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弓道日記 2005/09/03
きゅーどー 2005/09/10
関空 2005/09/14
パンテオン 2005/09/23

2005年09月30日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ16

ひこーき機内、風邪っぴきが多く、こっちも調子が悪くなってきた。鼻水止まらず。
タイ時間6:00 タイ到着 足早に乗り換えようとすると、フランス人団体客が荷物棚に荷物が残ってると言って呼び止める。Moi?, Ce n'est pas moiと言ってしまったがCe n'est pas la mienneというべきだった。でも、通じてるからいっか

乗り換えターミナルを急ぐ。搭乗30分前に到着。
もう英語しか通じません脳が切り替わらなくて、フライトアテンダントの言っている英語に仏語で返してしまってあわてふためいていると、隣の席の日本人に変な目で見られるのであった。風邪、本格的に悪化。

タイから大阪も747 通路側って言ったのに窓側取られてる。ま、近いからいっか
機内の映画は パリ−タイ間と同じ。がっかり
窓から外を見ると一面の青い海。

15:00 関西空港到着。今回は2,3質問されただけで通れたのでした。フランスで出国スタンプが押されてたので、話が早かったのかな。
レンタル携帯電話を返却してから、関空特急はるかで京都経由で帰宅。
パリから自宅まで ほぼ24時間かかった。ひ〜  

2005年09月29日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ15

出国なんだかんだありましたが、最終日。7時に起きて、出発準備。CDG1へ移動
タイ・エアウェイズのチケットの発券が列をなしています。今までこんなことは無かったのですが、タイでバカンスを過ごすフランス人団体客とフランスから帰るタイ人で、ごったがえし、横入りするパンク風カップルに「この馬鹿をグーで殴りてぇ」と日本語で悪態を付きます。座席はトイレへしょっちゅう行く事を考えて通路側
空港の売店でサンドイッチ食べて、チェックイン。今回は信じられないくらいパスポートチェックが詳細で、フランス出国時にもスタンプが押してもらえました。信じられない
で、今度は搭乗手続きがまた列をなしていて、乗れないの。一人一人入念にボディチェック入ります。アジア方面はテロのリスクが高くなっているというレポートが出ているので、その対策の様です。
定刻ギリギリになってもまた列がさばききれない様子。機体は747。座席に液晶画面なし。しくしく

時差の事を考えると、機内食を食べたらすぐに寝ちゃいたいのですが、フランス人団体客が騒ぎまくって眠れません。離陸するや否やワイン片手に通路をあっちこっち歩き回って今から行くバカンスの計画を話しています。ワインこぼれてるってば

隣の席のお兄ちゃんは、前の席の女の子がリクライニングシートを倒したときに当たったのをキッカケにナンパを始めました。よくまあ、これだけ下らない話を続けられるなというぐらい、どーでもいい話をしてます。 聞いてると、sympathiqueという単語を多用しています。「○○ってホテルはsympathiqueだね。」「一緒に○○へいかない? きっとsympathiqueな体験になるよ」とか言ってます。そうか、そういう事を言い続けていればナンパになるのか。一眠りして目がさめてもまだナンパ継続中。ほぼ5時間後にお兄ちゃん、メールアドレスと電話番号をゲット。良かったね。

  

2005年09月28日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ14

朝食を頂いてから友人宅出発。森の地図を片手にフォンテーヌブローの森へ出かけます。
友人に自転車を使っていいと言われたのですが、自転車だと ひとたび道に迷うとどうしようもないくらい遠くへ行ってしまうし、私はそういう時は絶対道に迷う人なので、歩いて森の中を散策します。
フォンテーヌブローの森は歩いて回る人の為に、そこかしこに標識が立っていて、標識の番号で現在位置がわかるしかけになっています。フランスでは水曜日は小学校が休みだそうで、子供達がアスレチックなどを楽しんでいます。ここの小学生達は知らない人にも Bonjourと挨拶してくれます。省みて日本はどうだろう?

森もりもり


予定では小高い丘を登って帰ってくる筈が、行けども行けども同じような風景で同じところをぐるぐる回っているだけの様な気がしてきました。で、そのうち人通りが全く無くなってしまうわ、標識は無いわで、現在位置がさっぱりわかりません

迷っているよーな気がする
迷ってるよーな気がする!・・・・。 って、迷ってるよ!!!!
こりゃ本格的にマズイと思ったとき、車道が見えてきました。ちょうどそこへ施設工事らしき車が止まっていたので、作業中のおじさんに「すいませんが、ムッシュー ここはどこでしょう?」と地図を見せると、親切に教えてもらえました。やはり、ぐるりと一回転半して、目的地とは全く反対側へ、ほぼ同じ距離分来てしまっていました。
で、目的地へ行くには、今来た道を戻って、森の入口あたりまで戻った方がいいという事でした。ひ〜
もうお昼も近かったので、ここから当初の目的地だった丘まで行っていると、へばってしまうと思われたので、フォンテーヌブローの街まで戻りました。

ごはんパン屋でサンドイッチ買って、庭園で食べます。3.5ユーロ。うーん、高い! 500円相当ですからね。ま、日本のサンドイッチの2倍ぐらいのボリュームなので、こんなもんかという気もします。ちなみに、スイスは 1フラン90円ぐらいなので、高い高いと思いつつ、実はそんなでもないという気がします。気だけですケド


しゃと〜午後からお天気が崩れるらしく、フォンテーヌブロー宮殿の上空を雲が流れていきます。
電車の時間まで時間があったので、フォンテーヌブロー宮殿にも入ってきました。二度目です。前回は何故か無料で入れたので、いつの間にやら入ってしまい、いつの間にやら出てしまったのであまりしっかり見る事ができませんでしたが、今回は併設しているMusée Napoléon IerPetits appartementsをじっくり見ようと思っていたにもかかわらず、何故かたどり着けず。
しかも、博物館の職員の交代時間にあたってしまったらしく、ドア閉められちゃうし、係員もいなくなっちゃって、聞くこともできないでやんの。なんなんだ!


用水路
電車の時間も近づいてきたので、大運河のほとりを歩いて駅まで歩きます。
運河のほとりは、こんな感じ。秋を実感します。

夕方、リヨン駅到着。パリ在住の友人とリヨン駅で待ち合わせ。今日でフランス最後の夜なので、夕食はフランス料理にします。(と、いっても高級店には行きませんが)

オペラのギャラリー・ラファイエットで本を探したのですが見つからず。じゃりんこチエのフランス語版DVDだけ買いました。あと、今回もパリのブックオフに行ってみました。中華街の近くに住んで、休日はブックオフに入り浸れば生活して行けそうな気がします。仕事があればですが・・・。

アーケードアーケードの中はこんなかんじ

パリ9区のアーケード街はどことなく日本のアーケード街を思わせる。ちょっと古くてちょっと新しい という感じです。

パリ9区のレストランBouillon Chartierへ行きました。

このレストランはとにかくリーズナブルです。

レストラン前菜メインディシュデザート

前菜とアイスは2ユーロくらいから、メインディッシュも10ユーロくらい。アイスは限りなく市販のアイスに近い味でした。メインディッシュは美味しかったです。付け合せのナスの揚げ物も美味しい。
ただし、すごく混むレストランなので、あんまりゆっくりしようという気分にはなりません。店内に開きスペースがあっても相席にされてしまいました。
フランス人のマダムを間に挟んで日本人のカップルと相席になってしまいました。滞在最後の日に知らない日本人と相席という事態は避けたかった。女の子が男の子に、メニューの説明をしてたので、パリで料理の勉強をしている女の子と最近やってきた男の子という組み合わせみたいでした。フランス人のマダムはリアクションの大きいちょっと変った感じの人で、この店の常連っぽい人で、エスカルゴと日替わり定食をもりもり食べてました。彼女は日本人の二人組が気になるらしくて、調味料をとってあげたりして、面白いおばちゃんでした。友人が2人の日本語の会話に興味津々なので、後で翻訳しておきました(悪趣味だなぁ>自分)

内装ここのレストランは紙のテーブルクロスの上にオーダーを書いていき、精算時にテーブルクロスの上でギャルソンが計算していくというシステムでした。 面白いシステムです。
ここはチップを置いておかないといけない店だったかもしれませんが、渡すの忘れました。いかんなぁ
  

2005年09月27日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ13

今日は午後からフォンテーヌブローへ出かける事にしました。夕方から友人J氏の家に遊びに行く予定です。

朝、パン屋さんへ行って朝食兼昼食を買います。
クレープまたなんぞクレープを喰う行事の日だったらしく、クレープが大量に売られています。
こっちのクレープは薄く焼いたクレープ生地に砂糖をまぶしただけのシンプルなモノです。
一枚0.8ユーロ。バゲットとかが安い事を思えば、高いような気がするんですが、どうでしょう?

5枚で6枚目無料んでもって、5枚買ったら6枚目はプレゼントだそうです。
もしやクレープは日本のオハギか何かに相当するのか?


