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1998年1月号

『時間旅行者は緑の海に漂う』パトリック・オリアリー

『名誉のかけら』ロイス・マクマスター・ビジョルド

『スペアーズ』マイケル・マーシャル・スミス



 本誌もついに五百号を迎えるということで、大変おめでたいことである。初めて本誌を読み出したのはもう二〇年も前なんだなあと懐かしく当時を振り返ったりすると紙数があっという間になくなるのでやめておこう。それはさておき、今回、五百号記念企画の海外作品ベスト五〇に紹介記事を書くために十冊ほど昔の名作を読み返したのだが、これが実に面白い。ヴォネガットのシニカルさにしびれ、プリーストの破天荒なアイディアにぶっとび、ブラッドベリの華麗なる文体に酔いしれる至福のひととき。いずれも再読・再々読になるにもかかわらず十分楽しめた。いやあ、SFって本当に面白いね。今月から四年目に突入するこの海外作品書評欄だけれども、今年もこうした過去の名作に勝るとも劣らぬ面白い作品に出会えることを願っています。


『時間旅行者は緑の海に漂う』パトリック・オリアリー

(1997年9月30日発行/中原尚哉訳/ハヤカワ文庫SF/820円)

 さて、今月はディックを思わせる作風という評判の新人パトリック・オリアリーのデビュー作『時間旅行者は緑の海に漂う』から。「三番目のドア」という素気ない原題に比べれば、邦題は内容を象徴的に表していて良いタイトルだと思う。  一九九〇年春、開業して五年目のセラピスト、ジョンのところにローラと名乗る不思議なクライアントが訪ねて来る。エイリアンに育てられたと言う彼女は、一年の猶予期間のうちに自分が本当のことを話しているのだと正気の人間に確信させなければいけない、そうしなければ地球にとどまることができないのだ、と語る。分裂症の妄想にしては細部が明確で、本当にあった出来事のような彼女の話を聞きながらセッションを重ねていくうちに、ジョンはローラによって説得されつつある自分に気づく。夢を通じて人間とコンタクトをとっているホロックと呼ばれるエイリアンは、本当に存在するのかもしれない。「夢の奇妙さ、おかしな論理、ありえない地形、時間の飛躍、夢のなかでしか意味をなさない連想――それらこそが彼らなのよ」(一一四頁)とローラは語る。緑色に輝くゼリー状の海の中に住み、自らは決して夢を見ない種族である彼らは、人間の夢を食べることを唯一の楽しみとしているらしいのだ。やがてホロックの実在を確信し、五〇年代に夢の研究に投資してすべてを失った元富豪のソールと知り合いになったジョンは、人類をコントロールしようとするホロックの企みを阻止するために奮闘することになる。果たして、ホロックと人類の運命の行き着く先は……。
 一見、単純なエイリアンの侵略ものに見える本書であるが、ホロックの意外な正体、ホロックと昔から接触しており彼らの生態を熟知しているソールという男の極めて人間的な狡猾さ、など様々なひねりが効かせてあり、物語は一筋縄ではいかない複雑な構造をなしている。また、その語り口は、ときには現実と夢との境を漂うようにゆったりとして、ときにはハードボイルド・アクション映画のように力強く、暴力的な場面あり、ロマンティックな濡れ場ありと緩急自在、とても本書がデビュー作とは思えないほどのなめらかさであり、決して読者を飽きさせることがない。
 夢を食べて生きるホロックという種族を生態も含めて描き出した発想のユニークさもさることながら、何より本書の面白さの中心は、本書がセラピストであるジョン自身のセラピーの物語になっている所にある。厳格な母親にしつけられて自分の存在に劣等感を持ち、弟に向かって虐待を繰り返していたジョンの心の葛藤が、他ならぬクライアントであるはずのローラによって明らかにされ、そして、ホロックとの対立が終結するとともに癒されていく。この人類全体の運命と個人的な運命が重なり合って迎える結末は、実に現代的であり、また感動的だ。次作が楽しみな新人がまた一人ここに誕生したと言って良いようである。
 ディックとの関連について付け加えておくと、本書にはディックほどの現実崩壊感覚はないけれど、個人的な救済を主眼にしているという点と運命の女に翻弄される情けない主人公という点にややディックらしさが感じられるかなという程度であった。

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『名誉のかけら』ロイス・マクマスター・ビジョルド

(1997年10月24日発行/小木曽絢子訳/創元SF文庫/700円)

