★不敗の勇者フッ素★


情熱エッセイPart3(1989年秋〜冬)

 中学2年の11月ごろだったと思う。嵐の夜に私は、ファラデーの「ろうそくの科学」を読んでいた。天文学にしか興昧のなかった私にとっては、あまり面白い本ではなかった。しかし、「ろうそくの科学」と一緒に収載されていた「化学のめがね」に読みすすんだとき、私の体を電撃が走り抜けた。その時ちょうど窓の外でも、激しい稲妻が、冷たい夜を引き裂いていた・・・そこには、原子核の構造が述べられていた。つまり原子核は、ほとんど陽子と中性子だけでできている。世の中の物はすべて、この二つと、電子だけでできているんだと。当時の私は、典型的ないじめられっ子だった。また、これは今でもかわらないが、人から裏切られることを得意としていた。誤解を招かないように一応断わっておくが、好き好んでそうなったわけではない。まあいずれにしろ、小さい頃からの人間ぎらいに、拍車がかかっていた。そんな時に、こんなことを知ったのだから、その驚きは大きかった。偉そうにしている奴も結局は、陽子と中性子と電子だけでできているんじゃないかと・・・それから私は、むさぽるように、原子核についての本を読んだ。そして当然のことながら、原子核エネルギーに、さらには、核兵器に興味を抱くようになっていった。それまでの私は、原爆というのは放射能が恐ろしいのであって、その破壌力なんていうのは、どうでもいいものだと思っていた。それが、広島の原爆は、B29が2千機で運ぶ爆弾と同じ破壊力であるとか、ビキニ環礁で実験した水爆は、広島型原爆のさらに1千倍の破壌力を持っことを知り、胸をわくわくさせたものだ。やがて、学校でいじめられるたびに、タ日に向かってこう誓ったものだ。「あのエネルギーを、必すオレの物にして見せるぞ」と。

 原子核エネルギーについて、いろいろ調べていくうちに、いつも化学エネルギーとの比較が使われることが、気になるようになった。つまり、核エネルギー一の凄まじさは、化学エネルギーに比べて桁外れに大きいということであるが、その基準になっている化学エネルギーについての知識がなけれぱ、核エネルギーの凄まじさが実感できないのだ。そこで、少しずつ化学へも関心が向くようになっていった。中学3年になると、理科で化学を習うようになった。私はまた、むさぽるように化学の知識を身につけていった。そして、身の回りの利用できるすべての物を使って、毎日実験を繰り返した。最初にやったのは、食塩水の電気分解であったが、これが私とハロゲンとの最初の出会いだった。その後私は、周期律表にのめり込んでいくことになるのだが、中でも、その一番右側(といっても、不活性ガスの左側だが…)に位置するハロゲンの存在は、私の心を魅了し続けた。高校で私は科学部に入部したが、最初はほとんど何も活動しなかった。しかし、白分達が2年になったとき、科学部の運営は、自動的にすべて自分達にまかされることになった。私は喜び勇んで、毎日部室にとじこもり、ハロゲンの実験を続けた。実験といっても、事前に充分考えをまとめておかないと、全くただのいたずらで終わってしまう。また、そんなものが1年問も続くわけがない。私の頭の中は、四六時中化学記号が飛び交っていた。同時に私は、すべての元素を単離し、実物を並べた周期律表を作りたいという野望を抱いていた。そのために、家にあった七輪に植木ばちをかぷせ、扇風機を接続して石炭をたき、様々な金属を次々と還元した。また、電気分解もおおいに利用した。しかし、いつも頭を悩ませたのは、溶融電解だった。様々な条件で試みたが、結局最後まで、満足のいく結果は得られすじまいであった。では、その溶融電解でしか得られない元素は何であったかというと、アルカリ金属、アルカリ土類金属、そして非金属のフッ素であった。