リヨン駅概観リヨン駅構内

リヨン駅。正月に来たときは補修工事中だった概観も、ほれこの通り修復済。駅前で映画の撮影をしていたので、邪魔にならないように退散しました。

フォンテーヌブローアヴォン
フォンテーヌブロー=アヴォンは電車で50分ほどの距離にある人口3万人程度の町です。売店でフォンテーヌブローの地図を購入。明日の朝はフォンテーヌブローの森を散策してみる予定。

フォンテーヌブローの町を縦断する幹線通りは車の通行が激しく、やや息苦しいですが、ちょっと道を外れると静かで空気もキレイです。フォンテーヌブローへ来るとホント元気になりますね。
またきたよ
で、またきました フォンテーヌブローのお城です。前回は勉強不足で ナポレオン? ふーん? という状態でしたが、今回は予習してきました。
て、ていきゅうび・・・
が、しかし、火曜日は定休日!!!! はらほろひれはれ〜

英国風庭園
でも、庭園には入れるので庭園内を散策しました。
どうにも、我慢できなくて庭園内で小用を足してしまったのは内緒です。ですが、モノの本によると、フランス絶体王政時代は宮殿にはトイレが無く貴人達はそこかしこで小用どころか大の方をたれ流しだったそうです。この宮殿と庭も汚物まみれだった事は想像に難しくありません

夕暮のフォンテーヌブロー夕方のフォンテーヌブロー。

友人宅の住所を書いたメモを忘れて来ている事に気が付きました。えーっと、道の名前は憶えているんだけど番地がわからない。幸い電話番号のメモはもってたので、電話することにしましたが、公衆電話が見つからない。やっと見つけた公衆電話はカード式。しょうがないので、TABAC屋さんで購入する事に 以下、TABACでの会話
    「アノ、でんわスル かーどクダサイ」
    「どんなカード?」
    「かーどデス でんわスル。かるておらんじゅ? カナ 一番ヤスイ クダサイ」
    「カルテ オランジュ 10ユーロだよ」
    レシートを渡される
    「かーどハドコ?」
    「これが、カルテ オランジュ だよ。この番号を携帯電話に入力すればいいんだ」
    がびーん、これは日本で言うプリカの事だ〜
    「ソジャナクテ、僕 間違ッタネ。僕 ソコノ Téléphone public デ電話シタイ。ダカラ、僕、Téléphone public使ウタメノカード 必要ネ。ドウスレバイイデスカ?」
    「あー、Télécarteかい? 7.5ユーロだよ」
    「ドモ アリガト」
たぶん、こんな感じの会話になっている。この二週間、ずっとこんな感じ。で、日本語を経由してせずフランス語で考えているので、話は通じていても再現して何処が悪かったのかチェックができないのであった。

そんなこんなで無事 友人宅へ電話して、彼のアパルトマンへ到着。奥さんと娘さんが風邪引いてたいへんなのに親切にしていただいて大変感激。
日仏カップルの家庭におじゃまするのは、たいへん楽しいし、フランス語と日本語で子どもたちと話をするので、こういう時フランス語ではこう言うのか、と勉強にもなります。夜遅くまでお話しできてとても楽し一日でした。
どうもありがとうございました。
  

2005年09月26日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ12

Val d'Europe朝早く起きればイル・ド・フランス地方の田舎へでも足を伸ばせるのですが、ついつい朝寝してしまいます。ちょっと疲労が蓄積してるかな。
でもって、滞在期間も残り僅かとなったので、お買物にショッピングモールへ行きます。
ユーロ・ディズニーランドの一駅手前にあるVal d'Europe駅へ行きます。

ショッピングモールここは2001年にディズニーランド リゾート パリの敷地内にオープンしたショッピングモールです。なので、アメリカスタイルの郊外型です。ショッピングモールVal d'Europe、水族館Sea Life、アウトレット ショッピング ビレッジLa Valleeと、スポーツジムがあります。
日本のショッピングモールより屋根が高い感じです。平日に行ったので、大流行と言うわけではなく、どことなく潰れる前のマイカルみないなイメージです(不吉なたとえすんなってば)
「どう? 珍しい」という聞かれ方をしますが、「日本もこんなんだよ。ぐろーばりざしおん だから、」といういつもの答えしか返せません

kaeruこの秋の子供服のイメージは「カエルの王子様」です。ゲコゲコ

MANGAそんでもって、マンガ屋さん。郊外の大型店で普通にマンガが買えます。毒されています。「まんがサイエンス」から少女漫画からオタク系から、平田弘史の劇画まで普通に買えてしまうと言うところがフランスの日本マンガの裾野の広さを感じさせます。ただ、普通の本屋さんではなくて、日本で言ってみればフィギュアとかも扱っているオタク系ショップの様なイメージです。

日本食レストランショッピングモールの奥には日本食レストランがありましたが、開店前でメニューとか見れませんでした。

店舗は結構広くて、アウトレットショッピングビレッジには行きませんでした。そんでもって、
アメリカ型大型食料店地下にある大型食糧品店へ行きました。買いものキャリーが二段式になっていておしゃれ〜。地元民である友人は「このタイプを見るのは初めて」といってました。
ここは、家族連れが車で乗り付けて大量に食糧品を買い込むと言うタイプの店舗です。お菓子とか大袋で安いの。
あと、チーズ売場が充実しているのは流石フランスです。友人は良い匂いとか言ってますが、僕はダメです。
あと、日清ヨーロッパが作っているカップヌードル・ハマヤキ が売ってました。日本と同じ味だったので、京◯で賞味期限切れを買うよりいいんじゃないかと思います>パリ在住Y君

食糧品店をうろついている間に夕方になり、レジはめちゃ込みになりました。と、いう事で撤収
夕食は日本から持参した蕎麦になりました。



  

2005年09月25日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ11

たっぷり眠ったので気分爽快。今日はパリ在住のY君とダブリン在住のK君とサン・ミッシェル広場で待ち合わせ。韓国人氏は元気をとりもどしたらしく朝早く南フランス方面へ出発。遅めの朝ご飯を食べた後出かけます。

サン・ミッシェル公園へはCHATELETで下車して、pont neuf渡ればすぐだね、と思ってたんですが、やっぱりメトロの構内で迷う訳です。30分ほど早く着く様に出たにもかかわらず、待ち合わせ時間ギリギリに到着。Y君はあんまり変ってませんでしたが、K君はナゾの東洋人風になっていたので、すぐには気付きませんでした。
久々の100%日本語環境。下らないオヤジギャグを言っても何らかのリアクションがあるのが嬉しい。

お昼ご飯
三人で食事、昼間っからフォアグラですよ、ワインですよあーた。デザートにお酒のかかったシャーベット。昼間っからかなりアルコールを飲んでしまって、ややヘロヘロ。

で、三人でナポレオンの柩を見にアンヴァリッドInvalidesへやってきました。

ヘリコプター地下鉄の構内を出てすぐ、ヘリコプターの音が聞こえたので、行ってみたところ、ヘリがセーヌ川の上をホバリングしていたかと思うと、ヘリから特殊部隊(?)がするするとあのド汚いセーヌ川へ降りて行きます。

兵隊さんで、アンヴァリッドの前はもう人がいっぱいで通れない。
フランス軍のイベントを開催している模様です。戦車やら、高射砲やら、夜戦病院車やら、軍事オタクなら大喜びの状態です。


ポスター
Rencontre Nation Défense 2005というイベントをやっていました。

ラファールラファールラファールA

フランスの誇る戦闘機ラファールです。NATOの戦闘機共同開発プロジェクト ユーロファイター計画でフランスの我儘が通らず、脱退し自国開発を行なった機体です。ミラージュ2000の後継機。現行の戦闘機の中ではかなり美しい機体だと思います。
現在、日本のマルチロールファイター後継機として侯補に上がっていますが、当て馬だと言われています。それより、フランスはこいつを中国にも売りたいっぽいらしい。極東地域はフランスの安全保障に直接的な影響が無いので、儲かりゃいいという。フランスのこういうところはナポレオン時代から変ってないなぁと ナポレオンの墓所の前で感慨にひたるのでした。

アンヴァリッド軍事博物館側からアンヴァリッドに入ろうとしたところ、警備兵に止められてしまいました。今日は色々と要人が来るそうです。
「博物館に入るのは禁止されているのですか?」と聞いたところ、ぐるっと回って反対側から入れるというので、回る事にしました。

アンヴァリッドの隣りには病院があります。その後、夜のテレビでアンヴァリッドの特集を見たのですが、ここの病院は軍病院で、戦地で負傷した人とかが入院しているそうです。一般人も診てくれるそうです。アンヴァリッドは今なおアンヴァリッド(廃兵院)なのです。

喉が乾いたので売店で水を買うことにしましたが、これが観光地価格で、とんでもない値段が着いています。

ナポさん
でもって、これがナポレオンの墓。中身入りかどうかは知りません。見てみればただのハコです。

その後、アンバリッドの中庭で軍楽隊の演奏が始まりましたが、人払いされていて一般人は入れませんでした。叙勲とかしているのかもしれません。車いすの人とかいましたので、ここアンヴァリッドに入院している人のための行事なのかも知れません(本当のところはわかりません)

