2006年6月上旬、吉田は夫とフランスに行ってきました。吉田の目的は「カルカッソンヌ」と「アヴィニョンの教皇庁宮殿」、夫の目的は
「レ・ボー」と「ポン・デュ・ガール」。割とマニアックなのでツァーでなくフリーで行くことになりました。吉田は片言のフランス語、夫はそれよりは若干マシ?な英語。これのチャンポンでなんとか乗り切ろうという訳です。

(この旅行記は2006年冬の同人誌に掲載された物を改稿しました)

土曜日、日本時間午前10:05セントレア空港発のエールフランスとJALのコードシェア便に搭乗、それから12時間飛行機に乗って、シャルル・ド・ゴール空港に到着。
フランスの現地時間では15:35。
機内で書いておいた入国審査の書類とパスポートを持って入国審査を終え、それから荷物を受取りに。夫はロストバゲージを怖れて機内持ち込み可能なカバンを買っていたのに、名古屋の空港で、重量が10kgを超えていたため機内持ち込みが許可されなかったのである。旅行案内書をたくさん入れすぎたらしい。機内で旅行書をいろいろ読もうと思っていた夫はここで軽いショックを受けた(苦笑)。まあしかし、荷物も無事手元に戻り、モンパルナス行きのエールフランスの空港バスの停留所を探す。
1日目 Montparnasse

空港の壁にバス停の行き先と番号の指示があり、その図の通りに歩くとバス停の場所はすぐにわかったが、バスの発着時刻がわからない。
バス停の標識に、日本のようにバスの時刻が書いてないのである。
しかし他にバス待ちの客が何人かいたので、そのうち来るだろうと待つこと30分、やっとバスが来た。1人12ユーロと運転席の横に書いてある。出入り口は前に一カ所だけで、「ボンジュール・ムッシュー」と言って(運転手が男性だったのだが、女性のバス運転手も時々見かける)「ドゥ ペルソンヌ(2人)」と言う。初めてフランス語を使った(笑)!この段階でまだユーロの貨幣は持っていない(紙幣だけ持っていた)。24ユーロと言われた(と思う)ので、20ユーロ札1枚と10ユーロ札1枚を出して6ユーロのおつりをもらった。フランス語の数字を聴き取るのは難しい。さて、レシートのような切符をそこで受け取ってバスに乗り込む。大きな荷物を置く場所がバスの前の方にあって、スーツケースなどはそこに置くようになっている。交通渋滞のため、バスで1時間以上かかってようやくモンパルナスに到着。少し探したが、割と簡単にホテルが見つかった。


 ティムホテル。歩道から少し下がっているのにスロープがない。荷物を持ち上げてゆるい階段を降りる。

本日はここで一泊するだけだ。時間があればカタコンベや郵便歴史博物館に行きたかったが閉館時間となっていたためあきらめる。午後6時を過ぎても昼間のように明るい。明朝のTGV駅の下見などを兼ねて散策する。駅前にはメリーゴーランドがある。ルーブル博物館の前でも昔見た。フランスにはきらびやかで少しアンティークな感じのメリーゴーランドがあちらこちらのイベント会場にある。メリーゴーランドだけではなく、受付の小さいハウスもとてもおしゃれなデザインだ。夕刻なので閉まっていたけれど。
 モンパルナス駅には花屋、本屋、ビデオショップ、パン屋などがあった。コンクリートうちっぱなしの広い構内にぽつん、ぽつんと店がある。受付に行きたどたどしいフランス語でTGV乗り場を訊ねると、エレベーターで2階へと言われた。フランスでは日本の1階に当たる部分が0階としてカウントされるので、2階というのは3層目になる。

そこへ行くとTGVやフランス国鉄の時刻表がずらりと並んでいたので今後行く予定の地域関連の時刻表を集めておいた。また、コンポジターという黄色い縦長の機械がたくさん並んでいて(これは切符に刻印するものだ)、旅行案内書にはここで必ず切符に刻印をしないといけないと書いてあった(が、実際は毎回必ず検札を受けるというわけではなかった)。

改札口はない。切符を持たない人でも電車のホームまで行けてしまう。車内では検札があるが、電車に乗る時も降りる時も監視されない。これは日本の鉄道と随分違う。

 駅の近くで小さなスーパーを見つけて入る。黒人の警備員(すごくカッコイイ!)が何人か立っている。ミネラルウォーターが0.6ユーロと駅構内の自動販売機で買うより安い。オレンジジュースやミネラルウォーター、チョコレートなどを買ってレジに並ぶ。ベルトコンベアーのようになっているレジ台に、買物客は自分でカゴから商品を出して並べる。商品をチェックしてカウント済の商品をさらに奧の台に店員が並べる。支払いが終わると、客が自分でレジ袋に商品を入れる。駅のパン屋で買ったサンドイッチとスーパーで買った飲み物が今夜の食事だ。スーパーから帰って午後8時くらい。フランスのこの時期は午後10時過ぎてもまだ明るいくらいだが、日本時間だと真夜中だし疲れもあってかなり眠い。サンドイッチを食べシャワーを浴びてくつろぐ。荷物にドリップ式のコーヒーを持ってきたので、ポットで湯を沸かし、コーヒーをいれて飲む。おいしい〜。

フランス旅行では、毎晩これが1日の終わりの楽しみとなる。



↑モンパルナス駅前の広場

2日目 Montparnasse → Toulouse Matabiau

7時にホテルで朝食をとる。コールドビュッフェ。パンとハムとコーヒーとオレンジジュースを少しとって、早めにきりあげる。初めてTGVに乗るので、バリデートをしてもらう必要があり、余裕を持って出たかった。荷物をまとめてチェックアウト。

モンパルナス駅に行き、エレベーターに乗る。行き先ボタンの横に、
「2EM Quai」というようなことが書いてあった。Quai(ケと発音する)は岸とかホームの意味なので、そのボタンを押してTGV乗り場に着く。切符は、日本でTGVの一等で座席指定を予約しておいたものだ。「accueile」(受付)に入って切符とパスポートを見せ、パスポート番号と名前を記入してもらう。それから、コンポジター(刻印機)で刻印するようにと言われた。黄色い刻印機を前にしたものの、切符をどの向きに入れれば良いのかわからない。隣のコンポジターを使っている女性の様子をちらっと見る。印字面を上にしているのが見えた。切符の種類が違うが、とりあえず印刷面を上にして入れてみるたが、隣の女性が刻印した時のようなカシャン、という音がせず、画面には「Returnez Votre villet(切符を裏返して下さい)」との表示。切符を裏返してみたら、無事カシャンと音がした。裏面の何も印刷されていない方に数字の文字列が刻印されていた。

