★禁断のリコリス(セプテンバーの憂鬱)★


情熱PART9“Lycoris ”(1994年9月20日)

 リコリスとは、ヒガンバナの属名である。ギリシャ神話に出てくる海の女神の名だそうで、花が美しいのでこんな大層な属名がつけられたのだと言う。秋のお彼岸の頃に咲くから日本では『彼岸花』なのだろうが、この、どこか寂しげな名前と言い、どぎついほどの赤い色と言い、球根に毒を有することと言い、葉を出さずに花だけ咲かせることと言い、どちらかと言えば、シュ−ルな花である。だから、なぜ私がこの花にかように夢中になるのか、実のところ自分にもよく分からない。しかし、なにはともあれ私は昔からこの花に憧れていた。毒のある植物だからと、心配症の母が私にこの花に触れることを固く禁じたものだから、よけいこの花が気になった。野に涼風が立ち、夏の喧騒をすべて消し去る季節になると、疲れの見え始めた野草の間に、突如としてこの花が鎌首をもたげ、血のような毒々しい赤をあたり一面に撒き散らす。こうなると私は、いてもたっても居られなくなる。もしかするとこの気分は、9月の持つ魔力と関わりがあるのかも知れない。
 人間ぎらいの私は、長い夏休みの間に免疫が薄れ、新学期に人間どもの集団に会うのが、ひどく煩わしくなる。そのため毎年夏の終りは、いつもブル−な気分であった。それでも8月中は、人間どもに会わずにすむからまだいい。9月になり、あの軽薄で猥雑で愚劣で醜悪で吝嗇で卑劣で狡猾で残酷で獰猛な人間どもの集団の中での生活が余儀なくされると、私の神経は疲弊の極致に達することになる。しかし幸いなことに、私はそれほど繊細な方でもなかった。ちょうどこの花が咲きはじめる頃になると、どうにか免疫機構も復活し、病的な状態を脱することになるのである。しかもそれからの時期は、もっとも実りの多い季節である。私はしばしば、どん底から得意の絶頂へと跳躍することができた。だから9月は不思議な季節であり、私は竹内まりやの "September" をこよなく愛するのである。そうそう、「あの、何とかいう奴」の誕生日が9月であることも。忘れてはならない事であった。

 閑話休題、リコリスという属名やヒガンバナの不稔性についての知識を、私がいつどこで身につけたのか、どうしても思い出すことができない。おそらくは中学3年の、自然科学の書物を乱読した頃ではないかと思う。ヒガンバナ科の中には、ヒガンバナ属(リコリス)の他、スイセンや日本で言うアマリリス、ハマユウなどが含まれる事や、3倍体であるために、実を結ぶことができない事も、おそらくはこの時知ったのだろう。そして当時の私の好奇心を最もかきたてたのは、球根に含まれるリコリンというアルカロイドであった。いじめっ子どもに復讐するための、一つの手段となり得るからである。もっとも当時は薬理学の知識は皆無で、有機化学の知識もとぼしかったから、私はつい最近まで、リコリンは強心配糖体だと思い込んでいた。
 大学1年の9月、朝日新聞の日曜版にリコリスの特集が掲載された。それまで私は、リコリスといえばヒガンバナとキツネノカミソリしか知らなかったのであるが、そこには沢山の品種が記載されていた。私の胸はいやが上にも高鳴った。さらにちょうど時期を同じくして、大学の講義でもリコリスが取り上げられたのである。あの大学の教養部には、総合科目という講座があった。客員を含む多数の教授が、入れ替わり立ち替わり、講義を担当するのである。その中でも、「進化」と「免疫」が、最も単位取得が困難と言われていた。薬学部の学生はほとんどが「免疫」を選択したのであるが、医学に興味のない私は選択しなかった。そして「進化」こそが、私の好奇心を最もかきたてる講義であった。普通「進化」と言えば、生物種のそれを思い浮かべるが、本来の進化とは、そこにとどまらないものがある。宇宙の誕生、宇宙の進化、恒星の進化、惑星系の進化、化学分子の進化、生命の誕生と続く、遠大なロマンの絵巻物なのである。閑話休題、その「進化」という総合科目の中で、理学部の栗田教授は、「染色体と進化」と題する3回の講義のうち、2回の講義をリコリスに割り当てていた。栗田教授がスライドを上映しながら、調子に乗りまくってウンチクを傾けるのを、他のすべての学生は白けきって見ていた。その中にあって、私はただ一人、目を輝かせて聞いていたのだ。
 いくら激しく心を揺すられた講義ではあっても、15年の歳月は、忘却の作用を容赦なくその繊細な記憶に及ぼした。私はこの講義の内容を思い出すために、ほこりだらけになりながら、ノ−トと資料の山をひっかき回す必要にせまられた。そしてついに、あの時のノ−トを発見し、再びあの時の興奮を味わうことができたのである。物理方程式や化学式が交錯するそのノ−トの中の1ペ−ジには、スライドを使っての講義だったために、記述は極めて簡潔ではあるが、あの時の講義の模様が、それなりに記されている。これに先立つ講義は陸上植物の進化についてであり、その中で、交雑(何て猥雑で神秘的な言葉だろう!)や倍数化による種形成が述べられ、その例として、リコリスがとりあげられていたのである。中学の理科で習ったように、染色体は2つのものが対になっており、細胞分裂の際にはそれが2つに分かれ、さらに相手を複製して遺伝子が継承されていく。生殖細胞は、減数分裂によって染色体を半分しか持たない特殊な細胞であるが、受精によって2倍体に戻ることを前提にしている。この完璧にも見える遺伝のシステムは、「カエルの子をカエル」にするのには必要かつ充分なシステムであるが、完璧に近いがゆえに、進化の源泉たる突然変異を阻害するというジレンマに陥る。このシステムを維持したまま、突然変異の機会を保障するために、生物は倍数化というテクニックを編み出した。たとえばセイヨウタンポポは3倍体であり、花粉はできないが、3倍体の卵による単為生殖により、爆発的と言ってもよい繁殖力を実現している。この様な例は、人里植物や史前帰化植物に多く見られる。そしてその典型例がリコリスである。