時間があまり無かったので、軍事博物館を足早に回り、中庭でちょっと休んでから パリ13区のPlace d'itale にある中華街へ。
夕食はベトナム料理にしました

はるまきヴェトナム料理ヴェトナム料理

ベトナム風揚げ春巻(ネムっていうんでしょうか?)とベトナム風うどん(フォーというらしい)を食べました。
私がオーダーしたのが白いスープの方。味は塩ラーメンとうどんを足したような味。Y君は赤くて辛いっぽいの(写真撮影は失敗)。K君はオレンジ色の海鮮風細めん(これ、当たり)
日本で食べるアジア料理は異国の味わいですが、フランスで食べるアジア料理はどこかなつかしい味です。  

2005年09月24日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ10

雨。やや肌寒いく、体調も悪くなってきました。頭が痛いです。

一昨日 劇場へ招待してくれた友人のお姉さんへのお返しに和食をご馳走しようと、いう事になり、オペラの日本人街まで行きました。
で、韓国人氏がルーブルへ行きたいというので、途中のナシオンまで一緒に出ましたが、彼は短パンにTシャツという出立で、それでもまだ暑いとか言ってます。

でもって、オペラ なにげに日本人率高いです。

フランスの引っ越し
フランスのお引越を発見。フランスのアパルトマンは入口が小さいので、窓から搬入します。

SAMURAI JAPON
サムライ ジャパン フェスティバルの広告。フランス人の好きそうなモノを集めるので、展示物がパリ万博の時代から進歩してないよーな気がします。そのへんがフランス人の日本感を固定している原因じゃないかと思うのですが、どうでしょう?

天麩羅の店

オペラの天麩羅屋さんです。ちょっと早めに行ったので、開店までしばらくそのへんをほっつきあるいて時間を潰します。
友人に「お姉さんをここへ招待すればいいのに」と言ったのですが、友人が頑として受け入れず、テイクアウトを主張するので、テイクアウトする事になりました。一人前16ユーロもするんですから、揚げたて食べてもらいたいって思うじゃないですか。
お店の店員は日本人だったので、久々に日本語でオーダーしました。日本語だと少ないセンテンスで細かいニュアンスまで伝わるので本当に楽だ。「天つゆかけちゃうと、もってかえる間にしなっちゃうのでどうしよう」とか「つゆだけ分けてもらえます?」とか。
で、「天つゆこぼれちゃうからダメ」って言ってるのに、天丼をリュックに詰め様とする友人。ダメだっていってるのに〜

友人のお姉さんのアパルトマンまで持ち帰り食事。やっぱり天つゆこぼれてた。
天丼はうまかったです。「イカ抜き」って言ったのにイカ入ってたのが残念。量はかなり多く、この味でこの量で16ユーロなら、悪くないかなと思います。米はサービスしてくれたのかもしれません
お姉さんは日本食初めてでしたが、天麩羅は大丈夫な模様です。きっと刺身とかはダメでしょう。

10日ぶりにジャポニカ米を堪能して少し持ち直しました。
食後、ヴァンセンヌの森へ行こうかと誘われましたが、体調悪いので、帰って眠らせてもらいました。再起動はいります。  

2005年09月23日

スイス・フランスへ行って来た しょにょ9

友人は日本文化会館の日本映画フェスティバルへ行くというので、私は一人でパリ見物。
パリのまんなか、CHATELET へ行きます。

商品取引所St Eustach
CHATLETEはRERのA,B,D線とメトロが集中する便利な乗換駅なんだけど、すごくわかりにくい。思ってたところとは違うところに出ちゃったけど、ま、いっか
丸いドームの商品取引所とサントゥスタッシュ教会。これを頼り自分の位置を確認

ほーみー画家とモデル

ポンピドゥー文化センター前で モンゴルの民族音楽ホーミーの演奏をしていました。
そのすぐ横では似顔絵描きなのか自称芸術家なのかわかりませんが、アメリカ人観光客をモデルに絵を描いてました。

ノートルダムのーとるだむ

三回目にして初めてノートルダムに上ってみました。スペースに限りがあるので、上にいる客が減ったら、次の集団を入れるという方式になっていました。列に並んでいるともぎりのお兄ちゃんがパンフレットを配りに来ました。で、「japanese?」と日本語のパンフを示します。仏語のパンフをもらっておきましたが、私の前にいた中国人の集団には「japanese?」とは聞きませんでしたから、服装で日本人という事がバレバレの様です。地味目の格好の筈なんだがなぁ。
ノートルダムのてっぺんで大声で関西弁で話す観光客の集団に遭遇。ノートルダムのてっぺんでお好み焼きの具の話をしていました。なんなんだちみたちは!!!

そのままセーヌ川を渡ってパンテオンへ向かいます。

けんぺー武装した黒ずくめの集団に出くわしてびびります。こえー。ロンドンの地下鉄テロ事件の影響で動員された軍の対テロ部門の人だとかいう事です。日本に帰ってから辞書引いたところ「憲兵」でした。しかし、こいつら、やっぱりフランス人なので、やる気なさそうに一箇所に固まって雑談してるの。ちゃんとパトロールしろ!

ぱんておん
パンテオン周辺で道がわからずうろうろしてたら、警官に職質されました。丁度良かったのでパンテオンへの道を教えてもらいました。

パンテオンで有名人の棺を見たあと、またセーヌ川を渡って今度はバスチーユ方面へ歩きます。丁度 学校の終わる時間と重なって、街中の子供率高し
バスチーユの漫画専門店へ仏語の漫画を買いに行く。あずまんが大王1巻とヒカルの碁の16巻と17巻を購入。フランス語で「最新刊」が言えず、16をdix-six(16はseizeなのに思い出せなかった)と言ってしまって通じず、「avant dix-sept et dix-sept」といって購入。うーん凹みます。そのままgare de lyon駅まで歩いて撤収。

友人の友人(韓国人)がユースホステルが確保できなくなって、しかも金がないというので宿に転がり込んできました。フランス語が全く喋れない上、ユースで盗難現場を目撃したり、ユースで友達が全く出来ないなど、かなり疑心暗鬼になっていました。うーん、どうするんだろ?
韓国人氏があまりにナーヴァスなので、昨日から引きずっていた友人との口論は一旦保留になりました。
しかし、この韓国人氏、こっちの年齢をものすごく気にして、やたらと立ててくれます。私が箸をつけるまで、食事に手を出さないとか、疲れてるんだからソファーベッド使っていいよと言っても、頑として床で寝ると主張したり、ちょっとビックリ。  

パンテオン

ぱんておんぱんておん中

一年前にパンテオンに来たとき、閉館ぎりぎりだったので地下の有名人の墓所へ入れなかったのですが、今回は入ってきました。(ホントに丸一年ぴったりだった)

きゅりーきゅりー棺
ここにはラジウムの研究でノーベル賞を受賞したキュリー夫妻が埋葬されています。

かるのーかるのー棺

で、これがカルノーの棺。長いこと、ここに埋葬されているのは高校の物理の教科書にも出てくる「カルノーサイクル」のカルノーの事だと思っていたんだけど、ここに埋葬されているのは彼の父で革命期にフランス国民軍を編成した大カルノー と 甥で第三共和制期の大統領カルノー だった。

パンテオンはサント=ジュヌヴィエーヴ教会という名前で革命前に建設が始まり、革命後にフランスに尽くした人を葬る場所になったそうな。
最初に入ったのは フランス革命で活躍したミラボー。その後、王党派と通じていたことがわかり、人民に引きずり出され、入れ替わりにマラーが入ったらしい。
その後も、時々の都合で、追放したり、追加したりするので、政権交代のたびに中の人が変わるシステム

数学者でここに入っているのは
  • Joseph-Louis, count of LAGRANGEラグランジュ
  • Paul PAINLEVE パンルヴェ
  • Marie-Jean-Antoine-Nicolas de Caritat, marquis of CONDORCET コンドルセ
  • Gaspard MONGE モンジュ


  • ラグランジュは文句無しだとは思うけど、パンルヴェの業績が見直されたのは最近だし、コンドルセやモンジュでOKなら、なんでフーリエとかガロアとか入てもらえないんじゃー と思ったら。パンルヴェは首相経験者 コンドルセは社会学と哲学で有名(らしい) モンジュは革命期の海軍大臣。 数学的業績で持って入れてもらえたワケじゃないらしい。この人たちは政治的な仕事をしながら余暇で数学をした人です。
    ポアンカレとか入れてやれよと思うが、駄目らしい。

    物理学者では
  • Paul LANGEVIN ランジュヴァン
  • Jean PERRIN ペラン
  • Pierre et Marie CURIE キュリー

  • この人たちは純粋に物理学者。キュリー夫妻がパンテオンに入ったのは1995年と最近の話。ランジュヴァンはピエール・キュリーの弟子でピエールの死後にマリー・キュリーと不倫関係にあったと言われる人物で、旦那のピエール・キュリーは複雑な心境かもしれない