指定席の背もたれのポケットにはTGV発行のものらしい小冊子が入れてある。これが指定席を示す印らしい。新幹線のように指定席と自由席に車両が分れていないそうなので、この配布物?で区別するのだろうか。旅行案内本には切符のような座席番号を書いたカードが窓の上部のポケットに挟んであったのを見たがそういうものは見あたらない。

午前8:10発で到着が13:30。長い。フランスの西半分の景色を見ようということで飛行機でなくTGVにしたのだが、景色は5時間以上、ほとんど変わらないのだった(爆)。田園風景がず〜っと続く。TGVとは日本の新幹線のようなものだが、窓が汚かった。スピードは新幹線よりかなり速そう。乗客は少なくて、テーブルを出してパソコンを乗せ、仕事をしている人が目立つ。各座席の窓際に電源があってパソコンをつないだり携帯の充電もできる。日本の列車だとテーブルは小さくて飲み物や弁当を置いて、前の座席の背もたれにしがみついて食べる感じだが、フランスの列車はテーブルが低くて大きく、仕事できるようになっているみたいだ。みなさん景色見ないのね〜と思ったら、さっきも書いたように、フランスの景色ってほとんど変わらない。日本のような山あり谷ありじゃないので、トンネルもほとんどない。フランスの地形ってなだらかなんだなあと思う。

乗ってしばらくすると、車掌が来て検札。刻印は裏なのだが、特に見ない。というか切符自体をあんまり見てない(笑)。とりあえずコンポジットも間違いなくできたようだ。日本の新幹線のように各車両までワゴンで食べ物やおみやげを売りに来ない。その代わりに何車両めの所でサンドイッチやコーヒーを販売している、というようなアナウンスが入る。しかし車両の番号がよく聞き取れなかった上に買物自体にも慣れていないので昨日スーパーで買ったチョコレートとミネラルウォーターでなんとなくしのぐ。以後、こんなんばっかり(泣)。

途中、ボルドーの駅に停車した。ハリーポッターに出てきた駅のような雰囲気だ。トゥールーズは巡礼の道のイメージで、この辺りは田舎だと私は思い込んでいたが、大きな都市で人も多かった。後で調べたところ、ローマ時代からの古い歴史があり、フランスで6番目の大都市とのこと。エアバスなどとの航空宇宙科学の拠点であり、1229年設立のトゥールーズ大学もあり、学問・研究の都市でもあるそうだ。

 5時間半かかってようやくトゥールーズマタビュー駅に到着。

 ここからキリアドホテルまでミディ運河沿いに歩いて15分ほど。スーツケースその他の荷物を全て持って歩くのはけっこうしんどいですぞ。ツァーならそこんとこ楽なのになあと思う。

 モンパルナスもそうだったが、(フランス中どこでもそうかもしれないが)ここも街路が汚い。ゴミもいっぱいだが犬のウ○チもいっぱい落ちていて足下に気をつけないといけない。フランス語の先生が日本は町もきれいだし店員も親切だし住みやすいと言っていたが、こういうことなのかなと思い当たった。キリアドホテルに到着。チェックインをすませて荷物を部屋に置き、ちょっとくつろいでからトゥールーズの町を散策。テアトルの所にヴェネチアのサン・マルコ広場に似た大きな広場があり、そこから放射状に小路が伸びている。煉瓦色の建物が並んでいてとてもきれい。はじめに「ジャコバン修道院」を見学し、ここで既に4冊も本を購入してしまった。ホテルからホテルへの移動中荷物を全て自力で運ばなくてはならないのだが、やはり買わずにはいられない。次に「サン・セルナンバシリカ大聖堂」を見学。広くて外観も立派だ。掃除のおじさん?がゴミを修道院敷地内から外の歩道にポイポイ掃き出していた。そんな掃除のしかたでいいのか? 聖堂の出口に折りたたみイスとカゴが置いてあって、そこに小銭が入れてあった。次に「アセザ館」(入館料4.2ユーロ)。あと30分で閉館ですがいいですかと言われて駆け足で見学。(ここでは違ったが、パリの博物館などでは閉館間際に行くと半額にしてくれたり無料でいいと言われたりすることがよくある)
展示物もすばらしいが、建物自体が美しい。
階段やテラスから中庭を見ると優雅な気分になる。

 ブリューゲル(ピエール)やルノアール、ルドンの他に、個人的に好きなクラーナハの絵があったのが嬉しい。調度品は16〜17世紀ぐらいのものが多い。

 かなり暑くて空腹だったこともあり、この近くのサラダレストランでサラダとオレンジジュースを注文。夕食用に駅近くのパン屋でパンと飲み物を少し買う。

↑サン・セルナンバジリカ大聖堂 ↑フランスの聖堂はどこも回廊と中庭が美しい

3日目  Toulouse Matabiau → Carcassonne

 トゥールーズのホテルで朝の6:30から朝食を取る。短パンをはいた元気なご老人たちがボンジュールと挨拶をしてくれた。7時にチェックアウトして徒歩でトゥールーズマタビュー駅へ。20分かかった。TGVに乗って次の駅がカルカッソンヌ。降りる時は、手動で扉を開けないといけないらしいが、早めに準備をしないと落ち着かないので到着5分前に荷物をまとめて扉の付近へ行ったら他の客は誰もいない。先頭に降りるのか?扉をちゃんと開けられるのか?とドキドキしながら到着を待つ。黒いボタンを押したがすぐに開かない。3回くらい押したらようやく開いたが、もしかして自動で開いたのかも?よくわからないままに列車を降りた。45分くらいなので検札も来なかった。日本と違って改札口が乗る時も降りる時もない。

駅のトイレは有料で、0.3ユーロ必要だった。これも経験だから見てみようとコインを入れてみた。

中はけっこう広い。3畳間くらいあるんじゃないかと思う小部屋の右端にぽつんと、まるで和式便所のような穴が。よく見ると壁際にボタンがあってそれを押すと壁に沿って収納されていた金属のパイプの便座が直角に降りてくるのである。でもこれ小の時は座って使えないんじゃないかな? まあそれはいいとして(いいのか?)、その反対側の壁に手洗い場があって、石鹸も水もセンサーで自動で出るし、エアタオルもある。こうしてトイレ観察及び用足しを終了。

カルカッソンヌ駅からミディ運河を通過して20分くらい歩いてトロワトロンヌホテルに着いたのが午前9時頃。ホテルのチェックインは13時過ぎということだったので大きな荷物だけ預けてカルカッソンヌのシテへ。

 ホテルのすぐ前がポン・ビュー(旧橋)だ。橋のずっと向こうに童話に出てくるような城が見える。橋を渡ってしばらく歩いて入城。モン・サン・ミッシェルのように小路沿いには土産物屋がいっぱい。