 ロイス・マクマスター・ビジョルドの『名誉のかけら』は、おなじみ《マイルズ・ヴォルコシガン》シリーズの一編で、ビジョルドのデビュー作でもある作品だ。シリーズの時代設定としては比較的初期に当たり、マイルズの両親の出会いと結婚に至るまでが描かれている。
 ベータ人の天体調査艦の艦長コーデリア・ネイスミス中佐は、調査中の惑星上でバラヤー軍と接触し、キャンプを壊滅させられてしまう。調査艦は惑星から脱出し、コーデリアと敵の神経破壊銃にやられた部下の一人とともに惑星上に取り残される。一方、同じ場所に、攻撃に反対して部下からの造反に会ったバラヤー軍の艦長アラール・ヴォルコシガン大佐も取り残されていた。二百キロ離れた補給品貯蔵所まで辿り着けば、通信装備や医療備品があると言うヴォルコシガン。様々な危険を乗り越えて、苦難の旅を成し遂げたコーデリアとヴォルコシガンの間にはいつしか愛情が芽生え始めていた。しかし、ベータとバラヤーは戦争の真っ最中。いったん離れ離れになった二人だが、コーデリアは捕虜として捕えられた艦の中で再びヴォルコシガンに出会う。戦争が終わって英雄として帰還するコーデリアだが、彼女のヴォルコシガンへの想いは募るばかり。バラヤーによるマインドコントロールの疑いをかけられた彼女は、ついに故郷を脱出しバラヤーへと向かう。ハンサムではないけれど、勇気と強さと気力を兼ね備えた男ヴォルコシガンのもとへ……。
 快調なテンポで進むストーリー、生き生きとした会話、魅力的なキャラクターといったビジョルド作品の特色は既にこの最初の長編において遺憾無く発揮されている。軍隊を扱っていながら、戦争を美化することなく戦争の悲惨さを作者がしっかりと見据えていることは、特攻隊や戦時中の拷問など第二次大戦中の日本軍やナチスを連想させるバラヤー軍の暗部を明確に描いていることからもわかるだろう。とりわけ、ハッピーエンドで物語が終わった後に語られる最終章での悲劇的なエピソードは、その対照の妙によって読者に強い印象を残さずにはいられない。恋愛小説としても、皇帝の皇太子暗殺に関わったために苦悩するヴォルコシガンをコーデリアが優しく包む場面など、読み応えは十分。余りに通俗すぎて鼻につくところもなくはないけれど、スケールの大きな人間ドラマとして完成された作品である。

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『スペアーズ』マイケル・マーシャル・スミス

(1997年11月20日発行/嶋田洋一訳/ソニー・マガジンズ/1900円)

 本邦初紹介の新人マイケル・マーシャル・スミスの『スペアーズ』は、「クローン社会の未来を予感させる壮絶な物語」という惹句に違わぬ力作である。
 ヴァージニア州の旧リッチモンド。そこに二百階建ての巨大飛行機メガモールが着陸し、エンジン・トラブルのために二度と飛び立てなくなってから八十三年が過ぎた。電気やガスも接続されて一つの街と化したメガモールはいつしかニューリッチモンドと呼ばれ、ならず者やギャングの徘徊する悪の巣窟と化していた。ある事件の捜査がきっかけで妻子の命を奪われ、〈スペア〉と呼ばれるクローンを管理する農場の管理人として左遷された元警官ジャックは、クローンである農場の子供達の余りに非道な扱いに怒って、六人の子供達を連れて脱走する。メガモールへと戻って来たジャックだが、親友を殺され、子供達を誰かにさらわれてしまう。ジャックの孤独な闘いが始まった。果たして子供達を無事取り戻すことはできるのか……。
 特権階級の肉体損傷を補うため人間バンクのように使用され、人権どころか言葉も何も教えられず動物以下の扱いを受けるクローンたちの描写には、心底からぞっとさせられた。物語の後半で〈ギャップ〉と呼ばれる一種のヴァーチャル・スペースが登場するのだけれど、ここはベトナム戦争を連想させる殺戮と暴力の渦巻く世界であり、残虐な場面がこれでもかと言わんばかりに強烈に描かれている。スプラッター映画のような趣もあり、映画化権が売れているというのもうなずける出来映えであるが、メガモールや〈ギャップ〉などに盛り込まれたアイディアが多すぎたり、ストーリーが分裂していたりして、物語の焦点が絞り切れていないきらいがある。意欲作であることは間違いないので、今後の作品に期待していきたい。

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