    パンテオンは知らない人には単なる薄暗いところだけど、歴史好き科学好きには大変面白い場所です。
    ユーゴーとかデュマも入ってるので文系でもたまらんらしいです。
    (そういえば昔、篠沢秀夫と児玉清がパンテオンでデュマの柩に触らせてもらって、大喜びしてる番組がありましたデュマ&ユゴー特番「よみがえれ!青春の物語」レポート)  

    2005年09月22日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ8

    がいせんもん〜一夜明けて、どうにも咽の調子が悪い。もうパリの気候にやられたか?
    友人のお姉さんにお芝居を見にいこうと誘われたので、劇場のあるパリ8区へ行きます。最初は「フランス語 そんなにわからないから」と断わってたのですが、「フランス人だって 意味がわからないまま能や歌舞伎を見るんだから一緒だ」というイマイチ納得のいかない説得を受け入れて、行くことにしました。
    と、いう事で、パリ8区 お馴染の凱旋門です。


    なんかわからんがブランドもんの店 工事中なんかわかりませんが、ヴィトンだかグッチだかの店舗が移転するという看板です。ここパリでは日本語の看板は珍しくありませんが、「てにをは」などの日本語が正しく書けている看板は珍しい。さすが日本人を上得意とする高級ブランド店 そつがありませんな。
    まー、私にはまったく縁も興味も無い店だあね。と行こうとしたところ、後から東洋人二人組に「Can you speak english?」と声をかけられる。「ヴィトンはどこですか?」と聞かれたので、「ほれ、そこの看板に書いてあるけど、私は詳しい地理を場所を知らない」と答えて立ち去ろうとすると、「自分達は中国人で、中国人は購入数を制限されている。日本人とヨーロッパ人なら制限がないから、かわりに買ってきてくれ」という。実はこれは詐欺に類するもので、金をわたされて、代わりに買ったら、型番が違うのなんの難癖をつけて金を取られるというやつ(だと思われる)。本当に観光客かどうかあやしいものです。なんせ、フランス語がわからないふりしてますが、こっちの言っているフランス語はちゃんと理解しているですから。と、いう事で「je ne peux pas vous aide , nous aillions」と言って立ち去りました。


    Theatre du Rond-PointThéâtre du Rond-Pointです。こじゃれ〜た感じの劇場です。

    舞台
    劇場に二人芝居を見に行きました。中年カップルがレストランでお互いにウンザリしたり、仲直りしたりする。仲良いふりをしつつ、モノローグで悪態を付いたりとか うまい構成で面白かったです。 でも、半分ぐらいしかわかりません。で、わかんない部分に重要な単語があるの法則。

    夜もう21時まわっていて、正直帰りたいのですが、グランパレの一般公開をやっていたので、そこへよった後、マドレーヌ教会周辺を歩きました。毎回この界隈にきてます。
    車の排気ガスで喉が痛くてどうにもなりません。激しく体調が悪くなりそうです。げほげほ。「こんな事ならスイスに留まっていたほうがはるかに良かった」 都会へ出て来て病気になったハイジの気分。
    そんなこんなで、二日パリにいただけで、スイスで健康になった分を全部無くして、さらに不健康になってしまった感じです。
    それを口に出しちゃったもんで、友人と少し険悪な雰囲気になってしまったでした。だめじゃん>自分  

    2005年09月21日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ7

    パリです。一昨日ぐらいまで天気が悪かったそうですが、今日はもうガンガンに晴れてます。さて、どこへ行こうか? 正直言って スイスでお腹いっぱいになってしまって「パリはオマケでいいや」モードになっています。
    それにもまして、パリの汚さと空気の悪さにもうウンザリ。大阪の十倍は汚いと思っていい。

    午前中、カルフールで食糧品の買いだし。なんと入口でカバンをチェックされ、なおかつカバンの口が開かないように紐で縛りつけられてしまいます。万引防止対策で先月から導入されたそうです。友人のお姉さんはこれに憤慨して、カルフールで買いものをするのを止めたそうです。
    午後 パリ19区の運河沿いを歩きました。サン・マルタン運河Canal St Martin 映画アメリで主人公が遊んでいた運河です。
    運河下りツアー
    運河下りのツアーがありました。水門を使って高低差を乗り越えるシステムです。写真で見るとお洒落ですが、この周囲は変なオッサンがすわりこんでおしっこしてたり、だれかれかまわず時間を聞く浮浪者風の人が居たり すえた匂いのする場所です。

    運河

    運河沿いを下ります。このあたりは下町という事もあり。地元民が川縁でぼへーっとしてます。

    バカップル
    そしてフランスのバカップル。日本も増えましたが、流石は本場。バカップル率が高い。京都 鴨川のカップルとは密着率が違いますな で、こんなんばっかりなの

    ふねふね
    こんなに狭い運河でも川船が行き交います。

    bellevilleサン・マルタン運河は パリ19区からパリ11区を結んでいて、突き当たりはリパブリック広場の近くです。このあたりはアート系のものがあるらしいのですが、私はアートに全く興味がないので、あんまり意味が無かったりします。

    運河からBelleville方面へ歩きます。このへんは移民街で イスラム、アルジェリア、マグレブ、アジアなど 全然フランスっぽくない町です。現地人の友人から「バッグに気を付けてあまり立ち止まらない方がいい、ぐずぐずしてると町に不馴れな事がわかって、スリに狙われる」と言われます。ひえ〜。ので、ゆっくり見物するという雰囲気ではありません・・・・。ううむぅ
    途中から中華料理店が増えますが、そのうちの何割かがcuisine japonaiseという看板を上げています。日本料理の方が料金を高めに設定できるからという理由からだそうです。

    Bellevilleの駅から地下鉄で撤収。さて、明日はどーしよーかいな・・・
      

    2005年09月20日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ6

    スイス滞在 最終日
    今日はジュネーヴ GenèveまでいってTGVでフランスへ入ります。朝、ヌーシャテルを車で出て、昼前に到着。16:43ジュネーヴ発のTGVに乗るので正直あまり時間はありません。

    NATIONS UNIES 1NATIONS UNIES 2NATIONS UNIES 3

    これが国際連合 ヨーロッパ本部Palais des Nation ONUです。やっぱり道路工事中。周囲には各国の大使館があります。

    NATIONS UNIES に入るには入り口でパスポートを預けると見学できます。三人で入ったのですが、パスポートを預けるのは代表者一名だけで良かったです。空港の税関の様なX線チェックを受け、入口でバッグを預けて入ります。20人程まとめてツアーで回ります。案内のおばさんが英語で説明してくれます。見学者の構成によっては他の言語も選べそうでした。案内のおばさんの英語はフランス語なまりでした。ジュネーブの人ですから当然と言えば当然です。

    IAEA
    IAEAの支部(?)がある様です。見学者からは 核査察とかの質問が出ていました。あと、案内のおばさんに政治的な質問をしている人がいましたが、当然、政治に踏みこんだ回答はしないようにしていました。

    reunion

    ようするに、大小会議室があるのが国連です。会議室のドアが開いていたので、デジカメの望遠モードで写真をとってみました。
    大会議室2つを見学してツアー終了。国連の売店で、テーブルの上に置く旗やら国旗バッジやら売ってました。大使っぽい風体の人が自分の国のバッジを売店で買ってたのが面白かったです。テーブルの旗とかもここで買ったのを使うのだろーか? 国連の旗を買ったところ、売店のおじさんから、vous etes un employé d'nations unies?(国連の職員かい?)と聞かれました。職員だと割り引きかなんかがきくのかなと思ってましたが、どうやら冗談だったようです。
    ツアー客の黒人男性からDid you come from china?と聞かれたのでNON! NOOON!, je suis japonaisと答えておきました。
    お昼ご飯を食べてから、国際赤十字博物館かジュネーヴの町かどっちを見ようか?と聞かれたので、町の方をみる事にしました。お昼はイタリアン。日替わりはパスタとトマトソースとチーズのグラタンの様なものでした。このへんは物価が高いです。普通の水道水も有料(2フラン)だったので、ミネラルウォーターを買いました。余談ですが、スイス 得にドイツ語圏スイスはタダの水をオーダーされるとイヤな顔をされるので、なるべくガス入りのネラルウォーターをオーダーするのだそうです。

    食事が終って車でジュネーブ市内を走っているとき、突然 腹痛が!。こ、これは昨日飲んだ生牛乳が・・・。
    もうひ〜ひ〜状態で、駐車場に停車てから速攻でトイレにいきましたが、これが スイスで始めて遭遇した有料トイレ。こういう時に限って硬貨が無い!!!! jean-lucに50サンチーム借りてなんとかしました。

    デパートで、スイスのキーボードを探しましたが、小型のは売ってなくて買えませんでした。スイスのキーボードはUS配列準拠でドイツ語とフランス語のアクセント記号が打てる優れものなので、ぜひ欲しかったのですが・・・・。

    Jean-lucと一緒にお土産類を悩みましたが、なかなかいいお土産が見つかりませんでした。彼はよく「スイスの名物は素晴らしい空気と素晴らしい景色 決して持ち帰れない」と、言ってましたがホントにそのとおりです。 で、時間切れでいいお土産はみつかりませんでした。すいません>各位