コンタル城を少し見てから英語の解説つきツァーに加わる。コンタル城や外郭、内郭などは自由に見て回れるが、見張り塔など、この解説員が随行しないと入れない場所があるので、見学する時には解説員つきツァーに参加するべきだ。フランス語解説であればだいたい30分ごとに出発しているが、英語は午前と午後各1回だけ。日本語ツァーはない。中庭にツァーの時間を書いてある掲示板があるのでそのあたりに集まっていると解説員がやって来る。この時間の英語の解説員は若い女性だった。はっきりした聴き取りやすい英語で話す。司教の塔や異端審問の塔など見て歩いたが、塔の中は強い風が吹上げてくるので、帽子を飛ばされないようにと注意があった。螺旋階段がとても狭い。右回りと左回りとあるがその違いに何か理由があるのかはわからない。45分間のガイドが終わると大聖堂の近くに出る。フェンスで囲まれた行き止まりになっていて、その出口から出されるとツァーで回った(解説員の随行が必要な)箇所にはもう戻れない。ツァー限定区域以外はまた自由に見学できる。聖堂内を見てから土産物屋を回り、また入り口に戻ってコンタル城の売り場に戻る。ここで少しお土産を物色。「The Parchment」というつまり羊皮紙について書いてある小冊子(8.5ユーロ)を発見。フランス語版と英語版があったが英語版を1冊買う。羊皮紙のなめし方や写本のような美しい文字と絵の描き方とか、略符の説明などあってしかもフルカラーで見ているだけでもきれい。これを1冊しかこの時買わなかったのだが、ラテン語を一緒に勉強しているお友達と先生にこれをおみやげにすればよかったと後ですごく悔やんだ。(パリの書店でも後で探してみたが見つからなかった)。

 午後2時頃、土産物街にあるレストランでオムレツとサラダを食べた。スペイン系な感じの店員の女性が感じよく、私の夫が昼飯を撮影しようとオムレツにデジカメを向けていたら、「Avec Madam!(奥さんと一緒に)」と言って私の隣に座ってポーズを取った。

 この後もまだ城内をぐるぐる散策。中世の香りたっぷりで幸せな時間を過ごした。出口付近の小さな土産物屋に入ってカルカッソンヌの名前入り指貫(ゆびぬき)を8個買った。日本の指貫は指輪状になっていて指を通して使うが、ヨーロッパの指貫はカップ型をしている。カップの底に針の頭があたる小さい凹みがあって、金属製か陶器製で、カラフルな模様なども描いてあってなかなかかわいいのだ。刺繍の時に指の先にはめ、凹み部分に針の頭(糸が通っている方)を当ててぐいっと押し込むのに使うらしい。

店主のおじさんに「これはフランス語でなんと言うのですか」と訊いてみたら
「デ」と言った。
メモを渡して書いてもらったら「1 de, 2 des」(deのeの上にアクセントがついている)と書いてくれた。不定冠詞のdeかと思って、いや名前を知りたいんですが〜と言うと、それが本当に指貫の名前なんだそうだ。
失礼しました。おじさんにお礼を言って店を出た。

 ホテルに戻ってチェックイン。ところが部屋番号に従って行ってみると、窓からカルカッソンヌが見えない位置だ! 窓からカルカッソンヌが見えると旅行案内書に書いてあったのにちょっとショック。しかし後でよく考えると、旧橋の前にある建物に邪魔されて、3階まである客室のどの部屋からもカルカッソンヌは見えない。4階のレストランからの眺望が売りらしい。レストランは午後10時までで、フランスのこの時期は午後10ぐらいまで明るいのでライトアップされた夜景を見るには夜遅くに外へ出なくてはならない。

 朝から5時間以上歩き続けて疲れたが、少し休むと夕食の買い出しに。駅には何もなく、駅から戻る途中にある「MONO PRIX」というスーパー?みたいなショップに入る。食料品だけでなく、衣料品や化粧品も売っている。ここで飲み物などを買い、さらに歩いて別のパン屋でサンドイッチを買う。サンドイッチといっても食パンではなくフランスパンにハムなどが挟んであるやつだがなかなかおいしい。夫はチーズが苦手なのでハムサンドを、私はチーズも入ったのを買うのだが、ブルーチーズが少し入っていた。日本のサンドイッチでブルーチーズって見たことないな。しかし、そんなに食べにくくはない。私にとってありがたいことは、苦手なカラシが入ってないことだ。日本のフランスパンに比べてフランスのパンは中がわりとしっとりしている。毎晩これですますのも寂しいのだが、割と気に入っている。

 夜、ライトアップしたカルカッソンヌを見ようということでまたまた外出。昼間行った時は、外郭と内郭の間を(カルカッソンヌの城郭は二重構造で、その間を歩き回れる)半周しかしていなかったので逆回りに歩いてみた。本当に石だらけだ。石の文化。

 半周した所で人気が少なくなったことに気づき、ちょっと怖いかなと思って城郭の外に出た。ちゃんと一周してから出ればよかったのだが、半端な場所から出たために道に迷う。道を尋ねるフランス語をこそこそっと練習してから、赤ん坊を抱いた若い女の人に道を尋ねた。

「この道をまっすぐ右に行くと……」と彼女が射した方角は私たちが行こうとしていたのと逆方向だった。訊いて良かった。少し歩いてから念のため、庭に水やりをしている男性をつかまえてもう一度訊ねてみた。最初は「○○はどこですか」と言いたいことだけ丸投げの私のフランス語だが、何回か訊ねるうちに、「すみません、道に迷いました」など前振りをつけることを覚える(笑)。緊張のあまり地名を噛んでしまうこともあるが、「R」の発音を気をつけるとだいたい通じる。そうこうしてフランス語を学習しながら無事旧橋にたどりついた。ポン・ヌフ(新橋)から写真を撮ると旧橋とカルカッソンヌがセットになっていい絵になるということで、新橋まで行って撮影。この時午後10時ぐらいだったと思うがようやく薄闇になる感じで漆黒の空にライトアップというわけにはまだいかない。カルカッソンヌのシテの城郭のところにぽつんぽつんと設置されていたライトの前に人が立っているらしく、人の影がくるくる動くのが遠くからでも見えてユニークだ。



