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第18回RI世界会議・ニュージーランド・オークランド・1996年9月

後藤礼治さん・"Working Quads"執筆者
Mr. Reiji Goto

後藤礼治さん
(「重度四肢まひ者の就労問題研究会」ジャーナル)
第18回RI世界会議・ニュージーランド・オークランド・1996年9月
後藤礼治
『ワーキング・クォーズ』執筆者
 後藤 礼治 さん:C4-3-2損傷者。マダレットハイツ事務所勤務。在宅生活。鹿児島県鹿児島市
“WORKING QUADS”9(1993年12月7日)
人工呼吸器の世界から自宅退院、日本1周旅行へ
From the World with a Mechanical Ventilation
To the Return to Home and to the Journey around the Japan
Kagoshima-shi Kagoshima-ken Reiji Goto

 1. WORKING QUADS

  第18回RI世界会議、
  ニュージーランド・オークランド


 私は、かねてより様々な方々の人生、考え方を自分に活かしたいという気持ちがあります。



1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真]
JAL(Air New Zealandと共同運行)待合室。福岡空港。



 96年9月14日。夢であった初めての海外旅行へいくことになった。行く先はニュージーランド。オークランドでNGOキャンペーン’96「リハビリテーション世界会議」が開かれ、参加する予定なのだ。期間は五泊六日。福岡空港からニュージーランド航空でオークランドへ飛び立つ。今回、福岡の清家さんからおさそいをうけた。彼はおなじ重度頚損者で四肢麻痺者の就労について調査活動をおこなっている。今回開かれる会議でスピーチする予定だ。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] ミドルモア病院の正面、 救急車。



 オークランドへ出発する約二ヵ月前。会議の窓口となっている日本リハビリテーション協会から資料を取り寄せ、また旅行代理店を紹介してもらった。パスポート、航空チケット、ホテルの予約、海外での移動手段など清家さんや協会、代理店といろいろと相談した。とくに飛行機の座席の状態が一番心配だった。車椅子頚損者の間でいつも問題なのが交通手段とその機内での過ごし方だ。オークランドまでは約十二時間。とくに私のような、座位の保てない重度四肢マヒ者(頚損C1-2)にとってはかなり冒険である。わたし自身、内心この長旅はちょっと無茶かなと感じていた。。。座席は結局、リクライニングが半分ほどできる上のクラスを予約した。また、介助ボランティアを誰にお願いするかをなやんだ。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 後藤礼治、玉城直樹、清家一雄。
Auckland, New Zealand



「過去一緒に外泊の経験があり体力のある人・・。」そこで、大学ボランティアサークルのT君にお願いした。彼は福祉を専行しており、付き合いはかれこれ三年ほどになる。彼は快く引き受けてくれた。私とT君は何度か打ち合わせを重ね、会議の資料や観光パンフレットをながめた。そしてまだ見ぬニュージーランドへ思いをはせた。今回の旅行にあたり私は、自分なりに三つの目標をたてた。

「ニュージーランドで海をみる、南半球で南十字星をみる、大会へ参加する大勢の障害者と知り合いになる。」




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 第18回RI世界会議開会式・レセプションステージ。
18th World Congress of Rehabilitation International
Auckland, New Zealand 1996
マオリ族のダンスと歌。 ニュージーランド首相のスピーチ。



 14日朝9時。T君が家へきて、一緒に自宅の車へ乗り込んだ。福岡空港では、清家さん等と待ち合わせをしているJALカウンターへいった。初めての海外だったが、自分でも意外なほど緊張感を感じていなかった。いつもの国内旅行とおなじ気分だ。ところがそれは甘い考えであったことが後でわかった。。。T君は、「英語は通じるか、飛行機は無事乗れるかなど・・。」かなり緊張していたようだった。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 第18回RI世界会議の表。
Auckland, New Zealand



 機内の入り口から体だけ抱えてもらい座席へと移動した。座りごこちはさほど悪くない。座席でT君と私は記念写真を撮ったり金髪のスチュワーデスさんと英会話でやりとりしたりと心がはずんだ。しかし余裕があったのもしばらくの間だけ、気が付くと冷房の利きすぎで体が冷え寒気を感じた。T君に備え付けの毛布をかけてもらい、自宅から持ってきたホッカイロを入れてもらった。しかし効果はなかった。そのうち尿意を感じ、いつものようにT君に腹部を押さえてもらったが、どうもスムースにでない。私は過去に冷えすぎによる尿閉塞をおこした経験があり、そのときのことをおもいだした。「どうもいやな予感がする。。。」予感はあたった。私は冷や汗をかきながら、T君に必死で腹部をさすってもらった。その状態で数時間を過ごし、オークランドへ着くとすぐに救急車を呼んでもらった。広々とした郊外を走り病院へと急ぐ。空港で働いていたニュージーランド航空の日本人スタッフや清家さんも一緒についてきて下さった。英会話に乏しい私はとても心強かった。病院ではすぐにカテーテルを導入してもらい、大量に尿がでた。苦痛がいっきにやわらいだ。気がつくと、朝の10時くらいだったか。思えば日本を昨日の夕方発ち今日の朝ニュージーランドへ着いた。病院の外へ出ると、空はよく晴れとても青かった。またすこし空気が冷たかった。ニュージーランドの季節は日本と逆で今初春である。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] オークランドの街角の風景。
Auckland, New Zealand