 フッ素は、ハロゲン元素の中で、一番上に位置する。エレクトロンオービタルが非常に小さいために、電気陰性度がやたらに強く、その単体は、激しい化合力を有する。ポーリングの電気陰性度は、塩素3.0、酸素3.5に対し、なんとフッ素のそれは4.Oにもなる。酸素は二重結合によって化合力が弱められるので、一応度外視するとしても、塩索の電気陰性度が、臭素の電気陰性度(2.8)より、0.2しか大きくないのに、フッ素と塩素では、1.Oも違うのだ! 塩素でさえ、ドイツ軍が第一次世界大戦で毒ガスに使ったぐらい、毒性が強いし、水素と混ぜれぱ、光をあてただけで爆発するし、アンチモンの粉末は、自然発火するし、熱した細い鉄線は、火花を散らして反応してしまう。それよりさらに30%以上も電気陰性度が強かったら、一体どんなことになるのか・・・実際問題として私の調べでは、フッ素と水素は出会った瞬間に、爆発的に化合してしまう。水はフッ素のなかで、青い炎をあげて燃えあがる。鉄もコンクリートも土も、まさしく何もかも反応してしまうはずだ。あの不活性ガスでさえも反応してしまうのだから・・・

 フッ素は、自然界に広く存在する。地殻中に含まれるフッ素の量は、塩素よりも多いという。それゆえ、フッ素の存在そのものは、古くから知られていた。19世紀初頭には、塩素に似た元素であることも知られるようになっていた。しかし、遊離のフッ素を得ることは、19t世紀の化学界の、一大課題であったという。それは、その、あまりの反応性の激しさゆえに、当時のすべての実験器具を破壌してしまったからである。アルカリ金属を電気分解によって次々と単離し、中学3年の私を熱狂させたハンフリー・デービーでさえ、大失敗の果てに大けがを負わされたそうだ。彼が早死にしたのは、このときの傷の影響もあったのだろう。そのほか、当時の名だたる化学者の多くは、フッ素の単離に失敗して大けがを負わされている。クノックス兄弟の一人は、ついに生命までも奪われてしまった。ある小説家はこういった、「単体フッ素への道は、不幸へと続いている」と。またロシアの小説家は、フッ索を、「不敗の勇者」と呼んだ。1886年、フランスのアンリ・モアサンが、初めてフッ素の単離に成功した時も、彼の片目は黒い眼帯でおおわれていたという。彼は、白金の容器を用いたにもかかわらずである。ものの本によれぱ、フッ素は、氷晶石の溶融電解でつくられる(調べた当時は)。しかし、いくら氷晶石が他の鉱物の融剤に使われるとはいえ、その融点は数百度であろう。数多くの優秀な化学者が、瀕死の重症を負わされた理由がよくわかる。もしこんなことを、何の設備もない私の家の中でやったら、どんなことになるか。数百度に熱せられた発生期のフッ素ガス、それは、考えただけで身の毛のよだつ代物である。私は、くる日もくる日も、もっと安全にフッ素ガスを得る方法がないものかと考えていた。特に、大嫌いな社会科の時間は、そんなことばかり考えていたので、教科書もノートも、化学反応式だらけになってしまった。