↑カルカッソンヌの城塞遠景

4日目  Carcassonne → Avignon

ホテルのフロントに頼んで朝7時に来るようにとタクシーを呼んでもらったが、来たのは7:25頃。駅まで3分だから全然問題ないですとは言われても、TGVの乗り場にまだ詳しくない私たちとしては十分すぎるくらい余裕を持って出発したかったので焦った。
日本人はせっかちだと思っているだろう。
そういえばフランスのホテルのエレベーターには、「開く」ボタンはあるが「閉じる」ボタンがない。「閉まる」ボタンがあるはずの位置に「呼び出し」ボタン(ベルのマークがついていてそのボタンだけ黄色いのでたぶんそうだろう)があるのでうっかり押しそうになってしまうことが何度かあった。
日本ではエレベーターに乗り込むと1秒でも早く閉まれとばかりに誰かが必ずといっていいほど「閉まる」ボタンを押す。
そんなの押しても押さなくても数秒しか違わないのだろうが、それが待てないのが日本人なのかもしれない。
なんだかんだあったが、無事に駅に着く。
タクシーのメーターには4.9ユーロになっていたが、荷物をトランクに入れたりするとその荷物量などメーターに少し上乗せされるので注意が必要だ。フランス語の数字を聴き取るのは大変だ。とにかく駅に着いて、アヴィニョン行きのTGVに乗る。

 そういえば、モンパルナスからトゥールーズへ行く時にもTGVに乗ったことは前に書いたが、この時、私たちの座るはずの席に見知らぬ男性が座っていたが、彼は「全然問題ないよ〜、そこ空いてるから座って」みたいな感じでその指定席の一つ後の席を指差した。
フランスのTGVとはそんなもんなんだなと納得して、指定席の一つ後の席に座った。検札に来た車掌も、席の確認は特別しないし文句も言わないのでそのまま座っていた。
前の座席の男性は途中の駅で降りたが、まあいいだろうと席を戻さずにいたら、あとで老婦人がやって来て、そこは私の席ですと言う。
後が空いてるから座れば〜?とも言えず、すみませんと言ってもともと自分たちの指定座席だった場所に移動した。人と場合によるのね〜、とまた新たな学習をしたのだった。

 アヴィニョン駅から「navette」(シャトルバス)に乗って、15分ほどでアビニョン中央駅に着いた。バス代は一人1.1ユーロ。
乗る時に1乗車かと聞かれる。よくわからないが、1乗車分の乗車券だと1時間有効らしい。

 ブリストルホテルに到着。荷物を預けて教皇庁に行ってみる。

 サン・ベネゼ橋(歌で有名なアヴィニョンの橋)の入場料込みで一人11.5ユーロ。国籍を問われるので日本人だと言うと、日本語の解説オーディオを貸してくれる。これが、家庭電話の子機ぐらいの大きさがあって、けっこう重くてずっと耳に当てていると肩が凝ってしまう。解説はとても丁寧で長い。着替えの間では、教皇の世話は身分の低い司祭などがする、と言っていた。教皇の身の回りの世話だから高貴な家柄の聖職者がやるのかと思ったが、やはり下僕の仕事ということなのだろうか。他にも枢機卿会議で教皇がどの位置に座るとか、壁際に椅子がずらりと並んで枢機卿たちが座して会議するなど。こんなおいしい情報がいっぱいつまったオーディオ、買えるんなら買って帰りたかった…。旅行案内でその存在を知ってから絶対に全部聴こうと日本を出発する前から決めていたのに、旅の疲れもあってすぐ挫折。これが活字になっていたらすばらしい資料なのに、体力のなさで貴重な情報ゲットを諦めてしまった。観光ガイドなどに詳しいのがあるだろうと思ってそっちに期待。

 夫が会社の人への土産の物色を開始。革製のオーモニエールがあって、中世では修道士が施物袋として、あるいは商人などが財布に使ったとも言われている。形も面白いので購入。南フランス一帯では昆虫の「セミ」が守り神とされていて、あちらこちらでセミのキーホルダーや置物、マグネットなどを見かける。これも1つ2つ買ってみた。

 教皇庁だけで相当疲れた私は、サン・ベネゼ橋に行く元気もなくいったんホテルに戻ることにしたが、また道に迷ってしまった。方向オンチな自分も自分だが、どの町も小路が入り組んでいてとても複雑なのだ。旅行案内書には、地図を広げるなと(明らかに旅行者とわかって狙われやすくなるため)地図を見ないで歩いているからなのだろう。フランスでは小さな通りにも一つ一つ名前がついているのだが、それも慣れないとなかなか地図の中に見つけにくいのだ。若い男女の二人連れに道を尋ねる。道で地図を広げないように小さく折りたたんでポケットに入れていた地図を見せて、「今いる場所はこの地図でどこですか」と訊ねてみた。ここですよ、と青年が教えてくれて、アヴィニョン駅へ行く道筋も教えてくれた。しかしとにかく小路が多くてどこで間違ったか、教わった通りに歩いたのに元の道を尋ねた場所に着いてしまってとても驚いた。バミューダ海域か? 日を改めて翌日にはどうってことなく教皇庁まで行って帰って来ることができたのだ。迷った時はよほど疲れて思考力が鈍っていたのだろう。

 まあそんなわけで、予定では午前中教皇庁を見学して午後は少し遠出するつもりだった。(レ・ボー・ド・プロヴァンスかポン・デュ・ガールかアルル、ニームの4カ所をこの二日間のアヴィニョン滞在中に行く計画を立てていた)

 ところが道に迷ったために時間をロスしてホテルに戻って少し休んで元気を取り戻したら午後5時。こんな時間ではどこに行っても見学施設は閉館だ。とりあえず、アルルへフランス国鉄で行くことにした。ちょっと見てみようというだけで、ここは必見という施設は特になかったので閉館時刻を過ぎても差し障りがないだろうということで。国鉄の切符についても、日本で既に5日間用のセーバーパスを購入しておいた。セーバーパスの使い方は、電車を使った日付を指定の欄内に、6/6というように自分で記入する。

 列車に乗ってから駅員に「この電車はアルルに行きますか」とフランス語で訊いてみた。アルルの発音は難しい。最初の「ル」はRなので「アグル」に近い発音で言わないと「Ales(アレ)」の町と間違えられたりする。私はがんばってRを発音してみた。すると、「アルル? ウィー!」と駅員と立ち話をしていた男性も含めて3人が声を揃えて返事をしてくれた。20分ほどでアルルに到着。

回廊の美しいというサン・トロフィーム教会は18:30までと旅行案内に書いてあったので行ってみたが、行くまでに20分ほどかかっていしまったからか、もう閉まっていた。古代の競技場も閉まっていたので外から見ただけ。駅までの途中のレストランでパスタとサラダを食べた。久々にサンドイッチ以外の夕食だ。このレストランには水槽があって、中に鯉や金魚が泳いでいた。

国鉄でアヴィニョンに戻る。明日こそはレ・ボーやニームに行きたいのでハードだ。

↑教皇庁宮殿 ↑大聖堂(ノートルダム・デ・ドム)


