★ネコ論文2★

4)大学時代
 入学して間もなく、クラスの自己紹介のパンフレットがつくられたが、その中に、「ネコが大好きです」と書いた女の子がいた。その子は最初あまり目立たなかったが、2年の頃、急に人気が出た。当時クラスの連中が「フィ−リングカップル」とやらに出演したのだが、そのうちのある一人が、テレビで「ボクはニンジンが嫌いです」と言って、何故かウケた。それが放映された翌日、大学に行くと、講義室の黒板に、「ボクは栗が山ほど好きです!」と書かれていた。例の女の子は、栗山さんというのだった。私の21歳の誕生日に姉がプレゼントしてくれたのは、りっぱなネコの写真集だった。私はこれがとても気に入っていたのだが、以前にも書いたとおり、悪女R子にとられてしまって、今は手元にない。この写真集を、くだんのネコ女史に見せたところ、いたく気に入り、やはり半年くらい返してくれなかったことがある。その頃、私がネコ女史の彼氏の誕生日に、キティ−ちゃんのぬいぐるみをプレゼントしたこともあって、彼女と私は、顔を合わせればネコの話しをしていた。彼女の家には、たくさんのネコがいるのだそうだ。子ネコがおっぱいを飲む時、前足で交互に踏みながら吸うことや、そのために、大きくなってからも、気持ちよくなると麦踏み運動をはじめることや、ネコの舌はスプ−ンのような形をしていて、ミルクを皿から飲むのに適していることなどを、彼女は私に教えてくれた。私がくだんのネコの本を無理やり返してもらった時、彼女はその本を、自分の家のネコに見せたがってくやしがった。可愛い子ネコの写真を見せると、「負けるもんか!」と顔を洗いはじめるのだそうだ。
 さて、大学4年になると、研究室に配属となり、そこでの人間関係が非常に濃厚となる。また、(有機合成の)反応をかけている間は、一定ヒマでもある。そこで私は、「猫の手帳」という月刊誌を購読して、話題づくりにいそしんだ。そのころ、私の敬愛する先輩(と言っても、留年して同級生になったが)は、研究室で、くだんの栗山さんと親しくなっていた。当然彼もネコに興味を抱きはじめる。彼は、例の私が一番気に入っていた本の中に出てくる、「ブブク」という子ネコのファンだった。彼はその後栗山さんと結婚している。

5)衣診時代  私の卒業・就職とともに、池子に米軍住宅を建設する計画が持ち上がり、逗子は熱いたたかいの時代に突入した(あれからもう10年だ!)。私は、現逗子市議の岩室クンや橋爪さん(当時は佐々木さん)とともに、苦しいながらも楽しい活動に参加した。佐々木さんの家は、家族全員が動物好きで、皆がかわりばんこに犬やネコを拾ってくる。当然家の中は犬ネコだらけだ。夏になると、所内でジャンボリ−運動が活発になり、数少ない青年職員が、当時の総務に集まってアイスコ−ヒ−販売をやる。私は家からさまざまなネコグッズを持ってきて、みんなに見せた。佐々木さんは喜んで、それをネコ嫌いの職員に無理やり見せる。彼女はパニックを起こしてキャアキャア騒ぐ。男子職員は、それを横目で見てニヤニヤしている。彼女が結婚した時、ある職員が彼女のネコ嫌いを知らずに、お祝いに大きなネコの時計をプレゼントしたそうだ。彼女は、怖くて飾る気になれず、他のものと取り替えてもらった。ある日、Kさんが職員に、オミヤゲと称して妙なカンヅメを買ってきた。カンを持ち上げて傾けると、「ンモォ〜」と鳴くのである。私はそれが面白くて、何度も何度も遊んでいるうち、とうとうそれを壊してしまった。鳴かなくなってしまったのである。「あれ? あれ?」と、これまた何度もひっくり返しているうち、そのカンヅメは、あろうことか「んにゃ〜」と苦しそうに鳴いたのである。その場に居合わせた人は爆笑した。