 私が考えた道筋はこうである。つまり、フッ素についで電気陰性度の大きい酸素や塩素は、なぜあんなに簡単につくることができるのかということであった。その理由は、実際にはやや複雑であるが、電気分解については極めて単純な答えが得られる。つまり溶媒の水は、電気的陰性の元素として、きわめて電気陰性度の大きい酸素しか含まないからである。このため、食塩水を電気分解すれぱ塩素が発生するし、水酸化ナトリウムを電気分解すれぱ、酸素が得られる。本人たちは嫌々ながら単離されるのだろうが、他に単離され得る元素がないんだからしょうがない。そして、水溶液の電気分解は、室温で行ない得るところかミソである。溶触電解と違って、過激な元素を過熱する事なく単離できる。こう考えると、水とはとんでもなく便利な溶媒である。ではなぜ水が室温で液体となり、しかも電解質を溶かし得るかといえば、それは水素結合の存在と、水自体の電離による。なぜこんなことが起こるかといえぱ、酸素の電気陰性度がずぱ抜けて大きいからで・・・おやおや、どこかで聞いたような話になってきた。つまり、水酸化ナトリウムの電気分解は、酸素をフッ素に置き変えても、本質的に何も変わらないはずである。フッ化水素の沸点は19度であり、少し冷やしてやれぱ、液体として存在し得る。そこにフッ化ナトリウムを溶かして電気分解してやれば、電気的に陰性の元素はフッ素しか存在しないから、フッ素が発生せざるを得ないのではないか?しかし、フッ化水素はガラスを侵すので、鉛の容器を使用しなけれぱならないし、沸点19度の物質を液体で保つことの困難さは、沸点35度のジエチルエーテルを想起すれば、容易に想像できるであろう。また、たとえそれらの条件をクリアしたとしても、あのどう猛な単体フッ素を、どうやって捕集するというのか?アンリ・モアサンは、白金を使ってもなお、片目を失ったというのに・・・この方法を実際に行なうには、高校生の私は、あまりに力不足であった。いや現在でも、これだけのプロジェクトを私が実行し得るかどうか、はなはだ自信がない。いずれにしても、私はこの方法を試す事なく、さらに文献による検索を続けていった。ある日、高校の図書室の片隅で、とてつもなく分厚い化学辞典をみつけた。さっそくフッ素の欄を見たら、そこにアンリ・モアサンが用いた方法が書かれていた。彼は、フッ化水素にフッ化水素カリウムを溶かして電気分解したのだ。なんと、私が考えた方法と、ほとんど同じではないか!

 最近、フッ素と炭素の化合物が、大変話題になっている。例のフロンガスの問題である。またその他のところでも、例えぱ私が釣りに使う糸は、「フロロカーボン」と銘打ってある。ナイロンに比べて、はるかに丈夫である。そんなこんなで、フッ素に関わる本がたくさん出まわるようになった。そこで私も、「フッ素の化学」という本を買ってみた。昔のよしみで、まずモアサンのことが書いてあるあたりを、パラパラとめくってみた。そこには、高校時代私を熱狂させた、あの一連の歴史的経過が書かれていたが、なんとその続きがあったのだ! 電気分解によらないフッ素の単離の方法が、長いこと模索されてきたが、1986年、つまりモアサンからちょうど100年後に、クリステという人が、ついに成功したというのである! 彼は、Mn,Ni,Cuなどの遷移元素の高電価フッ化物が、錯体として比較的安定に存在することを利用した。そして、弱いルイス酸であるこのフッ化物が、強いルイス酸で遊灘され、次いで分解して、フッ素ガスを放出することを利用した。この反応は、充分高圧のフッ素ガスが得られると書かれていたから、きっと氷晶石の溶融電解は、低圧のフッ素ガスを少しずつ発生させていたのであろう。フッ素の収率は40%だというから、決して悪くはない方法である。しかし1986年といえぱ、あまりに最近のことである。その時にまだ、フッ素への惰熱を失っていなかったら、あるいは私が、その発見の栄誉を得られていたかもしれない。この方法は、理屈だけなら、大学の教養部で得られる程度の水準である。薬学部でなく、工学部に進んでいたら、この方法を考えついていたかもしれないのに・・・

 しかし、歴史は変えられない。ただ私は高校時代、フッ素の単離方法を、自力で考案した男であり、大学4年のとき、フラストラミンBを、世界で初めて合成した男である。私ならぱ、どんな物質の合成でもできるんじゃないかと思う。なんとなれぱ、私はフッ素を発見したモアサンや、塩索を発見したシェーレと同じ、薬剤師(錬金術師)だからだ!