5日目 Avignon ,Les beaux de Provance , Pont du gard , Nimes

朝タクシーでレボーへ。片道40ユーロだが往復だと70ユーロ。昨日の夕刻に駅でタクシー運転手に尋ねた時は60ユーロと言っていたが。バスで行く方法もあるが、本数が少ないうえ、日本のように流しのタクシーを手を上げて拾うということがない。タクシー乗り場に行くか、観光案内などから電話をして呼ばないといけないし、田舎はタクシーを拾うのが難しいと聞いていたので、アヴィニョン中央駅で交渉して、現地で1時間ほど待機時間入れて70ユーロというのを30分待機で60ユーロにしてもらった。最初は夫が英語で交渉していたが、タクシーが出発してから私がフランス語で相づちをうつと、「奥さんはフランス語を話すんですか」と聞かれた。少しだけと答えた。

「夫はアルミニウムの会社で働いているので、レ・ボーに行きたいのです(レ・ボーではボーキサイトが採掘されていた。レ・ボーのボーは、アルミの原材料ボーキサイトの名前のもとになっている)」と言うと運転手は納得して「奥さんもそこで働いているのか」と聞いた。いや、私は働いてないと答えた。以前フランス語の授業で「主婦業」ってなんというのかと先生に尋ねたら「私は働いてない」と言うのだと。悲しいぞ主婦。作家であるとはちと言えないしな〜おこがましくて。そういうわけで働いていない、と答えるに留まる。無職の女が英語以外の外国語を話すのは不思議に見えるのかもしれないが、今一緒にフランス語を勉強しているお友達も無職(といっても私以外セレブで優雅なマダム)が多い。なんだかんだ話しながら、レ・ボー・ドゥ・プロヴァンスに到着。レ・ボー城があるとは知っていたが、見学する予定はなかった。しかし行ってみると城下町が賑わっていて面白そうだ。一人7.5ユーロ払って見学する。運転手の待機時間30分なので大急ぎだ。ケチらずに70ユーロで1時間にしとけばよかったなとちょっと反省。城下町は土産物屋でにぎやかだが、城内に入るとほとんど廃墟ばかりだ。攻城機が二つほど展示されているが、瓦礫のような山。眺望は素晴らしい。急いで見学してタクシーの停まっている駐車場まで戻り、それからその辺りを少し廻ってもらう。オリーブの林と葡萄畑があちらこちらにある。ボーキサイトの採掘跡らしきものはわからなかったが、突き出た形の岩など、これまで電車から見たなだらかな景色とはひと味違う面白い景観だ。夫は会社にレ・ボーを見て来ると言って休暇を取っているので証拠写真をたくさん撮った。帰国してからわかったことだが、もう少し北に足を伸ばすと、採掘跡があるようなのだ。確実な情報ではないのだが。でも確認してダメなら諦められたのに残念。

↑レ・ボー城の案内看板 ↑東側から見た城塞跡
↑中世の投石機 ↑城の上から見た南プロヴァンズ

 アヴィニョンをタクシーで出発したのが午前9時、見学して戻ったのが午前11時頃。
駅でバスの時刻を調べる。12:05発の11番線のバスがあったので、それに乗ってポン・デュ・ガールに向かった。45分ほどで到着。
ここはローマの属国だった時代に作られた水道橋だ。バスを降りたのはポン・デュ・ガールの案内所から徒歩10分くらい手前のロータリーだが、ここには系統や時刻を示すバス停がないのだ。日本では考えられないことである。バス停がないのに、だいたいこの辺りと思って待たなくてはならないのだ。念のため乗ってきたバスの運転手にニームへ行くバスはどこから出るのか、と訊ねた(この後、かなりキツいスケジュールであるが、バスでニームへ行く予定なのだ)。すると運転手はだいたいこの辺り(Par ici)と答えるのみだ。かなり不安を感じる。とりあえず案内所まで行く。バス停を訊ねてみると、やはりロータリーの辺りだが詳しいことはわかりませんと言われた。
ポン・デュ・ガールのガイド付ツァーは7月、8月のみということで今は無料で勝手に見学できるようだ。水道橋まで行ってみる。
水道橋に並行して歩道橋も作られているが、旅行案内書などに載っている写真はこの反対側から撮影されていて、歩道橋は写っていない。やはり観光客がゾロゾロ写っていたりすると景観が悪いのだろう。左岸から右岸へ渡ってまた戻る。冊子を買い、サンドイッチで昼食をすませて一息つく。ニーム行きのバスは14:15。来る時にバスを降りたあのロータリーへと向かう。しかし結構これが遠い。
途中、観光バスなどの大型車両の通行チェックをしている詰め所があったのでそこで再びバス停はどこかと訊いてみた。詰め所にいた女性がバス停はここですよ、とすぐ目の前を指さした。ロータリーじゃなくてここ、毎日ニーム行きのバスがここから出てるのを見ている、というようなことを言うので、とりあえずそこで待つことにした。
「Le Gard / conseil general」と書いたバス停の標識がちゃんとあったし、ニーム行きの時刻表も書いてあるのだ。もしもここでなくてロータリーが正解だったら、と不安も過ぎったのだが、女性が自信をもって断言したので信じることにした。ところが時刻になってもバスは来ない。フランス人は時間通りに来ないと聞いているので、10分や15分は覚悟して待った。20分経っても来ない。もしかして……とだんだん不安になる。
そのうちにさっきの女性が来て、何時のバスなんですかと私たちに問い、私が答えると詰め所に戻ってどこかに電話をした。間もなく戻ってくると、「バス亭はここではなくロータリーでした。すみません。いつも本当にニーム行きのバスがここから出ているのに」と言って平身低頭。最初に運転手が言った通りにロータリーの辺りで待っていれば良かったのに、より確かな情報をと欲張り過ぎてバスを一本逃してしまった。
問い合わせまでして教えてくれた親切には感謝しなくちゃということで、「サバ、メルシー(大丈夫です、ありがとう)」と答えたものの、次のバスは2時間後。それだとニームのいろいろな施設の閉館時刻に間に合わない。他に予定がなければもう一度橋をじっくり見学なんてのも良かったのだが、今日中にニームは見ておきたい。
その時、夫がタクシー乗り場を発見。見ると2台空車が停まっていたのでそれに乗ることにした。事前の調査では、ここでタクシーを拾うのは難しそうだったのだが、この時はたまたま空車が待機していて本当に良かった。
そうまでしてなぜニームに行きたかったかというと、「ニーム博物館」を見たかったからである。旅行案内書のわずかな情報だからあてにならないのではあるが、服飾の歴史に関する展示物や中世の調度などがあるということだったのだ。私は、中世の城や修道院の敷地図とか、中世ではこんな食器で食事をとっていた、とかこんな洗面器を使っていた、とかこんな下着を着ていた、というような一見つまらないような小さなことでも、リアルさを増すために細かい資料が欲しいのである。