 1984年9月のある日、それも運命を暗示するような台風の日、私は例のR子の友人の新聞代を集金しに、あぶなっかしい運転で、中央保健所の近くに行った。無事集金を終えて、車に戻る途中、私は消え入りそうな子ネコの鳴き声を耳にした。声の主を探し求めると、小学校の壁にたてかけた板のかげに、小さな子ネコがいた。明らかに捨てネコである。このままでは死んでしまうと思い、拾い上げたところに、私と同じように、鳴き声を求めて、親子づれがやってきた。3歳くらいの女の子と、若いおかあさんである。母親は私に、「ネコがお好きなんですか?」と聞いてきた。私は答えに窮した。本当のことを言えば、とって食うと思われかねないし、かと言って、肯定するのは私のプライドが許さない。私がニヤニヤしながら黙っているので、そのお母さんは、3回同じ質問をしてきた。結局あいまいな態度でその場をごまかし、ネコを連れて戻った。私のネコ嫌いを本気にしていた仲間はさかんに首をひねっていたが、私は他の女性と一緒に、毛布やミルクを調達して大騒ぎを演じた。しかしこれからが問題である。ネコ嫌いの母親が家で飼うことを許すはずがない。しかもこのネコはメスである。過去2回、姉が拾ってきたネコも、結局メスであるがゆえに、再度捨てに行った経過がある。血液恐怖症で尖鋭恐怖症のわが一家は、幼い子ネコに避妊手術を施すに忍びなかったのだ。私はそれでも、決死の覚悟で、この子ネコを家に連れて帰った。当然我が家は上を下への大騒ぎである。翌日診療所で、私は恐る恐る佐々木さんに相談した。答えは、やはりこれ以上は飼えないということだった。とほうに暮れた私たちが冗談で、「しょうがないから診療所で飼おうか?」と話していると、それを聞きつけた職員が本気にして、「君達、何言ってるんですか! ここは医療機関ですよ! ネコなんか、飼っちゃダメです!」と怒鳴り散らした。私たちは、おなじみの四角四面の対応に、思わず苦笑いを交わした。そのさらに翌日、佐々木さんが吉報をもたらした。私がネコを拾った話しを母親にしたところ、非常に飼いたがったというのである。私はもう情が移ってしまっていたが、佐々木家ならいつでも会いに行けるし、理想的な環境なので、すぐに譲り渡すことにした。このネコは、佐々木家でお母さんの大のお気に入りのネコとなった。「いいネコを貰った」と、しきりに言っていたそうである。このネコは、私の部屋にいた時は、いつも私にくっついていたクセに、その後2回ほど会いに行った時は、もう大恩を忘れていやがった! これだからネコは嫌いである。ちなみに、このネコが愛嬌をふりまいた客は、
 逗子においても、衣笠でも、ビラまきをするときに佐々木さんとペアを組むと、時間がかかってしょうがない。自分たちとしては、そんなに犬ネコと遊んだつもりはないのだが、すべての犬ネコにチョッカイを出す上に、2人が2人ともちょっかいを出したがるので、結局かなり時間をロスするのだ。困ったもんだ!

3.何故私はネコが嫌いか。
 さて、やっと本題に入るわけだが、さすがの私も、もうウンザリしてしまった。読者の皆さんは、もっとウンザリしていることであろう。しかし、しりきれトンボも許されまいから、私は気の進まない筆を運ばざるを得ない。前述したように、私はネコの向こうに女を見ている。そしてその典型は、当然私が最初に遭遇した女である母と姉だ。それは、私が8歳ですでに喝破したように、自らは絶対安全な場所に身を置き、自分より弱い者に対しては、 あくまで残酷な仕打ちをすることを、最大の特徴とする生物である。そして、これは女性の魅力を理解できる年齢に達してから追加したテ−ゼであるが、回りからの視線を明らかに意識し、そしらぬ顔で相手の気を引こうとすることをも大きな特徴とする。そのための武器の一つが、私をここまで育ててくれた化粧品だというわけだ。まあもっとも、それを本気で考えていたのは、階級的意識が芽生えるまでであり、現在はもっと重層的な認識に達している。つまり、たおすべき相手=諸悪の根源=階級敵は他に存在するのであり、私がタバコを吸う人間とも共闘しているように、悪魔に魂を売って自動車を運転しているように、奴等もまた許し、理解しているつもりだ。それでも10年前までは、よく「女嫌いか?」と聞かれたが、その際には、こう答えることにしていた。「別に女嫌いではない。ただ、嫌いな人間が、女に多いだけだ」と。ネコが女の手前にいるかぎり、その評価は私にとって微妙にならざるを得ない。まあ、弁証法的な評価をしていると理解して欲しい。
