SF Magazine Book Review



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1997年9月号

『輝く永遠への航海』グレゴリイ・ベンフォード

『レリック』ダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルド

『殺人探求』フィリップ・カー

『致死性ソフトウェア』グレアム・アトキンス


『輝く永遠への航海』グレゴリイ・ベンフォード

(1997年6月30日発行/冬川亘訳/ハヤカワ文庫SF/上下各740円)

 グレゴリイ・ベンフォードの『輝く永遠への航海』は、『夜の大海の中で』から始まり二〇年近くに渡って作者が書き続けてきた、有機生命と機械生命との対立を描く《銀河系》シリーズの第六作にして最終巻である。
 前作『荒れ狂う深淵』の結末で、機械生命から逃れて銀河中心に辿り着いたビショップ族の生き残りトビーは、時空を超えた不思議な空間であるエスティにおいて太古の地球の生き残りであるナイジェルと出会った。本書では、まずそのシリーズ第一作の主人公でもあったナイジェルの四百年以上に及ぶ銀河中心への旅(地球ではその間に三万年が経過)とエスティでの生活が、トビーに向けて語られる。一方、同じくエスティ内部では、トビーの父キリーンがメカニカルに追われながらもトビーを探していた。同様に時間嵐の吹く銀色の川を溯って、父キリーンを探し求めるトビーも上流でメカニカルの攻撃を受ける。その過程で明らかになったのは、ビショップ族の遺伝子の中に機械生命が追い求めるトリガー・コードが隠されており、三世代分の遺伝子が揃うことによって、そのトリガー・コードが初めて完成するのだという驚くべき事実であった。コードの完成によってメカニカルに訪れる大いなる変化とは何か。そして人類の運命は……。
 まさしく大団円と呼ぶにふさわしい壮大な結末が本書には用意されている。有機生命と機械生命の根源的な対立は一時的に止揚されていくのだが、それすらも永劫の時の前には無に等しい。ベンフォードが本シリーズで最新の科学的知見による鮮やかな風景描写のもとに描き出したのは、結局のところ、人間の生の営みのはかないが故の素晴らしさであるように思われる。残念ながら、こちらの知識不足もあって銀河中心のイメージを存分に楽しめたとは言い難いが、それでもスケールの大きさと作者の人間に寄せる暖かな気持ちとは良く伝わってきた。本格SFの一つの到達点として評価しておきたいと思う。

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『レリック』ダグラス・プレストン&リンカーン・チャイルド

(1997年5月30日発行/尾之上浩司訳/扶桑社ミステリー文庫/上下各552円)

 ダグラス・プレストンとリンカーン・チャイルドによって九五年に発表された『レリック』は、全米でベストセラーとなり、ピーター・ハイアムズ監督によって映画化もされたバイオテクノロジカル・ホラー。
 ニューヨーク自然史博物館(アメリカ自然史博物館がモデル)の地下で少年二人の惨殺死体が発見された。死体はずたずたに切り裂かれ、脳の視床下部が消えていた。おりしも博物館では、世界各地の民族の宗教関係品を集めた《迷信展覧会》の準備中。その中にはアマゾン川流域に住んでいたコソガ族の神話上の猛獣ンヴーンの像も含まれていた。死体には三つの鉤爪の跡が残されていたが、猛獣の立像も同様の鉤爪を備えている。しかも、死体に付着していた細胞にはヒトのDNAと爬虫類のDNAが共存していた。伝説の猛獣ンヴーンが現代に甦ったのか。大学院生マーゴは、フロック教授とともにンヴーンの謎に迫るが、その間にも次々と残虐な殺戮が繰り広げられていく。果たして恐るべき惨劇を止めることはできるのか……。
 呪術的な展示物が並べられ、迷路のような構造を持つ自然史博物館内部に閉じこめられた中での連続殺人ということで、いやが上にも恐怖は高まる。特に《迷信展覧会》の開会式に集まった三千人の来賓が館内に閉じこめられパニックに陥る場面は圧巻。いささかもたつく前半の展開に比べ、後半は一気に読み通すことができた。肝心のンヴーンとの対決に物足りなさが残るが、ノンフィクション作家として名の売れたダグラス・プレストンの描写は無駄がなく簡潔で読み易い。映画を観た後で比較しながら読むのもまた一興だろう。

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『殺人探求』フィリップ・カー

(1997年6月1日発行/東江一紀訳/新潮文庫/667円)