↑ポン・デュ・ガール

タクシーの運転手は携帯で何やら問い合わせていたが、結局ニーム博物館については場所がわからなかったらしく、「ここはサント・ペルペテュ教会だが、ニーム博物館は私はわかりませんと」言った。
私は「Ici,c`est bon」(ここでいいです)と言って45ユーロ払ってタクシーを降りた。少し迷ったが人に聞きながらニーム博物館に到着。ニームはデニム(Des Nimes:デ・ニーム)の語源ともなった町で、繊維の町らしい。
ニーム博物館には17〜18世紀の服飾が展示されていた。中世じゃなくて残念だったが、全て手縫いで繊細で美しかった。絹製の靴などは今でもそれが売っていたら「かわいい〜!」とつい衝動買いをしたくなるようなデザインだった。
図録もなければ撮影も許可されていないのでとても残念だが、当時の服が見返しや襟ぐりやボタンホールも丁寧に手縫いで始末されているのをじっくり見た。刺繍も繊細ですばらしい。あれのレプリカのハンカチなどがあればお土産として買うのに。
階段はあるが2階の部屋には入れないようになっていて、踊り場に2つの衣装箪笥が置かれていた。彫刻がとても精緻だ。中世の生活用品はそれほどたくさんなくて、ランプやロウソク立て、ナイフなどの小物が少しあっただけだ。
中世の資料をたっぷりゲットというわけにはいかなくて、少し期待はずれだった。
あんなに苦労して来たのになあ。まあ、こんなこともある。


ニームにはもっと有名なものがあって、それは円形競技場だ。
夫は中世よりこういった古代の遺跡の方が好きなので入場してみた。
ここでもアヴィニョンの教皇庁宮殿と同じように日本語解説のオーディオが貸し出しされているが、持ち逃げ防止のため、身分証明書を預けなくてはならないのだった。パスポートは不可ということで、VIZAカードを…大丈夫だろうか、と思いつつ出す。
この円形競技場の大きさはヨーロッパの古代競技場の上位20位に入るぐらいだが、保存状態は世界一という話だった。26000人収容。
ドーム球場より少し小さいぐらいだが、全部石でできてるところがなんともいえず荘厳。オーディオガイドに従って最上部まで行ってみたが、足がすくむ。これはなかなか見応えがあった。見学を終えて駅へ行くとちょうど目的の電車が来ていて、飛び乗った。途中の停車駅のアナウンスがないのがとても不安だ。しかしタラスコンなどの大きい駅は到着時にアナウンスがあった。アヴィニョン中央駅もアナウンスがあったので乗り過ごすことなく降りる。長い一日だったなあ。アヴィニョンを拠点にレ・ボーとポン・デュ・ガールとニームの3カ所を見学。大変だったが有意義な一日だった。

 夕食は広場にあるレストランで安いコース料理(ひとり13ユーロ)を食べる。ポタージュ風のどろっとした野菜スープが丼のような大きなボウルにたっぷり。食べきれなかった。少し味が濃い。あとビーフにラ・タトゥイユという野菜をトマトソース味で煮込んだものをつけて食べる。これはなかなかおいしい。

 同じホテルに日本人ツァーのグループが泊まっていた。そのせいかどうかわからないが熱い湯が出ないので入浴をあきらめる。明け方には湯が出るようになっていたのでシャワーを浴びてさっぱり。



↑ニームの円形闘技場

 6日目 Avignon → Paris , Orleans

 強行軍だった昨日までで、私の見たいものはほぼ終わり。しかしアヴィニョンを基点にあちらこちら出かけたので、肝心のアヴィニョンの橋(サン・ベネゼ橋)を見ていなかった!ということで朝から散歩がてらベネゼ橋を見る。時間が早いので中に入ることはできなかった。教皇庁宮殿の前の広場を通ってホテルに戻り、朝食をとってチェックアウト。このブリストンホテルは部屋にミニバー(冷蔵庫)があって飲み物も手に入り、フロントも感じ良かった。



↑サン・ヴェベゼ橋。水害のため完全な修復をあきらめ、半分で途切れている

 8:31発のアヴィニョンTGV駅行きのシャトルバスに乗って、8:40分到着。
駅の南口に行って掲示板を見たが、私たちの乗る列車の番号と時刻が載っていなくて焦る。
案内に切符を見せて訊ねると、このすぐ上ですと言った。行ってみるとホームがあった。乗り場はそこでOK。夫は自分たちの乗る列車の時刻が電光掲示板にないのを不安に思い、また情報収集へ。北口の掲示板を見たがフランス語なのでよくわからないということで、私がそこへ行って確認することにした。すると、電光掲示板が2種類あることに気づいた。よく見ると「Arrivee(到着)」と「Depart(発車)」の2種類だ。つまり夫は「Arrivee(到着)」の時刻を見ていたのだ。日本の新幹線は到着時刻を表す掲示板はないんじゃないかな? 詳しくはわからないが。「Depart(発車)」の表示のある掲示板を見ると、ちゃんと乗車予定の時刻と番線が表示されていた。やれやれだ。voi(voitur:車両の略か)の番号も確認。プラットホーム(Quai)の番号と車両番号(voi)を間違えないようにしないといけない。両方を確認してホームで電車を待っている時に、自分の携帯電話が見あたらず、ホテルに忘れたかもしれない、ギャ〜!と私がパニックに陥る。しかし落ち着いて探したらカバンの中にあった。無事11号車に乗った。3時間ほどノンストップで、パリ-リヨン駅に到着。大きな荷物があるのでタクシーを拾った。

ティムホテルまでお願いしますと言って、メモにホテルの名前と住所を書いて渡した。Rue de la banque」(銀行の通り)でわかったと言って走りだす。フランスに着いてから今まで一日も雨が降らなかったが、今週はずっとそうなのですかと聞くと、運転手が6月はずっとそうだよと答えた。暑い、暑いと連発しながらここはノートルダム寺院とかいろいろ説明してくれた。途中の広場に人がたくさん集まっていた、ストの集会だそうだ。ホテル前に到着。大荷物も運ぶのでその分2ユーロとメーターにある料金15ユーロ、合わせて17ユーロ払った。

トレッキングシューズを履いていたのに毎日6〜8時間石の上をずっと歩いているとさすがに足の裏にマメができて痛い。
チェックインしてからこの日はオルレアンに行く予定だったので道筋をチェックする。最寄りのメトロ駅「BURSE」まで徒歩5分。
ここから5番線に乗り、「REPUBRIQUE」で3番線に乗り継ぐ。
ここでストか何かの影響で電車が遅れているみたいなアナウンスがあり、ホームで待っていた客たちがブーブー言っていたが、かといって帰る気配もないので待っていれば来るだろうと待った。
そんなに長時間は待たずに電車に乗れたが、アナウンスがよく聞き取れないので不安だった。

