SF Review



Back to Homepage



ダン・シモンズ『オリュンポス』書評(「スタジオ・ボイス」2007年6月号掲載)

 上下合わせて千頁、前編『イリアム』を加えれば千七百頁を超える大作である。〈ハイペリオン〉四部作を既に読み通してダン・シモンズの魅力を十分知っている人には、ただ一言「読め」と言えばそれで済む。広大なる宇宙や惑星を舞台にして、個々の人間が運命に対して抗い必死で生き抜こうとする、そんな生の輝きを描き出すシモンズの姿勢は、本二部作でも全く変わらない。存分に楽しんでほしい。
 シモンズって読んだことないし分厚くて時間かかりそうだしどうしようかなあ、と悩んでいる人にもやはり一言「とっても面白いから読みなさい」と言って済ませたいのだが、それでは不親切すぎるだろう。以下『オリュンポス』の筆者なりの楽しみ方をいくつか示すので、参考にしていただければ幸いである。
@『オリュンポス』は『サイボーグ009』である。
 遥か未来、地球化された火星のオリュンポス山に、ナノテクで強化されたギリシアの神々が住み着き、ホメロスの叙事詩『イリアス』に描かれた通り、イリアム(トロイア)での人間同士の戦争に加担している。この第一パートの設定がまずもって素晴らしい。いったい何故、誰が神々を造り出し、こんな戦争をさせているのか。未来に甦った現代人の学者ホッケンベリーは、この戦争が徐々に『イリアス』の展開からズレ始めていることに気づく。人間たちが神々に対して逆らい始めたのだ。中心となるのは、神々自身がナノテクと組み替えDNA技術で強化したギリシャの英雄アキレウス。彼はトロイアの宿敵ヘクトルと手を結んで、神々との闘いを開始する。……どこかで似た物語を見たことはないだろうか。改造人間(サイボーグ)がやはり改造人間である神々との戦いを始める。……そう、石ノ森章太郎の名作漫画『サイボーグ009』である。初期のエピソードの一つに、ギリシアの神々を模して改造されたミュトス・サイボーグと009たちが戦う話があったのをご記憶の方も多いだろう。洋の東西を問わず、科学技術を駆使して神話を再現するのはSFのお家芸の一つである。そして、神々との戦いとは、実は人の命を易々と蹂躙していく不条理な「運命」との戦いに他ならない。〈ハイペリオン〉四部作でも顕著であった「運命に対抗する個人の気概」は本書でも徹底して描かれているし、残念ながら未完に終わった『009・神々との闘い編』(現在は息子の小野寺丈が小説執筆中)の主題も同様であったと筆者は記憶している。アキレウスが与えられた加速能力と009の持つ加速装置など細かな偶然の一致も面白いところだ。比較しながら読むのも一興であろう。 A『オリュンポス』は教養小説である。
 『イリアス』が前述のパートの基になっているのは言うまでもないが、他にも換骨奪胎されている作品は数多くある。地球に取り残された古典的人類が蘇生を繰り返しながら享楽的な人生を送っているという第二パートでは、ナボコフ『アーダ』から登場人物の名を借りているし、木星の衛星に住む半生物機械たちが量子異常の謎を探るために火星へと向かう第三パートでは、文学好きな登場人物二体がプルーストやシェイクスピアについてかなり突っ込んだ議論を戦わせる。とりわけシェイクスピア『テンペスト』は『イリアス』やシェリー『鎖を解かれたプロメテウス』と並んで、本書のイメージを形成する上で非常に重要な位置を占めており、できれば読んでおきたい作品だ。無論これらの諸作を読んでいなくても十分楽しめるように書かれてはいるわけだが、読み終えた人は元ネタを知りたくなって猛烈な読書欲に駆られるはず。つまり、本二部作は古典文学・英文学への格好の読書案内になっているのである。
B『オリュンポス』は『平家物語』である。
 小難しい理屈は抜きにして、迫力ある描写とテンポの良い展開でぐいぐいと読ませるのがシモンズの特色でもある。本書では次々と描かれる合戦の描写が圧巻。飛び道具抜き、剣と槍で戦うトロイア戦争を扱うわけだから、当然首が飛び内臓が引きずり出され、肉体と肉体がぶつかりあう。まさしく血湧き肉踊る戦いである。「まるで心理が写されているというより、隆々たる筋肉の動きが写されているような感じがする」とは小林秀雄が『平家物語』を評して言った言葉であるが、これは本書にも十分当てはまる。『イリアス』も『平家』も盲目の詩人による合戦物語(口誦文学)という点では共通している。『イリアス』を受けて書かれた本書に日本の読者が『平家』の影を見てとっても、あながち外れではないような気もするのだが、どうだろうか。  以上、楽しみ方のほんの一部を紹介してみたが、様々な視点からの鑑賞に耐え得る力作であり、読書の楽しみを満喫できる作品であることは間違いない。とにかく一読をお勧めしたい。

ページの先頭に戻る