主なツーリング・サイクリング記録 こちらはHP版の記録記事です。 |
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2010年6月14日(月)UP | |||||||||
6月9日~12日東北輪行サイクリング (二本松~盛岡) | |||||||||
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という事で気合を入れて朝4時半に起き、朝食と自転車準備して、「雀宮」6時16分発に乗車。「宇都宮」から新幹線で「郡山」乗換えで「二本松駅」に7時59分着。前回の輪行サイクリング(5月22日)の終点が今回のスタート。 自転車組み立てて8時30分いよいよ出発。最初は近くの「智恵子」の生家を探した。街道沿いに案内標識で発見。生家は長沼酒造家で当時の建物が再現されている。そして智恵子記念館がある(今日は休館日) 後は街道を約20kmで福島市へ。福島駅に到着。駅前の通りはとてもすっきりで自転車も走りやすい(宇都宮とは段違い)。 直に阿武隈川の橋を渡り、川原に下りると、ここからサイクリングロード(堰堤道路)が川下に向けて延々と20km続く。行き止まりは梁川橋、ここを左岸に渡って国道349号線に入る。 今日の本命はこの国道沿いの阿武隈渓谷です。国道と言っても単車線、しかし車はときどきでとても走りやすい。トンネルの新道は行かず車両乗り入れ禁止の旧道が快適。 阿武隈ライン下りを過ぎると渓谷も開けて「丸森」に到着。ここから又阿武隈川の左岸堰堤道路を快調に走り途中右岸堰堤に渡り槻木大橋へ。ここで、今日の宿泊は太平洋沿いの「名取市サイクルターミナル」を予定していたので。予約しておこうと電話するとななんと今日水曜日は休館日との事。これでは当初予定していた阿武隈川河口から「仙台湾自転車道」を諦め、直接国道で仙台まで行く事に変更でした。 いやいや明るいうちにたどり着けるかぎりぎり。薄暗くなって仙台駅に到着。予め調べてあった「旅館つかさ」に宿泊できました。 とってもアットホームな旅館で内装はリニュアルされ新築並。136km走行の後のビールは美味しかった。
今日の目的は当然「松島」へ、修学旅行以来で多分50年振り。 国道45号線が一番素直な道と聞かされ、早々に塩竃港に到着。ここで写真を撮っていたら、若い二人連れの女性が来て「「一緒に写真撮らせて下さい」と片言の日本語、聞けば台湾から観光で来ているとの事。自転車が趣味らしい。私は日本人サイクリストのモデルなの。 気分良く彼女たちと分れ一路松島へ。途中歩道が無くなり緊張して走ったが松島の手前から遊歩道がありほっとする。 「松島や松島や」50年振り、五大堂を小学生の旅行案内の説明聞きながら見学。 ここで一句「嶋々や 千々にくだきて 夏の海」芭蕉 昼食後街道を奥松島へ、ここは民宿が多く、夏の海水浴やサーファーの絶好の地。一般観光客は少なく今はとても静かな浜辺が続いている。宮戸島を半周してから石巻へ、鳴瀬川を大きく迂回して再度海浜に戻るとここから「奥松島自転車道」が石巻まで繋がっている。 海岸沿いの運河と松林の中を真直ぐ進むと突然ジェット戦闘機の爆音。ここは松島航空自衛隊の基地。離発着訓練中。 石巻駅に少し早めに到着、ここも早速「ジャランの宿泊サイト」でチェックしたら駅の直ぐ近くに「旅館とちぎ」がありここに宿泊出来ました。ここの旅館の家族は皆な栃木県出身だとか、親子三代で運営している。今日もビールが美味しかった。
行き先設定はJR花泉駅、暫く県道を行くと石森地区そしてあの「石森章太郎」の生家と記念館がある。知らなかった石森のネームはここ故郷の地名だったのだ。ここで生まれ高校卒業まで育った土地。卒業後は病弱の姉の治療かねて東京豊島区の有名な「トキワ荘」ヘ手塚治虫の助手とて働きに出た。詳細はこちら「石森プロ」。 後は「自転車ナビゲータ」とおりに右だ左だでJR花泉駅に。次にJR一関駅に行き先設定で国道342号線で意外と早く一関駅に到着でした。ここから約7kmで平泉駅。 駅前から立派な道路(宇都宮にも無い)が毛越寺まで続いている。通り沿いにある旅館に宿泊お願いしたら、管理しているおばさんが素泊まりならOKとの事。たまには外食も良いかと思い泊まることにした。でも、しまったもっと他の旅館にすればと後悔したが、部屋は大きな和室でトイレ、バス付きで立派、なのにお客は私だけ。 駅前のミニスーパーに買い物して、レジのお上さんに、近くでお勧めの食事処を聞いたら「奥のより道」がお勧めとの事、早速そちらに自転車で行くとご夫婦で運営している、感じの良い食事と居酒のお店。これはラッキー、ご主人と色々会話、ここから盛岡まで100kmで自転車で行けるとのことで自信がついた。その後奥様と会話、とっても素敵な方、久し振りに日本酒地酒「寒山」の冷酒に酔った。素泊まりの効用で良かった。