パリ-オステルリッツ駅に到着。

 ここからオルレアン行きの列車に乗るのだが、直行電車があるはずなのにまたしても電光掲示板に表示されていないので駅員に、私たちが初日にモンパルナスで入手した時刻表を見せて、これに乗りたいのだがと訊いてみると、時刻表の下のほうに小さな字で注釈があって、その電車は金曜日限定と書いてあるそうだ。確かによく見ると、「les ven sauf le 26 mei(5月26日を除く毎週金曜日)」云々と書いてある。金曜日はvendrediで、venのような略も知っておきたい。

他にも「tous les jours sauf les sam et dim.(土・日を除く毎日)」などのようにいろいろ書いてあるので注意が必要。20分ほど後の電車に乗った。
それはオルレアン直行ではなく、Les Aubrais-Orleans(レゾブレゾルレアン)で同じホームで乗り換えなくてはならない。これは乗り継ぎ時間4〜5分で問題なくできた。
オルレアンでは「ジャンヌ・ダルクの家」を見学。ジャンヌ・ダルクの生家ではなく、ジャンヌが王国軍を率いてイギリス軍からオルレアンを解放した時に数日この財務官の自宅に宿泊していたというだけなのだが、オルレアン解放時の様子の模型が作ってあり、解説アナウンスも流れていた。
ここの図録は作ってないとのことだったが写真は撮っていいと言われたので模型の写真を数枚撮る。
お土産をいろいろ見ていたら、ジャンヌの署名(当時は聖職者かよほど身分の高い貴族しか文字を読み書きできなかったので、ジャンヌも文字は自分の署名しか書けなかった)入りのスチール製のブックマークとか(これが帰国時に空港で引っかかるんだが)、絵はがきとか、あと中世の講義では先生が「シール」と言っていたのだが、羊皮紙の文書をくるくるっと巻いてロウソクを溶かしてスタンプのようにサインを押しつけて封印する印璽というもののレプリカがあった。
ジャン・ドーロンやジル・ド・レのものもあって(マニアックな土産だ)もう本当に大喜びで買った。当時本当にこのデザインの印璽が使われていたのかどうかは調べてみないといけないが、中世マニアにはたまらないアイテムだ。

いろいろ買ったのでサービスにポスターを何枚かくれたのだが、その中に三越で開催されたジャンヌ・ダルク展のポスターもあった。
こうしてジャンヌ関係の書籍なども買って戻ってきた。

帰りは予定していた直行便が人身事故のため不発だという。さっきのレゾブレゾルレアンでまた乗り換えなくてはいけなくなった。しかしこの電車の乗り換えよりメトロの方がなんか面倒だ。人が多すぎて気が抜けないし。しかし何とかホテルに戻る。

パリのオペラ座付近は日本人向けのレストランがやたら多い。フランス語の片言で注文するのにも疲れたので日本人が経営しているラーメン屋に入ってみた。水が無料サービスなのが嬉しい。



↑オルレアン解放の際にジャンヌ・ダルクが宿泊したという財務官の家。20世紀に復元されたもの。

7日目 Paris  

 この日は遠出の予定はなく、久々にゆっくりできた朝。1日自由だ。

 ゆっくり朝食をとって、9時近くにホテルを出た。中世博物館(旧クリュニー博物館)に立ち寄りつつそのあたりの古書店なんかを見たいなと思った。中世博物館は前回フランスに来た時にも見たが、今回は電子辞書でチェックしながら見たら「聖遺物入れ(reliquaire)」や「祭壇の背面の飾り(Devant d`autel de la cathedrale)」など、展示物の意味がよくわかって楽しめた。だいたいその物を見れば何に使うものかはわかるのだが、単語を確認できるとより楽しくてつい長居をしてしまった。夫が退屈したので後半は急いで見て回り、最後の巡回路となる売店で書籍などを物色。ラテン語の先生とお友達に何か良い書籍はないかと見ていたら、「Art」というフランスの美術雑誌を見つけた。中世の写本がテーマの号を2冊見つけて買った。本文はフランス語だが、お友達はフランス語が堪能だし、ラテン語の先生にもラテン語の写本がたっぷり掲載されているのでぴったりだと思う。色もとてもきれいだ。そして思わぬところで思わぬ書籍を発見! 私がすごく欲しかった、ガストン・フェービュスの「狩の書」だ。これは中世の有名な狩猟手引書で、狩り好きのフォワ伯ガストン三世によって1387年に書かれた。本文はたぶんラテン語だろうと思うのだが、豊富なカラーの挿絵ばかりがクローズアップされてラテン文が載ってないのが残念だ。その代わりにフランス語で何やら解説が書かれているので、帰国してから調べてみようと思った。ラテン語とフランス語でどっちが楽かってどっちも大変なのだが、ラテン文は活字になっていない分、翻訳以前に解読が大変だからフランス語の方が少しはましかもしれない。れにしてもフルカラーで10ユーロ(日本円で1450円ほど)ってめちゃめちゃ安いではありませんか。それからフランス語教室のお友達に合いそうなお土産を買った。お土産プレッシャーというのは、旅慣れていないとどうしても起こってしまうものだ(私が命名したのだが)。たとえば○○の集まりのお友達が7人いるというと、旅の半ばくらいになると同じ物で手頃な物を7個、いや何かで数え間違いとかあるかもしれないから一つ、二つ余分にと買ってしまい、でも数が多いからあまり値の張る物は買えないので、こんなのでショボいかなあと不安に陥り、次に行った先々でまたしょうもないものを、8個、9個と買ってしまうというのが「お土産プレッシャー」だ。私はカルカッソンヌで指貫をたくさん買い、その後もそれをやってしまいそうになったのだが、同じものじゃなくて、あちこちで珍しいものやおもしろい物を一つか二つ買って、いろんな物をみんなに見せて選んでもらえばいいやと思ったらすごく気が楽になって買物も楽しめた。指貫自体、あまり思いつかないお土産だろうと思うが、(実はこれは、洋裁好きの姉が海外に行った時に見つけたらしいが、小さくて邪魔にならず、陶器製でカラフルでけっこうかわいいのでどこへ行っても必ず指貫を買ってくるようになったのを私も真似てみたのだ)日本で言うと箸置きコレクションのように集めたくなる。

 さて、買物も楽しめたし、ということで次に向かったのは、パリ大学(ソルボンヌ大学)内にあるという鉱物博物館を探し回って、人に道を随分尋ねた。大学内にあるはずなのに、学生に聞いても知らない人ばかり。おまけに鉱物博物館をフランス語で言うと、「ル ミュゼ ドゥ ミネラオロジー」これだけならなんとか言えるのだが、「ジュヴドゥレ アレ オゥ…」(鉱物博物館へ行きたいのですが、教えてくださいませんか)とつなげようとすると、どんなにこっそり練習しても本番で噛んでしまうのである。鉱物博物館は、夫がアルミニウム材料の研究開発の仕事をしているため、まあ見ておこうかな、という程度だったのだが、せっかくパリ大学までは来ているのだからとさらに噛み噛みフランス語で尋ね歩いてようやく見つけたが、改装工事中で入れなかった。おそらく、7月、8月には開いているというパターンなのだろう。

