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2001年9月号

『オルガスマシン』イアン・ワトスン

『ノービットの冒険 ―ゆきて帰りし物語―』パット・マーフィー

『陰謀のゲーム』『仮想破壊者』トム・クランシー&スティーヴ・ピチェニック

『黄金の幻影都市1 ―電脳世界の罠―』タッド・ウィリアムス


『オルガスマシン』イアン・ワトスン

(2001年7月10日発行/大島豊訳/コアマガジン/2800円)

 一部SFファンに名のみ知られていたイアン・ワトスン幻の処女長編『オルガスマシン』が何と本当に翻訳・刊行されてしまった。内容の余りの過激さに英米では未だに刊行されていないので、七六年にフランス語版が刊行されて以来、この日本語版が全世界で二度目の刊行ということになる。この辺りの事情は大森望による本書解説に詳しく触れられているので、そちらを参照してほしい。斬新な奇想で知られるワトスンが、想像力の限りを尽くしたグロテスクなセクシャル・ファンタジーにしてアンチポルノグラフィーとも言うべき怪作を日本語で読むことができる幸福を素直に喜びたいと思う。

 市街地の沖合いに浮かぶ直径一キロのコンクリートの島。そこでは〈カスタムメイド・ガール〉社が、顧客の注文に応じて望み通りの肉体を持つ女性を続々と創り出していた。六つの乳房を持ち口は聞けないが感受性の豊かなハナ、巨大な青い目を持つ主人公ジェイド、毛皮と爪を備えた猫娘マリ、左の乳房が煙草入れで右の乳首がライターとなっている重役用娘キャシイ……。彼女たちの辿る数奇な運命を、ワトスンは処女長編らしく熱のこもった筆致で活き活きと描き出していく。

 本書を読んだ特に良識あるSFファンからは、男性の望むままの肢体を持つ女性を描くことは男性中心主義に迎合し家父長制を助長するだけではないか、これは単なる女性蔑視のポルノグラフィー(男性の欲望充足小説)に過ぎないのではないのか、という非難がごうごうと湧き上がることは必至であろう。ただし、本書は通常のポルノ小説と明らかに一線を画す特徴を持つ。一つ目の特徴は、女性の持つセクシュアリティから「艶かしさ」「妖しさ」を排除し徹底して客観的なオブジェとして描いていること。煙草入れの乳房を持つキャシイはもちろんのこと、魅力的な肉体を持っているはずの主人公ジェイドにしても、最初の顧客とは自らの肉体を隠す「人肌」をまとってしかセックスできない。挙句の果てに、ジェイドは「ソフト・ドリンクの自動販売機」にも例えられるセックス・マシンに入れられて、彼女は文字通り一つの「オルガスマシン」と化してしまう。そこには使用者の男性向けメッセージとしてこう記されているのだ。「オルガスムス後三十秒以内に抜くこと。シャッターは自動的に閉まります」(百十五頁)。ここまで来れば、いかなる読者であろうとも、本書のねらいが女性搾取そのものではなく、作者があとがきで述べているように、女性搾取の諷刺にあることはわかると思う。全体主義をいくら迫真的に描いているからといってオーウェルの『一九八四年』が全体主義礼賛小説ではないのと同様に、いくら女性搾取が活き活きと描かれているからといって本書は決して単なる女性蔑視ポルノ小説ではないのだ。女性搾取システムに対して反乱が起きるというストーリイ展開、「与えなさい、思いやりなさい、従いなさい」というカスタムイド・ガール社のスローガンなどから、筆者は思わず全体主義的ディストピアの悪夢を描いた『一九八四年』を連想してしまった。読者の意識が女性搾取のユートピアからディストピアへと変貌するその瞬間に、本書のアンチポルノグラフィーとしての存在意義があると言えるだろう。

 もう一つの特徴は、特別な男のために作られたはずのカスタムメイド・ガールたちが、決して顧客の愛を一心に受けているとは言い難い点にある。特別な男に愛され大切にされたいというジェイドの「女の子らしい夢」はついに最後まで満たされることはない。凡百のポルノが男性の欲望と女性の欲望とが容易に一致するというあり得ざる欺瞞を描くとするなら、本書では、男性の欲望と女性のロマンチシズムとのすれ違い、さらには、すれ違うことに対する女性側の怒りがはっきりと描かれているという点において、これまたアンチポルノグラフィーと呼ぶべき根拠が示されている。

 御木本の真珠島、横尾忠則のポスターなどが登場し、日本に滞在した体験が数多く盛り込まれているところも、本書の読みどころの一つ。何はともあれ、観念的・哲学的な奇想SFの書き手としてのワトスンしか知らなかった我々の前に現れたこの衝撃的な処女長編によって、ワトスンの芸風の幅広さ、奥深さを確認できたことは幸運である。

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『ノービットの冒険 ―ゆきて帰りし物語―』パット・マーフィー