    教会
    宗教改革者 カルヴィンのいた サンピエール大聖堂 Cathédrale Saint-Pierreです。
    フランス語圏スイスはプロテスタントの影響が強く、勤勉で几帳面、綺麗好きという感じがあります。 スイスの教会で、屋根の上の避雷針に鶏が付いていればカトリック、無ければプロテスタント という傾向があるのだそうです。

    町
    教会の屋上からの眺め レ・マン湖が見えます。

    と、いったところで、16時。駅に向かいます。名残惜しいですが、スイスとお別れです。是非また来たい国 スイス
    もうスイス最高です。

    ジュネーヴ駅からTGVでフランスへ向かいます。改札で出国手続をすることになるので、ここでJean-lucとsergeとお別れです。
    で、なんとフランス入国時に 入国スタンプを押してもらいました。今までフランスに入国するときにパスポートの中なんて見もしてなかったのに、ちゃんとチェックしてます。後で聞いた話では、ロンドンのテロ以降、国境でのチェックが厳しくなっているのだそうです。TGVは一路パリへ向けて走ります。フランスの田舎を抜けて 20:21 パリ リヨン駅へ到着。あまりの空気の悪さにげんなりします。ああ、スイスはホントに空気がきれいで美しかったな とすっかりスイスびいきになってしまった私でした。


      

    2005年09月19日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ5

    ヌシャテル Neuchâtel

    ヌーシャテルの町
    ジュネーブなどと共に、1815年にスイス連邦に加盟したカントン(州) 湖の畔の坂の多い町です。
    朝食後、囚人を閉じ込めていた塔へ行きます。うわーこんなと入れられたら一日で気が狂って死んでまうで!
    塔の屋上からヌーシャテルの町が見渡せます。

    犬のうんこは持ち帰れ
    犬のうんこ禁止で、もって帰るための袋がそこかしこにあります。住民はちゃんとうんこ持ち帰りますので、山は獣糞臭かったですが、町はたいへんきれいです。さらに公衆便所もキレイなのです。有料な上汚いフランスとはえらい違いです。
    おそらく、スイスは昔の日本と同様に村社会的な相互監視が残っているので、公共のものをキレイに使用とか、そういう意識が働くのだと思います。

    きょーかい
    プロテスタントの教会です。もちろん建築されたときはカソリックでした。宗教改革者ファレルはカルヴァンと共にこの地で教会制度の改革にとりくんだそうです。

    梅のケーキ
    何故かは忘れましたが、ここヌーシャテルでは今日は梅のケーキしか食べない日なんだそうです。
    あと、月曜の午前中は安息日?らしく町はやたらと静かでした。




    ベルン Bern

    午後からスイスの首都ベルンの町へ行きました。人口十二万人程度の都市です。
    ベルン
    クラム通りにある有名な時計台です。が、
    公共工事はどこもいっしょ?
    クラム通は公共工事の真最中で掘り返されまくっていました。

    くまくーま
    ベルンのシンボルは熊です。ですが、スイスにはもう熊がいません。先ごろイタリアから山を越えて熊がスイスに姿を見せたそうですが、みんなでおっかけまわしたところ、イタリアに帰ってしまったそうです。あらら

    アインシュタイン記念硬貨アインシュタインのソファーベッド

    そして、ベルンは1903年から1905年までアインシュタインが住んでいたところで、彼の住んでいたアパートは博物館アインシュタインハウスとして保存されています。1905年と言えば、奇蹟の年と言われ アインシュタインが 光電効果/ブラウン運動/特殊相対性理論 の3つの分野で重要な論文を書いた年です。おそらく、彼はこの部屋のソファーベッドに坐って考えをめぐらしたのでしょう。理系にとっては重要な場所です。

    国会
    ベルンの国会前。この国会で7人の代表がバトルってるそうです。
    国会前では遺伝子操作食物に反対する集会のイベントで、スイスの農産物フェアをやっていました。ここで生牛乳をもらって飲んだところ、翌日下してしまってえらい目にあいました。イベントでスイスの民族衣装を来た人達がいました。小柄だったので子どもたちかと思ったら、中年のおばさん達でした。南スイスの方の人は小柄なのだそうです。どうりで昨日行った 屋外博物館のベッドはみんな小さい訳です。

    あと、アーミーナイフの店でUSBスイスアーミーナイフを探してみましたが、見つかりませんでした。そういうのは日本の方が探し易いのかも
    夜、ヌシャテル Neuchâtelへ帰って明日の準備 明日はスイス最終日。名残惜しい
    夕食は豚肉のショウガ炒めとかけ蕎麦。うめ〜
      

    2005年09月18日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ4

    hotelホテルからみた山
    昨日は夜中に到着したので、ホテルがどんなところにあるのかわからなかったのですが、一夜明けて、凄いところに泊まっていた事がわかりました。19世紀に始まったスイスリゾートのはしりだ みたいな事を言ってました。
    ホテルの中ホテルの中は山小屋とは違うエレガントで とれびあ〜ん な感じです。
    お値段はそんなに高くは無いと言ってました。同名の高級リゾートホテルとは別らしいです。
    Hotel Belvédère am Phoneglescher

    地球温暖化でかなり後退してしまったローヌ氷河 Rhonegletsherです。
    ローヌ氷河
    しかし、こんなところに人が!人が!

    氷室みやげもの屋で入場券を買うと氷河の中の氷室に入れます。さみー

    いきなり日本人観光客に遭遇。スイスに来て始めて日本人を見たなと思ったら、5分もしないうちに日本人観光客を満載した大型バスが到着。有名な氷河特急、ユングフラウなど このあたりは日本人に大人気のスポットだそうです。
    jean-lucは「日本人のおばちゃんは、独得の帽子をかぶってるからすぐわかる。」と言ってました。あのおばちゃん帽子はこっちの人から見ると独得なのか

    グリムゼル峠 Grimselpass 2165mを越えたとき、また雪。さむい めちゃ寒い。
    そのまま人工湖や湖の横を抜けブリエンツ Brienzへ向かいます。
    洪水のつめあとこのあたりが、二週間前に洪水があった場所で、床上侵水やらで大変だった地方です。
    そこかしこで復旧工事中でした。スイス全土から復興支援の人がやってきているそうで、その中には社会福祉活動従事の人(一定期間国に社会奉仕する。ドイツの場合は徴兵で軍へ行かない代わりに選ぶ。スイスの場合どうなってるか知らない)などが動員されるそうです。

    おひる
    ブリエンツ湖のそばのホテルで食事。このへんはけっこう高いですな。

    はくぶつかん食後、バレンベルク野外博物館 Schweizerisches Freilichtmuseum Ballenbergへいく。スイス各地より移築した約90軒の民家が並ぶ野外博物館。九州ほどの大きさのスイスによくもまあこれだけバリエーションがあるものだ と思わせる多様さです。今回訪問できなかったイタリア語圏スイスの建物も見れました。

    スイスの農村部では若者の数が減ってしまうとその村が消滅してしまう危機があるから、若者が移動してしまう村間結婚にはコミュニティの同意が必要であるという様な事が書いてありました。嫁をもらうのはいいけど、嫁を出しちゃいけないって事ですね。ううむ、村社会〜


    インターラーケン Interlakenを車で通過。うわ、ホントに日本人だらけ。
    トゥーン湖のほとりを抜け、高速道路でベルン Bernを経由して、フランス語圏ヌーシャテル Neuchâtelへ。
    ベルンというのは熊という意味なので、 ベルナーオーバーラントは上熊地ですな。ヌーシャテルは新城

    今までドイツ語でWillkommenと言っていたのがフランス語のBienvenuに切り替わります。コロっと変る。で、風景もどことなくフランスっぽくなり、標識や看板もフランス語が増え、何書いてあるかわかるよーになりました。ちょっと楽かな。

    友人宅到着。おつかれさまでした。  

    2005年09月17日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ3

    山小屋での食事の後、ゆっくり下山します。雨は上がりましたが、ガスが多く雲と霧の中を下ります。かなり肌寒い感じです。こっち側の斜面はずーっと車(4WD)で行ける様になっていて、ゆるやかな傾斜が続きます。
    やまごやみち

    キノコなどみながら楽しく降ります。スイスの山は獣糞だらけなので、雨の後はたいへん危険で、ぼーっと歩いていると踏みまくりです。
    そして、スイスにも朝の通勤ラッシュはあった!
    朝の通勤ラッシュ1朝の通勤ラッシュ2朝の通勤ラッシュ3

    職場へ向かうどーぶつのみなさん

    お昼前に麓の村に到着。麓といっても標高1650m Guarda村です。
    こいのぼり
    スイスの山奥でコイノボリのルーツを発見!
    Guarda村まで、aporterおじさんが車で迎えに来てくれていたので、車でftanまで戻ります。
    そこで、おじさんとはお別れ、山の疲れを癒すため、ロマンシュ語圏の有名な温泉リゾートシュクオル Scuolエンガディン・スパセンター Bogn Engiadina Scuol(Engadin Bad Scuol)へ行きます。
    水着を着て入りますが日本のスパ銭湯みたいな感じです。温度は日本の温泉に比べて低め。温泉と言うより温水プールという感じです。さいこー スイス さいこー 水着のお姉ちゃんもいっぱいいてさいこー

