◎イタリア合気会を創った人々
         イタリア合気会創立者・主任教授 本部師範 多田 宏
 合気道の海外普及という言葉を聞くと、私が一番先に思い出すのは、大先生を中心に海外に行く先輩の望月、藤平、阿部の諸氏を囲み、植芝道場で行なわれた壮行会と、横浜港の埠頭で聞いたドラの音、汽笛の響きである。
それは、昭和の始めの頃、龍田丸で欧米に旅立つ父に夢中でテープを、勿論届かないにもかかわらず、投げ続けた記憶と重なっているらしいのだが、その時、何時か私も海外に行けるかなと漠然と思ってもいた。
 それが、現実となったのは、昭和三十九年の事である。
 当時海外で合気道を専門に普及する者の、守るべき三つの事があった。
@一人で行くこと、
A片道切符で行くこと、
B金を持たず、家から仕送りを受けず、アルバイトをしないこと、である。
 私はこの”背水の陣”の教えを忠実に守り、250ドルを懐に、自由が丘の家を出たのは丁度東京オリンピックが終盤にかかった時だった。一応の目的地はイタリア、それから南米を回って帰国するという、ひどく不確定なプログラムだが、これが、その時の私の予定であった。
 イタリアで、合気道というものがあるという事を、一番先に知らせたのは、フランスで活躍した阿部正氏である。次に彫刻家の小野田はるさん、旅行でローマに来た川向氏であろう。
 ローマに着いた私は、下町トラステーベレにあるモノポリ(煙草専売局)のクラブの責任者、キエルキーニ氏を紹介され、その道場で稽古を始めた。半月後、国家警察学校で演武を行い、そこで内務省主催の合気道講習会を二ヵ月行なった。こうして私のヨーロッパでの合気道生活は始まった。
ローマイタリア合気会本部道場 稽古風景
 ローマには戦時中イタリア大使館員で、植芝道場に入門されていた、メルジェ教授が健在で、東洋語学校で教授から植芝盛平先生の話を聞いた者が、早速入門して来た。この中の一人、セルピエリ氏の紹介で後年、国有財産の一つの建物を道場とする事が出来る様になる。そこは四方を古代ローマの水道と城壁、遺跡、軍事博物館、水道局に囲まれ、夜になると物音一つ聞こえない所であった。これが現在のイタリア合気会本部道場である。私はそこの階段下の一室に住みこんだ。会員はそこを「先生のグロッタ(洞窟)」と呼んでいた。
 一年後ナポリとサレルノで稽古を始めたいという希望があり、日本から自由が丘道場の池田昌富君(現・七段スイス合気会師範)を呼んだ。その翌年には、アメリカ留学の帰途ふらりと寄った早大合気道会OBの根本敏男君(現・赤井電機取締役)が、北イタリアのトリノの普及を引き受け、数年留まることになった。
 1968年には、初めて国際合気道講習会をベニスのリドで開いた。初めて初段の審査を行い、又講習としては大成功であったが、経済的にはローマやトリノに帰る旅費が無いという状態であった。だがこの夏期講習会は三回目以後マントバのベネリ氏が組織する事となり今日まで続いている。
イタリア合気会創立30周年
平成6年10月 ローマにて
 我々は地を這う様にして、合気道を普及した。私も自分なりに随分頑張ったつもりではあるが、一応イタリア合気会の形が整い、そして、日本迄の航空券を買えるようになるには六年かかった。それは、合気道の普及に、既存の柔道連盟やスポーツ組織を頼らなかったからである。もしこれらの組織を、通じて普及したならば或いはもっと楽に、大量に会員を増やす事が出来たかもしれない。然しその結果は、今とは全く違った性質の会となっていた事は確実である。
 この年月は、私にとって短くもあり、また長い年月でもあった。この間に恩師植芝盛平先生、中村天風先生がご逝去され、又私を一番可愛がってくれた祖父も他界した。それだけに、羽田に降り立った時は感無量であった。私は、帰宅して直ぐ、田辺の植芝盛平先生のお墓にお参りし、帰国の報告をした。
 その年一旦私はイタリアに戻ったが、同年ローマの道場で山川久美と結婚式を挙げ、翌年子供が出来、子供をどうしても日本で育てたいという気持から、住まいを東京に構えた。そして年の半分はヨーロッパへ出向くという、半身日本、半身イタリアという生活を、万難を排して始め、それを今に続けている。
 この後、日体大OBの藤本洋二君がミラノに、自由が丘道場の細川英機君がローマに入り、以来二十数年にわたって辛抱強く、家族共々一生を賭して稽古を続け、イタリア合気会を支える力となっていることは忘れられない。その間、早大OBの山中叶君、野本純君、自由が丘道場の今崎正敏君が、それぞれ数年にわたって稽古に参加した。
 この様にしてその後、会員有志特にローマの、故パウディーチェ弁護士の十年にわたる尽力があって、イタリア合気会は、1978年7月8日イタリア共和国大統領布告N・526号により、日本伝統文化の会として、政府・文化省公認の財団法人(Ente Morale)と成ることが出来たのである。現在イタリア合気会はイタリア全土八十の都市に道場があり、年会費を払う正会員が四千人、その他かって稽古を行なった会員等を入れると、数万を超える人達が、合気道の稽古に勤しみ、又勤しんだ事になる。
合気道探求第5号(平成5年1月20日発行)掲載

補注 イタリア合気会のScuola Centrale(本部道場)は古代ローマ遺跡発掘の為国有財産局に返還しました。現在は別の所で稽古を行っています。1998年度の夏期講習会、気の錬磨の会は、La Spezia で行われます。イタリア合気会についての詳細は、Aikikai d`Italia の項をご覧下さい。


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