私は、高校時代に体操部に入部しており、1978年1月高校2年生の時、放課後の
練習中に誤って鉄棒から落下し、首を骨折してしまったために頚髄損傷(C4)という
障害を負ってしまいました。
そして、2年間の入院生活の後、1980年1月に退院し自宅に戻って在宅生活がス
タートしましたが、大きな不安を抱えたままでの在宅生活のスタートでした。自分の生
活に生き甲斐を見つけることもできなく、家に閉じ込もったまま2年間という月日が過
ぎ去ってしまっていて、気がつくと毎日テレビを見て過ごすことが私の日課になってい
ました。それは人間としてとても悲しく思えまた、自分が情けありませんでした。
その頃、入院中に知り合った仲間たちが集まって、親睦の会ができました。その後、
この親睦の会がきっかけとなって、“障害者が保護される存在でなく、差別されること
無く主体性を持って、地域で自立するための会”として、1985年3月にF.L.C.
(Friendly Life Community)が発足しました。F.L.C.の活動がきっかけとなり、外
出の機会も徐々に増え、自分の身体のことだけでなく社会にも関心を持つようになりま
した。
1981年の『国際障害者年』以降の『国連・障害者の十年』を契機に、福祉先進国
といわれる欧米や北欧における障害者を取り巻く情報が、我が国にも盛んに入ってくる
ようになりました。私はアメリカの障害者の自立生活、アクセスの状況、自立生活セン
ターの活動などに強い関心を持ち、渡米(1990年 9月16日〜25日)し、それまでの自分
の生活からは考えられないその現実に驚かされ帰国しました。
その興奮と余韻のさめきらないある時、私はイギリスのテレビ局BBCのインタビュ
ーを受けたことがあります。インタビュー内容は、「日本の障害者のおかれている現状
はどのようなものか? また、社会の中で障害者はどのようにみられているか?」等に
ついて聞かれ、私は「重度の障害者が地域の中で主体的に暮らして行くためには、社会
的バリアがまだまだ多くあったり、制度面やサービス面においても難しい現状である。
また、障害者は社会の一員とみられにくく、哀れみや慈善の対象になってしまっている
...。」というようなことを答えたと記憶しています。
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F.L.C.(Friendly Life Community)
金子 寿
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