「筆者の吾妻古墳発掘現地説明会見学記」

[2008年1月20日]

当日は予報に反して(天気予報は終日曇り)晴れて弱い日差し、しかしとっても寒い。友人とサイクリングで現地吾妻古墳に到着(自宅から15km位い)既に大勢の参加者多分200名前後。早速、発掘を担当している(財)とちぎ生涯学習文化財団埋蔵文化財センター(とっても長い名称--栃木県教育委員会の外郭団体)から発掘にいたる経緯と発掘概要の説明を受け。その後三班に分かれて(一班60名)発掘トレンチ(塹壕、溝の意味)で詳細の解説を受けた。今回は前方部を7トレンチ試掘。
この古墳は過去に壬生町で測量調査したが、正式な発掘調査は今回が初めて。しかし明治の初めに壬生藩主が前方部の石室を発掘してその玄門を自宅の庭石に持ち出した経緯があり。その時の掘り出した土の塊が今回判明したとか。
玄門は現在壬生城址公園に保存されている。
又、古文書に残されている古墳図でも石室部が露出して大きくえぐられている(写真)
今年度は前方部のみで、来年度は(延べ3年計画)後円部の発掘予定(今年の秋からか?)。
調査結果
従来は墳丘は二段目だけと思われて全長117mで県内三番目の大きさだったが(一番は「琵琶塚古墳」全長123m)。今回一段目も明らかに盛り土した墳丘と確認され、その全長は134mとなり、結果栃木県内最大の古墳と認定された。周堀りの全長は165mで、これは三番目。
出土遺物は円筒埴輪の破片が多数出土。これ等から時期は古墳時代後期(6世紀後半)築造と裏付けられたそうだ。
ついでに
当日はここの地主さん(葛生在住のお方)も見えていました。聞くところによると、「昔し壬生にある「山」を買わないかと前の地主から持ちかけられて買わされた」とお爺さんに聞いたとか。確かに昔しは古墳と言うより「山」だったのでしょう。

当日のスナップ写真            筆者は第一班
   

  
後円部から前方部墳丘         出土遺物の埴輪              昔の古墳図
  
今回発掘のトレンチ(壕)         壬生城址公園の「玄門」
  

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