 オークランドで滞在するセントラホテルは町の中心にあり会場となっているアオテアセンターは歩いて20分ほどのところにあった。行く途中歩いて街を見学できるのだ。ホテルでチェックインすると、午後4時の世界会議開会式までベッドで休んだ。T君はフロントの白人女性の態度が悪いと言って機嫌が悪い。自分のしゃべり方がまずいのかと落ち込んでいる。無理もない。ここまでの道中あまりにいろいろな事がありすぎた。。。以後、英会話はすべて私がすることになった。開会式に備え、ジャケットで軽く正装し、清家さん等と町を歩いた。映画でみたことがあるサンフランシスコほどではないが、全体が坂になっており少し似ていた。会場のアオテアセンターはとても立派だった。開会式は、ニュージーランド先住民「マオリ族」のパフォーマンスやノーベル平和賞受賞者、前コスタリカ大統領等など出席者に加え、贅沢な立食パーティー、「ロイヤルニュージーランドバレイ団」による公演とここまでする必要があるのかと思えるほどの豪華さであった。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 後藤礼治、玉城直樹、山岸祐美子。
アオテアセンターの前で。 施設見学、Spinal Unit の前。
Special Interest Tours /South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。





1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 後藤礼治、玉城直樹、山岸祐美子。
アオテアセンターの前で。 施設見学、Spinal Unit
Special Interest Tours /South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。





1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] ランプ付きバス。 施設見学、Spinal Unit 用の。
Special Interest Tours /South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 脊損ユニット。 施設見学で。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。
AUCKLAND HOSPITAL BOARD / SPINAL UNIT


 次の日、清家さん等とオークランドを見学する予定だったがそれまでの疲れがたまってホテルで休むことにした。体調が悪く、外へ出る気力もない。T君もやはり同じだったと思う。いや、私以上に疲れていたかもしれない。私達は、せっかくニュージーランドへきたのだからという気持ちはあったが、会議も観光もやめて数日休むことにした。休んでいる間日本から一緒にきていた人たちが、交代で私達を介抱して下さった。このときほど人の親切が身にしみたことはなかった。なにも知らない異国の地で、もし彼等がいなかったらどうなっていたのか分からない。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] Your Rights (「あなたの権利」)のポスター
脊損ユニットの中に多数、貼られていた。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 作業療法室。 脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] ニュージーランド人の利用者。
作業療法室。 脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] ジョン・V・フィッシャー。 オーストラリア人。 手動式車いす利用者。
アビリンピックのディレクターで、日本にも何度か来たことがある。
作業療法室。 脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 通路。 後藤礼治。 脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。



 旅行の最終日。今日は会議のメインの一つ、リハビリの施設見学だ。障害種別にプログラムが組まれており、私と清家さんは「脊損センター」を希望していた。私の体調はかなり回復し、いままでで気分は一番いい。会場で他の参加者と一緒にリフト付車に乗り、街の郊外にあるセンターへむかった。オークランド郊外はときどき牧場がみえ、広々としていた。2年前にいった北海道にすこし雰囲気が似ている。車内で、バングラディッシュから参加していた二人連れと一緒になった。センターでは、スポーツ体育館で自立訓練のため入所していた車いす女性とゆっくり話しができた。私が「頚損C1/2]というとおどろいていた。センター内で印象的だったのは、廊下に貼ってあった「Your right]というポスターだ。さあ、明日はいよいよ日本へ帰る日だ。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] パソコンをおいた部屋。 脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。





1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] パソコンをおいた部屋。 脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。




1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] 病棟の外側の通路。 脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。





1996年9月、ニュージーランド・オークランド、第18回RI世界会議

[写真] ポスター。
WE CAN SHOW YOU HOW
BUT
YOU HAVE TO MAKE THE EFFOR.
脊損ユニット。
South Auckland Health /Otara Spinal Unit 。



 オークランドを発つ日。リフト付タクシーでオークランド空港まで一時間ほどでついた。空港で朝食をとった。朝食のベーコンスクランブルエッグが最高においしかった。出発する時間となり飛行機へ乗り込んだ。私とT君は窓際にすわる。窓の外は来たときと同様とてもよく晴れていて、空気が澄んでいるようだった。ジェット音が響き、いよいよ飛行機が動きだす。窓の景色がゆっくりと移動した。私とT君は、景色を見ながらしばらく何もしゃべれなかった。そのうち、私はなぜか涙があふれ、止めることができなかった。

       97/3/14  後藤礼治


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清家一雄、代表者、重度四肢まひ者の就労問題研究会