日誌 (2004年ー2007年)
中島虎彦






★★★  日誌 (2004年ー2007年)  ★★★ 
                                                      

●第六百十八回    (2007年3月12日)

 昨日の午後、市内の和多屋別荘までシンポジウムを聴きに行ってきた。
「嬉野市ひとにやさしい街づくりフォーラム」で、中村元氏の講演と松尾清美氏のコーディネートによる討論。
中村氏は伊勢志摩のバリアフリーツアーセンターの理事長で街づくりの専門家。
市長と市民をウルトラマンと科学特捜隊にたとえた話などが面白かった。
 松尾清美氏は私とおない歳で脊髄損傷の受傷年もほぼ同じ。佐賀大学医学部教授。
俳優のような風貌と社会人としての自負と家庭の温かさなど、堂々とした押し出しにソフトな語り口である。
車いすとして同じ年月を過ごしてきながらも、月とスッポンのようなこの違いはどうだろう(苦笑)。
初対面とはいえ数年来のメル友でもあるので、私の最新刊の本など差し上げ、記念写真を撮りあった。
 その他、「とろうのおの」や「ペン人30号」なども売れたりして、実り多い一日だった。
やはり何にもせよこちらから行動を起こさなければ、面白い出来事には出くわさない。

★きょうの短歌
ガンジーの無抵抗主義いつからか非暴力主義と言い替えられる    東風虎

















●第六百十七回    (2007年3月10日)

 もう寒の戻りはないだろう、などと高をくくっていたら、この二三日の寒さ!
体調管理もむずかしく、ゆめゆめ油断はならないと思い知らされた。
 そんなとき首相とそのグループが従軍慰安婦問題と南京虐殺問題を調べ直すという。
そんなものなかった、デッチあげだ、とさえ豪語する政治家もいる。
本当にあれらがなかったのなら、どんなに肩の荷がおりることだろう。
 しかし旧日本軍兵士や将校の書き残した日記や手記の中には、
はっきりとその事実を記したものがある。それすら嘘っぱちだと言い放つのだろうか。
それは最前線で生死をくぐりぬけてきた彼らに対する冒涜ではなかろうか?
 首相の標榜していた「美しい国」の実態がいよいよ牙を剥いてきた。
ゆめゆめご油断めさるな、と兵士たちの声が聴こえてきそうだ。

★きょうの短歌
障害者用の手すりまで盗まれてニッポンの底が抜けてしもうた    東風虎















●第六百十六回    (2007年3月7日)

 ホームページのアクセスカウントが50000回を越えました。
途中2回のPCトラブルのためカウンターが逆戻りしているので、
本来ならとっくに60000回を越えているのですが。
これもリピーターの皆さんのおかげです。本当に感謝にたえません。
 パソコンやインターネットのない生活はもう考えられませんね。
かつて「ペン人」同人の志田博君から「パソコンをやったら?」と勧められたとき、
私は臆病と億劫から苦笑いして聞き流していました。
 それから数年かかってようやく始めてみると、これが目覚ましいしろもので、
どうしてもっと早く始めなかったのかと、志田君に申し訳ないばかりでした。
いずれにしても手習いを始めるのに遅すぎるということはありませんね。
 ただ、50000回めを踏んだ方はわかりません。
今回も一見のお客さまでしょうか。遠慮なくお申し出ください。
次のキリ番は54321回、55000回、 55555回、 56789回、 60000回などです。
 えらく多いなあ(笑)、皆さん、お楽しみに。

★きょうの短歌
百姓は小規模多角経営のつまり貧乏ひまなしがすじ    東風虎
















●第六百十五回    (2007年3月2日)

 いよいよ弥生の空となった。昨日は22度もあった。
この暖冬だし、もう寒の後戻りをすることはあるまい。
 それにしても昨夜はちょっとたまげた。
世の中に深夜の通販番組ほどあざといものはないと思っていたが、
デジカメほどの電子辞書に辞書100冊分が納められているという。
 ついこのあいだまでは十数冊分と言っていたような気がするが、
いつのまにそんな技術革新をしたのだろう。おまけに手書き検索ができるし、
六カ国語を翻訳して発声してくれるという。英語なんかネイティブだ。
 私のようにうかうかした者はそのスピードにとうてい着いてゆけない。

★きょうの短歌
ポイポーイかっくんちゃんがなりわいに出かけるところ土橋のうえ    東風虎



















●第六百十四回    (2007年2月26日)

 姉からもらったダンボール箱いっぱいのミカンも、ほうぼうに配り、
自分でも一日一個ずつ食べていたら、とうとう残り少なになり、カビが生えたり腐りかけてきた。
もう二月末だもの。どういうふうに処分したらいいものか頭をひねっているうち、
そうだ、メジロ寄せに使おうと思いついた。実家ではやっていたのに忘れていた。
 さっそくヘルパーさんに頼んで腐りかけを半切りにしてベランダの手すりに乗せてもらった。
これだと私のベッドから寝ながらにしてウォッチングが楽しめる。
動物が恋しい私はワクワクして待ったが、きょうのところは来なかった。
暖冬だからもう遅すぎたのかもしれない。あるいは腐りかけは彼らも食わないのか。
 それでも明日はくるかと楽しみがひとつ増えた。

★きょうの短歌
赤い実を食べても食べても黒い鳥それでも糞はまっ白けのけ    東風虎














●第六百十三回    (2007年2月23日)

 脊髄損傷や頸髄損傷はだいたい便秘気味になるのだが、
このところのしつこさで再び痔まで悪くなって難儀している。
 もともとの発汗や下腹部の異常知覚やお尻の褥瘡にかてて加えて、
飛蚊症や火傷や風邪、スパム野郎や大杉アナの自死などなど、
これだけ束になってかかってこられると、さすがに弱音を吐きそうになる。
 そんなとき、BS放送でスキーのワールドカップか何か、滑降をやっていた。
冬のスポーツの中では、私は滑降が大好きだ。
あのスピード感とスリル。流れるようなシュプールと切れ味。
(私の短歌もそんなふうでありたいものだ)
 しばらく見とれていたら、少しだけ気分がよくなってきた。
陽気もよくなってきたし、久しぶりで夕方の散歩にでも出よう。

★きょうの短歌
滑降の流れるようなシュプールの切れ味そんなふうでありたい    東風虎

















●第六百十二回    (2007年2月19日)

      「独居抄」D

虎の胃を借りていたけど胃の獅子にとって変わられ遠吠えてくる

雪のない新潟という嬉しがるよりもうす気味悪がる多恵子

姉ちゃんの二十日ゑびすの鹿島からふなんこ喰いが待たれる夕べ

お大寒さまをともかくやりすごしあとはゆるゆる春待つばかり

障害をダシにしている韓流のドラマとはいえそれなりのわけ

妻が夫を兄が妹をバラバラにしている夕べむらぎもの雲

オーケストラ演奏前の音合わせみたいな上海朝焼けてくる

中国とコトをかまえるもんじゃない上海帰りの古書店主がいう

コンプライアンスなんぞと人口に膾炙しているおつもりですか

とやかくも朝っぱらから麗しい女子アナたちに起たされている

セックスと祈りと死とは同じかもしれないという小山内美智子

別にもう短歌じゃなくてかまわない一行の詩は言うまでもなく

乾電池即席ラーメンウォークマン胃カメラカラオケVTR

おふくろの漬け物に忍ばせてある手紙ただより恐いものはない

ひとり暮らし車いすから落ちぬよう火傷せぬよう風邪ひかぬよう

ヘルパーさんキャンセルしたら一日を誰ともしゃべらない支援法

ヘルパーが鎖骨に水が溜まるようになりましたよと喜んでいる

健常者という言葉を知らなかった介護タクシー運転手さん

晴眼者と呼ばれてること車いすになって初めて知らされている

日々歩きつづける者が誰よりも遠くまで行ける夕焼けの道

民謡のはやしことばの豊かさに目をつけないでいるわけがない
























●第六百十一回    (2007年2月17日)

 昨夕、町の中華料理屋から出前を取った。ドキドキした。
引っ越してきてから初めてである。これも今年のひそかな抱負の一つだった(笑)
 数日前の郵便受けに新規開店(出前のみ)のチラシが入っていたので、
配食サービスの休みになる土曜日、休肝日にするとともに思い立った。
 中華丼(500円)と野菜炒め(600円)。びっくりするくらいの量があった。
いつも高齢者用の少量で薄味の弁当を食べているので、
なるほどこれが世間並みというものかと妙な感心をした。
とても食べきれず、野菜炒めは日曜日のつまみ用に残しておいた。
 たかが出前ひとつでこんな一文をものすのは恥ずかしいが、
山がつの私はなんというか出前なんて贅沢だ、という思いがあったのである。
とはいえたまには気分転換もよかろうという話。
 美味しくてこれから癖になりそうだった(笑)

★きょうの短歌
乾電池即席ラーメンウォークマン胃カメラカラオケVTR    東風虎


















●第六百十回    (2007年2月16日)

我が家にテレビがやってきたのは小学二年のときだった。
ちなみにNHKのテレビ放送が始まったのは、私の生まれた昭和
28年からで、
いわば私はテレビの歴史とともに育っているわけである。

 そんな小学校低学年のころ、例によって夕方のテレビにかじりついていたときのこと、
東京の下町のポンポン船の船長
(桂小金冶)を主人公にしたドラマであったが、
突然画面が砂嵐になり何も映らなくなった。一瞬みな「ああーん!」とブーイングを発したが、
 それと前後してどこからか「ガラガラ、ガッシャーン
!」という大音響がしてきた。
私たち兄弟はこれはただごとではないと顔を見合わせ表へ飛び出した。
近所のおばさんたちも飛び出してきていた。

すると川をはさんだ向こうの岩の下地区の往還(県道)で、
田んぼの中に一台の青いダンプカーが転落して腹を見せていた。
あたりには仕事帰りの土方の作業員たちがてんでにはじき飛ばされて、うめき苦しんでいた。
また電柱の一本が倒れ電線がちぎれて道路から田んぼにたわんでいた。
それがときおり何かに触れてパチッ、パチッと火花を上げていた。
ダンプのほうは炎上したりはしていなかったが、まだエンジンがかかったまま唸つていた。

どこからともなく人々が集まりだし、消防団の人たちも駆けつけてきた。
私らやほかの子どもたちももちろん黙っていられるはずがない。
めいめい川床の石をぴょんぴょんと伝い渡って堤防から田んぼに上がり現場を遠巻きに眺めた。
 すると消防団員がきて「あっちへ行っとれ
!」と山際のほうへ追いやられた。
私らは文句も言わず従いながら、そのくせ倒れている労務者たちの様子を仔細に検分した。
そして山際の石垣に一列になってもたれかかりながら、
それぞれ自分の見た惨状をひそひそと報告しあった。

私が見たのは中年の作業員が顔を血まみれにして、田んぼの泥に突っ伏しているさまだった。
生きているのか死んでいるのか、かすかに呻き声を上げているようでもあった。
そこへ消防団員が駆け寄って、誰のタオルかわからないが作業員の顔の血をぬぐい取っていた。
そしてそれをかたわらの
(これもどこから持ってきたのか)バケツにじょぼじょぼと絞り溜めていた。
 そのときはもしごくもっともな光景に見えたが、後になってみると不思議な光景だった。
あとからあとから血は出てくるのだから、しぼり取るよりも傷口をタオルで縛ったほうが
よかろうと思われるのだが、団員も動転していたのだろう。
 それにもともと百姓だから神聖な田んぼをみすみす血で汚すわけにはいかない、
という理屈が湧いていたのかもしれない。

いずれにしても私が死人を見たのはそれが最初だった。
隣町あたりからかき集められてきた作業員たちらしく見知った顔がいないことが、
何か変にリアリティーのなさをかもし出していた。
 そして月日がたつにつれて、そのとき突っ伏していた男はかっくんちゃんではなかったか、
それにちがいないという気がしてきた。


★きょうの短歌
かわいい娘きれいな娘ならいくらでも代わりがあって女子アナの朝    東風虎


























●第六百九回    (2007年2月15日)

私が(父の義眼を除いて)初めて障害者を意識したのは、
小学校高学年のころ同級生と下校していて、目の前を歩いていたセーラー服の女生徒が、
その松葉杖が何かにつかえたらしく、突然バランスをくずして転倒したのを見たときだ。
 その女生徒にはときどき出会っていたが、
いつも一人でさっささっさと松葉杖をついて通り過ぎていたし、
格別に意識する出来事は起こらなかった。
 それに彼女は朝礼のときコンクールか何かでちょっとした表彰を受けたりして、
校長先生からお褒めのことばをもらったという噂を聞いて、
ふーん、なかなかえらいんだー、という感じで敬して遠ざけていたような気がする。

その彼女が突然倒れて、カランカランと杖の転がる音が響きわたり、
セーラー服がまくれ上がり、真っ白な太腿があらわになったので、
私と同級生はまるで青天の霹靂に打たれたように立ち止まり、
いったい何が起こったのか理解するのに数十秒かかったような気がする。

 当時の道路は(往環と呼んでいたが)まだ舗装などされていなくて、
砂利と泥まじりのつるつるに固まった硬い路面だったので、
彼女は膝頭かどこかをすりむいて血がにじんでいたようだった。

私らは茫然としたまま、何もすることができなかった。
すぐに駆け寄って立たせてあげるとか、松葉杖を拾って持たせてやるとか、
「大丈夫ですか
?」と声をかけるとか、そういう選択肢はいっさい頭に浮かばなかった。
それどころか私らは何か恐いものでも見るかのように眉をひそめ、
おそるおそるそばを通り過ぎただけだった。

 彼女はしばらく痛そうに顔を歪めていたが、私らが通り過ぎるのに気づいて、
いつものように気丈に立ち上がり、私らをきっと睨みつけて立ち去っていった。
彼女の家は左手の田んぼの中の道へ折れてゆくほうなので、
私らはまた二人だけになってとぼとぼと歩きながら、しばらく何も話さなかった。

 私は確か級長をしていて、彼のほうは図書係りか何かをつとめていた。
それからどうなったのか、何かを話し合ったのか、今ではすっかり忘れてしまったが、
そのときの光景は今でも鮮明に脳裏に刻みつけられている。

 どうしてすぐに手を貸してやらなかったのか、ひそかな心の傷になっている。
まあ強いて弁解するなら、当時はまだ封建的な村で、私らは色気づいてくるころで、
男子と女子は物理的にも精神的にもはっきりと区切られていた。
気軽に話したり触るなどもってのほかであった。
ましてや年上のセーラー服となると雲の上の存在であった。

私はこの光景を思い出すたびに、あの膝頭のすり傷のように何かがひりひりしてくるのだが、
と同時になぜだか「かっくんちゃん」のことを思い浮かべるのだった。
そしていつのまにか目の前で転倒したのはかっくんちゃんであったような気がしてくるのだ。


★きょうの短歌
山々は見おろすよりも見あげつつ暮らしたほうが敬虔になる   東風虎



















●第六百八回    (2007年2月14日)

 昨夜は大風だった。最大風速16mで、気温も16度。
そこらじゅう南風にひっかき回されて、洗濯物も飛び散った。
いつもより一カ月くらい早い春一番。
 まるでジェットコースターのような夜気のめまぐるしさに、
喉は風邪をぶり返し、火傷の腫れはほてり、便秘の腹はしぶり、
ことのほか体調管理も難しい。

★きょうの短歌
ヘルパーさんキャンセルしたら一日を誰ともしゃべらない支援法    東風虎














●第六百七回    (2007年2月13日)

 第六百一回のままでは、母があまりに救いようなく思われるので、フォローを。
実はあんな母も一時期短歌をやっていたことがある。
百姓仕事と私の介護だけに明け暮れる人生では、あまりに申し訳ないので、
老後の趣味にと私がせっついて手ほどきしたのである。
 ノートをつくり、添削をしてやり、ときどき新聞歌壇にも投稿したりした。
しかし長くは続かなかった。やはり自発的なものでないと文芸はものにならない。
 その代わり新聞雑誌歌壇なんかを読むのが大好きになってくれた。
あの一筋縄ではゆかぬ母にしては画期的な進境である(笑)
(その分、私の短歌にも何かと口を出してくるようになったのは痛し痒しだが)
それが私のしてやれた唯一の孝行かもしれない・・・・。

★きょうの短歌
殉職の警察官をあんのじょう美しい国の読本にする    東風虎















●第六百六回    (2007年2月11日)

 実家のある吉田まで、NPO法人こだま「ぬくもいの家 葦の里」の開所式に行ってきた。
今年最初のお出かけ。一昨日までの春のような陽気にだまされて、電動車いすで行けるだろうと思ったら、
あまりの凍てつきに途中で右腕が固まって運転できなくなってしまった。
 ほうほうの体でたどりついたら、市長さんはじめお歴々が居並んでいて、ちょっと場違いの感を味わった。
しかし代表者の野中さんにはいつもお世話になっているので、そそくさと挨拶をしてお土産を手渡してきた。
熱いお茶と甘酒と婦人会による面浮立踊りのもてなしがありがたかった。
 古民家を改造したいわゆる宅老所の活動が中心になるものだが、私は移送サービスでお世話になるだろう。
式典が終わったのでまた寒気の中を帰ろうとしていたら、やはり市内のNPO法人の女性から声をかけられ、
(実は彼女はかつて入院していた国立病院の付属看護学校時代に私の担当となってくれた人だった)
自分とこの移送車で送りましょうと申し出てくださったので、地獄で仏とばかりご厚意に甘えることにした。
車中では国病時代の思い出話に花が咲いた。
 スーパーの前で降ろしてもらい、買い物をしてレジに並ぶと、財布類を「葦の里」に置き忘れてきたことに気がついた。
「すみません、戻してください」と謝って帰ろうとしていたら、レジのおばさんが気の毒がって立て替えてくださった
ようやく家に帰りついてベッドに下り、お土産のカップ酒を呑んでいたら、葦の里から財布とつまみを届けて下さった。
ちなみに行きがけと帰りがけには、隣接した特養うれしのの窓口で靴(ダウンの室内履き)を着脱してもらった。
 その晩、案の定風邪の症状が出てきたので市販の薬を飲み、
また前日電子レンジで火傷していた左手も腫れてきたので以前の残りの抗生物質を飲み、
しばらく暖房を利かせ蒲団をかぶって唸っていたら、深夜になってようやく人心地がついてきた。
今度は暑くてたまらなくなってきたので、今年最初のクーラーを入れたらひんやりして気持ちよかった。
熱も八度台からすぐに六度台に下がり大事に到らなくてよかった。
 そんなふうで、何とまあ、とっちらかった一日であった。

★きょうの短歌
民謡のはやしことばの豊かさに目をつけないでいるわけがない    東風虎



























●第六百五回    (2007年2月8日)

 スーパーのレジに並んでいたら、レジ係から「先生、こんにちは」と声をかけられた。
学習塾をやっていたころの生徒だった。五、六年ぶりだったのでお互いに懐かしがった。
たいていの生徒は志望高校にうかるとやめてゆくが、その子は高校に入っても通ってきた珍しい生徒だった
私の新居にも遊びにおいでと誘っておいた。いい日だった。
 それにしても、今までに文学上(ほか)のちょっとした行き違いで絶交状態になっている人が何人かいる。
そういう人たちと再び友誼を回復するのは、どうしてこんなに難しいのだろう。
いつまでもこだわりの解けない自分の狭量さにうんざりする。
 相手のほうはどうなんだろう・・・・。

★きょうの短歌
雪のない新潟という嬉しがるよりも薄気味悪がる多恵子     東風虎













●第六百四回    (200727)

 昨日はこの冬初めて春の息吹を感じた。

エアコンを止めて窓を開けてみる気分になったのである。

 にもかかわらず、踏切での自殺者に警官が巻き込まれたというニュースをやっていた。

それを電車内から100人くらいの乗客が見ていたという。しばらく前にはバラバラ事件もあった。

そういう凄惨な現場を目の当たりにした人たちは、PTSDを引きずってゆくのかもしれない。 

 現代では思いもかけぬ凄惨な現場を目撃する人たちが増えていることだろう。

そういう人たちが何食わぬ顔で私の隣を行き交っているのだと思うと、

ちょっと恐い・・・・。


★きょうの短歌

日々歩きつづける者が誰よりも遠くまで行ける夕焼けの道     東風虎



















●第六百三回    (200726)

 前回のつづき。
 どうも「健康病」がはびこっているのも遠因ではないでしょうか。
古くは「健全な肉体に健全な精神が宿る」とか、「無病息災」とか、
「健康が一番」とか「健康でありさえすれば」などという迷妄に振り回されているのです。
 そんなこと言ったら、障害を抱えている者たちは一生幸せになれないことになります。
いつまでも半人前ではんぱ者で根性が歪んでいると(苦笑)
 そんなことはないんですけどね。
病気や障害を負っても、それはそれでまた味のある人生が待っているのです。
 それがなかなかわかってもらえませんね。

★きょうの短歌
とやかくも朝っぱらから麗しい女子アナたちに起たされている    東風虎
















●第六百二回    (2007年2月3日)

 昨日、日本テレビの大杉(旧姓鈴木)君枝アナが自宅マンションから飛び降り自殺したらしい。
これが夫婦あるいは男女関係のもつれや、テレビ局内での確執によるものなら取り上げたりしない。
どうやら高齢出産後に全身の痛みに襲われる原因不明の病気に悩まされていたのが原因らしい、
などと言っていたので、それなら黙っているわけにはいかない。
 所ジョージの「目がテン」初代のアシスタントをつとめていた頃から見ていたけれど、
あの所さんを向こうに回して一歩もひけをとらぬ当意即妙の受け答えはただものではなかった。
おそらく小さいころから「可愛い」「きれい」「利発」などと褒めそやされて生長してきたことだろう。
その後、幸せそうな結婚をして子どもにも恵まれていた。
 そんな順風満帆な人生に突然の難病が襲ってきたのだから、ショックは大きかったことだろう。
その苦しみは察するに余りがある。不治の痛みの辛さは「痛みと麻痺を生きる」書評でも書いたばかりだ。
おそらく人生初の試練に混乱したことだろう。だからといって自死だけは選んでほしくなかった。
どんな難病もずっとそのままということはない。馴れやすり替えや諦めにより薄れる日もくる。
 彼女は社会的に影響力のある立場にいるのだから、ほかの難病患者たちの意気地をくじいてしまう。
どんなに苦しくてもそれを自覚して耐え忍んでほしかった。それができる女性だと思っていた。
しかしやはりエリートだけに耐性ができていなかったのだろうか。残念でたまらない。
 最近こんなにドキドキしたことはない。

★きょうの短歌
おふくろの漬け物に忍ばせてある手紙ただより恐いものはない   東風虎













●第六百一回    (2007年2月2日)

 昨日から二日つづきの雪となって、暖冬傾向もようやく冬らしくなった。
それにしてもこんなに穏やかに迎えられる冬は久しぶりだ。
というのも、ヘルパーさんに来てもらうようになってもう五、六年になるが、
これまで冬になると母のある問題で頭を悩ませていたからである。
 そもそもヘルパーさんに来てもらうよう決めるまでもひと悶着だった。
昔気質の農婦である母は、とにかく人様の手を煩わせることを潔しとしない。
自分でできる間はすべて自分でやらねば気が済まない、ヘルパーさんを入れるなんてとんでもない。
 そんな母も八十を過ぎてあちこちガタが出はじめ再検査に呼ばれたりするようになると、
さすがに意地ばかりは通せなくなり、やむなくヘルパーさんを迎え入れるようになった。
とはいえヘルパーさんの来ている間、じっとしてはいられない。休んでなんかいられない。
夏の間は家の表と裏にある田畑で好きな土いじりでもして時間をつぶせるが、
真冬になるとさすがに凍てついて外にはいられない。家の中をあっちへウロウロ、こっちへウロウロ・・・・。
 母に休んでもらうためにヘルパーさんに来てもらっているのだから、
自分の部屋でコタツに入るなり蒲団で横になるなりしていればいいではないか、
その旨ヘルパーさんにはちゃんと言ってあるのだから何も遠慮することはない、
そう言うのだが、それができない性分なのである。これにはほとほと手を焼いた。
 ようやくヘルパーさんが帰ると、そのあと『居り場所がない・・・・』とじくじく愚痴を聞かされるのである。
私は『ああ、早く春になってくれないかなあ・・・・』と曇天を仰ぐばかりであった。
 しかし引っ越してから最初のこの冬はもうそんな気兼ねをすることもない。
母のほうもさぞかし安気な毎日を過ごしていることだろう。

★きょうの短歌
ひとり暮らし車いすから落ちぬよう火傷せぬよう風邪ひかぬよう    東風虎



















●第六百回    (2007年1月29日)

 前回の藤川景さんはニッコリ笑って人を切るタイプだ(笑)、おお恐・・・・。
障害者には珍しい人材。やはり以前の経歴というのは大きい。
 脊髄損傷や頸髄損傷の人たちと付き合って面白いのは、
受傷前の職業が実にバラエティーに富んでいることだ。
たとえば今までに出会った人たちとして、
 ラガーマン、炭坑夫、NНKカメラマン、やくざ、警察官、婦人警官、Jリーガー、銀行員、百姓、主婦、
アナウンサー、郵便配達夫、電器屋、東大生、潜水夫、教師、市民マラソンランナー、体操選手などなど。
それらとりどりの半生の話を聞かせてもらうのは、ネタの宝庫である(笑)
 それはともかく、この日誌もついに六百回を迎えた。
ここまで何かにつけて励まして下さった方たちにお礼申し上げます。

★きょうの短歌
お大寒さまをともかくやり過ごしあとはゆるゆる春待つばかり    東風虎











●第五百九十九回    (2007年1月26日)

 「はがき通信」103号で、東京都の頸髄損傷で藤川景さん(元雑誌編集者)が、
たいそう痛快な書評を書いてくれています。
これまでにいただいた批評の中でも出色です。
引用の短歌が的確なのに舌を巻きます。
 こんなに読み込んでくれる人がいると、書いた甲斐があるというものです。
よろしかったら皆さんも覗いてみてください。

http://www.normanet.ne.jp/~hagaki-t/pcc103b.htm#12

★きょうの短歌
中国とコトをかまえるもんじゃない上海帰りの古書店主が言う  縞虎




















●第五百九十八回    (2007年1月23日)

 障害者自立支援法による応益負担のため、先月のヘルパー負担金が12000円を越した。
いくら一割負担にすぎないとはいえ、もともと収入の少ない自立生活にはこたえるので、
今月から特に用事のたまっていない日にはヘルパーさんをキャンセルするようになった。
 きょうですでに三回目である。実質1200円ほどの節約になる。
私の節約になるだけでなく、国庫の節約にもなる。
 本当は日に一度でも下の清拭や付け替えをしてもらえれば体調管理によいのだが、
背に腹は代えられない。

★きょうの短歌
祈りと死とセックスは同じなのかもしれないと言う小山内美智子    東風虎

















●第五百九十七回    (2007年1月21日)

 大寒の前になると二十日恵比寿に備えて鹿島市で恒例の「フナ市」が開かれる。
その映像を見ながら、『ああ、鮒の昆布巻きで一杯やりたいなあ・・・・』と涎が垂れそうになる。
鹿島市能古見に嫁いでいる姉がもってきてくれないかなあ・・・・などと虫のいいことを考える。
 すると翌日ちゃーんとお裾分けにもってきてくれるからありがたい。ついでにミカンも段ボール箱いっぱい。
私の様子見もかねて、いろいろと心配をしてくれているのだ。お世話になることばかりでかたじけない。
その晩さっそく美味しくいただいたことは言うまでもない。
 姉には歌集やら同人雑誌やら機関紙やらをお礼にあげるととても喜んでくれる。
こうして大寒をやりすごすと、あとはゆるゆると春を待つばかりだ。

★きょうの短歌
障害をダシにしている韓流のドラマとはいえそれなりのわけ     東風虎















●第五百九十六回    (2007年1月18日)

 引っ越してきてからきょうほど嬉しい日はない。
長年ずっと心に懸かっていたある小説をついに書き始めることができたからだ。
最初の取りかかりのところでどうしてもふんぎりがつかず、ひそかにのたうち回っていた。
 その苦しさから逃れるために、アダルトサイトのダウンロードに耽ったりもしてきた。
けれどもうそれからも解放されるだろう。こんなに肩の荷が下りたことはない。
まだ書き始めたぱかりなのにこんなに喜んでおかしいくらいだと思われるだろう。
 何がきっかけとなってくれたのか、話せば長くなるので、小説の完成の暁には明らかになろう。
もの書きというのは本当に難儀な輩だと思う。

★きょうの短歌
姉ちゃんの二十日ゑびすの鹿島からふなんこ喰いが待たれる夕べ     東風虎


















●第五百九十五回    (2007年1月15日)

 この冬は暖冬傾向らしいが、なかなかどうして寒くてたまらない。
嬉野は県内でも寒いほうではあるのだが、私ってこんなに寒がりだったかなあ?
 きょうは便が出ず一日延びたので、明朝のため予定外の牛乳を買いに行かねばならないのだが、
億劫でどうしても外に出る気にならない。夏はあんなに出たかったのに・・・・。
 その牛乳の消費期限切れを使っていたという廉で、不二家が吊るし上げられている。
賞味期限切れくらいなら大目に見てやってもかまわんだろうと思うのだが、
消費期限切れというのはそんなに危ないのだろうか? 
 嘘や言い逃れは論外だが、素人にはいまいちわからない。
私はもったいないから賞味期限切れはもちろん消費期限切れのものもかなり口に入れている。
 いずれにしても夏を越すより冬を越すほうが大変のようだ。

★きょうの短歌
虎の胃を借りていたけど胃の獅子にとって代わられ遠吠えてくる    東風虎
















●第五百九十四回    (2007年1月11日)

 スーパーで買い物をしていたら、久しぶりの従姉妹と会った。
「自分で買い物もしをるとね!?」とちょっとばかり目を丸くしていた。
そういえば年配の男性などからも目を丸くされることがある。
実際、そのときスーパー内に電動車いすはもちろん男性客は私一人だった。
しかし私には何のこだわりもない。
 従姉妹は公務員の夫と三人の子を立派に育て上げ、地域での役目などもつとめ、
趣味の世界でもそれなりの肩書きをいただいている。
そんな彼女の目から見れば、一瞬、私がうらぶれたように見えたのかもしれない。
まあ、無理もないことだ。

★きょうの短歌
妻が夫を兄が妹をバラバラにしている夕べむらぎもの雲    東風虎

















●第五百九十三回    (2007年1月8日)

 三が日も過ぎ、七草も過ぎ、連休もすぎて、いよいよ私も本格的な仕事始めだ。
まずは「脊損ニュース」の連載書評「BOOK ENDLESS」(57)に出す「立った!ついに歩いた!」の書評あたりから。
 その間、腹具合が悪いこともあって四日、五日と連続してアルコールを控えた。
飲み助にとってこれはかなり画期的なことである(笑)。お正月早々、自分に打ち勝ったのだー。
 ところで不意に、レビーチンという旧ソ連の画家の「暖かな日」という絵葉書を見たくなった。
以前は机の前に貼ったりしてよく眺めていたのだが、どこへ仕舞ったのか思い出せない。
 かつて西日本新聞の詩壇(故丸山豊選)に、この絵を題材にして同名の行分け詩を投稿し、
珍しく一席をいただいたこともある、思い出深い絵葉書なのである。

 「何かの教室らしい板張りの部屋
  隅っこに掃除の途中らしいバケツと雑巾
  大きな窓には向こうに首をねじって座った少女
  上半身は白いシュミーズ 傍らに脱いだ青いブラウス
  板張りの奥深くまで差しこんだ陽光
  窓の下には晴れた工場街」 (詩の一部)

 その詩の切り抜きもどこへ行ったのかわからない。
誰からもらったのかも忘れてしまったが、光に溢れて胸の晴れる絵であった。
本棚の奥をひっかき回したら出てくるかもしれないが、そんな元気もない。

★きょうの短歌
障害をダシにしている韓流のドラマはあまりいただけません   東風虎














●第五百九十二回    (2007年1月5日)

 少しはお正月らしい気分でも味わおうかと、ヘルパーさんにお雑煮を作ってもらった。
市販の切り餅は自家でついたのと比べてどうも伸びが足りず、白玉のようにぷつぷつ切れるというイメージがあったのだが、
なかなかどうして美味しく仕上がっていた。ヘルパーさんの腕前もあるのだろう。
 そのあと後始末していて茶碗を割ってしまった。やれやれ、早くも今年一個めである。
新生活に慣れるまでは手元が狂って割ることも多いので、もっぱら百均店ものを重宝している、
 その夜、島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん」シリーズを原作とした民放ドラマを見たが、
うーん、何と言うかどうもその今ひとつピンとこなかった。島田の原作は三冊くらい読んだが、何か違うのである。
上品すぎるというか、きれいすぎるというか・・・・吉野ヶ里遺跡の物見やぐら(再現)を思い出してしまった。
 ロケ地になった武雄市はたいそうな張り切りぶりで、市をあげて協力しておられるようだが、
おらが里を少しでもよく見せたいという無意識が何かを少しずつズレさせてゆくことはないだろうか。
原作はもうちょっと粗野だったような気がする。
 それとはまったく関係のない話だが、韓流ドラマはどうも障害や病気をダシにしたものが多くて、あまり感心できない。
しかしそれにはあの半島と日本の過去の経緯が無意識に反映されているのかもしれない、
というような話はいずれまた日をあらためて・・・・。

★きょうの短歌
ヘルパーが鎖骨に水が溜まるようになりましたよと喜んでいる    東風虎
















●第五百九十一回    (2007年1月1日)

 新居での初めてのお正月を過ごしている。
あいにくの曇り空で初日の出は見られなかったが、(ふだんここの朝日は素晴らしい)
過反射による汗も控えめで穏やかな朝を迎えることができた。
 年末年始も一日も休まず通ってきてくださるヘルパーさんたちのおかげである。
なにしろ都会でボランティアに通ってきてもらい自立生活している重度障害者たちは、
年末年始や連休などに介護者が確保できすずに困っているという話を聞いていたから。
 昨年は転居・ダイエット・出版・旅行など、数年来の念願がかなってすこぶる楽しい一年だった。
今年はあまり欲張らず、沖縄旅行にでも行ければいいな(笑)という抱負。
 TVの占いでは今年も大事件・大事故の類が止まないだろうと言っていたが、
片田舎の電動車いすにはどうしようもない。心配をしてもしきれない。
 それより私の短歌やギャグによって痛みを軽減されると言ってくれる友人たちもいるので、
せめて今年も精を出してそれらにつとめるしかあるまい。

★きょうのギャグ
虎の胃を借りていましたが、胃の獅子に変わりました。    縞虎
















●第五百九十回    (2006年12月31日)

 いよいよ大晦日。転居してから七ヶ月半ちょっと。
ここまで大過なくたどり着けたのは、ひとえにヘルパーさんほか皆さんのおかげです。
その間、実家に帰ったのは一度だけ。お正月も帰れそうにはない。
本当に楽しい一年だった。皆さんどうもありがとう。
 最後に備忘録として今年の主な仕事でも記しておこう。

@第二歌集「とろうのおの」 (短歌430首) 発刊
A「ペン人」30号 (評論「障害者の性」、短歌「独居記」、巻末「索引」など) 発行
B「脊損ニュース」書評欄「BOOK ENDLESS」 (「無限」ほか12本) 連載
C「ふるさと紀行」 (エッセー、「東風虎ブログ」など4本) 連載
D「ノーマライゼーション」 (文学にみる障害者像「もう一つの太平洋戦争」など2本) 寄稿
E「日本せきずい基金ホームページ関連著書欄」 (書評、「痛みと麻痺を生きる」ほか10本) 寄稿
F「はがき通信」 (エッセー「独居と転落」、ギャグ集など4本) 寄稿
G「佐賀新聞」 (掲載予定書評「武雄の歌人相賀照忠」) 寄稿
Hホームページ「障害者の文学・虎の巻」 (日誌欄など75本) 書き込み
Iホームページ「障害者の文学・虎の巻」 (掲示板の短歌集「独居抄」など250首) 書き込み
(次) 「佐賀県文学賞2006年入賞作品集」講評。

★きょうの短歌
通販のロデオボーイにあらぬことめぐらしているクリスマスころ   東風虎













●第五百八十九回    (2006年12月30日)


       「独居抄」C      中島虎彦

いじめられたくらいで死ぬな馬鹿者よ這いつくばってでも生きてやれ
ピカピカの校舎を剥げばそこかしこブルーシートがむきだしてくる
あわてないあわてないと言い聞かせる祖母のなんまんだぶのように
寝ころんで好きなところをぱらぱらとめくられるような歌でありたい
買って食うものとは知らず裏年の柿の初ものいただいている
スチュワーデスから気象予報士になったというなぜか笑ってしまう
自慢ではないが水飲み百姓の由緒正しい末裔である
秋深くここまで管につながれずきていることを勲(いさおし)とする
被害者より加害者のほうが立ち直り早いともいうやるせなさ
気にすれば気になるけれどしなければならない飛蚊ごしの世の中
もみじ狩りなど行かずとも楢の木の枯れてゆくさま見とどけている
ブラウスの軍国少女いまならば平和少女になっているのか
目のあたり飛蚊にひがないちんちを遊んでもらう年の瀬となる
念のためへのもへ流は親父ギャグ流派でござる短歌ではなく
椎茸をセカンドバッグに詰めこんで青果市場に出す高校生
よしきょうはこれくらいにしといてやろうアダルトサイトダウンロード
ラジカセに「さらば青春」をかけるとヘルパーさんもほころんでくる
上げ膳も下げ膳もなく猫まんませいせいとして朝焼けてくる
年棒が一億円を越してから野球がつまらなくなったよう
反戦はいいけど批判はするなっておふくろさまの公案である
心から笑ったことがなくってもへのもへ流の家元である
オーロラは拍手のような音がするという男に会うこともない
























●第五百八十八回    (2006年12月27日)

 以前に書いた深夜テレビで、このところ二時ごろBSドキュメンタリー「アジアに生きる子どもたち」をやっている。
昨夜はミャンマーの寺院に出家してそこの寺子屋で学ぶ高校生の話をやっていた。
 両親は卒業してもそのままお坊さんになってほしいと願っているが、優勝な彼は医師になりたいと考えている。
両親がそう願うのは「坊さんになればお互いに功徳を積むし、自分たちのように貧しいその日暮らしをしなくていい」から。
それがわかっている彼はなかなか言い出せずに悩んでいる。
 仏教の素養が薄れた日本ではちょっと考えられないような話だ。
たいていの親は子どもが医師になりたいと言いだせば、欣喜して資金など工面することだろう。
しかし彼の両親はついに話を切り出されて呆然としているのである。
 もちろんお金がかかるからという心配もあるのだが、そんなことはたいしたことではない。
あの仏教国では今でも医師よりはるかに坊さんのほうが尊敬されているということなのだ。
(最近は華橋の経済発展が著しく、若者らに物欲に流れる風潮もみられるというが・・・・)
私は先ごろ亡くなった向坊弘道さんのことを思い浮かべていた。
 ところで、その少年は誰かに似ているなーとずっと考えていたのだが、
なんのことはない中学時代の私に似ていたのだった。

★きょうの短歌
上げ膳も下げ膳もなく猫まんませいせいとしてパソコンへくる    東風虎


















●第五百八十七回    (2006年12月22日)

 市内で介護タクシー「太陽」を個人営業しておられるYさんが遊びに寄られて、
薩摩の芋焼酎をお土産にくださった。これで今年中は買わなくてすみそうだ。呑み助にはありがたい。
 そんなふうにときどき顔を見せて下さる方があるのは、障害者の一人暮らしには実はとても心強い。
もちろん実家の母や兄や姪や友人たちもときどき様子を見にきてくれるのだが、
他にも配食サービスのおじさんが毎日決まった時間に顔を覗かせてくれるのなんかありがたい。
ちょっとした困りごとに陥っている時など気軽に助けてもらえるからだ。
 しかしながら夜間はそれがないから、このところ苦慮している。
先日のようなベッド移乗の失敗などもあり、役場の福祉課からもせっつかれている。
それでいよいよ緊急通報システムを取り付けようと算段しているところだ。
ただ費用が高くて弱っている。福祉課に要望しても高齢者用の制度しかないという。
 このところ高齢者福祉と障害者福祉との間に格差が広がっているのは問題だと思う。

★きょうの短歌
反戦はいいけど批判はするなっておふくろさまの公案である   東風虎














●第五百八十六回    (2006年12月16日)

 ようやく「ペン人」30号を発行することができた。二年ぶりになる。
記念の特集としてバックナンバーの全作品索引を載せている。
関係者にとって何かのご参考になればさいわいである。
 この号も全作品を「ペン人」の欄に公開しているので、
よろしかったら覗いてみてください。

 ちなみに、目次は次の通りです。


「hold on」 桑田窓
「レビー小体」徳永浩
「はだかんぼう」 香月悠夏乃 
「ついたちのうた」大月みや
「唐辛子」 藤原ジュン
「世の中なかなか、なのよ」
田口香津子 
 「お洒落」 鶴田成隆
 「独居記」 中島虎彦
 「新 7個のアンケート」 柴崎昭雄から井上健蔵へ
 「障害者の性」 中島虎彦
 「廃夢・ペン人 全号作品の索引」
 「同人名簿」
 「ペンペン草」 中島虎彦  

★きょうの短歌
年棒が一億円を越してから野球がつまらなくなったよう    東風虎



















●第五百八十五回    (2006年12月13日)

 実家の母から手紙で新歌集に関して「他人の批判はするな」と言ってきました。
いつものことで、別に驚くには当たらないのですが、
「見解の相違だ」と突き放すには今まで世話になりすぎていて、ちょっと応えます。
 かつておおかたの物書く障害者にとって母親は最初で最大の検閲者でありました。
なにしろ自分の生殺与奪を握られているのですから、その意向に敏感にならざるを得ません。
そこで悪戦苦闘しながら親離れしてこなければならないのです。
 まあ、すぐに立ち直りますけどね(笑)
今は亡きハンセン病の小説家島比呂志さんが悪名高かった「らい予防法」の廃止を求める運動の中で、
支援してくれる被差別部落出身の活動家から「どうしてもっと怒らないんですか!?」と不思議がられたといいます。
それから島さんたちは本格的な裁判闘争に乗り出していったように聞いています。
 私はそれを読んで「ああ、これは自分にも向けられた言葉だ」と受け取りました。
間接的にではありますが、ぐずぐずしている尻を蹴飛ばされたわけです(笑)
そういうふうに出会う言葉もありますよね。
人さまざまです

★きょうの短歌
よしきょうはこれくらいにしといてやろうアダルトサイトダウンロード   東風虎















●第五百八十四回    (2006年12月8日)

 前回の「痛みと麻痺を生きる」の書評を「脊損ニュース」誌の「BOOK ENDLESS」(55)にメール添付で送り、
同時にそれを「日本せきずい基金」ホームページの関連著書欄の作業者である渡部さんにも送り、
これで今年の仕事らしい仕事は一段落した。
 もちろんあと「ペン人」30記年号の発行があるのだが、これはもう編集レイアウトが終わっているので、
宮木プリントから届くのを待つだけでいい。個人的な発送はおいおいやればいいし。
あああ、今年はいろんなことがあったし、その中でよく仕事もしたなあ・・・・。
 ここには書けないようなこともけっこうあったのですよ(笑)
下の高校生は私です。

★きょうの短歌
椎茸をセカンドバックに詰めこんで青果市場に出す高校生    東風虎


















●第五百八十三回    (2006年12月3日)

 「脊損痛研究会」の編集になる「痛みと麻痺を生きる」(日本評論社、1600円)が出た。
研究会の責任者阿部由紀さんは東大大学院修士過程卒で、元東京銀行調査部勤務という経歴の持ち主。
その順風な人生を狂わせた脊(頸)髄損傷につきものの痛みと痺れのメカニズムを、鬼気迫る筆致で探ってゆく労作だ。
 なにしろ阿部さんは人一倍痛みが激越らしく、これまでに試した痛み止め類の薬剤は、
 「ミオナール、テルネリン、フェノバール、デパケン、テグレトール、ダントリウム、セルシン、ランドセン、
ギヤバロン、MSコンチン、アレビアチン、トフラニール、トリプタノール、アナフラニール、アモキサン、
メキシチール、キシロカイン、デキサメタゾン、ぺタメタゾン、モルヒネ、塩酸モルヒネ、レペタン、ソセゴン、
アンチネオプラストン、メジコン、ケタミン、フェンタニール、リボトリール、ヒルナミン、ドグマチール、
ウインタミン、セレネース、ドルミカム、ワイパックス、パキシル・・・・」
 このほかに漢方薬やビタミン類もあるから、想像を絶する探究心といおうか執着心だ。
それだけ痛みが耐えがたいということだろう。それに比べたら私などないに等しい。
 というより私は手足の痛みより下腹部の異常知覚や鈍痛や豊満感に長年苦しめられている。
しかし30年以上にもなると「馴れ」や「すり替え」や「諦め」のほうが支配してくる。
 しかし阿部さんはエリートらしい科学的・合理的な態度でどこまでも正確に記述していて感嘆する。
しいていえばプライドの高さがやや邪魔をして、文体が固いのが玉にキズである(笑)。

★きょうの短歌
念のためへのもへ流は親父ギャグ流派でござる短歌ではなく    東風虎


















●第五百八十二回    (2006年11月30日)

 このごろ気づいたことがあるので、忘れぬうちに書いておこう。
新歌集の「とろうのおの」の中に「いつからかへのもへ流の家元を勝手に名乗り愛弟子もつく」
という短歌を発表しているのだが、このホームページの掲示板を覗いてくださっている方なら、
「へのもへ流」というのが親父ギャグの流派、しかも冗談だということがよくよくわかっておられるだろう。
 しかしながら、全然覗いたこともない方は短歌の流派のことだと受け取られるかもしれない、と気づいたのである。
それだと『なんと思い上がったことを・・・・』と不快に感じられる方もあるかもしれない。
ちょ、ちょっと、待ってください。そんなこと考えるはずがないじゃありませんか。
とはいえ、相手はこんな日誌なんか読まれないのだから通じるわけもない。
 どうしたらいいものかなー、と頭をひねっている。

★きょうの短歌
ブラウスの軍国少女いまならば平和少女になっているのか   東風虎












●第五百八十一回    (2006年11月29日)

 ぼちぼちと喪中欠礼のハガキが届くようになりました。
お送りくださった皆さま、どうもご愁傷まです。
この場を借りてご挨拶に替えさせていただきます。
 さあて、いよいよ年賀状の心配もしなければならない時季となりました。
私は毎年たかだか百数十枚くらいしか書かないのですが、
この年末はどうもそんなに書けそうにありません。
 新生活に落ち着いたら、来年あたりはまた書く気になるかもしれません。
そんなわけで皆さまの中にも失礼する方がいるかもしれませんが、
どうか今度ばかりはご容赦ください。
 なーんて言いながらも、もらう分には嬉しかったりして(笑)

★きょうの短歌
目のあたり飛蚊に日がな一日を遊んでもらう年の瀬となる  東風虎
















●第五百八十回    (2006年11月26日)

