「姓氏家系大辞典」(第二卷)太田亮著(2151〜2152頁)

熊井(クマヰ)武蔵等に此の地名あり
1 武蔵の熊井氏
 当国の豪族なり、比企郡熊井邑より起こりしか。
 平家物語熊井太郎あり、義経の軍に従う。
 源平盛衰記には熊井太郎忠元と見ゆ。
 新編風土記都筑郡川和村條に「境内山の内にあり、広さ一段余、小高き所なり。此の辺りを字して城古場と云う。昔熊井太郎忠もと、と云うもの居住せし所なりと。
 この人は右大将頼朝の幕下に属せしものなりといい伝えり」と見ゆ。
 下りて太平記卷二十八に熊井五郎右衛門尉政成と云う人ある。

2 信濃の熊井氏
 清和源氏 信濃発祥にして、源義家の裔、義徳の男義躬の後なりと云う。

3 豊前の熊井氏
 宇都宮氏配下の将にして、小山田文書に「宇佐宮神官宇貞申す。豊前国封戸郷日足村新開田七段己下のこと、訴状具書・此の如し。糾明の為、早く熊井六郎左衛門尉信直、河野四郎通貞等を召さるべきの状、仰せにより執達件の如し。暦応三年三月十四日。大和権守(花押)」とあるは此の氏人也。
 下りて、国志に「田河郡岩石城は、天正元年より秋月種長の一党熊井越中守在城。同十五年四月攻落さる」と。一に熊江越中に作り、又熊谷に誤る。

4 雑記
 秀康卿給帳に「三百石、熊井九右衛門」を載せたり。

管理者注
 結城秀康(徳川秀忠の兄)の子息からは越前、勝山大野、直江津、松江、姫路、明石、津山(岡山)等の大名家が輩出しています。これらの地にも熊井姓のお宅がありますが、みなさんこの熊井九右衛門家のからの分かれなのでしょう
 また九右衛門の出自は摂津となっています。
 摂津は水運の要地でした。福岡県大川市向島の熊井様宅は江戸時代藩御用商人で廻船問屋を営んでおりましたが、元々は大阪近辺の商人で、豊臣の時代には、朱印状を持つ廻船問屋だったそうです。
 さらに大川市を河口とする筑後川上流の水郷日田市(江戸時代は天領で物資の集散地)も熊井姓集中地区のひとつです。
 結城秀康は1587年の豊前岩石城攻めに参加していますが、対する岩石城の城代が熊井越中守久重だったというのも、何だか因縁を感じます。

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