    最近出来た Vereina tunnel(フェライナ列車トンネル/車のまま電車に乗れる)を使って、山をショートカット。
    イカス電車 左イカス電車 右

    イカス電車ですなぁ
    マイエンフェルト経由でインターラーケン方面へ向かう途中、ガソリンスタンドでエンジンを止めたら、エンジンがかからなくなってしまう。スイスのJAFに相当するTCSを呼びます。
    スイスにもJAFがあったこれはもうダメだどなどな
    「これはもうダメだよ」
    「え〜」
    「このまま修理工場へ入ります〜」
    「え〜」
    ドイツ語でやりとりしてるので、状況がさっぱりわかりません。
    後で聞いたところ、ガソリンをエンジンに送る部分が故障しているとの事で、自動車はそのまま修理工場に運ばれていってしまいました。荷物を全て降ろし、代車が来るまでドライブインで待つ事に。Jean-lucは代車の手続とやらで、車と一緒に行ってしまいました。2人には申し訳ないが、こういうトラブルもまた面白いものです。
    ばんごはん
    すっかり遅くなってしまいました。とっぷりと日が暮れた頃に代車が到着。
    もうホテルの夕食の時間に間に合わないので、このドライブインで食事をする事になりました。ウエイトレスのお姉さんが私にドイツ語でオーダーを聞いてきます。「あたしゃ東洋人でドイツ語がわからんのです、よこの二人に聞いておくれよ〜」
    普通のドライブインのごはんでも十分美味しい。さすがスイス。ワイアレスLANもあるドライブインでしたが、さすがにパソコンを引っ張り出すのは遠慮しました。お腹もいっぱいになったところで出発。
    時差ボケもあって、眠くて眠くてしょうがない。起こされたときは Oberalppass オーバアルプ峠 2046m
    「雪だ〜、雪ふってる〜」 でも、真っ暗で電灯も無し なーんも見えません
    「このへんは軍の観測所があるのね」
    「って、なーんも見えないってば」
    もうちょっと走って Furkapass フルカ峠 2429m このあたりはスイスの原初3邦のエリアだそうです。そら、こんな場所じゃ他から攻めるのは大変だ。
    フルカ峠を抜けたところにある、ローヌ氷河 Rhonegletsherのすぐ隣り ベルヴェデーレにある19世紀に建てられたホテルに泊まります。着いたのが遅かったので、ホテルについてすぐ寝ました。スイスの昔のベッドは小さいです。
    寝言で「たすけてー」とか叫んだらしいです。山から落ちた夢をみたらしい
      

    2005年09月16日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ2

    朝ごはん朝ご飯は麦のオニギリにコンソメ系のスープをかけたものです。エンガディン地方の料理。めちゃうま。
    この地方ではパンにチーズを塗った上に甘いジャムをかけるのだそうです。ロマンシュ語圏スイスとイタリア語圏スイスでの風習らしい。


    さて、おまちかねハイキングです。
    呼吸を一定に、ゆっくり登っていきます。野生のブルベリーなど食べながら たのしく登ります。目的地はTuoiというところにある山荘です。Tuoi(とーい)ですか? とーくないです。とか言いながら進みます。
    うしよけこれは牛よけの電気册。触ったら感電して死んでまうで!(うそ)

    ハイキング1ハイキング2

    まだハイキングですが、だんだん険しくなって呼吸が苦しくなってきました。
    おひるごはんなぜか激しくデジャヴを感じる草原で食事します。ハイジの黒パンにチーズとソーセージ。ハイジのメニューです。
    しかもあたりに人影は無し。半径10キロ以内は無人なんじゃないかって気がする程です。


    ハイキングだったのはここまでで、「落ちたら死んでまうで」という状況になってきました。
    落ちたら死んでまうで

    二週間前の洪水でスイスの山は水が多くなっているそうです。
    なんとか渡れるところはないものかと、川沿いを登ります。
    かわ0かわ1

    で、結局。靴を脱いで渡る羽目に。
    これ、雪融け水ですから、水温はかな〜り低いんですが・・・。
    わたりますわたりちゅうさらにわたります

    流されたら死んでしまうで!!!!!

    岩場やらガレ場やらをもりもり登ります。もうバテバテです。スイス人は平気かもしれませんが、je suis japonaisですから、そんなん無理。っていってんのに、前に進まなければ死ぬかも?。 という状況です。休ませてください。でも、休みすぎると体温が下がって寒くなってしまうのでそのまえに歩き始めなきゃ危ないってんで、進みます。
    帰ろうにも、もう
    前に進まないとしぬこんなに来てしまいました。
    もうだめだ・・・


    岩場をすいすい登るスイス人と岩にへばりつくのがやっとの私。
    ちょっとでも失敗したら死んでまうでぜーぜー 登山 しないって、いったよね?
    「oui,でも山小屋に泊まりたいかきいたら oui っていったね」
    う、そ、そうだった。


    滑ったら、死んでまうで!
    岩場を越えましたが、これを下るなんてできません。「死ぬかも」じゃなくて「前に進む」か「死ぬ」かという状態です。

    急傾斜の斜面をもりもり登ります。体を斜めにしすぎると滑り落ちそうになります。
    「転げ落ちたら死んでまうで!」
    また岩場です。つーか、足元の岩がぐらぐらするんですが、選択を間違えると転げ落ちそうです。「岩の間に挟まったりしたら、もう死んでまうで」

    結局・・・・。死にませんでした。あー助かった。
    標高2735m Furcletta峠に到着しました。やったぜ、おれはまだ生きているぜ
    やりとげたぜ! 「もしかして、これって、かなりキツイ登山だったのでは? c'etait dure pour vous?」 「oui」って、おい! どないなってんねん、死んでしまうとこやったぞ。
    しかも、「もしかしたら、ここに来た最初の日本人かもしれないね」。いや、そんな訳ないと思いますが。
    と、いう訳で、生命の危機を克服し、強まってしまったわたくしでした。 でもって、この山は今から私のモノです。命名「Mont Shindemaude」今よりこの山は日本語ではモン=シンデマウデです。

    のぼりました
    頂上からの風景。あまりきれいに撮影できませんでした。やはり写真では実体験は再現できませんな。
    頂上に登ってから数分後、あたしがひ〜ひ〜言って登った斜面を事もなげに登って来る男女。二本のポールを巧に操りもりもり登って来ます。すげ〜。スイス人(ドイツ人かも)すげ〜。

    GPS

    峠の反対側は楽だよ と二人はいいますが、それでもキツイです。が、頑張って日のあるうちにおりないと 死んでまいます。しかも、雨雲が接近しています。ヤバすぎ。「急がないと死んでまうで!」

    くだり確かに下りは斜面はそれほど大変じゃないのですが、行けども行けども山小屋は見えず、やや不安になります。日が暮れてしまったらもうダメっぽいです。

    薄暗くなりかけたころ、やっと標高2500m Tuoiの山小屋に到着。しっかりした設備の山小屋で すごく快適。
    やまごやベッド

    最高に透明度の高いスイスの山で星を見ようと言ってたのですが、雨ふってきました。残念


    よるごはん夕食はラザニアとリゾットです。お肉たっぷりのラザニアはさいこーにうめーです。
    スイスの人はマルチリンガルが多いので、挨拶などでその人の言語圏を見分けて、より通じやすい言語で話す様です。とりあえず、私はフランス語しかわからないので、フランス語で通しましたが、問題なかったですし、友人がびしばし翻訳してくれたので大丈夫でした。
    いやあ、大変だったけど、最高だあねぇ〜
      

    ロマンシュ語

    エンガディン地方で見かけたロマンシュ語の看板
    alex
    さて、どういう意味でしょう? Alexというのは屋号です。
    Jean-lucにロマンシュ語は口に出して読んでみれば意味がわかると言われました。
    Cuafför duonna ed hom
    はフランス語で
    Coiffeur damme et homme
    の事です。つまり、 美容室 女性と男性 という意味だったのです。
    うーん、面白い。

    info
    次は山の中でみかけた看板
    上から
  • ドイツ語(スイスドイツ語かも)
  • ロマンシュ語
  • イタリア語
  • フランス語

  • ロマンシュ語だけもってまわった言回しになってるっぽいです。面白い。



      

    2005年09月15日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ1

    さてさて、やってまいりましたスイスですよスイス。
    二時間遅れでチューリッヒ着。着陸に成功したところ、乗客らが一斉に拍手。やったぜ、俺達は生きてスイスの地に到着したぜ! やっぱりみんな不安だったのね。
    隣の席だったスイス人のおじさんが入り口までエスコートしてくれる。みんな非常に親切です。
    入管、ヨーロッパ人は素通りですが、私は止めらました。東洋人の中年男性の一人旅がそんなに怪しげか? そうだな、怪しいな
    片ピアスでスキンヘッドの入管のお兄ちゃんに「アムステルダム経由?」と聞かれる。やっぱりそっち方面をお疑いですか? 「タイランド経由」と答える。バッグ開けてといわれる。タイももちろんそっち方面で有名ですからね。なんも出ないのでがっかりしている。アンタの方がよっぽど薬物系のいでたちだと思うが、どうか・・・。