 昨夜10時ころ、電動車いすからベッドへ下りようとしていて失敗し、隙間から床へずり落ちそうになった。
幸い枕元の電話(ハンズフリー)に手が届いたので、介護支援センターに電話してヘルパーさんに助けにきてもらった。
おおかた晩酌の焼酎を過ごしてよろよろしていたのだろう、と突っこみを入れる人もいるかもしれないが、
あいにく週に一度の休肝日でしっかりしすぎるほどしっかりしていたのである。
そのあとしばらく落ちこんだことは言うまでもない。
 そんなふうに打ちひしがれたとき、なるべく思い出すようにしている場面がある。
今から32年前の嬉野国立病院(現医療センター)の東一病棟112号室の光景である。
佐賀大学の体育館で器械体操部の練習中にへまをして救急車で運ばれ、
佐賀市内の佐藤外科医院をへて、実家に近いそこへ転院させられてきたのである。
 112号室は医師や看護婦さんたちの詰め所から一番近い一人部屋で、
いわば最重度の患者が押し込められるところだった。私はそこに三ヶ月ほどいた。
その間の苦しさといったら筆舌に尽くしがたいもので、私は昼もなく夜もなく朦朧として喘いでいた。
手も腕も足も全身がマヒして動かず、さまざまな管につながれ、とても将来の展望など拓けるはずもなかった。
 あのときの私を知っている人が今の私を見たら、どんな顔をするだろう。
まさかこれほど回復するとは夢にも思わなかっただろう。当の本人が一番驚いている。
あのときの苦しさに比べたら、今の多少の困窮など高がしれている。
そういう勇気を呼び起こしてくれる光景なのである。
 このごろ眠る前に『ああ、いい気持ちだ、みんなありがとう・・・・」と呟く癖がついた。
頚髄損傷が30年ものあいだ何の管にもつながれず眠れるということは稀少なことなのである。
もちろんそれにはたゆまぬ自己管理が必要であったことは言うまでもない。
それが本当に嬉しいしありがたいし誇らしい。
 ちなみに20年前くらいには『何にもない、何にも考えたくない・・・・』と呟いていた。
そう呟くと何故だかことのほかよく眠れるのだった(笑)

★きょうの短歌
自慢ではないが水飲み百姓の由緒正しい末裔である    東風虎




















●第五百七十九回    (2006年11月23日)

 昨日から突然、左目が「飛蚊(ひぶん)症」になりました。
噂に聞いていた通り、蚊のようなゴミが目の前を終日浮遊しています。
 ヤフーで検索してみると、老化のためで治療法はない、気にしなさんな、
これから一生付き合っていきましょう、ということらしいです(苦笑)
 そんなこと言われてもねえ・・・・。

★きょうの短歌
気にすれば気になるけれどしなければならない飛蚊ごしの世の中   への河童














●第五百七十八回    (2006年11月17日)

 引っ越してから風邪をひきやすくなったので、何か身体に精をつけたほうがよかろうと思い、
スーパーから紫蘇漬け大蒜のパックを買ってきて、毎日十粒ずつぐらいかじっている。
おかげでだいぶ元気がついてきた感じがする。
 それと同時によく夢を見るようになった。夢の覚えがよくなったと言うべきだろうか。
なにしろ転居後の疲れからかほとんど夢を覚えていることができなかったのである。
先日は鮮やかな原色のついた夢も見た。ふうむ、ニンニクと夢の関係・・・・面白そうな話ではないか。
 「にんにく」という語感から、そうそう昔の短歌もひとつ思い出した。
「いよいよになればかこらのにんにくを食うかもしれぬ船長のように」
というもので、武田泰淳の「ひかりごけ」という北海道での人肉喰い事件を題材にした小説を読んで、
「過去」と「水夫(かこ)」、「忍辱(にんにく)」と「人肉」をかけた作である。
 今なら「食わないだろうなあ」と思うが、その時になってみなければわからない。

★きょうの短歌
いよいよになればかこらのにんにくを食うだろうか船長のように    東風虎
















●第五百七十七回    (2006年11月15日)

 木枯らしの便りも聞かれるようになり、無性に鍋料理が食べたくなった。
さっそくヘルパーさんに作ってもらった。白菜・春菊・椎茸・ネギ・豆腐・つみれなどぶちこんだヘルシー鍋。
 鍋は囲むなどというが、一人でも十分おいしい。一人で飲む焼酎もおいしい。
妻や子とこたつに入れなくても、オール電化のおかげで暖かい。
北の国の車いす乗りたちのことを思えば、なんでもない。
私は無理なんかしていない。

★きょうの短歌
スチュワーデスから気象予報士になった女性になぜか笑ってしまう   東風虎


















●第五百七十六回    (2006年11月10日)

 毎日どっさりと迷惑メールが届く。ご苦労なこった。
クリックしてもらおうとあの手この手で関心を惹いてくる。
しかしおおかたはもう免疫のできた手法ばかりで即削除される運命。
 ところが最近思わずニヤリとさせられるタイトルが登場してきた。
「エロですが何か?」「変態ですが、なにか?」というパターンだ。
くだらないけど面白い。きゃつらも(でさえ)知恵をしぼってるんだ。
 へのもへ流の家元(自称)の片頬を緩ませた勲に免じて、
きょうは迷惑メールも大目に見てやろう。

★きょうの短歌
ピカピカの校舎を剥げばそこかしこブルーシートがかいま見えてくる   東風虎



















●第五百七十五回    (2006年11月8日)

 行楽の季節となり、この近辺でも佐賀インターナショナルバルーンフェスタや唐津くんちをはじめ、
九州一周駅伝(嬉野通過)、吉田おやまさん陶器まつり、車イスグランドゴルフ大会、嬉野市文化祭などなど、
とりどりに催されていたが、今年はどこへも行けなかった。
 風邪をひいていたせいもあるし、最近の移送車が天井の低いものばかりで利用しにくい面もある。
今までは少しぐらい無理をしてもどこかを覗いていたのだが、まあ、こんな年もあるだろう。
好奇心が薄れてきたというわけではあるまい。

★きょうの短歌
寝ころんで好きなところをパラパラとめくられるような歌でありたい   東風虎

























●第五百七十四回    (2006年10月29日)

  私は毎晩一、二時間ごとに小便に起きて、ついでに褥瘡予防の体位交換をする。
そのときしばらく深夜テレビを見たりする。昨夜はNНKーBSで思わず引き込まれる映画をやっていた。
静謐で断片的で詩的なセリフで、ビム・ベンダース監督の「ベルリン 天使の歌」をも思わせる。
そして全編里山の風景が実に切なく美しい。こんな映画を撮ったのは誰だろう? と私はひとしきり考えた。
 『さながら小栗康平監督あたりが撮りそうな映像だ・・・・』と私は「泥の河」を思い出しながら呟いた。
でも眠くなってきたので、そのまま録画ボタンを押して寝てしまった。そして翌朝ビデオを巻き戻してみると、
なんと小栗康平監督の「眠る男」(役所広司主演、1995年)であったのだ。
その噂は聞いてはいたが、私はそれほど映画通というわけでもないので、正直いって驚いた。
 ちょっとした自慢話になってしまったが(笑)

★きょうの短歌
あわてないあわてないと言い聞かせる祖母のなんまんだぶのように   東風虎
















●第五百七十四回    (2006年10月29日)

    「独居抄」B

風鈴を吊るすつもりでひと夏をうかうかとくる新宅の窓
一年に一度のお客そのために車いす用トイレをみがく
あれだけの台風の夜にカリンの実ひとつも落ちず可愛げのない
靴は脱げばホッとするけど下駄は履けばホッとするよという老店主
みんなちがってみんないいけどまずはその体臭に慣れなくちゃあね
歯の治療終わってこれがゆくゆくは遺体識別になど使われぬよう
宮島の鹿は人なつこいけれど目には野分の風が吹いている
ペットロスつづく私は宮島の鹿でも連れて帰りたいほど
ひとりでもさびしい人はふたりでもさびしいだろう仲秋の月
いつどこで障害を負うかわからないそんなあなたのためなのですよ
入れかわり激しい介護サービスの運ちゃんにまた道順をいう
一日に一首をそなえ身のうちの鬼を飼いならしておりまする
骨病みの日暮らしながら今がそう一番幸せなのかもしれぬ
かの国の車いす乗りたちのこと考えぬようにして仲秋の月
かのバッジ踏みつけられてあとかたもなくなる通りまざまざと見る
美しい日本に誰も文句なぞありようがないうさんくささよ
憲法の九条は世界の非常識そんな時代もあったねと笑う
障害者といえばすぐに詩を書いたり絵を描いたりと思われてきた
夕方の散歩ついつい足伸ばすつるべ落としとわかっていても
ころころと変わるからこころというのコスモスたちに笑われている

 















●第五百七十三回    (2006年10月27日)

 以前、味噌汁の椀を調理台から食卓まで安全に運ぶ工夫について書いたが、その後さらに改良編を考えついた。
今度はコンビニなどの小さめのビニール袋に初めからお椀を入れておき、
そこに鍋から冷たい味噌汁をつぎ、袋の取っ手に手首を通してぶらさげ食卓まで運び、
電子レンジに袋ごと入れて一、二分温めてから、また取っ手に手首をかけて引き出すのである。
 これだと火傷の危険性がさらに少なくなる。なかなかグッドアイデアでしょ。

★きょうの短歌
エロサイトダウンロードにきりもなくまあそのうちに飽きるじゃろうて     東風虎


















●第五百七十二回    (2006年10月24日)

 今年も久留井真理さんの来年用カレンダー「花の日々」の案内がきた。
これがくると「ああ、もうそろそろ年末だなあ」と思う。首すじの汗もひときわひんやりと乾いてゆく。
 久留井さんは元市民マラソンランナーで、交通事故により頚髄損傷となり絵を描いていることは何回か紹介してきた。
その絵は年々デザイン的に洗練されており、かの星野富弘さんの絵より見どころが多い。
 先月の「はがき通信」広島懇親会でご夫妻にお会いしてきたばかりだ。
興味がおありの方は下記までお申し込み下さい。
 (〒731-3501 広島県山県郡安芸大田町加計3315-4 クローバータウン内「花の日々カレンダー」宛)
  電話&FAX (0826-22-2190)

★きょうの短歌
かのバッジ踏みつけられて跡形もなくなる通りまざまざと見る    東風虎


















●第五百七十一回    (2006年10月20日)

 たまたまテレビをつけたら「ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督、田辺聖子原作、池脇千鶴主演)
をやっていたので、ついつい最後まで見てしまった。これで三度目くらいである。
 脳性マヒらしい孫娘と二人暮らしで面倒を見ている妖怪のような祖母が、
「この子は壊れもんや、壊れもんには壊れもんとしての分がある」
「世の中の役に立たんもんは楽しいことなんか考えたらあかん」
 というようなことを口走る。いかにもひと昔前の頑迷な保護者の言いそうなことである。
そのため車いすにも乗せてもらえず、早朝乳母車で近所を散歩させてもらうのがせめてもの慰めとなっている。
 しかしながらぶっちゃけた関西弁のため、あまり悪意は感じられず妙なリアリティーがあったりする。
それにいくらおばばがそんなこと言っても娘は年頃になれば勝手に恋もするしデートもする。
おばばが死んだあとは電動車いすに乗って遠くへ買い物にも出歩くようになる。
誰が何と言おうとそうせずにいられなくなったらそうするものなのである。
 それにしても恋敵役の上野樹里が素晴らしい。
乳母車の中の池脇に向かって「あんたの武器が羨ましいわ」とビンタを見舞ったりする。
すると池脇も右手を挙げるので、上野は自分から頬を差し出して殴り返させる。
修羅場になれば障害のことなどお互いに斟酌していられないのだ。
 NНK朝ドラの「てるてる家族」に出ていた頃から際立っていたが、やはりすくすくと伸びてきたなあ。
ただ最新作の民放ドラマ「のだめカンタービレ」ではまったく大根に戻ってしまっている(笑)。
というより日本ではミュージカル仕立てなどというのはまだまだ成功しないのだろう。
上野のせいではあるまい。

★きょうの短歌
一日に一首を供え身のうちの鬼を飼いならしておりまする    東風虎
















●第五百七十回    (2006年10月15日)

 このところの秋晴れ続きで、いつも散歩している三坂下(さんさかした)溜池が干上がりそうだ。
五メートルほどは水位が下がり、わずかな泥水の中に鯉たちがちょろちょろしている。
遊歩道の路傍にはまだ朝顔が咲いてくれるので癒されるのだが、これだけ干上がると何かと心配だ。
 干上がってゆく日々ははからずも北朝鮮が地下核実験を行ない物議をかもした日々と重なる。
それだけにカラカラになった池の姿があの国の最下層の農民たちの暮らしに重なる。
のみならず車いす乗りたちにも。(そもそもあの国に(電動)車いすがどれくらいあるのか?)
 人道的援助はしたいが、軍部にピンハネされ闇市場に流されるのがわかっているからおいそれとはいかない。
国民はもう戦争に突入することでしか出口は見出せない、と声なき声で悲鳴を上げているようだ。
戦前のこの国の姿と重なってくる。「叫ぶ」という文字がまさしくハングルめいてくる。

★きょうの短歌
かの国の車いす乗りたちのこと考えぬようにして仲秋の月    東風虎
















●第五百六十九回    (2006年10月10日)

 知り合いの筋ジストロフィーの男性がときどき雑文を送ってくる。
旅行好きなので各地からの紀行文が多いのだが、このところちょっと様子がちがっている。

朝、ヘルパーが帰った後に
毎日常用している、水分補給の水筒
開けようとしたら、開かない
あのヘルパーがしっかりと締めていった
1日水分を取れないと、食事よりも深刻
雨の中、
ずぶぬれになって
スーパーマーケットに行き
レジのおばさんに開けてもらった

ガードマンにも世話になっている
服を着るのに、片方だけは手が届かない
出かける時に、片方の腕を上着に通してもらい
帰宅するときも、片腕を抜いてもらう
仕事の最中に、申しわけない
1日中、交通の整理をしながら立っている
厳しい仕事だ
気の抜けない仕事で
忙しいのにごめん


  こんな詩のようなものもあれば、下記のような本当か嘘かギョッとさせられるものもある。

 
下宿に帰った娘が捨てていった「生理品」を見つけたヘルパー、烈火のごとく起こった。「これは燃えるごみか、燃えないごみか、お前の娘に教育しないのか!!!それでも父親かよぉ!!」と言いながら、私の頭に、ゴミ袋の中身をかけた。部屋にゴミが散乱した。「私が区分して捨てますょ」と言うと、口に、血を含んだ生理品を押し込んできた。薄いビニールに包まれた真綿のようなものが口に入り、必死で吐き出そうともがいた。呼吸が苦しくなっていく。「言い訳無用、これは燃えるごみか、燃えないごみか、言ってみろ」「言ってみろょぉ。口がきけないか?あんな娘と縁を切って、私といっしょになろうょ」首を振るだけだった。怖かった。

 彼は今度の「障害者自立支援法」の応益負担をもろにかぶった格好で、
日々の生活もかなり切り詰めたものになっているらしい。全国にそういう例が広がっている。

★きょうの短歌
ひとりでもさびしい人はふたりでもさびしいだろう仲秋の月    東風虎





















●第五百六十八回    (2006年10月5日)

 一昨日、嬉野市の環境審議会の一回めの会合に出かけた。
午後二時からというふだんなら昼寝している時間帯だったので、
どうも体調がすぐれず汗が止まらなかった。帰り道にはぞくぞくしてきて、
その夜から本格的な風邪になった。表向きは風邪だけれども、
これは明らかに広島旅行の骨病みが出てきたものと思われる。
歳をとると一週間後くらいに出てくるというのは本当みたいだ(笑)。
 40度の熱がもう三日も続いている。
喉を通るのは水と梨とミカンとアイスクリームとイカの塩辛(笑)。
 それでも夜になって電動車いすに乗ると、
こうやってパソコン卓に座るくらいの気分にはなる。
そんな難儀な日暮らしだが、今が一番幸せなのかもしれない。

★きょうの短歌
みんなちがってみんないいけどまずはその体臭に慣れなくちゃあね    東風虎



















●第五百六十七回    (2006年10月2日)

 9/29ー9/30と広島へ行ってきました。
毎年恒例、頚髄損傷者たちの情報交換誌「はがき通信」懇親会のためです。
今年は「はがき通信」100号記念と元発行責任者の向坊弘道氏追悼ということもあり、
頚髄損傷者たち総勢60名(介護者もほぼ同数)の大勢な参加となりました。
 現地の頚髄損傷者たちやボランティアさんに大変お世話になりました。
スタッフの皆さんの一年間の準備のご苦労には頭が下がるばかりです。
向坊さんの回想をはじめ、おかげさまで有意義な二日間を過ごすことができました。
 とりわけ私の場合は29日の昼間にしまなみ海道を往復したいと思い、
事前に大竹さんをはじめ小林勝さんたちに移送車の手配などお手数をかけました。
(ちなみに、しまなみ海道は広島県尾道市から愛媛県今治市間の瀬戸内海の
六つの島を七つの橋(鉄道はなし)で結んだ海上の道です)
四国は初めてでしたので、名物のうどんなどいただいてきました。
 ただし今後もし他の方が行かれる場合の参考に記しておきますと、
西のほうから新幹線で行く場合は、尾道駅には在来線しか通じていません。
そのためJR広島駅で新尾道駅で止まる新幹線に乗り換えねばなりません。
新尾道駅で降りるとバイパスでしまなみ海道へ通じていますので、 
そこから移送車に乗り換えて片道およそ一時間で今治市へ着きます。
通行料は軽自動車で片道3600円ほど。移送費用は車によりますが四人乗りで往復16000円ほど。
思ったよりも高くなかったので小林さんともどもホッとしました。
 翌日の宮島見物も楽しいものでした。厳島神社の丹塗りの回廊や大鳥居はもちろん、
名物の鹿たちは観光客に対する警戒感はゼロ、というより図々しいくらい(笑)
ひそかなペットロス状態が続いている私は連れて帰りたいくらいでしたよ。
とはいえ、あんなに人なつこいのにその目には険のようなものがあり、ちょっとたじろぎました。
 私は肥前鹿島駅での抱える人員の問題(六時以降は一人だけ)で早めに帰りましたが、
JR宮島口駅からいったん岩国方面へ一駅引き返してまた広島駅へ向かう、
(ホームを渡るエレベーターのあるなしの関係で)というややこしい道順なども、
大竹さんや駅員さんに懇切に教えていただき大過ありませんでした。
 帰ったらお尻の褥瘡が少し悪化していましたが、それを補って余りある旅行でした。
来年も「はがき通信」懇親会が続くのなら、沖縄あたりに行きたいですねえ。
それはいいけどいったい誰が手配するんじゃー(笑)
 下記のサイトに写真集を載せています。
http://henomohe.sakura.ne.jp/cgi-bin/upb/upb.cgi

★きょうの短歌
宮島の鹿は人なつこいけれど目には野分けの風が吹いている  東風虎

















●第五百六十六回    (2006年9月23日)

 私にとって三冊目の本となる第二歌集「とろうのおの」(アピアランス工房、1500円)が刷り上がってきた。
前作の歌集「夜明けの闇」(同)から五年ぶりの出版である。そろそろ頃合いというところだろう。
 ご承知のようにこの日誌欄で三年半にわたり連載してきた「とろうのおの集」をまとめたもの。
しかし粗雑なものも多かったので、だいぶ割愛している。自らの転居へのお祝いの意味も込めている。
 転居の費用が思いのほかかさんだので、本当は歌集など出している場合ではないのだが、
小泉首相がおととい官邸を去って、いよいよ任期が切れようとしているので、
なんとかその前にケジメをつけておきたい思いが強かった。
 とはいえせめて(格安に計らってもらった)出版費用くらいは回収したいものだ。
そこで今回はなるべく寄贈を減らして、手売りしたいと思っている。
皆さまのお力添えをいただければ幸いです。

★きょうの短歌
靴は脱げばホッとするけど下駄は履けばホッとするよという老店主     東風虎














●第五百六十五回    (2006年9月21日)

 きょう首相官邸を去った小泉さんが、インターネットのメールマガジンで、
「ありがとう 支えてくれて ありがとう 激励 協力 只管(ひたすら)感謝」
という短歌を披露していた。お世辞にもうまいとは言えないが、へーえ。
 漢詩を引用したり俳句をひねる政治家は多いが、短歌を公表する人は珍しい。
官邸ホームページに私が三年半のあいだ定期的に送りつづけてきた「とろうのおの集」を、
まさか一度でも見て何か思うところがあり自分でも作ってみようと思われたのだろうか?
そんなことは万に一つもないだろうが、へーえ。

★きょうの短歌
あれだけの台風の夜に花梨の実ひとつも落ちず可愛げのない    東風虎















●第五百六十四回    (2006年20日)

 台風一過。皆さま被害はありませんでしたか?
一時は920ヘクトパスカル、風速50mという規模でしたから、
ただものではない風雨で、ほぼ嬉野温泉の真上を通過して行きました。
 私の部屋も電動シャツターや雨戸を下ろしていてもガタピシ言いました。
唯一覆いのない台所の流し台の小窓が割れるのではないかと恐かったです。
 そのうえ停電でオール電化と電気器具浸けの暮らしには困りました。
もちろん懐中電灯は用意していてすぐ点けましたが、
あろうことか起立性低血圧までひどくなって、ひたすら卓によりかかって過ごしました。
 幸い30分くらいで済みましたので、大事には至りませんでした。
転居してからいつになく長い梅雨や猛暑の真夏や、目新しいことばかりです。

 台風の翌日、今度は嬉野高校の上空で葉巻型UFOらしき光を見ました。
ジェット機か飛行機雲の切れ端が夕日に照り映えたのかもしれません。
以前にもそんなニセモノを見たことがありましたから(笑)。
でもほんの一瞬のことで、あとには雲や飛行機の形跡なんかなかったなあ。
 あれは何だったんだろう ?? と思っていたら、
後日そのUFOを見たのは私だけではないとわかりました。
同級生の奥さんも見たと言っていたのです。
 まあ、空飛ぶ円盤なんかじゃないとしても、不思議な光でした。

★きょうの短歌
一年に一度のお客そのために車いす用トイレをみがく    東風虎

















●第五百六十三回    (2006年9月15日)

 少子化に歯止めがかかったという記事をみて、ホッと胸を撫でおろしている。
というのも今まで車いすの身としては肩身の狭い思いをひそかに味わっていたからである。
私は少子化の解消に何ひとつ寄与することができない。
 世間もそういう目で見ているのではないだろうか、という疑心暗鬼のようなものがあった。
現代はうわべはやさしい人たちばかりだから、誰も口に出しては言わないけれど、
腹の底では「この役立たず、穀潰しが・・・・」と思っているのではないだろうかと。
重度障害者の自立にもあまりいい顔をしないのではないかと。
人間はいつどこで障害を負うかわからないのだから、決して他人事ではないのだが・・・・。
 それはまあ考えすぎというものだろうが、それにしてもだ、
政府やマスコミがあんまり「少子化」「少子化」と煽りたてるものだから、
とにかく子どもを産むカップルなら何でもいい、というような迷妄がはびこっていたのではないか。
 そのため親になる準備も資格もないような連中が不用意に子をもっては虐待したりする、
そういう事件が増えてきたのではないか? というのも考えすぎだろうか?

★きょうの短歌
障害者といえばすぐに詩を書いたり絵を描いたりと思われている   東風虎














●第五百六十二回    (2006年9月11日)

 新潟のメル友、山下多恵子さんが「忘れな草 啄木の女性たち」(未知谷、2400円)を出された。
石川啄木の女性遍歴をたどったものだが、大変な労作である。巻末これだけの資料を精査したのなら、
あれも書きたいこれも書きたいと欲張りたくなるものだろうが、簡潔にまとめてあって実に読みやすい。
もともと新聞に連載された一回ずつの読みきりという体裁のおかげもあるだろう。
 それら女性たちの写真が(ぼやけたものも含めて)これだけ残っていたことにも驚く。
明治末には写真機なんてそれほど出回っていなかっただろうになあ。
(芸者や教師もいるが)写真を撮れるような裕福な女性たちが多いということだろうか。
 それにしても、啄木の社交好きというか、人恋しがりというか、気の多さというか(笑)、
まるで躁病のような多動にも苦笑してしまう。わずかな生涯、貧苦の最中にこれだけの女性たちと関わるとは。
同じ岩手県の詩人宮沢賢治とはおお違いである。
 これだけの快作ならさぞや連載中から評判が高かったことだろう。
島比呂志を追った前作「海の蠍」(未知谷)同様、今回もまた何かの賞の候補になるかもしれない。
 三十数年前、私も頚髄損傷になった直後、「一握の砂」「悲しき玩具」を手放さず読んでいたことを思い出す。
あのときは例の「へなぶり調」がそれなりにしっくりと身に添ってくるように感じたのだろう。
その後はあいにく離れてしまったのだが・・・・・・・・。
 教師の仕事にも忙殺されている多恵子さん、しばらくはおくつろぎ下さい。
多恵子さんたちに尻を蹴飛ばされて、私も第二歌集「とろうのおの」の出版を準備している。
ともどもに、よろしかったら皆さんもぜひ手に取ってみてください。

★きょうの短歌
生涯に一度くらいの道楽はお許しあってしかるべき夜    東風虎
















●第五百六十一回    (2006年9月5日)

 市議の秋月留美子さんに連れ出されて、塩田の保健施設「南風館」を見学に行ってきた。
トイレは例によって脊髄損傷レベルに合わせたもので、私たちのような頚髄損傷には使えない。
それに洋式便器の隣に子ども用のようなミニ和式便器が据えられているのに首をひねった。
ポリオや小人症や骨形成不全などのためだろうか、初めて見た。
 それはともかく「南風館」という名前から、私は島原の旅館「南風楼」を思い出していた。
20年ほど前、町の障害者団体の研修旅行で行ったのだが、母がたいそう気に入っていた。
もてなしの加減がほどよかったのだろう。
 このごろ客の減少に危機感を抱いた旅館があの手この手でサービスをする、
それが私などにはもてなしすぎに感じられることが多い。

★きょうの短歌                                                                               美しい日本に誰も文句なぞありようがないうさん臭い    東風虎














●第五百六十回    (2006年9月2日)


   「独居抄」(2)

あをみどろ自分で書いておきながらラストシーンに泣かされている
どこにでも平家落人伝説のそまという字を覚えきれない 
近ごろの旅館はもてなしすぎだって身の置きどこがなくなってしまう
法蔵寺という名前の鍼灸院なども見かけて嬉野の梅雨
おとなりのこのめ作業所にも仕事ないらしく草むしりしている
アンソロジーなんかに載るといまさらにうた詠みがいやになってしまう
あなたが希望を捨てたのです希望はあなたを捨てませんラジオ人生相談の夜
吉吉と跳ねてゆくもの勝ち勝ちと鳴きかわすもの西国の朝
動物性たんぱくが無性にほしくなる宮沢賢治になりきれなくて
どちらかがいやどちらとも根こそぎになるまで終わりそうにない遠花火
オートメーション工場に並ぶ車いす今では少しむごたらしくて
靴は靴べラ船は船風呂を生み出して有明海の潟をすべりゆく
早朝の散歩コースをあれこれと思いめぐらし目が冴えてくる
クリニック待合室の金魚鉢子規の痛みははるかに遠い
まちがいなく油蝉の大合唱も二三度上げている散歩道
女子高のにわか太鼓に腕組みをほどかれてゆく作業所まつり
掌を合わせたかたち最小の武器となること君は知らずや
ときおりは給食を食べてみたくなるこのごろ見ないテストパターン
むくむくの入道雲はよくもまあ落ちてこないと訊く子もいない
少子化に歯止めがかかりやれやれと車いすから背伸びしている
焼酎を変えるたんびに便秘する引っ越し祝い絶えることなく
焼酎の麦茶割りからお湯割りへためらうほどの夕刻となる















●第五百五十九回    (2006年8月30日)

 図書館の郷土資料コーナーで「下村湖人全短歌集成」(吉川出善編、池田書店、2004年、1300円)
という本を見つけた。下村湖人とは言わずと知れた「次郎物語」のあの作家・教育者である。
 湖人ほどの知識人ともなれば、それはもう和歌ぐらいたしなんでいたであろうが、
こんな立派な本になるほどたくさん作っていたとは正直知らなかった。お恥ずかしい。
 明治三十年代から昭和九年ぐらいまでの作品を収めてあるが、とりわけ昭和八年の作が多い。
「次郎物語」のみずみずしいイメージが根強いから、短歌のほうもさぞかしと期待してひもといた。
なるほど初期のころの作風には若い矜持の息吹を感じさせはするのだが、うーむ、後年になると、
アララギ風の伝統的な自然の写生歌が圧倒的に多い。もちろんその観察眼は鋭いのだが・・・・。
 これはやはり昭和八年(日中15年戦争が始まったころ)という時代背景を考慮に入れねばならないのか。
それにしてもあの反骨精神旺盛な次郎のような歌がもう少し見られてもいいような気がする。
 そんな中でも、惹きつけられたいくつかを皆さんにもご紹介しておこう。

 物みなをうたがひすてつしかすがに天つ緋雲のあけはよきかな
 山畑の朝の明るさ見るかぎり霜どけの湯気立ちのぼりつつ
 大いなる道といふもの世にありと思ふ心はいまだも消えず
 ぴたぴたと犬が水のむ音さびしかはたれ時の桜が下に
 人げなきところをえらみわが行くを子らもよろこびつき来るらし
 一生の最後の仕事この友とせむと思へどなほしまどふも
 子なく妻なく冬木のごとくうそぶきて酒を呼ばひて過ぎし一生

















●第五百五十八回    (2006年8月25日)

 転居して初めてお医者さんの往診を仰いだ。
ヘルパーさんが「お尻の褥瘡が悪化しているから診てもらえ」と言うのでしぶしぶ。
すると、右足の腫れともども「たいしたことなし」という見立てで、やれやれ、ひと安心。
ヘルパーさんたちはどうも大げさで(苦笑)
 朝夕は虫の声も聴かれるようになり、ひたひたと秋の気配が忍び寄る。
長い梅雨につづき猛暑の夏がようやく過ぎ去ってくれようとしている。
 扇風機が倒れてプロペラが割れるなど、小さなトラブルは絶えないが、
頚髄損傷にとって最大の難関「真夏」をどうにか乗り越えたようだ。

★きょうの短歌
少子化に歯止めがかかりやれやれと車いすから背伸びしている   東風虎














●第五百五十七回    (2006年8月19日)

 すぐ下のこのめ作業所で夏祭りがあった。
特養うれしのも賑やかだったが、こちらもなかなか負けてはいなかった。
知的障害をもつ人たちの歌や踊りや司会や祝辞やハプニング。
間近に接することができていろいろ参考になった(かっくんちゃん関係の件で)。
 嬉野高校から和太鼓クラブの参加もあって楽しませてもらった。
上手下手はともかく太鼓の原初的なビートは知的障害をもつ人たちにダイレクトに訴えかけているようだった。
思わず椅子を立って踊り出す人もいた。私も自己規制の殻を破って踊り出したかった。
 それにしてもお客さんは誰でもタダの回数券で出店の品を飲み食いし放題というのには驚いた。
私らにはありがたいが、よほどお金を持っておられるのかしら?

★きょうの短歌
女子高のにわか太鼓に腕組みをほどかれている作業所まつり    東風虎

















●第五百五十六回    (2006年8月17日)

 ときおり同人雑誌や自費出版の詩集や歌集が寄贈されてくるのだが、
たいていは手紙の一枚も入っていない。自筆「謹呈」の紙きれが挟まってるのはいいほうである。
この世界ではそれが通例になっているようで、なんとまあそっけない。
 発行者たちにしてみれば、後記でるる消息を述べているからそれが挨拶代わりだとか、
何よりも作品そのものが雄弁な手紙になっているはずだ、という言い分があるにはあるのだろう。
かく言う私の編集する「ペン人」も数十人の寄贈者(リスト)には同様のふるまいをしている。
いつも申し訳ないとは思いながら、一人一人にペンを執るのは実質的に無理がある。
 ただ、私から個別に発送する分にはなるべく一筆を添えるようにしている。
パソコンで印刷すれば早いのだが、わざわざ震えた自筆で書くことが多くなってきた。
そうでもしなければ何かどんどん手触り感が薄くなってゆくのである。

★きょうの短歌
焼酎を変えるたんびに便秘する引っ越し祝い絶えることなく   東風虎
















●第五百五十五回    (2006年8月13日)

 11日は第29回嬉野温泉夏祭りにみゆき公園まで行ってきた。
新居から20分くらいだから、昨年までと比べると夢のようだ。
 大道芸とコンサートと花火(二尺玉2発)。百を越す屋台。色とりどりの浴衣姿の娘たち。
雨の天気予報が見事にはずれ、帰り道は満月の明かりで懐中電灯もいらなかった。
 ところでコンサートの舞台が暗転し、花火の最初の一発が上がったとき、なぜだか涙がにじんだ。
自分でも意外だった。昨年は雨もようで行きそびれ、久しぶりだったからだろうか。
それとも『今回も見られてよかったなあ』という感慨だろうか。
実は十日ほど前に部屋で死にそこなうような事態が発生したりしていたので、
よけいに生命の灯火がいとおしかったのかもしれない・・・・。
 桜好き、花火好きの通俗なオヤジになってしまったが、まあしかたない。

★きょうの短歌
まちがいなく蝉たちの大合唱も二三度上げている散歩道    東風虎














●第五百五十四回    (2006年8月9日)

 先週から歯医者の治療を受けている。
重度障害者の場合は自宅へ出張してもらえるという市の制度の恩恵を受けて。
これは五年ほど前、私も協議会の委員の一人として話し合い、成立させていたものである。
まさか自分がその利用者になろうとは、なんとまあ皮肉なことである。
 というのも私は中学三年のとき郡部の「良い歯のコンクール」で優勝したことがあるほど、
歯には自信をもっていた。当時のあだ名は「ミスターパール」(笑)
それが今では人並みに歯石や虫歯に悩まされるのだから隔世の感がある。
 やはり転居して食生活が大きく変わったことも原因の一つであろう。
配食サービスの弁当はヘルシーでバランスが取れ(すぎ)ているのだが、
それ以外にどうしてもインスタント(レトルト)食品やボトル飲料などが増えてくるのはいたしかたない。
 これも通らねばならぬ試練というところだろう。
ここを越えて新しい自分なりのデンタル・ケアを確立しなければなるまい。

★きょうの短歌
靴は靴べラ船は船風呂を生み出して有明海の潟をすべるよ    東風虎













●第五百五十三回    (2006年8月7日)

 先日、早朝の散歩の足を伸ばし、不動山の大茶樹まで行ってきた。
片道九キロはあっただろう。急な坂道ばかりなので往復五時間くらいかかった。
 不動山は歴史の深い谷あいなので、いたるところに史跡の案内板があった。
キリシタンの隠れ里や長崎街道の渡しや国鉄バスの事故の慰霊碑や皿屋谷などなど。
 大茶樹は元は一本の木で樹齢340年、幅12mほど。国の天然記念物に指定されている。
嬉野茶の始祖とされる吉村新兵衛さんが植えたものとか。貴重なものにはちがいない。
とはいえ「名物にうまいものなし」と言おうか、ちょっと拍子抜けさせられた。
むしろ少し下った墓所に立つ大楠の樹勢などに癒されたりした。
 それはそうと、この大茶樹を見たのは実は二回目である。
一度目は42年前の文化の日、父と妹と三人で大茶樹を見てから近くの虚空蔵(こくんぞう)山に登ったのである。
父のどういう気まぐれだったのか知らないが、長崎水族館とどっちがよかか? と訊かれてこちらを選んだ。
選択は正解で、虚空蔵山は素晴らしい眺望で私たちを自然の懐深く迎え入れてくれた。
 のみならずたまたま同じ登頂者の学生(訳ありふう)に弁当のおにぎりや塩鯨を分けてあげたり、
写真を撮って後日送ってあげたら丁寧な返事がきてしばらく文通が続いたりした。
父をめぐる記憶の中では珍しく幸福な風景である。
 あれから道すじも家並みも大茶樹のイメージもすっかり変わってしまっていたが、
私はひたすら坂道を登りながらなつかしさに包まれていた。

★きょうの短歌
早朝の散歩コースをあれこれと思いめぐらし目が冴えてくる    東風虎


















●第五百五十二回    (2006年8月6日)

 今年も原爆記念日がめぐってきた。
いつものように下記の句を捧げて追悼の意を表そう。
 核を政治カードのおもちゃにするのはやめてほしい。

★きょうの一句
キュウリもみが食べたいと言って死んでいった   東風虎


















●第五百五十一回    (2006年7月31日)

 長かった梅雨が明けるとともに、夏風邪のほうもようやく退散したようである。
しばらくはお天道様のありがたさを満身に浴びて、そこいらじゅうをほっつき歩いていた。
 とはいえ梅雨が終われば猛暑。あっというまに日盛りの下には出られなくなってしまった。
そこで早朝の五時半頃からこっそり出歩いている。朝の冷気が清々しい。
嬉野温泉の朝はなかなか趣が深いことを再認識した。
 今夏初めて西瓜も買った。八分割くらいで300円。野菜類が高い。主夫は大変だ。
残りの皮は塩漬けにして焼酎のおつまみに変貌したことは言うまでもない。

★きょうの旧短歌
吉吉と跳ねてゆくもの勝ち勝ちと鳴きかわすもの西国の朝    東風虎













●第五百五十回    (2006年7月30日)

 このところ気になる風潮がある。
無差別な極悪犯罪の被害にあう人が増えているのは胸が傷むが、
おしなべてそのご遺族たちの頑なさにはさらに胸が傷む。
 「極刑を望む」「被害者には人権はないのか」「謝罪の言葉を聞きたい」
などというような憤懣はもちろん察するに余りあるのだが、
犯人がその犯罪を犯すに到った(社会的)背景を探ろうという探究心や想像力が、
日に日に痩せ細ってゆくのをまざまざと感じる。
 巷のほうもまるで頭が痺れたように問答無用の「殺せ」「殺せ」の一点張りである。
いつのまにこんな一面的な世の中になってしまったのだろう。
どうも某首相の「ワンフレーズ」なんとかあたりから拍車がかかったのではないか、
と感じるのは私だけではあるまい。
 
★きょうの短歌
どちらかがいやどちらとも根こそぎになるまで終わりそうにない遠花火   東風虎

















●第五百四十九回   (2006年7月28日)

 ここしばらく、かっくんちゃんの画像をメールに添付して皆さんに配信している。
これは数年前に富士町の合瀬智慧子さんからいただいたもので、額に納められた立派なものである。
しかし合瀬さんが昨年癌で亡くなられたので、思いがけず形見の品となってしまった。
私が一人で押入れの奥に仕舞っておくのももったいないので、配信を思い立った次第である。
そのほうが合瀬さんも写真も喜んでくれるのではないだろうか。
 すると意外なことに多くの方から「写真は初めて見ました」という感嘆の返信がくる。
かなりの年配の方までそう言われるので、本当によかったなあと思っている。
映像や音源はもちろん写真も二枚しか残っていないという。そのうちの一枚であろうか。
合瀬さんはどういう経路で手に入れられたのか、もらったとき一応話は聞いたのだが、
メモも取っていなかったので今では知るよしもない。
 それにしても、没後もう半世紀以上たっているのに、かっくんちゃんの思い出話をするときの
みんなの眼ざしや顔つきはとてもなつかしくてやさしい。一人の障害者がこのように深く受け入れられていた事実は、
今を生きる私たちにも大きな勇気を与えてくれる。

★きょうの短歌
宝蔵寺という名まえの鍼灸院なども見かけて嬉野の雨    東風虎














●第五百四十八回   (2006年7月23日)

 
 「障害者の経済学」(中島隆信著、東洋経済新報社、2006年、1500円)という本の中に、
「障害者は三種類の人間としか付き合わない。家族と医療関係者と役場(福祉)の職員だ」というシビアーな指摘がある。
 四つめに「障害者」も加えるべきだろうとお思いの方もおられるだろうが、
作者はもっと重度の外出もままならぬような障害者を念頭においているようだ。
 私もご多聞にもれず世間が狭い。せいぜいこれに文学関係者が加わるくらいだ。                                              そんな中で、日々もっともつき合い時間の長いのがヘルパーさんである。
毎日付き合いながら観察しているといろんな性格の人がいて面白い。
 Kさんは仕事が丁寧でありがたいのだが、丁寧すぎるのは玉にキズというものである。
たとえば入浴や清拭のとき、よく「熱くないです?」「痛くないです?」と訊いてくる。
私はそのたびに「胸から下には感覚がありませんから、わかりません」と答える。
 しかし次の訪問日になるとまた「熱くないです?」のくりかえしである。
私もまた同じ答えのくりかえしである。するとちょっとふくれたような顔をする。
 『いくらマヒしていると言っても、だいたいの感じはわかりそうなものだ・・・・』
という気持ちがあるのかもしれない。しかしマヒとはそんな生易しいものではない。
わからないものはこんりんざいわからないのだ。
数年前、右足親指を複雑骨折して切断手術したときも麻酔なしでやったくらいだ。
 だからこのごろは訊かれても「はあ」としか答えない(笑)
ついでに言っておくと障害者が自分の口から「マヒしていて・・・・」と言うのは、
あまり愉快なものではない。中には怒り出す人もいるから要注意ですぞ。

★きょうの短歌
アンソロジーなんかに載るといまさらに短歌がいやになってしまいそう  東風虎


















 






●第五百四十七回   (2006年7月20日)

 転居してから二度目の風邪をひいた。
前のは軽くてすんだが、今回のはしつこくてかなり長引いている。
おまけに歯まで痛くなってさんざんである。ひとり喘ぐ深夜などさすがに心細い。
 梅雨も末期の降りつづけで、お金を下ろしに行く暇もないので素寒貧となり、
風邪薬も買い物もヘルパーさんからたてかえてもらっている。
 食欲もないが、ガラガラの冷蔵庫をさぐっていると十日前くらいのトマトが一個出てきて、
すっかり完熟してキンキンに冷えている。思わず口に放り込んだらこれが実に甘露であった。
今はそんなものくらいしか喉を通らない。

★きょうの短歌
動物性たんぱくが無性にほしくなる宮沢賢治になりきれなくて   東風虎

















●第五百四十六回   (2006年7月17日)

 今だから笑い話にして言えるが、実はここへ引っ越してきた当日に私はいきなり粗相した。
午前10時頃から家族や親類の手伝いを受けて作業をし、みんなでお昼の寿司と刺身を食べた。
私は発泡酒も一本いただいたが、それらは全く味がしなかった。
 午後二時頃になって私は電動車いすに乗ったまま、大きいほうを粗相した。紙おむつもすけていなかった。
眼の前が真っ暗になった。腹をくだしてしまうくらい私は緊張とストレスでいっぱいだったのである。
まだ家族は残っていて母もいたので、頼めばベッドへ下ろして後始末をしてくれただろう。
 しかし私は口が裂けてもそんなことは言い出せなかった。男の意地というものである。
転居を快く思っていない者は「それ見たことか・・・・」とこれ見よがしに呆れ顔をすることだろう。
私は隣の空き地を散歩するふりをしながら高速の演算機になったように打開策を考えた。
 そのとき電動リフターの移転工事のため大工さんも入ってもらっていたが、
重要な工事はもう終わっていたし、もう一つのほうは何とでもなるので早めに切り上げてもらった。
怪訝な顔をした者もいたが、私はとにかく「後はもう一人で大丈夫だから」と言い張って皆に帰ってもらった。
それまでの三時間の長かったこと長かったこと(苦笑)。臭いも勘づかれぬよう苦労した。
 それから大急ぎで以前から利用していた隣市の介護サービス業者に電話をかけて来てもらい、
取り付けたばかりの電動リフターで身体を吊り上げ、ベッドへ下りて、後始末してもらった。
とはいえ電話をかけてすぐ(30分ぐらいで)来てもらえたのは全くの僥倖であった。
 ふだんは前日から予約をするか、当日でも五、六時間は待たねばならないことが多かった。
それが電話一発で来てもらえたというのは、ある意味ですごくツイていたのかもしれない。
粗相をしたのはつらかったが、そのあとは丸く収まったのだから、けっこうな船出だったと言えよう。
 すべてが落ち着いた深夜、私は一人しみじみと焼酎のお湯割りを飲んだ。

★きょうの短歌
あなたが希望を捨てたのです希望はあなたを捨てませんラジオ人生相談の夜   東風虎



















●第五百四十五回   (2006年7月14日)

 この市営住宅は山を切り崩して造営されたものなので、虫の類がよく出る。
特にムカデの赤ちゃんのようなのと、もののけ姫に出てくるOOのようなイモムシが双璧だ。
毎朝そいつらを数匹退治してから一日が始まる。
 退治といってもタオルなどで外へはたき出すだけだから、翌日またどこからともなくもぐりこんでくる。
その点、ヘルパーさんたちは豪気だ。「キャッ!」と言いながらも箒か何かで叩き潰している。
それくらいでないと根治できないだろう。私なんかまだまだ甘い。
 学生のころ地区の区役で区有林の下草払いに(亡父の代わり)出たとき、
仕事のあとの酒盛り(実はそれがメイン)のため、男たちが河原でブロイラーを数羽締めるのだが、
私は初めてのこととてどうしても最期まで締めきれず、大人たちから失笑されたものだ。
 半殺しでいつまでも居させるとかえって苦しみを長引かせる。
それはわかっているのだが、あの頚椎のきしむ感触だけはなんともどうも・・・・・・・・。

★きょうの短歌
苦しくたって言うもんですかおふくろよ電動車いすにも意地がある   東風虎
















●第五百四十四回   (2006年7月13日)

 母が大腸癌の疑いで再検査を通知され、このしばらく気をもんでいたが、
きょう内視鏡検査を受けたら異状ナシだったらしく、お互いにやれやれホッと胸を撫でおろしている。
 それというのも今まで私の介護のため気を張っていたのが、このたびの転居にともないガックリくるのではないか?
と実はひそかに案じていたのである。しかしまあそれは杞憂というものだったようだ。
 今までにも胃検診で何度もひっかかって再検査に呼ばれ、その都度異状ナシということが続いてきたので、
どうもかかりつけの先生は大げさすぎるんじゃないかと口を尖らしたくなるのも無理はなかろう。
用心するのに越したことはないが、そのたびに家族の味わう身の置きどこのなさはどうしてくれるの?
 何やらどこぞの頑是ない国のミサイルをめぐる騒動と似ているような(笑)。

★きょうの短歌
おとなりのこのめ作業所にも仕事ないらしく草むしりしている   東風虎
















●第五百四十三回   (2006年7月9日)

 私はフォークソング世代なので(フォーク世代はそのまま先割れスプーン世代でもある)、
とりわけ70年代のフォークからニューミュージックへ移行する頃の曲が不意にどこからともなく流れてくると、
それはもう切なくてしどもどろになってしまうことがある。
 たとえば井上陽水「帰れない二人」、ガロ「学生街の喫茶店」、因幡晃「別涙(わかれ)」、山本コータロー「岬めぐり」、
岩淵りり「サルビアの花」、赤い鳥「竹田の子守唄」、村下孝蔵「初恋」、マイペース「東京」などなど。
 外国のポップスでは、ギルバート・オサリバン「アローン・アゲイン」、ロバータ・フラック「やさしく愛して」、
ミッシェル・ポルナレフ「ホリデー」、カーペンターズ「クロス・ツー・ユー」、ジム・クロウチ「タイム・イン・ア・ボトル」などなど。
 そういう曲の中の一つに、小椋桂(作詞作曲)の「さらば青春」もある。

 僕は呼びかけはしない
 遠くすぎ去るものに
 僕は呼びかけはしない
 かたわらを行くものさえ
 見るがいい
 黒い水が抱き込むように流れてく
 少女よ泣くのはお止め
 風も木も川も土も
 みんな みんな
 たわむれの口笛を吹く

 僕は呼びかけはしない
 遠くすぎ去るものに
 僕は呼びかけはしない
 かたわらを行くものさえ
 見るがいい
 黒い犬がえものさがして
 かけて行く
 少女よ泣くのはお止め
 空も海も月も星も
 みんな みんな
 うつろな輝きだ

 当時は漠然と聴いていたが、あらためて見ると不思議な歌詞だ。意味不明。
うろ覚えだが、小椋はこれを十代の後半に書いたらしい。そこが凄いではないか。
青春の矜持、孤高、訣別、悲傷、といったもののかもし出す雰囲気が、
当時の私の気分にもしっくりと寄り添ってくるようで名曲だと思ってきた。
ある意味、これは青春の普遍性ではないだろうか。
(もっとも、その後の小椋の軌跡にはあまり共感しないが)
 それに比べて、最近のJポップなどの歌詞には首をかしげる。
ありがちな歌詞に「一人じゃない」「僕がついている」「みんなつながっている」ふうなものがある。
彼らは何をそんなに恐れているのだろう? 一人になる(される)のがそんなに怖いのだろうか?
イジメ・シカト時代に生きてきた彼らの自己防衛本能なのだろうか?
 でもね、人間はもともと一人で産まれてきて、一人で死んでゆくのですよ。
それは恐ろしいことでもなんでもなく、ありのままの事実なのですよ。