最初にパリ大学の守衛さんに聞いた時、この道をまっすぐと言われたのだが(身振りつきだったから聞き間違いではなかったと思う)、実際はその道から直角に真っ直ぐで、なんかその守衛さんのいた場所から見えていたと思う。とっても遠回りをしてしまった。

無駄足に終わった所で、メトロ駅のCardinal Lemoine の角のレストランで昼食をとることにした。キノコとチーズ入りのオムレツと、メロンと生ハムのサラダ。このサラダがとってもおいしかったので自宅に帰ってからすぐにまた作って食べてみた。フランスの生ハムは日本のより腰が強いというか硬めだが、この食感は忘れがたい。

この後セーヌ川沿いに歩いてノートルダム寺院に立ち寄り、ホテルに戻る。川沿いに花屋とペットショップがたくさんあって、ペットショップにも入ってみたが三毛のモルモットがたくさんいてかわいかった。猫や犬も大きなケージに何匹か一緒に入れられていて、ペットシーツではなくおがくずのマットが敷きつめられた中にいた。熱帯魚屋さんもあった。

私は日頃の運動不足がたたってすっかり疲れてしまったが、夫は「ダ・ヴィンチ・コード」にあった場所をいろいろ見て来たいといって一人でルーブル博物館へ出かけた。私は今回はルーブルはパス! 体力なくて情けないが閉館まで1時間もない、大して何も見られないだろうとあきらめる。



↑ルーブル博物館。できた当時は不評だったというピラミッド

少し休んだらまた外出する元気が出てきたので、最後に家族への土産を買う。息子はいつも何も要求しないので(現金がいちばん嬉しそう)、まず娘のために「パリで普通に売っている服」を買う。ブランド品は日本でいくらでも買えるので、意外と普通のファッションの方が新鮮だったりする。前にイタリアに行った時もさりげない小さな店で買ったブラウスを気に入って長い間着ていた。あと、姉にピアスを買った。姉にはデザインがちょっと若すぎるとは思ったのだが、ホワイトシルバーの蝶と蜂に白い天然石があしらわれていてとてもきれいだったので、デザインに惚れて買い。一応パリの三越にも行ってみたが、あまりこれと言って楽しそうなものはなかった。帰りにまたサンドイッチとタルト、飲み物を買ってホテルに戻る。明日は帰国だ。

8日目 Paris → Japon

 フランス旅行の最終日の今日は、パレ・ロワイヤルの庭を散歩した後、ルーブル博物館に隣接する装飾博物館を訪ねてみたのだが、やはり7〜8月しか開館していないらしく、入館できなかった。そのまま歩いてオルセー博物館に行った。美術の教科書に出ているような有名な絵がごろごろあって、あまり目立たない場所にさりげなく展示されていたりする。2〜3時間ではちゃんと見られないのだが、気の向くまま、足の向くまま名画を鑑賞。途中、フランス語と英語のアナウンスの後、日本語でも「ただいまスリが侵入しているもようです、お手荷物には十分にご注意下さい」というような放送が流れた。のどかな南フランスではあまりそういう心配もなかったが、やはりパリは人が多いので注意だ。



↑ホテルに近いパレ・ロワイヤルの庭園。とても清々しい。

正午にホテルをチェックアウトしなくてはならないのでいったん戻り、チェックアウトをすませて大きな荷物を預けてまた外出した。前日散歩していた時、閉店していたもののウィンドウに飾ってあったかわいいネックレスを買った。天然石のローズクォーツそっくりなフェイクかもしれないが、大振りなビーズをたっぷり使ったペンダントが39ユーロ(5600円くらい、ただしこの後もどんどんユーロ高がすすんだので現在はもっと高いのである)。天然石に似ているが安いのでガラスビーズだろう。それにしても日本の相場から見てもアクセサリーは割と安いのではなかろうか。飲み水とジュースは高いが(笑)。スターバックスでサンドイッチとジュースで昼食をすませる。このホテルの近くにはショッピングモールが意外とたくさんあって楽しめた。午後2時になったので、ホテルに戻り、タクシーを呼んでもらう。シャルル・ド・ゴール空港まで約30分。搭乗予定の飛行機は18:10発なので全く急ぐことはなく、少々荷物検査に引っかかったりいろいろあっても大丈夫だろうという十分な余裕を持って出た。途中事故渋滞などがあって道が混んでいたので、タクシー運転手が「事故で道が混んでいる」、と言った。私がたまたま覚えていたフランス語を使いたくなって「オン ブテヤージュ(混んでいますね)」と言ってみたら、その後少し道が空いたとたんにスピードアップした。っていうか高速なのにこの車間距離は大丈夫なのか!?というほど前の車を追い立て始めた。私が混んでますねと言ったからよほど急いでいると思われたのかもしれない。いや、全然急いでないのよ〜!と言おうと思ったのだが、とっさに「急いでいない」というフランス語が思い出せず、そのままにしておいた。フランス語の先生がよく、「聞くのはリスクがないが、話すとなるとリスクを負う」と言っていたが全くその通り。それでもリスクを負ってでも話さないと進歩しないのが語学だ。

というわけで時間をもてあますほど早く空港に無事到着。空港でも少し買物を楽しむ。空港のトイレに並んでいたら「オボロー!(泥棒)」と叫ぶ声が聞こえてびっくり!前の方を見ると、高校生?くらいの若い女の子2人が、悪戯をしていたらしい。トイレ使用中の人のカバンの取っ手が個室の扉の下の隙間からはみ出していたのを引っ張っているのだ。4〜5センチの狭い隙間からカバンが出てくるはずもないので、盗む気はなく、本当に悪戯しているだけなのだろうと思うのだが。そのうちその二人は何食わぬ顔をして出て行ったが、悪いマドモアゼルたちだなあ、全く。フランス人かどうかは知らないが。けが人が出たりというような物騒な事件じゃなくてホッとした。

帰りの飛行機の中では、ビデオ「フォレストガンプ」を見た。機内食は和食を食べたかったが、洋食しか残っていなかった。名古屋に着いたら小雨が降っていた。梅雨なんだなあと実感。こんなふうにしてフランスの旅終了。

蛇足だが、「急いでいません」は「Je ne suis pas puressee(ジュヌスィパ プレッセ)」。
次回同じシチュエーションにあたったら使ってみようと思う。

2006.6月 吉田 縁