金色堂参拝券を購入し、ついでにトイレ(大)に入る、これは立派、大理石張りの快適トイレ、これはお勧めです。 金色堂は昭和になって覆堂を鉄筋に建て替えた。これまでの覆堂(鎌倉時代ー室町時代造り替え)は別の場所に現存。1124年建立の金色堂本体は一辺5.5m四方の小振りのお堂、写真撮影は禁止、金箔も昭和に入って修復された。 松尾芭蕉が訪れた頃は金箔も朽ちて黒ずんでいたらしい。又は覆堂が閉まっていたらしい。そして読んだ句。 「五月雨の降残してや光堂」 一路盛岡へ向けて北上川に掛かる橋を渡ってから、北上川の堰堤道路で北上する。途中丸めて後ろポケットに入れてあった地図が無い、何処かに落とした。でも最終日で良かった。もう盛岡まで地図は必要ないから。堰堤道路は北上市付近から「北上ー花巻自転車道」に繋がっている。これは快適なサイクリングロード。 花巻市の東側でこの自転車道路から東に一度国道四号線を走る、これは走り難いので「花巻空港」過ぎてから東に国道456号線に移動、こちらは車も少なく走りやすい。途中から「盛岡矢巾自転車道」に入るが直に一般道の歩道になる。これにはがっかり、もう自転車道の名前を抹消した方が良い。 そしてとうとう盛岡駅に到着でした。自転車を輪行袋に納めて改札へジャストpm6時44分発宇都宮停車の新幹線に乗れた。だけどビール飲みたい、車内販売が来るのが待ちどうしかった。あわてて缶ビールの蓋開けたら見事に泡が吹き上がった。やれやれびしょびしょ。
今回は上下下着各々2着で間に合ったが、中日に洗濯する洗濯粉石鹸を忘れた(今回はお湯洗いで済ました) ロングタイツの着替えも有った方が良かったかな、でも洗濯一晩で乾いたので必要ないか。 ②インターネット送信 ウルトラモバイルPC持参したが、これは画面タッチキーボードで入力し辛かった。次回はUSBキーボード持参。 PCとGPSとナビの充電コード持参は正解、但しデータ送信USBケーブルは有った方が良かった。 GPS軌跡ログデータをPCへ転送するため(今回はメモリーぎりぎりで転送必要なかった) ③紙地図を落とさない為の対策必要。フロントハンドルバックの場合はマップケースに入れられるが。 ④朝出発前に用を済ましていてもその後トイレ(大)に行きたくなると時がある。街中ではコンビニによって済ませるが、川沿いや田園地帯ではそうも行かない。よってロールトイレットペーパーは必需品。今回は一度コンビニの在る所まで我慢した。
これは写真撮影と画像のtwitpic送信及びウエブサイト「ジャラン」で旅館さがしと所在地の地図表示が極めて便利だった。それと現在地の一時間ごとの天気予報とアメダスレーダー画像(今回必要無かった) 更にGoogl Maps上でGPS機能で現在地が表示できる(今回は自転車ナビが有るので使わなかった) SONY「自転車ナビゲータ」(NV-U35) 通常はGARMIN-GPSと紙地図で充分間に合ったが、三日目の石巻~一関では完璧に「ナビゲータ」様様だった。
今回は幾つかの予定地での宿泊旅館を「ジャラン」でチェックして置いたが、「ジャラン」等に乗っていない駅前旅館は多い。到着したら駅に寄って土地の案内パンフレットを見るのが一番かな。今回の旅のようなシーズンオフならば予約無しで飛び込みOKだった。 大きな都市ではビジネスホテルが一杯あるが、旅の楽しさはやはり家族的な「旅館」(高級旅館は除く)又は「民宿」が味わいがある。 今回は自転車トラブルも無く、殆んど計画どうりの日程でサイクリング出来たが。でもパンク修理等で全く町が近くに無いところで日暮れてしまうのも不安。キャンプ道具積んでいれは良かったのに、と思うこともある。それだけ重くなるが。
来年は、青森から日本海沿いにー秋田ー山形ーそして育ち故郷の新潟ー富山ー山陰方面の旅に行きたい。その次は四国八十八箇所巡りなどなど。日本縦断サイクリングのスタートです。 |