★きょうの旧短歌
元はといえば裸んぼうで泣きながら生まれでてきた私じゃないか   東風虎















●第五百四十二回   (2006年7月7日)

 サマワの自衛隊がようやく撤退を開始しました。
それを一つの目安として「とろうのおの集」にケジメをつけようと考えていましたので、
いよいよ今回から新シリーズの始まりです。
 これからも皆さんのご批評をお待ちしております。

   「独居抄」(1)             中島虎彦

菜種梅雨あけてバリアフリー住宅へくじ運などもころがってくる
くじ運があるうち宝くじでも買ってみようかとは思わない
えいやっと三十年の尻に根が生えたところを引っこぬくのだ
独居したからと申して自立したとはおいそれと申しますまい
同級の定年のころ独居するという私にあんぐりとする
梅雨空にぐずついてくる肩先の低温ヤケド忘れるなよと
輝きのある人生と言われても夜明けの闇の深さはどうだ
動かない指でもついていればこそペンを引っかけうたなどを詠む
えげつない今日のニュースがえげつない昨日のニュースを押し出してゆく
アイスクリーム頭痛の君が癒えるまでアクエリアスまで行ってくる
大雨になりそうですと言われても車いすにはどうしようもない
教会のたまたま前で蚊を潰すわけにもいかずとまらせてゆく
姑をお母さまと呼ぶ嫁をまだ見たことがないクチナシの村
攻撃が一瞬にして守備となるメダカの群れも久しくは見ず
南国のサクランボにはなりきれず血豆のように落ちてゆくのか
ああ腕がちぎれるくらいボウリングしてみたくなるギシギシの畦
取り返しつかぬ思いは切ないが何かしらうっとりもさせられている
人生に逆上がりなど必要かそれを言っちゃあおしまいの初夏
くりかえしイッピツケイジョウツカマツリソロその先は言うまでもなく
パソコンがあれば淋しくなんかないスイカズラ匂えばことのほか
スイカズラノウゼンカズラしてみるとヘクソカズラもただごとじゃない












  




●第五百四十一回   (2006年7月6日)

 朝夕散歩に出るのが何よりの楽しみなのだが、
夕方は四時頃から出るので下校途中の小中高生たちとよくすれちがう。
かれらはみんなよく挨拶してくれるので、ありがたくも気恥ずかしい。
 電動車いすは珍しいので、どうしても自意識過剰になるのも無理はない。
正直いってちょっと気が重い。それでなるべく裏道や農道をゆく。
 しかし、最近子どもたちの巻き込まれる事件が多く、対応策に腐心されている。
嬉野でも手の空いたお年寄りが角々で見守っていたりする。
してみると私が散歩するのも何がしかは防犯に役立っているのかもしれない。
 まさか私自身が不審者に見られたりはしていないだろうなあ(笑)

★きょうの短歌
動かない指でもついていればこそ棒をひっかけ歌などを書く   東風虎















●第五百四十回   (2006年7月4日)

 ホームページの掲示板(四つ)はこの数年スパム野郎に悩まされているが、
一昨日、次のような書き込みをしてみた。
 「毎朝毎夕、15通から20通の削除に追われています。お互いご苦労なこった。
こういうスパムは誰かが会話の内容を見て意図的に送っているのでしょうか?
それともただ機械的に送られてくるだけなのでしょうか?
もし前者なら明日もスパムをどっさり送ってください」
 ふふふ、我ながらうまい手を思いついたものだ(笑)
スパム野郎もちょっとは頭を悩ませることだろう。
結局、翌日のスパムは3通だけだった。これをどう考えるべきか。

★きょうの短歌
輝きのある人生と言われても夜明けの闇の深さはどうだ    東風虎














●第五百三十九回   (2006年7月2日)

 昨夜は四時間つづけて眠れた。転居してから最長記録である。
だいぶリラックスしてきたことがわかる。
こんなことでも幸せを感じることができる私は、
なんとまあいじらしいと言おうか・・・・(笑)

★きょうの短歌
梅雨空にぐずついてくる肩先の低温ヤケド忘れるなよと   東風虎















●第五百三十八回   (2006年7月1日)

 毎日の暮らしの中で気をつけていることが幾つかある。火傷もその一つである。
胸から下がマヒしているため、熱さ冷たさがわからず、先だってのような低温ヤケドも起こる。
 オール電化の調理台で味噌汁鍋を温め、おたまで茶碗につぎ、膝におろし、食卓までもってゆくのも難問だった。
もし途中でひっくり返しでもしたら膝から股間まで大火傷してしまう。
初めは膝の上全体にビニールシートを広げてみたりしたが、まだ無用心である。
 そこで考えついたのが、流し台に置いているポリの平たいボウル。
その中に初めから茶椀を入れて味噌汁をつぎ、ボウルごと膝の上に移し、食卓までもっていき茶椀だけおろす。
これだと途中でちゃぷちゃぷ溢れ出しても、ボウル内に溜まるので心配はいらない。
 ついでにもう一つ。冷蔵庫の物を取り出すとき、手指が動かないから難儀するのだが、
これはコンビニなどでもらうビニール袋に小分けに入れて、そのまま仕舞っておけばよい。
すると取っ手のところに手首をひっかけて取り出すことができる。
割れやすいものは袋を二重三重にすれば衝撃が薄れる。
 スーパーなどではレジ袋を有料にする動きも出ているようだが、
こんなふうに重宝している者もいるのである。
 同じような電動車いすの生活をしておられる方にお奨めである。

★きょうの短歌
スイカズラノウゼンカズラしてみるとヘクソカズラもただごとじゃない   東風虎















●第五百三十七回   (2006年6月27日)

 サマワから撤退を始めた自衛隊の装甲車が道路の窪みにタイヤをとられて横転し、
数名の怪我人が出た、基地外での死亡者はおろか怪我人は初めてである、と伝えていた。
 ふうむ、どこかで聞き覚えのあるような話だなあ、と思った人は多いだろう。
それは「徒然草」の(第何段かは忘れたが)次のような逸話だ。
 ある植木職人が高い枝での作業は万全の用心と技量でぬかりなく終えたものの、
作業を終えて木を下りはじめ地上まであと一メートルというくらいの所で、
足を滑らせて落下し怪我をしたという。そこで兼好翁の箴言がつづくのである。
 それはさておき、「徒然草」の第一段にある有名なセリフ、
「つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなう書きつくれば、
あやしうこそ物狂ほしけれ」 (正確ではないのであしからず)
 これはシュールレアリズムの「自動筆記」そのものである。

★きょうの短歌
えげつない今日のニュースがえげつない昨日のニュースを押しだしてゆく    東風虎
















●第五百三十六回   (2006年6月23日)

 市営住宅に当たるクジ運があるうちにと、西日本自治宝くじを買ってみたが、かすりもしなかった。
「くじ運があるうち宝くじでも買ってみようかとは思わない」などと詠んでいたくせに、
やはり欲をかいたらいけないということだろう(苦笑)。

 さて、ようやくサマワの(陸上)自衛隊が帰国する運びとなったようだ。
それを一つの目安として「とろうのおの集」にケジメをつけようと考えていたので、
これからは自分本来の歌作りに打ちこんでゆけそうだ。
 これまで何かとご批評くださった方々には心よりお礼申し上げます。

★きょうの短歌
教会の前でたまたま蚊をつぶすわけにもいかず止まらせてゆく   東風虎













●第五百三十五回   (2006年6月18日)

 昨夜は不意に思いついてベランダで晩酌をしてみた。
珍しく梅雨の晴れ間の夕焼けが出てきて、それもけっこうな肴になった。
台所のテーブルで一人黙々と食べているよりよほど気分が軽くなる。
自慢のベランダなのに、どうしてもっと早く気づかなかったのだろう。
 そこへ目の前の道を一匹の黒い(野良)猫がすこすこすこと通りかかった。
私は目が覚めるようだった。越してきてから一カ月、猫を見かけたのは初めてだ。
このふれあい住宅は出来立てのピカピカだから猫も寄りつかなかったのだろう。
その猫も一区画下の「このめ作業所」のゴミ箱でも漁りに行こうという感じだった。
 私は頚髄損傷になって自宅療養を始めてから三十数年ずっと犬猫とともに暮らしてきた。
途中で一、二年のブランクはあったとしても、ほとんど切れ目がなかったのだ。
もちろんその間には二、三匹とのつらい別れも味わわなければならなかったが・・・・。
 それなのにここでは動物を飼うことが禁じられているし、庭木なども植えられない。
だから何かが物足りないという気持ちがずーっとつきまとっていたのだが、
黒猫をみて『ああ、これだったのだ・・・・』とすぐに得心がいった。
 私はさっそくおかずの竹輪などふりかざして「おいで、おいで、ささっ、ささっ」などと、
文字通り猫なで声を出しておびき寄せようとしたのは言うまでもない。
すると猫もまんざら人馴れしているらしく間の植え込みまで近寄ってくる。
しかしそれ以上はどうしようもなかった。いつのまにか宵闇も深まった。
 もしかまた現れたら、少しずつ手なづけて半野良くらいの感じで飼いたいものだ。
もちろんまわりには絶対秘密である(笑)。

★きょうの短歌
ベランダでビールを飲めば夕焼けもおつまみにくる空梅雨のころ   東風虎






 










●第五百三十四回   (2006年6月13日)

 血圧ほどあてにならないものはない。
先日、新しいかかりつけの医院で血圧を計ったら208だった。
看護師さんも先生もギョッとして、血圧降下剤を出されそうになったが、
すみません、ちょっと待って下さい、これは小便前のいつものサインなんです、
出てしまえばまたすーっと下がりますし、しばらく身体を傾けていても直ります。
なるべく薬は飲まないで付き合っていきたいんですが、と懇願してとりやめてもらった。
 その代わり自宅で毎日ヘルパーさんに計ってもらい、グラフをつけねばならぬことになった。
その場合はベッドに横になった状態で計るので、だいたい上が120から90くらいで安定している。
きょうなんか83しかなかった。あまりに低すぎるとまた薬を出されるのではないかとヒヤヒヤものだ。
今でもかなりの種類を飲んでいるので、これ以上飲みたくはない。
 ことほどさように血圧というのはちょっとした加減で上がり下がりする。
白衣を見ただけで上がる「白衣高血圧」などという言葉もある。
とりわけ電動車いすに乗っている時は不安定さが甚だしい。まるでジェットコースターのようだ。
しかし長年の工夫で付き合い方を確立しているので、たいした不自由はない。
 先生たちもそこのところを何とぞ理解してほしい。

★きょうの短歌
攻撃が一瞬にして守備となるメダカの群れも久しくは見ず   東風虎












●第五百三十三回   (2006年6月11日)

 転居して一カ月がすぎた。
火傷はあったが、そのほかは大過なく過ごせて、やれやれひと安心。
きょうはヘルパーさんから「お腹が少し痩せたよ」と言われ、内心小躍りもした。
ダイエットの効果もようやく現れてきた感じだ。
 念のため頚髄損傷者たちの特徴として「ぽっこりお腹」があるのだが、
これは腹筋や背筋がマヒしているため内臓をとどめておけず、
引力にしたがってずでんと下腹に溜まる現象なのである。
単なる中年太りとは違うのである(笑)
 ここまでは毎日をクリアするだけで精一杯というのが実情だったが、
これからは少しずつクリエイティブな仕事にも取り組んでいきたい。

★きょうの短歌
独居したからと申して自立したとはおいそれと申しますまい   東風虎












●第五百三十二回   (2006年6月8日)

 今年も佐賀県文学賞の詩部門審査員を仰せつかったので、
第一回めの会合に佐賀市若楠会館まで行ってきた。NPO法人「お世話宅配便」の移送。
転居してから初めての遠出となる。体調は昨年よりよかった。
 それにしても運転してくれた東小浜(ありこはま)君は話好きで面白い若者だった。
お察しの通り、沖縄県与那国島の出身で佐賀県の西九州大卒という。
 沖縄の(裏)話を根ほり葉ほり聞けたのは何よりの収穫だった。
転居のお祝いをかねて来年あたり沖縄へ行ってみたいと思っていたところなので。
 セブンイレブンで銀行のATMを利用できることも初めて知った。

★きょうの短歌
下宿屋の娘と結婚するような人生もあったりなんかして    東風虎





















●第五百三十一回   (2006年6月5日)

 朝に夕に電動車いすで嬉野市界隈の探検を続けているが、
きょうは嬉野トンネルを抜けて武雄市の庭木ダムまで行ってきた。
本来は長崎県波佐見町へ行こうとしていたのだが、とても海が見えそうではなかった。
 むしろ途中で眼下に湖面が見えていたので、帰りに下りてみたのである。
名前だけは知っていたが、これほどの桜並木だとは夢にも思わなかった。
ダムをぐるりと一周する遊歩道に切れ目なく青葉を繁らせていた。
 来春のお花見が楽しみだ。一人で弁当と缶ビール持参で来るのもいいし、
酒谷愛郷さんらを案内してくるのも面白そうだ。

★きょうの短歌
天気雨ぱらつく中を肩先の低温ヤケド冷やされてゆく    東風虎














●第五百三十回   (2006年6月2日)

 私の自活を聞いて、多くの方が感嘆とともに発する怪訝の声に、 
「食事はどうしてるの? ちゃんと食べてるの?」というのがある。
 そ、そんなに食事が一大事なのであろうか? 他に聞くべきことがあるんじゃなかろうか?
と私は苦笑してしまうのが常である。もちろん戦後の食糧難など体験してきた人には心配事だろうが、
ここまで緊張感とストレスのせいかあまり食欲が湧かないのである。
お昼などは別に食べなくても全然かまわない。
 とはいえ、食事の栄養とバランスはこれから先の体力にもかかわってくる。
そこで皆さんの疑問にお答えする意味もこめて、配食サービス(日に一度)のメニューでもご紹介しておこう。
ただし、高齢者用のためごく少量で、およそ500kcal前後の弁当である。
足りない感じのときはコンビニなどから適当に買ってくる。

 月曜(れんこん豆腐の野菜あんかけ、胡麻ふりかけ、炒り鶏、ほうれん草ともやしの和え物、ビーンズとゆず胡麻サラダ)
 火曜(青菜めし、冷やし中華、じゃが芋と丸天の含め煮、かつおの香味揚げ、カリフラワーのピーナツ和え)
 水曜(松風焼き、揚げ餃子、きのことうす揚げのじか煮、たことワカメの酢の物、高菜ときゃべつのソテー)
 木曜(骨なし鱒の塩焼き、いんげんの天婦羅、湯葉巻きと高野豆腐の煮物、なすと豚肉のピーナツバター炒め、茎わかめの旨煮)
 金曜(和風ステーキ、野菜のソテー、五目煮、変わりなます、白菜のお浸し)

★きょうの短歌
くじ運があるうち宝くじでも買ってみようかとは思わない   東風虎












●第五百二十九回   (2006年6月1日)

   ある平凡な一日。

 四時半起床。ベッドでごろごろテレビのニュースワイドなど見る。
 五時半。電動リフターを使って一人で電動車いすに乗る。身支度。
(ここで乗り損ねたらヘルパーさんの来るまで待たねばならないので緊張する)。
 六時。パソコン卓につきメールチェック。ホームページ掲示板の更新など。楽しみな時間。
 六時半。食卓で昨夜の残り飯に即席味噌汁をかけて朝食。お茶もいれて飲む。薬のむ。
 七時。新聞を読む。しかし六月から取るのをやめてパソコンで見る。
 七時半。テレビのニュースワイドなど見ながら書簡や書類の整理やぼーっとする。体操。
 八時。電動車いすで散歩と買い物と用事。コンビニまで10分。スーパーまで15分。役場まで20分。短歌つくる。
 十時。部屋へもどりパソコンで原稿類を書く。ときどきエロサイト覗く。
 十時半。ヘルパーさん来て(入浴かトイレか家事)褥瘡の付け替えまでしてもらう。一時間半。
 十一時半。ベッドにおりてうとうと、ラジオのニュースなど聴く。
 十二時。昼食は食べたり食べなかったり。食べてもバナナ一本くらい。薬。電話。テレビ。
 十三時半。昼寝を一時間半くらい。最も熟睡できるひととき。配食サービスから弁当とどく。
 十五時半。また電動リフターで電動車いすに乗り、メールチェックほか。
 十六時。夕方の散歩。体操。短歌つくる。隣接する特養うれしのの親戚を見舞いなど。
 十七時。部屋にもどり原稿類書く。転居通知のハガキ書く。物売りの応対など。
 十八時半。弁当を電子レンジで温め、冷蔵庫から漬け物類を出し、焼酎のお湯割り。ご飯は食べず。パソコン。テレビ。
 二十二時。ベッドにおりてテレビ映画など見る。メモ。つらつら反省。
 二十三時。就寝。ラジカセで音楽聴きながら。一時間から二時間ごとに尿瓶に小便と体位交換。

★きょうの短歌
南国のサクランボにはなりきれず血豆のように落ちてゆくのか   東風虎














●第五百二十八回   (2006年5月25日)

 転居して二週間ちかくになる。
目の下にクマができたり、風邪をひいたり、電気敷き毛布で肩を低温ヤケドしたり、
いろいろあったがようやくいつもの好奇心が戻ってきた。
 それで無性に海が見たくなり、午後三時から不動山方面に散歩の足を伸ばした。
途中「轟きの滝」公園に車いす用のスロープが出来ているのに欣喜したり、
旧長崎街道の俵坂関所跡などデジカメに撮ったりしながら峠を越えた。
(吉田松蔭も坂本竜馬も、たぶん勝海舟も高杉晋作も歩いて越えた坂である)
 やがて眼下に向かいの山肌の「鎧田」跡(今は大半が草やぶ)が見えてくると、
天にも至るような思いでせいせいする。しかし傍らを車はびゅんびゅん飛ばして行くし、
長崎県彼杵(そのぎ)の海が見えるまでにはまだだいぶありそうだったので引き返した。
部屋に帰りついたのは七時半ごろであった。
 それから満ち足りた余韻を反芻しながら焼酎のお湯割りを飲んだ。
明日はデジカメをパソコンにつないで大写しにして見るのが楽しみだ。

★きょうの短歌
パソコンがあれば寂しくなんかないスイカズラ匂えばなおのこと   東風虎












●第五百二十七回   (2006年5月20日)

 新しい散歩道で、この時期なつかしい匂いがかすかに漂ってきた。
うむむ、と色めきたって草やぶを探ると案の定「すいかずら」の蔓に花が群れていた。
蛍がこの密を好んで吸う、と勝手に思いこんでいる。
 ああ、よかった。

★きょうの短歌
コンビニまで10分スーパーまで15分電動車いすにちょうどよい   東風虎













●第五百二十六回   (2006年5月18日)

 今までかかりつけの野中医院からもらっていた薬を、
新居から最寄りの福田クリニックからもらえるよう紹介状を携えてゆくと、
生まじめな先生らしく「せっかくだから詳しく調べてみましょう」とあれこれ検査していただいた。
 その結果「異状なし」のお墨付きをいただき、これからの新生活に弾みがついた格好となった。
まあしいて言えば血糖値が高めで、私もいよいよ糖尿病注意の世代となる。
 この引っ越しを機会にダイエットしようと決意しているからちょうどよい。

★きょうの短歌
こんなにも独居したがるそのわけは誰に明かさぬままでよろしい   東風虎












●第五百二十五回   (2006年5月16日)

 畏敬してきた北九州市の頚髄損傷・向坊弘道さんが、15日亡くなられた。
昨年のすい臓がん発覚以来、覚悟はしていたものの、まだなかなか実感がわかない。
 代わりに以前書いたものを紹介させてもらおう。

 ★佐賀新聞「リレーずいそう」(1998年11月〜2000年3月連載)

   
第6回 「二人のネパール」      中島虎彦

 このところネパールが偲ばれる。友人の向坊弘道さんと岸本康弘さんのせいだ。ともに
畏怖すべき障害者たちである。向坊さんは五九歳で頸髄損傷。東大生のとき交通事故で受
傷してからもう四十年になる。北九州市で貸しビルや駐車場を経営するかたわら、頸髄損
傷者のための情報交換誌「はがき通信」を発行している。何より篤い浄土真宗門徒として
仏教の研究所を掲げ、ブラジルやヨーロッパにまで布教の講演に出かけてゆく。フィリピ
ンのルセナに日本人障害者のための滞在所「GLIP」を運営している。そうしてインド
仏蹟巡拝の際に仰いだヒマラヤの威容と人々の素朴さに感動して、ネパールのポカラ市の
ペワ湖付近に、一九八八年頃から仏教研究所(民宿)を建設している。費用は門徒などか
らの寄付と自著の「甦る仏教」(北九州市八幡西区黒崎三,八,二二。グリーンライフ研
究所発行)の売り上げで賄っている。
 ほとんど全身的な麻痺のため旅は難渋をきわめ、途中で何度も死にそうになっている。
ひそかに客死を望んでいるようにさえ見える。雇いの介護者太田女史とは弥次喜多道中の
ような名コンビである。うちにもひょいと訪ねてきてくれるので、私もGLIPを通じて
現地の頸髄損傷者に中古車いすを寄贈させてもらったりしている。
 一方、岸本さんは六一歳の脳性マヒ。宝塚市で印刷業を営むかたわら詩を書いている。
「ふるさと紀行」という季刊誌で同じ連載仲間として、彼が「人間やめんとこ」「手をと
めて、冬」などの詩集を出すたびに頒けてもらっている。三年前には関西文学賞(詩部門
)も受けている。今年九番めの詩集「傷が咲く」を出したばかりだ。小中学校へ行けず、
「父さんが死んだら。お前も首をつって死ね」と言い残されたのを見返すため、通信教育
などで独学をしてきた。苦しい経営のあいまに杖をついて世界中を放浪してまわる。
 そうやって一九九四年に訪れたネパールで、少女が時計の針が読めないのにショックを
受け、せめて母国の言葉で読み書きができるようにと学舎の寄贈を思い立つ。奇遇にも向
坊さんと同じポカラ市に建設の運びとなる。授業料は無料で、教師の給料などは彼の貯金
と友人のボランティア基金でまかなっている。宇部の畑山静枝さんら有志の賛同を得て、
今度は学舎の隣の空き地を運動場として買い上げようとしている。私もわずかばかりの加
勢をしているが、まだまだ目標額に満たないので有志の方々のカンパを募っている(連絡
先:宝塚市安倉南4.34.4)。彼は阪神大震災に遭ってから障害が進んで大きな手術
を受け、現在ほとんど身体が利かなくなっている。残った生命の灯をかき立てようとして
いるかのようだ。私のような根っから出無精の障害者の代わり、二人は業を煮やしたよう
に世界中を飛び回っているのかもしれない。
 もちろん慈善と偽善は紙一重だし、彼らの行為が現地の人たちにどう受け止められてい
るのか私にははわからないが、どうか根づいてほしいと願わずにはいられない。重い障害
を抱える二人だが互いの面識はないようだ。しかし漂泊のすえともにネパールの地にたど
り着き、研究所や学舎を建設しているという奇遇を、私はただ事実通りに伝えることしか
できない。北欧やバークレイも素晴らしいが、ネパールの何が彼らを呼び寄せるのだろう。
私もいつか訪ねてみたいと思っている。

 
 もちろん向坊さんだって生身の人間だから、一部に毀誉褒貶があったことは承知している。
にもかかわらず、私はひそかに『いつかノーベル平和賞を取ってほしい』と願っていた。
決して夢のような話ではないと思っていた。
 13日に嬉野市営住宅への転居(自立)のメールを送ったばかりだったが、
果たして読んでくださっていたかどうか気になるところである。
向坊さんたちの軌跡に励まされて、私たちは頑張ってきたのだから。

★きょうの短歌
お近くへお越しの節はお立寄りあれ社交辞令としてではなく    東風虎












●第五百二十四回   (2006年5月10日)

介護支援センターのヘルパーさんが引っ越について、
「特養が近くだから緊急
(うんこ粗相など)の場合は当直の者が対応していい」
旨のことを言ってくださったのでちょっと安心。何といっても一番の心配はそれだから。
 しかし例の悪評高い自立支援法による初めての一割負担金の請求
(四月分20時間分7800)がきた。
一回
400円相当。うーむ。高いというか安いというか。今までただだったものが請求されるとなると、
しかも自立に踏み出そうというときには、やはり負担が重いという実感がひしひし。
とはいえこれも織り込み済みなのだからしかたない。
かつかつででもやっていくしかない。

★きょうの短歌
都教委は何やってるんだまったく余計なお世話と言いきれるのか    東風虎















●第五百二十三回   (2006年5月6日)

 今度入る嬉野市営住宅の名前が「ふれあい住宅」という。
ちょっと気恥ずかしいので、転居通知には「市営住宅」を使おうと思っている。
今どきはネーミングにもうるさいのですぞ。
 ネーミングといえば、最近のアダルトビデオ女優の名前には笑える。
時代の備忘録としていくつか記しておこう。

 「蒼井そら。苺みるく。難波杏。紋舞蘭。桜田さくら。甘衣かおり。常夏みかん。天衣みつ。
可愛いいな。可愛ひな。仲名楓。小森詩。
美里ミリ。月丘うさぎ。葵あげは。七海りあ。芽奈」

 などなど。

★きょうの短歌
えいやっと三十年の尻に根が生えたところを引っこ抜く    東風虎

















●第五百二十二回   (2006年5月4日)

 このところ「愛国心」という言葉が跳梁跋扈しているようだが、
なるべく頭を静めて、私が愛国心を意識するのはどういう時だろうと考えてみた。
 ワールドカップの応援時のような熱気はちょっと違う感じもする。
それより毎日の報道で明らかになる不祥事や事件・事故の多さをみるにつけ、
ああ、恥ずかしい、こんなもの他所の国には知られたくないなあ、と痛切に思う。
とりわけ中・韓・北鮮・拉致被害(帰国)者などには知られたくないなあと思う。
 そんなとき最も愛国心というものに近い位置にいるようだ。

★きょうの短歌
終身刑と無期懲役のちがいをヤフー検索している夕べ   東風虎














●第五百二十一回   (2006年5月2日)

 このゴールデン・ウィークは引っ越しの準備で行楽どころではない。
そんな中、一キロほど上った川内という地区にある我が家の墓所まで行ってきた。
今までにもお盆や彼岸などには一人でこっそりお参りにきていたが、
引っ越したらしばらくはなかなか来れないと思うので、その旨挨拶しておこうと。
 とはいえ墓石の前までは入れないので、駐車スペースのところから形ばかり掌を合わす。
父ちゃん、祖父ちゃん、祖母ちゃん、どうかこれからも見守っていて下さいと。
霊は融通無碍だから気づいてもらえるだろう。
 それにしても行き帰りの道端にみる新緑は、柿若葉をはじめとして見事だった。
ウグイスやホオジロをはじめとして鳥たちの声も爽やかだった。
それが何よりの行楽になった。

★きょうの短歌
くりかえしイッピツケイジョーツカマツリソロその先は言うまでもなく   東風虎















●第五百二十回   (2006年4月28日)

 先ほど嬉野から帰ってきました。さすがに疲れました。
嬉野市営住宅はおかげさまで抽選に当たり、お世話になった皆様には本当にお礼申し上げます。
三分の二の確率とはいえさすがに手が震えました。外れたお一人は気の毒でしたが。
初めて内部を見学してみると、どこもかしこも(当然ながら)ピカピカでした。
 あとは月曜日に役場に鍵を受け取りにいけば、いよいよいつでも入居してよいことになりました。
一番の難問である電動リフターの移設工事をはじめ、パソコンや電話やファクシミリの配線や、
家電製品などの備え付け、電動ギャッジベッドや書籍類の引っ越しなどなど、考えれば頭がパンクしそうですが、
それもまあいわゆる嬉しい悲鳴というやつでしょう。五月前半には移りたいと思っています。
  抽選のあと隣接する特老うれしのの介護支援センターにも立ち寄り、
一ノ瀬主任さんと今後のヘルパーさんの日程など相談しました。一日一時間ずつ来ていただく予定。
 今は期待と不安の入り混じった気持ちです。
この日から「独居記」もつけ始めました。 

★きょうの短歌
菜種梅雨あけてバリアフリー住宅へ入居が決まるくじ運もある   東風虎












★第五百十九回   (2006年4月27日)

 いよいよ嬉野市営住宅の抽選会が明日に迫った。
車いす向けのバリアフリー住宅2棟には三人の応募があったらしい。
確率三分の二ならまず大丈夫だろうが、もし外れたらと考えると何も手につかない。
これまで十年近くの苦労が報われず、横から鳶に油げさらわれたら、立ち直れそうにない・・・・・・・・。
 しかしまあ、今からあれこれ考えてもしようがない。
明日は運を天に任そう。

★きょうの短歌
ああ腕がちぎれるくらいボウリングしてみたくなるギシギシの道    東風虎









 

★第五百十八回    (2006年4月22日)

 きょうも電動三輪車(いわゆるシニアカー)のお年寄りが交通事故で亡くなっていた。
あれに乗ることで青春を取り戻したような人たちが多いので、残念でたまらない。
 念のため言っておくと、電動車いす(三輪)は道路交通法で歩行者扱いとなっているので、
道路の右側を通らなければならないのだが、歩道の整備されている都会ならともかく、
狭い田舎道では本当に怖い。
 というのも法規通り右側を通ると対向車が突っこんでくるように見えるのである。
そのためついつい左側を通っているお年寄りを見かける。私もときどきやっている(苦笑)。
ただその場合でも道路端の白線の外側(いわゆる路側帯)を通れば違反ではない。
しかし路側帯が狭くほとんど道草に隠れているところもあるので大変である。
 車のドライバーたちにしてみれば、とっさの判断に迷うことも多いだろうと思う。
それが事故の原因になっている例もあるとすれば、申し訳ない気持ちだ。
事故の多発から、電動車いすにまで何か制限が加えられるような事態を恐れる。
 ただこれだけはわかっておいてほしいのだが、道というものは元々人の通るものであったということ。
確か魯迅だったか、「初めから道があるのではない。人がたくさん通ればそこが道になるのだ」
 という言葉もありましたっけ。

★きょうの短歌
首ひねりすぎてもう一度頚損になりそうな出来事ばかり   東風虎


 









●第五百十七回   (2006年4月16日)
 
 話題の「半島を出よ」(村上龍著、幻冬社、2005年、1900円)を読んだ。
例によってベストセラー類は嬉野の図書館から借りたものである。
 北朝鮮の(仮想)反乱軍が福岡市を占拠するという物騒な話だが、
作家がこのようにシミュレーションしてくれると国民も対処しやすくなるだろう。
それは作家の大切な役割の一つと言えるだろう。
 それにしても相変わらず彼の決めつけたような書き方はいただけない。
たとえば日本の平和ボケした小市民の鈍感さや画一性など批判するときの決めつけ方は、
小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」にも似通ったものがある。
 確かに有事に不慣れなのはいたしかたない。
しかしそんな中にも地道な努力を続けている人たちを私は知っているから、
あんなふうに安易に決めつける気にはならない。作者は一考を要するだろう。
 同じ売れっこの村上でも春樹よりはるかに龍のほうが私は好きだし、
すぐお隣の佐世保市の出身でほぼ同年代ということもあり、意識していることに変わりない。

★きょうの短歌
山桜ありかは花のときにしか思い出さない太平の御世   東風虎











●第五百十六回   (2006年4月12日)

 先日もどこかのメーカーがテレビゲームの新作を発表していた。
その顔には誇らしさこそあれ何のはにかみも感じられなかった。
そんなんでいいのかなー、と私は思った。
 知り合いの教師から教師上がりの評論家まで口を揃えて言うことに、
「テレビゲームが登場してから子どもたちが変わった」というのがある。
子どもたちが不可解になった理由はほかにもいろいろ考えられるだろうが、
どうもこれだけは共通した認識のようである。
 そんなテレビゲームの製作者たちが何のはにかみも感じないで、
新作を次々と発表できる神経は私などにはどうも理解できない。
資本主義の世の中だからメーカーが売れる物を作るのは当たり前だ、
と言われればもう何も反論できないのだろうか?
 首をひねりすぎてもう一度頚椎ねんざしそうだ。

★きょうの短歌
ぜんまいの白くけむった渦巻きは銀河系と交感している   東風虎













●第五百十五回   (2006年4月9日 

    「とろうのおの集」(24)

団塊の世代におくれ新人類にもなりきれずアローンアゲーン
公僕になりたくてなっている人おそらくはいず如月の街
飲んだ量よりもはるかにたくさんの小便が出て痩せそうなもの
蒟蒻も一度ためしてみておけばよかったような電動車いす
温泉に一番つかるべき人は働きずくめ障害ずくめ
障害者とは「がんばって」のようなものたいした意味はなくなっている
キスをして煙草の名まえ当てられるほど男やもめも年季が入る
今はもう戦前という人ら増え血糊のような山茶花の道
いくらでもゴネられるから核を持ちたがる国あとをたたない
ゆうと二歳乗り物がすき電動の車いすむろん例外でなく
そうせずにいられないからああしてるだけなんですよパラリンピック
悪霊と死霊につづき生霊は霊三部作と言っていただく
さびしくてゴミ溜める人さびしくて掲示板荒らす人春まだあさく
棚田までのぼってくれば減反のこれではまるでナズナ畑か
太平の眠りの村を覚ますのは消防自動車か救急車
プルサーマル安全ならば大濠の森にでも造ればよろしかろう
ことのほか手ごわい敵は内部から出てくるという障害者にも
ときおりは給食を食べてみたくなる卒業してから四十年め
古老らのこまか時分からあぎゃんふうじゃったばいという百年桜
花吹雪ひとりで死んでゆく覚悟できているからまたことのほか











●第五百十四回   (2006年4月8日)

 数年前、嬉野の役場で電動車いすの交通教室があったとき、
佐賀スズキから聞いた話によると、当時町内には65台の電動三輪車(シニアカー)が走っていたという。
なるほどわが村で三キロ下った野中医院まで薬とりに行くと、たいてい五、六台には出会ったものだ。
電動車いすは私ひとりという時代からすると夢まぼろしのようだ。
 ところが、これが嬉野の市街に入ると何故だかパタリと出会わなくなる。
嬉野は人口も多いし、昔からの遊興地だから意識も開かれた人が多いはずなのだが、
いったいどうしたわけだろう、とずっと首をひねっていた。
 嬉野市街の住民は自宅でも温泉が引けるので、常日頃から養生や保養が行き届いて、
身体の不自由なお年寄りが相対的に少ないのだろうか? それならおめでたい話だが。
 万が一、旅館やホテルや土産物店の経営者らが口に出しては言わないだろうが、
観光客へのイメージが悪くなるからあまり出歩かないでくれ、とでもいうような無言の圧力をかけているのか?
まさかそんなことはないだろうと思うが、長年観光業に携わってきたお年寄りたちのほうから、
事情を察してむしろ自己規制するような雰囲気でもかもし出されているのだろうか?
 だとしたらゆゆしき話である。
そもそもどうしてイメージが悪くなるなどという発想が出てくるのか? 私なりに想像してみると、
温泉地にやってくるような客は非日常を愉しみにしてくるのだろうと思われる。
自宅ではお年寄りの介護に明け暮れているかもしれないから、せめて温泉でくらい羽根を伸ばしたかろう、
上げ膳下げ膳で後始末もせず、街をそぞろ歩けば電動車いすに乗った年寄りなど見たくなかろう、
わが家の年寄りを思い出して胸が傷んだり、いやな気分が甦ったりするから、
というような心理が考えられなくもない。
 だったらわが家の年寄りも連れてくればいいじゃないか。
旅館やホテル側で介護者を確保しますよ、と宣伝しておけばいいのではないか。
あるいはお年寄りだけをそのように呼び込めばいいのではないか、
などと素人考えはふつふつと湧き上がってくるのであった・・・・・・・・。

★きょうの短歌
棚田までのぼってくれば減反のこれではまるでナズナ畑か   東風虎











●第五百十三回   (2006年4月7日)

 私は学生時代の私傷(ひとり相撲)のため無年金になっているのだが、
しかしその私傷というのも無年金というのも、ある意味でよかったかもしれない。
 もし社会人時代の事故(それも相手の責任)で労災年金をもらうようになっていたら、
今のように文学やユーモアになどのめりこんでいなかったろうし、
当然こんなブログも記していなかっただろうから。
 脊髄損傷の労災者など見ているとそう感じる機会が多い。

★きょうの短歌
テレビからわあわあわあわあというまた変なことばを流行らかそうと   東風虎












●第五百十二回   (2006年4月5日)

 このところぎょっとするようなタイトルの本が多い。
障害者関係で「こんな夜更けにバナナかよ」や「口からうんちが出るように手術してください」も凄かったが、
今度「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」(板垣恭介著、大月書店)というのを見かけた。
さすがに「元宮内庁記者から愛をこめて」という副題でフォローしてあるが。
 その中に、東条英機のことを昭和天皇が「あれだけは本物だ」と持ち上げている箇所があって違和感をもった。
さらに読んでみると、東京裁判でいったんは「大東亜戦争の敗戦は開戦当時に総理大臣だった自分の責任だ」と、
昭和天皇には責任がないという旨の発言をしていたのに、その後
「日本国の臣民が、陛下のご意思に反してかれこれするということはあり得ぬことであります。
いわんや、日本の高官においておや」と発言してしまった。
つまり戦争は天皇の積極的な意思によるもので、東条との共同正犯であったかのごとくである。
 天皇を存続させて敗戦後の復興に利用しようと考えていたアメリカ側は、これはまずいと気づき、
同じくA級戦犯で元宮内大臣の木戸幸一に頼んで東条を説得させ、
「前の証言は、私の国民としての感情を申し上げた。天皇の御責任とは別の問題だ」と訂正させたという。
 それに対して昭和天皇が「今回のことは結構であった」とお言葉を述べられ、東条刑死後には、
その勝子未亡人宅へ先の言葉を伝えさせたという顛末である。
 巷間伝えられている昭和天皇のイメージ、たとえば進駐軍のマッカーサーとの会談において、
自分の身はどうなっても構わないから、国民だけは生かしてくれ、と懇願されたとか。
そういうものとはだいぶ隔たりを感じさせられる。

★きょうの短歌
ことのほか手ごわい敵は内部から出てくるという障害者にも   東風虎











●第五百十一回   (2006年4月2日)

 もう十数年連載させていただいている雑誌がある。
「ふるさと紀行」(佐伯清美・畑山静枝編集、山口県)という季刊エッセー誌である。
名前はありがちで気恥ずかしいが、地味な運営は一部で根強く支持されている。
 その内容の一部は下記のサイトに掲載している。

 http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/furusato/furusato-top.htm

 その私の佐賀県担当ページに地元の企業や店舗から広告をいただき、
それが私の原稿料に当てられるという仕組みである。収入の少ない私には貴重な仕事である。
 ところが今まで広告をいただいていた肥前吉田焼窯元会館さんから打ち切りを通達され、
新しい依頼先を探さなければならなくなった。そこでいろいろと打診してみているが、
よくもまあことごとく断られて、不況の波がいかに根強いかを肌で実感させられている。
と同時に私に商才というものが致命的に欠落しているということも。
 そんな厳しい状況にもかかわらず、地域の文化を育てるというお志でいただいてきたのだが、
さすがにそれももう続かなくなってきたという感じだ。
 政府や日銀や財界は景気回復を宣言しているようだが、
それはあくまで大企業の話であり、中小の企業にはあまりそんな気配は感じられない。
 不景気になってまっ先に削られるのは文化的・厚生的な部門である。
私などもそのとばっちりをモロに受けている恰好だ。 

★きょうの短歌
花吹雪ひとりで死んでゆく覚悟できているからまたことのほか   東風虎












●第五百十回   (2006年3月30日)

  いつも刺激を与えてもらっている個人歌誌「みどり・こうじ」(中山陽右編集)41号に、

 
「私の読む地方紙に、芸術のジャンルごとに、主として県内における実態を、評価するスペースがある。
ところが『文学』について執筆を担当する詩人は、散文や詩に触れることは当然だが
『短詩型文学』について全くと言っていい程触れない。まさに彼にとって短歌や俳句や川柳は、
文学に値しないと思っているかのごとくである。このことを特異なケースだと、ローカルでのことだと
片付けてはならないように思う。もっと広い意味で『短歌』なら『短歌』が、第二芸術化することなく、
もっと『文化的評価』の対象になるように、中央の職者、関係者は果断な方途を模索される必要があろう」


 という問題提起がなされている。
私の属する詩誌の関係者なども襟を正して聞かねばならない。

★きょうの短歌
ときおりは給食を食べてみたくなる卒業してから四十年め    東風虎











●第五百九回   (2006年3月29日)

 佐賀は今「プルサーマル」問題で大揺れである。
原発の使用済みウラン燃料からプルトニウムを取り出し、
再利用するという計画である。リサイクルな発想ではあるから、
推進派の人たちが固執するのも無理はない。
ここで取りやめたら膨大な損失が出てやめるにやめられないのだろう。
 東電や関電ではGOサインが出ていながら、
人為的なミスや事故のため延び延びになっていて、
実際に稼動すれば佐賀が日本最初となる。
 その九州電力玄海原発にはすでに三機の原子炉がある。
それだけでも精神的にかなりの忍従を強いられているのに、
このうえさらに佐賀を実験場にしようと言うのだろうか。
 古川知事は二階経済産業相の言質をとって安全宣言しているが、
安全ならばなぜ僻地にばかり造って大都市周辺に造らないのか?
という国民の素朴な疑問には答えていない。
いかにも財政難の地方が補助金目当てに誘致するという構図。
 確かに設備や計器や論理は完璧に近いかもしれないが、
事故はたいてい人間の不注意によって起こるものである。
ただでさえ各界に人材が払底していると言われる昨今なのに。
 しかし頚髄損傷のような障害者は体温調節中枢がマヒしているため、
真夏や真冬はことのほか電気を使わずにはいられない。
そのため推進派に「原発に頼らなければ安定供給できない」と言われると、
心苦しくてたまらない。いつまでもこんな負い目を感じずすむように、
たとえば屋根に太陽電池を取り付けるとすれば200-300万円もかかるという。
 それではおいそれと手が出せない。とはいえだからと言って、
地元県民の一人として憂慮を表明する資格がない、という理屈にはならない。
意見は誰でも自由に言える世の中でなければならない。
 たとえば沖縄が話題にあがるたび、本土の人間はすまない気持ちになる。
沖縄に米軍基地の70%ぐらいを押しつけているからである。
しかしこの原発問題では佐賀も沖縄のようなものと言えよう。
 佐賀は小さな農業県だからそんなに電気を使うわけではない。
発電された電気の大半は近隣の地方中核都市(博多や北九州や佐世保)
方面へ送電されるのだろう。その途中のロスも大きいと思われる。
本来なら大都市の近郊に造るのが最も効率がよいはずである。
それが先のような理由で僻地に造られているのだから、
これは佐賀の問題だけでなく彼らの問題でもあるはずだ。
 原発に代わる発電法もいろいろと探られているし、
佐賀には佐賀大学の上原春男教授による海洋温度差発電などの実績もある。
それら代替エネルギーをどれくらい揃えれば取って代えられるのか?
推進派や反対派は広い度量でその具体的な数値や情報を国民に示して、
さあどちらを選びますか? という問題提起をしてほしいものだ。

★きょうの短歌
太平の眠りの村を覚ますのは消防自動車か救急車    東風虎













●第五百八回   (2006年3月22日)

 博多と釜山を結ぶ高速船がまた鯨に衝突したという。
その「ビートル号」には数年前私も乗ったことがあるのでぎょっとする。
転覆でもしたら四肢マヒの私などひとたまりもない。
鯨の側からすると「船のほうがぶつかってきた」ということだろうが。
 そんなに度々ぶつかるということは、あのあたりの海には鯨がうようよしているのか。
世界的な捕鯨制限の動きのため、一部の種は増えすぎて小魚を食べ荒らし、
一般の漁業者にまで影響を投げかけているという。
その被害がもっと深刻になったら、制限推進国が何と言いだすのか見ものだ。
 私は子どものころ冷凍鯨や湯かけ鯨や塩鯨をよく食べて愛着もあるが、 
鯨が相対的に少なくなっていると言われれば別に食べなくてもいい。
飽食の日本には他に食べるものはいっぱいあるから。
 しかし鯨は利口で可愛いから殺すのはしのびない、という意見はぶざまだ。

★きょうの短歌
さびしくてゴミ溜める人さびしくて掲示板荒らす人春まだあさく   東風虎













●第五百七回   (2006年3月19日)

 先日、市営住宅のバリアフリー住宅造成工事現場を見に行きました。
外見はほとんど出来上がっていて、内装が工事されていました。
私が十年以上も前から要望してきたものが、ついに具現化したのです。
 もしかしたらここが終の棲家となるかもしれないと思うと、
ことのほか感慨深いものがありました。
 新画像掲示板に写真を載せています。

★きょうの短歌
キスをして煙草の名まえわかるほど男やもめも年季が入る    東風虎














●第五百六回   (2006年3月15日)

 ここしばらく、東京のわりと大きな出版社から問い合わせをいただき、
私の短歌に興味を持ったので他の作品も見せてくれと言われ、
いくらか郵送したり補足説明のメールをやりとりしていた。
 出版企画会議なども開いて検討していただいていたようだが、
最終的に向こうの企画ものとしての出版は見合わせ、ということになった。
やはり「とろうのおの集」などでの社会批評詠の位置づけがネックになったようだ。
いくらか整理したほうがいいというアドバイスもいただいた。
 それについては私も思案をめぐらしているところで、
「とろうのおの集」だけを何らかの形でけじめをつけるとか、
いろいろと「鬼っ子」の扱いに手を焼いている。
 いずれにしても「全国展開する値打ちがあることに変わりない」と言っていただいた。
まさかこれが出版社の新手の自費出版の勧めだったりしないだろうなあ。

★きょうの短歌
そうせずにいられないからああしてるだけなんですよパラリンピック   東風虎













●第五百五回   (2006年3月12日)

 冠婚葬祭がどうも苦手だ。
おおかたの障害者がそうであろうと思う。
 冠婚葬祭というものは本来健常な人たちとその価値観に基づいて、
長い年月をかけて洗練されてきたものであるから、
障害者とその新しい価値観にとってはどうにも馴染みが悪い。
 特に地方の農村ともなれば、一朝一夕では揺るがない。
それが良さでもありバリアーでもある。
 やれやれ、きょうも当たって砕ける浪の花。

★きょうの短歌
ゆうと二歳乗り物がすき電動の車いすむろん例外でなく    東風虎













●第五百四回   (2006年3月9日)

 新聞の片隅に
「イラク派遣から帰国した自衛隊員のうち三人が自殺」
という記事を見つけて、不意打ちを食らったように胸がつぶれた。
 これまで八次にわたり4500人が派遣されているらしいが、
その中の三人というのは多いのか少ないのかわからない。
けれども明らかに多い、多すぎる、と感じたのは私だけではないだろう。
 どう取り繕ってみても憲法違反の派遣に従事させられて、
(中には志願して参加した者もいるだろうが)
有形無形のストレスにさらされた末の最期であろう。
 なんといってご冥福を祈ればいいのかわからない。
せめて三人の死を無駄にしないことを責任者は誓ってほしい。

★きょうの短歌
きょうもまた悲しいことがあったこんなに頑張っているのになぜか   東風虎













●第五百三回   (2006年3月8日)