    駅まで jean-luc と serge と jean-luc兄が迎えに来てくれる。
    jean-luc兄は仕事なので、そこでお別れ。jean-lucとsergeは日本語を勉強中、こっちも仏語を勉強中なので、日仏語まじりで楽しい会話です。

    チューリッヒで滞在するのかとおもいきや、そのまま車でスイスの山奥に拉致られます。ひ〜

    yamaie

    スイスの田舎アッペンツェル地方 Appenzellerlandに到着。
    この地方はそこいらじゅう花だらけ、花まみれです。この花壇は虫の絶好の住み処でもあるので、議論がわかれるところだそうです。

    ushi今日は年に一度、山で放牧していた牛や羊を麓の村まで連れて下りて来る日です。(日は村によって違います)
    スイス人でも狙ってないとなかなか見れないそうです。

    東北スイスの名山Säntis標高2500m。 へ登ります。地球の歩き方には掲載されてませんが、スイスでは有名なんだそうです。ケーブルカーで山頂まで上れます。
    yama2山頂からの風景。なかなか険しげです。

    が、しかし
    hitobitoそこかしこに、この切り立った崖を登る人達が見えます。
    しかも、犬連れだったりしてビックリですよ。
    白・赤のしましまが順路という訳です。「これにそって登れば迷いません」という事だそうです。ひ〜ひ〜
    あした、ハイキングに行くっていってたけど、こんな登山はしないよね?
    たぶん、だいじょぶ
    た、たぶん?

    hirumeshi山の上の展望台でご飯。黒パンにソーセージにチーズ。
    さいこー スイスさいこー



    ハイジで有名なマイエンフェルト Maienfeldダヴォス Davosを抜けてFlüelapassフリュエラ峠(2383m)を越えて(もちろん車で) 奥スイスとも言うべきウンター・エンガディンEngiadina Basssに入ります。(グラウビュンデン地方 Graubünden)

    山を隔てて隣の村へ行くと家屋のデザインがころっとかわります。ものすごく日本の田舎に似たつくりの家々の村とか、まるで童話に出てくるような家々とか、様様です。

    夕方Ftanという小さな村に到着。

    Ftan

    Ftan2


    ここにいるjean-lucの友達à portaおじさんの家に泊めてもらいます。à portaおじさんはフランス語がわからないので、Jean-lucとsergeに通訳してもらいます。彼は元々はアメリカ人だったのだそうですが、複雑な事情があって東ドイツとスイスに住む事になり、今では完全に英語を忘れてしまったそうです。

    うまー村にある三ツ星?レストランで食事。狩人がとってきた山の動物の肉です(フランス語ではgibierと言います)。めちゃめちゃ美味しい。脂身の少ないわりに豊穣な味わいです。つけ合わせは紫キャベツのシュークルト(ザワークラウトというべきかな? でも、このへんはロマンシュ語圏なんだよね)とパスタのよーなチーズのようななんとも言えない食感の黄色いの、これ何だろ?
    こんなところで、こんなもの喰ってたら、クララも元気にもなりますよ!

    食後、地図を眺めながら明日の予定に付いて話をします。
    「ここまではそんなに辛くない、この後で少しだけ登ります。で、下りは全然辛くない」(仏語)
    本当か? 本当にそうなのか?
    「あと、君のバッグはちょっと山向きじゃなので、僕の古いのを貸してあげる」(仏語)
    って、これ、本格的に登山のバックじゃ・・・・
    「ダイジョブ」(日本語)
    ちみの日本語の大丈夫はけっこうハードな大丈夫な事が多い気がするが・・・本当に大丈夫か?
    と、いう訳で次回に続く
      

    幻の健康飲料 コンブチャ!(続報)

    6e2ccd90.jpgスイスに着いてすぐに入ったドライブインでいきなり 弓道印 脅威の健康飲料 コンブチャ を発見。メ、メジャーだったのか

    同行のフランス語圏スイス人は「そんなのは初めて見た」と言ってたので、ドイツ語圏スイスでしか売っていないのかもしれない。
    その後、ジュネーブでもフランスでも見かけないので、これはフランス語圏ではあまり見ない代物なのかもしれない。

    で、さっそく購入。微炭酸系やや紅茶っぽいナゾの甘さ飲料。「げぼー」っという味ではなくて、ちゃんと飲めます。みじんも昆布ではない。(ま、紅茶茸ですからな)
    弓道が上手くなりそうな味です(うそ)。お土産分を買って帰ろうかとも思ったけど、着いてすぐだったのでやめましたが、コンブチャを見たのは後にも先にもここのドライブインだけだったので残念です。
      

    2005年09月14日

    スイス・フランスへ行って来た しょにょ0

    タイ航空で、関空からバンコク経由でチューリッヒへ向かう。関空−バンコク間がJALとのコードシェア便だったのでユナイテッドのマイレージプラスが加算されないと言われる。なんのためのスターアライアンスなんだ。
    ま、マイレージはともかく、最近何かと問題のあるJALで行くことになるのは不安。機体は747。機内食は魚の西京焼かビーフシチュー。旅程中、頻繁に水分か供給される。エコノミー症候群対策か? 機内は日本人の観光客だらけ、フライトアテンダントも日本語で対応するし、まるでバスツアーにでも行っている様。

    be2d1d8b.jpg22:30/24:30(JST) バンコクで乗り換え。空港が混雑しているため、着陸が遅れる。現地は雷雨。乗換えがどうにもわからない。急いで出発ホームへ行ったところ、出発する気配無し。どうやら機体トラブルらしい。一時間遅れで搭乗するが、今度は離陸しない。機体はエアバスA340-600。エアコンからは殺人的に冷たい冷気が吹き付ける。タイの人はこれで大丈夫なのか? それともスイス人が寒さに強いのか? と、思ったら、故障らしい。
    エンジンを再起動しないと冷気が止まらないとか言ってる。なんじゃそりゃ。エンジン再起動後離陸。客室は激しく冷え来ったまま。乗客はみな不安そう。バッグからジャケット取り出して、さらに毛布かぶって震えながら寝る。
      

    関空

    旅に出ます。探さないでください
    関空の無線LANは普通に使えますな
      

    2005年09月11日

    いぬバカ日誌12

    戦い
    大ちゃんは人の顔に歯を経てるような事はしませんが、指にはかぶりつきます。ので、対策として、指人形を導入。これならどれだけカブリつかれても、痛くありません。
    大きさが丁度良いせいか、大ちゃんもお気に入りの模様。クマ人形対大ちゃんの激しい戦いが始まります。そして、少年漫画の常として、戦いの後には友情が芽生えるのです。  

    ひびのくらし

    旅行の準備のために買いものに行きます。どうにも旅行の準備が下手で、買い忘れとか気になって、逆にいらんものまで買ってしまったりして、困ります。

    ついでに選挙も行きます。ついでかよ! ついでです。
    私は蒙昧な大衆なので、アジられるとあっさり流されます(おい)。メディア重視の選挙で圧倒的多数におさまりそうです。某政党を連想します。このまま 「再軍備が始まった」とか家弓家正の声でナレーションとか入らないかと期待しています(おい)。  

    2005年09月10日

    いぬバカ日誌11

    肉球
    ぷにぷに ぷにぷに ぷにぷに ぷにぷに  

    きゅーどー

    弓道の練習日。土曜午前は今年の初心者講習のOBで押えているので、行かない方がいいのだけれど、早く着きすぎた。案の定注意される。ごめんなさい。
    私が参加した一昨年の初心者講習の時はそういう配慮は無かった筈なので、ちょっと羨ましい。
    涼しい間は気分良く引けたが、午後からは暑くてもうダメ。前半 アドバイス付きで8/20 後半アドバイス無しで5/20 後半は疲れてどうにもならず。射型を修正すると普段使わない筋肉を使うのでバテ易いのかも。しかし、40射程度でバテていてはいけないよな・・・。

    そろそろ16Kgか17Kgの弓が欲しいと思う今日このごろ。
      

    2005年09月09日

    ひびのくらし

  • しごと
    • 結局、昨日再生成を依頼されたデータは、しなくていい事になるが、かわりにやり方を教えろと言われてドキュメントを用意する。動作確認をしつつドキュメントを書くので、データの生成作業より大幅に手間がかかる。

      ミーティング。出席義務は無いので出るか出ないか悩んで、結局参加するが、ミーティングルームがもう冷房強くて寒くて、体調悪化。内容もあまり関係がない事だったので、参加しない方が良かった。


  • 仏語教室
    • 出国前の最後の授業。6人居ればクラスは存続、5人でディレクターの回答次第だそうだ。昔同じクラスだった人が2人参加してくれれば継続という事らしい。


    さて、バカンスの準備しなきゃ・・・  

    2005年09月08日

    いぬバカ日誌10

    dai相変わらず、体重の増えない大ちゃん。心配していたら、体重計が壊れていて正しいデータがとれていなかった事が判明。自分の体重が妙に軽くて、ダイエットに成功したのかとビックリしたが、20%も誤差があったので、判明した。彼の本当の体重は何キロなんだろう・・・・

