ベア、有り難う

 焼き上がって焼却室から出てきたベアの骨は、想像していたよりもはるかに少ないものだった。ベアはピレネー山脈を故郷とする超大型犬である。体重は五十キロを超える。
「このワンちゃん、骨粗鬆症でしたね」
 獣医の指示に従い栄養管理を続けてきた妻は、泣きはらした目で、そんなことがあるものか、と葬儀屋をにらみつけた。
「長いこと寝たきりだったでしょう」
 骨を見ただけでそんなことまで分かるのか。実際、葬儀屋が云う通りである。昨年の夏、化膿していた右足首が破裂して、ベアは起きあがれなくなった。
「髄の内側が茶色いのが、骨粗鬆症の証拠です。寝たきりになってしまうと、どうしても骨粗鬆症になりやすい。人間も動物も同じです」
 ベアは優しい性格だった。雄犬だからだろうか、妻には特に優しかったように思う。
 テレビドラマを見ながら妻が涙を流すと、どうして泣いているのか? といった表情をして側に寄っていく。そして頬の涙を舐めるのだった。そんなベアが可愛くて、妻はときどき嘘泣きしてみせる。その度にベアは妻を慰めに行く。
 そんなベアが死んで嘆き悲しむ妻の気持ちを、葬儀屋には察してもらいたかった。だから黙っていて欲しいのに、自宅から焼却所までの一時間、葬儀屋はくどくどと、それも私たちにはどうでもいいようなことを喋り続けていたのである。鈍感な葬儀屋め、と私は少々腹を立て始めていたのだが、骨が焼き上がってからの話には関心が出てきて、小柄で腹の突き出た葬儀屋が何だかとても偉く思えてきた。
「奥さん、お腹の灰が緑色なのは蓄積された抗生物質のせいで、顎と首の骨が黒いのは癌だった証拠です。前足の骨に点々と残る染みは、鬱積した血が行き所がなくなって骨に染み込んだ痕跡なんです」
 妻が私を観た。確かにベアは抗生物質の入った薬を処方され、毎日欠かさず飲み続けてきた。口腔内にできた親指大の腫瘍を何度も獣医に見せた。しかし、老犬だからと手術してもらえなかった。染みのある場所も、持病のリュウマチがあった足首の骨である。
「交通事故で死んだ猫や犬を焼いて骨を見ると、ほとんどが病気持ちなんです。丈夫な犬猫だったら事故から逃れられたでしょう。恐らく、死ぬべくして死んだのでしょうね。あるいは自殺だったのかも知れません。……長寿を全うした動物の骨なんかは、それこそもう真っ白ですから」
 十二年前のことだ。まだ小学校低学年の息子たちにせがまれて、見るだけの約束で群馬県安中市のブリーダーを訪ねた。ケージの中には、生まれて一ヶ月ばかりの仔犬が、合わせて五十匹ほどいた。じゃれあって跳ね回る仔犬たち、足を広げて仰向けになり、腹を見せたままうたた寝をしている仔犬たち。どの仔犬も真っ白で、まるで綿帽子のようであった。その中の一匹がちょこちょこと近づいてきて、くりくりっとした目を上げて私たちを見上げた。
「可愛い!」
 真っ先に声を上げたのが妻だった。その日、ベアは妻の膝に抱かれて我が家にやってきた。そのベアがいま骨壺に姿を変えて妻の膝の上にいた。窓外から葬儀屋が妻に声を掛けた。
「奥さん! 治療代とか葬儀代にずいぶんとお金がかかったでしょう。でも無駄にはなりませんよ。このワンちゃん、いつか、それ以上のものを返してくれますから」
 雨が頻りに降りしきるなか、いつまでも私たちの自動車を見送る葬儀屋の姿が小さくなっていって、やがてバックミラーから消えた。
 ……ベア、お母さんの悲しみが深ければ深いほど、君はすでにそれだけたくさんの贈り物をお母さんに与えてくれた証なんだ。もう何も返してくれなくていい。お母さんのことはお父さんに任せて、安らかに眠って下さい。そうだった、お父さんが葬儀屋の絶え間のないお喋りに腹を立てたのも間違いだった。彼のお喋りは、きっとお母さんの哀しみを紛らわそうとしてしたことだったに違いないのだから。                                                                       合掌

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