 今年初めて嬉野の街まで行ってきた。
1日にも景観整備検討会の会合で行ったのだが、
そのときは鹿島市の再耕庵タクシーのリフト車で送迎してもらったので、
電動車いすで往復したのは今回が初めてなのである。
 ほぼ四ヶ月ぶり。ついに春が来たなあという喜びがわいてくる。
春霞に覆われて曇り空ではあったが、風はもう冷たくない。
道端にはムラサキハナナ(大根花)も咲き出していた。
これが咲くと一番春がきたという実感がわく。
 年々冬がつらくなるので(体力的な面だけではなく)、
春を待ち望む気持ちは障害を得る前とはくらべものにもならない。
お花見がこんなに好きになったのもそのせいである。
 雪国の人たちなら、別の意味で待ち遠しいことだろう。
彼らの気持ちもことのほかよくわかるようになった。

★きょうの短歌
いくらでもゴネられるから核を持ちたがる国あとを断たない    東風虎













●第五百二回   (2006年3月4日)

 この二ヶ月ほど掲示板荒らし(スパム)に手を焼いている。
パソコンを起こしてまずそれらを削除するのが日課になってしまった。
しかし数分後にはまた新たなスパムが自動的に書き込まれて、イタチごっこである。
気の長い私もさすがに叫び出しそうな気分だ。
 スパムが困るのは、収まるまで放っとこうとすると、
古いスレッドがどんどん押し出されて削除されてしまうという点である。
あれらはいわば財産のようなものだから。
 スパムは人を困らせて面白がる愉快犯らしいが、
そんなことをしていると何かが澱のように肩先にふり積もり、
誰が見ても「ああ、あれか」とわかってしまいますよ。
 どうせ荒れ狂うなら巨悪に向かってほしいよ、
とついぼやきたくもなるというものだ。

★きょうの短歌
飲んだ量よりもはるかにたくさんの小便が出て痩せそうなもの   東風虎












●第五百一回   (2006年3月3日)

 ブッシュ大統領が(中国に対する牽制として)インドの核開発を支援する、
という方針であることが明らかになり、内外の波紋を呼んでいる。
 そのニュースを読んで私はこんりんざい空いた口がふさがらなくなった。
ネオコンを宣言したブッシュ・ドクトリンを読んで以来のことだ。
マイケル・ムーアらが言うまでもなく、米史上最低最悪の大統領ではないだろうか。
 イラクやイランには核を持つなと言い、インドには支援すると言う。
自国(同盟国)の安保のためだとはいえ、いくら何でもそれでは通らないだろうよ。
 大国の都合でああせいこうせいと言われる小国はたまらないだろう。
彼らの憤懣は痛いほどわかる。かといってテロに走ると国際社会の共感も得られなくなる。
 いったいどうしたらいいのか途方に暮れるばかりだ。

★きょうの短歌
今はもう戦前という人ら増え血糊のような山茶花の道    東風虎














●第五百回   (2006年3月2日)

 この日誌も五百回を迎えた。
こんなに続くとは夢にも思わなかった。
有形無形に励まし批評してくださった方たちにお礼申し上げます。
パソコンとインターネットのおかげでもあります。

 さて、「小栗判官」(梅原猛著、新潮社、1991年、1500円)を読んだ。
歌舞伎などでおなじみの歴史(伝説)上の人物だが、「障害者の文学」の資料でもある。
 判官は密通の罪を犯したため毒殺されたが、閻魔大王から情状を酌量され娑婆に送り返される。
ただし「餓鬼病み」の姿となって生き返させられたのである。
 「餓鬼病み」とはおそらく「らい病」であろうと言われている。
あるいは脳性マヒかポリオか骨形成不全か進行性筋ジストロフィーかALSか脊髄小脳変性症か。
そのため判官はこの世で想像を絶する辛酸を舐めさせられる。
 しかしかつての密通相手である照手姫(今は女郎屋の下働き)と偶然出会い、
それとは知らずに土車(一輪車みたいなものか)を押されて熊野詣でをし奇跡的に本復する。
そして晴れて美濃国主となり姫を迎えに行くハッピーエンドとなるわけである。
 最後はどうかとも思うが、餓鬼病みの惨たらしさはいつの時代も変わらない。
蝉丸などとともに伝説上の人物ではあるが、似たような事例があったからこそ伝承化されたのだろう。
日本人は貴種流離譚が好きだからなあ。
 しかし運よく判官のようなハッピーエンドを迎えられる例はほとんどなかろう。
それでも生きていかねばならない惨たらしい現実のことは、
私なぞが書かねばならないのだろう。

★きょうの短歌
障害者とは「がんばって」のようなもの大した意味はなくなっている   東風虎














●第四百九十九回   (2006年2月25日)

 有名無実なものはいろいろあるが、そのひとつに「公僕」を挙げていいだろう。
「おおやけのしもべ」というかなり差別的なニュアンスも含んでいるが、
かといって「障害者」のようにこの言葉を言い替えようという動きは聞かない。

 (ちなみに、「障害者」は「障者」ではどうだろう、と最近思いついた。
 勝者・瀟洒・商社などの音と重なって悪くはないのではないだろうか)

 さて、公僕になりたくて役人や議員になった人はほとんどいないのではないか。
先日の天下り実態報告の凄まじさなど読むと、そう思わされる。
 実をいえば、私も高三のとき公務員初級試験を受けて合格したことがある。
当時の進学校ではどこも大学受験前の力試しのような感じで先生が奨めたのである。
せっかくだから佐賀市の地方法務局や長崎税関の面接試験まで受けに行ったりした。
(それも受験本番に備えて度胸試しみたいな風潮があった)
 私は家庭の事情の逼迫していたせいもあり半分くらいはその気であった。
しかし大学進学との間で揺れ動いている気持ちを試験官に見透かされ、
「君はやっぱり進学したほうがいいよ」などと諭されたりした。
 そのときの私に「公僕になろう」などという気持ちは爪の先ほどもなかった。
公務員を選ぶのはただただ安定しているからであった。
大学で上級職を受験する学生たちにもひたすらな「上昇志向」しか感じなかった。
 こんなふうだから後は推して知るべしだ。

★きょうの短歌
公僕になりたくてなっている人おそらくはいず如月の街    東風虎












●第四百九十八回   (2006年2月17日)

 文芸同人誌「火山地帯」(立石富生編集、鹿児島県鹿屋市)145号(2005年)の
「異形の手」(立石)は最近になく読み応えがあった。
 ハンセン病の小説家島比呂志の後半生の伝記であるが、
私がかねてから疑問に思っていた点、つまり
妻の喜代子氏は健常者であるにもかかわらず何故島氏について療養所に入ったのか?
という野次馬根性にかなり詳細に答えてくれるものであったからだ。
 立石氏は健常者ながら島氏のあとをついで「火山地帯」の編集に当たっている人だが、
ずっと身近で夫妻を見てこられた人だけに愛憎をこめて(超えて)描いてある。
喜代子氏のプライバシーはどのように守られるのか、という問題はあるが、
(それとも作家の妻にはプライバシーなどないのか?)
「書く」とは「さらして書き続ける」ことなのだなあ、と思い知らされた。
 久しぶりで私にも創作意欲らしきものが湧いてきた。

★きょうの短歌
温泉に一番つかるべき人は働きずくめ障害ずくめ   東風虎













●第四百九十七回   (2006年2月15日)

 いつもながら尾篭な話で恐縮だが、
排便を三日に一度から四日に一度に変えた。
昨日さっそく試してみたら、うまく出てくれて胸を撫でおろしている。
 このところ便秘気味で、三日目に出ないことが続いていたので、
三日目、四日目とつづけて騒動するのがうっとおしくなってきた。
それならいっそ初めから四日目に出そうと開き直ったのだ。
 自分自身が楽になるし、何よりヘルパーさんたちの負担が軽くなる。
それに途中で粗相しないように食べる量も少な目になるので、
少し痩せられるかもしれない(笑)
 普通の人は「何だそんなこと・・・・」と思うかもしれないが、
四肢マヒ者にとってこれは画期的なことなのである。

★きょうの短歌
蒟蒻も一度ためしてみておけばよかったような電動車いす   東風虎















●第四百九十六回   (2006年2月13日)

 「お笑い! バリアフリー・セックス」(ホーキング青山著、ちくま文庫、2005年、680)                                       というキワモノ本の対談の中に、次のようなセリフが出てくる。

「でも人間って、嫉妬深いし嫌な心も持っているから、
障害者がそういう快楽を普通に得ているということを
健常者が簡単には許さないんじゃないかって気がしますね。
そういうと重くなっちゃうのかな
? 
 自分の心のバランスを取るために、
障害者に対して優越感をもっていたいというような・・・・
だからそういった性の欲求を満たして喜んでいる姿を見て、
周りの健常者が心底喜べないのではという気もします」
(女流AV監督の小早川かおり)

 何度こういう声を聞いてきたことだろう。女性でAV監督をやっているくらいなのだから、
もう少し意識が拓かれていてもよさそうなものだが(笑)
 あるいは、ロック歌手の大槻ケンヂはあとがきの中で、
逆説として次のように言っている。

「身障者だからっていい気になるな、とホーキング青山氏には言ってやりたい。
(中略)臭いものにフタをして見ないことにしているからこそ、
健全な社会で我々は楽しく日々を送れるというものだ。
そこへ身障の立場を利用した青山氏が現れて、
存在していないはずの世界のことを伝えたならどうなってしまうであろう・・・」


 こちらのほうがブラックなユーモアがあって、まだ救われる。

★きょうの短歌
団欒に居合わせて身の置きどこがなくなっている如月のころ   東風虎











●第四百九十五回   (2006年2月9日)

 皆さん、ごきげんいかがですか?
今年一発めの「とろうのおの集」を配信いたします。
 前回からだいぶ間が空いてしまいました。
年末年始の喧騒からなかなか調子が戻りませんでした。

  「とろうのおの集」(23)      中島虎彦

新潟は初雪という切ないね多恵子のたえは耐えるのたえか
雪おろしの自衛隊ならたのもしくサマワへ向かうリアリティーのなさ
頸損も正月くらいお休みになってくれたらへのへのもへじ
ひどくなるばかりと思えば失望も少なくてすむ元旦うららか
ねり柿にしてまで食べていた頃のひもじさなんてぜいたくな話
手作りのロールケーキに何かしら足りないものを呑みこんでいる
さよならを言えるだけでも幸せやがばいばあちゃん語録の一つ
朝起きてまずパソコンに灯を入れる竈を起こす嫁もなければ
持たぬもの妻子に名刺だんらんの記憶それからケータイ電話   
団欒を知らぬ私とホリエモンそれぞれの道分かたれてくる 
福岡では九千組が結婚し四千組が別れるという
おとなりもやってるねES細胞の捏造に車いすがっかりとして
富士山をライトアップしようなど考えついてくれるなテレビ 
泣きたくてアルビノー二のアダージョの最後の一分間に悶絶
水楢の落ち葉の下の方代さん踏みしめにきておりますよう
驚いて飛びたつカラスそのあとに屍のようなものも見える
板切れがあったら釘が出ていると思えと育てられ過疎の村
母がまた茶碗を割るも叱らずにマグカップに味噌汁をとく
大人用紙おむつのロゴ見えぬよう横倒してもらう棚の上
周期的膀胱炎としてあらわれてくる世のやるせなさ













●第四百九十四回   (2006年2月8日)

 埼玉県の羽生市から教育委員会の方がお二人訪ねてこられた。
人権問題に関する研修の一環として話を聞きたいとのこと。
 恥ずかしながら羽生市について何も知らなかった。
田山花袋の小説「蒲団」の舞台になった土地であり、
草加せんべいの里であるらしい。
 どういうわけでそんな突飛なところから来られたのかというと、
別の委員のお一人がたまたま私のホームページを愛読して下さっていて、
何かの集まりのときかつてイギリス留学仲間だったE先生にその話をしたと。
するとE先生が「何だ、その人なら同級生ですよ」という奇遇となった。
 そのE先生とは小・中・高校の同窓なので、彼を通じて紹介されたわけである。
今更ながら世間というのは広いようで狭いものだ。
というわけで障害者の文学のことなどお話させてもらった。
 資料として本も二冊買っていただき恐縮した。

★きょうの短歌
持たぬもの妻子に名刺だんらんの記憶そのほかケータイ電話    東風虎














●第四百九十三回   (2006年2月3日)

 NНK全国短歌大会ジュニアの部で、わが嬉野中が昨年につづいて学校賞を受賞した。
2年生188人のうち168人が応募したという。全国230校の中からの栄誉。
受賞の対象となったのは次のような短歌である。

 「こわいです私が何かしましたか先生もっと笑ってください」
 「どしゃぶりは思わず外に出たくなる心のモヤモヤ流したいから」
 「天国のお迎えみたいに飛行船じいちゃん死んだ日浮かんでいたね」
 「トランペット私の機嫌が悪いとき出てくる音も怒っているね」

 などなど。無邪気で元気な歌いぶりが好ましい。
二年連続とはなかなかすごいことではないだろうか。
よほどすぐれた指導者(国語の先生)がおられるのか、
それとも感性の豊かな生徒さんたちが多いのか。
 ちなみに私は何の貢献もしていない。むしろ同じ短歌作者として励まされる。
この中からどれくらいの生徒さんが大人になっても詠み続けてくれるか、
あまり期待は持てないけれど(笑)、楽しみなことだ。

★きょうの短歌
団欒を知らぬ私とホリエモンそれぞれの道分たれてくる   東風虎














●第四百九十二回   (2006年2月2日)

 夕方の散歩をしていると、母校の中学の野球部やソフトボール部の生徒たちが走ってくる。
横竹ダムまで往復するのなら6kmはあるだろう。白い息と若い息吹がまぶしい。
電動車いすなら一時間以上はかかるところだ。
 私は子どもの頃、体育と音楽が苦手だった。通知表で3をもらったこともある。
跳び箱の五段を一人だけ跳べなかったり、砂場に顔から突っこんだことがトラウマになっていたかもしれない。
男子らが草野球をやりたがるとき、私は紙ヒコーキを折って飛ばしたがるような子どもだった。
 それが五年生の今ごろ、体育で学年ロードレースみたいなものがあって、
気の進まないまま走ったら何と5番になって、自分でも驚いたことがある。
(ちなみに当時(昭和30年代)は1クラス45人の3クラスもあった)
 いったいどうしたことだろうとつらつら思い巡らしてみたが、
おそらく家の農作業を手伝わされる中で、「だん肥え」撒きのおかげではないかと思い当たった。
だん肥えとは牛の糞と敷き藁の混じりあった「堆肥」のことである。
 父が耕運機の荷台に積んで山の田んぼまで運び、あちこち小山状に積み上げてゆく。
それを子どもらが田んぼ均等にばら撒くのだが、軍手をしていても手で撒くのは抵抗がある。
そこでゴム長靴をはいた足先で蹴り散らすのである。これが濡れてまとわるから重いのなんの。
ほかの兄姉らは手で撒いていたし、親に見つかったら一応たしなめられる。
たとえ堆肥といえども粗末に扱うものではないという百姓魂が生きていたのだ。
 だから人が見ていないすきにこっそり蹴り蹴りするのであるが、
なにしろべっとりかたまっているから、不用意に蹴ると大きな音がするし足首を痛めてしまう。
そこでまずだん肥えに靴先を突っこんでおいて、やおら跳ね上げるようにする。
つまり花形満が星飛雄馬の大リーグボール1号を打ち崩した手法である。
 これを何年か刈り取りのすんだ田んぼでやらされているうちに、
いつのまにか脚力がついたのだろうと思われる。それ以外には思い当たらない。
それ以来、私は校内マラソンでも上位入賞の常連となり、運動会でもそこそこ活躍するようになり、
スポーツ全般が大好きになり器械体操部にまで入るようになった。
 そして現在に到っているわけである。
ここから何か教訓でも汲み取るべきだろうか。

★きょうの短歌
母がまた茶碗を割るも叱らずにマグカップに味噌汁をとく   東風虎














●第四百九十一回   (2006年1月25日)

 このところ、「虚業」という言葉を考えさせられている。
ライブドア・ショックにまつわるものであることはいうまでもない。
ホリエモンの罪がどの程度のものであるかはたいした問題ではない。
彼は一罰百戒のスケープゴートにされただけであるから。
 みんなが腑に落ちないでいるのは、額に汗して働く者が馬鹿を見て、
マネーゲームに踊る者らがおいしい目に遭っていいのか? という疑問だろう。
そこで「虚業」という言葉が出てくる。にわかに旗色が悪くなる。
 額に汗して働くといえば、農林水産業や工業(場)やサービス業や伝統産業などがイメージされる。
ふつうのサラリーマンや公務員も含まれるかどうか、意見の分かれるところだろうが、
まあご本人たちは圧倒的にそのつもりでおられることだろう(笑)。
 では虚業とはどんな職種がイメージされているのか。
IT長者や投資家は言うまでもないが、その遊び相手である女性アナウンサーとか(失礼)
それを糾弾する政治家なんかも案外虚業の部類ではないかと思われる。
そのため彼らは好んで「OOに汗をかいて励んでまいります」などと言う。
いかにもコンプレックスの裏返しであるのが見え見え。
 虚業をイメージする一つの参考として、カンボジアのポルポトの大虐殺を思い起こしてもよい。
あるいは中国の文化大革命でもよいだろう。あれらで真っ先に槍玉に挙げられたのは、
いわゆる資本家や知識人、つまり地主や金持ちや教師や僧侶や金利生活者などであった。
 しかしそれらにも増して虚業の最たるものではないかと思われるものがある。
いわゆる作家、とまではいかずとも物書きと言われる人たちである。
というわけでこのところ私も気が重い日々を過ごしている。

★きょうの短歌
おとなりもやってるねES細胞の捏造に車いすがっかりとして   東風虎




   








●第四百九十回   (2006年1月20日)

 ようやく大寒となった。
年々冬が辛くなるので、辛抱も今日が折り返し点である。
あとは少しずつ春に向かってゆくのだと希望をもって過ごせる。
なーんて言いながら、まだまだ二月中は氷漬けの日が続くのだが。
 巷では「ホリエモン・ショック」が吹き荒れている。
「それ見たことか」というマスコミの雰囲気をまざまざと感じる。
 ホリエモンはかつて「金で買えないものはない」と豪語していたのだから、
自分の無実も金で買ってみせればいい。
 株取引はあくまで合法的なものだから、誰がどれだけボロ儲けしようと勝手だが、
かつてガンジーが七つの社会的罪としてあげたもののうち、
「労働なき富」や「道徳なき商業」に該当するのではないかということを、
ときおり心のどこかで「はにかみ」とともに思い浮かべているべきだろう。
 それを忘れたらホリエモンのようになる。

★きょうの短歌
頸損も正月くらいお休みになってくれたらへのへのもへじ   東風虎















●第四百八十九回   (2006年1月15日)

 年賀状のお年玉くじ抽選発表を照らし合わせていたら、
もともとクジ運のない私のことだから全く期待などしていなかったが、
一等と2番ちがいがあった。ただそれだけの話だが(笑)。

 それはそうと、毎年の年賀状で妻子の消息を克明に知らせてくる友人がいる。
四肢マヒ(つまり性的に不如意)のため独り身の障害者に向かって、
ふつうの思いやりをもった人ならそんな話は遠慮するものではないかと思うが、
私はそんなことぐらいではへこたれないと買い被られているのだろうか。
(実際、別にたいして気にはしていないが)
 まさか嫌がらせではあるまいと思うが(笑)

★きょうの短歌
雪おろしの自衛隊ならたのもしくサマワへ向かうリアリティーのなさ   東風虎












●第四百八十八回   (2006年1月10日)

 年末から北日本では記録的な大雪がつづいている。
新潟のメル友からは「安部公房の小説『砂の女』のようです」というメールも届いている。
家の周りが雪の壁ですっぽり覆われていて、雪下ろしならぬ雪上げになると。
温暖な佐賀からはなんともお見舞いの言葉もない。
 そんなところへ(県知事の要請を受けて)自衛隊が出動しているニュースをみると、
ああ、これこそ「国民の安全と国土の保全を守る」自衛隊の面目躍如と頼もしく映る。
国民の多くが手を叩いてそう思ったことだろう。
 それにくらべて、イラクのサマワへ出発する自衛隊の交代要員のニュースは、
なんとまあリアリティーのない映像であることか!

★きょうの短歌
太ったろOOちゃんに似てきたねそればかり言われたくないお正月   東風虎


 












●第四百八十七回   (2006年1月7日)

 七草も過ぎて、ようやく正月気分も抜けてきたところで、
今年も例によって年末年始の深夜テレビ映画ベスト10を記しておこう。

@日映「ジョゼと虎と魚たち」(犬童一心監督、田辺聖子原作、池脇千鶴主演、妻夫木聡、02)
A韓映「スキャンダル」(イ・ジェヨン監督、ぺ・ヨンジュン主演、03年)
B仏映「アメリ」(ジャン・ピエール・ジュネ監督、オドレイ・トトゥ主演、01)
C日映「戦国自衛隊」(斉藤光正監督、千葉真一主演、79年)
D米映「コレクター」(ゲイリー・フレダー監督、モーガン・フリーマン主演、98)
E日映「笛吹川」(深沢七郎原作、木下恵介監督、高峰秀子主演、田村高広、80年)
F米映「インタビュー・ウィズ・バンパイヤ」(ニール・ジョーダン監督、トム・クルーズ主演、94年)
G日映「感染」(落合正幸監督、佐藤浩一主演、南果歩、04年)
H米映「インデペンデンスデイ」(ローランド・エメリッヒ監督、ウイル・スミス主演、96年)
I日映「くりいむれもん」(山下敦弘監督、村石千春主演、水橋研二、根岸季衣、04)
(次点) 日映「ニンニン 忍者ハットリ君」(鈴木雅之監督、香取真吾主演、田中麗奈、04年)

★きょうの短歌
ひどくなるばかりと思えば失望も少なくてすむ元旦うららか   東風虎













●第四百八十六回   (2006年1月2日)

 早朝のテレビ(NНKライブラリー)をうつらうつらと見ていたら、
「この人に会いたい」というシリーズで、高橋竹山が映ったので思わず飛び起きた。
何年ぶりで見る映像だろう。これは正月早々ついているかもしれない。
 スタジオで鈴木健二アナウンサー他のインタビューを受けているもので、
津軽三味線の門付けで世間を歩いていた頃の苦労話をしていた。
 一番困ったのは、巡査にくどくどねちねちと職務質問されることだそうで、
とにかく戦前・中の巡査というのは威張りくさっていて意地が悪かったらしい。
それは「津軽三味線ひとり旅」(中公文庫)という本にも詳しい。
 ご存知のように私が更新中の短歌抄「とろうのおの集」の巻頭には、
彼のセリフを引用させてもらっているので、足を向けては寝られない気分だ(笑)
彼のような時代の証人がだんだん少なくなってゆくので、
せめて私なぞが顕彰してゆかねばならない。

★きょうの短歌
板切れがあったら釘が出ていると思えと育てられ過疎の村   東風虎
















●第四百八十五回   (2006年12月31日)

 佐賀市のNPO法人「イープラッツ」からうちまでパソコン指導に来てもらった。
私はホームページを開いているので、パソコンやインターネットに詳しいように思われるが、
実は初心者同然なのである。取り扱い説明書などほとんど読んだことがない。
だいたい現物を触り触り覚えてきた。
だから日頃の素朴な疑問をあれこれと解いてもらい大助かりだった。
 障害者にとってこんなありがたいサービスも、
意外と知られていないそうでもったいないことだと思った。
 原則として自宅まで一回二時間で四回の指導で無料。
県の委託事業なので彼らにはお金が出るという仕組みになっている。
 関係の方がおられればよろしくお知らせください。

★きょうの短歌
富士山をライトアップしようなど考えついてくれるなテレビ   東風虎













●第四百八十四回   (2006年12月29日)

 今年、記憶に残った本ベスト10。

「失踪日記」(吾妻ひでお著、イースト・プレス、2005年、1197円)
「風の家族」(島道代著、私家版、2005年、1000円)
「佐賀のがばいばあちゃん」(島田洋七著、徳間書店、2001年、514円)
「みどり・こうじ39号」(中山陽右編著、私家版、2005年)
「こんなことってあるかしら」(長新太絵・文、クレヨンハウス、1993年、1000円)
「大地」(大串章著、角川書店、2005年6月、2667円)
「世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会、1985年、3800円)
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」(小野賢二ら編、大月書店、1996年、6000円)
「文芸春秋 2005年8月号」(文芸春秋社、2005年710円)決定版「日中韓『靖国参拝』大論争」。
「バケツ」(北島行徳著、文藝春秋社、2005年、1000円)
(次点)
「あいさつがいっぱい」(長新太絵・工藤直子文、小学館、1992年、1300円)

★きょうの短歌
モーグルを男子体操団体の金とひとしなみに言うなかれ   東風虎










●第四百八十三回   (2005年12月25日)

 
障害者の本を読んでいると、生まれつきの障害をもっている人たちは
子どものころ自分に障害があるなどと意識しなかった、という例が多い。
 ではいつから意識するかというと、たいてい就学期、
普通の学校に入ることを拒否されて、
初めて自分は他と違うんだと意識したという。
ここにはなかなか示唆的な意味が含まれている気がする。
 もちろん多少の例外はあるだろうが、
それにしても目が見えないとか、耳が聞こえないような子どもまで、

自分は普通だと思って暮らしてゆける五、六年というのは凄いではないか。
 まあ、自分本位の情報不足と無知のなせる業といえばそれまでだが、
近所の子どもらともわりあい混じり遊んだりしている例があるし、
それでもお互いあまり意識しないようなところが不思議だ。
 これを何とか生かさない手はないと思うのだが・・・・。



★きょうの短歌
手作りのロールケーキに何かしら足りないものを呑みこんでいる  東風虎















●第四百八十二回   (2005年12月20日)

 今年はアインシュタイン(1879-1955)が1905年に相対性理論を発表してから100年、
ということでいろいろ顕彰が行われていますが、彼がノーベル物理学賞を受けたあと、
大正デモクラシー時代の日本に招かれて半月ほど滞在したときのことは、
あまりよく知られていなかったそうです。しかし最近当時の日記が見つかったそうです。
 それによると彼は「日本人は世界で最もいい人たちだ」とたいそう持ち上げています。
「西洋の後追いをしないで、この美しい自然と文化を守ってほしい」とも。
 博士にかぎらず、安土桃山時代や江戸時代や明治時代などに来日したかなりの外国人が、
日本人の親切さ、清潔さ、礼儀正しさ、奥ゆかしさ、勤勉さ、潔さ、教養の深さ、
そし恥を知る気持ち、などを感嘆しながら指摘しています。
 そういう美質が今どこへ行ってしまったのでしょう。
私は扶桑社の新しい歴史教科書などに与する者ではありませんが、
こういう美質だけは何とか取り戻したいものだと切に思います。

★きょうの短歌
むぞうがり殺されるのはいやなこった冬の野づらへ逃げ出してくる   東風虎










●第四百八十一回   (2005年12月16日)

 今年も住友生命の公募する創作四字熟語が発表されていた。
「大株主命」「セパ琢磨」「薄衣多売」「郵刺客者」などが入選していた。
 しかし「へのもへ流」の家元としては、あまりめぼしいものがなかった。
あまりにも大きな事件事故が多すぎて、的が絞られなかったのかもしれない。

 私も今年、ギャグがらみで作ったものがいくらかある。

罰監視国、小泉激情、農政麻痺、妄想地区、爺婆産業、古代妄想、憲法窮状、
用心震災、植物性淡白、植物的人間、、胴長嘆息、新党滅却、東北楽天銀行、
愛知急迫、後任会計士、六本木蛭s族、デマ交信、大越冬、縄文式ドキッなどなど。

 こちらのほうがピリリとしてるじゃないかと思うのは欲目だろうか。
こうしてみると、今年も言葉遊びを楽しませてもらったなあ。
来年は私も応募してみようかと考えている。

★きょうの短歌
さよならを言えるだけでも幸せやがばいばあちゃん語録の一つ   東風虎













●第四百八十回   (2005年12月13日)

 佐賀新聞の一面コラム「有明抄」(12月9日付け)で、
(賢)氏がなつかしいガンジーの言葉を紹介しておられた。

「インド建国の父といわれたマハトマ・ガンジー(一八六九−一九四八年)は
人間として絶対にやってはならない「七つの社会的罪」を教えている。
「理念なき政治」「労働なき富」「良心なき快楽」「人格なき学識」
「道徳なき商業」「人間性なき科学」「献身なき信仰」。
今回(耐震疑惑問題)あてはまるのはいくつある。
ただ儲ければいいだけの「道徳なき商売」だけではない」

 ガンジーといえば中学時代に伝記を読んで、
その「無抵抗主義」というものにいたく感銘を受けたものだ。
(そのころ私はイジメを受けていたのでことのほか)
 それから数十年かかって
 「ガンジーの無抵抗主義はやらなくなっても胸に燦然とある」
という短歌に仕つらえることができた。
 世界の指導者たちは「理想論だ」などと冷笑せず、
今こそ襟を正して耳を傾けるべきであろう。

★きょうの短歌
大人用紙おむつのロゴ見えぬよう倒してもらうテーブルの上  東風虎







●第四百七十九回   (2005年12月8日)

 私はNPO法人「たすけあい佐賀」の会員だが、
やり手の会長西田京子さんは主事業の宅老所を次々にオープンさせている。
それだけ需要が控えており、時代の要請にかなっていたのだろう。
各宅老所には全国からの視察がひきもきらない。
 しかし事業の一つであった車いす移送サービスを来春から撤退するという。
国の制度の改正(?)によるものでいたしかたないと言われても、
泊りがけの旅行の介護として頼りにしていた私は途方に暮れている。
 最近は県内にも移送サービスが増えているが、
それらはあくまで移送してくれるだけで介護まではあてにできない。
来年の「はがき通信」広島懇親会はどうしたものかと頭をひねっている。
 そんな宅老所のブームなのだが、きょうのローカルニュースでは
「宅幼老所」というのが紹介されていた。老人だけでなく幼児も預かるという。
お年寄りと幼児が一緒に干し柿作りなど楽しんでいるのだった。
これはうまいっ、と思わず膝を打ってしまった。
 「たすけあい佐賀」でも障害児の預かりはしているのだが、
普通の幼児にまでは手を広げていないようだから、
これは将来大きなライバルになってくるのではないだろうか。

★きょうの短歌
周期的膀胱炎としてあらわれてくる私のやるせなさ   東風虎













●第四百七十八回   (2005年12月4日)

 近藤芳美の戦前の短歌に

 国論の統率されてゆくさまを水際立てりと語り合うのみ

 というのがある。恐らくは今のような時代の空気の中で詠まれたのだろう。
しかし現代の私たちはひそひそと「語り合うのみ」ではない。
 何より巨大な権力と化したマスメディアが黙ってはいまいし、
シビリアンコントロールの培ってきた歴史も足蹴にはできまい、
という漠然とした楽観にどこかしら包まれている。
 とはいえ確かな根拠があってとのことでもない。
 
★きょうの短歌
日曜も祭日もなく書けるとき書いておかねばへのへのもへじ   東風虎













●第四百七十七回   (2005年12月2日)

 ある頸髄損傷のメル友がネットオークションで些細な行き違いのすえ、
 
「大体、障害者が、こんなことやる資格はない。
おれたちが税金で食わしてやってるんだから。
みんないなくなれば、一般人は大助かりだ」

 と言いたい放題の文句をぶつけられたという。
あいも変わらぬ話で、うんざりさせられる。

匿名でしかものの言えぬ連中はあとを断たない。
 とはいえ「憎まれっ子、世にはばかる」ではないが、
こんな人物ほど障害とは無縁な一生を送るのかもしれない。
そして死ぬまで人生の真実に触れえぬままで終わるのだろう。
 幸か不幸かメル友は法律に詳しかったので、
証拠や謝罪や訴訟を匂わせると、相手はたちまち謝ってきたという。
おいおい、謝るくらいなら初めから暴言なんか吐くなよ。
どこぞの政治家じゃあるまいし・・・・・。
 このところ変な大人が増えているなあとは感じていたが、
(たとえば金品を送っても受け取りのメールやハガキ一通寄こさないような例から)
私だってどこで無礼を働いているかわからない。
お互いに気をつけましょうね。

★きょうの短歌
水楢の落ち葉の下の方代さん踏みしめにきておりますよう  東風虎

 











●第四百七十六回   (2005年11月29)

 先日新聞で金満里さん(3歳で小児マヒ、1983年に劇団態変を旗揚げ)の、
新作公演(11/23-27)「月下咆哮」「記憶の森 塵魔王と精霊達」(大阪難波の精華小劇場)、
の案内が載っていたので、見たいなあと思いながら、遠路なので諦めた。
 もしどなたか見られた方がおられたら感想を聞かせて下さい。
 
 金満里さんのことは、以前取材にこられたフリーライターの加藤薫さんが、
お土産にくださった大阪の雑誌で初めて知ったのだが、
そのインタビュー記事を読んでただものではないと畏敬していた。
 何よりも「態変」というネーミングに唸ってしまう(笑)

★きょうの短歌
ねり柿にしてまで食べていた頃のひもじさなんてぜいたくな話   東風虎
 













●第四百七十五回   (2005年11月26)

 湘南のどこかに石原都知事の小説「太陽の季節」の碑ができた、
と数日前に報じていた。石碑に彼の直筆の一節が刻まれているとか。
 それを聞いてちょっと意外だった。
彼はその手の顕彰を一番嫌うタイプだと思っていたから。
(「太陽の季節」はまさしくそういう小説だった)
しかも自分の生きているうちにおっ建てようとは!
 かつて「句碑や歌碑というものは道端の犬の糞のようなものだ」
と言い放った地方の女性俳人がいたが、彼は知らなかったのだろう。
文学者としての彼の矜持はどこにあるのだろう。
 おまえさん、そんな潔いようなことを今は言ってるが、
年取ってから取り巻き連中が「建てさせてくれ」と懇願してきたら、
果たして断りきれるのか? 
あるいはお上から勲章を打診されたら断りきれるのか?
とそそのかすような声が身裡から聞こえてこないわけではないが、
まあ、私にかぎってそんな話がくる心配はまずもってあるまい。
 だからこそこんな気楽なことが言えるのだ。

★きょうの短歌
驚いて飛びたつカラスそのあとに私らの屍(し)のようなものも見える   東風虎








 





●第四百七十四回   (2005年11月24)

 この数日、野良クロが床下のどこかの破れから私の部屋へ入り込み、
図々しくも夜じゅう蒲団の足許に丸まって寝るようになった。
さすがに外は寒くなってきたのだろう。一度電気毛布の暖かさに味をしめたら、
もうちょっとやそっとの叱声ではどかない。手も届かない。
 まあね、そんなふうになつかれて悪い気はしない。
とはいえ蒲団の端で寝ているうちはいいが、だんだんと横着になってきて、
私の足の間の手ごろな窪みにすっぽりと納まり大の字になったりする。
 それもまだ許せるが、私の足首の上などに乗っかかるともういけない。
足に感覚がないから知らぬまま何時間も過ぎてしまうと、
その裏の部分が重みで赤く褥瘡になりかけるのである。
 おかげでどうも小便の出まで悪くなってきた。
あろうことか尿の中に小さな血塊まで混じるようになった。
膀胱炎の気配さえしているきょうこのごろである。
(私は周期的に膀胱炎になる)
 しかたなく、いつも出入りしてくるガラス障子の穴をガムテープで塞いだら、
案の定夜中に何度か障子紙にぶつかる音がしていたが、
諦めたらしくそれっきり忍んでこなくなった。
何やら牡丹灯篭めいた話になってきたなあ。
 やれやれ。ひと安心ではあるが、内心ちょっと寂しい。

★きょうの短歌
新潟は初雪という切ないね多恵子のたえは耐えるのたえか   東風虎











●第四百七十三回   (2005年11月23)

 学生のとき、遊び友達の先輩がいた。
よく一緒にパチンコや麻雀やボウリングやコンパをした。
当時流行っていたパチンコ屋の雀球コーナーでインチキをして、
店員に見つかり二人で大目玉を食らったこともある。
徹マンの夜はそのまま私のアパートで雑魚寝したりもした。
 それほど仲の良い先輩だったが、私が頸髄損傷の障害を負ってからは、
確か入院中に一度、退院してすぐの頃に一度見舞いに来てくれたきり、
その後30年ちかく何の音沙汰もない。
公務員(のち官僚)になり、お見合いで美人の奥さんを貰われたそうだが。
 遊び友達というのはしょせんそれくらいのものでしかないらしい。
別に恨み言をいうつもりではなく、思い出すたび苦笑いしてしまう。

★きょうの短歌
朝起きてまずパソコンに灯を入れる竈を起こす嫁もなければ   東風虎

 







●第四百七十二回   (2005年11月15)

 鬼塚ちひろの「月光」という曲がある。
「この腐敗した世界に堕とされて」
「こんなもののために生まれたんじゃない」
 というような歌詞がつづく。
若者たちが好んで歌っているようだ。
あの俗物的なNHK「のど自慢」でさえよく歌われる。
 上の歌詞を聴くたびに私はヒリヒリさせられる。
自分が責められているようで身の置き処がなくなる。
すまない、申し訳ない、と思う。
 しかし大人の中には「甘ったれたことを言うな」
「自分だけが苦しんでるような被害妄想に捉われるな」
「昔から大人の世界は腐っている」「それをぶっ壊すのが若者じゃないか」
「いや、こんな世界にも見るべきものはある」
 などという反論も湧いてくることだろう。
いずれにしても鬼塚の今後の歌が試される。

★きょうの短歌
福岡では九千組が結婚し四千組が別れるという   東風虎













●第四百七十一回   (2005年11月11)

 テレビの深夜映画で「視線のエロス」(フランス)を見た。
(フィリップ・アレル監督、イザベル・カレー主演、フィリップ・アレル、1997年)
数年前にも見て気に入ったものだ。
 妻子もちの男が若い女と不倫する、という他愛ない話だが、
全編男の視線がカメラとなっているという異色作。
 なんといってもイザベル・カレーが美しい。
好きな男に見つめられる嬉しさや恥じらいや小悪魔ぶりをうまく演じている。
エロスといっても女の全身をねめ回すように見るわけではない。
それだとただのスケベ映画で終わっただろう。
アメリカ映画ではとうてい出せない味がある。
 今年も押し詰まってきて、こんな映画を見れて嬉しい。

★きょうの短歌
泣きたくてアルビノー二のアダージョの最後の一分間に悶絶  東風虎











●第四百七十回   (2005年11月8日)

「とろうのおの集」(22)

彼岸花にはアゲハ蝶がよく似合う私に車いすが似合うように
熟れ柿の落ちてくるのを咽喉あけて待っているのか電動車いす
原爆を落とされて糾弾もせずハワイくんだりまで行き来する
ボビーとはロバートの愛称と知るバレンタインが宙に舞うころ
千羽鶴折るという字は祈るという字にとてもよく似ている夕べ
さりながら出口調査というものに一度も呼び止められたことがない
金持ちはますます金持ちになってこちら散歩に精だしている
勝ち組といういやらしい言いぐさに私も組みこまれているなんて
勲章を打診されたらどう言って断ろうかと頭が痛い
ゴミ屋敷主人おおかた要領をえぬ一家言なりともあれよ   
かの国をわらう六十年前のこの国をわらうように苦く
日中の若者すでにネットでは戦争状態という物騒な
頬っぺたがかぶれないかと心配になるほど泣いてヒロインとなる
冬瓜のおナマスひと口ふた口めまでは涼しくいただいている
焼酎を変えてうんこが出なくなる違いのわかる男のお腹
横塚の「うんこを取らせてやる」とまでは思いきれないへのへのもへじ
障害児の親はなかなかがんばって長生きしちゃうコスモスの花
液晶のパソコンに替え気のせいか小便の出がよくなっている
低血圧は長生きすると言われても白濁の海に難破してゆく
顕微鏡のぞいている目がいつのまに望遠鏡にすり変わっている










●第四百六十九回   (2005年11月7日)

 今年は何の変哲もない一年になりそうだと思っていたら、
ここへきてがぜん賑やかになってきた。
 たとえば最近これほど嬉しいニュースはないものとして、
嬉野町の町営住宅「下宿団地」の新築工事が10月から始まったのである。
もちろんその中には(電動)車いす向けのバリアフリー住宅も二棟含まれている。
私が十年近くも要望してきたものが、ようやく実ったのである。
 町長や福祉課やソーシャルワーカーやヘルパーさんは言うまでもなく、
1999(平成11)に文学仲間でもある町議のIさんに陳情したところ、
平成
13年から着工予定だと聞かされ喜んだが、それからもう4年もオーバーし、
さらに2001(平成13)4月の公会堂における町身障者福祉協会の総会で、
質疑応答のとき質問したところ、来賓として出席しておられた町福祉課長
が、
「平成
15年には完成するから」と直接私に親しく確約して下さった。
それを聞いて私は今度こそと大安心し、楽しみに待っていたのだが、
それからもさらに2年がいたずらにオーバーしてしまった。

 責任ある地位におられる方々に二度も肩すかしを食らう格好となり、
私はことのほか落胆し、不信感にとらわれ、しばらく立ち直れないでいた。
とはいえ長引く不況だし、どこの自治体でも財政難に苦慮しているのだから、
何とか辛抱しようと自分に言い聞かせていたところだった。

 それでもやっぱり辛抱ならず、景観整備検討会でつながりのできた建設課へ、
件の要望書をメールで送ったら、その翌日の町報に工事開始の記事が載ったのである。
まったくなんというシンクロニシティーだろう。
 バリアフリー住宅なら天井走行型の電動リフターをはじめ、
ウォシュレット型トイレや車いす向け浴槽、台所、玄関などが整備できるので、
介護者の負担も大幅に軽減され、自立の大きな手助けとなる。
無年金障害者にとっては公営住宅が頼りなのである。
おそらく抽選になるだろうが外れた時のことは考えていない。
 もちろんヘルパーさんには毎日通ってきてもらわねばならないが、
(障害者自立支援法などでの私の介護時間上限は月に30時間)
その他の介護サービス業者とも深夜の見回りなど契約を交わすことで、
ようやく母や家族の肩の重荷を解き放ってやることができる。
何とか母が元気なうちに、私の自立した姿を見せて安心させてやりたい。

★きょうの短歌
横塚の「うんこを取らせてやる」とまで思いきれないへのへのもへじ  東風虎









●第四百六十八回   (2005年11月6日)

 柴崎昭雄さんからの情報で、川柳句集「風の家族」を読みました。
作者の島道代さん(70歳)は青森在住、視覚障害、第八回「川柳Z賞風炎賞」受賞、川柳歴17年。
 今年目にした障害者関係の本では出色かもしれません。
皆さんも一度手に取ってみてください。
 (〒030-0812 青森市堤町2-2-11 正和荘5号 電話017-722-7249)
お近くの図書館にリクエストして下さるのもありがたいです。

沖へ漕ぐもつれる髪はそのままに
喉笛や石と転んでゆく地平
糸切れて生家は冬の陽炎に
木枯らしの聞こえる握り拳かな
風を待つ花野を少し飛ぶために
摘み草のこの眼裏のぬかる道
春宵の十指はどれも泣き虫で
目つぶしの花ぼこり以後沙汰無き風
黴臭き人形なれば死にやすく
しめやかに雪を降らせて秘する狂
うなだれて独りの春の羽繕い
転がせば鳥の形になる炎
花鋏夢を見るのも夢の中
まだ底があるのだろうか雪まみれ
飛び石の片足あげたまま冬に
母がまた泣いているのか水漏れる
ぶらんこの私が眩し舞台裏










●第四百六十七回   (2005年11月5日)

 今日は佐賀県文学賞の授賞式に審査員として出席してきました。
短歌の審査員の塘健さんなどと初めてお話できて気がすみました。
短歌(一般)の一席者はすごい美形でしたよ(笑)
 式の前に白山アーケード内のエポック21通りにある
NPO法人「お世話宅配便」(原口恭輔副代表)の事務所を訪ねてみました。
「かささぎの里」入居者たちの絵手紙展が開かれていました。
そのあと道に迷って佐賀ん町をぐーるぐる、
式にも遅れてしまいました(笑)。
 ともあれ頸髄損傷の原口さんはじめ四肢マヒ者たち自身が事業を立ち上げるのは、
佐賀ではかなりすごいことだと言えるでしょう。
お祝いに肥前吉田焼きの白磁の花瓶を置いてきました。
 「お世話宅配便」では障害者の移送サービス(佐賀市近郊)を主に行っています。
私たちにとっても選択肢が増えるのはありがたいことです。
ご参考までに詳細を記しておきましょう。

○NPO「お世話宅配便」〒840-0826佐賀市白山2.6.36 電話0952-26-5271
  e-mail  npo_osewa@yahoo.co.jp
  入会費1000円、年会費2000円、初乗り600円+ガス代 40円/km。

★きょうの短歌
障害児の親はなかなかがんばって長生きしちゃうコスモスのころ   東風虎












●第四百六十六回   (2005年10月31日)

 今年もこの日がやってきた。
ある意味で9月18日の誕生日より忘れえぬ日である。
1974年10月31日の午後6時ころ、夕闇迫る佐賀大学の体育館のマットで、
私は前宙一回半の手付きそこないミスで頸髄損傷(5・6番脱臼損傷)となった。
 (ただし30日だったかもしれない。それほど当時の記憶は朦朧としている)
 あれから31年がたった。よくぞ生き延びたものだと思う。
佐賀市内の佐藤外科から二日で転院して担ぎ込まれた国立嬉野病院の、
東一病棟(整形外科)の112号室で全身マヒのまま寝たきりであった頃は、
まさかこれほど回復するとは夢にも思わなかった。
その間どれほど多くの方や物や本や思い出にお世話になったことだろう。
 今では一人で好きな時に起きて電動車いすに乗り、好きな所へ行ける。
好きなものを着て、好きなものを食べ、好きなことに打ち込み、好きな人に会う。
あのとき諦めてしまわないで本当によかったと思う。

 そんな記念日なのに、眼鏡のツルが両方ともひび割れてしまったので、
行きつけの西時計店まで交換しに行ったら、お客の女性から恐る恐る呼びかけられた。
それはなんとあの幼馴染のミッコちゃんであった。
ミッコちゃんについては下記のサイトに詳しいのでご参照下され。

 http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/furusato/furusato-top.htm

 実に40年ぶりくらいであった。あまりにも長い空白のため、
すぐには面影が甦ってこず失礼してしまった。とはいいながら
当時のやさしくなつかしく平凡な眼元や口元や声音を忘れるはずがない。
感激のうちによもやまの話を交わしていると、ミッコちゃんは涙をぬぐった。
ミッコちゃん、泣かないで・・・・・・・。
泣いたら私の人生を否定することになるじゃありませんか。
 そのとき私は眼鏡をはずしていたので、実はよく見えていなかったのである。
いつもデジカメを持ち歩いているので、記念に一枚撮らせてもらったのは言うまでもない。
そして帰ってからパソコンにつないで大写しにしてみると、
あのミッコちゃんにもやっぱり歳相応の風雪が吹きすぎていた。
 それを見て、私は40年分の憑きものが落ちたような気がした。

★きょうの短歌
低血圧は長生きすると言われても白濁の海に座礁してゆく   東風虎














●第四百六十五回   (2005年10月27日

 下記の合瀬さんについて追伸。
彼女は亡くなる数年前から、近くの工場に出稼ぎにきている
中国女性たちを休日など家に招いて歓談するのを楽しみにしておられた。
ご自分も満州生まれだから他人事のような気がしなかったのだろう。
 ネットの世界ではすでに日中の若者が戦争状態に入っている、
などという物騒な話も聞くが、おいおい、少し頭を冷やしてほしい。
 個人レベルでは上のような地道な交流もひたひたと続けられている。
そういう積み重ねを忘れないようにしたいものだ。

★きょうの短歌
ペン先にバンドエイドを巻きつけて保護のみならず掃除もかねる  への











●第四百六十四回   (2005年10月24日)

 佐賀郡富士町北山の詩人合瀬智慧子さんが亡くなられた。
ガンと聞いていたので覚悟はしていたが、さすがにこたえた。
 合瀬さんは満州から引き揚げる難渋のなか脊椎カリエスを負い、
障害を抱えながらも佐賀新聞詩壇、「詩芸術」誌などで詩を書き続けておられた。
私も福岡の同人詩誌「融合」などで一時期ご一緒していた。
 手法は違っていたが、障害を負いながら共に切磋琢磨してきた。
昨年、私のハワイ土産のキーホルダーをことのほか喜んでもらったのが最後となった。
詩集に「二人しずか」などがある。
 そのうち代表作とも呼べるものをご紹介しておこう。