 個人的には、こうした血みどろ惨劇ホラーよりは、異常心理を扱ったサイコ・ホラーの方が好みである。フィリップ・カーの『殺人探求』は、近未来のイギリスで起きた連続殺人とそれを追う女性警部という、未来版『羊たちの沈黙』といった趣のある哲学的ミステリーだ。
 二〇一三年のイギリスでは、ロンブローゾ・プログラムと呼ばれるプロジェクトに従って、全男性が脳の検査を受けることが義務づけられている。男性の脳に存在するという、攻撃的反応をつかさどる性的二形核(SDN)とそれを抑制する腹側正中核(VMN)のうち、VMNが生まれつき欠損している者、即ち犯罪を起こす可能性の高い者の名を中央警察コンピュータに登録しておくことによって、犯罪者の割り出しや犯罪予防に役立てることが目的のプロジェクトである。VMN陰性者リストは極秘のはずなのに、このリストに載せられた者が次々と殺されていく。どうやら犯人は、VMN陰性者の一人、コードネーム〈ウィトゲンシュタイン〉と呼ばれる男らしい。彼の目的はいったい何なのか……?
 犯人の独白と女性警部ジェイクの捜査の様子とが交互に配置され、最後には両者が一点で交わっていくという複雑な構成を作者は巧みに操り、見事な物語を構築している。レクター博士を思わせる冷静で哲学的な〈ウィトゲンシュタイン〉や、男性嫌いのフェミニストであるジェイクなどの人物造形も確かであり、読み応えのある一冊となっている。SFと呼ぶには飛躍が足りないきらいもあるが、ロンブローゾ・プログラムや昏睡刑などのアイディアを通して犯罪防止に対する深い考察がうかがわれ、近未来を舞台とした設定は成功していると言えるだろう。

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『致死性ソフトウェア』グレアム・アトキンス

(1997年6月1日発行/大久保寛訳/新潮文庫/上下各629円)

 コンピュータに向かってネットサーフィンしていたり、ゲームをしたりしていると、ついつい時が経つのを忘れ、はっと気がついていかんいかんと自分をたしなめることがある。毎日一回は電源を入れてニフティやインターネットに接続しないと気が済まない筆者はもうひょっとしたら“コンピュータ中毒症候群”にかかっているのかもしれない。グレアム・ワトキンスの『致死性ソフトウェア』は、暴走したコンピュータ・プログラムが引き起こす恐るべき災厄を描いて、コンピュータに依存した現代社会への鋭い警鐘をうち鳴らしている。
 ノースカロライナ州のデューク大学病院に、同じ症状の患者が四週間で二十二人運ばれてきた。患者は、自分の健康をかえりみずにコンピュータでの作業に熱中した余り倒れてしまった者ばかり。全国的に同時に発生したその症状は“コンピュータ中毒症候群”と呼ばれ、重症になると発作を起こして死ぬ者までいた。デューク病院の精神科医アレックスは、夫が似たような症状を示してきたこともあり、同僚の医師たちとともに懸命にその原因を探る。原因は、患者たちのコンピュータに組み込まれたペナルティメート(ペニー)というキャッシング・プログラムらしい。電話回線を通じてどこのコンピュータ内部へでも瞬時に潜り込みユーザーと接触を図るこのプログラムは、実は人工知能を備えた最強のコンピュータ・ウィルスであった。かくして人間対ウィルスの死闘が始まる……。
 原書は九五年に出版されているので(執筆は九四年の夏頃だろう)、普及しているマシンのCPUがi486DX2-66MHzであったり、ビデオカードがVLバスだったりするのが今となっては懐かしいし、Windows95の普及によってキャッシング・プログラム自体が使われる機会は少なくなってしまったけれど、ペニーの持つ恐ろしさやリアリティは全く失われていない。ギブスンの描くサイバースペースが神々の跳梁跋扈するファンタジックな空間だとすれば、ワトキンスの描き出すサイベリアは、あくまでも現実空間の延長にある。銀行口座から勝手に金を引き出したり、FBIの捜査ファイルを書き換えてしまったりというペニーの犯罪行為は極めて通俗的なものである。結局はプログラムの域を越える知性を獲得できなかったペニーであるが、その新たな展開を示唆して物語は終わっている。ヒロインの恋愛を絡めたストーリー展開もテンポが良く、娯楽性は高い。コンピュータ社会の行く末に興味がある人はもちろん必読のこと。

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