|  暦はおもしろい。
 昨年10月に出た「すすり泣く写本」には暦について少し触れてある
 が、私は暦とか写本に目がない。(というのは「マスカレードの長い
 夜」を読んだ人にはよくわかると思う)その時代の人々が自然の流
 れとどうかかわったか、どういう迷信を信じていたのか、どんなまじな
 いをしていたか、などということが読みとれて、しかもたいてい鮮やか
 な挿し絵つきなので、中世の参考資料としても役に立つ。
  この頃世紀末を意識した本の刊行が増えてきた。ノストラダムスの大予言の関連のものも多いが、さすがに現代人はパニックを起こす
 ほどは世紀末に振り回されていない。ところが中世はどうだったかと
 いうと、「ラ・ロシュフーコー公爵傳説」に興味深い記述がある。これ
 は17世紀フランスの名門貴族によって書かれたものだが、彼は、1
 7世紀の自分のことよりまず、自分の家系が最初に教会の記録に現
 れた980年から書き起こしている。20世紀末の今の不景気などと
 いう生ぬるいものではなく、10世紀末のフランスは、ペスト、旱魃、
 飢饉、略奪の連続の上、大彗星の出現、日蝕あり月食ありだった。
 人間は滅びる、というデマが流れ、人々はヤケを起こして仕事を放り
 だし、群盗と化した。戦々恐々として迎えた1000年には、大きな災
 害はなにも起こらなかった。それでもすぐには人々の不安はぬぐい
 去ることができず、人々が心の平安を取り戻し、それぞれの仕事に
 戻って元の暮らしにかえるまで数年を必要としたという。1000年前
 の人々の世紀末をこれほど鮮やかに語ってくれて、ロシュフーコーさ
 ん、ありがとうねと言いたい。
 
 10世紀末関連で、もうひとつ。ベアトゥス黙示録という写本があ
 る。10世紀後半、北スペインの修道士ベアトゥスが黙示録の終末の
 ヴィジョンを記した。近年刊行されたのは、ファンクドゥスという写字
 生の手による写本である。力強い色彩の挿し絵は、ゴヤ、ミロ、ピカ
 ソなどに大きな影響を与えたといわれている。イスラームとキリスト
 教の激しい対立と、至福の千年の思想が反映されている。天使と悪
 魔が闘っている光景などは、赤、白、黒の鮮烈な色を基調にしてい
 て、デザイン的にも見事だ。じっと見ていると、細やかな描写がおも
 しろく、訴求力の強さが感じられる。21世紀を目前にした現代人に
 も強く語りかけるものがある。至福の千年の思想が、正確な暦を求
 めようという動きにつながったので、これも暦と無関係とは思えない
 のである。奇しくもこの時期には、西暦とは無縁の仏教圏においても
 末法思想が流行ったという。
  歳時暦に話を戻そう。キリスト教世界では毎日が聖者の記念日だ。中世後期、うるう年の換算の関係で春分の日付がズレてきてい
 ることが懸念されていた。春分は復活祭の日付のもとになっている
 のでキリスト教において重要だったのだ。さかんに改暦が試みられ
 た結果、16世紀末にグレゴリオ暦が制定された。それ以前のユリウ
 ス暦は○月×日というのではなく、3月の朔の日からさかのぼって何
 日目、などというあまりにも複雑なものだったため、聖者の記念日を
 併記した時祷書が各地で作られた。
  時祷書といえば、14世紀フランスの「ベリー侯の豪華時祷書」などは構成、飾り文字、絵、どれも目を見張る美しさだ。挿し絵のこまご
 まとしたディティールなんかもう、物書きにはたまらないおいしさだ。
  仏教・神道方面でももちろん興味深い暦がある。初詣に始まり2月の節分、3月の雛祭り、お水取りなど。4月の花祭りはキリスト教の
 クリスマスに匹敵する大イベントだが、なぜかこの日を大切な人とす
 ごそうなどという習慣は見られないようだ。「お釈迦様の誕生日は僕
 と一緒に甘茶でも飲まないか、ハニー」なーんていう口説き文句は…
 …聞かないな、やっぱり。斬新で良いと思うが。
  日常を克明に綴った文献というのは民俗学的にも貴重だ。その地域の文化や歴史を如実に反映している。今そこにある家計簿やシス
 テム手帳も500年後には第一級史料になる可能性を秘めている。
 だから暦はおもしろい。
 
 さて、まもなくやってくる20世紀末を現代人はどう迎えるのか。そ
 の瞬間を見届ける世代に生まれたのはとってもラッキーだと思う。何
 か書き残さなきゃ、とは思うけど、ロシュフーコー氏みたいなすごい
 のは書けそうもないし……とりあえず文章修行して腕を磨くべきか
 な?
 (1999.1.15)
 
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