    「神水川」      合瀬智慧子                          

文明という名の糸を逆にたどれば
かならず何処かの河口に辿り着ける
流れの音はべての生物を引き寄せ
岸辺に集い睦みあって
人は言葉を持たない太古の時代から
あらゆる生物達と自然の恵を分ち合い
流れに沿って生きて来た

命と心に通じ合う
たとえば火  たとえば風
人は体を流れる二つの管の
濁った流れが清められて行くように
水の中にも神を住まわせ
愛を浮かべ様々な想いをたくし
信じることだけを知っていた

草木の露と
岩の間を潜り出たばかりの雫が
透明な一すじになった神水川
雷山のふところに抱かれて
山女はまだうらうらとまどろみ
早くも腕まくりをした猫柳が
ひたひたと水面を打ち
風に流された寒椿が漂う神水川

渕に憩い瀬を走る流れの面に
浮彫にされた季節の顔が
人の心を未来に誘う
                   (佐賀詩集’87から)
 











●第四百六十三回   (2005年10月23日)

 中越地震から一年たった。
まだ仮設住宅暮らしの方が九千人もおられるという。
高齢者世帯が多いので一度出てからまた戻ってくる例もあると。
 何やらハンセン療養所を思い浮かべさせられたりする。
悪名高い「らい予防法」が廃止されても園を出る人は少ないという。
世間や故郷の偏見の根強さが壁になっているのみならず、
高齢になってから新しい環境に踏み出すことの困難さが察せられる。
 その点、島比呂志氏の例は貴重である。
とはいえ氏もまた数年の新生活しか送れなかった。
 実をいえばわが上流にできたダムのため、
下流に移転して行かれた世帯(いわゆるダム御殿)のうち
この十年で亡くなられたお年寄りは両手の指に足りない。
 ことの過酷さがわかる。ご冥福を祈るばかりだ。

★きょうの短歌
冬瓜のおナマスひと口ふた口めまでは涼しくいただいている   東風虎












●第四百六十二回   (2005年10月19日)

 国会議員の議員年金が来年度から廃止されることになった。
国民感情からしてそんなの当たり前じゃないか、
さっさと廃止してみんな国民年金に入ればいいのだ、
と憤懣をかこってきた人たちもようやく溜飲を下げていることだろう。
 たったそれだけのことがこんなにも長らく改革できなかったのは、
議員たちに「自分たちは一般国民よりえらいのだ」という意識があるからだろう。
国会議員にかぎらず地方の自治体の選挙でもそうだ。
 当選して議員という肩書きがつくと、突然別の人種になってしまうようだ。
本人の意識だけでなく周囲の扱いも変わってしまうからいけない。
昨日まではただのおっちゃんだったのに(笑) 
 憲法にも定められているように職業に貴賎はない。
国会議員も百姓も人間としての値打ちに何ら変わりはない。
(そんなキレイゴト言ったって現実は違う、という人もいるだろうが)
 いずれにしても議員を特別視する風習はもうやめよう。
これは何よりも私自身に言い聞かせていることである。
なにしろ議員の前に出るとなぜだか卑屈な気分になるから(苦笑)

★きょうの短歌
金持ちはますます金持ちになって私は散歩に精だすばかり  東風虎














●第四百六十一回   (2005年10月14日

 毎日毎日奇矯な事件が起こるが、その中でもひときわ仰天したのは、
ある老人ホームに入所中の認知症の女性が足の指を猫に食いちぎられる、
という事件だった。それもひと晩の出来事らしい。
 詳しいことはわからないし、まだ犯罪性も疑われているようだ。
いずれにしてもどうして足の指なんかが食いちぎられるのか?
 それについて私は「死体は語る」(上野正彦著、文春文庫)を思い浮かべた。
(上野氏は長年警察の監察医として解剖に当たった人)
 その中にある住所不定無職の老人の謎の死が記されている。
その男性は性器とその周辺が猫に食い破られていたという。
一体どういうわけなのかと著者があれこれ調べたところによると、
男性は缶詰の汁を性器になすりつけて猫に舐めさせていたらしい。
一人暮らしを慰める哀れな行為であったろう。
 ところがその後男性が病気などで餓死してしまうと猫は餌をもらえず、
しかたなく男性の性器にかすかに残った汁の匂いに引かれて、
そのあたりを食い破ったらしい。猫の歯とはかくも獰猛なものらしい。
そんなこともあるのかと私は絶句したものである。
 今度の場合は本人が認知症だというし、施設内での出来事だから、
ひとしなみに扱うことはできないけれど、それだけに犯罪性も疑われる。
 ともあれ人間はどんな死に方をするか(自分では)わからない。

★きょうの短歌
かの国をわらう六十年前のこの国をわらうように苦く   東風虎












●第四百六十回   (2005年10月13日)

 今朝の佐賀新聞の一面コラム「有明抄」に、
「とろうのおの集」のことが取り上げていただいていた。

 http://www.saga-s.co.jp/pub/column/index.html

 それはまあ有難いのだが、「とうろうのおの集」と間違えてあり、
ちょっとばかり(というよりかなり)ガッカリだった。
 私が定期的に配信している「とろうのおの集」を、
「とうろうのおの集」の間違いだろうと勝手に判断して、
向こうで訂正してくださることがよくある。
 ひとこと私に確かめて下されば氷解することなのだが。
いまだに誤解しておられる方が多いようなので、
この日誌の第四百二十回(2005年7月10日)をご参照下さい。

★きょうの短歌
ゴミ屋敷主人おおかた要領をえぬ一家言なりともあれよ   東風虎













●第四百五十九回   (2005年10月8日)

 メニューに「虎の穴」を付け加えた。
まだワープロやパソコンを使っていなかったころ、
不自由な手書きで仕上げた作品をあらためて再入力してゆく予定。
 まず第一弾めは24年前の作。大人のための童話とでも言おうか。
かつて「新郷土」誌の「文学月評」で詩人の堤盛恒さんが、
「その雑誌の存在意義とでも言うべき作品が載るのは嬉しいことである」
と評してくださったことが昨日のことのように新鮮に甦る。
 文字通り「虎穴に入らずんば虎児を得ず」の気がまえで、
読みこんで下されば幸いである。

★きょうの短歌
勝ち組といういやらしい物言いに私も組み込まれているなんて   東風虎












●第四百五十八回   (2005年10月4日)

 先日、買い物に行った帰り、小学校の前をとろとろ歩いていたら、
小川沿いのガードレールに山芋(長芋)のツルが巻き上がっていて、
葉っぱの陰にはムカゴがびっしりと実りついていた。
 思わず惹きつけられて触ると、すぐにぽろぽろと落ちてしまう。
十分に機が熟してもうこらえきれないんです、という感じである。
 それにしてもガードレールはアスファルトの舗装路と
コンクリートのブロック護岸あたりに突き立っているもので、
いったいどこからツルが伸びてきたものか。
 いずれにしても、いたずらにぽろぽろ落ちるのがもったいなくて、
私は萎えた手に一個を受け止めるとそのまま口に入れてみた。
子どもの頃には野生の自然薯のムカゴをおやつ代わりに食べたものだが、
大人になってからは初めてである。 
 茶色の皮と緑色の実の境目に淡い苦味があり、
それを我慢して噛みつづけるとぬめりが出てきて、
あのなつかしい味と記憶が甦ってきた。
 しかしそのあとどうも腹のおさまり具合がよくない。
交通流の多いところだから排気ガスや粉塵も相当浴びているだろうし、
本来はご飯にまぜて蒸して食べるものだからだ。
 野いちごやツバナや桑の実などを食べても同じような感じがする。
一体どちらが変わってしまったのだろう。

★きょうの短歌
千羽鶴折るという字は祈るという字にとてもよく似ている夕べ   東風虎











●第四百五十七回   (2005年9月28日)

 年に一度の大旅行(笑)も無事終わり、
今年の主なイベントは11月の県文学賞の授賞式を残すのみとなった。
(「ペン人」30号発行については何とも言えない)
しばらくはのんびりした気分で過ごせそうだ。
 山際の散歩道には熟柿がぽとぽと落ちるようになった。
落ちたばかりの熟柿の割れめから覗く果肉は宝石のようだ。
今年はあたり年らしくどの木もたわわに実っている。
 しかしあんまり食べられているような気配はない。
昔は子どもたちのおやつ代わりだったのだが。
愛犬が元気なころは散歩のたびに拾い食いしていたものだ。
 以前遊びにきてくれた佐賀大学の斎場三十四さんも、
お茶うけに出した大富士の熟柿を大喜びでかぶりついてくれた。
 それでふと思い出した光景がある。
学生時代に相知町の農協倉庫へ電話線埋設工事のバイトに行き、
仕事のあと倉庫横に捨てられていた傷もののミカンの山を見て、
もう一人の学生が「もったいなかなあ、食べられるとやろう?」と言って、
本当に何個かぱくぱくと食ってしまった。
 私も喉は渇いていたが、食べる気にはならなかった。
中には腐りかけてカビの生えているものもあったからだ。
私は決して裕福な育ちではないのだが、変な気取りがあった。
しかしその一件が今でもときおり胸をよぎる。
 ちなみに評論家の故大宅荘一氏も列車などに乗って、
窓や床にミカンの食べ残しがあると平気で食っていたという。
大宅氏やその学生はさぞかしたくましく生きたことだろう。

★きょうの短歌
海の字に母がひそんでいるようになつかしいです門司港レトロ   東風虎











●第四百五十六回   (2005年9月25日)

 昨日、小倉から帰ってきました。
ハワイ以来一年ぶりに頸髄損傷の友らに再会できました。
藤田さんはじめ福岡勢の皆さんお世話になりました。
 「はがき通信」懇親会(生涯学習センター)のあとさきに、
松本清張記念館、小倉城(庭園)、リバーウォーク、門司港レトロなど見物してきました。
清張記念館の書斎や応接間や書庫の復元に圧倒されました。
 門司港レトロの中では駅舎が今に息づいていました。
小倉リーセントホテルは四階建ての控えめなものでしたが、
角部屋からの眺めは素晴らしいものでした。
 また土屋さんのヘルパーさんや藤川景さんの奥さんや松下さんほか、
この掲示板や「脊損ニュース」誌を読んで下さっていて感激しました。
 あいにく生まれて初めてのフグは食べそこなったので、
門司港駅で「フクのひれ酒」など買ってきました(笑)。
香ばしくて美味でした。味りん干しも買ってくればよかった。
 もうひとつある下世話なことに挑戦しようと目論んでいましたが、
見事にすかされてしまいました。

★きょうの短歌
原爆を落とされて糾弾もせずハワイくんだり水泳に行く   東風虎










●第四百五十五回   (2005年9月20日)

 宝塚市の岸本康弘さん(脳性まひ、詩人)がネパールで運営しておられる学舎の、
子どもたちの作品展が開かれますので、お近くの方は覗いてみて下さい。
 私も文学仲間としてわずかばかりの支援をさせていただいております。

★9月26日(月)-10月8日(土) 午前10時から午後6時まで
★西宮市甲子園浜田町3.15 ギャラリー「Saya(サヤ)」
★10月8日午後2時には岸本さんのトークもあります。
★連絡先 0798.34.2039 

 それにしても、「きしもと学舎の会だより」(6号)によると、
岸本さんの献身的努力にもかかわらず、ネパール政府は公立校として認可し、
いろいろ制約を課したり税金を徴収しようとしてくるという。
 つまり政府にとって国民が教育を受け民度が高まることは歓迎できず、
なるべくなら文盲のまま支配しておきたいという本音がかいま見えるという。
発展途上の国ではある程度独裁的な政権が必要悪だという意見もある。
 なんとまあ、世界はいろいろである。

★きょうの短歌
香港にディズニーランドまだそんな土地が残っていたなんてなあ   東風虎









●第四百五十四回   (2005年9月19日)

 このごろ新聞に「障がい者」という表記が増えてきました。
「害」という語意と語感が悪いので、ひらがなにしようという、
障害者の側からの要望などもあってのことでしょう。
 しかし小学校低学年の国語でも見ているようで、いまいちですねえ。
それに「障(さわ)る」の語意だって悪いのですから、
こちらも変えないと不公平でしょう。
 あるいは「チャレンジド」というのもよく使われます。
神から試練に挑戦するように定められた人だから、
(あるいは神から挑まれている、という説も)
というニュアンスのようです。
 しかし障害を神から与えられた試練だとか、
神は本人が乗り越えられないほどの障害をお与えにはならない、
というような言い方にはどうも馴染めません。
 だって障害は障害なのですからね。それ以上でも以下でもありません。
なるべく「素」の状態から始めたいと思います。
 いずれにしても障害者の呼び方にはみんな苦心しています。
「熟年」とか「認知症」など定着している造語の例もありますから、
何かうまい呼び名を思いついたらノーベル賞もんですぞ(笑)。

★きょうの短歌
彼岸花このごろへし折られもせず首を洗って出直してくる   東風虎









●第四百五十三回   (2005年9月16日)

 数日前にもバグダッドで自爆テロが起こり、
150人ほどが死亡したと伝えていた。
 しかし日本ではほとんど気にも留められなかった。
おそらくアメリカでもそうであったろう。
 もしこれがイラク戦争のない時の話だったら、
世界中を震撼させるような大ニュースであろう。
 それほど私たちはマヒさせられてしまっている。

★きょうの短歌
彼岸花にはアゲハ蝶がよく似合う私に車いすが似合ってるように   東風虎










●第四百五十二回   (2005年9月15日)
 
 柿の実も色づいてきた。
にもかかわらず残暑がぶり返して、エアコンをつけずにおれない。
 そこへ馴染みの電器屋さんが汗をふきふき御用聞きにきて、
「こんなところにしばらくいられたらよかろうばってん」という。
 彼は嫌味をいうようなタイプではないから、他意はないのだろう。
しかしそう言われるとこちらは肩身の狭い思いをしなければならない。
この残暑のなか外で力仕事している人たちはさぞや暑いことだろう。
 それがベッドから思いやれないわけではない。
しかしこちらも喘いでいるからついつい忘れがちになる。
外で元気に働けるならそれが一番幸いじゃないか、
とぼやきたくもなるというものだ。
 かくして、起きだしてこんな日誌をしたためている。

★きょうの短歌
熟れ柿の落ちてくるのを咽喉あけて待っているのか電動車いす   東風虎












●第四百五十一回   (2005年9月12日)

 彼岸花が咲きだした。
衆議院選挙で母校の体育館に投票に行ったら、
グラウンドで思いがけず小中合同の運動会が開かれていた。
 もうけものと恒例の「面浮立(めんぶりゅう)踊り」だけ見て、
(私たちも踊った伝統演目で、これを見ないと運動会の気分にならない)
そのあと嬉野の市街へまわった。
スーパーで松茸弁当を買って、肥前夢街道で美味しくいただいた。

 そんな中、掲示板四つがようやく復旧した。
今回はsakura internet という有料のサーバーと契約したので、
以前の無料のトクトクのように時々不通になったりはしないだろう。
何よりも広告バナーが入らないのがせいせいする。
 それにしてもサーバーにもピンからキリまであって、
sakura-internetは年会費1500円という安さが気に入った。
まあその分容量も小さいのだろうが、
個人のホームページにはさして不自由もあるまい。
 つきましては皆さんのご訪問をお待ちしています。

★きょうの短歌
さりながら出口調査というものに一度も呼び止められたことはない   東風虎












●第四百五十回   (2005年9月9日)

 ナベツネさんの「たかが選手がー」発言にとどめを刺されて、
日本のプロ野球に対する興味が完全に失われてしまった。
 テレビ中継も新聞記事もほとんど見なくなっていたが、
最近ちょっと気になる選手が登場してきた。
 千葉ロッテの渡辺(俊)選手である。
知る人ぞ知る(今どき珍しい)本格的アンダースローの投手で、
その流麗なフォームを一度でも見た人は虜になるに違いない。
 アンダースローといえば元阪急の山田・足立投手くらいしか記憶にない。
それほど難しい投法らしい。身体の柔らかい者でないとつとまらないし、
足腰に負担がかかるし、球筋が浮いて見究められやすく、
フォークやシンカーを投げるのも大変で、選手生命も短いという。
そんな中、渡辺投手はそこそこの成績を残しているから凄い。
 私は実は以前から『左のアンダースローを作ればいいのに』と思っていた。
元ライオンズに永射という左のサイドスローはいたが、
完全なアンダースローというのはまだ見たことがない。
左の強打者が多くなってきた球界にはある程度通用するんじゃないかと。
 だからあえて人工的に作るのである。
左投手の中から伸び悩んでいるような選手を極秘に選び、
プロ野球界の発展のためと因果をふくめて説得する。
寿命が短くてもある程度フォローするとかなんとか。
 そんな選手がリリーフなどに出てくるなら、私はぜひとも見たいと思う。
右投げの渡辺選手でさえこれだけ話題になるのだから、
その特異なフォームはさぞかしビジュアルに映えるであろう。
プロ野球にはそういうサービス精神も求められている。
 こんなことを言うのも、ある思い出がよぎったからである。
30数年前、わが高校の野球部のエースも右アンダースローで、
私が学園祭(赤門祭)の応援練習のあと、他のリーダーたちと休んでいた高校裏の神社で、
たわむれにエースのまねをしてふりかぶり石ころを石垣に向けて投げてみせると、
「うちのエースよりかっこいい!」とみんなに称賛されたりした。
 それもそのはず、私は孤独な少年でひとり遊びが好きで、
よく家の前の河原で石ころを投げて遊んだりしていたのである。
大きな石の上に小石を十個ぐらい積み上げては、
それをさまざまなフォームで遠くから狙って打ち崩すのである。
足場が悪いところを踏ん張って投げるのに、なかなかの命中率だった。
何やら賽の河原を思わせて気味悪いでしょう(苦笑)
 のみならず、私には星飛雄馬の大リーグボールにも劣らぬ魔球があった。
腕がことのほか長かったので、普通のフォームで一度投げるまねをして、
そのまま腕を腹の下へぐるりと一まわりさせ、背中越しに投げるのである。
 たいていの人はこれを見て口あんぐりとなったものである。
プロ野球でも誰かやってくれないかと思う。

★きょうの短歌
官邸のホームページからこのたびも決まり文句の返信がくる   東風虎












●第四百四十九回   (2005年9月8)

  「とろうのおの集」(21)

サーカスとパンを与えられ滅ぶのはごめんこうむる蟷螂の斧
わからないことがあるから生きてゆくさるすべりの花こぼれる下を
ふがいなく精霊トンボも腹はへり稲田すれすれぎらついている
涼やかの浴衣姿をキャミソール席巻してしまいそうな夏まつり
さりながら解消すべきストレスがあるとも思えないあなたたち

二尺玉向きを変えれば大砲となるすれすれの夏祭りころ
戦争に賛成という人間は一人もいないのに起こりつづける

ヒロシマの徒労のような祈念ゆえここまで使われずにすんでいる
官邸のホームページからこのたびも決まり文句りの返信がくる
カーテンの襞に閉じ込められているおはぐろトンボほどの雄叫び
医院まで薬もらいに炎天へ電動車いすから発火しそう

どの家にも表に出せぬごたごたの一つや二つドクダミの花
必ずしもあって困るもんじゃないわけじゃない美学もあろう
となり家の娘もブラジャーを干すようになって郵政民営化案
NНKラジオ子ども電話科学相談くらいでちょうどいい

合唱コンクールにときめかないのはタモリと私だけだろうか
心臓を腑分けしたならずたずたにナイフの痕が認められよう

猫でさえ家出してゆく朝焼けに電動車いすパンクする
選挙って見世物じゃないだがしかしそうなのかもしれぬありさま
新しい歴史教科書採択は〇・四パーセントが物語るもの
内観などむずしいこと言わずともあなたに映し出されている私
朝起きてきょうは一日何をして過ごそうか途方に暮れていた
台風の目に入りこみ裏山のツクツクホウシも鳴きだしている







 

●第四百四十八回   (2005年9月6日)

 現在(午後四時二〇分)台風14号の目に入った。
先ほどまでの風雨が嘘のように静まりかえっている。
裏山ではミンミン蝉まで鳴きだした。
 しかし青空までは見えてこない。
かねてから台風の目の青空を見てみたい、と願っていたが、
なかなかど真ん中というものには巡り合わないようだ。
勢力が弱って目がなくなったのかもしれない。
 この台風はアメリカのルイジアナ州ニューオーリンズを水没させた
過去最大規模のハリケーン「カトリーナ」よりも暴風雨圏が広い、
と脅かされていたわりには(こちらは)たいしたことない。
まだ吹き返しがどの程度になるかわからないが。
 しかし一人暮らしの障害者などはさぞかし心細いことだろう。
私も母が不整脈で五日前から入院しているので、よくわかる。
幸いヘルパーさんが臨機応変に対処してくれているので、
今のところ何の不自由もないのはありがたい。
 とはいえ深夜の予想外の粗相などを考えると、
なんとはなしに落ち着かないきょうこのごろである。
こんなときのために会員となっておいた
他の介護サービス業者などもうまくやりくりせねばなるまい。
 そんなときに台風や選挙とはうんざりだ。

★きょうの短歌
選挙って見世物じゃないいやしかしそうなのかもしれぬありさま   東風虎














●第四百四十七回   (2005年9月1日)

 人の性分というものはなかなか変わらない。
おしゃべりな人に「しゃべるな」というのは拷問に等しいし、
無口な人に「しゃべれ」というのも似たようなものだ。
とはいえ一生そのままというのも何か愛想がない。
 そんなときは「別の人格を演じるんだよ」と、
あるベテランの俳優が言っていた。もっともらしいことだが、
私はなぜともなく違和感や不快感を抱いた。
 ドナ・ウイリアムスの自閉症に関する本などで、
多重人格に苦しむ姿を見聞きしていたからかもしれない。
 実際その俳優は実生活で二度も離婚している。

★きょうの短歌
新しい歴史教科書採択は0.4%が物語るもの    東風虎











●第四百四十六回   (2005年8月28日)

 あれほど長い年月、障害者(団体)が切望してきた無年金者救済問題。
その願いが一部認められて支給が始まった特別障害者給付金だが、
現在までに申請したのが全国でわずか600人にすぎないという。
 学生時の無年金障害者だけでも数千人はいると言われたきたのに、
これはいったいどういうことだろうと役所も私たちも首を傾げている。
あれだけマスコミでも取り上げられたのに、まだ決定を知らない人がいるのか。
それとももともとの調査の数値に誤りがあったのか。
 私なりに何故だろうと思案してみているが、
一つに申請手続きがものすごく厳しく煩雑だという点がありはしないか。
確か七、八通の詳細な書類を揃えねばならなかった。
診断書・在学証明書・住民票・所得状況・戸籍謄本・意見書などなど。
なるべく本人が出向き自筆で書き込まねばならず、へとへとになった。
 もちろん最低限必要な手続きではあるだろうが、
健常な人なら車でピューッと病院や大学や役場や郵便局まで行ってこれても、
電動車いす使用の重度障害者はそう簡単にはいかない。
家族やヘルパーに頼むとしてもなかなか気を遣うものだということが、
どうもお役人には今一つ実感としてわかっておられないようだ。
 それはまるで『ニセ無年金者ではないか?』と疑われているようで、
プライドの高い障害者はカチンときて放り出すかもしれないなあと、
私はひそかに案じられたことだった(考えすぎかもしれないけれど)。
いずれにしてもそれによる出足の鈍さはあるにちがいない。
 なにしろここ数年、その手の審査がどんどん厳しくなっている。
まあ国庫の窮状から引き締められるのも無理はないが、
『今まで何度も対面してきてわかってるでしょー!?』
と愚痴を言いたくもなろうというものだ。
 
★きょうの短歌
合唱コンクールにときめかないのはタモリと私だけだろうか   東風虎










●第四百四十五回   (2005年8月25日)

 お盆に遊びにきてくれた同級生(小学校教諭)が言っていた。
クラスの中で両親の離婚している生徒がとても多いと。
そうなると常日頃の物言いにも気をつかうことだろう。
 のみならず同級生の中にも50歳過ぎてから離婚する夫婦らや、
その娘夫婦もまた離婚しているような例があると。
 このところ離婚が増えているとは聞いていたが、
そんな身近な例を聞かされるとあらためて驚くばかりだ。
別れたあとの生活はどうするのだろうと心配になる。
 どこの家にも表に出したくない事情の一つや二つはあるものだ。
わが家だけではない、と変に力づけられたりする(苦笑)。

★きょうの短歌
どの家にも表に出せぬごたごたの一つや二つドクダミの花   東風虎












●第四百四十四回   (2005年8月23日)

 町の景観整備事業検討会の視察で小城町(市)まで行ってきた。
役場前の歩道で電話線埋設工事が行われているのを見学するためである。
 マンホールの下には予想以上に広い空洞が伸びていて、
モンゴルの首都ウランバートルのマンホールで暮らす浮浪児たちや、
北京の長大な地下道(即シェルター)を思い出したりした。
つまりいざという時はほかの用途にも使えるなあと。
 それにしても狭い県なのに小城に行ったのは初めてかもしれない。
子どものころの修学旅行で通ったような気もするが、
町に降り立ったのは確か初めてである。
 とはいえほかの町と何が違うという感じでもない。
しいていえば「小城羊羹」の里であるから、羊羹本舗が目につく。
記念といっては何だが、移送車の運転手に一本買ってきてもらった。

★きょうの短歌
テレサテン男に都合のいい女歌わされても生き延びている   東風虎











●第四百四十三回   (2005年8月20日)

 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第十三師団山田支隊兵士の陣中日記」         (小野賢二・藤原彰・本多勝一ら編集、大月書店、1996年、6000)
という本に、東京朝日新聞福島版(19371217日付)の
「おおでかした両角部隊 捕虜一萬五千とは何と凄い武勲だ 懸下に又々歓喜爆発」
という見出しの記事のコピーが載っている。

「白旗を立てて降参するに至れり・・・とは痛快だ。
思ひ切つて一人残らずおう殺にしてやればよいのに、
と老若男女一様に南京陥落の祝賀の興奮消えやりぬ胸を再び沸き立たせ、
同夜各家庭の晩餐は心からなる祝杯と萬歳の声で大賑はひだつた


 
両角部隊は福島出身(歩兵第65連隊)であったため、
福島県版にあえてこんな記事が載ったわけである。
「おう殺」の「おう」はあまりにも難しい漢字なので呼び出せない。
いずれ「なぶり殺し」というような意味であろう。

これらの捕虜がその後どうなったかはご存知の通りである。 
 新聞は「社会の木鐸」などといわれるが、時と場合によっては、
このような記事も書かれるのだということを、肝に銘じておこう。

★きょうの短歌
わからないことがあるから生きてゆくさるすべりの花こぼれる下を   東風虎






●第四百四十二回   (2005年8月19日)

 掲示板が開かなくなって、ご迷惑をおかけしていますが、
(何ですと、なにも迷惑なんかしていないって!? むぐぐ)
 その中でも、ほかの欄の更新記事はどうでもいいけど、
「★きょうのギャグ」だけは楽しみにしていたのにー、
というご奇特な方がおられるようにもうかがいました。
 そこで最近の私的メールなどで懲りずに飛ばしていたギャグを、
ここらへんでひとまとめにご紹介しておきましょう。
 あくまで前後の文脈の中で威力を発揮するものなのですが、
ここでは単なる羅列として、あしからず。

 ★ ことば遊び集 (補遺補遺)

浅田真央のフィギア。破廉恥漢漢おどり。鍵のかかる密室で根くらーべ。
罰(バチ)監視国。孫は正義の味方。万博は行列が長久手会場。CMにGackt動員。
私はヒマ人のマヒ人。花見で妊婦は待つけん産婆。憲法の窮状を訴える。
デマ交信にご用心。用心震災よ。買い被られてマーたいへん。死人に梔子の花。
あんまり突っ張ってるとコキンと酒席で折れるよ。ソレイユけひまわり太陽へ。
最期まで凛としていた石垣。繰り返すなんまんだぶる。土瓶を落として万事休す。
福岡西方沖にも押し寄せてほしいボラの大群。セレブのセフレとスフレを味わう。
高性能の靴をはいてく。似非ずいそう。夕張メロンは威張りメロン。
どたキャンって犬の散歩中に倒れること?。免許はあっても運転しない林家ペー・パー子。
スポーツ煩悩の選手。切手も切れない間柄。民営化でゆうちょなこと言ってられない。
切手が貼ってなくて気がめいる便。クールビズでネクタイ関係を解消する。
昼下がりの事情。警察の事故照会で四人を誤認逮捕。東北楽天銀行。
おじゃま無視。カルビを夜勤に食う。猫ろぶ。浅草ロック座に石榴咲くさあ。
痴呆の爺婆産業。他意したものはない。梅雨の手痛い前線。小泉首相の優勢見えんかい。
年に一度の棚ボタ祭り。梅雨のあっ晴れ間。あすはベストになろうと思ったのに。
自信のNASA。金持ちのマネ。カナダの景勝にトロンとなる。都知事の言いたい放談。
夏のバテ連。白票を踏む思い。お盆に子煩悩な漫才師。ぶらり無頼旅。安く滲んじゃ惨敗。

★きょうの短歌
二尺玉向きを変えれば大砲となるすれすれの夏祭りころ    東風虎












●第四百四十一回   (2005年8月18日)

 きょうは嬉野町身体障害者福祉協会の役員会だったが、
トイレの予定日と重なってしまい出席できなかった。しかも出なかった。
出もの腫れもの所きらわず、というやつである(苦笑)。
今までこれでどれだけ泣かされてきたかしれない。
 こおつと、今年はどうも間が悪い。
9月3日は九州詩人祭唐津大会、2日がリハ工学カンファレンス佐賀大会、
9月22日は県文学賞審査員の二回めの会合(佐賀市)、
同23日-25日が「はがき通信」懇親会小倉大会と、
いずれも抜けられないような大事な予定ばかりである。
 しかし二日つづけて遠出するのは今の体力ではとうてい無理。
どちらかを割愛せざるをえないだろう。まさしく断腸の思いである。
こういうとき身体が二つあればいのだが。
 来週23日も町の景観整備事業審議会の二回目の会(小城町視察)があるが、
ヘルパーさんに風呂に入れてもらう日と重なっている。
それはまあ後者を振り替えてもらえばいいのだが、
振り替えるとそのあとの段取りが少しずつ狂ってゆくので、
あんまり嬉しくはない。
 とはいえ、こんな私でも何かと求められて過ごせるのは、ありがたいこっちゃ。
かつて、朝起きて『今日は一日何をして過ごそうか』と途方に暮れていた、
そういう時代もあったことを思い返せば、夢のようではないか。

★きょうの短歌
「八月は六日九日十五日」かてて加えて三十日も    東風虎













●第四百四十回   (2005年8月15日)

 小泉首相が15日の靖国神社参拝を見送った。
ある意味で『やられたー!』という感じ。見事にスカされてしまった。
 あれほどの信念も選挙のためならあっさり覆すのかと呆れるが、
これでまた支持率がだいぶ上がることだろう。うまいもんだ。
 中国や韓国の世論も沈静化して(させられて)いるようだし、
『やれやれ、泰山鳴動してナントカか・・・・』という感じである。
 (もっとも靖国にしてみれば8/15はたいした日ではないらしい。
それより春と秋の例大祭のほうが儀式として重要だという。
しかしそんな話は今聞きたくもないという人が多いだろう)
 首相がくりかえし言ってきた「適切に対処する」という言葉、
それがもし万が一初めからこのことだったのなら、
どうしてもっと早く虚心坦懐に表明してくれなかったのか、
隣国をいたずらに刺激して国益を損なうこともなかったろうにと思う。
まあ、それが彼なりの政治的かけひきというものなのだろう。
 ところで参拝支持者がよく論拠にすることだが、
東京裁判はフェアなものではなかったから、
そこで決められたA級戦犯というものにも意味がない、という理屈。
 仮にそうであっても、たとえば東条英機が先の戦争を引き回し、
国民に塗炭の苦しみを味わわせたという歴史的事実を疑う者はいまい。
そんな人物がえらそうに祀られている神社を誰が拝みたいだろう。
 いずれにしても、
足を踏んづけたほうは何とも思っていなくても、
踏んづけられたほうは何倍も痛いし、決して忘れられない。
ということをもう一度よくよく肝に銘じておいたほうがいい。
 
★きょうの短歌
さりながら解消すべきストレスがあるとも思えないあなたたち   東風虎













●第四百三十九回   (2005年8月14日)

 脊髄損傷は毎年全国で5000人ほど発生すると言われているが、
こんな田舎ではめったにお目にかかれない。
 それが昨年、すぐ川向こうの集落で発生した。
まだ36歳の職人さんで、労災らしい。既婚ということで気の毒な話だ。
 一度お見舞いに伺わなくてはと思いながらも、
まだ一年くらいでは混乱の渦中におられるだろうと遠慮してきた。
私もそれくらいの頃は他人の好意を素直に受け入れるのが難しかった。
もっとも、向こうは私のこと(事例)をよく知っておられるらしいが。
 そうこうしているうちにちどんどん日がたってしまい、
何だかきっかけを失ってしまったようで、行きそびれていた。
さぞや薄情な隣人だと思われていたかもしれない。
 それが先日、郵便ポスト前でお母さんとばったり出くわし、
ここぞとばかりいろいろ様子を聞いたところ思いのほか元気そうだ。
車いすテニスなどもやっておられるという。私なんかよりよっぽど活発だ。
 そこで数日後、ふらりと訪ねてみた。
あいにく膀胱からの熱発で急遽入院しておられたが、
お父さんの話など聞き、障害者関係の資料ほかを置いてきた。
 パソコンやインターネットも(手紙で)奨めてきた。
そのうちメールのやり取りぐらいできるようになれば、
何かとお役に立てることもあるだろう。
 これでやっと肩の荷が降りた(笑)。

★きょうの短歌
戦争に賛成という人間は一人もいないのに起こりつづける   東風虎












●第四百三十八回   (2005年8月12日)

 九州新幹線長崎ルート(長崎新幹線)の着工がもめている。
鹿島市は大反対しているし、嬉野町は賛成している。
それぞれの利害が切実にぶつかりあっているのだ。
 電動車いす利用の障害者としてもジレンマは深い。
障害者の立場からいえば、新幹線には駅にエレベーターもつくし、
車輌の乗り降りにも段差がないし、車いす用の個室もある。
アクセスの乏しかった今までの苦労を思うと、夢のような朗報である。
 とはいえ一市民としては、公共事業の無駄遣いや環境破壊や騒音、
選挙区への利益誘導型政治の弊害や、素通り、スローライフの見直し、
鹿島市民の不自由など考え合わせると、手放しで喜ぶわけにもいかない。
 いったいどちらがいいのかわからない。
最後はいわゆる「高度に政治的な判断」というやつが下されるのだろうが、
そんなもの今どき真に受ける人間がどれくらいいるだろう。
 つまりは有無を言わせずどちらかが泣くことになるのだろう。

★きょうの短歌
必ずしもあって困るもんじゃないというわけじゃない美学もあろう   東風虎











●第四百三十七回   (2005年8月11日)

 嬉野温泉夏祭りを見に行ってきた。
役場前でソーシャルワーカーと会い、町のソープランドについて語り合ってから、
ぼちぼちとみゆき公園に駆けつけると、演しものの大道芸がすでに始まっていた。
 肥前夢街道の忍者たちとアメリカ人(?)のジャグラーと韓国の太鼓団とリオのダンサーズ、
なかなか国際的である。もっともリオのダンサーズなんかは日頃から
嬉野のホテルに専属してショーを披露しているのではないかしら。
 彼女らの裸体(ほぼ)に羽根飾りを震わすサンバはもちろん魅惑的であったが、
本邦のヒット曲「マツケン・サンバ」も大盛り上がりであった。
歌の文句じゃないけれど、一夜浮かれ騒いで憂さを忘れたい今日この頃であろう。
 花火大会も微風で見やすかった。西日本随一といわれる二尺玉が二発あがり、
全天を覆ってくるような花しずくが見事だった。
 昨年は早めに会場を出たが、今年は最後まで見てから出た。
それでも雑踏にふみつぶされるような混雑ではなかった。
 娘さんたちの浴衣姿は相変わらず涼やかだったが、
それにもましてキャミソール姿が席巻していて、とりどりの背中が目の保養になった。
 帰り道、表通りの車列をさけて、裏通りをちらちら懐中電灯つけて歩いていたら、
前をゆく妙齢の女性が気味悪がったのか、民家の庭に入り込んで私をやり過ごした。
そんな仕打ちを受けたのは久しぶりだった。
 「怪しい者じゃありませんよー」と言いたいところだったが、
まあ誤解されるのも無理はないシチュエーションであろう。
 それに彼女のほうもやり過ごしてから私の電動車いすを見て、
申し訳ないことをしたと気が咎めたのではないだろうか。

★きょうの短歌
いったいいつまで謝ればいいのかとぼやくこと自体反省が薄い   東風虎













●第四百三十六回   (2005年8月8日

 政治家のことばの軽さを嘆いていたが、
そんな中ただ一人重い人がいた。言わずとしれた小泉首相である。
公約である郵政民営化をあれだけ貫く姿はあっぱれと言おうか。
 しかし郵政が民営化されれば地方の局が整理されて障害者には困る。
憎っくき天下りの資金源となっている郵貯を断つ、というのには賛同するが、
果たしてどれくらい期待できるだろう。官僚はさらにも悧巧だからなあ。
 その郵政民営化法案が自民党議員の造反にあい参院で否決され、
小泉首相はなぜだか衆院を解散し総選挙に打って出た。
 造反議員は公認しないというのだから、相打ちでかなり落ちるだろう。
棚ボタの民主党政権が誕生するかもしれない。「おタカさん」ブームのようなものだ。
しかし綱領は似たようなものなのだからあまり期待はできない。
 そんなことより総選挙には500億円ぐらいかかるらしい。
もちろん税金から支払われるのだが、こんなつまらぬ解散ではいやなこった。
 折から道路公団の談合で不法につり上げられた数百億円が批判されているが、
その金を彼らに自腹切って弁償してもらい、振りあててほしいものだ。
 悪いことをしたらちゃんと刑罰に服しましょうね。

★きょうの短歌
サーカスとパンを与えられ亡ぶのはイヤなこったい蟷螂の斧   東風虎











●第四百三十五回   (2005年8月7日)

 きょうは数キロ上った春日渓谷まで行ってきた。
毎年、夏になると一度は雰囲気を味わいに行きたくなる。
幸いなことに渓流沿いの小道がセメントで舗装してあるから、
電動車いすでもそこそこ上れるのである。
 これは子ども時分の習い性のためだろうと思われる。
亡父は大酒呑みであったが、変なところがマメで、
毎年夏になると子どもたちを連れて、キャンプに行くのが恒例だった。
 多良岳や経ヶ岳や奥平谷といった最寄りのキャンプ場である。
時には知り合いの家族などと一緒に小学生の間ぐらいは行っていた。
その時の清水や岩肌や飯盒や缶詰の匂いが忘れられないのだ。
 山だけでなく海にも行った。たいてい長崎県彼杵(そのぎ)の海水浴場。
石ころの浜なので足をくじいたり怪我したり水母に刺されたり、
チューブ浮き輪の栓がじゃまになったりしたなあ。
 今ではあの頃の家族もばらばらである。

★きょうの短歌
一日をしゃべらなくてもいい女どこかにいないものだろうか   東風虎










●第四百三十四回   (2005年8月6日)

  きゅうりもみが食べたいと言って死んでいった   東風虎

 今年も八月六日がやってきました。
とりわけ六十年めの節目でもあります。
例の通り上記の句を捧げて追悼の意を表します。
 常連の方は『ああ、またか・・・・・』と思われるかもしれませんが、
この一年で新しく訪れて下さるようになった方たちもいらっしゃいますのでね。
 たまたま昨夜、アニメ映画「火垂の墓」(高畑勲監督、野坂昭之原作)を見たので、
この句もさらに切なさをともなってきます(のではないでしょうか)。
 歌人の中山陽右氏が「みどり・こうじ」誌で言われたように、
毎年毎年ヒロシマ・ナガサキで平和の祈念をやっているが、
何の成果もあげていないではないか、もっと他にやりようがあるのではないか?
という不審を抱く人たちもいることでしょう。
 いや、ああいう祈念をやっているから、何とかここまで核が使われずに済んだのだ、
と抗弁する人たちもいることでしょう。私にはどちらとも言えません。
 ただ、一つだけはっきり言えることは、
戦争に反対し平和を祈念する、とどんなに決まり文句をくり返しても、
それがある思想・信条・教条・主義・宗派などにからめられると、
たやすく形骸化し、風化し、上滑りし、忘れられるということです。
 そんなとき「飢え」のような生理的・五感的・個人的な体験だけは、
容易に忘れ去られるものではないということです。
(いわゆる、食い物の恨みはおそろしい、というやつ)
そして後世の人間も比較的すんなりと共感できるのではないでしょうか。
 この句はヒロシマの実話を題材にさせていただいております。
そしてそれを表すのに文学の言葉は最も威力を発揮するのです。












●第四百三十三回 (2005年8月2日)

   「とろうのおの集」(20)

山道のグッドアイデア消えぬうち転げるようにパソコンへくる

山道の不法投棄にみる民度おとなりさんのことは言えない
田ん草をとるおばさんの背へ軽く会釈しながらそそくさとくる
石垣のすきまに詰めてあるものも有田焼の呉須の染め付け
野良シロに精霊トンボはとるなよと言い聞かせてもころーんころん
おふくろのごった煮さえもごちそうとなる日がくると覚悟している 

文学とは何かがわからないゆえにここまで命脈を保っている
まずもって孤独に耐えられない人は引き返されることをすすめる
現代を生きてることに誠実であろうとしたらこうなっている
カンボジアモザンビークにルワンダにゴラン高原東ティモール
ペルシャ湾アフガン沖のインド洋イラクのサマワ忘れないため
バップフォーフリバスユベラポドニンに酸化マグネシウム略してカマグ
このごろのバレー選手は美人ぞろいこれも強者の時代のうちか
ソーセージつまみながらもこれくらいあってくれれば尿もれはせず

仕事中ですさわらないでくださいと背中に書いて伏せている犬
さんさえとうとう本を寄贈してくれなくなって「ぞくまんだち」か
いくたびか嘔吐しそうになりながら読みすすむ元兵士たちの手記
新日曜美術館「戦没画学生」特集クーラーを止めて見ている
君が代を歌わないもの歌うものそれでも試合になれば強いぞ

他意のある政治のことば倦みはてておはぐろトンボの裏道にくる












●第四百三十二回   (2005年8月1日)

 アスベスト(石綿)の被害が問題になっているが、
石綿といって思い出すのは、祖母の懐炉(カイロ)である。
真鍮(?)製の容器をパカリと開くと、内側に石綿が敷き詰められてあり、
その窪みに二本の細長い豆タンを熱して保温しておくのである。
 冬は毎日のように祖母が取り替える作業を間近で見ていた。
とはいえ肺癌になるまでの潜伏期間(30年)はもうとっくに過ぎている。
 祖母は文盲で、癖が強くて、熱心な浄土真宗の門徒でもあった。
私がベッドでむっつりと本など読んでいると、通りすがりに
「いくら学問しても如来さんば喜びえんぎなーもならん・・・・」
と嫌味を呟いてゆくような人だった。
 ちなみにそのとき読んでいた本は宮沢賢治だった。

★きょうの短歌
君が代を歌わないもの歌うものそれでも試合になれば強いぞ   東風虎












●第四百三十一回   (2005年7月31日)

 佐賀市のメル友で頸髄損傷の原口恭輔さん(47)が、
障害者や高齢者の移送サービス「お世話宅配便」を立ち上げられた。
副代表という肩書きではあるが実質的なリーダーである。
 佐賀で頸髄損傷者自身が事業を興すなんてかなりすごいことだ。
重度障害者たちの抱えるニーズを誰よりもわかっておられる当事者だからこそ、
発想できる細やかなサービスが期待できるだろう。
私たちにも何よりの朗報である。
 私は現在「NPO たすけあい佐賀」と佐賀市の個人の移送サービスを利用しているが、
選択肢は多いほうがよい。やはり気になるのは利用料金である。
「お世話宅配便」ではタクシーの半額ほどを設定されているらしい。
 本格的な活動はNPO法人認証後となるが、
多くの方々に利用していただき安定的な経営ができることを願ってやまない。
 皆さん、私からもよろしくお願いしておきます。

★きょうの短歌
新日曜美術館「戦没画学生」特集クーラーを止めて見ている   東風虎












●第四百三十回   (2005年7月30日)

 十日ほど前、某民放TV局がライス国務長官をクローズアップしていた。
知能指数が高いとか、黒人女性で最も高い地位まで上りつめたとか、
現在世界で最も影響力のある女性だとか、えらく持ち上げるものだった。
ちょうど来日してその局のインタビューに応えてくれたお愛想もあるのだろう。
 しかし、ブッシュ・ラムズフェルド・ライス氏に代表される「ネオコン」が、
イラク戦争あとさきで見せたぶざまな失態は今や世界に覆い隠しようがない。
ライス氏がいかに優秀な女性であろうと、その見通しの甘さは致命的である。
 氏のためにいかに多くの人間が犬死に同然に亡くなくならねばならなかったか。
その責任はこれからますます問われるだろう。
 そんな人物をトップレディとちやほや持ち上げる番組の見識を、
私はしんそこから、ほとほと、つくづく疑った。

★きょうの短歌
ソーセージつまみながらもこれくらいあってくれれば尿もれはせず   東風虎












●第四百二十九回   (2005年7月29日)

  第四百十回で長新太さんの「ゴムあたまポンたろう」にふれて、
どこからともなく飛んできて、どこへともなく飛んでゆく、と書いたが、
あらためて読み直してみると、最後はゴムの木の股で休む話になっていた。
人の記憶なんてあてにならないものだなあ。
 どこへともなく飛んでゆくほうがカッコいいし、文学的にも余韻がある、
という思い込みが私にあったからだろうが、それがそもそも「大人のものさし」である。
それをいともたやすく裏切ってくれるところが長さんの真骨頂かもしれない。
 また、彼の常套手法は「際限のないくりかえし」であるが、
これは子どもたちが最もよくみせる性向であることは周知のとおり。
 というわけであらためて読み直してみたリストである。

「キャベツくん」(長新太作、文研出版・みるみる絵本)絵本にっぽん賞
「つきよのキャベツくん」(長新太作、文研出版・えほんのもり、1200)
「キャベツくんのにちようび」(長新太作、文研出版、1992年、1068)
「つきよのかいじゅう」(長新太作、佼成出版社、1990)
「こぶたがずんずん」(長新太絵・渡辺一枝文、あすなろ書房、1989年、)
「なにをたべたかわかる?」(長新太作、銀河社、1977年、830)
「ごめんなさい」(長新太絵・中川ひろたか文、偕成社、1999年、1000)
「はんぶんタヌキ」(長新太作、こぐま社、1988年、980)このころ巌谷小波文芸賞
「くるぞくるぞ」(長新太絵・内田麟太郎文、童心社、1988年、1030)
「ねむいよ、ねむいよ」(長新太作、こぐま社、1997年、900)
「ゴムあたまポンたろう」(長新太作、童心社、1998年、1300)第四回日本絵本賞
「ノコギリザメのなみだ」(長新太作、フレーベル館、1999年、1300)
「あるけ あるけ」(長新太作、こぐま社、2000年、1300)
「チューチューこいぬ」(長新太作、ブックローン出版、1992年、950)
「そよそよとかぜがふいている」(長新太作、教育画劇、2004年、1300)
「いぬのおばけ」(長新太作、ポプラ社、2003年、1200)
「くまさんの おなか」(長新太作、学研、1999年、1400)
「こいしが どしーん」(長新太絵・内田麟太郎文、1992年、1480)
「こんなことってあるかしら」(長新太作、クレヨンハウス、1993年、1000)
「ぼくのくれよん」(長新太作、銀河社、1978年、1200)厚生省児童福祉文化奨励賞