    大ちゃんの歯もかなり生え揃って来たので、じゃれて甘噛みされるとかなり痛い。それでもうれしいので我慢するダメな飼主。いいんだ、もう

      

    それは私の責任じゃない

    昨日 目処が付いたプログラムを午前中完成させる。一区切りついたので、某カーネル法のプログラム直しに入れるかと思いきや、DBのデータ入力している方々から、以前作ったデータについて、作業依頼される。こっちの預かり知らないところで計画を進めている様だったので、完璧に興味を失って、「このデータを作ったスクリプトはどれだっけ?」状態。「早ければ明日、遅ければ10月までなんもできまへん」と回答する。それは私の責任じゃないというフランス風の回答がすんなり出るようになって来た。わはははは
    午前中に終らせたプログラムが、タイムアウトすると苦情が来る。が、あたしの環境では全く問題がない。調べてみるとプロクシが悪さをしていた。だから言っただろう それは私の責任じゃないって  

    2005年09月07日

    ひびのくらし

    台風一過、JRは全然遅れず平常どおり。

  • しごと
    • スクリプトの催促が来る。完成予定時間は伝えてあるんだから、待って下さい。催促されてる時間は作業できないんで、催促されればされる程しごとが遅れるって、わかってますか?
      計算時間を測りたいから、JOB投入するなと言われる。だから、完成させて欲しいんでしょ? そんな事は帰り際にバッチかなんかで流してくれ
      今、修正しているプログラムの一部を切り出したスクリプトを書いてくれと言われる。完成させたいんじゃないのか?(怒) アラブ人はみんなこーなのか?

      と、怒りながら、割り込みもある程度面倒見ながら作業。集中してプログラムを書いていると、論理的な流れが脳内でちゃんと整合性を持って感じられるのだけれど、たびたび思考の中断があるとそういう感覚が無くなってしまう。で、プログラムはしゃくっと動いて目処が立つ。あれよあれよと、組み合わさって問題が解決してしまう。「痒いところを書いていたら、突然全部直った的」な変な感じ。こういう時は潜在バグを疑わないといけないので、トラブルがあったときはかえって大変になる気がする。


  • 仏語教室
    • 日仏学館に着いたら、玄関先で講師がタバコ吸っていた。今日の生徒はあたし1人らしい。こんな事は初めてな気がする。二時間 仏語で雑談する。で、やっぱりこのクラスは今季で終了らしい。さもありなん
      

    ひびのくらし

  • JRのばかやろ〜
    • 通勤電車、めちゃくちゃ寒い。冷房が効きすぎなのを予測して、長袖のシャツを着込んでいるのに、ガタガタふるえるぐらい寒い。持参したタオルを腕に撒いてもまだ寒い。どうなっとるんじゃJR西日本。
      昨日は改札のICOCAカードがエラーでバスに乗り遅れるし、苛々が募る。

  • 自主ゼミ
    • カーネル法。また準備不足。今回も自分が根性無しだという事がよくわかりました。が、これでなんとなく見通しが付いてきたよーな気がする。気だけかもしれない。
      いろんなカーネルを実装しまくると、良い事があるよーな気がする。

  • しごと
    • キリキリ働く。前回、いつ終るかわからないと言っていたが、いきなり見通しがついてきて、バカンスまでになんとかなりそう。 しかし、順調な時ほど何かしっぺ返しがあると思っておいた方がいい。perlのforkの中からthreadモジュール使っているのだけれど、forkもthreadも挙動がイマイチ信用できない(と、ゆーよりも、あたしのforkとthreadの使い方が洗練されていないからなのだが)。perlのthreadモジュールは、thread数が増えると、どんどん不安定になっていく感じがあるので、データ数が厖大になったときに、問題が起こるかもしれない。ううむ。続きはあした

  • 台風
    • 台風接近。子供なので、こういうのはわくわくします。が、直撃は無い模様。ちぇ!

  • 仏検とフランス語関係あれこれ
    • 仏検の申込用紙が頼みもしないのに郵送されて来た。商売熱心だなぁ。試験日11月20日 弓道の昇段試験が11月23日なので、受けられないこともないが、どっちも中途半端になるよーな気がする。転職関係で有効になって来るのは仏検二級以上なので、二級は頑張ってとっといた方がいいんだけど、天性の不真面目さと頭の悪さと試験運の悪さから、今回もダメなよーな気がする。
      ちなみに、DELFは10月23日で、そっちは申込み済み。14日からのスイス=フランスへのバカンスで仏語力が上がるかと言うと、たぶん、少しは上がるけど、試験対策にはならない。試験のためにはもっと、地道に単語帳作ったり、文法の復習しないとダメなのだけど、産まれてこの方、そんな地道な事をやり切った事は一度もないのであった。あはははは。

      この10月で、日仏学館に申込をして丁度、三年になる。今のクラスは今季で無くなりそうな気配だし、今年度になってから開始時間に間に合うように講座へ行けなくなったので、続けるかどうか考え直さないといけない。
      止めてしまうと仏語力がどんどん錆びてしまうだろうから、止めたくない。同じ講師のやっている土曜の午前中の講座に変えた方がいいんじゃないかと前々から思っているのだけど、さて、どうしよう。
      

    2005年09月06日

    le legend du moisi.

    アリの容器のカビがかなり成長。このままでは アリ伝説がカビ伝説に!
    ひ〜(涙)。 スプーンでほじくり出しましたが、これぐらいではきっとダメでしょう。  

    2005年09月04日

    いぬバカ日誌9

    今日も大ちゃんを連れて病院へ。
    また食べなくなった。と、いうか、嫌いな食べ物は拒否するし、昨日は鶏肉を食べたが、今日は牛肉しか食べないという、すっかり我儘でグルメな犬になってしまった。 で、体重が増えない。丸くなったのは一瞬で、体重は変らないまま、前後に大きくなった感じ。
    寄生虫の薬はまだ毎晩飲ましているが、まだ治り切っていないので、今日もワクチン接種は見送り。が、今度は耳垢が大量に発生している。
    獣医さんに耳掃除してもらいます。消毒液を耳に注入して洗うので、当然、嫌がって泣くわけです。
    耐えろ、耐えるんだ!
    って、この程度で甘やかさないで下さい とか言われる。
    ダメです。もうわたしたち 大甘です。で、きっとこの甘さは直らないの


      

    2005年09月03日

    ひびのくらし

    f69d2b3f.jpgスイスへもっていくお土産を買いに、京都駅ビルの酒屋へ行く。
    ちょっと味見させてもらったら、もう回るの。すっかりアルコールに弱くなった。

    夜中、大ちゃんと遊ぶ。彼は、夕食後に一眠りした後、22時頃に目を覚まして、また遊びをおねだりするのである。
      

    弓道日記

    朝から、頭痛がして激しく調子が良くない上、残暑も厳しく、蒸し暑い。
    休もうかと思ったが9月は3日と10日しか練習に来れる日が無いので、無理して行く。
    やはり、当然ながら調子が悪い。思い出しながら、ちゃんと引いてるつもりだが、体が動かない。水平方向にスパっと開かない。だらりとした大変不様な離れ。前半、6/20で、ほぼ前回と同じスコアだが、バラツキが激しく、とてもとても集中できない。
    さらに、暑さでボーっとなってきた。こういう時、的中率をカウントすると気だけ焦って、どうにも立て直せない。
    立て直らないまま切り上げ、もうダメだ・・・。


      

    2005年09月02日

    ひびのくらし

  • バカンスをとると言ったら忙しくなるの法則
    • CGIの直しを依頼される。ユーザーから見た最終的な挙動には全く変化が無いが、その変更をするには、5つあるプロセス全部に対しその処理を追加し、さらに、5つが連係して作動する部分を新たに組み上げなければいけない。もちろん、ひとつひとつの作業は技術的に難しくは無いが、連係する部分等で手間取ると、作業期間はズルズルと長引くと思われる。で、経験則から、こういう時は必ず手間取るというのがわかっている。が、先方はかなり気楽に言ってくれる。えらい人にはわからんのですよ。
      仕事ですから受けますケドね。もうそんなには頑張れないんですよ(残業代出ないし)。終らなければ終らないままバカンスへ行きます。ええ、行っちゃいますとも


  • 電波ゆんゆん
    • 通勤電車の東福寺ー伏見稲荷間で、お稲荷さんと電波で交信している人がいました。隣の席の女子高生なぞ、激しく引きまくりでした。が、ちみたちだって、テクノロジーの力で電波をゆんゆんよんよんしてるじゃないのと、思った次第。


      

    2005年09月01日

    le legend de les foumis

    ant

    ひさかたぶりのアリ観察。やっと四匹目が成虫になった。今まで、四匹目が誕生すると、夜のうちに一匹が無理矢理隙間から逃げだすというパターンを2回くり返していた。四匹になると斥候を派遣するのではないかと思っているのだが、さて、どうだろう?