(2001年6月15日発行/浅倉久志訳/ハヤカワ文庫SF/800円)

『ノービットの冒険 ―ゆきて帰りし物語―』は、パット・マーフィーがトールキンの名作『ホビットの冒険』やキャロルの『スナーク狩り』を下敷きとしてマックス・メリウェルの変名で書いた波瀾万丈の宇宙冒険物語である。小惑星に住むノービットたちは背が低く、やや小肥りで、本質的に冒険よりも安定を好む種族。そんなノービットの一人であるベイリーが偶然メッセージ・ポッドを拾ったことをきっかけとして、あろうことか銀河の中心へと向う冒険の旅に巻き込まれたから、さあ大変。クローンで構成されるファール一族とともに次々と襲いかかる危機を得意の機知とユーモアで乗り切っていく。宇宙のセイレンとも言うべき忘我教徒の罠を逃れ、復活党の船に囚われた仲間たちを救い、宇宙船の外壁を食う恐るべきお化けグモと闘い、いくつものワームホールを抜けてついには銀河中心へ……。

 恥ずかしながら『指輪物語』も『ホビットの冒険』もいまだに読んだことがないファンタジイ音痴の筆者としては、果たしてこの物語が楽しめるのだろうかと多いに不安を持って読み始めたわけだが、読み終えた今では自信をもって断言できる。読んでいなくても大丈夫! 絶対に楽しめる。もちろん読んでいた方がより楽しいに決まっているとは思うが、そうでなくても、ストレートな冒険物語として十二分に面白いのだ。ワイドスクリーンバロックというには素直すぎるし、ハードSFというほどのハードさはないけれど、確実にそれらの要素を消化し、最新の宇宙論を踏まえた上で壮大なスケールを漂わせた佳作に仕上がっている。主役たちが生き生きと描かれていることは言うまでもないが、口の悪い戦闘艇の構成体フラッフィ、出来損ないサイボーグのゴトリなど脇役陣もそれぞれいい味を出している。豊富な情報量を巧みに見せ隠しして読者を引っ張っていく語り口の見事さ、円環構造をなす構成の隙の無さなどから、筆者は思わずディレイニーの『エンパイア・スター』を連想してしまった。ネビュラ賞を受賞した『落ちゆく女』のきめ細かさとはまた一味違う、マーフィーの筆力の冴えを堪能できるスペース・オペラだ。電脳空間もナノテクも出てこないオールド・スタイルではあるが、逆にそれ故に、ここには原初のSFが持っていた未知の空間へと乗り出すときの胸踊る気持ちが鮮やかに再現されている。

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『陰謀のゲーム』『仮想破壊者』トム・クランシー&スティーヴ・ピチェニック

(2001年3月27日・6月8日発行/大野晶子訳/アスペクト/各1200円)

 宇宙空間の描写のゆったりした変化に比べると、小説内の電脳空間が、ギブスンの諸作や映画『トロン』で描かれた八〇年代のワイヤーフレーム的描写から随分と遠い地点まで急速に進化してきていることは言うまでもない。トム・クランシーとスティーヴ・ピチェニック共著の《ネットフォース・エクスプローラーズ》シリーズでは、中世風の城塞都市を模し四百万人ものプレイヤーが集まる電脳空間サークソス(第一巻『陰謀のゲーム』)や、過去百年の野球選手のデータを集め最高のメンバーで架空の試合を行うホログラム球場(第二巻『仮想破壊者』)など現実世界と等価な電脳空間が登場し、重要な役割を果たしている。このシリーズは、毎回電脳空間が絡んだネット犯罪が起き、現役高校生が構成するエクスプローラーズが事件を解決するという近未来ハイテク・スリラーで、現在二巻まで刊行中。なるほど最新型の電脳空間とはこういうものかと感心させられる点もあるが、あくまでも現実世界での捜査が主眼であり、電脳空間が良く出来たゲームの域を出ていないのが不満の残るところだ。

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『黄金の幻影都市1 ―電脳世界の罠―』タッド・ウィリアムス

(2001年6月15日発行/野田昌宏訳/ハヤカワ文庫SF/660円)

 新しく刊行が始まったタッド・ウィリアムの《アザーランド》シリーズ第一巻『黄金の幻影都市1 ―電脳世界の罠―』では、もう少しミステリアスかつ魅惑的な電脳空間が登場する。一千万人の市民およびパペット(仮想人像)によって構成される内部領域。ジャングルの花のように色鮮やかな摩天楼が立ち並ぶその一角に存在する『ミスタ・Jの店』に侵入して帰還した少年が突如昏睡状態に陥った。専門学校の教員である姉のレニーは、その原因を探るため、教え子(!Xザッブ)とともに内部領域に入り込む……。全五巻のうち一冊目ということだが、まずは快調な滑り出しである。テンポ良く進む冒険物語の今後に大いに期待したい。

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