 その他、受賞歴も数多いが、ここにはあまり含まれていない。

★きょうの短歌
仕事中ですさわらないでくださいと背中に書いて伏せている犬   東風虎











●第四百二十八回   (2005年7月27日)

 嬉野町のある審議会の委員に任じられたので出席してきた。
一昨年の「歯科医の障害者宅出張治療」審議会に続いて二度目である。
 国道34号線沿いの電話線埋設にともなう歩道など景観整備事業に対して、
電動車いす使用者の立場から意見を請われたのである。
 午後から、行きは日傘をさし頭に濡れタオルをかぶっていったが、
35度の猛暑ではやっぱり日射病になりかけてしまった。
そんな苦しい思いまでしてたどり着いたのだから、何か発言しないと甲斐がない。
 そこで、住民アンケートで障害者の意見が反映される工夫と、
民家や店舗からの歩道への出入り口のスロープが、
電動車いす使用者には身体が傾いて恐い、という点を指摘してきた。
 ほかの委員の方たちも活発な発言をされ、なかなかいい会議だった。
隣の席には一昨年歌手デビューされた盲目の岸川美好さんとその盲導犬もいた。
犬の背中には「仕事中です。さわらないでください」と書かれていた。
 たいていの犬は私の電動車いすを初めて見ると、火のついたように吠えるが、
さすがに彼(女?)はちょっとぎょっとしたようだが何も吠えなかった。
私は「全国行脚の本を読みましたよ」とお声をかけた。
 帰りは日が傾いて日陰ばかりだったので気持ちよかった。
ついでに図書館からまた長新太さんの絵本を五冊借りてきた。
もちろん大好きな100均店にも立ち寄った(笑)

★きょうの短歌
田ん草をとるおばさんの背に軽く会釈しながらそそくさとくる   東風虎












●第四百二十七回   (2005年7月24日)

 しばらく前のことだ。
かかりつけの医院でいつもの処方箋をもらい、
隣接した薬局に手渡すのだが、入り口に10cmほどの段差があるので、
いつもはその玄関先で薬が出来上がるのを待っている。
 しかしその日は猛暑だったのでさすがに耐えられず、
事務員さんを呼んで電動車いすを抱えてくれるようお頼みした。
まず前向きに進み、前輪のキャスターをちょっと抱え上げてもらい、
次に背後からグリップを押し上げてもらうのである。
 ところがめったにないことなので、彼女は力の入れかげんがわからず、
キャスターを持ち上げたひょうしに後ろへひっくり返ってしまった。
あいにく白衣にスカート姿だったので奥が丸見えになってしまった。
眩しいほどの純白だった。斜めに入ったフリルまでくっきりと見えた。
 私は「ああっと、すみませーん!」と、へどもど詫びを言い、
何も見なかったような素振りを決めこんだ。とはいえ、
彼女には見えたことがわかったようで、一瞬何とも言えぬ表情をした。
ほかに誰もお客がいなかったのが幸いだった。
 それからしばらく私は白さが瞼から離れずに困った。
それでも何事もなかったような顔で処方箋を渡しにゆくと、
彼女は以前にくらべて打ち解けた笑顔を浮かべるようになった。
あれはいったいどういう意味なのか、私は計りかねている。

★きょうの短歌
このごろのバレー選手は美人ぞろいこれも強者の時代のうちか  東風虎













●第四百二十六回   (2005年7月22日)

 ときおり思い出す光景がある。
大学三年の四月だったか、新入学生たちをわが部活に勧誘するため、
キャンパスのあちこちでデモンストレーションが繰り広げられる。
 弓道部は袴姿で弓を引いて藁束の的に1mぐらいから射ってみせるし、
ワンダーフォーゲル部は色とりどりの登山道具を首からちゃらつかせてみせるし、
コーロ・カンフォーラは芝生に並んで「エーデルワイス」を歌ってみせるし、
落ち研はミニテントの中に高座を作って一席ぶっているし、
児童文化研究会は地味ーに手作りのビラを配ったりしている。
 初々しい新入生たちは三々五々とそれらを覗いてまわり、
あんまり熱心に覗いていると脈ありと見られて強引に勧誘されてしまうので、
付かず離れずという距離感で廊下とんびのようにさんざめいてゆく。
 そんな中、わが体操部ももちろん出張ってきている。
恒例になっているトランポリンの実演を披露してみせるのだ。
とりわけ大講義室でのオリエンテーリングが終わり、
新入生たちがぞろぞろ階段を下りてくる頃をみはからって、
その正面の芝生でこれ見よがしに跳んでみせるのである。
(実際、前年の新入部員の一人はそれを見て決意したと言っていた) 
 10人たらずの部員の中では私が一番練達していたので、
みんなから「おい、虎、跳べ!」と言われてやおらネットに上がる。
直前まで通りすがりの農学部四年生が冷やかしに跳んでいたりしたのだ。
 さあて、私は勢いをつけるため何度か跳ねたあと、
尻打ち、腹打ち、背打ち、ダイビングなど初歩的な技から始めてみせる。
高く跳び上がるにつれて「ポーン」から「バーン」へと音が高鳴る。
 新入生たちがざわざわと振り向いてきたのを感じると、
いよいよ宙返り系統を織り交ぜてゆく。抱え込みの前宙・後宙から、
スワン(伸身)や屈身での前宙・後宙。さらにその半ひねり・一回ひねりと。
 その頃には、新入生だけでなく普通の女学生たちも珍しがって、
芝生の周りの木陰などに座り「ワーッ!」とか「上手ねえー」と歓声をあげてくる。
私は文字通り有頂天である。人生であのときほど喝采を浴びたことはない(笑)。
 これだけ視線を浴びては、ただでは下りられない雰囲気になってきた。
最後に何か大技を披露しないと世間が許さない(大げさな)という感じ。
そこで私は後方二回宙返りをやってみようと思い立った。
体育館のマットでなら何度か挑んでみたことがあったのだ。
 しかしながらこちらでは初めてに近いのでうまく決まる自信はない。
前後についている補助者に『行くぞ』『頼むぞ』と目配せをして、
『えっ、本当にやるのか!?』という戸惑いの視線を振り切るように、
私は大きく弾みをつけて跳び上がったのである。

★きょうの短歌
野良クロに精霊トンボは捕るなよと言い聞かせてもころーんころん   東風虎














●第四百二十五回   (2005年7月21日)

 第四百一回で、靖国神社参拝問題について、
A級戦犯を分祀すればすむことじゃないかと思うが、
当の靖国神社の神主が強硬に拒んでいるのだという。
いったいどういうわけだろう? と疑問を投げかけていたが、
それについて答えらしきものを見つけた。
 「文藝春秋」(2005年8月号、決定版「日中韓『靖国参拝』大論争」)
の中で田久保忠衛(杏林大学客員教授)が次のように言っている。
 「神道では、合祀された御霊はひとつの大きなロウソクの炎に喩えられます。
分祀とはその炎を別のロウソクにも移すことです。(中略)
分祀したところで、靖国神社にも分祀先にも同じ御霊がいることになるだけです」
 なーるほど、神道とはそういう考え方をするものなのか。
いろいろ勉強になったが、「死んだらみな神になる」というのは、
仏教徒にはいまひとつわかりにくいところだなあ。
 それに靖国がそんなあまねく平等性を体現しているとも思えない。

★きょうの短歌
現代を生きてることに誠実であろうとしたらこうなっている   東風虎











●第四百二十四回   (2005年7月19日)

 「ペン人」と「廢夢」の全作品索引作りを少しずつ続けているが、
いやあ、なかなかどうして面白い再発見がある。詩や小説もさることながら、
後書きの「PENPEN草」にうっかり見逃せないものがある。
 たとえば1986年の「ペン人」6号には、次のような一文がある。

 「ある日、おニャン子クラブの歌を口ずさんでいる自分に気づいて愕然とする。
障害者の立場からいえば、強い者も弱い者も、富める者も貧しい者も、美しい者も醜い者も、
それぞれに補いあって暮らしてゆける社会でなければならないのだから、
お二ャン子クラブなんてあんな歌も芝居も下手くそで知性のかけらもないくせに、
ただ顔だちが可愛いというだけでちやほやされる風潮には、
明らかに異議を唱えなければならないのだが、それはそうなのだが、どうも、弱った・・・・・・・・・。
 お二ャン子クラブの顔だちが可愛いのだって、元はといえば親から譲り受けたもので、
何ら本人の努力によるものではないのだが、それはそうなのだが、
たぶん、それだけではないのだろう・・・・・・・・・・。
 お二ャン子クラブが売れる背景にも、私などが思わず口ずさんでしまう背景にも、
おそらく人間にとってある致命的な問題が潜んでいるのにちがいない」

 というようなもので、意外なほど柔軟なところをみせている。
ひょっとしたら現在のほうが硬直していたりして・・・・・・・(苦笑)

★きょうの短歌
カンボジアモザンビークにルワンダにゴラン高原東ティモール   東風虎











●第四百二十三回   (2005年7月16日)

 自民党の改憲新要綱が次第に明らかになり、例によって賛否が巻き起こっているが、
ポイントは「自衛隊を海外で戦闘できるようにする」「国民の自由と権利を制限する」、
の二つであるというのがおおかたの見方のようである。
 それに類して、若者などからもぎょっとするような強硬な発言を聞くことがある。
そんなとき私は気にかかるのだが、彼らは先の戦争でどんな事が行われたのか、
どの程度まで知っているのだろうか? ということだ。
 知っているならとても吐けない言葉ではないかと思うことがある。
案外何も知らぬまま、最近の中・韓・北鮮の横暴だけに眼を奪われて、
いたずらに憤慨しているのではないかと案じられる。
 そこで、参考までに元兵士たちの手記の類などご紹介しておこう。
テレビや学校ではとうてい教えてくれない事実に満ち溢れている。
その分、覚悟して読まねばならないだろう。

「消せない記憶」(湯浅謙語り、吉開那津子聞きとり、日中出版、1981年、2060円)
「キリスト者遺族の会通信」(小川武満寄稿、1969年5月16日付)
「地鳴り」(小川武満著、キリスト新聞社、1995年)
「終末論と歴史哲学」(熊野義孝著、1933年9月)
「軍医官の戦場報告意見集」(高崎隆治編、十五年戦争重要文献シリーズ第一集、不二出版、1990年)
「私たちは中国で何をしたか」(中国帰還者連絡会編、三一書房、1987年)

「中国から帰った戦犯」(島村三郎著、日中出版、1975年)
「ある憲兵の記録」(朝日新聞山形支局編、朝日新聞社、1991年)
「菊と日本刀」(鵜野晋太郎著、矢沢書房、1985年)
「あるB・C級戦犯の戦後史」(富永正三著、水曜社、1977年)
「白狼の爪跡」(永富博道著、新風書房、1995年)
「覚醒ー日本戦犯改造の記録」(中国帰還者連絡会訳編、新風書房、1995年)
「きけ、わだつみのこえ」(日本戦没学生記念会編、岩波文庫、1949年)
「復刻 世紀の遺書」(巣鴨遺書編纂会、講談社、1984年)
「続・現代史資料六巻 軍事警察」(みすず書房、1982年)
「その家族まで」(土屋芳雄の手記、撫順戦犯管理所内、1956年)
「悲しみの河」(倉橋綾子著、「民主文学」、1997年)
「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(小野賢二・本田勝一・藤原彰編、大月書店、1965年)       
 「南京戦 閉ざされた記憶を訪ねて 元兵士102人の証言」(松岡環編、社会評論社、2005年、4200円)
「七三一部隊の跡を歩く」(野田正彰寄稿、「世界」95年10月号)

「原典中国現代史 第一巻・政治」(毛里和子ら編、岩波書店、1994年、4800
「もうひとつの太平洋戦争」(仁木悦子ら編集、立風書房、1981年)
 「異なる悲劇 日本とドイツ」(西尾幹二著、文芸春秋社、1994年、1900円)
「文藝春秋」(文藝春秋社、2005年8月号、決定版「日中韓『靖国参拝』大論争」)
「沈黙という名の遺産」(ダン・バルオン著、姫岡とし子訳、時事通信社、1993年、3500円)
「灰色のバスがやってきた」(フランツ・ルツィス著、山下公子訳、草思社、1991年)  
「喪われた悲哀」(アレクサンダー・ミッチャーリッヒと妻のマーガレット共著、

  林峻一郎・馬場謙一訳、河出書房新社、原著1967年)
「危機の神学」(カール・バルト著、1933年10月)
「人間の価値」(Ch・プロスら編、林功三訳、風行社、1993年)
「人間軽蔑の独裁」(アレクサンダー・ミッチャーリッヒら編)など

「ベトナム神経症」(C・R・フィグレー編著、辰沼利彦訳、岩崎学術出版、1984年)
「服従の心理」(スタンレー・ミルグラム著、岸田秀訳、河出書房新社)
「罪責論」(ヤスパース著、橋本文夫訳、ヤスパース全集10、理想社、1965年、原著は1946年)

  ただし現在では手に入りにくくなっているものも多いだろう。
私ももちろん全部に目を通しているわけではないし、そのときは
「戦争と罪責」(野田正彰著、岩波書店、1998年、2300円)
という本を読めば、上記の引用が多く載せられているので早わかりになる。

精神科医の野田が戦争中の医師の生体解剖犯罪などを追っている。
 読むのがつらくなったり、吐き気がしたりするだろうし、
若者たちをいたずらに自虐的にさせるのではないかという恐れはあるが、
これが事実なのだからしかたがない。そこから再出発するしかないのだから。

★きょうの短歌
文学とは何かがわからないゆえにここまで命脈を保っている   東風虎








  

●第四百二十二回   (2005年7月15日)

 梅雨明けの気配に、(なるほど南九州は梅雨明け)
40日ぶりに嬉野の市街まで行った。
猛暑と梅雨でこれだけ長い間行けなかったのである。
 本屋、時計屋、ホームセンター、役場、図書館、公会堂、セブンイレブン、
瑞光寺の大楠、鷹巣公園、スーパー、100円ショッップ、Aコープなどなど。
 行きは曇りで涼しく楽ちんだったが、
帰りは快晴で33度まで上がったので、またもや死にそうだった。
これがほんとの「行きはよいよい、帰りは恐い」
 せっかく梅雨が明けたと思ったらこれだ。
もう昼間に行くことはできないだろう。夕方からにしよう。
8月11日の夜は嬉野温泉夏祭りの花火大会である。

★きょうの短歌
風水も気功も知らず朝夕の散歩の道に教わっている   東風虎











●第四百二十一回   (2005年7月11日)

 ようやく「ペン人」30号の編集にとりかかった。
節目の特集として「ペン人と私」(仮題)というエッセー集を考えているが、
同人たちからの原稿の集まりが例によってあまり期待できないため、
もうひとつの目玉を実はひそかに考えている。
 それは「ペン人」の創刊号から30号までの、
20年に及ぶ全掲載作品の目録・索引の作成である。
できれば前身の「廢夢」時代からのものも付け加えたい。
 きょうさっそく四冊分を作成してみて、思いのほか面白かった。
こんな作品もあったのか、なかなかの佳作ではないだろうかと、
見直したり立ち止まったり引き返したり・・・・・。
文学関係者には貴重な資料ともなるだろう。
 しかしながら、本棚のあちこちに封筒詰めにして保存しているので、
どこに何があるのかもはや記憶が定かでない。手も届かない。
少しずつヘルパーさんに探し出してもらっているが、
おそらく全冊は揃わないのではないだろうか。
 県立図書館には全冊寄贈しているから揃っているはずだが、
わざわざ借りに行くのも億劫である。これを読んでいる方で、
協力してもよいという方がおられれば、ご一報ください。

★きょうの短歌
いくたびか嘔吐しそうになりながら元兵士たちの手記を読みつぐ   東風虎










●第四百二十回   (2005年7月10日)

 先日も二、三人から訊かれたので、念のために言っておきますと、
「とろうのおの集」というタイトルは、「蟷螂(とうろう)の斧(おの)」つまり
 「カマキリが車に向かって前足をふりかざすように、
弱い者が身のほど知らずに強い者へ向かって挑みかかるさま」
という俚諺(りげん)と、「徒労」をひっかけた私の親父ギャグです。
 「弱い者」とは障害者や平和主義(者)や第三世界など、
「強い者」とは米国やネオコンや核や小泉首相などであることは
言うまでもないことですよね。
 まあ、漢字で書けば「徒労の斧」になりますが、
それだと元々の「蟷螂」の俚諺を思い浮かべられない人が
出てくるのではないかと、あえてひらがなにしました。
 ところが、今回つくづく思い知らされたことは、
「蟷螂の斧」という俚諺と読み方を知らない人が意外に多いこと、
それも若い人だけでなくある程度お歳を召した方まで(笑)。
 若い人などカマキリを見たことない人も多いのでしょう。
また短歌抄のタイトルに親父ギャグなど使われるはずがない、
という思い込みの強い方もおられるのでしょう。
そこは私の不親切といおうか不謹慎もありましょう。
 そのため今までの作品の中に「蟷螂」「徒労」「蟷螂の斧」「徒労の斧」
「とうろうのおの」「とろうのおの」などいろいろに書き分けてきました。
それだけヒントを忍ばせておいてもまだわからない?! 
わからない時は辞典を引いて下さーい!
 しかしながら、そこで私はあらためて考えました。
「ふむふむ、意外に面白い展開かもしれないぞ。
いつまでも意味がわからず頭の隅にひっかかり続けていると、
私の思惑により長く深くかかずらってくれることになるから」
 などとあくまでいいほうに考えています(笑)。

★きょうの短歌
まずもって孤独に耐えられない人は引き返されることをすすめる   東風虎










●第四百十九回   (2005年7月9日)

 ああ、だまされた、だまされた。見事にだまされた。
昨日の天気予報にだまされた。100%雨と言っていたのに、
午前中は薄曇りでときおり晴れ間さえ覗いたのである。
午後も一時ぱらりと降っただけで、暑くもなくかっこうのドライブ日和。
 ひと月ぶりに嬉野へ行こうと待ち構えているのに、
100%の予報で電動車いすに充電もしておかなかったのである。
ああ、もったいない、もったいない、と恨めし気に空を仰ぐばかり。
 この時期の天気予報が難しいのはわかる。
しかしこの時期のためだけに気象庁はあると言ってもいいくらいなのだから、
こんな大外れはいくらなんでもないだろう!?
 と八つ当たりでもさせてもらわなければ気のすまないきょうこの頃である。

★きょうの短歌
髭剃りも二日に一度ですむようになって散歩の足を伸ばそう   東風虎









●第四百十八回   (2005年7月8日)

 以前にも書いたような気がするが、
歌仙サイトでこの話が出たので、念のため追記しておこう。

 実現性は薄いけれど、国歌を公募してみるのも楽しいと思う。
既発表・未発表・自薦・他薦を問わず、もちろん「君が代」でもいいし、
金子みすずの「おてんとさんの唄」でもいい。

日本の旗は、
おてんとさんの旗よ。
日本のこども、
おてんとさんのこども。
こどもはうたほ、
おてんとさんのうたを。
さくらの下で、かすみの底で。

日本のくにに、
こぼれる唄は、
お舟に積んで、
世界中へくばろ。
こぼれるほどうたほ、
おてんとさんの唄を。
さくらのかげで、
おてんとさんの下で

 私も短歌をニ、三応募したいと思っている。
応募作はすべてテレビやネットで何年かけても紹介する。
日本の国体をあらためて考えるいい機会になるだろう。
選考はもちろん国民投票で、小中学生もOK、ケータイからもOKと。
 その結果また「君が代」が選ばれるだろうが、
今度は国民が自ら選び直したのだということで、
以前よりよほどこだわりなく歌えると思うなあ。
 W杯サッカーの日本選手たちも口パクでなく歌うだろう。
あれを見るたびに「何じゃ、こいつら!?」と血圧の上がる
老政治家が多いらしいから(笑)

★きょうの短歌
へなぶり調ならぬへなへな調として覚えめでたければそれもよし  東風虎












●第四百十七回 (2005年7月7日)

 きのう郵便局へ行ったら保育園児たちの笹飾りが立ててあった。
『七夕かあ・・・』と思ったが、願い事の短冊を読むまでの暇はなかった。
願い事を吊るすなんて小学生のころ以来なくなっているなあ。
 いま願い事をするとすれば何だろう?
「とろうのおの集」を打ち切りにしてもいい世の中になりますようにとか。
個人的には嬉野町のバリアフリー町営住宅が一日も早く完成して、
抽選に当たり自立生活が始められますようにとか。
おしっこが漏れなくなりますようにとか(苦笑)。
 そういえばわが村の下吉田にも「七夕」という地名がある。
どういう由来なのだろうとずっと不思議に思ってきたが、
古老に確かめてみるまでの郷土史的関心はない。

★きょうの短歌
山道のグッドアイデア消えぬうち転げるようにパソコンへくる  東風虎













●第四百十六回 (2005年7月5日

 きょうでもう十日も降りつづいている。
空梅雨で始まったが、このままですむわけがないと思っていたので、
これくらいの揺り戻しはしかたのないところだろう。
 ただその間ほとんど外へ出られないのが電動車いすにはつらい。
尾篭な話で恐縮だが、散歩の途中で陰部の日光浴ができなくて困る。
 この数年電動車いす上での尿閉・尿もれに苦しんでいるが、
強烈な陽射しを浴びさせると幾分緩和されるので欠かせないのである。
 十日どころか天気予報では今週もずっと雨マークがつづく。
へそ下の堪忍袋の緒もそろそろ切れそうである。
中越地震のあとの新潟の人々の大雪に埋もれた日々を思わせられる。

★きょうの短歌
石垣のすきまに詰めてあるものも有田焼の呉須の染付け  東風虎














●第四百十五回 (2005年7月4日)

  「とろうのおの集」(19)

つづまりは金の話になってゆくほかにないのかはないちもんめ

こうやって生きていることそのものに月給の出るところはないか
さなぼりの憩いにまんじゅうふかすころかっくんちゃんも嗅ぎつけてくる
さなぼりに早苗饗という漢字まであてると知っていただいている

ストローでワカメやもやし豆腐ネギつまり世界を吸いあげている
ジャンボ機のコックピットのようだねと言われてまんざらでもなさそう
韓流のヒロインはうすい顔をしてなんとまあよく涙をこぼす
自慢ではないがネクタイ一本も持たずに半世紀をすごす
戦友とは人を殺しあった友達という意味ならば裏声になる
戦争しか知らずに育つ若者に蟷螂の斧はなまくらとなる
散歩みち朝のカエルの腹わたが夕べには運び去られている
竹山を伐られてしまいタケノコをいただけなくなっている施策
葛の蔓ぶつりぶつりとこれだから電動車いすはやめられません
青葉闇盲導犬の二匹めが飼えないという人のサングラス
褥瘡を略語登録してさらに幻覚オルガスムはどうしよう
がさつにしか言えぬ農婦と知りながらやや心臓をえぐられている
玄関はどんな時でも開けておく町議に黒い噂もたえず
背もたれを一つ倒して世の中がちがってしまう紫陽花のみち












●第四百十四回 (2005年7月3日)

 長嶋茂雄終身名誉監督が488日ぶりで球場に姿を現わしたときの、
観客の地を揺するようなどよめきと喝采をテレビで見ていて、
私は何やらゾーッとしてしまった。
 正直に言おう。ヒットラーを迎えるドイツ民衆を連想してしまったのだ。
かたわらに寄り添う息子の一茂はさながらヒムラーか。
同じように感じた人はおそらくたくさんいたことだろう。
 時代の閉塞状況、外国(人)の排疎、民族主義、ヒーローの熱望・・・・
ある意味で気味が悪いくらい似通っているのである。
 そこへもってきて、メディア側の反応がいただけない。
暗いニュースばかりだからせめてスポーツぐらい明るくいこうというのだろう。
いい歳をした関係者たちが「長嶋さんの笑顔が見たい」などと
ぬけぬけと口にしてはばかるところがない。気色が悪いったらない。
個人崇拝が行きすぎるとろくなことがない。
いったいこの爺さんは何様だというのか!?

 とここで、記憶のフィルムがきゅるきゅると巻き戻される。
我が家にテレビが来たのは小学二年(1961年)のことだった。
人気の番組として力道山らのプロレスはやや影をひそめ、
代わりにプロ野球が台頭してきていた。
 当時のテレビ中継は日本全国津々浦々ジャイアンツ戦が中心で、
しかも川上監督とONによる9連覇のころだから、巨人軍は常に勝っていた、
というイメージがある。「巨人・大鵬・卵焼き」と言われるとおり、
子どもはいつも強いものにあこがれる。私もまたそうだった。
 主砲のONのうち、王が試合の決まった後半に本塁打の駄目押しをし、
長嶋のほうは前半の勝負を決めるここぞという場面でヒットを打ってくれる、
というイメージが根強い(本当かどうか資料を調べねばわからないが)。
 そういうところから長嶋神話が始まっていったように思う。
私も他愛なく長嶋に声援を送っていたのだから、
えらそうなことは言えないのである(苦笑)。

 ところで個人歌誌「みどり・こうじ」を発行しておられる中山陽右氏は、
長嶋と土井たか子と大江健三郎嫌いを一貫して標榜しておられる。
そんな氏と私は気が合うのだからどういうものだろう。

★きょうの短歌
さなぼりに早苗饗という漢字まであてると知っていただいている   東風虎












●第四百十三回 (2005年7月1日)

 「障害者自立支援法案」が何かと話題に上るようになってきた。
いろいろと問題の多いらしいこの法案が、この5月11日に国会に上程され、
いよいよ審議され始めている。不勉強で私は詳細をあまり知らなかった。

 しかしすでに自立生活を送っている障害者たちや、さまざまの障害者団体から
異論が出されているし、大阪では予想外に大人数の抗議集会なども行われている。
昨日は佐賀駅の前でも脳性まひ者たちがビラ配りをしていた。
 一昨年の「支援費制度」のときの盛り上がりをほうふつとさせる。
DPI日本会議事務局長の尾上浩二氏が問題点を整理して論じている。
具体的にいうと、次のような点らしい。

@   障害者(児)の定義があいまい。難病の患者が置き去りにされる。
A   市町村の審査会と障害程度区分に障害者自身の参加が必要。
B   移動介護の支援が再編されて不自由になる。
C   グループホームが再編されてその生活援助が不足する。
D   応益負担の導入で障害者の生活が苦しくなる。
E   国庫負担金と上限問題が不透明である。

 伝えきくところでは、今回も官僚たちが障害当事者たちの話をきかず、
密室で強引に決めようとしていることが全国の障害者たちの反発を買っているようだ。
お役所というのは(前回あれほど騒動になったにもかかわらず)何と学習能力のないところだろう。
 まあ、彼らにしてみれば、『わがままで世間知らずの障害者たちに代わって、
常に日本全体のことを視野に入れて立案している私たちに任せておけばいいのだ』
とでもいうような、高すぎるプライドが邪魔をしているのではないだろうか。

 確かに彼らは優秀だし、日本の針路を握っているという自負があるのだろう。
鳴り物入りで導入した介護保険制度が数年ももたずパンク寸前になっているのは、
 『高齢者や障害者たちが必要以上のサービスを要求してきたからだ、ことほどさように
彼らの言うことを無制限に聞いていたら日本の財政はとんでもないことになる。
彼らがまたうるさいことを言い出さない前にこっそり通してしまおう』
 とでもいうような本音が透かしだされる。

 なるほど日本の財政難は深刻な状態だ。国民一人当たりの借金が500万とか800万とか。
そこを障害者たちも理を尽くして説得されれば全く聞く耳を持たないわけではないだろう。
本当に国民全体が痛みを分かち合う必要があるのなら、しぶしぶながら従うにやぶさかではない。

 ところが最近の厚生労働省や社会保険庁や公社ほかの税金の無駄遣いや、
天下りの贅沢三昧は目を覆いたくなるほどひどい。道路公団の談合や無駄な公共事業もなくならない。
国会議員も法外な議員年金を改めようともしない。法にふれるようなものなら、
ちゃんと刑罰に服してもらわないと、子どもたちに示しがつかない。

 既得権益を一度手にした人間がそれを手放すことはいかに難しいか思い知らされる。
障害者の中にもそれはあるだろう。たとえば私が電動車いすを禁じられたら、
おそらく全力で抵抗するだろう。しかしそれは天下りのレベルとはあまりにも違う話だ。

 そんなありさまを見せつけられて、国民や障害者たちが素直に痛みを分かち合う
気持ちになれるだろうか。その前に削らねばならぬところがあるんじゃないですか、
とみんなはシラけているのである。
 実際、どこぞの無駄なダム建設を一つか二つ減らせば、
無年金障害者救済の財源なんかとっくに捻出できているはずなのである。

★きょうの短歌
戦友とは人を殺しあった友達という意味ならば裏声になる   東風虎












●第四百十ニ回 (2005年6月30日)

 朝からぼけーっとテレビを見ていたら、
ある美少女タレントがラーメンを食べていた。
その箸のにぎり方を見て、私は『兵衛ーっ!』と腰を抜かしそうになった。
ちゃんとしていたからである!。美しい。
 なにしろこの数年、若手のみならずいい年をしたタレントや
局のレポーターや女子アナでさえ変なにぎり方ばかりで、
まっとうな姿を見たことがなかったからである。
 それはフジの「めざましテレビ」の「早耳娘」のコーナーで、
モデルの徳沢直子というレポーターであると知った。
それほど育ちがよさそうにも見えないのだが、
へえーーーーーっ、と私はひとしきり唸った次第である。
 えらそうなこと言ってるが、私のにぎり方も変である。
手指がマヒしているから、拳の中指と薬指のすきまにフォークを差し込み、
それこそ「にぎり箸」のように掬って食べている。
(江戸時代の盲目の大学者塙保己一もにぎり箸だったそうな)。
 あまり人前に出せたものではない。

(後日の追伸) あとでまた見ると、直子ちゃんのにぎり方もやっぱり
 親指の向きが変だった。それでも気になるほどではない。

★きょうの短歌
がさつにしか言えぬ農婦と知りながらやや心臓をえぐられている    東風虎












●第四百十一回 (2005年6月29日)

 今年はじめての西瓜をいただいた。
残った皮も緑の縞模様の部分と赤い実の部分を剥いで、
塩漬けにしてあとでいただくのが楽しみだ。
 ご飯のおかずにも焼酎のつまみにも淡彩で美味しい。
しかし全国にはそんな食べ方をしない人も多いらしい。
貧乏くさいと思われるのだろうが、もったいないことだ。
 西瓜(皮も)を食べると小便の出もよくなる。
かつての入院中同じ病棟の片マヒのお爺さんは、
西瓜の赤い汁を入れたビニール袋をいつも持ち歩いていた。
そこまではちょっと遠慮したい気分だが。
 ちなみに西瓜の赤い色の成分をリコペンというらしい。
へのもへ流の家元としては当然「利己ペン」を連想し、
気をつけねばならんなあと自戒した。

 それから夏の名花の一つザクロの花も咲いたし、
木戸にはノウゼンカズラの花も散り敷きはじめた。
そろそろ「夏休みの匂い」もしてくるだろう。
 あれを嗅ぐと私は居ても立ってもいられなくなる。

★きょうの短歌
背もたれを一つ倒して世の中がちがってしまう紫陽花のみち   東風虎











●第四百十回 (2005年6月26日)

 絵本作家の長新太さんの訃報が載っていた。
すぐに「ゴムあたまポンたろう」を思い浮かべた。
 私は週に一度くらい嬉野の図書館に行くのだが、
用事のあと絵本や童話を一、二冊ずつ読むのが楽しみとなっている。
 しかし有形無形に大人のものさしを押しつける本が多く、
記憶に残るものは驚くほど少ない。
 そんな中で長新太さんと五味太郎さんの本には、
失望させられることがほとんどなかった。
とりわけ長さんの「ゴムあたまポンたろう」を読んだときには、
口あんぐりーとなってしまった。何だ、これはーっ!?
 どこからともなく飛んできた「ポンたろう」という少年(?)が、
鉛筆の(消し)ゴムふうになった頭で、ポーン、ポーンと
山や動物や木などいろいろなものを跳ねてゆくのである。
 ただそれだけの話なのだが、私の中の「子ども」には大受けだった。
これなら他の子どもたちも大喜びするだろうと確信した。
(お母さんたちにはどうかわからないが)
案の定1999年の「日本絵本賞」を受けていたと追悼記事で知った。
 慎んでご冥福をお祈りいたします。

★きょうの短歌
褥瘡を略語登録してさらに幻覚オルガスムはどうしよう   東風虎












●第四百九回 (2005年6月24日)

 頸髄損傷になってつくづくわかったことの一つは、
『誰かがやってくれるだろう・・・・』などと思っていたら、
世の中は何にも変わらないということだ。

★きょうの短歌
竹山を伐られてしまいタケノコをいただけなくなっている施策   東風虎 












 
●第四百八回 (2005年6月22日)

 掲示板につづいて、三つの画像掲示板のほうも
どうやら開かなくなったようです。大ショック!!
 いずれも無料のトクトクから借りていたものなので、
やはり有料のものに付け替えなければならんなあ、
と考えているところです。
 皆様にはしばらくご迷惑をおかけしますが、
何か急ぎの御用のある方は下記のアドレスまでメール下さい。

 henomohe@po.ktknet.ne.jp

★きょうの短歌
自慢ではないがネクタイ一本も持たずに半世紀をすごす  東風虎









●第四百七回 (2005年6月21日)

 NPO法人「日本せきずい基金」のホームページ
 (これは毎年5000人ほど発生するという脊(頸)髄損傷者たちの、
混迷の極にあるだろう闘病初期に、同じ障害を抱える先輩たちから
一筋の道程を指し示してやりたいという願いから創設されているもので、
彼ら(とりわけ頸髄損傷者たち)自身が運営しているサイトです。
いわばボランティアのピア・カウンセリングと言えるでしょう)

 その関連著書欄に数来年、本の紹介(書評)を掲載させてもらっています。

 http://www.jscf.org/jscf/SYOHYOU/SYOHYOU.htm

 そのうちここ最近新たにアップした本のリストです。
写真もふんだんに載せておりますので、関係者にかぎらずどなたでも、
よろしかったら一度覗いてみてください。
 おそらく意外な発見があるのではないかと自負しております。

★「明日への架け橋」(古跡博美著、文芸社、2005年、1200円)
★「どうせ、生きるなら」(廣道純著、実業之日本社、2004年、1400円)
★「手足は動かぬとも」(赤坂謙著、碧天舎、2003年、1000円)
★「再起可能」(木村和也著、熊本日日新聞社、2004年、1043円)
★「いま命輝いて」(野尻千穂子著、熊本日日新聞社、1997年、1429)
★「障害者が恋愛と性を語りはじめた」(障害者の生と性の研究会・河原正実代表編集、
  かもがわ出版、1994年、2200円)
★「一句一姿」(酒谷愛郷ら共著、書肆草茫々、2005年、1200円)
★「セックス・ボランティア」(河合香織著、新潮社、2004年、1500円)
★「両輪(ダブル・ホイール)」(森圭一郎著、TOKYO FM出版、2004年、1330円)
★「いのちの絵筆 口で描く私の人生譜」(野田武男著、鹿砦(ろくさい)社、2000年、1200円)
★「山の向こうの美術館」(星野富弘著、偕成社、2005年、1600円)。
★「星野富弘全詩集T 花と」(星野富弘著、学習研究社、2005年、1400円)
★「星野富弘全詩集U 空に」(星野富弘著、学習研究社、2005年、1400円)
★「あなたの手のひら」(星野富弘著、偕成社、1999年、1400円)
★「花の詩画集 花よりも小さく」(星野富弘著、偕成社、2003年、1400円)
★「全国バリアフリーの宿〈2005年版〉―お年寄り&障害者にやさしい430軒」(山と渓谷社、2005年、1890円)
★「ノーマライゼーション 2004年9月号 知り隊おしえ隊」(日本障害者リハビリテーション協会、中島虎彦ら分担著)

★きょうの短歌
散歩みち朝のカエルの腹わたが夕べには運び去られている  東風虎










●第四百六回 (2005年6月20日)

 私は実は靖国神社に行ったことがある。
たぶん5歳(昭和33年)のころだったと思う。
 父が東京の国立病院へ義眼を新調しに行くのに、
兄弟のうち一人だけ連れていかれたのである。
佐賀から蒸気機関車(寝台)で何日もかかったような気がする。
 記憶はほとんどないが、写真が残っているから行ったのだろう。
神社のばかでかい鳥居の足元にちょこなんと佇んでいる。
自分で言うのも何だが可愛らしい(笑)
 A級戦犯が合祀されたのは1978年(昭和53年)であるから、
当時の靖国神社はB・C戦犯と一般の戦死者を祀る社だったはずである。
父も格別深い意味はなく東京へ出たついでに慰霊したのだろう。
 そのあと皇居にも行っている。こちらは砂利の広場をよく覚えている。
というよりたぶん「はとバス」に乗って巡ったのだろう。
出来たばかり真っ赤っ赤の東京タワーの直下も通ったが、
(それにしてもどうしてあんな色に塗ったのだろう?)
なぜだか上らせてくれなかった。それが心残りだ。
 父の本当の眼球のほうは、ラバウルのジャングルに、
今でもごろんと横たわっているのではないだろうか。
父は靖国を拝んでそれに対面できただろうか。
 「靖国で会おう」と誓い合って散っていった若者たちの御霊は、
はるかな海原を飛び越えて靖国まで戻ってきているのだと言うけれど、
誰かそれを見た者がいるのだろうか。

★きょうの短歌
葛の蔓ぶつりぶつりとこれだから電動車いすはやめられません   東風虎












●第四百五回 (2005年6月15日)

 「死後体験」(坂本政道著、ハート出版、2004年、1500円)
という本をぱらぱらとめくっていたら、次のような記述があった。

 「多数の地球外生命体は、これから地球で起こる大きな変化を目撃するために、
集ってきている。この変化はアース・チェンジーズともビッグプランとも呼ばれている。
(中略)87億年に1回起こるか起こらないかの出来事が、これから地球で起こるという。
(中略)われわれの時空間だけでなく、隣接するエネルギー・システムすべてが変えられる可能性もある」

 ここまで読んで、またぞろ聖書のハルマゲドンみたいな破滅の予言かと、
気が重くなり本を閉じたくなったが、辛抱して次ページをめくると、

 「ブルース・モーエンはさらに探索を進めた。彼によればこの一大変化は、
地球のコア結晶の軸がはるか遠くの、ある物体の軸と一致するために起こり、
大量の『無条件の愛』が『愛の源』から地球にもたらされるという。
 それにより人類の意識は拡大し、人類の意識はかつてひとつであったということや、
そもそもわれわれが創造された理由、目的を思い出すのだという」

 というふうに続くので、おやっと思った。まんざらではないではないか。
これなら一大変化も待ち遠しいようなものだ。こんな悲観的な時代においては、
みんなの気持ちを少しでも明るくするかもしれぬとご紹介することにした。
 信じるにしても信じないにしても、そういう話もある、
というくらいの気持ちでいたらいいだろう。
 それはそうと、ラエリアン・ムーブメントはどうなったのだろう。

★きょうの短歌
ジャンボ機のコックピットのようだねと言われてまんざらでもなさそう   東風虎












●第四百四回 (2005年6月14日)

 今年は佐賀県文学賞の詩部門審査員を仰せつかり、
きょうはその第一回めの打ち合わせに佐賀市まで行ってきた。
 一昨年も小説部門で打診があったのだが、
電動車いすの移送に難があったので、お断りしていた。
 今年は主催の文化団体協議会の職員さんが、
リフト付きワゴン車を運転してくださったので、重い腰を上げたのである。
なつかしい人たちにお会いできたのは嬉しかった。
 しかし車内と会場での五時間はやはりしんどかった。
行きの車の中からすでに小便が出にくくなっていたのだが、
会場では全く出なくなり、その分脂汗があふれ出た。
いたしかたなく昼食も辞退して早めに帰ってきた。
 この日のために二日前から禁酒し水分を控えてきたことが、
裏目に出てしまった感じである。私の身体はなんとまあ難しい。
あきらかに以前より無理がきかなくなっている。
 この分ではあと二回の会合に行けるかどうか、
いささか自信がなくなってしまった。
どうしたものか途方に暮れている。

★きょうの短歌
つづまりは金の話になってゆくほかにないのかはないちもんめ  東風虎













●第四百三回 (2005年6月12日)

 塚本邦雄と倉橋由美子の訃報が相次いで報じられた。
塚本邦雄への思い入れはさほどでもないが、
倉橋由美子には私もだいぶ楽しませてもらった。
 「パルタイ」だったかどうか、彼女の初期のころの小説の中に、
「一台の車いすの参加が運動会の健康さを台無しにする」
という一行が出てきて、そのときすでに電動車いすに乗っていた私は、
「なにーっ!?」と内心で目をむいたことがある。
 今の石原都知事とはわけが違うんだから(笑)、
一体どういうつもりでこんな無神経なことを言うんだろう?
とそれから彼女の作品を断続的に読み継ぐようになった。
 歯科医の娘でお嬢さん育ちだからでもあろうが、
要するに、彼女はただ馬鹿正直なだけだったのだろう(笑)
 晩年の「大人のための残酷な童話集」などは真骨頂であった。

★きょうの短歌
さなぼりの憩いにまんじゅうふかすころかっくんちゃんも嗅ぎつけてくる   東風虎












●第四百二回 (2005年6月11日)

 このところエコロジストたちの提案で、
スーパーやコンビニのレジで例のビニール袋をもらうまい、
というキャンペーンめいた動きがあるようだ。
 もっともな意見だと思うが、私はもらっている。
ちょっと気が引けるが、私にはあれが必要だからである。
 というのも手指の不自由な者は電動車いすから、
床に置いた(落ちた)ものを拾い上げるのが並大抵ではない。
そのため一升瓶から本からAVから髭剃り器まで、
多くをあの袋に小分けしてサイドテーブルの下段などに置いている。
そして袋の取っ手に手首をひっかけて持ち上げるのである。
 これはほんの一例で、その他にもさまざまな用途に使える。
ただし薄くて破れやすいので二枚、三枚と重ねて使えば重宝だ。
それでも毎日のことだから傷みが激しく次々に補充せねばならない。
 そのためにあの袋がいくらでも必要なのである。
こういう者もいることをわかってほしい。

★きょうの短歌
ストローでワカメやもやし豆腐ネギつまり世界を吸いあげている   東風虎












●第四百一回 (2005年6月6日)

 靖国神社参拝問題について、口幅ったい言い方だが、
ネックのA級戦犯を分祀すればすむことじゃないかと、
誰だって思うだろうが、遅々として進まない。
 いったいどういうわけだろうと首をひねっていたら、
当の靖国神社の神主が強硬に拒んでいるのだという。
はてな、彼らにしたって毎年物議にされるよりいじゃないか、
厄介払いができてせいせいするんじゃないかと思うのだが。
 文祀したら右翼や一部政治家の参拝が減って、
玉ぐし料が目減りすることでも恐れているのだろうか、
まさかそんな下世話な料簡ではあるまい。
 するといったいどういうわけなのだろう。
小泉首相らが言うように「死ねばもう罪も晴れている」ということか。
神道にうとい者にはいまひとつわかりにくいところだ。
 そんなことより、靖国神社には実はなーんにもいないのだ。
戦死者たちの御霊は今でも現地にとどまっている。
南洋のジャングルなどに転がっているのだ。
 しかしそれだと毎年現地まで行って慰霊しなければならなくなり、
生き残った者に不経済だから、一箇所に集めたことにして参拝しよう、
というのが本心ではないか、というのが私の推察だが。
 それなら東南アジアからのいちゃもんも意味をなさなくなる。

★きょうの短歌
こうやって生きていることそのものに月給の出るところはないか  東風虎











●第四百回 (2005年6月5日)

 嬉野の図書館へ行った帰り、
本(旧)通りまでぷーらぷーらうろついてゆくと、
歩行者天国でフリー・マーケットが開かれていた。
 古着や骨董品の黴臭くなつかしい匂いの中を、
あれこれ見て回ったが買いたくなるような物はない。
もう物はうちにあふれかえっているのだ。
古本でも出ていれば目を皿にしただろうが。
 それより行き来する若者たちの姿に見とれる。
出店者もお客さんも意外と若い人たちが多いのだ。
 何不自由なく育ったかのようにすらりと伸びた手足。
私は障害者になって健常者を羨んだりすることはあまりないが、
彼らの眩しさにはちょっとばかり落ち込んだ。
私も歳をとったのだろうか・・・・・。
 彼らは自分の若さと健康が誰かを落ち込ませているなんて、
夢にも気づくことはないだろうなあ。
 それからしばらく歩くうち・・・・・・そうだ!
私も障害を負う前の二十歳ごろ、
彼らと同じように街を闊歩していたことがあった。
あのとき私もまた誰かをひそかに傷つけていたのかもしれない。
 とそう思い至って、なおさらに首をうなだれてしまった。

★きょうの短歌
戦友とはつくづく変な言い方で慰霊碑建立ツアーなんかも  東風虎












●第三百九十九回 (2005年6月3日)

 二子山親方の早すぎる死去にともなう
若・貴兄弟のド派手な確執に驚き呆れて(半ば面白がって)いたら、
今度は日本中のガードレールから謎の鉄片突起が二万個近くも見つかり、
はてさてこれは一体どうしたことだ、と頭をひねるばかり。
 イタズラ説、元々の部品説、車の接触説、カルト説、UFO説、
などなど乱れ飛んでいたが、イタズラだとしたらあまりにも歯がゆい。
 しかし車の接触説でおおかたの決着をみたようである。
ワイドショーなどは拍子抜けの面持ちで、物足りなさそうでさえある。
第一報のときにはイタズラ説の予断が見え見えで、
コメンテーターなどは世も末だという悲憤慷慨を隠さなかった。
そして北朝鮮・中国・韓国問題などとからめてさらに悲観ぶるのだった。
 しかし一夜明ければただの事故跡ということで、
彼らはきちんと前夜の詫びを述べるべきであろう。
いたずらに世間を悲観させた罪は決して軽くはない。
 こんなことを言うのも、戦争前夜などというのは諸々の事象を
権力者がことごとく自説に都合のいいように解釈して報じ、
世間をいたずらにある方向へ傾斜させてきたからである。
 どんな時にも科学的な態度、検証する姿勢、
状況証拠の積み重ねを忘れてはいけない。 
 それにしても江戸時代ならどちらかの話題で一年はもつだろうなあ。

★きょうの短歌
玄関はどんな時でも開けておく町議に黒い噂もたえず   東風虎













●第三百九十八回 (2005年5月30日)

    「とろうのおの集」(18)

この国の一企業総売り上げがギリシャの予算を超えてゆく春
フィリピンに改造車いすを贈るこれも集団的自衛権    

犯人の自宅はどれもけっこうな構えでこちら安堵している
戦場でしか生きている実感を味わえないという人もある   
世の中の半分は女性なのだから敵に回して勝てるわけない   
しびん一つ求めて街をめぐるとき視野狭窄の南中となる    
雨宿り先でツツジのお花見もすましてしまう電動車いす
柿若葉みれば何にもいりませぬコンビニおにぎりと発泡酒のほか
若葉から青葉へ移ってゆく村に夕張メロン威張るなメロン
バリアフリーとユニバーサルデザインとどう違うのと聞かれてもなあ  
地震雲見たの見ないの南国にあってはならぬことがあっている
謝っている裏で議員らぞろぞろと参拝しては信用されず
台風や地震にあちらのサイトではざまあ見ろと書き込まれている
テポドンと核を混同してしまうヘルパーさんを責められるのか
富弘の詩画集をおふくろさんに読まれないうち返しておく
蒼氓(そうぼう)の望まないほう望まないほうへ転がってゆく火球
長々と「とろうのおの」にかかずらいすぎて内向きの歌を詠めない