 中国雲南地方に、リコリス・スプレンゲリ−という植物が原生する。これは9月にヒガンバナそっくりの花をつけるが、その色は赤にあらず、はじめピンクであるが、2〜3日で先の方から次第に青くなり、ついには全体が青紫色に変わるという。それゆえ、「ムラサキキツネノカミソリ」という、やや押し付けがましい和名をも持っている。確認はしていないが、よく果実ができるというから、これは2倍体なのであろう。これとストラミネアという種が交雑してできたのが、日本の北部で見られるナツズイセンである。染色体は奇数で、完全な対を形成しえない。葉がスイセンに似ており(同科だから似ていて当たり前だ)、夏に白い花をつけるからこの名がある。観賞用として庭に栽培されるそうだが、めったにお目にかかることはない。学生時代、薬学部の薬草園の花壇にこの花が植えられていたが、花期がちょうど夏休みに当たるため、花を見ることがなかなかできなかった。その頃から夏の天候が不順になる事が多く、花期が毎年変動するため、わざわざ見に行ったのに花が枯れた後だった! という失敗もした。やっと見ることができたのは、大学4年の夏、お盆の頃だったように記憶している。人気のない逢魔が時の薬草園で見たこの花は、ややピンクを帯びた白い花であった。小さい頃、法事でお寺に行くと、蓮の花の上にお釈迦様が座っている。そんな光景に出会った時の、あの一種さわやかな様な、厳かな気分が、一瞬ふっと蘇ったような、そんな不思議な雰囲気であった。
 ヒガンバナの原種は、中国に原生するシナヒガンバナだという。これは2倍体である。これが減数分裂の際に何らかの理由で減数できず、2倍体の生殖細胞をつくってしまったのだろう。これが普通の生殖細胞と受精して誕生したのが、リコリス・ラジア−タ、つまりヒガンバナである。あるいは、2倍体同士が受精して一度4倍体となった後、2倍体と交雑して3倍体になったとも言われている。3倍体のヒガンバナは、実を結ぶことができないので、原種より繁殖力で劣るように思える。しかし3倍体の球根は、原種よりも繁殖力が強かったらしい。これが日本において、かように種の繁栄を謳歌するようになった訳は、あの血のような毒々しい赤い色にもあるように思われる。別名の曼珠沙華とは、真紅の花という意味の梵語である(山口百恵が「まんじゅしゃか」と歌ったのは、なぜであろうか?)。ヒガンバナの球根は、水で長時間さらせばリコリンが全て流れ去り、後には良質の澱粉が残る。そのため飢饉に備え、堤防や墓地に植えるようになったのだとも言われている。毒を持つことや、それを誇示するかのような毒々しい赤い色は、平時の乱伐を防ぐのに役立ったのかも知れない。ややシュ−ルなところを我慢すれば、観賞用の花としても決して悪くはない。敗戦直後の事、ジ−プ全体にヒガンバナをゴテゴテと飾りつけたGIが、占領軍のトラックと衝突し、2名が即死という事件があったそうだ。原形をとどめないほど大破したジ−プに、まだ乾ききらない血が飛び散り、ヒガンバナが強烈な色のまま死出の旅を送るかのように残されていた。調査に来たMPに、ヒガンバナは縁起が悪く、死人花と呼ばれる毒草だと教えると、ちょうどヒガンバナを手にしたところだったMPは、大あわてで花を投げ捨て、大仰な仕種でジ−プから飛び退いたそうである。そもそも彼岸花だって直訳すれば、「あの世の花」という意味になる。花の時期に葉のない事が、この花の不気味さを増幅しているのであろう。葬式花という呼び名もあるそうである。
 リコリス・オ−レアは日本の南部および中国の南部、台湾などに原生する。aureaは黄金色を意味し、濃黄色の花にちなむ。和名は鐘馗蘭。ランでもないのにこの名はいただけないが、「キバナマンジュシャゲ」などと言うと、やはり押し付けがましくなるので、ちょっと言いにくいがオ−レアと言うのが無難であろう。これは2倍体である。これとヒガンバナの雑種が、シロバナマンジュシャゲ(アルビフロ−ラ)であるalbifloraは白花を意味する。これの染色体はやはり奇数である。赤と黄色を掛け合わせたら白になったなど、ちょっとバカにされたような気もするが、中間色に分離することもあるそうだから、少し溜飲を下げるとよい。

