中世のクリスマスって? クリスマスをX'masと書くのはなぜか。 キリストはギリシャ語でXPISTUSと書く(ギリシャ語のPはローマ字
のRに対応する。ちなみにロシア語もそう)。Xはその頭文字である。
教会の中庭などで、色分けされた花がXPという文字を綴っている風
景を見たことはないだろうか。XPはギリシャ語で「キー・ロー」と読み、
キリストの略である。masはやはりギリシャ語で聖祭を表す言葉だそう
だ。ミサの語源かなとも思うが、確認する暇がないのでご容赦を。 クリスマスの起源は三世紀末とも四世紀とも言われている。 三世紀末という説は、小アジア(今のトルコ)で270年に生まれたニ
コラオという司教が子どもの守護聖人で、子どもに贈り物をしていたと
いうことに起因している。彼はミラの司教であり、12月6日が司教ニコ
ラオ(聖ニコラスともいう、オランダなまりでサンタクロースと発音する)
の記念日で、その日に子どもに贈り物をする習慣ができたらしい。ち
なみにニコラオが司教だったことから、サンタクロースが司教服にな
ぞらえた赤い服を着るようになったが、この習慣ができたのは宗教改
革の頃である。 もうひとつの説は、354年に、ローマ教会によって12月25日をキリス
トの生誕日と決めて祝うようになったというが、本当にその日にキリス
トが生まれたというわけではない。農耕民族の間では冬至の日を祝う
土着の信仰が根強かったので、それをキリストの生誕の日に置き換
えて祝うことにしたのではないかといわれている。キリスト教はあちら
こちらで布教されるうちに土着の信仰と融合しながら広まったので、
今のようなクリスマスになるまでに地域柄と時代を反映したいろいろ
な形をとって変遷してきた。 先に伸べた司教ニコラオの時代は、キリスト教が大迫害を被ってい
た。コンスタンティヌス帝がキリスト教を保護するようになったのは313
年(彼がローマ帝国を単独統治する前)、共同統治していたリキニウ
スとの政策協定で、「キリスト教を公認してキリスト教徒を味方につけ
ることを確認した」……これがミラノで行われたので「ミラノ勅令」と呼
ばれている。しかしコンスタンティヌス自身は、守護神をヘラクレスとし
た時期があったり、臨終になってようやく洗礼を受けるなど、宗教に関
して意外とアバウトだったようだ。 司教ニコラオも迫害を受け拘置されていたが、コンスタンティヌスに
よって解放されたと言われている。 こういう事情で、クリスマスの起源は三世紀末に既にあったが、
堂々と祝えるようになったのは、キリスト教が公認された四世紀以降
だったのではないかと私は思う。 クリスマス・ツリーの起源はどうかというと、八世紀のドイツの布教者
聖ボニファチウスが布教の地でカシワの木にオーディン神に捧げる人
身御供の風習をなくすために、モミの木にキリストへのささげ物をつけ
ることを教えたのが始まりだと言われている。大変美談である。が、
異説によると、彼は異教徒の信仰の対象だったカシの木(雷神トール
の神木ともいわれていた)を異教徒たちの目の前で切り倒し、彼らの
信仰は無意味だと知らしめてキリスト教布教に成功したというエピソ
ードもある。強引な話ではあるが、いずれにせよ、クリスマス・ツリーも
やはり土着信仰とキリスト教とのからみで生まれたのが事実のようで
ある。オーディン神もトール神も北欧の神である。 だからというわけではないが、サンタクロースがトナカイの引くそりに
乗ってやってきて煙突から入ってくるというのは、北欧伝説の名残だ。
クリスマスとは、北欧を布教する宣教師たちの奮闘の蹟ともいえるか
もしれない。 ヒイラギの葉もクリスマスの重要なアイテムと言えるが、古代ローマ
人が農神祭の祝祭日にヒイラギの飾りを使ったことに由来している。 ところでツリーをオーナメントで飾る習慣は、宗教改革者ルターが始
まりだった。改革派としてはカトリックの行事をそのまま受け入れるの
に抵抗があるので、アレンジして継承することがあった。サンタクロー
スを好々爺の姿に変えたのも彼らである。 中世のクリスマスでは、クリスマスカードを交換するということはなか
った。中世ではごく限られた者(高位の貴族や聖職者)しか文字の読
み書きができなかったから無理もないだろう。クリスマスカードを交換
する風習は意外と歴史が浅い。19世紀にイギリスで始まったといわれ
ている。 さて、クリスマスといえば七面鳥だが、中世の人々はクリスマスだか
らといって七面鳥は食べなかった。というのも、七面鳥が北アメリカか
らヨーロッパに伝わったのがコロンブスの大陸発見以降の16世紀の
ことであるから。中世の人々の冬至の頃のごちそうは、鶏、鵞鳥や秋
にどんぐりを食べさせて太らせた豚、狩りで射止めた猪などであろう。 七面鳥とは無関係だが、トゥールの司教聖マルティンにまつわるエ
ピソードでこんなのがある。彼はハンガリー軍の士官だったが、337
年、彼の前にあらわれた半裸の物乞いに、マルティンは自分のマント
を半分に切り、持っていたパンの半分と共に与えた。その物乞いがキ
リストだったらしい。マルティンはその後洗礼を受ける。この半分に切
った外套(カペ)を聖遺物としてまつった場所を、カペラ転じてチャペ
ルというようになった。ところで、彼は隠修士になりたかったので、トゥ
ールの司教になるようにという命令が下った時、それを拒んで家禽の
小屋に隠れていたのだが、鵞鳥が騒いだために見つかってしまった。
それで聖マルティンの祝日11月11日には鵞鳥を食べるのだそうだ。
クリスマス=七面鳥を連想させるエピソードではないだろうか。11月
11日頃というのは、農耕暦としても、収穫が終わって年貢を納め、無
事その年を乗り切るかどうかという一年の節目なので、それを祝うと
いう意味もある。 中世ではクリスマスは12日間続いた。つまり翌年の一月上旬まで続
くのである。12という数字が大変重要で、ロウソクの数とか飾る枝とか
……いろいろなところに12という数字があらわれる。十二使徒に由来
するのだろうか。その辺のところは定かでないが、初期の修道院の戒
律では、ひとつの修道院に修道士は12人までと決められていた(13と
いう数字が裏切りを連想させるからだろう)こともあって、12へのこだ
わりがわかるような気もする。 日本では年賀状というものがあって、正月とクリスマスとをはっきり
と区別しているが、西欧ではクリスマスと新年は同じような感覚だ。ク
リスマスカードにはメリークリスマスのついでに新年の祝いの言葉も書
かれる。中世でクリスマスが12日間続いたことを考えると、クリスマス
と新年は同じようなものなのだろう。 カトリック行事、改革派のアイディア、北欧伝説、農耕時暦、各地の
聖者の伝説……などてんこもりのごたまぜのお祝い。それがクリスマ
スだ。なんて言ったら不謹慎でしょうか。そういうわけで。 Merry Christmas and a Happy New Year! (1997.12.18)
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