褥創は見ないことにしている意生地くじけるのが怖いから
どたキャンとは犬の散歩で倒れることではありませんばたんキュー
耳につく辛酸なめ子という人の本は読まずともかまわない











●第三百九十七回 (2005年5月25日)

 JR西日本福知山線の事故は悲惨なものであったが、
その中にもかすかに希望の湧いてくるエピソードがあった。
 事故現場の第一報がテレビで報じられたとき、
ぐしゃぐしゃになった列車の上に乗って救助活動をしていた
白いヘルメット姿の作業員たちは、実は消防隊員ではなかったという。
 あれは現場近くの何かの工場の職員たちで、
大音響を聞いてこれは只事ではないとすぐに仕事をやめ、
工具類をもって駆けつけた人たちであったというのだ。
専門技術を活かして鉄板をこじあけたりしていたらしい。
 またその直後負傷者たちがタオルで出血を押さえている場面が映ったが、
あのタオルも消防や警察やJRから配られたものではなく、
やはり現場近くの何かの店主がとっさの判断で調達したものだという。
 その他にも現場近くでさまざま手助けした人たちがいたらしい。
こういうことは事故から一週間くらいして初めて知った。
そしてちょっと胸が熱くなるようだった。

★きょうの短歌
フィリピンに改造車いすを贈るこれも集団的自衛権    東風虎











●第三百九十六回 (2005年5月24日)

 親類一の出世頭でご意見番のおじさんがいる。
裸一貫から叩き上げてその業界の県の会長にまでなった職人だ。
 彼の信条として現場で額に汗して働くことが一番尊く、
机の上で図面を引くような輩はたいしたものではない、
というのがいつもの酒席でのお説教となる。
 そうであるからこそ、文学の徒などは問題外、
お話にもならないという底意がありありと見てとれる。
まいったなあ、と私は頭をかくばかりである。
 障害を得てもめげずに打ち込んでいるつもりなのだが、
おじさんにはいつまでたっても認めてもらえない。

★きょうの短歌
富弘の詩画集をおふくろさんに読まれないうち返却しておく   東風虎









●第三百九十五回 (2005年5月18日)

 諫早湾干拓訴訟で福岡高裁が一審を覆し国側の言い分を認めた。
漁業不振と干拓工事の因果関係がはっきり証明できないからと。
 有明海の漁民たちは身を震わせて怒りを表していた。
佐賀地裁の判決が画期的なものであっただけに、さもあろう。
 ところで、私は子どものころ地図帳を眺めていて、
有明海のこの入り江を仕切ったらさぞかし広い土地ができるだろう、
そこに米や野菜をたくさん作ればどんなに役立つだろう、
と考えたことがあるのを白状しなければならない。
 子どもの発想などというものはおおかたそんなものだろう。
たとえば未来社会の想像図を描く図工の授業などでは、
たいていの子どもが宙に浮くハイウェイや高層ビルやロボットを描く。
 「鉄腕アトム」などの影響もあるかもしれないし、
アメリカのSF映画などの影響もあるかもしれない。
 それらが未来を切り開く力となる一面も確かにあるだろうが、
おおかたはいわゆる「机上の空論」「絵に描いた餅」と言える。
 とりわけアメリカSF映画のワンパターンはどうだろう。
「ブレード・ランナー」などを初めとする多くの映画では、
(核)戦争後の都市の残骸が舞台になることがほとんどだ。
 しかしちょっと頭を冷やして考えてみてほしい。
都市生活者のうち心ある人たちはUターンして帰農する例が増えている。
団塊の世代が定年を迎えたら、さらに加速することが予想される。
 つまり大都市(的発想)に未来はないということを、
多くの人間がうっすらと感じ始めているのは覆い隠しようがない。
そこから超未来社会とは緑にあふれた田園風景が広がる、
そういう想像図が一枚ぐらい現れてきても罰は当たらないだろうがなあ、
と考えてしまう私なのであった。
 してみると諫早湾をギロチンで締め切る発想というのは、
アメリカSF映画と同じように子ども並みの空論なのかもしれない。

★きょうの短歌
犯人の自宅はどれもけっこうな構えでこちら安堵している   東風虎
 












●第三百九十四回 (2005年5月15日)

 お尻の褥創もだいぶ固まってきたので、
嬉野温泉のみゆき球場までウエスタンリーグを見に行った。
阪神タイガースとソフトバンクホークス戦。
 有田の町おこしグループが招聘したものらしい。
秋山浩司監督や川崎ムネリンなどの姿があった。
 電動車いすはバックネット裏の特等席に案内されたので、
まさしくテレビの実況放送と同じ目線で見られた。
(もっとも日差しが27度まで上がり、途中で木陰に退散したが)
 二軍とはいえプロ野球は初めて目の当たりにするので、
(それは他のおおかたのお客さんも同じらしく)
フライ一つにしても新鮮な驚きの声が上がった。
 まず打球音がテレビとは全然ちがう。
よく漫画などで「カキーン」と表されるが、実際は「パッカーン」という感じ。
それにピッチャーのカーブがとてもよく曲がる。
ファウルや内野フライが実に空高く上がる。
二軍戦なのに両方の応援団が来ていて鐘・太鼓がうるさい。
(彼らは仕事はどうしているのだろう、と心配になる)
 前の高校生が興奮して立ち上がると見えなくなるので、
「すみません、座ってもらえませんか」と注意すると、
一瞬ジロリと睨みつけられたりした(苦笑)
 その他、若い女性たちの息吹にも間近に接せられて、
何やかやと楽しい午後であった。

★きょうの短歌
戦場でしか生きている実感を味わえないという人もある   東風虎














●第三百九十三回 (2005年5月10日)

 北朝鮮がテポドンを日本海に発射したり、
核兵器の保有を表明したりし始めたころ、
ヘルパーさんがさも心配そうに「大丈夫でしょうかねえ」と言う。
今にも原爆が落とされるのではないかと誤解しているのである。
 原爆は高校の理科程度の知識で作れるというし、
ミサイルだって近距離ならそれほど難しいものではあるまい。
 問題は核を小型化してミサイルに搭載する技術と、
そのミサイルを目標物に正確に命中させる技術があるかどうか。
今の北朝鮮にはそこまでの技術はない、
というのが内外の軍事関係者たちの大方の意見のようだ。
 つまりヘルパーさんはテポドンを即「核」と混同しているのである。
毎日仕事と家事に追われ、落ち着いて新聞を読む暇もないという、
そういう一般の多くの国民の無知は責められない。
 ところが一部のタカ派はこの時とばかり危機感をあおり、
そのために憲法(9条)改正と安保の集団的自衛権が必要なんだと脅かす。
するとヘルパーさんたちは震えあがってしまうのである。
 世論調査で憲法改正が必要だと考える国民がほぼ半数に及ぶが、
その内実はおおよそこんなものだろうと思う。

★きょうの短歌
世の中の半分は女性なのだから敵に回して勝てるわけない   東風虎







●第三百九十二回 (2005年5月9日)

 このGWはどこへも行かなかったので、
きのう遅ればせながら旭ヶ丘に葉桜を見に行きました。
 葉桜のトンネルからの木漏れ日は気持ちよかったけれど、
赤門前の芝生広場には元大臣I氏の顕彰碑が新たに造られていて、
ちょっと興醒めでした。
 別にIさんに不足があるわけではないけれど、
そんなふうにみんな(支持者)が我も我もと言いだしたら
そのうちあそこは石碑で埋まってしまうんじゃないでしょうか。
 今でももうかなりの数立ち並んでいますからね。
あそこは本来市民みんなの憩いの場であるべきでしょう。
 はてさて、毎年叙勲の季節がやってきますが、
勲章や碑をほしがる人たちの隠れた執念たるや凄まじいようです。
 そんなに欲しいなら私の肘の瘤でも差しあげましょう。
30年もののこれも立派な勲章ですぞ(笑)

★きょうの短歌
しびん一つ求めて街をめぐるとき視野狭窄の南中となる    東風虎





    

●第三百九十一回 (2005年5月5日)

 このゴールデン・ウイークは尻の褥創の養生につとめ、
あまり遠出もしなかった。もっぱらゴロゴロと寝連休を決めこんでいたが、
その間ゆいいつ、BSテレビの映画「橋のない川」(第一部・第二部)を見た。
 奈良の未解放部落を描いた住井すゑの原作を、社会派の今井正が監督したものだ。
(佐治乾脚本、北林谷栄主演、長山藍子、伊藤雄之助、1970年)
何の根拠もなく差別しその尻馬に乗る大人や子どもたち、
障害者の問題とも重ねあわされてがはがゆい。
 その原作七巻を十年ほど前やはりGW期間中に一気に読んだこともあった。
あの頃は根気とエネルギーがあったなあ(笑)
それに老眼がきていなかったからできたことだ。
 そんなゴールデン・ウイークの過ごし方もまた一興であろう。

★きょうの短歌
雨宿り先でツツジのお花見も済ましてしまう電動車いす  東風虎











●第三百九十回 (2005年5月4日)

 ケニアの環境副大臣で
ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんが、
国連の演説で「日本語の『もったいない』を環境保護のため世界に広めたい」
と発言してくれたことを、日本中が喜んでいる。
 いろんな新聞の一面コラムやTVのワイドショーで取り上げられ、
連日の不祥事つづきで、いわゆる「明るいニュース」に飢えていた世相に、
一筋かっこうの光明をもたらしているようだ。
 確かに一部の企業や自治体やNPOや市民グループでは長年リサイクルに取り組み、
それなりの成果を上げていることは私も聞き及んでいる。
マータイさんもそういう事例に触れたのだろう。
まさか江戸時代の話をしておられるわけではあるまい。 
 しかし正直いって私は最初に聞いたとき違和感をもった。
まずコンビ二で毎日大量に出る賞味期限切れのおにぎりや弁当を連想し、
次に飲食業やホテルの宴会場などから出る残飯を思い浮かべたからだ。
 もちろんそれらの中には養豚業者などに引き取ってもらう所もあろうし、
店員や職員がもらって帰るところも多いだろう。
しかしそれでも全国の残飯にはとても追いつかないだろう。
 これで本当に「もったいない」を実践している国と言えるだろうか。
マータイさんは買い被っているのではないかと恐縮したのである。
 それとも現代日本は私の考えている以上に進んでいるのだろうか?
ちなみに日本語にはもう一つ「おかげさまで」という美しい言葉もある。

★きょうの短歌
バリアフリーとユニバーサルデザインとどう違うのと聞かれてもなあ   東風虎







●第三百八十九回 (2005年5月3日)

     「とろうのおの集」(17)     

湖の面で踊りつづけていないと沈んでしまいそうな気がする
カワイイとスゴイを言わぬ娘さん探して四半世紀になる
カラムシの葉にびっしりと毛虫らのもぞついている村に生まれて
車いすからは四葉のクローバーそのままにして引き上げてくる
宵越しのお茶は飲むなとは知らず五十余年も長らえている
雑踏のなかの私をもうひとり別の私が見下ろしている
サービスを使わなければ損やアホやバブルのころにも聞いたような
震災前二ヶ月分の原稿を送っていたのは虫の知らせか
16回18回も謝って許してもらえないほどの罪か
恥ずかしの道を踏みしめ噛みしめてアオキ赤らぬ藪あたりまで
新緑が始まっている遺恨など蒸し返している場合ではない
新緑が始まっている褥創などこしらえている場合ではない
コンクリートジャングルに住む友たちに申し訳ないしろつめの草
男から女になった教え子のテレビ録画することも忘れて
人間は何でも祭りにしてしまうむろん場末のランジェリーまで
図書館の上がれぬ二階それじたい矛盾している山野草展
花ぐもり芸能界をなめきったようなあややのCMがゆく
瞽女という漢字なかなか呼び出せず旅芸人の訃もすぎてゆく
春嵐に100円ショップの帽子でも吹き飛ばされればあきらめきれぬ
子どもらのなりたい職にもの書きが入ってなくてホッとしている
女らの結婚したい職業に作家がなくてムッとしている
いつからか博覧会にとりたてて行きたくもない人たちになる
反戦を言えば思考が停止するくらいでちょうどよい忙しなさ
勲章を欲しがるやつにわが肘のコブをあげよう三十年もの
ゴールデンウイーク中はお茶つみと定っていたうれしの育ち











●第三百八十八回 (2005年5月2日)

 だいたい月に一度のペースで更新している「とろうのおの集」も
いつのまにか第16集まできてしまった。
 それについてかなりの方から「外向きの歌」と言われるが、
(つまり薄っぺらだという意味合いが込められているような気がするが)
そもそもがアメリカのネオ・コンのあまりの横暴に抵抗することが、
ことの始まりだから当たり前といえば当たり前だ。
 とはいえ、歌集「夜明けの闇」をごらんいただけばわかるように、
「唐突に叫びたくなり叫ばずにまたも一人の修羅ゆききする」
などと、私はもともと内向きの歌を多く詠んでいたのだ。
 それが「とろうのおの集」に長くかかずらいすぎて、
もう内向きの歌は詠めないのではないかという不安がよぎる。
 藪大統領どの、どうかさっさと手を引いて下さらぬか。

★きょうの短歌
反戦を言えば思考が停止するくらいでちょうどよい忙しなさ   東風虎










●第三百八十七回 (2005年4月29日)

 伊万里市の脊椎カリエスで川柳作家の酒谷愛郷さんが、
共著「一句一姿」(書肆草茫々、1800円)を出されました。
 副題に佐賀川柳五人自選句集とあり、撫尾清明、小松多聞氏らとの
コラボレーションとなっています。
 もっとも他の四人とははっきり傾向が違っていて、
まるで川柳本の中で現代詩を読んでいるようです。
相変わらずの飛翔感が楽しめます。
 他の方たちに先生が多いのにくらべて、
(実際、詩人など大学教授が多すぎかもしれません)
酒谷さんは掛け値なしの貧乏在野(笑)という点が貴重です。
ちなみに私も貧乏在野(笑)。

 氏の作品についての批評は下記のサイトに詳しいです。

 http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/senryu.htm

 私の大切な友人の一人でもあります。
皆さんも一度手に取ってみてください。
(連絡先は電話・FAX 0952-31-1608 八田)

 魚ふっと二月生まれを漏らすなり  酒谷愛郷

★きょうの古い短歌
カリエスを負う愛郷の背中には翼が折り畳まれているのか  東風虎











●第三百八十六回 (2005年4月28日)

 某紙の読者欄にHさんという投稿マニアの坊さんがいる。
Hさんは世の中の乱れに年がら年じゅう腹を立てていて、
その主張はおおよそ次のようなものである。
 戦後の民主教育で自由と権利ばかり教えてきたために、
子どもたちは我慢と義務を知らないまま大きくなり、
今のような不可解な事件が起こるようになった。
 とそればーっかり(苦笑)。よほど日教祖に恨みがあるらしい。
まあ確かにそれも一因ではあろうが、そればかりでもあるまい。
 ごくごく客観的にみて戦前・戦中の教育を受けた大人たちの醜聞、
そのほうがよほど子どもたちに悪影響を投げかけていると思うのだが。
 それに昭和30ー40年代に義務教育を受けた私など、
自由と権利をそれほど叩き込まれただろうかなあと首をひねる。
それならもう少しのびのびとした人間になっていそうなものだ(笑)。
 ただHさんの名誉のために付け加えておくと、
自分たち僧侶も葬式仏教に安住して本来の役割を果たしていない、
と自己批判してみせている。
 ではHさんが具体的にどういう実践をしているのか、
それについては別に何も書かれていない。

★きょうの短歌
男から女になった教え子のテレビ録画することも忘れて   東風虎











●第三百八十五回 (2005年4月27日)

 最後の瞽女(ごぜ)と呼ばれた新潟の小林ハルさんが亡くなった。
三味線を抱えて東北一円を門付けして回った盲目の旅芸人である。
 「最後の瞽女 小林ハルの人生」(桐生清次著、文芸社、2000年)
 「小林ハル 盲目の人生」(本間章子著、求龍堂、2001年)
 「鋼の女」(下重暁子著、講談社、1991年)
 などという伝記を読むと、それはもう凄まじい半生である。
たとえば盲目の少女たちに芸を仕込むやはり盲目の親方(女性)、
一見障害者たちの互助精神の発露のようでうるわしいが、
親方たちのイジメや嫉妬や暴力や金銭欲は目を覆うばかりだ。
そのためハルさんは若くして子どもを産めない身体になっていた。
 弱い者がさらに弱い者を標的にして鬱憤を晴らす、という構図。
何ともやりきれないばかりだが、決して大昔の話ではない。
障害者たちだって薄汚い人間に変わりない。
 そんな瞽女たちをモデルにした映画もあった。
「はなれ瞽女おりん」(篠田正浩監督、岩下志麻主演)である。
日本映画の中で私はひそかにベスト1だと思っている。
 どうも私は旅芸人というものに弱いのである。
フェデリコ・フェリーニ監督の「道」も心中穏やかでは見られない。
私の前世か過去世が旅芸人だったからかもしれない。

★きょうの短歌
瞽女という漢字なかなか呼び出せず旅芸人の訃も過ぎてゆく   東風虎














●第三百八十五回 (2005年4月26日)

 JR福知山線で大きな列車事故が起こった。
死者100人以上はJRになってから最悪の惨事であるという。
被害に遭われた方たちには心よりお見舞い申し上げます。
 線路のカーブのすぐそばにマンションが建っていることにも驚く。
角度によっては線路がマンションに突っこんでゆくように見える。
ガード壁みたいなものもなかったようだし、
あれで怖くなかったのであろうか。都会の人は横道坊(おーどぼー)だ。
 マスコミや私たちはともすれば死者の数で事故の大きさを計りがちだが、
誤解を恐れずいえば、即死するのはある意味で後腐れがない。
それより障害を負って生き残った者たちのほうにこそ、
重大な後半生の問題が待ち受けている。
 負傷者500人以上のなかには脊髄損傷や頸髄損傷も
発生していることだろう。どうかめげないでほしい。
 世間はひと月もすれば事故を忘れるが、
彼らのリハビリテーションは人知れず続いてゆく。

★きょうの短歌
図書館の上がれぬ二階それじたい矛盾している山野草展   東風虎











●第三百八十六回 (2005年4月25日)

  テレQの「スーパーテレビ」に以前書いた塾の教え子がまた出ていた。
これで三度目か四度目ぐらいである。よほどの人気者らしい。
 彼はいわゆる性同一性障害のため、男から女に性転換している。
今回で完全に手術も終わり、実にきれいになっていた。
 そして夜の水商売はやめて昼間の美容師をめざすという。
(彼は男であった18歳からの5年間を美容師見習いとして働き、
田舎の母親に仕送りしていたという孝行息子である)
 それを見守る田舎の母親と妹も出演していた。
世間との葛藤を真面目に追うドキュメンタリーとなっていた。
 その中で、彼女(!)はこんなことを言っていた。
「美容師の修行にくらべたら、夜の商売は遊びのようなものだった」と。
やっぱり本人もそう感じていたのだな、と妙に納得した。
 私はかねてから性同一性障害の若者たちが
多くは水商売の世界に飛び込み生計を立ててゆく選択を、
世間の現状からしかたのないことだろうとはいえ、
何かもうひとつ釈然としない思いでいた。
 そんなところへ、彼女が堂々と挑戦してゆくさまは清々しかった。
陰ながら応援しているから、どうか頑張ってほしい。

★きょうの短歌
コンクリートジャングルに住む友たちに申し訳ないしろつめの草   東風虎












●第三百八十五回 (2005年4月21日)

 ☆ここ最近の読書(独断的)ベスト10

「どうせ、生きるなら」(廣道純著、紀伊国屋書店、2004年、1470)
「失踪日記」(吾妻ひでお著、イーストプレス、2005年、1140円)
「みどり・こうじ」26号(中山陽右著、私家版、2005年)
「へんないきもの」(早川いくを著、バジリコ(株)、2004年、1500円)
「詩集 苔の天窓」
(桑田窓著、新風社、2005年、1000)
「手足は動かぬとも」(赤坂謙著、碧天舎、2003年、1050)
「肉体不平等」(石井政之著、平凡社新書、2003年、735円)
「じぞうボタル」(前田和茂著、佐賀新聞社、2004年、1200)
「再起可能」(木村和也著、熊本日日新聞社、2001年、)

「一句一姿」(酒谷愛郷ら共著、書肆草茫々、2005年、1200円)
(次点)
「詩集 オウバアキル」
(三角(みすみ)みづ紀著、思潮社、05)
「いま命輝いて」
(野尻千鶴子、熊本日日新聞社、1997年、1429)

 「どうせ、生きるなら」は頸髄損傷の車いすアスリート廣道氏の放言に
 ぐずぐずした尻を蹴っ飛ばされるような本だ。
 「失踪日記」は路上生活者としてのサバイバルの手法を教えてくれる。

★きょうの短歌
新緑が始まっている遺恨など蒸し返している場合ではない  東風虎











●第三百八十四回 (2005年4月20日)

 数日前から玄関のチャイムが早暁に鳴るようになった。
一瞬、不幸でもあったかとイヤーな感じがよぎる。
おもむろに出てみても誰もいない。イタズラであろうか。
 昔は「ピンポンダッシュ」などという悪ガキらの遊びもあった。
しかし少子化の今そんな物好きがいるとも思えない。
 大人の仕業だとしたら、誰への嫌がらせであろうか。
と家族の一人一人の顔を思い浮かべる。
それぞれに思い当たりがないわけではない(私も含めて)。
それとも家族全体を標的にしているのだろうか。
 次に、犯人はやはり土地勘のある村の者だろうか。
と近所の誰彼の顔を思い浮かべる。
それぞれに思いあたりがないわけではない。
 しかし正気を失くした暴漢や破廉恥漢であったら、
電動車いすでは対処しきれないだろうと、
なかなか玄関まで出る勇気が湧かない。
そんな自分が情けない。
 ところが昨日の春嵐の真夜中にも何度か鳴り、
まさかこの嵐の中まで出張って来るわけはなかろうと、
家人がよくよく調べたら、配線がショートして鳴っていたのだった。
 なーんだ、と家族中が拍子抜け。
ホリエモン騒動の「泰山鳴動して鼠一匹」ならぬ
「女子アナブログ一着」というところか。
 それにしてもチラリとでも疑った人たちには申し訳ない。
人間なんてそんなものなのですねー。情けない。

★きょうの短歌
震災前二ヶ月分の原稿を送っていたのは虫の知らせか   東風虎











●第三百八十三回 (2005年4月18日)

 嬉野町の国立病院までしびんを注文しに行った。
セブンイレブンで焼き飯酢豚弁当と発泡酒2本をいただいて、
いい気持ちで山道を帰っていると、ぐんぐん気温が上昇してきた。
おそらく今年初の25度前後はあったのではないか。
 ただでさえ、昼間飲んだあとは体温が上がり具合が悪くなる。
そんな時は木陰で身体を傾けて休んでいれば、自然に治った。
 しかしきょうはちょっと違った。
いつまでたっても気分がよくならないばかりか、
起立性低血圧による目の前の白濁がさらに亢進してきた。
 私は嬉野行きで初めて生命の危険を感じた。
我が家まではまだ五キロもあったので、これではとうていもたない。
しかたがないから崖の上の民家に助けを求めようかと思った。
 しかしちょっと待てよ、数十メートル引き返したところに別の民家があり、
道路ぎわに足洗い場の水道の蛇口があったはずだと思いついた。
そこは私のようにヘルパーさんを受け入れている家だったので、
なんとなく近しさがあったのである。
 私は渾身の力をふりしぼってその蛇口にたどりつき、
栓をひねる(押しやる)とありがたや水が道路にあふれ出た。
そこにタオルを投げ落としてたっぷりと湿らせてから、
針金でひっかけて引き上げ頭から顔から腕から水をかぶった。
少しは口に含んで飲みもした。
 それでようやく人心地が戻ってきた。
やれやれ、命拾いした。水は本当に命の母だ。
お家の人にはあとでヘルパーさんを通じてお礼を言おう。
(なにしろ蛇口の栓が外れて地面に落ちたままだった)
 それから頭に雫の垂れるタオルをかぶって
ほうほうの体で我が家まで引き返した。

★きょうの短歌
宵越しのお茶は飲むなとは知らず五十余年も長らえてくる   東風虎












●第三百八十二回 (2005年4月17日)

 今から十年ぐらい前だろうか。
アメリカから「petit(プチ) justice」という流行が伝わってきた。
直訳すれば「小さな正義」。若者などの間にNGOやNPOや
ボランティアなど社会的な活動に何らかの形で関わっていることが、
一つの常識といおうか、付き合いの最低条件というような感じ。
 もちろんそれは素晴らしいことだが、そうやって何か一つ関わっていれば、
もう自分は後ろ指さされることはないんだ、というような開き直りに安住するような
みみっちさも見られるというものだった。
 ところが昨今の日本あるいは世界の風潮を見渡せば、
「petit victims」(小さな被害者)とでも言うべき風潮が忍び寄っている、
のではないかという感じがしてしようがない。
 たとえば理不尽な通り魔や拉致や事件事故によって
肉親を亡くした遺族たちの気の毒さは目を覆うばかりだ。
彼らが声を枯らして糾弾や解明を訴えるのももっともだと思う。
 そういうふうに何らかの被害を負っている者だけが、
現代(日本)では免罪符を得て、ある意味で堂々と生きてゆける、
そうでない者は心に何かしら疚(やま)しさを自覚して小さくなっている、
のではないかという気がしてならないのだ。
 これは私たち障害者にとっても他人事ではない。
障害や車いすが何らかの免罪符になるはずもない。
障害があろうがなかろうが私たちはみな罪人である、
(と言い放ってしまえば宗教的に異論のある人もあろうが)。
 いずれにしても、人間はいつも心のどこかに疚しさのようなものを
後生大事に抱えているほうが大きく道を踏み外さないのではないだろうか。
老婆心ながら・・・・・・。

★きょうの短歌
サービスを使わなければ損やアホやバブルのころにも聞いたような   東風虎












●第三百八十一回 (2005年4月16日)

 中国の(若者を中心にした)反日のサイトで、
「日本で地震や台風の被害が続いているのは、ざまあみろ!」
という書き込みがあったそうだ。
 この日誌でも予言していたことだが、
21世紀まで生き延びて、こんな悲しい思いをするとは・・・・・。
彼らはプライドをかなぐり捨ててしまったのだろうか。
 今回のデモ騒ぎはかなり誤解に基づいている部分が大きいから、
(たとえば扶桑社の歴史教科書は検定の一候補にすぎず、
仮に政府関係者が検定を通したことが気に食わないとしても、
日本で実際に採用している学校は1%もない、という事実が、
とりも直さず日本人全体の良識を如実に表していることなど)
 騒げば騒ぐほど彼ら自身の立場を悪くするだろう。
大人の国としてどうか早く冷静さを取り戻してほしい。
 それにしても彼らの怒りや憎しみの根深さを
あらためて思い知らされたようで、私たちは襟を正さねばならない。
 私の基本的な態度は下記のサイトに表明している。

 http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/book2/kobayashi.htm

 歴史的事実は事実として受け入れ謙虚に反省する態度、
そういうものが日本の政治家には今回もあまり見られない
それはチベットやベトナムへの侵略や天安門事件など負の歴史を匿す
中国の政治家や国民にも当てはまることだろう。
 郵政民営化など後回しにしてもいい話なのである。 
(憎っくき天下りの資金源となっている郵貯を断つ、という首相の意図も
果たしてどこまで活かされるか当てにはならない)
 その小泉首相の靖国神社参拝問題がそもそもの発端なのだから、
彼には猛省を促したいが、とても期待は持てない。
早く交代してほしい。

★きょうの短歌
恥ずかしさの道を踏みしめ噛みしめてアオキ赤らむ付近までくる   東風虎













●第三百八十回 (2005年4月15日)

 散歩道でみかけた草木の花。

菜の花、レンゲ、なずな、シャガ、すみれ、ムラサキハナナ(大根花)、
スズメノエンドウ、カラスノエンドウ、ネギ坊主、大根の花、山吹、クローバー、
水仙、たんぽぽ、チューリップ、スイートピー、菖蒲(蕾)、スイカズラ(忍冬)、
野いちご、ボケ、ツツジ、桜草、しだれ桜、八重桜、椿、白桃、スオウ。

 これでもほんの一部である。名前を知らないのが悔しい。

★きょうの短歌
車いすからは四葉のクローバーそのままにして引き上げてくる  東風虎












●第三百七十九回 (2005年4月14日)

 長年の(障害者団体を通じての)要望が実り、
この五月から学生時無年金障害者に特別給付金が支給される。
 その申請書を役場に出さねばならないというので、
合わせて診断書・入院証明書・在学証明書・所得状況・戸籍抄本・住民表など
その他にも数通そろえるのにひと苦労した。
 健常な人ならすらすら書けるし車でピューッと行けるだろうが、
電動車いすではそう簡単には行かない、ということが
お役所の人たちにはどうもまだわかっておられないようだ。
 いずれにしてもこれですべて終わったー!
かえすがえすも30年は長かったー。

★きょうの短歌
三十年待ったのだから診察の三時間くらい屁でもないけど   東風虎










●第三百七十八回 (2005年4月10日)

 破廉恥のニュースが絶えない。
(魔差し光線があちこちでシュバッ、シュバッと照射されているらしい)
佐渡のあの一家の娘たちも見ているだろうになあ。
 しかしながら、私だっていつその仲間になるかしれない。
というのも学生のころ人混みにもまれているときなど、
私は幽体離脱というか離人症というか自己同一性を失くすというか、
アブナイ経験を何度か味わったことがあるからだ。
 人混みに木の葉のようにもまれている自分を、
もう一人の自分が後頭部の上あたりから見下ろしているよう、
そのあたりがジーンと熱ぼったく痺れてくる感じ。
 そうなったらもう何をしでかすかわからない。
通りすがりの女子高生に抱きついて押し倒すかもしれないし、
民家の庭に押し入って狼藉をはたらくかもしれない。
稀代の通り魔に変身してもおかしくないくらいだった。
 あまりの恐ろしさに、ほうほうの体で人混みを抜け出し、
裏路地へ逃げ込んだものだ。私にはそういう資質があった。
だから破廉恥を犯す人たちがわからないわけではない。
 頸髄損傷になってからはとにもかくにも手も足もでなくなり、
わが排泄ひとつを律するのに四苦八苦している状態だから、
大きな罪を犯さずにすんでいるのも果報というものだろうか。
 そういう点でも障害には意味がある(笑)

★きょうの短歌
雑踏の中の私をもうひとり別の私が見下ろしている   東風虎












●第三百七十七回 (2005年4月8日)

   「とろうのおの集」(16)
 
大根花咲きだしたのはいいけれど蜘蛛の巣だって張りついてくる
斑猫を道おしえで検索したら新興宗教や修養団体  
貼りすぎの切手もどしてくれるなら郵政民営化を考える
コンクリで風水害は凌げても心の土砂崩れは防げまい
雪おろしならぬ雪あげするという砂の女を思い浮かべて
人間は何でも粉にしてしまうむろんわが身も例外でなく
お一人様ふえてようやく人生を噛みしめられるようになったか
タレントの顔が小さいと褒めそやすそれがどうしたトン豆かじれ
ドラえもん見たことがないまん丸なあの手がどうも苦手なもので

日に一度消防小屋の古桜の真下まできて背伸びしている
地図でみれば竹島は韓国のもの千島が日本(ウタリ)のものであるように
日韓のニュース画面で竹島の位置が微妙にちがう気がする
反戦をいえば思考が停止する安保をいえばそうなるように
本邦の戦争映画のつまらなさきれいな目をして飛び発ってゆく
連日の破廉恥ニュース佐渡のあの一家の娘らに見せられるのか
サラ・ボーン歌うラバーズ・コンチェルト脳天に鳴らしうれし野をゆく
佐賀にもいる43人のホームレス夜桜ともなれば這い出してくる
花を見て温泉湯豆腐いただいて一首も詠まずそれもまたよし
温泉とお茶と焼き物くわえるに文学があれば申し分ない
自らの美しさに気づいていない若者のような清明となる
ポケットにイエローカードとホイッスル忍ばせておくべきであろうか
こんな時になぜ登るのかこんな時だから登るんですよおふくろさん
来るはずのない震災にあたふたとさよなら三月またきて四月
震災で何が一番困るかと言われればパソコン扱えぬこと
パソコンの奥からスカタンスカタンと鳴り出してくるころが潮時 
何でもかでもヤフー検索してしまうようにはいかぬ私である









●第三百七十六回 (2005年4月8日)

 パソコン騒動のストレスのせいか
お尻の小さな褥創がまたぶり返してきた。
しかたなく電動車いすに乗る時間を減らして
ベッドに横になっているのだが、これが退屈きわまりない。
 そこでとりとめなくテレビのチャンネルを変えていると、
BSハイビジョンの「ふれあいホール」に川井郁子嬢が出ていた。
ご存知の美人バイオリニストである。
 「ラスト・タンゴ・イン・パリ」と自作の「お七組曲」「エターナリー」
三曲を聴くことができ、思いがけない収穫であった。
情念を込め(すぎ)た演奏ぶりは鬼気迫るものがあった。
早替わりの妖艶な衣装にも目の保養をさせてもらった。
 私はいわゆる美形すぎる女性は苦手なのだが、
これだけ才能豊かに熱演されるとそれもしばし忘れてしまう。
 やっぱりたまにはコンサートなど聴きに行かねばならんなあ。
確か一昨年の武雄市でのレーナ・マリナ・グリングバルの
ゴスペルコンサート以来行ってないのではないだろうか。
(昨年のハワイ・ポリネシアセンターは別として)
 いくら鄙住まいの電動車いすとはいえ・・・・・。

★きょうの短歌
日韓のニュース画面で竹島の位置が微妙にちがう気がする   東風虎








●第三百七十五回 (2005年4月7日)

 3月23日にパソコンが寿命と(地震のせいか)壊れました。
パソコンなしでは一日も暮らせない体勢になっているので、
しばらくはたいそう苦しい思いをしました。
 ただ連載中の「脊損ニュース」誌「BOOK ENDLESS」には
たまたま二ヶ月分の原稿を送っていたので助かりました。
(どうして二ヶ月分も送ったのか、虫が知らせたのでしょうか)

 そうこうするうちようやく新しいパソコンがきましたー。
日立のプリウス、ノート型液晶タイプ、windows XP。
液晶なので電磁波の心配も薄れました。馬鹿でかかったデスクトップに比べて
場所もとらずテーブルがすっきり広くなりました。
 略語登録もたちまち100個くらい入れなおしました。
長い原稿を書くにはこれが命ですからね。
「。」も「、」も「恐縮」も「ありがとうございました」も何でも(笑)

 また役場の福祉課からもいくらか補助が出るようなので
思ったより負担がかかりませんでした。
皆様のご厚意にしみじみ感謝しております。

 パソコン休みの間に
さぞかし短歌やギャグができたろうと思われるかもしれませんが、
なかなかそういうわけにもいきませんでした(笑)
 それよりお花見をちゃっかりと二回済ませました。
伊万里の脊椎カリエスで川柳作家酒谷愛郷さんと、
古湯よこの東屋で元祖温泉湯豆腐などいただきました。

 それではこのへんで。
記念すべき新機第一回めの日誌でした。
 
★きょうの短歌
花を見て温泉湯豆腐いただいて一首も詠まずそれもよかろう  東風虎











●第三百七十四回 (2005年4月5日)

 このところ胸にほんのりと灯が点っている。
某紙の読者のひろば欄に載った一文のおかげである。

 ある食堂に障害女児とその若い母親が入ってきたと。
女児は食事のあいだあたりに食べ散らかしたけれど、
母親は黙ってそれを見守っていたという。
 食事が終わると母親は女児にティッシュを渡し、
女児はそれでテーブルをきれいに拭き取り、
ティッシュを折り畳んで置き、母とともに食器類を重ねて、
「おごちそうさま」の挨拶をして、椅子をテーブルに押し込んでから、
手をつないで出ていったという。
 (投稿しているのは中年女性)

 その一部始終をときおりまざまざと思い浮かべて、
私は不覚にも涙腺を緩めてしまうのだった。

★きょうの短歌
日に一度消防小屋の古桜の真下まできて背伸びしている   東風虎









●第三百七十三回 (2005年4月1日)

 福岡県西方沖地震の数日前に
例の占い師・細木数子が「佐賀で大きな地震がある」と
予言していたという噂を小耳にはさみました。
 本当でしょうか。どなたかご存知ですか。
テレビでみるといけ好かないおばはんですが、
当たるんでしょうかねえ。
 当たるにしても当たらないにしても
それがどうしたという感じです(笑)。

★きょうの短歌
パソコンの奥からスカタンスカタンと鳴り出してくるころが潮時   東風虎










●第三百七十二回 (2005年3月18日)

 テレビのチャンネルを変える途中で、たまたまRKK(熊本放送)に立ち止まり、
夕方の二ュースワイド番組を見たら、人気者の木村和也アナウンサーが出ていた。
もうすっかり普通と変わらず片松葉杖もついていないので感心した。
 というのも彼(愛称キムカズ)は四年前にロケ中の事故で脊髄損傷となり、
一年間のリハビリを受けて幸運にも回復し、片松葉杖で復帰していたのである。
私は「再起可能」(熊本日日新聞社、2004年)という本でそれを知り、
その後初めてテレビでお姿を拝見したのである。
 本当に不幸中の幸いとはこのことであろう。
彼の場合は脊髄の神経が完全には切れていなかったのである。
本当に蜘蛛の糸一本くらいの差で治ったり治らなかったりする、
その差を決めているのは何だろう。
 ところが世間の人はそんな細かい事情など知らないから、
「キムカズが治ったんだから貴方も治るはず」
『治らないのは貴方の努力が足らないからじゃ?』
という視線でともすれば見られがちになる。
 困った誤解だよなー。

★きょうの短歌
ドラえもん見たことがないまん丸なあの手がちょっと苦手なもので  東風虎
 





●第三百七十一回 (2005年3月14日)

 ツクシも立ったしムラサキハナナも咲きだしたので、
今年初めて嬉野の市街まで足を延ばしてみた。
昨年の12月9日以来実に三ヶ月ぶりである。長かったー。
 気温はまだ10度で北西の風で、電動車いすのバッテリーも弱かったが、
(それに数日前からお尻に小さな縟瘡がぶり返していたのだが)
何とか十数キロを往復できたのは、やはり春の息吹のおかげだろう。
やったーっ! という歓喜が湧き上がってきた。
 今年もいよいよほっつき歩きが始まるのである。

★きょうの短歌
お一人様ふえてようやく人生を噛みしめられるようになったか  東風虎











●第三百七十回 (2005年3月11日)
 
 平成16年度のNHK全国短歌大会(ジュニアの部)において、
全国でただ一つの学校賞にわが嬉野中学校が選ばれた。
その記事をみたとき正直いってビックリしてしまった。
 嬉野中がそんなに短歌に熱心だとは知らなかったからである。
よほどいい指導者がおられるのか、それも知らなかった。
同じ短歌をやる者として、お恥ずかしいばかりである。
 私など中学の頃は短歌どころか文学書もろくすっぽ読まなかった。
帰宅部として田んぼ道をのほほーんと物思いに耽っていたのである。
 受賞の対象となった生徒さんたちには、どうかこれからの長い人生
短歌を心の友として共に寄り添っていってほしいものだ。
 嬉野はお茶と温泉と焼き物で売っているのだが、
そこに「文学」の香りもつけ加えられればどんなにいいだろう。
 私は友達である(?)町長さんにその旨の手紙を出し、
連載中の「ふるさと紀行」誌に書いた「うれしのの四季」という短歌抄を
負けじとばかり寄贈したりした。
 その中から一首

★きょうの短歌
早苗田を吹きわたってくる風ぐらいしかおごちそうとてございませんが  東風虎












●第三百六十九回 (2005年2月5日)

 村の図書館で母のために借りてきた
「ふるさと子供グラフィティ」(原賀隆一著、クリエイト・ノア、92年、3000円)
という絵本を、返却する前にたいして期待もなくめくっていたら、
思いがけないなつかしさで涙がにじんできてしまった。       
 これは漫画とエッセーで作者の熊本での子供時代の遊びや風物を、
現在の子供たちにも語り伝えておきたいという願いで描かれたもの。
 作者は1950年、福岡県生まれのイラストレーター、
熊本県で「クリエイト・ノア」というデザイン事務所を開いている。

 佐賀にも画家の服部大次郎による「記憶の風景」という同類シリーズがあるのだが、
おなじ県内でも県庁所在地の平野と私の辺境の村ではかなり趣きを異にしていて、
正直あまり感情移入できなかった。
 一方これは有明海を隔てた熊本県玉名市仁加和町の話であるにもかかわらず、
多くの部分で私の子供時代と重なり合うところがあった。
里山育ちの共通点というものだろう。
 「ぺちゃ(めんこ)」や「ビー玉」や「竹馬」というような全国共通なものはさほどでもない。
それよりもっとローカルで些細なものに、かぎりない思い出がある。
私は幸せな時代を過ごしたのだなあということが今更のようにわかる。
たとえば下記のようなものである。

 しま盗り、棒倒し、八の字合戦、ケンパタ、貯金竹っぽん、ビー玉穴入れ、
釘せっちん詰め、突き鉄砲、麦わら製野いちご入れ、糸巻き車、空き缶ぽっくり、
ツバナ・ギシギシ・レンゲ・椿食べ、水切り石投げ、ぶーんぶーん、どろ器、
わんぐい回し、水鉄砲、ひとぎ餅、うつし紙、模型飛行機、柿ちぎりがっそ、
ドングリやじろべえ、ドングリ独楽、手押し相撲、メジロ竹かご、ゴム銃などなど。

 ちなみに「シマ盗り」とは四角形の四隅の陣地からおはじきなどを飛ばして
三回で戻ってこれた分が新たな陣地になるというもの。
 「棒たおし」とは盛り上げた砂のてっぺんに棒を突き立て、
まわりの砂を交互にひと掻きしてゆき、棒を倒した者が負け。
 「釘せっちん詰め」とは、地面に隣り合わせて五寸釘二本を突き立て、
まずおもむろに釘を引き抜き、敵の釘のまわりに投げ下ろして突き刺し、
その点々を線で結び蜘蛛の巣のようにぐるぐる巻きにする。
釘が突き刺さらなかったら、そこで攻守交替。
敵はその蜘蛛の巣のような狭い隙間に釘を突き刺して、
囲いの外へ逃れ出て、今度は逆に相手を囲ってゆくわけである。
これを地面の続くかぎり延々とやる。
 よくやるよねえ(笑い)

★きょうの短歌
サラ・ボーン歌うラバーズ・コンチェルト脳天に鳴らし野の道をゆく  東風虎






 ●第三百六十八回 (2005年3月2日)

 先日、我が家の近くで車による投身自殺があった。
村の50代の女性で、癌を苦にしたあげくという噂だ。
 病を苦にしての自殺はあいかわらず多い。
ネット練炭自殺のような大した理由もない自殺に比べると、
わかりやすいから変に腑に落ちたりする。
 なまじ頑健できた人にかぎって大病するとガクッとくる。
だから「無病息災」ならぬ「一病息災」などと言ったりもする。
 病(障害)は病でそれなりに味わいのあるものなのだが、
なかなか頭を切り替えられないのが実状だ。 
この日誌でも読んで頭をほぐしてほしいところ・・・・・。
 それにしても練炭自殺の若者たちには滅入ってしまう。
大人たちの体たらくを見ていれば未来に希望などなくし、
早まりたくなるのも無理はないと思う。
 しかしながら大人の社会が汚いのは昔ながらの話で、
別に今に始まったことではない。私たちも若い時には苦しみながら、
それでも何とか折りあいをつけてきたのである。
 それが今では理由らしい理由がない。
殺人でも「遊ぶ金欲しさ」などという理由はとんと聞かれない。
 誰かが「せめて若者じゃなく年寄りだったら・・・・・」などと
口走っていたのは禁句というものだろう。
 それでは恐怖政治が始まってしまうからだ。

★きょうの短歌
本邦の戦争映画のつまらなさきれいな目をして飛び立ってゆく  東風虎










●第三百六十七回 (2005年3月1日)

 このところの報道によると、社会保険庁や厚生労働省やその他の省庁での
国民の保険料や税金を湯水のようにムダ遣いした所業が露わになっている。
 また特殊法人など高級官僚の天下り先での贅沢ざんまいは目を覆うばかりだ。
天下りを7回くり返した猛者もいるというから恐れ入る。
天下りするたびウン千万という退職金を掠め取ってゆくのである。
それがこの国の財政をどれだけ圧迫していることだろう。
 その一方、たとえば無年金障害者などは福祉手当の月額1万円、
それだけが唯一の収入という時期が長ーいあいだ続いていた。
 官僚側にしてみれば、今まで何十年も身を粉にして勤めてきたのだから、
リタイアしたあと少しぐらいは甘い汁を吸わせてもらわないと釣り合わない、
(それにくらべて障害者たちはたいしたことをしていないではないか!?)
というような奢った気分があるのだろう。
重度障害者の場合「生きていること自体が仕事だ」という意見もあるのだが。
 それにしてもと思わずにはいられない。
かつて高級官僚たちは『日本の針路は自分たちが握っているのだ』という
崇高な矜持に支えられた誇り高い人種であったはずである。
そんな彼らが今のようなぶざまな事態を目の当たりにして、
一体恥ずかしくないのだろうか。
 憂国のあまり内部告発したり自殺を図ったり退職金を辞退したり返納したり、
というような話をとんと聞かないのは不思議でたまらない。

★きょうの短歌
人間は何でも粉にしてしまうむろんわが身も例外でなく  東風虎










●第三百六十六回 (2005年2月28日)

 頸髄損傷の友人からのメールに、
 「介護保険とか支援費制度などで、サービスを使わなければ損やアホや、
という世の中で、母のような古臭い考えが私は大切だと思います」
 という言葉があって、まいってしまった。
(何やらバブルの頃にも似たような言葉を聞いた)
 ちなみにこの「母」はヘルパーが来ている間も、
「できることはする」と言って周りをうろちょろするような人物である。
わが家の母とも重なり合うところがあって、笑いごととは思えない。
 介護保険が一年にしてパンクしてしまうような現在、
確かにこれも一つの見識であろう。
 都会の貪欲なまでに自立を追求する障害者団体などからみると、
「税金の無駄遣いを見てみろ、そんな悠長なこと言ってると馬鹿をみるぞ」
とでも一蹴されるかもしれない。
 とはいえ、上の言葉にはどこかしらホッとさせられる。

★きょうの短歌
雪おろしならぬ雪あげするという砂の女を思い浮かべて  東風虎








●第三百六十五回 (2005年2月27日)

 前々回の日誌を書いた後、ヤフーで検索してみると、
松井教授の「おばあさん仮説」なるものが紹介されていた。
 NHKの人間講座「宇宙からみる生命と文明」のテキストによれば、
氏は農耕牧畜が始まった理由について人間側から考えると、
一つは「おばあさん仮説」。もう一つは言語の獲得による「共同幻想」。
この共有であると述べているそうだ。


 「"おばあさん"とは、ここでは生殖年齢を過ぎたメスが生き延びている状態を表すことにします。哺乳動物でも、サルでも、類人猿でも、メスは子供が産めなくなると、それから数年くらいで死んでしまいます。一方オスはいつまでも子供を作れる能力がある。したがっておじいさんは存在します。自然の状態では、哺乳動物にも、サルにも、類人猿にもおばあさんは存在しません。どういうわけか現生人類だけ、おばあさんが存在するのです。
 おばあさんがいると何が違うか、一つはお産が安全になることです。加えて、娘が産んだ子供の面倒をみたりする。このため、メス一個当たりの出産数が増え、群れの個体数増加につながるわけです。人口増加です。人口増加が起こると、或る地域で生きる人の数は決まってますから、地域を移動するという圧力になり、新天地へ散っていきます。このため、現生人類は「出アフリカ」と呼ばれる行動をとるわけです。十数万年前アフリカに誕生した現生人類が、人口増加にともなって世界中に散らばる。これが、我々が何故人間圏をつくって生きるようになったか、一つの理由です。」

