比企郡鳩山町熊井(平凡社日本歴史地名大系『埼玉県の地名』591頁)
  
越辺川支流鳩川の流域に位置し、南東は大豆戸村、東は大橋村、西は高野倉村。
応安元年(1368)七月、越生兵庫助は当地などの本知行分を法恩寺(越生町)寄進している(法恩寺年譜)。
田園簿によれば田高401石余・畑高239石余で幕府領。
元禄郷帳では高663石余。
国立資料館元禄郷帳では旗本内藤領。他に万願寺領がある。
「風土記稿」成立時には旗本三家と幕府領の相給。
文化文政期の家数80。
天明年間創業と伝える熊井焼は幕末から明治にかけて盛んとなり、徳利・土瓶・灯火器・壺などの日用品を中心に生産された。明治期には土管・瓦生産に移行し、昭和30年代まで続けられた。
また同じく「郡村誌」に特産物として木炭3850俵がみえ、近隣への木炭供給地であった。
鎮守は黒石明神社、産土神は毛呂明神社。ほかに慶安2年(1649)朱印地高7石を与えられた山王社などを祀る。
西福寺(真言宗智山派)は山王社の別当で、開山の尭栄は慶長年間(1596〜1615)に没したという。
(西福寺)地内を古鎌倉街が道通る(この部分のみ角川日本地名大辞典11埼玉県338頁)。
万願寺(真言宗智山派)の開山承海は天文5年(1536)に没したといい、慶安2年薬師堂領として朱印地高6石を与えられている(以上「風土記稿」)。
妙光寺(真言宗智山派)は「風土記稿」によると弘安9年(1286)に没した竺翁の開山とされるが、寺伝では天正年間(1573〜92)に郷士熊井太郎が祈願所として建立した寺院といい、慶安2年に高9石の朱印地を与えられている。同寺地蔵堂の地蔵菩薩は行基の作と伝える。
熊井城址と称される館跡(年代不詳)があり、土塁の一部が残る。
また領主であった内藤氏が延宝7年(1679)に築いた陣屋跡があった。
妙光寺境内にある板版は鳩山町域では最古最大級のもので、ほぼ完全な形を保っている。
 

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