ボツになった小説も含めると、私の作品には楽器がよく出てくる。 「薔薇の聖燭」ではビオールが、「マスカレードの長い夜」ではフィド
ルが、他に日の目を見なかったものにもフィドルやチェロなどが登場
した。ファンのお便りでも執筆中に音楽を聞くか、どんな音楽を聞く
か、という質問をよくいただくので、今回はそれについて書こうと思
う。 執筆中に音楽を聞くが、歌詞のわかるものは不可である。間違っ
てワープロでその歌詞を書いてしまいそうになるから。だからクラシ
ックで静かめのものとか、ミサ曲などを聞く。私はクラシック音楽が
好きで、ひとつの曲を気に入るとそのCDばかりか、楽譜までも買い
求め、楽譜を見ながらCDを聞いて、「そうか、ここにはこんな楽器演
奏が潜んでいたのか」などと発見したり、自らもピアノで弾いてみた
りして(下手なのですぐ挫折する)より一層その曲への理解を深めた
ように錯覚する、というくらいに音楽が好きである。 「薔薇の聖燭」の冒頭のシーンはテレマンのアリア。で、映像的なイ
メージはというと、馬車の車輪の間から城を見るという感じのカメラ
アングルだ。途中、ラスト近くで重要なキャラクターが一名、命を落と
すが、このシーンはモーツァルトやフォーレのレクイエムサンプラー
版をエンドレスで聞く。他にヘンデルの「忠実な羊飼いより」など。 「マスカレードの長い夜」の中に出るフィドルは、ヴァイオリンの前身
である。音色はヴァイオリンに似ているが、演奏形態としては、合奏
とか、何かの伴奏のようなものであって、チゴイネルワイゼンのよう
に劇的に演奏されることは少なかったようである。しかし、私はどう
しても主役の美形キャラにヴァイオリンを弾かせたかったので、無理
矢理独奏させてみた(フィドルを)。その曲のイメージは、時代も国も
全然違うが、ラフマニノフの「ヴォカリース」である。これは今のとこ
ろ、この世でいちばん私の好きな曲だ。 ラフマニノフの「ヴォカリース」とは、母音で歌う、歌詞のない歌で
あるが、あまりに美しい旋律であるためか、いろいろな器楽でも奏で
られている。いちばん多いのはヴァイオリン演奏だが、私は「ヴォカ
リース」をとにかく集めた。十五種類くらい集めたがまだ手に入れて
いないのもたくさんある。ヴァイオリン以外にも、美しいファルセット
(裏声)で有名な男性歌手スラヴァの歌ったもの、許可(Xu Ke)の胡
弓演奏のもの、室内楽曲のものなど…。最も気に入っているのはパ
ールマン演奏のヴァイオリンだ。何度聞いてもこれは泣けてしまう。
「ヴォカリース」を聞きながら「マスカレードの長い夜」の原稿を執筆
していて何度も泣いてしまったが、きっとそれは「ヴォカリース」の旋
律のあまりの美しさのためだったのだろう。 「マスカレード…」の主役フォルカが演奏していたのは、私の頭の
中ではラフマニノフの「ヴォカリース」だったというわけだ。ラフマニノ
フは19世紀生まれのロシアの作曲家だが、どうしてもこのイメージに
囚われてしまったので、仕方がない。処刑のシーンでは、どういうわ
けかクライスラーの「プニャーニのスタイルによる前奏曲とアレグ
ロ」。この曲の冒頭のキレの良さがぴったりしていると思った。 もしも私の小説を既に読んだ(あるいはこれから読もうと思ってくだ
さる)方でクラシック好きな方がいらっしゃいましたら、是非、これら
の曲も聞いてみてくださいね。 |