 リコリンは、リコレニンとともに構造上イソキノリンアルカロイドに属する。後者と構造的に全く等しいガランタミンは、医薬品として用いられることがあるそうだ。中央アジアに広く分布するGalanthus waronowiiなどのヒガンバナ科植物から抽出された白色結晶アルカロイドである。医療に用いられるのは、galanthamine hydrobromideで、旧ソ連でガランタミン、ブルガリアでニバリンと呼ばれる製剤である。急性灰白髄炎、重症筋無力症その他の神経系疾患の治療に用いられるそうで、副作用対策にはアトロピンを投与すると言うから、その薬理作用は、コリン作動薬なのであろう。すると当然、毒薬として用いた場合には、サリン等コリンエステラ−ゼ阻害剤と同様の症状を呈するであろう。
 またヒガンバナの球根は、石蒜と呼ばれる生薬である。これはせきや痰を治療し、また吐剤としても用いられる。民間療法として知られているのは肩こりの治療法で、陶器のおろし器で鱗茎1個をすりおろし、寝る前に両足の土ふまずに人さし指大の分量を貼って、軽く包帯をしておくというものである。

 さて、単位取得困難ランカ−の総合科目「進化」の単位であるが、私はもちろん、評価Aで単位を取得し、学友たちを驚かせた。天文学とリコリスの部分は、満点ないしはそれに近い点であったはずである(大学は答案を返してはくれないので、事実はわからない)。当時より少し前に、学生運動の活動家の中で流行した「優か不可か論」(いい成績をとれないなら、わざと落として翌年取り直した方が、就職には有利だという論理)に汲みしない私は、評価Aをもらったことは数える程しかなかったから、これは貴重な財産である。ちなみにこの春、あの大学は教養部をなくしてしまったから、もう総合科目は存在しないであろう。少し残念な気がする。大学での成績に話しを戻すが、4年の時に私はとうとう成績票を貰わなかったし、就職先の当法人からそれを求められた事もなかったのだから、結局どうでもよかったのである。考えれば考える程、いいかげんなところに就職したもんだ...。

 私は今回、4種のリコリスと1種の近似種を3つのプランタ−に植えた。ヒガンバナ Lycoris radiataが3本、シロバナマンジュシャゲ L. albiflo-ra が2本、スプレンゲリ− L. sprengeri が2本、オ−レア L. aurea が1本とロドフィアラ(小型アマリリス、ビフィダピンク)が1本である。20日現在、開花しているのはロドフィアラだけであり、皆発育が悪い。春にアマリリスを植えた時もそうであった。理由としては、植える時期が遅れたのに加え、プランタ−の深さが足りず、長い花茎を支えられなくなるのを避けるためではと考えられる。ラジア−タは、3本のうち2本は、発芽すらしていない。これは大雨で水浸しになったのが原因か? まあ、今年がだめでも、来年があるさ! 将来的には、宿敵ナツズイセンやネリネ・サルニエンシスも揃えたいと考えている。何はともあれ、まずは我らの女神様に乾杯!