私が愛したものたち



ササユリ/ヒガンバナ/ オオムラサキ/ クマゼミ/日食/ オリオン座/朝焼け/
クロダイ/ メジナ/スズキ



 可憐なるこの花の名は、ササユリ。28年程追い続けて、96年の7月7日、南伊豆まで遠征して、やっとめぐり会うことができた。
本当に華奢な茎と葉の上に、野趣を保ちながらも気品にあふれた花を咲かせ、初夏の大地を幻想的に彩っていた。


 人間嫌いの私にとって、夏休みが終わり、学校に行かなければならない9月は地獄だった。そんな季節に、妖しい雰囲気をかもし出すヒガンバナには、名状しがたい魅力を感じる。
 私がこの花に惹かれる訳は、この植物が「リコリン」と呼ばれる毒を持つ事と無関係ではないだろう。現在私は、赤・白・黄・紫などのリコリスを栽培している。
 葉山病院の前にある田んぼのヒガンバナに、羽化したてのキアゲハが蜜を吸いにきた。


 小さい頃喘息持ちだった私は、毎日病床で蝶の名前を覚えていた。母は、「蝶の鱗粉が喘息に悪い」と言い、また「紫は病人が好む色」と言った。
 ダメだと言われると、余計気になるのが人情である。私は国蝶「オオムラサキ」に猛烈に憧れた。
 それから追い続ける事22年。1989年7月25日午前9時5分、ついに私は、オスのオオムラサキを手中にした!


 幼少のみぎり、蝶の次に好きなのはセミだった。父やいとこから、クマゼミの巨大さ・力づよさをさんざん聞かされ、憧れ続けたが、逗子で捕まえる事はできなかった。
 鳴き声を聞いたり、抜け殻を見つけたりした事はあったのだが...。
 オオムラサキを初めて捕まえた頃、「三崎ではクマゼミが捕まえられる!」という情報を入手し、翌1990年8月、ついにクマゼミをも手中に収める事ができた!
 その後の調べで分かった事だが、クマゼミ棲息の東限界線は、平塚と城ケ島を結ぶ線との事である。


 1969年3月、小学校4年になる直前の私は、世間が部分日食で大騒ぎしていたのを、かすかに覚えている。その後、急速に天文に興味を持った私だったが、日食だけはなかなか見る機会がなかった。
 1978年10月2日、やっとその機会が訪れ、高校の屋上でその一部始終を見守っていた私は、大楠山に欠けたまま沈む夕日に向かって、仲間たちと一緒にひれ伏してした。右の写真は、1981年7月31日のもの。


 小学校4年の冬、私は初めて冬の夜空にオリオン座を認めた。赤あかと燃えるベテルギウスに、凍てつく光を放つリゲル。端正に並んだ三つ星に、鳥の形をした大星雲と、これほど豪華な星座は2つとない。
 多くの夢と希望を与え続けてくれた夜空の星たちに、ただひたすら感謝する私です!


 高校生の頃不眠症になった私は、眠れないままに迎えた朝に、雄大な朝焼けを見ることがあった。ことに2学期の始まる頃に、不眠も朝焼けも甚だしかったように記憶している。
 写真は、私の部屋の東側の窓から見た、逗子市山の根2丁目あたりの風景。


 1971年のある秋の日、父は何を思ったのか、病弱で星ばかり見ていた息子を、堤防釣りに連れて行った。その日30センチのメジナを釣った私は、あまりの引き込みの凄さに、思わず「おおっ」と叫んだものだ。
 隣の人のサオが、ひときわ大きくしなった時、人々は「何だ? クロか?」とつぶやいた。あがって来たのは良型のメジナだったが、少年の心には、「クロ」と呼ばれる謎の魚が、強烈に刷り込まれた。
 その夜父は私を呼び、こんな話しを始めた。「隆雄や、メジナは今日釣ってわかったように、下へ下へと突っ込む。だけどクロダイは横に走る。クロダイがかかると、ヤツは一気に沖へ走るんだ! 
 そのままでいると糸を切られるから、リールから糸を出してやって、弱まったら糸を巻き取るんだ。そのうちまた沖へ突っ走るから、また糸を出してやって...」
 少年が目を輝かせて聞いていた事は、想像に難くないだろう。少年はそれから毎日、クロダイを釣る夢を見た。でもクロダイは、少年にとっては手の届かない存在だった。
 少年が成長して20代も後半にさしかかった頃、私は再びクロダイの夢を追い始めた。最初の1尾を釣るのに40回以上釣行し、10万以上のお金をつぎ込んだ。それ以来現在までに、34尾のクロダイを釣り上げたが、私はそれぞれのクロダイの顔を、今でもよく覚えている。
 上の魚拓は、92年秋に南房総に遠征した時、最終日である3日目の朝、やっとスイカで食わしたヤツだ。


 26歳で釣りを再開した時、当面の目標は、メジナを釣る事であった。その目標は、5カ月後に33センチのメジナを釣る事で達成したが、少しひっかかる事があった。やはりメジナは、冬にノリエサで釣りたいのである。
 それから毎年、年末年始は城ケ島に通うのが、恒例行事となってしまった。通い始めて8年目の1993年12月25日、ついに私は、44センチの巨大メジナをノリエサで釣り上げた! 脂がよく乗って、かぶと焼きが最高に美味であった。


 不器用な私は、ルアー釣りが性に合わない。そこでスズキも、生きたエビエサで狙い続けた。
 95年7月11日に釣り上げたこのスズキは、83センチ、4.1キロあった。私が釣った全ての魚の中で、最高の大きさである。



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