末、半身は橋爪さんに、1/4は従兄にやり、あとは親父と私でたべました。しかし、我々が食べたスズキはうまくありません。いとこのところで食べてみると、すごくおいしいのです。家で刺身に切る時、魚が暖かく感じましたので、夕方以降、うちの冷蔵庫が壊れたか、詰め込み過ぎで冷えなくなってしまったようです(P・Sその後、冷蔵庫の寿命のせいである事が分かりました)。ところで、背骨の直径が2センチほどもある魚の解体は困難を極め、私の手はボロボロになってしまいました。もうあんなデカイ魚は釣りたくありません! 今までの記録−65センチ、3.5キロのワラサ−を半年余であっさりと塗り替えてしまいました。しかしスズキは、あそこまで育つのに、何年かかるのでしょうか? クロダイの場合、私が今までに釣った中で一番大きい45センチに育つのに、8年はかかるそうです。するとこのスズキは、10歳以上の可能性が大きいでしょう。何だか、すごく残酷な事をしたような気がします。やはり釣りは、ヤクザな趣味だと思います。そう言いながら私は、もう次の釣行の計画を練っているのですが...。