1986年1月6日、留学生活を始めて2カ月近く経った頃、住んでいたアパートで火事に会った。
午前9時30分、騒がしいので目が醒めた。サイレンの音が聞こえる。すぐそばだ。電気をつけたが2階が騒がしくなったと思ったら電気が消えた。介助者は寝ていた。
「ハイ、何が起きたんだ?」介助者を起こして尋ねた。介助者はまだ寝ぼけていた。
玄関を開けてみると消防士がいた。アパートの2階が燃えていた。「車椅子の者が下にいる。我々はどうしたらいいか」と怒鳴って尋ねた。「リラックスしろ。そして車椅子に乗れ」と消防士に言われた。
小便が出そうな感じがあったが、非常事態だと言うことで、電動車椅子の上に電気毛布を敷いて収尿器を着けずにそれに乗った。毛布を掛け、玄関の前でいつでも逃げ出せる準備をした。パスポート、航空券などの入っているバッグと財布の入っているダウンジャケットを取ってきて膝の上に載せた。あとワープロで作った記録とワープロ自身も気にかかったが緊急事態だから仕方がない。
凄いサイレンの音とガラスの割れる音がしていた。たくさんの消防士達が動き回っていた。酸素マスクを着けているのもたくさんいた。大きな消防車が何台も来ていた。
二階で放水している水が落ちてくる。緊迫したムードだった。
すべての消防士が会うたびに、「具合いはどうだ? How are you doing? 」と声をかけてくれた。でかい図体をした消防士を見ていると少し安心する。
アパートの二階の僕の真上の部屋のベッドのマットレスがタバコの火で燃えた、と言っている。
介助者や消防士達もいるし電動車椅子にも乗っているので、まさか死ぬことはないとは思っていたが、荷物を持ち過ぎた、もっと整理しておかなければならない、そして記録の保管と一応の覚悟は常に必要だろう。しかしまあ人に後ろ指をさされるようなことはしてきてない、一応ベストは尽くしてきたと言うことが救いか、などと考えていた。
天井からの汚水は激しくなったが峠は越えたらしい。だいぶ下火になったみたいだ。写真をとった。消防士が来て床に敷くキャンバスを貸してくれた。
消防士に「どんな具合いだ? How are you doing? 」と聞かれたので、「どうも有難う Thank you. 」と答えたら、彼らは「楽にしろ Take it easy. 」と言って帰って行った。
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