 というものであるらしい。なーんだ、暴言なんて吐いてないじゃないか。
ここからどうして都知事の「文明の産んだ最も悪しきものはババアだ」
などという言説が導き出されるのか、ほとほと愛想が尽きるというものだ。
松井教授もさぞかし迷惑していることだろう。
 馬鹿も休み休み言うものである。

 (後日の追伸) 
 しかしまあ百歩ゆずって、おばあさんのせいで人口増加したことが
現在の地球の諸問題の元凶だと、都知事は言いたいのでしょう。
 しかし人口増加が悪いことだと考えられるようになったのは
せいぜいここ100年くらいの間でしょう。それまでは
「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」と聖書でさえ勧めていたのですから、
ずーっと良いことだと考えられていたわけです。
 また近年は少子化問題で出産を奨励する風潮にもなってきました。
 そんなふうに短期間でころころ変わる価値観は信用できない。
それからもう一つ、本当に動物界におばあさんはいないか検証すべきでしょう。
 たとえば私の愛犬は15歳まで行きました。人間では100歳近い。
死ぬまぎわはそれはもうよぼよぼで目も耳も用をなしませんでした。
つまり立派な「おばあさん」だったのです。
 もちろん飼い犬だから「自然の状態」とは言えませんし、
よぼよぼでもまだ子供が産めたのかもしれません。
 とはいえどうも自然界にもおばあさんはいそうな気がするのですが。

★きょうの短歌
タレントの顔が小さいとほめそやすそれがどうしたトン豆かじれ   東風虎








●第三百六十四回 (2005年2月26日)

 早ければ三年後に憲法改正の賛否を問う国民投票が実施されそうだ。
そして国民投票のルールが与党の都合のいい内容でまとまりそうだ。
そこでせめてまっとうなルールを提案しようと、市民グループが私案を作成している。
 それを要望書と一緒に二月末に国会の憲法調査会や各党に提出するという。
その情報をくれた市民オンブズマン連絡会議佐賀の中原さんの誘いで、
私も賛同人に名前(と肩書き)を連ねている。
 HPは下記のところなので、皆さんもご検討いただけたら幸いです。
賛同いただける場合は、私までメールください。

 ※「まっとうな国民投票のルールを作る会」
 http://www.geocities.jp/kokumintohyo/

★きょうの短歌
コンクリで風水害は防げても心の土砂崩れは防げまい   東風虎











●第三百六十三回 (2005年2月25日)

 石原都知事の例の「ババア発言」問題、
(某誌で松井孝典教授の「文明の産み出した最も悪しきものはハバア。
生殖能力をなくした者を生かしておくのは無駄」という旨の言葉を引用して、
女性団体などから抗議を受けた事件)
 あれで訴訟を起こしていた女性グループに、
昨日敗訴が申し渡されたという二ュースが流れていた。
女性を侮辱した軽率な発言であることは認めつつ、
原告女性らの個人的利益を侵害したとまでは言えない、とのこと。
 具体的に目に見える形での不利益はないかもしれないが、
精神的に受けた屈辱が大きいことはわかりきった話であり、
それをどう掬い上げてゆくかの司法の判断を見たかった。
 この問題は女性に限ったことではなく、
障害者などにも波紋を投げかけている。
「役に立たないものにも存在の意義はある」
という生態系の叡智を学ぶべきだろう。
 だいたいババアを貶めるということは、天に唾吐くようなものだ。
石原氏自身の母親を貶めるばかりか、妻も娘もやがてはババアになるのだから。
 そんなことにも思いが至らないような人物が、都民の高い支持を得たり、
新党の党主に目されたり、首相の候補に挙げられたりするこの国の
うすら寒さはどうだろう。
 そもそも元の発言をしている松井孝典教授に対しては
何か責任を問うような動きが起こっているのだろうか。
 確かだいぶ以前にNHK特集の司会をしていた地球科学者だが、
そんな暴言を吐くような人物には見えなかった。
人は見かけに寄らないというべきだろうか。
 一体どういう文脈の中でこんなことを口走るに至ったのだろう?
何かよほどの経緯があったんだろうなー。

★きょうの短歌
貼りすぎの切手もどしてくれるなら郵政民営化もありか   東風虎







 


●第三百六十二回 (2005年2月21日)

 ライブドア社長ホリエモンの株取引にバッシングの嵐が吹き荒れている。
政治家の大物が「金さえあれば何でもできる、という風潮を助長させる」
として批判していたのには笑ってしまった。お前が言うなと。
 株取引は合法的な経済行為だから何の問題もない、
というのはその通りではあるのだが、また知り合いの障害者の間にも
株をやっている人はたくさんいるのだが、
私はどうも古い人間なのかそんな気持ちになれない。
 宮沢賢治が「人間は自分の身の丈に合ったくらい稼いでいるのが
一番身体にいい」と言っているが、私の身の丈は小さいのだろう。
山下惣一はこのところしきりに「身土不二」を唱えている。
 でも中には生まれつき身の丈の大きい人もいるだろうから
そういう人は世界中とぴ回り、各国の異色の食物や異性を味わい、
株で何億という金を動かすのが自然なのかもしれない。
 あんまり付き合いたいとは思わないけれど(苦笑)

★きょうの短歌
斑猫を道おしえで検索したら新興宗教や修養団体  東風虎








●第三百六十一回 (2005年2月18日)

     とろうのおの集 (15)

ゑびすとは蛭子からきていることを十日二十日に知らしめている
NHK呼びつけられもしないのにお伺いにゆくほうが恐ろしい
踏んづけたほうは何とも思わずに人生いろいろと嘯(うそぶ)いている
ひと晩でドアが埋まるという女(ひと)に一月は行け二月は逃げよ
清水の舞台からほんとに飛び降りた235人のゆくえ
きょうもまたネット練炭自殺する若者たちの頸髄をくれ
車いすが免罪符になるはずもなく酷評なども甘んじて受ける
落書きは嫌いではない夜露死苦と吹きつけられた壁に来てもか
物議のある学習塾をやめましたあなたは何をやめてくれますか
アソブカネホシサという動機さえ聞かれなくなり首かしげゆく
多すぎるスポーツ記事を半分にして文学を載せられぬものか
お取り次ぎさせていただくことぐらい電動車いすにできること
震災で本の下敷きになって死ぬそんな一生(ひとよ)も本望だろう
ストックホルム症候群とはおいそれと決めつけられぬ男と女
アリクイに生まれて蟻を食う暮らしそれも一生と思いきれるか
ひとさまによかれと思い唾棄される一方通行宣伝カキコと




●第三百六十回 (2005年2月17日)

 新潟県十日町市のメル友によると、
今やっているのは「雪下ろし」ではなく「雪上げ」なのだという。
度重なる雪下ろしのため家の周りの捨て雪は屋根より高くなっていて、
そこへさらに積み上げてゆくのだという。
 南国に住む者には思いも寄らないような話だ。
女性や年寄りや障害者の世帯は難儀なことだろう。
春を待ち望む気持ちは私たちの想像を超えるものだろう。
 それにしても雪の壁にすっぽり閉じ込められた家から、
私はなぜか安部工房の小説「砂の女」を思い浮かべる。
そこへ旅人が迷い込み女と暮らし始める物語だ。
逃げようとしながら何故だか逃げられない。
 雪国の人たちにもそういう心理があるのかもしれない。

★きょうの短歌
きょうもまたネット練炭自殺する若者たちの頸髄をくれ   東風虎










●第三百五十九回 (2005年2月13日)

 女子マラソンの草分け増田明美さんの結婚が報じられた。
タレントや皇(王)室の結婚話には何の関心も湧かないが、
この報には心から素直に「よかったなあ」と思った。
なにしろ彼女のマラソン解説は素晴らしいから。
(プロ野球の解説者など首を洗って出直すべき)
 新聞エッセーでもいい味を出しておられるし、
何より日本陸連の理事でもある。人柄であろう。
勝手な推量ながらパセドゥ氏病の素質も感じる。
 あのままキャリアと独身を貫かれるつもりかなーと案じていた。
ああいう女性にこそ幸せな結婚をして子供をたくさん産んでほしい。
 よく言われることだが、真面目に頑張っている人間が報われる、
そういう社会であってほしい。

★きょうのギャグ
車いすが免罪符になるはずもなく酷評なども甘んじて受ける  東風虎









●第三百五十八回 (2005年2月12日)

 同人雑誌仲間の田口香津子はDV(ドメスチック・バイオレンス)の
支援組織「VOICE」の活動に打ち込んでいる。
 きょうはちょっとその参考になるかと思い、書いてみよう。
 私たち障害者の間でも古くからDVは公然の秘密、
という感じで囁かれてきた。それについて
障害者団体などがいよいよ実態アンケートを取るなど
重い腰を上げてきたところである。
 そういう中から明らかになってきた実例としては

「車いすに乗っている時に倒される」
「年金を取り上げられる」
「親族に合わせてもらえない」
「親族の集まりに連れてゆかれない」
「介助者を入れてもらえない」
「車いすなど必要な補助具を隠される」
「寝ているときにベッドから車いすを離され
無理やり性行為をされる」
「能無し・役立たず・ごくつぶしなどと言われる」
「誰のおかげで生活できるんだ、と言われる」
「友人との付き合いを制限される」
「電話や手紙を細かくチェックされる」
「何を言っても無視して口をきかれない」
「人前で馬鹿にしたり子供扱いしたり命令口調」
「生活費を渡してもらえない」
「信心が薄いから治らないと言われる」
「努力すれば歩けるのに怠けて車いすに乗ってると思われる」
「文芸作品に無言の検閲と圧力をかけられる」
「障害者は年金もらっていいご身分と言われる」
「障害者が性のことなど考えるなと言われる」
「障害者がセックスなんて贅沢だと言われる」
「施設で子宮を切除される」

 などなど。そのほか肉体的暴力の例も
箙田鶴子の「神への告発」など(傘で叩かれるなど)あるが、
それよりも精神的な暴力のほうが深刻な感じがする。
 私も身内の子どもなどを躾で叱ったりすると、
逆ギレして馬鹿にされたりしたものだ(苦笑)
また稀に知人から相談を受けることもある。
 いずれにしてもまだまだ始まったばかり。
田口たちの活動を他山の石として学びながら、
連携できるところはしていきたい。

★きょうの短歌
落書きはきらいではない夜露死苦と吹きつけられた壁にきてもか  東風虎










●第三百五十七回 (2005年2月9日)

  8日(火)夜の日本テレビ「きょうの出来事」で、
特集「障害者の性を考える」が放送された。
東京のデリヘル業者「一心」が私のホームページ掲示板に
予告を書き込んでくれたので、見逃さずにすんだ。
(どこから私のHPをたどってきたものか)
 さっそく見た。11時30分頃から10分前後の特集だったが、
これだけ割くのはテレビにとって大英断と言えるだろう。
まあ、この時間帯になるのが現実の厳しさを表しているが(笑い)。
 「セックスボランティア」「施設の裏介助」「障害者専門デリヘル」
「熊篠邸の地下室」「大濱真」「寝た子を起こすな」などなど。
この掲示板でも取り上げてきた内容だった。
 目新しいものは特になかったが、
ある関係者の「本来の恋愛をあきらめて風俗へ流れるとしたら問題だ」
という指摘は耳に痛い。とはいえそれで世間が開けて恋愛につながる、
ということも現実問題としてありうるから難しいところだ。
 それは健常な若者たちにしても同じことだろう。
最近は「素人童貞」が増えているともいう。「素人童貞」とは
風俗の経験しかなく実際の素人女性との恋愛ができない、
というタイプであるらしい。
戦前など赤線で洗礼を受けてから恋愛するという時代もあったろうし。
 ともあれ、二ュース番組で真面目に取り上げられた点は画期的だ。
教育テレビの福祉番組で取り上げられるのとは意味がちがう。
 もっとも、こちらはES細胞医学のように日進月歩とはいかず、
亀さんのような歩みだが・・・・・・・。 
 おかげでその夜は眠れなくなった(笑い)。

★きょうの短歌
ひと晩でドアが埋まるという女(ひと)へ一月は行け二月は逃げよ   東風虎











●第三百五十六回 (2005年2月8日)

 今朝の二ュースで、神戸かどこかの大学の研究チームが、
ES細胞から大脳神経(細胞)を大量に作り出すことに、
世界で初めて成功したと伝えていた。
 ES細胞とは受精卵や骨髄などから採取されるもので、
何にでも成形可能な夢の細胞であることは以前述べた。
ただし倫理的な課題もともなっている。
 つまり切断された脊髄の神経の再生にも(理論的には)なりうる、
ということで脊髄損傷者たちに一躍希望の光を投げかけているものだ。
 これからアルツハイマー症など人体への応用が期待される、
ということで、私たちの治癒へはまだまだ遠い話のようだ。
 それでも何にもないよりはマシというものである。
科学技術の世界は何が起きるかわからないところだから、
いちるの望みは抱いておこう。
 ただ右足の指を一本切断しているから元通りとはいかない。
せいぜい現状維持につとめておくに越したことはあるまい。
 もし全快したら、大野原高原を愛犬とともにワラビをかぎながら
ぴんこしゃんこと走り回りたいものだ。

★きょうの短歌
清水の舞台からほんとに飛び降りた235人のゆくえ  東風虎












●第三百五十五回 (2005年2月3日)

 けだるい午後の電話に出ると、
「OO事務所ですが、お宅のOOさんがOO峠で交通事故を起こされまして」
 と言う。一瞬『振り込めサギじゃないか!?』と思って絶句していると、
「事故で破損した石柱の件ですが、そちらで弁償していただけないかと」
 と金の話をしかけるに及んでは、『これはもう間違いない!』と確信した。
 しかし警察とは名乗らなかったし、石柱とは何だろう?
新手のバージョンなのだろうか? それにしてもついに我が家にまで来たか、
などと一縷の怪訝は抱きながらも)
「あの、ちょっとお待ちください」
 と相手をさえ切って電話を切り、その張本人の携帯電話にかけてみた。
「あの、今オレオレ詐欺みたいな電話があってね、
事故を起こしたとか言ってるんだけど・・・・・・」と確かめると、
「ああ、さっきOO峠の雪でスリップして道端の石柱にぶつかったと」
 と答えるので、『なーんだ、本当だったのか』と変な安堵をした(笑い)
管轄の土木事務所から石柱の修復を相談してきたのである。
 電話の主にはとんだ失礼をしてしまった。
そういう失礼もはたらかねばならぬ時代となってしまった。
 南国佐賀に時ならぬ大雪が降った日の一事である。

★きょうの短歌
一月は行ってくれ二月は逃げてくれ電動車いす乗りたちに   東風虎







●第三百五十四回 (2005年1月31日)

 寒風の中、かかりつけの医院まで薬をもらいに行った。
すると道端にもう紅梅が咲いていた。七分咲きくらい。
今年は桜も早そうだ。嬉しいな。

 いろんな仕事の中でも列車の運転手はきつそうだなあ。
昨日も県内で女性の飛び込み自殺が起こっていた。
目の前で轢いてしまう運転手の気持ちって察するに余りある。
バラバラになった死体の残像は容易にはぬぐい去れないだろう。

 このところ(在日)朝鮮・韓国人の本をわりと読んでいるが、
梁石日(ヤン・ソギル)の「闇の子供たち」(解放出版、2005年、1800円)は
タイの幼児売買や売春や麻薬の実態を描いたもので、
フィクションではあるが空恐ろしい内容だ。
日本も責任の一端を担っているからつらい。

 しかし私たち電動車いすに乗っているような者は、
東南アジアへの幼児買春ツアーなどに加担することはないから、
少なくとも幸いだと言えよう。

★きょうの短歌
NHK呼びつけられもしないのにお伺いに行くほうが恐ろしい   東風虎










●第三百五十三回 (2005年1月26日)

 冬になって困ることの一つは、蒲団が重くなることだ。
真夜中とっさにめくることができず、粗相したりする。

 それにしても、日本のマスコミのシャラポワ人気はすごい。
一昨年この日誌で予言しておいた通りである。
 これはウイリアムズ姉妹の活躍への反動ではないかしら。
ウイリアムズ姉妹とは米国の珍しい黒人選手。
この数年テニス界を席巻していた。
 黒豹のようなバネのある肢体をコートに躍らせる様は、
それはそれで美しかったけれど、
テニス界にはクリス・エバートの頃から
白人の美人選手をちやほやする風潮がある。
 だからナブラチロワやウイリアムズ時代には、
観客も心なしかシラーッとしていた感じだった。
ヒンギスが現れて少し持ち直した感があったが、
最近あまり見かけないのはどうしたのだろう。
 そんなところへシャラポワが颯爽と登場したものだから、
今までの鬱憤を晴らすかのような大騒ぎ(苦笑)
 それにマリアの顔は日本人好みなのだろう。

★きょうの短歌
踏んづけたほうは何とも思わずに人生いろいろなどと嘯(うそぶ)く    東風虎









●第三百五十二回 (2005年1月24日)

 憲法改正の論議については以前、前文の
「いづれの国家も、自国のことのみに専念して(中略)はならない」 
 というのを
「専念しなければならない」 とでも変えたい気分だと書いた。
 それはまあ冗談だが、
たとえば第十四条【法の下の平等ー】の
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地に
より、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」
 というのを
「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、障害の有無、身体の特
徴、被差別部落出身などにより、政治的、経済的、因習的、又は社会的関係におい
て、差別されない」
 とでも具体的に変えたほうがいいと思う。
本当に必要な改正は族議員などからでなく、
国民の間から澎湃として湧き起こってくるべきである。

★きょうの短歌
ひとさまによかれと思って唾棄される一方通行宣伝カキコと   東風虎








●第三百五十一回 (2005年1月23日)

 1995年に発覚した水戸事件を覚えておられるだろうか。
水戸市のアカス紙器の社長赤須正夫が、知的障害をもつ従業員男女に対し、
日常的に暴行や性的虐待を加えていたという忌まわしい事件である。
性的虐待の証言録など読むとあまりにも惨たらしい。
 詳細は下記のサイトをご参照いただきたい。

http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/book2/mito.htm

 それに対して被害者と親と支える会は力を合わせて裁判を続けていた。
男性従業員に対する暴行についての刑事裁判では、
早くに有罪判決(執行猶予つき懲役)が出ていた。
それでも軽すぎるという不満は渦巻いていたが。
 しかし、性的虐待についてはプライバシーの問題もあるし、
障害のためなかなかスムーズに意思を伝えられず信用もされないとか、
支持者と赤須の車がもみあい逮捕者が出たりとか、難航が伝えられていた。
 しかし2004年3月31日に水戸地裁民事部は事実を認め赤須に賠償支払いを求め、
同年7月21日には東京高裁が一審通りの認定をし、赤須の上告を棄却し、
有罪判決が確定していたという。ほぼ10年ぶりの勝利である。
 そのことを「支える会」の会報「wave59号」で、私はきょう知った。
というのも昨年もずっと会報が送られてきていたのに、
私はハワイ行きの騒動などでとても手が回らず、読みきれずにいたのである。
時間がないわけではないが、脳味噌の情報許容量がパンクしそうだった。
 遅ればせながら、『お嬢さんたち本当によかったなあ』と思う。
私もわずかばかりの支援に加わっていたので、自分のことのように嬉しい。
 とはいえ今回は原告が被害者3人だけの裁判であり、
まだまだ隠れた被害者が控えている、というような課題は残る。
 それにしても10年とは長かったなあ。

★きょうの短歌
ストックホルム症候群とはおいそれと決めつけられぬ男と女   東風虎









●第三百五十回 (2005年1月22日)

 二十日ゑびすのあくる日には、
鹿島市に嫁いでいる姉が昆布巻きをお裾分けしてくれました。
 しかし鮒はすでに売り切れていたそうで、
(それほど近年は賑わっているらしい)
代わりに鰯の昆布巻きにしてきてくれました。
 それも美味ではありましたが、
やっぱり鮒の泥臭さが恋しいですねえ。

★きょうの短歌
プーケットはハワイと代わって下さったのかとまでは思いきれない   東風虎    












●第三百四十九回 (2005年1月21日)

 第三百四十五回の、NHK従軍慰安婦番組への政治的圧力問題について、
安倍晋三・中川昭一両議員が「事前に呼びつけたこともないし、
圧力をかけたこともない」と猛反論している。
 しかしそれこそ「語るに落ちる」というやつである。

呼びつけてもいないのに、NHKの方からわざわざお伺いに行ったとすれば、
そのほうがはるかに恐ろしい事態である。
 制作側が「自己規制」せざるを得ないような見えない圧力があったから、
と受け取られてもしようがない。
 いやNHKの予算は政府の承認を経なければならないから、
挨拶に行くのは昔からの慣例だと言い張るのなら、
予算の話だけしてそんな番組のことなど触れねばいいではないか。
 いずれにしても、呼びつけたのかどうかそんなことは大した問題ではない。
権力者が「公平さを求めただけ」と言っても、受け取る側は圧力と感じるだろう。
そんな論点の「すりかえ」や「はぐらかし」に耳を貸している暇はない。
 ある種の番組の可否をいちいち政治家にお伺い立てなければならない、
という慣行ができあがりつつある、ということ自体が恐ろしいのだ。
 安倍・中川両氏が考えている以上に、これは致命傷となるかもしれない。

★きょうの短歌
恵比寿とは蛭子からきていることを十日二十日に知らしめている   東風虎












●第三百四十八回 (2005年1月20日)

 大寒を迎えて暦通りに冷え込みが厳しくなった。
逆にいえば後は暖かくなってゆくばかりだ。
花吹雪を電動車いすじゅうで受ける日を想ってゆこう。
 17日は阪神淡路大震災から丸10年の節目だった。
ここの掲示板へのお客様にもかつての被災者が多い。
あれからの10年の歳月はさぞやご苦労だったことだろう。
 それから昨年の今ごろ「二十日ゑびすとふなんこ食い」という
エッセーを書いて配信したところ、各方面からお褒めいただいた。
あれからもう一年も過ぎたとは早いものだ。
そのエッセーは下記のサイトでご覧いただけます。

 http://www.ktknet.ne.jp/henomohe/zuiso.htm

★きょうの短歌
震災で本の下敷きになって死ぬというのも本望だろうか  東風虎









●第三百四十七回 (2005年1月16日)

 ドイツのダルムシュタットにある欧州宇宙機関(ESA)が打ち上げていた
人工衛星ホイヘンスが土星の衛星タイタンに軟着陸し、その音と映像を伝えてきた。
(NASAが中心というわけではないところが痛快だ)
 しかしその映像を見て、私は深い溜め息をつかざるをえなかった。
今までの水星や金星や火星やエウロパの映像と大差ないものだったからだ。
水の流れた跡があるからといってそれが何ほどのものだろう。
 ボルヘスの絵のバベルの塔の残骸のようなものでも映っていてくれたら、
どんなにか世界が驚愕し騒擾し覚醒することだろう。
つまらない身内の戦争などにうつつを抜かしている場合じゃないと
ふんどしの紐を締め直すことだろう。ああ。

★きょうの短歌
アリクイに生まれて蟻を食う暮らしそれも一生(ひとよ)と思いきれるか   東風虎









●第三百四十六回 (2005年1月14日)

   「とろうのおの集」(14)

ダム御殿10年にして櫛の歯の欠けてゆくような過疎の村
何よりもありがたかったお言葉はなっちゃったもんしょうがねえだろ
こたつ鍋なんか嫌いさ秋風にポテトチップス400キロカロリー
絶滅の先割れスプーンこの日ごろコンビ二弁当に生き延びている
ケータイをフリーハンドにしてまでも話さねばならぬこととは何か
またしても感謝の念を如才なく先に言われてもごついている
カネで買えぬものなどないという人を電動車いすで読んでいる
まず本のパンツを脱がせ中ほどに栞代わりとはさんでめくる
クリスマス近くになればお約束ウディ・アレンの映画でもみる
今はやり詐欺でもいいから電話なりかかってほしい年寄りもいる
なんとまあ変り映えせぬ日暮らしに障害者週間とやらも過ぎる
人魚ってまずそうだなあ隠岐ノ島あたり群青の波のうろこ
天下り坂を松坂肉さまに転がり落ちてゆく男たち
捨てきれぬキトクケンエキ族議員から電動車いすまで
これといってお手柄もなくつとめあげ今ではそれが勲(いさおし)となる
破廉恥の事件よそには洩らすなよ武士の情けでござりますゆえ
ロケット弾何発打ち込まれても非戦闘地域だと言い張る
年上の人妻ばかり増えてきて年賀状から匂いたつもの
破廉恥のTV二ュースをおつまみにぼくらいつまで焼酎を割る
年の瀬にアメ横からの中継を見ているようなとりとめのなさ
芸能界S学会員を知りたがるだからどうだというのでもなく
NHK見てませんとは言いはれず冬のソナタも引き落とされる
お取り次ぎさせていただくことぐらい電動車いすにできること
反りかえる脳性マヒよえんがちょの指になってるたくまずにして.
サマワなどすぐ引き払いスマトラへ向かえと言いたそうな顔々
プーケットはハワイと代わって下さったのかとまでは思いきれない
トラ君の背中があんまり長いんだもん自転車の荷台から言う
新潟へ雪おろしに行きたいけれど行けない電動車いす
沈黙は承認するのと同じことあとで泣きごと言いなさんなよ
拾いもの好きなところは草市の潤さんゆずり木枯らしの中
甘ければ柔らかければいいのかと青いリンゴにかじりついている





●第三百四十五回 (2005年1月12日)

 NHKが制作していた従軍慰安婦についての番組(2001年1月30日放送)に、
安倍晋三・中川昭一議員が事前に圧力をかけて改変させていたことを、
長井暁プロデューサーが内部告発して明らかになった。
海老沢会長になってからそういうことは日常茶飯事であるという。
 両議員は否定しているからまだ何とも言えないが、
もし事実ならわが耳を疑うような傲岸不遜の出来事である。

 十日ほど前だったか、ある民放の番組の中で、
タレントがNHKを仄めかして「国営放送」と言ったら、数分後にアナウンサーが
「NHKは国営放送ではなく、国民の受信料によって運営されている放送です」
と訂正した。それを聞いて、『アレっ!?』と思ったことがある。
 それまで民放のアナウンサーでさえ、冗談めかして「某国営放送が」などと
言っていたのに、どうして今ごろになって言い替えるのだろう?
 ははあん、このところ相次いだ不祥事に国民の反感が高まっているので、
NHKと政府とは直接関係ありませんよ、とでもこの際念押ししておこうと、
政府の誰かが放送各局にそう申し入れでもしたのだろうか。

 それなのに、今度の一件で計らずも政府とNHKは一体であることを、
あらためて暴露するかっこうとなってしまった。
 従軍慰安婦問題は歴史的事実であることを日本政府は認めているし、
河野洋平議員がその声明を読み上げる中で遺憾の意を表明したのを、
私はこの目で見たから忘れもしない。
 安倍議員らは「放送に公平さを求めただけ」と言っているが、
要するにこの話題を番組にすることにイチャモンをつけているわけだ。
 つまりかつて自分たちの出した声明を屁のように足蹴にするもので、
それほど政府や政治家の声明というものは軽々しいものなのか、
いまさらのように思い知らされる。情けない。

★きょうの短歌
拾いもの好きなところは草市の潤さんゆずり木枯らしの道   東風虎

 

 

 




●第三百四十四回 (2005年1月11日)

 新潟中越地震の被災地で雪おろしをする
ボランティア青年の姿をテレビで映しているのを見て、
私も無性に行きたくなった。
 毎日毎日朝から晩までただひたすら雪をおろしつづければ、
身体はガタガタになるだろうが、さぞかし気持ちのいいことだろう。
夜は夢も見ずにぐっすり眠れることだろう。
あわよくば何かが見えてくるかもしれない。
 しかし電動車いすの身ではかなわないことだ。
そこで、それぞれの持ち場で自分のできることを
精一杯やるしかない。

★きょうの短歌
新潟へ雪おろしなり手伝いに行きたい電動車いす   東風虎










●第三百四十三回 (2005年1月10日)

 昨日、「ペン人」29号の合評会を無事に終えた。
あいにく小雪まじりの北風がきびしかったが、
嬉野町吉田公民館の研修室には8人が集まってくれた。
 とりわけ寄稿の若者が5人も来てくれたのは嬉しかった。
これも呼びかけてくれた佐藤友則さんや田口香津子さん、
取りまとめ役の香月裕夏乃さんらのおかげである。
 今回初めて飲食物の持ち込みを自由としたので、
弁当や焼酎やお菓子がどっさりで、リラックスできた。
こういうのもたまにはいいかもしれない。
 終わりがけには、島根から大学時代の体操部の同級生夫妻も
我が家を訪ねた帰りに立ち寄ってくれてなつかしかった。
 次は30号の節目なので、何か企画でも組もうかと考えている。

★きょうの短歌
反りかえる脳性マヒよえんがちょの指になってるたくまずにして












●第三百四十二回 (2005年1月7日)

 この年末年始も何の工夫もなく寝正月で過ごした。
それもまあ幸いのうちということにしておこう。
せめては恒例の深夜映画私的ベスト10でも発表しよう。

@伊・米映「マレーナ」
(ジュゼッぺ・トルナトーレ監督、モニカ・ベルッチ主演、00)
A日映「ナビィの恋」(中江祐司監督、西田尚美主演、99年)
B米映「ベイブ 都会へ行く」(ジョージ・ミラー監督、マグダ・ズバンスキー、98年)
C韓映「猟奇的な彼女」(クァク・ジェヨン監督、チョン・ジヒョン主演、01年)
D日映「三文役者」(新藤兼人監督、竹中直人監督、荻野目慶子、00年)
E日映「完全なる飼育」(和田勉監督、竹中直人主演、小島聖、99年)
F日映「狛神」(原田真人監督、天海祐希、渡部篤郎、01)
G仏映「TAXIA」(ジェラール・クラヴジック監督、サミー・ナセリ主演、00年)
H日映「プ」(山崎幹夫監督、佐藤浩市主演、平常、95年、パルコ)
(10)日映「SADA(大林宣彦監督、黒木瞳主演、98年)
(次)米映「ラスト・サムライ」(エドワード・ズウィック監督、トム・クルーズ主演、渡辺謙、03年)

 「マレーナ」はシチリアの美しい戦争未亡人マレーナと、
ひそかに彼女を慕う12歳の少年の物語です。
 狭い町でマレーナの色恋沙汰は好奇の的となり、
主婦たちの怒りを買い、ついにはリンチまで受けます。
 それをひたすらじっと見つめる少年の眼差しが泣かせます。
もっとも下着ドロなどもはたらくませガキではあるのですが(笑い)。

★きょうの短歌
芸能界S学会員を知りたがるだからどうだというのでもなく   東風虎







●第三百四十一回 (2005年1月5日)

 年末のスマトラ沖地震の被害が刻々と明らかになっている。
タイのプーケット島などを訪れていた日本人もかなり犠牲になっている。
 一昨年までの私なら、『そんな観光地へ行けるようなご身分じゃないし』
と他人事のように傍観していただろう。
そしておおかたの日本人がそうであっただろう。
 しかし昨年ハワイへ旅行させていただいた経緯からいえば、
そんな観光地を訪れているのは決して特別な人たちではない。
ごくありふれた市民が大多数であることがわかる。
 たとえばもし私がハワイでなくプーケットを訪れていたら、
という仮想も決して成り立たないわけではない。
そのめぐりあわせの差はほんの紙一重であるような気がする。
 どうして私は被害に遭わなくて彼らが遭ったのだろう。
私が良い人間で、日頃からこつこつがんばっているから、
という理由でないことは誰が考えても明らかだ。
 すると(ハンセン療養所の医師だった神谷美恵子が告白するように)
彼らは私やあなたと代わってくださったのだろうか。
なかなかそこまでは思いなしきれないのが忸怩たるところだ。
 その紙一重の差を決めているのは何だろうか。
神や仏や宿命や偶然というような語彙はなるべく用いずに、
それを知りたいと思うときがある。

★きょうの短歌
お取り次ぎさせていただくことぐらい電動車いすにできること   東風虎












●第三百四十回 (2005年1月3日)

 今朝、起きて電動車いすに乗り移ったら、
ベッドにつぶれた尿コップ(190mlコーヒーのスチール缶)を発見した。
しまったーっ、またやってしまったーっ! と頭を抱えこんだ。
 一昨年も筆ペンのキャップを同じようにひと晩中尻に敷いて、
あくる日から過緊張反射の冷汗に悩まされたからである。
 前夜、電動車いすからベッドに倒れこむとき、
一緒にくっついてきたのを気づかないでいたのだ。
健常な人なら痛さと違和感でとても眠れないだろうが、
胸から下の神経がマヒしている者の哀しさ、
のほほーんとして一晩過ごしてしまったのである。
 せめて例の一時間・100ml膀胱のおかげで、
一、二時間ごとに横になってしぴんを当てたので、
致命的な縟瘡からは免れたようである。
 それどころか尻に傷らしいものも見当たらず、
冷汗もとりわけて増えた様子はない。
おそらく尻にまた肉がついてクッションの役目を果たしたのだろう。
いやはや喜ぶべきことか悲しむべきことか。

★きょうの短歌
NHK見てませんとは言い張れず冬のソナタを引き落とされる   東風虎













●第三百三十九回 (2005年1月2日)

 皆さん、明けましておめでとうございます
ご挨拶遅れてしまいました。飲んだくれていたわけじゃありません。
 初夢はひどいしろものでしたが、気にしない気にしない。
それより今年もパンチの効いた作品を発表したいものです。
 さて、巷では改憲論議がかまびすしくなってきたようですが、
私にも一箇所だけ直してほしいところがあります。
 前文の「いづれの国家も、自国のことのみに専念して(中略)はならない」
というところを「ー専念しなければならない」とね(笑い)

★きょうの短歌
年上の人妻ばかり増えてきて年賀状から匂いたつもの  東風虎













●第三百三十八回 (2004年12月30日)

 新聞の投稿欄などでこのところよく見かける口調に、
「最近はそら恐ろしい事件が毎日のように起こる。
一体この国はどうなってしまったんだろう」
 というのがある。だいたい現役をリタイヤしたような人たちである。
もっともだと頷いている同年配も多いことだろう。
 しかし、それを読むと何かイヤーな感じがするのは私だけだろうか。
まるで『自分はちゃんとしているのに』『世の中が一方的に悪くなっている』
とでも決めつけるような思い上がりがふんぷんと臭ってくる。
 こんな世の中になったのは、実はあなたのせいなのである。
そして私のせいなのである。そうしてみんなのせいなのである。
 こんなことを言うと、「いや、わしは数十年間会社で真面目一筋に働いてきた」
と抗弁する人たちが出てくることだろう。
 でも本当にそうだろうか。胸に手を当ててよく思い返してほしい。
たとえば「未必の故意」というものがある。
会社で常習的に何かの不正が行われているとしよう。
それは昔から内外のどの会社でも多少はやっていることだし、
自分は直接関わっていないから責任はない、というようなこと。
 しかしそれによって会社のみならず社会にも損害を与えるなら、
わかっていながら見過ごした罪というものが問われてくる。
 一事が万事である。そういう小さな積み重ねにより
今のような世相が生み出されているとも言える。
それについての自覚と反省がない者はやっかいきわまる。

★きょうの短歌
とやかくの内部告発しなくてもしてもおかしくなる男たち    東風虎 













●第三百三十七回 (2004年12月26日)

 「ペン人」29号をすでに配布していた方たちには、
合評会がきょう26日となっていたので、申し訳ない。
その後の都合により来年1月9日に変更となりました。
 とはいえ全員に連絡する余裕もなかったので、
万が一きょう駆けつけて下さる方がいるかもしれないと、
3km下った吉田公民館まで行ってきた。
 きょうにかぎって北風が厳しく最高気温8度。
いつもなら昼寝でぬくぬくとしている時間帯なので、
ことのほか過反射による冷汗の首もとがぞくぞくした。
 しかし数十分待っても誰もこなかったので、
玄関のガラス扉に「延期のお知らせ」の張り紙をして帰ってきた。
ひょっとして一人ぐらい来てくれるかなと期待していたが、
それは甘い考えだった。

★きょうの短歌
これといって業績もなくつとめ終えそれが今では勲(いさおし)となる   東風虎















●第三百三十六回 (2004年12月24日)

 ヨン様命のおば様たちを揶揄してきましたが、
私もとうとう20日からBS2の完全版を見はじめました(笑い)。
 意地でも泣いたりするもんかと眦を決していましたが、
昨日の第六話終わり付近でちょびっとだけ潤いました。
 そもそも私が気に食わなかったのは、
恋した二人が実は異母兄妹だったというストーリー。
記憶喪失というのもありがちな道具立てである。
 いやしくも現代の書き手なら、江戸時代の草紙ものじゃあるまいし
そんなあざといお涙ちょうだいの押し売りをするもんじゃない、
という反発があったからです。
 それについては今でも変わりませんが、
高校時代の(あれでほんとに高校生?)エピソードは
意外と駆け足で通り過ぎたので気になりませんでした。
  おば様たちはヨン様ばかりに目を向けますが、
(確かに彼の美形と清潔感と無国籍ふうはきわだっているけれど)
あれは基本的にチェ・ジウのためのドラマですね。
それほど彼女の美しさと透明感は存分に活かされている。
 とはいえまだ半分も見ていないから
この先どうなるのかが楽しみです。
おば様たちもまた見てるんじゃない?

★きょうの短歌
キトクケンエキ手放しきれぬ族議員から電動車いすまで   東風虎












●第三百三十五回 (2004年12月22日)

 散歩道に11月末から菜の花が数株咲いている。
(ちなみに昨年は12月末からだった)
このまま春まで咲きつづけるつもりだろうか。
 暖冬で電動車いす乗りには助かるが、
冬物製品などは売れずに困っていることだろう。
そんなこんなで今年も残りわずかになった。
 年賀状を一日10枚ずつ手書きしている。
パソコンにプリンターをつけていないからである(笑い)。
以前はワープロで印刷していたが、それも壊れてしまった。
それに手書きの短歌に味があると言ってくれる人が多いもので。
 クリスマスには何のイベントもない。
(昨年は自分で自分へのとびきりのプレゼントがあったのだが)。
花祭りにだって何もしないのだから欲はいえない。
 せめて残りの日々が穏やかに過ぎてくれればいい。

★きょうの短歌
破廉恥の事件よそには洩らすなよ武士の情けでござりますゆえ  東風虎






  






●第三百三十四回 (2004年12月17日)

 総合文芸同人雑誌「ペン人」29号をようやく編集・発行した。
今夏のハワイ行きと並んでの大仕事であった。
これで仕事納めというところか。ふうーっ。

  さて、その内容は下記のとおり。
◆「続 とろうのおの集」(中島虎彦)
◆「はずまないこころに」(田口香津子)
◆「とものりの新動物誌」(佐藤友則) 水彩画2
◆「新7個のアンケート」(編集部から柴崎昭雄へ)
◆「「BOOK ENDLESS」補遺D こんな夜更けにバナナかよ」(中島虎彦)
◆「寄稿のページ」(香月裕夏乃、桑田窓、大月みや、藤原潤)
◆「ワイキキ日記」(中島虎彦)
◆「ペンペン草」(田口香津子、佐藤友則、中島虎彦、編集部)
  (ご希望の方には誌代600円と送料210円でお分けしております)。

 さっそくいくつか批評をいただいていて、その中に案の定
「中島さんの個人誌のようだ」というのがあった。
それを言われると弱い。私だって気にしているのである。
 しかし他の同人たちの多くが原稿を寄せてくれないのだから、
どうしようもないではないか。それに佐藤友則の力作などもあるのだから、
彼らに失礼というものだ(笑い)。
 なお全作品をホームページ「障害者の文学」のメニュー中の
「ペン人」の項で公開しているので、そちらでご覧下さるのもけっこう。
いずれにしても多くの方に読んでいただきたい。
そしてご感想をお聞かせいただければ幸いである。

★きょうの短歌
天下り坂を松坂肉さまに転がり落ちてゆく男たち   東風虎












●第三百三十三回 (2004年12月9日)

 年末恒例の「創作四字熟語」入選作に
「様様様様(よんさま)」というのがあって、思わず笑ってしまった。
 四文字熟語といえば、このところ「既得権益」が脳裏をよぎる。
既得権益を手放すのがどんなに難しいことであるか、
族議員や高級官僚や企業主や合併自治体の議員など見ていると、
つくづくと骨身に染みて思い知らされる。
それがこの国の改革をどれほど阻んでいることだろう。
 しかしひとの批判ばかりしていてもしょうがない。
これは他人事でなく、私たち自身にも当てはまる。
 たとえば私は毎日電化製品の恩恵を受けて暮らしているが、
それをいくらかでもカットすると言われれば、
生命維持にもかかわってくることだから、猛烈に抵抗するだろう。
本質的には族議員たちと大差ない。
 じゃあどうすれば打開できるのか?
一つは新潟中越地震のような天変地異があるだろう。
二つに内部からの改革が難しいなら外圧に頼るとか。
三つには最近きな臭くなってきた戦争の混乱に乗じるとか。
四つには新興の宗教のようなものが台頭するとか?
 いずれにしてもろくなものではない。
何か人間の叡智による活路というものはないのだろうか。
そのときユーモアは何らかの寄与ができないだろうか。

★きょうの短歌
人魚ってまずそうだなあ隠岐の島あたり群青の波のうろこ   東風虎












●第三百三十二回 (2004年12月8日)

    【ありふれた一日】
4:00 起床。尿もれ始末。ベッドで深夜映画のビデオなど早回しでチェック。
4:30 テレビ各社の二ュース突っこみ入れながら見る。部分的に録画。ギャグ考える。
5:30 一人で電動リフター使い電動車いすに移乗し、身支度する。起立性低血圧。
6:00 パソコンに向かいメールとHP書き込みのチェック。夜半のメモ整理。
7:00 自室で母と一緒に朝食、ご飯と味噌汁と漬け物とお茶。薬のむ。過緊張反射の冷汗つづく。
7:30 テレビの二ュースワイド見ながら新聞2紙読む。部分的にメモ。録画予約。
8:30 居付きの野良猫に煮干しやり、裏山道を一緒に散歩しながら体操。短歌一首詠む。
9:00 パソコンに向かい各種の原稿執筆。あるいは読書。30分おきに小便。漏れがち。
11:30 一人で電動車いすからベッドに倒れ込んで降りる。ラジオ朗読聴きテレビの二ュース見る。
12:00 自室で母と一緒に昼食、お茶漬けかうどんか即席ラーメンか卵かけご飯。薬。
13:30 テレビの「ごきげんよう」など見てから昼寝、最も熟睡。小便間遠くなる。
15:00 昼寝から起きてテレビの二ュースワイドなど見る。あるいは読書・電話。
16:00 再び一人で電動リフター使い電動車いすに移乗。身支度する。軽く散歩と体操。
16:30 パソコンに向かいメールチェックと執筆続き。郵便読んだりポストまで返事出す。
18:30 自室で母と一緒に夕食。晩酌の肴は水炊きなど。ご飯食べず。薬。
19:00 テレビ見ながらパソコンの続き。麻雀・将棋ゲームやネットサーフィン。
21:00 一人で電動車いすからベッドに倒れ込んで降りる。横向きでテレビの映画など見る。
23:00 仰向けになってラジカセの音楽(ジプシー・キングなど)聴きながら就寝。
    寝鼻は二時間ほど眠れるが以後は一時間おきに小便と体位交換。
1:00 テレビ深夜番組(お色気モノ)の録画チェック。以後小説案などそのつどメモ。

   (注。薬は泌尿器科のフリバス、バップフォー、血環潤滑剤ユベラ、整腸剤カマグ、胃薬ポドニン。
      体操は背伸び、腕回し、首ほぐし、顔面運動、舌の日光浴、尻プッシュアップ、指伸ばしなど。
      音楽は井上陽水、桂銀淑、テレサテン、MJQ、チェウニ、バッハ、椎名林檎など)

★きょうの短歌
なんとまあ変わり映えせぬ日暮らしに障害者週間とやらも過ぎる   東風虎











●第三百三十一回 (2004年12月5日)

 嬉野町にも大手チェーンの100円ショップができました。
今までは個人の狭い小さな店しかなかったので、
電動車いすでは入ることもできなかったのです。
 さっそくその開店日に覗いてみたら、あるわあるわあるわ
薄利多売とはいえ、こんな物までと思える品揃えの豊富さで、
見て回るだけでも気晴らしになるもんですねえ。
 草刈り釜、剪定鋏、CD、マフラー、老眼鏡、Tバックなどなど。
でも物によってはスーパーの品より高い物もあるので,
注意したほうがいいとアドバイスくれた人もいる。 
 いずれにしても電池を4本買っただけ(笑い)。

★きょうの短歌
クリスマス近くになればお約束ウディ・アレンの映画でも見る  東風虎











●第三百三十回 (2004年12月2日)

 「生きながら火に焼かれて」(スアド著、松本百合子訳、ソニーマガジンズ、2004年、1600円) 
という(一部で話題の)本を読んだ。
 シスヨルダン(ヨルダン川西部)の男尊女卑の因習根強い村で17歳の少女が、
親に内緒で恋愛し妊娠したため、家族の名誉を汚したとして当然のように
義兄から火あぶりにされたという。それを「名誉の殺人」というそうで、
中東のイスラム社会などでは今でも毎年6000人の女性が被害に遭っているという。
 にわかには信じられないような話だが、訳者も後書きで言っているように
「この衝撃の事実を知ってしまった以上、ひとりでも多くの人に
この残虐な行為の実態を伝え、非難の声を上げることが私たちひとりひとりの
使命ではないだろうか」
 少女は人事不省に陥るが奇跡的に人権擁護団体に救われて生き延び、
心身の重い後遺症と因習の魔の手と闘いながら、25年後にこの本を著すに至っている。
 「障害者の文学」の文脈の上でも、全く新しいタイプの障害者として
取り上げねばならないだろう。まだ心がうち震えるようだ。

★きょうの短歌
ケータイをフリーハンドにしてまでも話さねばならぬこととは何か   東風虎













●第三百二十九回 (2004年11月28日)

 左の手首近くに打ち身のアザができているなあと思っていたら、
薬をつけても日にちがたっても消えないので、シミとわかった。
ああ、これが老齢化というものなのかと思い知らされ、
ひとしれずショックを受けた。
 この春に高校の同級生とお花見をしたとき、
彼女の頬に早くもシミが浮き出しているのを見つけ、
(教諭として我が身も顧ず走り回っているのを知っていたので)
ちょっと痛々しい感じがしたが、ひとごとではなかった。
 真夏にTシャツ一枚で電動車いすを運転するとき、
二の腕が熱射にじりじりと灼けつかされるので
無理はないとも思う。

★きょうの短歌
まず本のパンツを脱がせ中ほどに栞代わりとはさんでめくる   東風虎











●第三百二十八回 (2004年11月25日)

 「はがき通信」20号の松井和子さんの記事で、
ステファン・サルツバーグさんの訃報を知った。
 氏はカナダのブリティッシュ・コロンビア大学の教授でユダヤ人。
日本の精神病史の研究家でもあった。それによってあらためて
私は日本の精神病を取り巻く劣悪な環境を知らされたりした。
日本語もギャグを飛ばすほど堪能であった。
 五年ほど前、博多で頸髄損傷者たちの集まりがあったとき、
ゲストとして顔を見せられていた。私は名刺を持たないので、
自己紹介代わりにいつも自作英訳俳句集のコピーを持ち歩いていて、
そのときも一部を差し上げたのであるが、松井さんによると光栄にも
大変感心しておられたという。
 その後、思い出したようにメールのやりとりをしたり、
氏の論文(原文)やミンガスのテープを送ってもらったり、
クリスマスには楽しいカードもいただいたりした。
(まだ読み切れていないのが忸怩たるところだ)
 私も同人雑誌や年賀状や能のテープをお送りしていた。
数少ない外国の知人のお一人だった。
 そういえばここのところ音沙汰がなかったなあと気づいたが、
まさか癌で闘病しておられるとは夢にも思わなかった。
なにしろ赤鬼のような威丈夫であられたのである。
 人生の無常を思わずにはいられない。