 わかりにくい、抽象的な表現になってしまったが、要するに、ネコの奴は、ペットのくせに鎖につながれることもなく、高い塀や屋根の上の移動を得意としていることが、まず気に入らない。次に、残酷な野生をふんだんに残し、ネズミ、小鳥、魚を捕食すること、捕食するならまだしも、食いもせずに、なぐさみものにすることが、がまんならない。さらには、あの、人の視線を意識した、人の気を引くような仕種である。そして、自分が手持ちぶさたの時には、人間の都合も考えずにじゃれついてくる。そのくせ、自分の気分がのらないと、人間に愛想をつかわない。一説によると、ネコがソッポを向いて、しっぽをピ−ンと立てて、むこうにゆっくり歩いて行くのは、ネコにとっては、最大限の挨拶なのだそうだが、ふざけてもらっちゃあこまる。どこの世界にだって、ちゃんと決まりがあるのだから、それに従った行動をしてもらわなくちゃあ。しかし、姉の奴は今日も、仕事もせずに家でブラブラし、母が帰ってくれば、文句を吐き散らし、自分勝手に生息を続けている。父は、「あんなことは、社会では通用しないんだ」と愚痴を言うが、実際に通用するから生息を続けているのであり、そんな例は、私の職場においても、枚挙にいとまがないのは、衆目の一致するところであろう。要するに、私につけ入るすきがあるからいけないのである。しかし、だからと言って、私はつけ入る相手を容赦はしない。容赦はしないと言っても、相手のほうが一枚も二枚も上手なのだから、何もできはしない。そこで私はしかたなしに、「私はネコがきらいだ」と主張するのである。
 なんにせよ、ネコのやつは、私のそんな深遠な哲学思想など、どこ吹く風で呑気に遊んでいる。私のネコ仲間たちも、ネコ好きネコ嫌いを問わず、お互いニャンコロニャンコロ挨拶をかわす。ある人は、「お前は70になっても、そうやってニャンニャンやってろ!」とおっしゃる。先日も、塀の上のネコにちょっかいを出し たら、手のひらについている石づきで、人の腕をプヨプヨと押した。今年のネコの日(2月22日で、にゃんにゃんにゃんだと! 何だってんだ!)には、たくさんの人にネコの日のことを伝え、姉がくれたネコの日新聞を見せてまわった。向こうからネコの日の事を教えてくれようとした人もたくさんいた。ネコの日に集金をしたら、新宿(逗子市内だ!)も久木も、そこらじゅうネコだらけ! どんどん産む、どんどん増える。世の中平和で、ますますネコ好きが増える。ペルシアのキャンビス王は、エジプトのメンフィスを攻めた時、エジプト人がネコを神聖視することを利用し、ネコを投石機で投げ続けて降伏させたそうな。私は夏目漱石の「わが輩は猫である」を3回も読んで「オタンチン・パレオロガス」に感激し、ア−ネスト・ヘミングウェ−の、「海流の中の島々」に出てくる、著者の愛猫たちを面白がり、「O・ヘンリ−」というペンネ−ムが、彼の友人のネコの名前であることを喜び、中華街に行けば、脳天気なネコが私に向かって大あくびをする。家の裏庭には、今日も見慣れないネコがふんぞりかえっている。父や姉は、それらの、あまり見慣れないネコにもすべて名前をつけている。常連のネコは、私の顔を見るたびに大げさなノビをやらかし、私のバイクのサドルが、大変お気に入りだ。車が汚れてくると、こいつが毎日滑り台にして遊んでいるあとがクッキリ残っている。葉山病院に来れば、となりの「ユキ」がのうのうと散策中だ。今は無き教育室で会議をやっていれば、ユキは人の気を引こうと、金網の上にすわってむこうを向き、シッポをユラユラゆらしている。私は気になって、労組の話しに身が入らない。三浦診療所に行けば、隣のトラックの上に茶トラのネコが大小3匹おねんねしている。どこもかしこもネコだらけ。世の中みんなネコブ−ム。老いも若きも、男も女も、顔を合わせればネコの話し。ネコだらけだから、ネコの話題にはことかかない。今日も道路を、わがもの顔に、ネコがのし歩く。子どもがそれを見て、「あっ、にゃんにゃんだ」と呼び止める。おかあさんも一緒にしゃがみこんでネコを呼ぶ。ネコは足を止め、うっとおしそうに親子をながめる。かと思うと、呼びもしないのに、なれなれしいネコが寄ってくる。人の後ろにまわって、そこを安住の地と定め、しばしじっとしていたりする。アメリカ大統領もネコが好き。エリツィンさんはどうだろう? 宮沢首相は嫌いかな? 日本中、世界中、どこもかしこもニャンコの輪。今日も子ネコがやってきて、にゃんにゃんにゃんにゃん。あ−あほらし!